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 2016年最後となった『鉄道さんぽ』は、神奈川県の小田原駅と大雄山駅を結ぶ中小私鉄、伊豆箱根鉄道大雄山線を取り上げたいと思います。伊豆箱根鉄道は西武グループの鉄道会社で、神奈川県の箱根や静岡県の伊豆地区においての鉄道事業、船舶事業、不動産事業等を行っていますが、大雄山線はその前身の大雄山鉄道によって、大雄山最乗寺への参詣鉄道として1925年に開業しました。この時は小田原側が仮小田原駅という、現在の小田原駅とは離れた場所が終着駅とされていましたが、1927年には新小田原駅(この時点で、仮小田原駅は相模広小路駅へ改称)が、そして1935年には小田原駅へと徐々に延伸開業。小田原駅延伸時には、相模広小路駅と新小田原駅の間に緑町駅を設け、相模広小路駅と新小田原駅は付近の駅間が短い為に廃止にさせ、現在の形に近付きました。
 その後、1941年に駿豆鉄道に吸収合併されます。駿豆鉄道は既に三島駅〜修善寺駅間の路線も保有していて、神奈川県に1路線、静岡県に1路線と、それぞれ独立した路線を持つ鉄道会社になりました。そして1957年に伊豆箱根鉄道へと改称。現在の社名となっています。
 大雄山線全長 9,6km 程のミニ路線ですが、参詣鉄道という背景があるので歴史は結構古く、昨年で開業90周年を迎えました。その90周年の時には色々なイベントが行われたそうなのですが、そのファイナルイベントとして2016年10月1日に、この路線を走る5000系車両の1編成目の塗装を、かつての旧型車両のカラーとして復活運行させる事になったのでした。
 この塗装は、グループ会社の西武鉄道車両の昔の“赤電”と呼ばれる塗り分けでもあり、ある意味で懐かしい反面、5000系はその塗装で走った事は無いので、挑戦的な復活とも言えるものでした。特別塗装である以上、期間限定の運行であると思いますので、今のうちに乗っておきたかったという事が今回の『鉄道さんぽ』選定の大きな理由になったのです。また、伊豆箱根鉄道駿豆線の方は、個人的にライブで三島方面によく行くので頻繁に乗っていたにも関わらず、大雄山線は今まで1度しか乗った事が無い路線であり、その意味でも久し振りに大雄山線を見ておきたくなったのです。
 …以前の乗車は恐らく自分が中学生か高校生の頃なので(笑)、約20年振りの乗車となってしまうのは確実だと思いますが、そんな大雄山線の今をお届けしていきたいと思います。どうぞ御覧下さいませ!


 ●日時…2016年12月24日 ●距離…9,6km ●駅数…12駅

 JR東海道本線で小田原駅に着くと。 15両編成が停車出来る東海道本線のホームからすると小さなホームが左手に見えてきますが、これが大雄山線の小田原駅になります。規模は小さいながらも、中小私鉄としては利用者の多い路線であり、3両編成とは言え、早朝と深夜を除いて終日12分毎に運転されているので、ダイヤ的にもシンプルで乗りやすい路線なのです。

    

 小田原駅では、東海道本線と線路が繋がっています。これは大雄山線内に車両の大規模の整備工場が無い為、全般検査といった大規模な車両検査を行う場合は、東海道本線の小田原駅〜三島駅間を回送(甲種輸送…JR貨物等の機関車に牽引され、貨物扱いとして輸送させる)させて、駿豆線内にある自社の工場に入場させるのです。左上写真を注意深く見て頂けると分かると思いますが、線路は繋がっているものの、架線は張られていない事が分かります。これでどうやって車両を受け渡すかというと、JR側の機関車に数両の貨物車両を中間に連結し、架線の張られていない区間に誤って機関車が入らないように授受するのです。この光景は大変珍しく、甲種輸送時には沢山のカメラマンの被写体の的となります。

    

 駿豆線の小田原駅には、早速大雄山最乗寺にまつわる天狗のモニュメントがありました。伊豆箱根鉄道は西武系なので、自動改札の雰囲気も何となく西武鉄道と似ています。そして、この日購入した切符は、1日乗車券『金太郎きっぷ』。これ1枚で大雄山線内が乗り降り自由な、正に『鉄道さんぽ』向き(笑)の切符です!…540円なり。

    

 小田原駅の次の緑町駅までは 0,4km しかないので、早速“さんぽ”して向かってみましょう…。小田原駅から伸びる商店街の1つを歩いて進み、商店街が尽きてきた所が緑町駅入口…という近さでもあります。線路的にはこの先で東海道本線の下を潜るのですが、その為に高度を下げてきたら、次の駅に着いた…という感じでしょうか。

    

 
そして写真のように、早速90周年の復刻塗装車両に出会えました。大雄山線を走る車両は現在は全て5000系で統一されていますが、その装備は10年にも亘って割りとゆっくりと揃えられたので、各編成毎に仕様が異なっているのです。特に写真の車両はその第1編成目で、他の編成がステンレス製車両なのに対し、この編成だけ普通鋼製車両となっています。だからこそ、このような塗装変更が容易に可能で、復刻塗装の対象になったものと思われます。

    

 5000系は全部で7編成あり、2編成目以降はステンレス製で、更に5編成目以降は、関東地方では数少ない転換クロスシート車となっています(右上写真参照)。6編成目以降では前面部にスカートが付き(左上写真参照)、行き先もLED方式に変更となりました。それまでの編成は、行き先に「小田原」と「大雄山」しか無いという状況を生かし、最初から前面に両方の行き先を固定表示させ、営業運転時にそれぞれの裏から電灯で照らす…といった仕組みにしていました。…
なので、光線の具合によってはどちらの行き先も読み取る事が出来ます(笑)。
 緑町を出ると、左に急カーブして東海道本線の下を潜ります。左上写真を見ると随分ときついカーブを通っているのが分かります。これは半径100mのカーブで、このカーブをクリアさせる為に、大雄山線にでは車両の大型化(1両の長さが20m)が難しく、全て18m車となっています。以前は17m車が限度だったそうですが、5000系は連結面間隔を通常よりも広げた設計にしており、18m車でも大丈夫にさせたのだとか。

    

 また、このカーブでは線路にスプリンクラーも設置されていました。線路にスプリンクラーというのは、よく雪国を走る新幹線等で、除雪用に使われていたりしますが、こちらの使用目的はレールの軋みや車輪との摩擦を軽減させる為でもあるそうです。それぐらいきついカーブだと言う事でしょう。
 東海道本線を潜ります。その先に、前述のかつての相模広小路駅がありました。更に井細田駅を過ぎて、五百羅漢駅へ。駅名の通り、五百羅漢のある玉宝寺や、多古城址等、付近には旧跡が多く存在しています。逆に駅名のイメージとは異なり、駅本屋はマンション併設の建物となっています。ホームからはこの先で潜る、小田急小田原線の線路も見えます。当駅から300m程に小田原線の足柄駅が存在しています。

    

 …この先も“さんぽ”してみましょう。大雄山線は距離が短いので、頻繁に“さんぽ”をしないと、すぐに終点に着いてしまうのです(笑)。道路もほぼ大雄山線と並行していて、とても散歩しやすい環境でもありました。

    

 
小田原厚木道路を潜り、片面1面1線の穴部駅に着きます。大雄山線は12分間隔の運転頻度と書きましたが、単線で、列車の行き違い設備を持つ駅も限られているので、逆に言えばこれ以上は列車間隔を狭める事が出来ません。そこで、先程の回送列車の為に、計画運休させる列車を1日に2往復設定しています。車両検査等の際は、そのダイヤを使って回送列車を運行させているのです。

    

 穴部駅から先も“さんぽ”してみましょう。大雄山線の路線延長が合計10km にも満たないと言う事は、起点から終点まで全て歩いても3時間は掛からないという事になります。確かに、今回はゆっくりと進めた方が良い感じはしました。この辺りは狩川と接近するポイントとなっているので、車窓の片側はわりと開けた風景が楽しめます。…とは言え車窓からはその堤防に遮られ、狩川自体を望める事は難しいです。より良い風景を楽しみたいなら列車から降りて、線路と川の間にある堤防部分を“さんぽ”するのが(笑)良いでしょう(左下写真参照)。

    

 さて、今度は歩いてばかりでは“鉄道”さんぽにならないので(笑)、次の飯田岡駅からは列車に乗ります。この後はどこで降りようかと思いますが、線路が狩川を渡るポイントがあるので、その最寄りとなる塚原駅で降りてみましょう。当駅も、片側1面1線の小さな駅ですが、もはや大雄山線ではこれが標準です。これらの駅は無人駅が多いようです。

    

 この狩川を望むポイントでは、大雄山線では貴重な富士山が望めます(右上写真参照)。手前の山に遮られ、山頂付近の少しの部分しか見られませんが、それでも富士山が見えるのは嬉しいもので、このポイントに立ち寄って良かったと思いました。近くを走る小田急小田原線は、手前の山から少し離れた場所を走っているので、富士山を車窓に暫く望めるのですが、大雄山線は山に近い所を走っているので、それらに遮られて富士山が見えるポイントが少ないのです。

    

 そして、中間駅では最後の列車交換駅となる和田河原駅へ。やはり駅本屋がマンション併設となっています。ちなみに、読み方は「わだがはら」です。この駅では、終日駅員が配置されています。この次の駅は富士フィルム前駅となっていますが、狩川の向こうにある富士フィルム工場の正門へは、ここ和田河原駅の方が近いようです。

    

 富士フィルム前駅を過ぎると、終点の大雄山駅に到着です。車庫が併設されており、そこと留置線とに挟まれた部分にホームがあります。線路はこの先には伸びていなく、ホームと垂直に接する形で駅本屋が建てられています。ここまで小田原駅からは21分。本当に小旅行という感じでした。

    

 駅の周辺は南足柄市の中心部という感じで、スーパー、銀行、そして商店等が入ったビルが建ち並び、大雄山線としては小田原駅に次いで活気があるところと言っても良いでしょう。前述のように、最乗寺への玄関口でもあり、駅前からバスが出ています。また、距離的に5kmほど離れた小田急小田原線の新松田駅へも、頻繁にバスが出ています。駅前には童話で有名な金太郎像があり、観光客の格好の被写体となっています(今回は時期的に、サンタクロースの格好をさせられてました…笑)。また、駅の発車メロディも童謡の「金太郎」でした。

    

 車庫は道路側からも拝見でき、線内の電気機関車の代用となっているコデ165形もチラ見?する事が出来ました(右上写真参照)。前述の甲種輸送時に運ばれてきた車両は、当線内はこのコデ165形で牽引します。元は鉄道省用として1928年に製造されましたが、1960年に相模鉄道〔鉄道さんぽ 40.(相模鉄道、本線編)参照〕へ譲渡、その後1976年に伊豆箱根鉄道に譲渡され、旅客用として使われた後に、1996年に事業者用に改造されたという、複雑な歴史を持った車両でもあります。

 これで大雄山線の“さんぽ”は終了です。10kmにも満たない路線でしたが、その分、ゆっくりと沿線を楽しむ事が出来て、充実した時間になっていたのではないでしょうか。これからも地元の足としてまだまだ走り続ける…。そんな頼もしさを感じられた鉄道さんぽになりました。

 ☆伊豆箱根鉄道のHP…http://www.izuhakone.co.jp/

拍手[5回]



 今回の『鉄道さんぽ』は大阪に足を延ばし、天王寺駅と和歌山駅を結ぶJR阪和線を取り上げたいと思います。阪和線は、元は阪和電気鉄道という私鉄で、それまで南海鉄道(後の南海電気鉄道)南海本線で独占されていた阪和(大阪地区〜和歌山地区)間の輸送を切り込む為に建設されました。当時、南海本線は沿線集客を重視して、大阪湾側の紀州街道沿いの都市を経由するというルートを通っていましたが、阪和電鉄は阪和間の速達性を重視して、やや内陸寄りで、まだ農村地帯の中をなるべく直線で結べるようなルートが選定されています。明治時代には既に全通していた南海本線に対し、阪和鉄道が全通したのは1930年(昭和5年)の事で、当然の如く、開業当時から南海本線と熾烈な乗客取り合いが繰り広げられました。
 その代表的な例として、1933年に登場した阪和間をノンストップ45分で結ぶ『超特急』と呼ばれる列車があった事が特筆されます。この時の表定速度、81、6km/時という数字は、営業運転される列車としては当時日本国内最高記録の速さで、戦後に国鉄特急『こだま』号が、東京〜大阪間6時間40分運転(表定速度83、5km/時)を開始した1959年まで、26年間も破られる事は無かったという、歴史的に見れば超絶的なレコード保持の列車であったと言えましょう。阪和間に限っても、特急に限り120km運転が許容される事になり、阪和間が41分で結ばれた1986年で、ようやく記録更新が行われた程でした。阪和電鉄の線形は概ね良好でしたが、県境の山中渓駅付近は急勾配急曲線が存在し、現在のように振り子式車両(車体傾斜式車両)も無かったので、平坦区間で如何にスピードを出していたかが想像出来ます。
 対しての南海本線は明治時代に敷設され、市街地を通りながらのルートであった為、スピード面での対抗には限界があり、そこでの対抗策が、豪華列車の登場や接客サービスの向上でした。特筆すべきは、1936年には日本の私鉄初の冷房電車試作に挑戦した事で、乗客からは大好評を博しました。
 これら以外にも、阪和・南海の両社は大阪〜和歌山間の優等列車を頻発させて、デッドヒートを繰り広げていきますが、京阪間(大阪〜京都間)や阪神(大阪〜神戸間)間に比べて、和歌山という場所がそこまで規模の大きな場所では無かった為に、輸送需要に対して過大な供給過多であった事は否めませんでした。その為、両社は少ない乗客を取り合う為の消耗戦とも言えるべき戦いをしていたという見方もあり、むしろ阪和電鉄の経営は不振でした。南海は市街地を通っていたので、阪和間の乗客より地元の乗客の輸送で経営は成り立っており、1940年についに阪和電鉄は南海電鉄に吸収合併、南海山手線となります。その後、1944年に戦時買収によって国有化、国鉄阪和線となったのでした。この間、南海鉄道は関西急行鉄道と合併して、一時的に近畿日本鉄道保有の路線となりましたが、戦後の1947年に旧南海鉄道の路線については南海電気鉄道に分離しています。
 こうして阪和間は複雑な歴史を経て、国鉄(後にJR)と南海電鉄の2社体制という、現在の形にほぼ近付きます。元々私鉄であったという阪和線だけに、沿線には私鉄らしい面影がどこか残っていて、国鉄標準の2面3線構造の駅がなく、2面4線が主要駅の標準となっているのも阪和線らしい光景です。また、起点の天王寺駅の阪和電鉄の頃から使っている阪和線専用のホームも私鉄らしい風景と言えるでしょう。
 そんな阪和線ですが、現在、車両置き換えの過渡期にあります。以前は国鉄からの車両ばかりが台頭していましたが、1994年に日根野駅から関西国際空港へのアクセス線が開通した事を切っ掛けに、3扉転換クロスシート車の223系が大量投入。それは225系へと引き継がれ、この時は快速列車に優先的に投入されていましたが、快速優先のダイヤになったのと、普通列車にも223系、225系の充当が開始された事で、旧国鉄型の103系、205系は2017年度までに置き換えられる事になりました(後記…103系は2017年7月末をもって、羽衣支線を除いて全車運用を離脱しました)。
 特に103系は、以前は東京等でもよく見た車両でしたが、現在ではJR西日本とJR九州でしか見る事が出来なくなってしまった車両です。JR九州の車両は地下鉄直通用という少し特殊なものなので、純粋な?103系は、今やJR西日本にしか存在しなくなったと言っても良いでしょう。それでも、まだまだ大量に残っているという印象だったのですが、今回の施策を聞き、直ぐさま阪和線を取り上げようと思ったのでした。この施策は阪和線だけではなく、恐らく他の路線にも波及していくと思われますので、今後は大阪のJR路線を取り上げる事も多くなりそうですね(笑)。…という事で、現在の状況も踏まえた阪和線の様子をお伝えしたいと思います。どうぞ御覧下さいませ!


 ●日時…2016年10月30日
 ●距離…63,0km
 (天王寺駅〜和歌山駅…61,3km、鳳駅〜東羽衣駅…1,7km)
 ●駅数…36駅(東羽衣駅を含む)

 阪和線の天王寺駅は、前述のように地上に阪和線専用の私鉄のターミナルらしい頭端式ホームがあり、以前からそこでの列車発着が行われていましたが、1989年から特急『くろしお』号を中心に、JR関西本線が発着するホームへの入線も可能とし、特に関西国際空港開業後は特急『はるか』号、関空快速等々、関西本線ホームから発着する列車が大幅に増えています。阪和線と関西本線を結ぶ連絡線も最初は上下線で1本の線路を共有していましたが、後に上下線で1本ずつに増設されました。

    

    

 朝夕ラッシュ時でこそ地上ホームの発着はまだ多いですが、日中は3分の1以上が関西本線のホームから発着します。その主な列車は関空・紀州路快速で、特急列車と共にそのままJR大阪環状線の外回り線に乗り入れて、前者は環状線を1周して再度天王寺駅まで、後者は貨物線を使用して新大阪駅、京都駅まで到達します。大阪の“キタ”に向かうのは便利な列車であり、従来はこの天王寺駅で地下鉄に乗り換えて向かったものでしたが、現在では便利な直通列車に乗車する人が増えています。故に関西本線ホームでの列車系統は複雑で、関西本線の列車も大阪環状線に乗り入れる列車が多数あるので注意が必要です。

    

 …とは言え、ダイヤは2011年3月からだいぶシンプルになりました。阪和線と関西本線、そして乗り入れ先の大阪環状線で併せて15分サイクルを基本とし、大阪環状線内に乗り入れて環状線を1周する快速(阪和線が関空・紀州路快速、関西本線が大和路快速)がそれぞれ1本、阪和線内と関西本線内で完結の快速がそれぞれ1本、普通もそれぞれ1本、そして大阪環状線内をずっと環状運転している普通が1本…という感じです。これに1時間に2〜3本の特急が加わります。15分サイクルで、それぞれの列車で接続のタイミングも同じなので、何度か利用すると概要が分かってくるようなダイヤだと思います。

    

 それでは天王寺駅を普通列車で出発してみましょう。車両は青1色の103系。もう残数が少なくなってきた車両でもあります。日中のダイヤは前述のように15分サイクルに普通は1本しか走っていないので、少し本数が少ないかもと思いますが、車内はガラガラの状態でした。対して快速は、関空・紀州路快速と線内快速で併せて2本と、特急も走っているのでどうしても優等列車待避が多くなります。逆に言えば阪和線は待避設備がある駅も多いので、このダイヤが可能だとも言えましょう。日中の普通は鳳駅行きのみの設定で、途中、鶴が丘駅(左上写真参照)、杉本町駅(下写真参照)、上野芝駅で待避を行います。

    

 国鉄型と言われる103系や205系は、もう普通列車でしか見る事が出来なくなりました。関西国際空港の開業後、転換クロスシートを持つ223系、そして後継の225系が次々に導入され、現在では普通列車ですら223系、225系で運転される列車が多くなっています。普通列車は4両編成と6両編成があり、最初は4両編成の車両から置き換えが始まりました(快速に使われる車両が4両編成が基本だったので)。しかし、2016年7月に、ついに6両編成の置き換え用として225系5100番台が登場し、103系や205系が姿を消すのも時間の問題となったのでした。関西では実は、205系は103系以上に希少な車両(元々少数しか投入されなかったので)であり、今回の“さんぽ”でも姿を見れて(下写真参照)ホッと一安心したくらいでした。JR東日本の205系とは違ったリニューアル化が行われている車両でもあります。

    

 杉本町駅を出ると、大和川を渡って堺市に入ります。川を渡りきった所に浅香駅があり、ここは阪和線の撮影地として有名な場所でもあります(下写真参照)。行き交う車両の種類は前述のように多く、まずは先程の205系と103系。205系には1000番台という、前面窓の大きいタイプもあり、103系には前面の低窓タイプと高窓タイプとあります。
 そして、当初は快速用で、現在では阪和線の特急以外の全ての列車を担う事になった223系と225系。こちらも223系は初期の0番台(左下写真参照)と、後に登場した2500番台(右下写真参照)が、225系は5000番台と5100番台があり、それぞれ前面のデザインが異なります。この記事には全ての“顔”を写真に掲載しているので、細かな違いをチェックしてみて下さい。

    

    

 浅香駅を出ると、快速としては天王寺駅発車以来の停車駅となる堺市駅に着きます。主要駅の1つではありますが、2面2線の駅で、当駅で優等列車等の待ち合わせを行う事は出来ません。また、堺市としての代表駅は南海高野線の堺東駅や南海本線の堺駅で、阪和線の堺市駅は地理的には不利な位置にあります。ただし、当駅に停車する関空・紀州路快速は天王寺駅を越えて大阪駅に直結しています。当駅から梅田地区、そしてそこから発着する京都、神戸、北陸、山陰方面に向かうには、ここ堺市駅からの利用が便利かもしれませんね。また、223系、225系は転換クロスシート車なので、旅情気分が盛り上がるという見方もありましょう。これらは番台区分を設けて阪和線系統専用車両となっており、関西国際空港へのスーツケース利用者を考慮して片側が1列席になっているのが特徴です。

    

 続いて三国ヶ丘駅も、特急以外の全ての列車が停車しますが、やはり待避設備がありません。ここは南海高野線との乗り換え駅ともなっており、終日乗り換え客が多いです。以前は区間快速と普通しか停車しない駅で、ホームも6両編成分しかありませんでしたが、1999年5月に快速も停車。ホームも8両分まで伸ばされました。実は阪和線の途中駅で、一番乗降客数が多い駅でもあります。
 対する南海高野線は、準急以下のみ停車する駅で一番乗降客数が多い駅となっています。利用者の半分以上が阪和線との乗り換え客ですが、遠近分離や経営戦略上から、区間急行以上の列車は停車しません。ここが何とも関西の私鉄らしい部分を感じます。三国ヶ丘駅は、南海電鉄の中でも難波駅、新今宮駅、天下茶屋駅、堺東駅に次いで、5番目に利用者の多い駅。それでも通過列車の設定が多いのは興味深いところです。

    

 …さて、列車は鳳駅に着きます。鳳駅は車両基地も併設されていて、阪和線の拠点となる駅の1つでもありますが、ここから阪和線の支線である、阪和線東羽衣線、通称羽衣線が分かれているので、こちらに少し寄り道してみましょう。寄り道…とは言え、羽衣線は鳳駅、東羽衣駅のみの1駅区間からなる、非常に短い路線です。鳳駅のホームも、本線とは別の場所である5番線から出ていて、ホームの時点で既に本線から分かれてカーブしているのが特徴です。

    

 羽衣線は終日、線内だけを往復させる専用の103系3両編成が使用されています。この記事を書いている2017年8月の時点で、阪和線の103系は羽衣線を除いて運用離脱してしまいましたが、これは他の羽衣線のホームが3両編成までしか対応出来なく、現状でその編成の車両が新しく造られていないからです。しかし、鳳駅、東羽衣駅とも、現在ホームを4両化させるように工事がなされていて、これが完成すると羽衣線での103系も引退になるかもしれません。車両の世代交代は着実に進められているようです。

    

 鳳駅を出ると、程なく線路は高架に上がります。この辺りは1974年に高架化されました。そもそも羽衣線は、ここ浜寺辺りの海水浴客を運ぶ為に、阪和鉄道時代に既に開通されていた路線で、短いながらもその歴史は本線と変わりません。現在では通学客が多く、東羽衣駅のすぐそばには南海本線の羽衣駅があり、乗り継ぎ客も多いとの事です。

    

 東羽衣駅で終点なので高架は途切れ、すぐ向こうには南海本線の高架橋も見えます。かつての浜寺海岸への海水浴客を巡っても、南海鉄道との競争が繰り広げられたようで、ここにも関西の鉄道らしい風景があったのでしょう…。ちなみに2020年には、東羽衣駅と南海本線羽衣駅を2階部分で結ぶ歩行者デッキが完成するそうです。

 さて、本線に戻りましょう。日中の普通列車は鳳駅で折り返してしまう代わりに、ここからの各駅への停車は区間快速が担います。前述のように、103系、205系は基本的に普通列車専用になってしまったので、日中は鳳駅以南ではこれらの車両は見られないという事になってしまいました。

    

 鳳駅を出ると高石市に入り、すぐに和泉市へ。そして泉大津市との市境が入り乱れている部分に突入します。泉大津市に駅の設置は無いですが、路線周辺の市境が入り乱れている為に、立体化が進まない要因になっているのだとか…。その先で岸和田市に入り、待避線のある東岸和田に着きます。以前は快速停車駅のわりに狭い駅でしたが、2015年2月に下りホームが高架に移行され(左上写真参照)、2017年10月には上りホームも高架化されるそうです。
 この辺りにくると、各駅停車となる区間快速の乗客も疎らで(右上写真参照)、東岸和田駅では日中は関空・紀州路快速との接続も行うので、概ね乗客は快速に移っていく感じでした。この後は更に南下し、泉佐野市に入って初めての快速停車駅、熊取駅を通り、関西国際空港への玄関口である日根野駅に到着します。

    

 日根野駅ではJR関西空港線が分かれ、関空・紀州路快速は当駅で切り離し、それぞれ関西空港方面と和歌山方面へと振り分けられます。紀州路快速は関空快速より後に設定された列車で、紀州路快速設定時に、関空快速と日根野駅以北は併結されるという今のスタイルになりました。登場時の編成は5両編成と3両編成があり、それらを繋げて8両編成で運転。時間帯によって、利用者数に合わせてそれぞれの編成の行き先を変える工夫をしていしましたが、現在は車両の組み替えや新造を行い、関空・紀州路快速に使われる編成は全て4両編成に統一させ、車両の運用がシンプルになりました。

    

 故に、快速の車両は223系0番台、2500番台、225系5000番台、5100番台と種類が多いのですが、これらは全て共通運用され、車両運用の効率も格段に上がりました。ちなみに、4両編成の車両は日中の区間快速、普通列車にも使われるので、その効率はより高いものとなっています。ちなみに、6両編成の車両も存在しますが(5100番台のみ)、これは前述の103系、205系置き換え用だったので、関空・紀州路快速には基本的に使われません。

    

 鳳駅から各駅停車となっていた区間快速は、日中は当駅で折り返しとなります。そして関空快速も紀州路快速も、当駅から各駅停車となります。他に設定されている列車は特急列車となりますが、『はるか』号は関西空港駅方面に行くので、この先阪和線を通るのは、各駅停車となった紀州路快速と、特急『くろしお』号という事になります。前述のように15分サイクルのダイヤなので、1時間あたりに紀州路快速が4本(しかも4両編成)の運転と、1〜2本の特急列車のみとなり、少しばかりローカル度が上がっていく区間になると言えるかもしれません。以前の紀州路快速は日根野駅〜和歌山駅間でも快速運転を行っていましたが、2011年、2012年と段階を経て、全ての列車がこの区間では各駅停車となりました。

    

 日根野駅には更に、吹田総合車両所日根野支所と呼ばれる、阪和線の車両基地への線路も分かれていきます。故に日根野駅は運転上の大拠点駅とも言えましょう。ここを境にローカル度が増していくのも、こんな背景があるからかもしれません。この日根野の車両基地は広大で、次の駅である長滝駅まで“さんぽ”してみましたが、“さんぽ”中も線路越し車両基地は見え隠れし、結局は長滝駅からも基地の終端が望める程でした(右下写真参照)。

    

    

 この辺りに来ると、車窓は田園地帯が目立ってくるようになります。駅に近付くと、住宅地も出てくる…といったような感じでしょうか。こうして路線は泉南市に入り、ラッシュ時に運転される快速(紀州路快速とは別種別)の停車駅(一部は特急も停車)、和泉砂川駅に着きます。

    

 和泉砂川駅を出ると、徐々に勾配を上げていきます。この先は南海本線のルートとは大きく異なっており、孝子峠に向けて進路を南西に取り続ける南海本線に対し、阪和線は阪南市に入ると雄ノ山峠に向けて南に進路を取ります。そして和泉鳥取駅を過ぎると、いよいよ長い山岳区間へと入ります。阪和自動車道とも似たようなルートとなり、山間部へ…。カーブも多くなり、春には多くの花見客が訪れる山中渓駅へ着きます。ここまでが大阪府で、阪和線の駅では大阪府の最南端に位置しています。
 全体の列車の本数が少なくなるので、特急列車の存在も俄に大きくなってきます。ここを走る特急は『くろしお』号のみですが、『オーシャンアロー』という愛称を持つ283系(右下写真参照)や、2012年に登場した287系(左上写真参照)、元々JR北陸本線で活躍するも、北陸新幹線開業の為に余剰となった683系を改造した289系等、その車両種類はバラエティに富んでいます。

    

 山中渓駅は写真の通り小さな駅で、大阪府内におけるJRの路線では唯一の無人駅、且つ大阪府内のJRの駅で一番乗降客数の少ない駅です。この後は和歌山県に入り、トンネルの連続となりますが、長い雄ノ山トンネルを抜けると右カーブし、左手に和歌山平野を望みながら、徐々に高度を下げていきます。この山越えとも言える山中渓駅からこの先の紀伊駅までの区間は、阪和線で最も長い駅間である 8,1km となっています。

    

 更に高度を下げ、六十谷駅に着きます。紀伊駅、六十谷駅は快速停車駅です。この先で紀ノ川を渡り、いよいよ和歌山市街に入ってきたという風景になります。もう山越えは終わっており、後は和歌山平野をひた走るという感じです。

    

 …阪和線の“さんぽ”も、いよいよ終わりが近付いてきました。無人駅の紀伊中ノ島駅を過ぎ、和歌山市駅方向から伸びてきたJR紀勢本線を越え、更に左側にはJR和歌山線の線路が近付いてきて、この3路線で並行して走ると和歌山駅に到着します。
 和歌山駅は、実質的にも和歌山市の玄関駅になりました。以前はどちらかというと南海電鉄の和歌山市駅の方が需要が高かったのですが、紀州路快速が大阪環状線内に直通運転を始めると、南海電鉄では直通で行けなかった梅田地区に乗り換え無しで行けるようになり、阪和間の都市間輸送は南海電鉄からJR西日本へ大きくシフトする事になったからです。南海電鉄の阪和間優等列車本数も、最盛期と比べて半減してしまいました。
 ただし、中之島や船場等の大阪市中心部への移動や、堺や岸和田といった沿岸部に発達した市街地への移動は、依然として南海電鉄の方が有利なので、阪和鉄道時代からの阪和間の競争は現在のところ、利用条件によって互いにシェアを分け合っている…という感じでしょうか。

    

 …線路はこの先も紀勢本線へと続いていて、特急『くろしお』号を始め、朝夕の快速の一部も紀勢本線に乗り入れています。車両と共にダイヤも変化し続けた阪和線。これからはどのような展開を見せ、阪和間を輸送し続けるのか、今後も見守っていきたいと思います!

 ☆JR西日本のHP…https://www.westjr.co.jp/

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 ついに40回目となる『鉄道さんぽ』。今回は、神奈川県を走る大手私鉄、相模鉄道の本線を取り上げたいと思います。相鉄線という略称で知られていますが、元々の相模鉄道というのは、現JR相模線の茅ヶ崎駅〜橋本駅間を開業させた私鉄でもありました。現在の相模鉄道本線の区間である横浜駅〜海老名駅間は、神中鉄道という鉄道会社が開通させたもので、1943年に神中鉄道が相模鉄道に吸収合併される形で、相模鉄道の路線となったのです(当時は、相模鉄道神中線と呼ばれていました)。
 しかし、この翌年に茅ヶ崎駅〜橋本駅間の路線は、戦時体制下における東海道本線と中央本線を結ぶバイパス路線として国有化され、相模鉄道の路線は横浜駅〜海老名駅間だけとして留まります。こうして、当時経営の基盤であった茅ヶ崎駅〜橋本駅間を失ってしまうものの、厚木飛行場の開設等により、神中線の乗客や貨物輸送は格段に増えたそうです。
 ただ、元々神中線の輸送力は脆弱であり、とても自社だけでは戦時中の混乱期を乗り越えられないと判断され、この時の親会社であった東急へ鉄道事業を委託させ、戦時中の1945年から終戦後の1947年まで乗り切る事になったのでした。この時は東急厚木線や、東急神中線等と呼ばれていたそうです。そして1947年に独立。新たな相模鉄道として、戦後の再スタートを切る事になったのでした。
 戦後は電化、複線化等が進んで輸送力が増え、沿線の宅地化も進んで乗客も増えてきました。その後1976年には支線となる、いずみ野線が開業。1990年にいずみ中央駅まで延伸された際には、日本民営鉄道協会における大手私鉄としての要件を満たした為、この年に正式に大手私鉄の仲間入りを果たしています。
 長らく他社との乗り入れは行っていなかった相模鉄道でしたが、2004年にJR東日本との相互直通運転計画を発表、後の2006年には東急との相互直通運転も行うと発表され、これら2路線を併せて『神奈川東部方面線(仮称)』が、現在実現に向けて工事が進められています。これは、本線の西谷駅を分岐点とさせ、東方面に新たな路線を建設、羽沢付近を走る東海道貨物線に合流させ、そのまま湘南新宿ラインに繋げるというのが1線、羽沢から東海道新幹線の新横浜駅を通り、その先の日吉駅で東急東横線や東急目黒線に繋げるのが1線と、どちらも壮大なものです。これが実現すると、二俣川駅〜渋谷駅が直通で35分、二俣川駅〜品川駅間が27分になると案内され、現在より飛躍的に便利になる事は言うまでもないでしょう。
 ネックは、このルートがメインになると、今までターミナルだった横浜駅を通らない乗客が増えてしまう事であり、この部分は相模鉄道にとっても苦渋の選択だったとは思われますが、それよりも都内に直通出来るというメリットは大きいと思われます。JR線との直通は2019年、東急線との直通は2022年の開通を予定しており、これが完成すると、首都圏の鉄道地図がまた大きく塗り替えられる事にもなるでしょう。正に大きな変革の時期に来ている相模鉄道。直通に向けた準備の進捗度合いを探索しつつ、今の相模鉄道の風景を見ておきたいと思います。どうぞ御覧下さいませ!


 ●日時…2016年8月14日 ●距離…24,6km ●駅数…18駅

 相模鉄道(以下、相鉄線)の横浜駅ホームは、自社の駅ビルである相鉄 JOINUS 2階に位置します。4面3線のいわゆる頭単式ホームで、駅を出るとJR東海道本線と併走し、地上に降り立つとすぐに平沼橋駅となります。横浜駅ホームの海老名寄りに行くと、既に平沼橋駅は見えてしまうくらいの距離に位置します(右下写真参照)。

    

 以前の相鉄線の列車種別は急行と各停のみで、急行は二俣川駅で各停に接続するという極めてシンプルなダイヤ構成だったのですが、1999年に快速が、2014年には特急が新設され、全体の速度向上が図られています。故に、横浜駅を発着する列車も多様になりました。車両の種類も随分と増えたようにも思いますが、JR東日本の車両をベースに造られた10000系より以前の車両の車内には、ドア横に鏡とパワーウィンドウが付いています(左下写真参照)。ドア横の鏡については、以前の『鉄道さんぽ』において、新京成電鉄の車両でも紹介させて頂きましたが〔鉄道さんぽ 35.(新京成電鉄、新京成線編)参照〕、どちらも未だに珍しい特徴と言えましょう。

    

 さて、東海道本線とは西横浜駅まで併走します。この駅の横には留置線があり、回送列車等が留置されている姿をよく目にします。ここで東海道本線と分かれて右カーブし、相鉄線の線路は北西へと進路を変えていきます。

    

 
そして高架へと上がり、天王町駅へ。ここはかつて、東海道の程ヶ谷(保土ヶ谷)宿が存在していた付近でもあります。以前から高架駅でしたが、現在、この先の星川駅までの連続立体交差事業により、駅構内も含めて工事中という感じでした。

    

 そして工事中の星川駅へ。2面4線のホームを持ち、快速の停車駅でもあります。当駅で各停は朝ラッシュ時を中心に特急、急行の通過待ち、快速の待ち合わせを行い、日中も各停の一部が当駅で特急に抜かれます。“さんぽ”時は正に高架化工事中という感じでしたが、2017年3月に下りホームが高架化されました。2018年秋には上りホームの高架化も完成する予定です。

    

 ここで、停車中だった8000系(右上写真参照)の車内を見てみましょう。JR東日本の車両をベースにした10000系、11000系以前の車両は相模鉄道のオリジナリティが強く、先程紹介した鏡やパワーウィンドウ仕様もそうでしたが、7000系の一部や9000系、そしてこの8000系の車両には、編成で2両(5号車と8号車)分だけ、車内がセミクロスシート(右下写真参照)になっているのも特徴なのです。

    

 ロングシート車(左上写真参照)もセミクロスシート車も外観は変わらず、扉の数も4扉車となっています。
今でこそ、JR東日本のE231系やE233系の近郊形仕様の車内の一部にはセミクロスシート車があり、珍しい存在ではないのですが、相鉄線のこの車両が登場した当時、セミクロスシート車両というと2扉車や3扉車が常だったので、4扉車なのにセミクロスシート仕様というこの車両には驚いたものでした。10000系、11000系はJR東日本の通勤形仕様車をベースにしている為か、オールロングシート車のみとなっているのですが、今後、湘南新宿ラインに直通させる車両…という観点からいくと、セミクロスシート車復活も有り得るかもしれませんね。

    

 さて、その湘南新宿ラインや東急東横・目黒線に直通させる工事がたけなわなのが、写真の西谷駅付近です。この辺りは帷子川の小さな渓谷地帯でもあり、平野部の少ない部分でもあるのですが、元々2面4線あった西谷駅のスペースを利用し、当駅を
『神奈川東部方面線』との分岐駅に設定したのでした。現在では元々あった待避線部分が撤去されていますが(右下写真参照)、ここが将来は『神奈川東部方面線』が発着するスペースに充てられる事でしょう。

    

 西谷駅上では東海道新幹線とクロスしていますが、勿論新幹線に駅はありません。…とは言え
『神奈川東部方面線』が完成すると、ここから新横浜駅までスムーズに向かう事が出来るので、東海道新幹線への乗り換えも便利になる事でしょう。一体、完成時にはどのような景色になっているのか。本当に楽しみでもあるのでした。

    

 さて、鶴ヶ峰駅を過ぎ、本線のダイヤ上の中心の駅である二俣川駅に着きました。2面4線のホームを持ち、全ての定期列車が停車、そして当駅から相模鉄道いずみ野線が分岐。接続も概ね良好です。ここを始発とするいずみ野線列車が終日設定されている為、横浜駅寄りには引上げ線も設置されています(左上写真参照)。

    

 現在、この駅は大幅なリニューアル化が行われており、ここでも工事がたけなわでした。やはり将来の直通運転に向けてのものでもありましょう。直通運転が開始されれば、この駅は今以上にダイヤ上で重要な駅となり得そうです。今後の動向を見守っていきたいものです。
 二俣川駅を4線で出た線路は、真ん中の2線がいずみ野線方面へと向かいます。いずみ野線の線路は徐々に上り勾配となり、下り本線を跨いで南西方面へ、本線はそのまま西方面へと進んでいきます。ここでは今後の相鉄線車両の標準カラーとなる、“ヨコハマネイビーブルー”という塗装を纏った9000系を撮影する事が出来ました(右下写真参照)。これは、塗装だけではなく、内装も含めてリニューアルされており、更に言うと、2017年12月に創立100周年を迎える相鉄の「デザインブランドアッププロジェクト」に沿った仕様となっています。つまり、車両だけでなく、駅のデザインや制服のデザイン等、正に会社全体を含めてのプロジェクトであり、正に相模鉄道は新しい時代を迎えようとしているのかもしれません。その取り組みは見ていて頼もしい限りでもありますね。

    

 暫く谷沿いの住宅地の中を通り、希望ヶ丘駅、そしてこの次の三ツ境駅が、相鉄線で一番標高の高い所でもあります。この先は相模野大地の小高い丘の上を走るようになり、都心直通構想を見越して2面4線化された瀬谷駅を通った後、境川を渡って地下に潜り始めます。この先が地下駅の大和駅で、元は地上駅でしたが、地上の道路の渋滞緩和等の目的で地下化されました。小田急江ノ島線との乗り換え駅で、両社の共同使用駅ともなっている為か、お互いの路線は改札を通らずに行き来が可能です。

    

 大和駅を出て暫くすると地上に出ます。この辺りは、厚木飛行場のすぐ脇でもあり、飛行訓練の飛行機が轟音で飛んでいるのをよく目にする事が出来ます。その轟音は車内に居ても聞こえる程です。そして東名高速道路を跨ぐと相模大塚駅です。この先、さがみ野駅までずっと道が並行しているので、軽く“さんぽ”してみる事にします。

    

 この駅間には緩いカーブがあり、迫力ある列車の行き来をすぐ横の道路から気軽にカメラで収める事が出来ます。左下写真が、JR東日本E233系をベースにした11000系で、この車両や10000系(JR東日本E231系がベース)が登場した時、前面デザイン以外、殆どそれはE231系やE233系そのもので、それは驚きました。車両の標準化は私鉄とJRの間でも行われるようになって、いつかJRも私鉄も同じ車両ばかりになってしまうのではないかと、当時は考えさせられたのでした。確かに部品の共通化は沢山あれど、各社で個性を出すようにもしていて、今ではその部分を見るのが楽しくなってきた感じではあります。

    

 さがみ野駅を出ると、かしわ台車両センターが隣接しているかしわ台駅に着きます。車両基地に隣接しているので、ここでは多くの留置車両を見る事が出来ますが、ここではこれらの車両を見つつ、この次の終点の海老名駅まで“さんぽ”してみようと思います。

    

 当然、現役の車両が数多く見られますが、静態保存されている車両も結構多く、かつての現役車であった6000系のトップナンバー車(左下写真参照)や、6000系のアルミ車体試作車(右下写真参照)等々、付近の道路からも容易に見る事が出来る場所に置かれています。これらの車体は再塗装も行われており、見た目にも綺麗な状態で保存されているようでした。

    

 かしわ台駅を出た路線は台地を下るように走り始め、そして築堤で目久尻川を渡ります。この辺りが相鉄本線で最も風向明瞭な所でもありましょう。風向明瞭…とは言え、近くには団地群があり、住宅地のエリアに違いないのですが、辺りは開けており、一瞬のどかな風景を望む事が出来ます。

      

 歩いていると、この目久尻川を渡る道に河童の銅像がありました。どうやら海老名の伝承によると、昔この川に河童が住み着いて悪さをしていた為、地元の人がこの河童を捕えて目を穿り出してしまっと…。それでこの川を目穿川と呼び、それが転じて「目久尻川」となったのだとか。昔話しだとは思いますが、興味深い言い伝えでもありますね。

    

 さて、目久尻川を渡って団地群を抜けると、その先に線路が分かれるポイントが見えてきます(右上写真参照)。この分岐先が相鉄厚木線と呼ばれるもので、相鉄線の前進となる神中鉄道が厚木駅〜二俣川駅を開業した時の路線です。つまり、この路線を辿ると現在のJR相模線の厚木駅に通じていくのです。
 この厚木駅までの路線の開業後、このポイントから海老名駅までの路線が開業し、その時にこちらの路線は旅客営業を中止して、貨物線という区分けになったのでした。実際に貨物も運転されていましたが、1998年9月をもって廃止。…とは言え、JRと線路が繋がっている利点を生かし、新製・更新車両の車両輸送がこの路線を介して行われているので、相鉄にとっては旅客営業こそ行っていないものの、重要な路線である事は間違い無いと言えるでしょう。


    

 厚木線は、前述のJR相模線の厚木駅まで向かうので小田急小田原線を越えますが、相鉄本線は小田急線に寄り添うように勾配を下っていきます。そして小田急線と併走し、その車両基地である海老名検車区が見えてくると、終点の海老名駅となります。かつては小田急線へ直通運転も行っていましたが、1964年に休止されました。

    

 これで相模鉄道本線の“鉄道さんぽ”は終了となります。こうして乗ってみると、横浜近辺を除いて工事中やら再開発中の場所が多く、今はされていなくても、かつて再開発したであろうという場所が多かったのが印象的でした。かつては相模川で採取された砂利の輸送を主眼とする目的で造られた路線で、沿線もさしたる産業も無い農村ばかり…。しかし戦後の宅地開発により、その経営は常に新しいものへ、新しいものへ…と向けられいたようにも思います。オリジナリティ溢れる自社車両もそうですし、創立100周年に向けたプロジェクトもそうでしょう。これまでは横浜駅発着で、神奈川県のみを走る私鉄でしたが、これからは相互直通を見据え、関東各エリア横浜郊外を結ぶ路線という見方をされるかもしれません。今後、より多くの人の目に留まる事になるであろう相模鉄道。自分もその発展を見守っていきたいと思います!

 ☆相鉄グループのHP…http://www.sotetsu.co.jp/

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 今回の『鉄道さんぽ』は、東京を代表する、いや、日本を代表すると言っても良いくらいの知名度、重要性の高い路線である、JR東日本の山手線を取り上げたいと思います。東京に住んでいると、『まあるいみどりのやまのてせん♪』のCMでお馴染みで、1周ぐるりと回る環状運転を行っている事は誰でも知っていると思いますが、山手線という路線名の正式な区間としては、実は環状線にはなっていないというのは御存知でしょうか?
 これには山手線の歴史を紐解く必要がありますが、この路線のそもそもの建設は、日本文明開化期に誕生した私鉄、日本鉄道によるものでした。既に開通させていた上野駅〜前橋駅間の路線(ほぼ、現在のJR東北本線とJR高崎線〔鉄道さんぽ17.(JR東日本、高崎線編)参照〕に相当)と、当時横浜駅方面から新橋駅まで開通していた東海道本線〔鉄道さんぽ 32.(JR東日本、東海道本線編)参照〕を繋ぎ、国内有数の貿易港だった横浜港と、関東地方内陸部の各地及び、東北地方や北陸地方へ物資の輸送が目的とされたのです。距離的には、上野駅〜新橋駅間を繋げば早そうですが、この辺りは人口密集地域であったのと、地盤の緩さが災いして建設が難しいと判断され、品川駅(及び大井町駅)〜赤羽駅という、当時まだ街外れであった山手地域に建設、1885年に開業されました。当時は品川線と呼ばれ、今度はこの路線と常磐線方面を結ぶ路線として、池袋駅〜田端駅間の豊島線が建設、この路線が開業される時に品川線と豊島線を合わせて、山手線という呼び名が使われました。1901年の事です。
 その後、上野駅〜新橋駅間の路線も繋がり、1925年にはついに環状運転が始まりました。この時、余った池袋駅〜赤羽駅間は支線のような存在になりましたが、山手線の一部という扱いでした。これが1972年に赤羽線という名称になり、山手線とは完全に分離。現在はこの区間はJR埼京線として案内されていますが、正式な路線名は今でも赤羽線として存在しています。こういった経緯があり、山手線の正式区間は品川駅〜池袋駅〜田端駅となり、田端駅〜東京駅間はJR東北本線、東京駅〜品川駅はJR東海道本線へ乗り入れているに過ぎないのです。勿論、案内状では一括して「山手線」となりますが、こういった側面から路線名を見てみるのも面白いものです。
 当初は貨物線としての意味合いが強く建設された山手線でしたが、東京市街地の拡大により、市街を巡る大都市の最重要路線としての性格に変わってきました。1968年には10両編成での運転が始まり、1971年には10両編成に統一、1991年には全11両編成化も完了して現在に至っています。車両自体の変遷を見ても、当時の国鉄から現在のJRに至るまで、新車が優先的に投入されるような状況となっており、国鉄時代の101系、103系から、205系の初投入、山手線仕様のE231系500番台の投入、そして最新式のE235系の初投入も行われています。205系の時から、混雑時の乗降時間緩和の為に6扉車も一時導入されましたが、ホームドア設置に伴い、現在は全て4扉車での運行となっています。
 そして、量産先行車として現在1編成だけ導入されているE235系ですが、先日、量産化が決定して、2017年春に追加投入が決定、2020年度までに山手線は全てE235系での運行になる事がアナウンスされました。変化の多い山手線ですが、使用車両の置き換えは、また路線に新しい時代を呼び込みそうです。同時に、今見られているE231系500番台は他路線に移っていくので、こちらの山手線からの引退のカウントダウンが始まった事にもなります。今ならではの共演、そして変化の多い沿線も含め、どうぞ山手線のさんぽをお楽しみ下さい!


 ●日時…2016年6月15日 ●距離…20,6km ●駅数…17駅

 山手線の“さんぽ”区間は正式区間に則り、品川駅〜池袋駅〜田端駅で行いますが、それらの乗車前にJR大井町駅付近に位置する東京総合車両センターを見ておきましょう。ここは車両基地の山手電車区と、車両工場の大井工場が合併して発足した車両基地・工場で、その車両基地部分には山手線で使用される全ての電車が配置され、定期検査や修繕工事等が行われています。車両基地部分は大井町駅を出てすぐの細い道路から確認出来ますが(下写真参照)、ここは2階建て車両基地となっており、外観で容易に見られるのは高架の「上収容線」となります。

    

 すぐ脇をJR東海道本線が通っており、JR京浜東北線の列車等、頻繁に行き交う列車を眺めながらの光景となります。この車両基地は、写真奥に見えるビル群の付近に位置する大崎駅に通じており、故に山手線の列車はラッシュ時を中心に、大崎駅を始発・終着となる列車が数多く存在するのです。言わば、山手線車両の「ねぐら」という事です。

    

 それでは改めて、山手線の起点駅である品川駅に向かいましょう。路線的には起点駅となりますが、当然、この先の東京方面へはそのまま直行し、山手線ホーム上は中間駅のような雰囲気ではある事は言うまでもありません。…とは言え、品川駅のホーム脇には山手線の留置線があり、深夜時間帯には当駅終着列車の設定もあります。また、山手線ホームの東京寄りに、山手線の起点を表す0キロポストが存在します。

      

 品川駅を出て、そのまま東海道本線の線路は先程の大井町駅に向かいますが、山手線は暫くしてから右カーブしてそれらとは分かれ、JR東海道新幹線とJR横須賀線と併走します。カーブは続き、やがてそれらの路線とも分かれて、今度は先程の東京総合車両センターからの線路が近付いてきます。ここまで来ると、品川駅を出た時点で向いていた南西向きから、北西向きに進路を変えており、環状線部分の南端を表現するような感じで大崎駅に到着します。山手線のホームの向こうには、山手貨物線の線路越しに、JR湘南新宿ライン、JR埼京線、東京臨海高速鉄道りんかい線のホームが設けられています。

    

 山手線のホームだけでも、大崎駅は2面4線。これは前述の通り、大崎駅を始発・終着となる列車が多数存在する為で、ラッシュ時には同じホームに山手線の列車が2本並ぶ姿がよく見られます。山手線のホームはホームドア化が各駅で進んでいて、大崎駅もその1つなのですが、当駅始発・終着用に使われている2番線、4番線は今のところホームドアの設置は無いようです。

    

 この先、山手貨物線の線路とは、田端駅手前まで併走します。その線路を使って乗り入れているのが、先程の湘南新宿ラインと埼京線という事です。この先の五反田駅、目黒駅を始めとし、駅によっては山手貨物線にはホームが無く、これらは山手線の快速電車としての役割も果たしている事が分かります。

      

 目黒駅を出ると山手貨物線が電車線をくぐって、併走の配置が進行方向左側から右側へと移ります。この辺りを“さんぽ”して、ついに、現在1編成のみのE235系を写真に収める事が出来ました(左上写真参照)。この日も日中の運用にも入っていたようで良かったです。そのまま恵比寿ガーデンプレイスの西側を通ると、貨物線にも駅がある恵比寿駅となります。同駅に貨物線にホームが設けられたのは1996年の事で、2002年のりんかい線開業までは、新宿方面からの埼京線は当駅で折り返していました(列車はその先の大崎駅付近まで回送され、そこで折り返していました)。

    

 恵比寿駅を出ると、現在再開発真っ最中の渋谷駅となります。恵比寿駅〜渋谷駅間では、以前は東急東横線〔鉄道さんぽ 11.(東京急行電鉄、東横線編)参照〕の線路をアンダーパスしていましたが、現在は地下化され、東横線の地上時代の渋谷駅も見られなくなっています。むしろこの跡地を利用も含めて、渋谷地区の再開発は進んでいると言っても良いでしょう。現在、貨物線(埼京線等)にある渋谷駅ホームは、かなり恵比寿寄りに造られていてアクセスが不便なのですが、この跡地を利用して、山手線のホームと並列する位置に移設させる工事が、跨線橋移設と共に進められており、2020年の完成が見込まれています。また、そのスペースを提供するという目的もありそうですが、現在、外回り線、内回り線でホームが分かれている山手線ホームも島式1面2線ホームになるようです(全体の完成は2027年予定)。

    

    

 渋谷地区の再開発はまだまだ進められていますが、2019年完成予定の地上47階建てにもなるビルが完成すると、また渋谷駅の風景は一変しそうです。ビルの高さは230mと、近くのヒカリエ(右下写真の左奥の高いビル)も高く、渋谷随一の高さになる事は間違いありません。しかも、このビルには屋上展望台が設けられるらしく、何も遮るものが無い景色を提供してくれる事と思います。そんな時にも常に走り続ける山手線は、本当に今まで、色々な風景を見てきたのでしょうね…。

    

 さて、渋谷駅を出ると原宿駅となります。若者の日本文化発祥の地としてのイメージが強い場所でもありますが、駅的には、外回り線に存在する、明治神宮敷地内に通じる臨時ホームが特筆されるでしょう。このホームは基本的に正月期間中のみに使用され、この時には外回り線は通常のホームを使っての乗降が出来なくなります。

    

 また、原宿駅から代々木方面を臨むと、貨物線から分岐されたホームがあるのが目に入ってきますが、これが皇室専用ホームで、以前はここから皇族を乗せたお召し列車が年に数回発着していたものでした。しかし、今上天皇の時代になると東京駅を使用する事が多くなり、そもそも鉄道で移動する事自体が少なくなってきてしまったので、2001年以降、皇族がこのホームを利用した実績は無くなっています。

    

 進行方向右側から、中央線、総武線の線路が寄り添ってくると代々木駅になります。中央総武緩行線と山手線のホームは同位置に存在し、中央総武緩行線の下り線と山手線の内回り線は同じホームで乗り換えが出来るようになっています。前述のように、山手線にはE235系が投入されてきていますが、それに押し出される形で、山手線を走っていたE231系が中央総武緩行線へと転属されています。山手線を走るE231系は前面部のデザインが他のE231系と異なるので、中央総武緩行線では異彩を放つ存在となっています。早速、転属された編成に出会える事も出来ました(左上写真参照)。

    

 そして程なく新宿駅へ到着します。この間に、中央総武緩行線の下り線が山手線を跨いで一番西側へ来て、これらの上下線に山手線が挟まれるような配線となっているので、新宿駅では両線の乗り換えが同一ホームで出来るようになっています。…そんな新宿駅は、ここに乗り入れる全ての鉄道路線を併せると、1日の乗降客数が約347万人と、世界一の数字を誇っており、当然ギネス登録もされています。色々な路線が行き交いますが、JRの登録上の路線としては山手線(埼京線、湘南新宿ライン系の路線が含まれる)、中央線(中央総武緩行線が含まれる)の2路線だけとなっています。それでもホームは1〜16番線まであり、1日中、列車は引っ切りなしに発着しているのです
 …この新宿駅、以前は1〜10番線しかありませんでしたが、1986年に埼京線が新宿駅まで延伸してきた頃から、駅の改良工事が段階的に進められ、拡張もその都度進められてきたのでした。埼京線ホームは山手線とは反対側の端になっていますが、ホーム自体はあまり並行していなく、東側(埼京線側)になるにつれ、ホームは徐々に南寄りずれてきます。むしろ5・6番線ホームの一番北側の位置は、7・8番線ホームの一番南側の位置と同じくらいとなっています。

    

 新宿駅を出ると中央線が西側に分かれるので、既に一番西側に来ていた中央総武緩行線の線路を除き、一気に中央線の線路を乗り越えます。この地点が山手線で一番標高の高い所で、その高さは41m。対して、標高が一番低いのは品川駅で1m〜3m。意外にアップダウンの多い路線である事が分かります。暫く西武新宿線とも並行して、新大久保駅、そして高田馬場駅へ。その後に西武新宿線と分かれ、目白駅へと到着します。

    

 目白駅は、今でも他の鉄道路線と接続しない山手線の駅(他には厳密には新大久保駅ぐらい)となっていますが、開業は古く、山手線開通の1885年から存在する駅でもあります。ちなみに開通当初の駅は、品川駅〜赤羽駅間で、渋谷駅、新宿駅、板橋駅のみ。そして開通2週間後に目黒駅、目白駅が出来ました。今では隣りの池袋駅の方が圧倒的に規模が大きいですが、開通当初は池袋周辺は農村地帯だったのだそうです。この目白駅と池袋の駅の間で西武池袋線の線路を潜りますが、以前はこの辺りには山手線では貴重な踏切が存在していました(今では歩道橋が架けられ、踏切は廃止になっています)。

    

 さて、埼玉方面への玄関口、池袋駅へと到着しました。全体の乗降客数は1日262万人と、これも凄い数字です。JR東日本では、新宿駅に次いで2位の乗降客数であり、ここに乗り入れる東武鉄道、西武鉄道、東京地下鉄(東京メトロ)では第1位の乗降客数となっています。
 山手線のホームは2面4線と大きいですが、これは以前、赤羽方面と田端方面へを振り分けていた名残も大きく、山手線、赤羽線と呼ばれていた時代は、赤羽線の列車は現在の8番線から発着していました。現在では、板橋駅寄りには車庫もあるので、当駅始発、終着の列車が側線側の線路から発着しています。

    

 …ここで改めて、現在の山手線の主力であるE231系500番台を見てみましょう。11両編成で全52編成が揃えられましたが、10号車だけ、外観が若干異なっている事にお気付きでしょうか(左上写真参照)。これは、以前山手線には7号車と10号車に6扉車が組み込まれていたのですが、ホームドア設置に伴い、6扉車は廃止させる方向になったので、それに替わって導入された車両になっています。
 この時、既にJR東日本では後継のE233系が造られていたので、一部その仕様に合わせて造られたのでした。その時、7号車はかなりE231系に寄せられたデザインになったものの、10号車の方はドア部のデザインや内装もE233系寄りのデザインに作られました。これは、今度のE235系が登場した際に、この10号車の車両だけE235系の編成に組み込む為でもあります。
 E235系の登場が決まった時に、まだ新しいE231系500番台の転属先が中央総武緩行線になったのですが、こちらは10両編成なので、1両が余ってしまいます。これがこの10号車の部分で、製造から数年で廃車にするものも勿体無いので、既に、E235系に組み込ませる前提で造られていた事が分かります。…とは言え、E235系は側面の寸法が結構異なるので、E235系の10号車を見ると、少し違和感のある車両が入っているようにも見えるのはご愛嬌でしょうか(全てE235系新造車で揃えられている編成もあります)。

    

 さて、山手線の“さんぽ”も終わりに近付いてきました。ここからは、一時期は豊島線とも呼ばれていた区間に入ります。埼京線(かつての赤羽線)とも分かれますが、貨物線はまだまだ並行しており、こちらは湘南新宿ラインの列車が使用する線路となっています。
 東京唯一の路面電車、都電荒川線と交差する大塚駅、お年寄りの原宿とも言われる?巣鴨駅を通り、駒込駅を過ぎると、ついに貨物線と交差して離れます。そしてこの付近には、今や山手線唯一となった踏切が存在します(左下写真参照)。振り返ってみると、どこかしら何かの路線と並行している山手線でしたが、ここで一瞬、単独の線路になる事で、今でも踏切が残っているのかもしれませんね。

    

 貨物線と分かれた後、右にカーブしていくと、眼下に京浜東北線の線路、そして東北新幹線の高架線越しに新幹線の車両基地が見えてきて、程なくして田端駅に到着します。この間、随分と勾配を降りていくような感じになっているのですが、正にここが山手と下町の境のような地形の場所で、恐らくこの辺りの高台からは、昔は眺めが良かったのではないかと想像も出来ます…。そして地形通り、登録上の山手線という名前はこの田端駅で終了となります。ここからは登録上は東北本線。その本線も前述の車両基地越しを走っており、なかなか鉄道路線名称の複雑さを感じさせてくれますね…(笑)。勿論、実際の山手線は線路が続いており、今度は京浜東北線と品川駅まで並行して進んでいくのでした。

    

 さて、山手線の“さんぽ”はここまでとなりますが、先程、駒込駅〜田端駅間でE235系に乗る事が出来たので、こちらの様子も紹介しておきましょう。一気にモデルチェンジし、車内に掲載されているディスプレイは荷棚の上にまで置かれていました(…とは言え、まだテスト要素が高く、本格的なディスプレイ広告の今後だと思われます)。吊り革も緑になり、優先席エリアはデザイン面でもその存在感を大きく打ち出すようになってました。

    

 …新しく、この時点でまだ1編成しか無かったので、何となく乗り馴れない車両ではありましたが、2020年には全てこの車両になるという事で、一気に時代の変化が訪れる事でしょう。それであっても
『まあるいみどりのやまのてせん♪』で有り続けられるのは嬉しい事です。過ぎ行く街の風景と共に、山手線もまた変化していく事を感じられた1日になりました。

 ☆JR東日本のHP…http://www.jreast.co.jp/

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 今回の『鉄道さんぽ』は、久し振りに大手私鉄の路線を取り上げたいと思います!…しかも、この企画始まって以来の、東京以外の大手私鉄の路線です。前々から関西方面の大手私鉄の路線を取り上げたい気持ちはあったのですが、規模が大きい為に取り上げる項目も多くなってしまう部分があり、時間的に厳しく断念してしまうケースが多々ありました。しかし、こういった路線は地元との結び付きが強く、その土地の文化を感じられる路線でもあります。自分的には慣れない土地ではありますが、私鉄ならではの独自の特徴が表れ、時間は掛かるも“さんぽ”の価値は大きく有りそうです。
 そこで今回は、名古屋を代表する大手私鉄、名古屋鉄道(以下、名鉄)の、犬山線を取り上げたいと思います。名古屋を含む関西の大手私鉄のメイン路線は、付近のJR路線と競合しているケースが多く、名鉄も本線が正にそうなのですが、この犬山線は例外で、競合する路線が他にありません。いわゆる、名古屋市内と愛知県北部のベッドタウン各都市とを結ぶ性格が強く、更には沿線の犬山市には日本ライン(木曽川)や犬山城、日本モンキーパーク、明治村等の観光施設も多く、観光路線としての性格も持ち合わせています。
 ある意味で東京の大手私鉄の路線に似ている境遇とも言え、東京以外の大手私鉄路線を取り上げる最初の路線として、まずはその第1歩として相応しそうです。また、名鉄は多種多様の車両が存在している事で有名ですが、それは既に自分の範疇を越えており(笑)、ここで1度、自分の為にもおさらいしておきたいという気持ちもありました。また、名鉄の代表的にな特急車両、1000系、1200系『パノラマ super』のリニューアルが昨年から行われており、外観塗装の変更等、名鉄は新しい時代に突入しているような印象も受け、取り上げるタイミングも丁度良いと思いました。
 そもそもが、市内電車で創業した名古屋電気鉄道(1894年設立)というのが名鉄の前身の企業(現在の名古屋市営地下鉄の前身でもあります)の1つとなっていて、この路線は市内だけでなく、郊外路線も愛知県西部方向に拡大させていきました。その後、大正時代になってからは市内線(路面電車)は市営化の機運が高まり、1921年に郊外路線を名古屋鉄道(初代・後の名岐鉄道)に譲渡させ、現在の犬山線の基盤が出来上がります。この時、本線との分岐点である枇杷島橋駅(現、枇杷島分岐点)から岩倉駅を通って東一宮駅までを一宮線、岩倉駅から分かれて犬山方面に向かう路線(1926年には、犬山線の終点の新鵜沼駅に到達)を犬山線としていましたが、1941年に新名古屋駅(現、名鉄名古屋駅)が開業してからは枇杷島駅〜岩倉駅間が犬山線に編入され、現在の犬山線の路線が出来上がりました。
 路線の高速化は早く、1968年には当時の本線と同等の110km/時に引き上げられていますが、現在もそのまま推移しています。列車種別の変遷は車両と共に多義に亘っていて、ここで説明するのは紙面が足りないくらいですので(笑)、“さんぽ”時にその都度説明していきたいと思いますが、大きく分けると、中部国際空港へ直通する全車特別車のミュースカイ、一部特別車専用の車両が使われる、快速特急と特急、一般車が使われる快速急行、急行、準急、普通、そして地下鉄鶴舞線直通用の急行(平日、朝の下り列車のみ)、普通…という感じです。勿論例外もあり、普通列車に一部特別車の車両が使われる事もありますが、これはレアケースです。
 …と、既に複雑な感じになっているのですが(笑)、掘り起こせば掘り起こす程、その路線の独自性が表れてくるのも、大手私鉄の路線ならではです。実際、名鉄自身が特徴の多い鉄道でもあり、自分も個人的にとても好きな鉄道会社の1つであるので、ここは楽しく、その独自性と向き合っていきたいと思います。その想いに応えてくれるかのように、当日の名古屋はお昼過ぎまで降水確率100%の予報だったのですが、東京から新幹線で名古屋に到着した際(朝9:30頃)には既に雨は降っておらず、“さんぽ”中には見事に晴れ間が広がる!という天気にもなりました。そんな天気の変遷もお楽しみ頂ければと思います(笑)。それではどうぞ御覧下さい!


 ●日時…2016年4月17日 ●距離…26,8km ●駅数…17駅

 犬山線の起点は、本線から分岐する枇杷島分岐点という場所からになりますが、列車は全て本線に直通して名鉄名古屋駅方面に達しているので、やはり名鉄の大拠点である名鉄名古屋駅を取り上げないわけにはいかないでしょう。

    

 1941年の開業当初から地下駅である名鉄名古屋駅は、両隣りに近鉄線や地下鉄線の構造物に挟まれている為に空間に余裕が無く、プラットホームは上下各1線を3面で挟む配置となっています。いわゆる通過型のターミナルで、殆どの列車は名鉄名古屋駅を越えての運転がされていますが、そもそも上下線間に渡り線や引き上げ線も無いので、設定自体が難しいという事もあるでしょう。当駅と、JRや地下鉄の名古屋駅、近鉄名古屋駅と併せて、名(めい)駅と呼ばれていて、実際、駅周辺の地名にもなっています。
 開業以来、長らくは新名古屋駅という名称でしたが、2005年の中部国際空港の開業を前にして、名鉄電車の名古屋における中心駅…というのを分かりやすくする為、名鉄名古屋駅に改称されました(確かに新名古屋駅…ですと、新幹線の新横浜、新大阪、新神戸みたいで、新幹線の駅名らしいイメージを抱く方もいるかもしれません)。

    

 ここから延びる路線は多種です。上下各1線しか無いので、初めての方は、犬山線方面に向かう列車を探す方が困難かもしれません。ひとまず1番線から発車はするのですが、この1番線からは“岩倉・犬山・可児”方面の他に、本線の“一宮・岐阜”方面と、津島線の“津島”方面も頻繁に列車が発着するのです。名鉄の路線は名鉄名古屋駅を軸に、その先で色々と枝分かれしていくような路線形態を持っているので、このような状態になってしまうのですが(その代わり、遠方から名鉄名古屋方面に向かう場合は、殆どの列車が名鉄名古屋駅に到達します)、とにかく多方面への列車を捌く為に、同じ1番線でも、乗車方法、乗車位置、列車案内等が工夫されてアナウンスされており、これは名鉄名古屋駅名物の風景でもあります。

    

 あまりに列車本数が多く(全ての列車を合わせると、片方面だけでも1〜3分毎に列車が発着しています…しかも、ほぼ一日中です)、構内放送は自動化しきれず、放送ブースも上下線で分けられ、そのブースはホームからも見る事が出来ます(左上写真参照)。また、時刻表も1つのものにまとめず、方面別で表示されます(右上写真参照)。

    

 ホームは少し長めにとっており、スムーズに列車が発着出来るように、構内の真ん中にも信号機が設置されていますが、駅構内には1つの列車しか入れないようなシステムになっています。また、写真を見ても分かるように、1面3線のホームなので、名鉄名古屋駅到着時は両側の扉が開き、少しでも乗降をスムーズにするようにしています。また、上下線に挟まれたホームに関しては降車用、そして特別車用の乗降用に使っています。
 とにかく、慌ただしい駅です。何しろ、時刻表上でも常に2分毎に列車の設定があるくらいですから、なるべく列車の停車時間を短くさせ、後の列車の時刻に影響が出ないようにしているのです。それでいて名鉄の車両はバラエティー豊かでもあるので、ここに30分ぐらい居て、ただ列車の動きを見ているだけでも、名鉄らしさが伝わるのではないかと思うくらいです…(笑)。そんなエキサイティングな名鉄名古屋駅が自分は昔から大好きであり、まだまだ居たいくらいのですが、今回は名鉄犬山線の回なので、先に進むとします(笑)。

    

 名鉄名古屋駅を出発すると地上に出て、栄生駅、東枇杷島駅と続き、庄内川橋梁を渡ると枇杷島分岐点で本線と分かれます。ここが正式な、犬山線の起点となります。枇杷島分岐点には駅はなく、全ての列車が通過となりますが、1949年まではここは特急も停車する枇杷島駅という駅であった為に、同駅の廃止後も運賃計算上の箇所として扱われているという感じです。実際、犬山線と本線を跨いで乗車する時には、東枇杷島駅や、栄生駅、名鉄名古屋駅等で乗り換える事になりますが、計算上はこの分岐点で乗り換えたものの距離として算出されます。

    

 ここでの分岐は、大都市に見られるような立体交差の分岐ではなく、路面電車等でよく見られる平面分岐。ここで終日2〜3分毎に走る列車を2方向に振り分けているのですから驚かされますが、住宅密集地である事や、橋梁を越えてすぐ分岐という環境、本線はこの先にJR線の高架線の下を潜らなければならない…等、改良しようにも簡単に出来ないという事情が多く、まだ暫くは現在のままで推移しそうです。
 上写真で見ると、右奥に向かうのが犬山線で、左奥に向かうのが本線となりますが、遅れが発生すると左上写真のように、分岐点を横切る列車を待避する為に、分岐点手前で停車しなければならない列車が発生してしまいます。この時も強風の為にダイヤが若干乱れていたので、そんな列車を数多く見掛けました。ここもまた名鉄名古屋駅と同様、エキサイティングなポイントだと言えると思います。

    

 枇杷島分岐点を過ぎ、普通列車しか停まらない下小田井駅、中小田井駅を過ぎると、地下鉄鶴舞線と合流して、快速急行・急行停車駅の上小田井駅となります。ここから先、一部の鶴舞線は犬山線に直通運転を行っています。犬山方向にある折り返し設備は、名古屋からの犬山線とは繋がっていないので、これは鶴舞線専用です。
 暫く高架で進み、その高架から降りると、北名古屋市の玄関駅となる西春駅です。同駅は島式2面4線のホーム配置となっていて、普通列車はよく当駅で優等列車の待ち合わせを行います。

    

 ここで、名鉄線の車両を少し紹介しておきましょう。数多くの車種を抱える名鉄線の車両を詳しく説明するのは困難過ぎるので、徐々に徐々にという感じではありますが、まずは犬山線を特徴付ける、鶴舞線直通用の車両である100系(上写真参照)です。名鉄車両は19m3扉が標準ですが、この車両は鶴舞線に合わせて20m4扉の車体となっています。当初は4両編成でしたが、輸送力増強に伴い6両編成化されました。犬山線から鶴舞線へと直通する列車に使われ、その先の名鉄豊田線まで運転されています。

    

 …となると標準車両の説明も必要になってきますが、これがなかなか複雑です。そもそも名鉄の車両は1975年頃まで2扉転換クロスシート車が続き、新製したら優等列車に投入し、後継車両の装備につれて捻出させた車両を広汎に運用する思索が取られてきたので、特急用、一般用という区別の概念がありませんでした(名鉄の特急列車は特急料金が不要で、後に指定席料金という形で“特別車”と呼ばれる車両が造られました)。
 その後、6000系という3扉車が登場しますが、この時もクロスシートは残され、他社私鉄で主流だったロングシート車両は地下鉄直通車両に限定されていました。しかし1980年代になってくると混雑が激しくなって従来の車両では輸送力が不足し、オールロングシートの車両装備が続きます。その後、転換クロスシートとロングシートの両方を配置した車両も出てきますが(下写真参照)、2007年辺りになると、再度、転換クロスシート車両は特急車両のみへの装備となってきていて、他社私鉄と似たような考えになってきたのでした。名鉄のクロスシート主流という考えは、この地区はやはりマイカー普及率が高く、居心地の面を考えての事だったと思われます。

    

 車内の変革も去る事ながら、外観をよく変える事でも名鉄は有名です。塗装に関しても、長らくスカーレット一色を採用してきましたが、最近ではステンレス車両が主流になってきました。ただ、装備につれてのマイナーチェンジが多く、その為に色々な外観の車両が存在するという事にもなっています。

    

 そんなこんなで、岩倉駅に到着しました。同駅はかつて、小牧駅までの岩倉支線と、東一宮駅までの一宮線が分岐していましたが、いずれもバスに転換されています。岩倉市の玄関駅という事で、全車特別車のミュースカイも停車し、名鉄名古屋からの普通列車の約半数と、日中の鶴舞線からの列車は当駅で折り返します。
 写真の通り、天気も完全に晴れまして、この先、柏森駅から扶桑駅まで“さんぽ”しましたので、ここでの写真を見ながら、また車両解説をしていきたいと思います。

    

 まずは2200系(右上写真参照)です。中部国際空港が2005年2月に開港されるのに先立ち、名鉄空港線の開業の同年1月に運行を開始した特急型車両です。塗装は違えど、これとほぼ同じ外観のミュースカイ(後述)が全車指定席の特別車で構成されているのに対し、こちらは一般車4両を連結していて、特別車2両と共に6両編成が基本編成で運行されています。これらは外観上のデザインは揃えられていますが、車内は特別車(左下写真参照)、一般車(右下写真参照)で雰囲気はだいぶ異なります。
 名鉄は、一時期は特急は全車特別車で、特急と同じ停車駅で一般車タイプの車両で運行の種別を“高速”と分けて設定していましたが、これらを“特急”として統合し、1つの列車に一般車と特別車が存在する編成に変えてきました。当初は本線だけの設定でしたが、犬山線も含め、支線である路線にも波及。全車特別車はミュースカイだけの設定となって現在に至っています。ちなみに2200系は、2015年に登場した3次車は、若干のデザイン変更が加えられています。

    

 前述の、一般車と特別車の混在する編成として最初に登場したのが、1000系、1200系です。当初は特別車のみ1000系4両編成として登場しましたが、後に1000系とデザインを揃えた一般車1200系を製造し、1000系は前後2両ずつに分け、4両分の1200系と連結して6両編成の電車が出来上がったのでした。この時、特別車の向きは全て豊橋方向になるように揃えられています。

    

 左上写真の特別車仕様が1000系、右上写真の一般車仕様が1200系です。共にこれらの車両は『パノラマ Super』という愛称が付けられています。かつての名鉄の代名詞的な列車でもあった『パノラマカー』の後継としての位置付けがなされていたのだと思います。これらの車両は最近、リニューアル化が進んでおり、塗装も大幅に変更。『パノラマ Super』と表示されていた部分も、LED行先方向表示器が取り付けられました(左下写真参照)。…とは言え『パノラマ Super』という呼称も継続しています。また、リニューアルを機に編成全体の総称を1200系としました。より複雑になったような気もしますが…(笑)。

    

 特急に使われる車両はひとまず以上にして、今度は急行や普通列車に使われる代表的な車両である6000系を紹介しておきましょう。6000系が登場したのは1976年で、これが戦後の名鉄で初めての本格的通勤新造車だったので、他の大手私鉄に比べるとだいぶ遅い投入である事が分かりますが、それでもクロスシートは残されました。しかし、これが普通の座席より若干サイズの小さいもので、クロスシート部分は固定され、中央扉を境に車端を向くように配置されました。その後、回生ブレーキ付きの6500系へ移行。この時に正面のデザインが変えられ、左下写真のような顔付きになりました。こちらは4両固定編成が6500系で、2両固定編成が6800系と呼ばれます。

    

 1989年から製造された車両からは大幅に車体構造が変わり、後述する3500系のようなデザインになりました。座席の形状やシートピッチの拡大、また、車幅自体も若干広げられています。その後も6000系列の装備は続けられていきますが、ついに1991年にの装備車からオールロングシート車が登場します。やっと(笑)文字通りの通勤車がデビューするわけです。

    

 その後、この6000系列の最後のデザインを引き継ぎ、VVVF インバータ制御、電気指令式ブレーキ等の新機軸を導入して登場したのが上写真の3500系です。車内は、立ち席スペースを更に拡大させたロングシート車となっており、ラッシュ対策の究極の形まで持っていったと言えましょう。その改良版として、車体断面を卵形の形状から、側面を垂直の角張った形状に変更させて屋根の高さも上げたのが3700系、その2両編成バージョンが3100系となります。3500系列の最終装備は2000年の事で、その後の一般車はステンレス製の車両の製造になるので、名鉄のスカーレット色の新造車は、今のところこの系列で最後となっています(改造車は存在します)。
 これら6000系列、3500系列は、当初は犬山線に優先投入されていました。前述したように犬山線が競合路線がなく、特にラッシュ時の混雑は相当なものだったようで、常時10分弱の遅れが起きていたようです。それらの列車を6000系に置き換える事で、遅れが発生する事は殆ど無くなったそうなので、やはり通勤車投入の効果は絶大だったと言えるでしょう。現在、6000系列の初期の車両の殆どは改造の上で三河線や瀬戸線等の支線に転用され、犬山線等の本線系列で見れる機会はグッと減っています。

    

 最後に、左上写真の5700系(この他、車体は5700系と同じで、台車や電装品を流用させた5300系という車両もあります)も紹介しておきましょう。こちらは1986年に登場した車両ですが、6000系と違い、高速・急行列車用にターゲットを絞って造られた車両です。故に、2扉転換クロスシートという車両になります。…登場時は、特急列車の合間を縫って走る高速・急行列車の近代化に貢献し、名古屋本線の主力車両として活躍しましたが、特急用として前述の1200系の登場(高速➡特急に1本化)に伴って第1線からは退かざるを得ず、その後にパノラマカー等の車両が全廃されると、特別車以外の2扉車は本系列だけになりました。現在では、ラッシュ時の邪魔にならないよう、どちらかというと普通列車メインで黙々と走り続けている感じです。一部車両は既に廃車も出ており、名鉄の最後の“豪華な一般車”として、記録に留めておきたいものです。…そんなこんなで、扶桑駅に着きました。

    

 
木津用水駅を出て犬山市に入り、犬山口駅へ。そして右から小牧線(右上写真参照)、広見線(左上写真参照)が合流すると犬山駅となります。ここは運転上のの拠点駅であり、列車が頻繁に発着します。この先、犬山線の終点の新鵜沼駅から先は各務原線となりますが、それらの列車も犬山駅を始発・終着としているものが多く、犬山線の普通電車も当駅を始発・終着としているものが多いです。また、地下鉄鶴舞線からの列車は、この犬山駅より先には基本的には運行されません。勿論、路線上の起点・終点である小牧線や広美線もここを始発・終着としているので、つまりは犬山駅は、4方向の電車の始発・終着駅という機能を有している事が分かります。


    

 犬山市の玄関駅であると共に、観光の拠点ともなっていて、その中でも犬山城の知名度は群を抜いています。犬山城へは、この先の犬山遊園駅の方が距離的には近いのですが、犬山駅からは犬山城下町通りとして徒歩街道が整備されているので、こちらのルートの方がお勧めです。

     

 そして、その犬山遊園駅へ。元々は日本モンキーパークへのアクセス駅で、モンキーパーク園内までの犬山モノレールが発着していましたが、老朽化の為に2008年12月に廃止されてしまい、現在は犬山駅東口からバス利用となっています。観光駅らしく、駅構内は広めにとられていますが、犬山線の駅では犬山口駅の次に利用者の少ない駅です。それでも全種別の列車は停車するので、例えば名古屋方面からこの先の岐阜方面に乗り継ぐ場合、犬山駅や新鵜沼駅では階段での乗り換えが発生する場合が多いのに大して、当駅はシンプルな配線故に必ず同じホームで乗り継げるので、改札を通らずに当駅で乗り換える乗客が一定数いるのだとか…。

    

 犬山遊園駅を出ると、すぐに木曽川橋梁を渡ります。この橋はかつて、路面電車のように道路に線路が敷設されていて、しかもその道路は幹線道路でした。最大8両編成の列車が頻繁に行き交う割りには橋梁は狭く、電車の通行が車の通行の妨げとなり、そこで発生した渋滞が今度は電車の通行に妨げに…と、運行の妨げになる事が多かったのですが、2000年3月についに道路専用の橋梁が架けられ、旧橋は鉄道専用橋となったのでした。その後、この橋は改良され、かつての面影は殆ど残っていません。

    

    

 中部国際空港からの全車特別車ミュースカイ(右上写真参照)も、この橋梁を渡ります。進行方向左手には、木曽川沿いの丘の上に犬山城が臨めます。犬山城は個人的にもまだ行った事が無かったので、今回、思い切ってそこへも“さんぽ”してみました。なかなか大変でしたが(笑)、天守閣からの眺め(左下写真参照)もまた格別でした。写真の木曽川を挟んで右側に犬山遊園駅があり、左側が岐阜県鵜沼市となります。

    

 つまりは木曽川を渡ると、終点の新鵜沼駅はすぐになります。構内は広く、3面5線もあり、以前はこの先のJR高山本線へ通じる短絡線があり、名鉄名古屋駅発着の特急『北アルプス』号が乗り入れ、高山方面まで通じていました(2001年に廃止)。この駅のすぐ先に見えるのがJRの鵜沼駅です(右下写真参照)。

     

 ホームの3番線〜5番線は行き止まりとなっていますが、1、2番線の線路はこの先も各務原線として続いてきます。こちらの路線は新鵜沼駅を出ると、すぐにJR高山本線と併走し(左下写真参照)、この競合は終点の新岐阜駅(JRは岐阜駅)まで続きます。

    

 これで犬山線の“さんぽ”は終了となります。名鉄は鉄道会社としての規模が大きく、故に車両やそれぞれの路線を取り上げるだけでも大変な作業となってしまいますが、少しでも名鉄の魅力が伝わって貰えたら幸いです。勿論、名鉄の路線はこれだけではなく、他にもとても魅力的な路線が揃っています。これらの路線もいつか取り上げられたらと思いつつ、その頃にはどのような車両が主力として走っているのか、興味が尽きません。まずは自分に…お疲れ様でした(笑)!

 ☆名古屋鉄道のHP…http://top.meitetsu.co.jp/

拍手[3回]



 2016年最初の『鉄道さんぽ』。今度はJRの路線から進めていく年となりまして、今回はJR東日本の路線である水戸線を取り上げます。水戸線は、栃木県の小山駅と茨城県の友部駅を結ぶ路線で、北関東を横断する路線の1つでありますが、元は水戸鉄道という私鉄で、後に日本鉄道に買収、その後国有化されて現在に至っています。水戸鉄道時代に小山駅〜水戸駅までの開業をさせて、その路線を持っていましたが、後に現在のJR常磐線が開通し、友部駅〜水戸駅は常磐線に編入…、故に水戸線と名が付きながら、水戸駅を通るどころか、水戸市域内すら通らない路線となりました。
 全線で電化がされていますが、電化の方式に特徴があり、小山駅付近のみ直流1500Vで、それ以外の区間は交流20000Vの区間となっています。これは茨城県石岡市付近に気象庁時地磁気観測所があり、それまでの鉄道で一般的だった直流電化を流すと、レールに流れる電流が地上に漏洩して地磁気観測に影響を与える為との事ですが、これは近くを走る常磐線の取手駅以北も同じ事情で、この付近に交直流の境目があります。故にこれらの区間を走る車両は交直両用の専門の車両が使われており、水戸線と常磐線の取手駅以北まで到達する車両は共通の部分が多いです。
 現在、常磐線の上野駅まで到達する交直両用一般型電車は、グリーン車を連結するE531系に統一されましたが、それまでは415系という車両が主流でした。これは国鉄時代に登場した車両で、常磐線の上野駅で見られなくなってからは土浦駅以北や水戸線で見られるのみとなっていましたが、ついに2016年3月26日のダイヤ改正で、これらの路線から415系を引退させるとのアナウンスがありました。今回、水戸線に白羽の矢を立ててみたのは急遽でもありましたが、そんな理由があったからです。
 前述の通り、現在415系は常磐線では土浦駅以北しか運用されていないので、常磐線の交直流の境目は通りません。こういった交直流の境目には電気の通ってない区間を少し設けていて、それをデッドセクションと呼んでいます。ここでは異なる電化方式を、車両を走らせながら切り替えるという事情から、いったん電気の通わせない時間が起こり、その時には車内灯等も消えていたものでした。しかし、E531系等の最近の車両では蓄電池からの供給が行われるらしく、車内灯は基本的には消えない事になっています。要するに415系が引退してしまうと、車内灯が消えるという体験はこの付近では見られない事になってしまうわけで、これはまたひとつの、昔の鉄道車両の風物詩が消えてしまう…と言っては大袈裟でしょうか(笑)。とにかく、それを体験すべく、久し振りに水戸線に乗ってみました。
 E531系自体は、2015年1月31日までは当線での定期運用は無かったのですが、今では7割以上はE531系での運用となっています。ダイヤ改正の3月26日は、更にその純度は上がる事でしょう(他に、E501系という車両での運用が僅かにあります)。国鉄時代から走り続けた415系には自分も愛着があり、それはどちらかというと常磐線での活躍に馴染みがありましたが、場所を変えて最後の水戸線での活躍を見るのもまた一興だと思いました。それらの背景も含めた水戸線の“さんぽ”を、どうぞ楽しんで頂ければと思います!


 ●日時…2016年2月6日 ●距離…50,2km ●駅数…16駅

 JR東北本線に乗って、上野駅方面から小山駅へやってくると、右側からJR水戸線の線路が近付いてきて小山駅へと入ります。つまり、上野方面から水戸線方面へは、小山駅で進行方向が逆になる配線で向かうわけです。現状、こうした直通運転の定期列車は設定されていないのでこれで良いのですが、以前、貨物が設定されていた時には、上野方面から、小山駅を通らずに直接水戸線に入れるように短絡線が設けられていて、今でもこの痕跡を見る事が出来ます(右下写真参照…線路は水戸線で、右奥に小山駅があります)。

    

 小山駅には、今回お目当ての415系1500番台が早速停車していました。そして前述したデッドセクション区間を見るべく、次の小田林駅まで“さんぽ”してみましょう(今回、列車本数の少なさから、上下列車どちらも使って、行ったり来たりの“さんぽ”をしましたが、文章的には一方向で進めていきます)。…水戸線の線路は東北本線と分かれて暫くすると、先程説明した短絡線(線路は既に撤去済み)と合流し、進路を東に向けます。その後は直線が続きますが、その途中にデッドセクションは存在します。

    

 電車に乗っていると、ある程度スピードを出したところで、急に電源がオフにでもなったような雰囲気が車内を包みます。実際、電車は交直切替の為のスイッチを入れており、ここからは惰性で走ります。この時、415系ですと右上写真のように非常灯を除いて車内灯は消えるので、デッドセクション突入への準備に入った事が分かります。デッドセクションの長さは約50m程なので、惰性でも十分通過出来るわけで、暫くするとまた電源が入ったような感じになり、車内灯も明るくなります。これで無事に、直流から交流への移行が終了となります(逆方向も同じ行程を辿ります)。

    

 この区間を外から眺めてみると、確かに架線が普段とは異なっている事が分かります。つまりは配電されていない区間という事で、走る電車を見てみても、車内灯だけではなく、前照灯も片方しか点いていない事が確認して頂けると思います(左上写真参照)。しかし、これが最新鋭のE531系になりますと、車内灯も前照灯も点いたままになるので、この様子が見れるのもあと僅か…という事になりましょう。前述もしましたが、昔からあった鉄道の風物詩が見られなくなるのは、何となく寂しい感じもするものですね…。

    

 …“さんぽ”を続けます。ここまで、415系ばかりの写真ではありましたが、実際にこの日時点で水戸線を走る車両と言えば殆どが左上写真のE531系で、415系はもう少数派という状況でした。その415系も、今度の3月26日のダイヤ改正で引退となります。現在の水戸線を大いに楽しんでおこうと思います。
 線路は栃木県から茨城県に入って、小田林駅に着きます。1面1線ホームの駅で、列車の行き違いは出来ません。また、2014年3月15日のダイヤ改正までは、朝と深夜の一部の列車は当駅を通過していました。そしてこの次の駅が結城駅となります。水戸線の中間駅としては唯一の橋上駅舎の駅です。

    

 その後、東結城駅(小田林駅と同じく、2014年3月15日のダイヤ改正まで、朝と深夜の一部の列車は当駅を通解していました)と続き、そこを過ぎると鬼怒川を渡ります。結構長い橋梁の割りには、トラスの無いスッキリとした外観なので、臨時列車等がここを通る時には格好の撮影ポイントになる事で有名です。

    

 鬼怒川を渡ると川島駅に着きます。駅構内の北側は広い空間になっていますが、これは、この先の太平洋セメント川島サービスステーションへの、かつて専用線の名残で、1997年頃までは秩父鉄道からのセメント輸送列車が運行されていたようです。現在でも少しその面影を見る事が出来ます。

    

 そして、1面1線ホームの玉戸駅を過ぎ、下館駅に到着します。真岡鐵道、関東鉄道と連絡をしている駅で、水戸線の列車も一部、当駅発・当駅止まりが設定されています。3線も乗り入れているので、構内はバラエティに富んでいますが、それに一層華を添えるのが、真岡鐵道で時折運転されてる蒸気機関車『SLもおか』号でしょう。今でこそ、臨時で走る蒸気機関車は珍しくはなくなりましたが、それでもこうして間近でSL列車を見れるというのは、気分も高まるというものです。関東圏内で、わりと手軽に足を運ぶ事が出来るので、是非ともチェックしてみて頂けたらと思います。

    

 下館駅を出ると、徐々に丘陵地帯に入っていきます。…とは言え、それほど山間な場所にはならず、列車はスムーズに運転されます。この先は北関東自動車道と暫く並行するような感じで丘陵地帯を抜け、そして笠間駅に到着します。場所は笠間市。古くから日本三大稲荷に数えられる笠間稲荷神社の門前町として栄えた街です。

    

 ここから次の宍戸駅までも“さんぽ”してみましょう。丘陵地帯を抜けて、そろそろ平野部に降り掛けるような場所でもあるので、この鉄道さんぽと共に、ゴールに近付いていく感じがありました。殆どが国道355号線と並行している区間で、その後国道と分かれて小さな集落に入っていくと、片面1面1線の宍戸駅に到着しました。

    

 さて、宍戸駅を出発すると、進行方向右手からJR常磐線の線路が合流してきて、程なく水戸線終点の友部駅となります。こちらは直線で進入していて、常磐線の方がカーブしてきて合流するのは、歴史的に水戸線の路線の方が古いからでもあります。…とは言え、ここから先は現在では常磐線の線路…。水戸線と名が付くのに、水戸駅を通らない路線となってしまっていますが、列車の半分以上はそのまま常磐線に入り、水戸方面へ直通運転されています。

    

 ここで見る車両は常磐線も含めて、特急列車がE657系、そして普通列車がE531系が殆どで、415系や、時折見るE501系は本当に少数派です。これで415系はあと数ヶ月の活躍となっているので、それ以降は更なる車両の単一化が起こりそうです。車両の近代化と共に失われていく、鉄道の昔ながらの風景。それは、友部駅がいつの間にか非常に近代的な駅に生まれ変わっていたのを見ても思いました。確実に鉄道の変化は進んでいます。こうした変化を見届ける意味でも、“鉄道さんぽ”の必要性?を感じたりもしました。2016年の鉄道さんぽも、どうぞよろしくお願いします!

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 2015年最後の『鉄道さんぽ』は、JR北海道の江差線を取り上げたいと思います。江差線は以前、路線の一部区間の木古内駅〜江差駅間が廃止される際に乗りに行き、このブログでも取り上げた事がありますが〔旅日記 45.『あけぼの』号、JR江差線編(2013.4.24)参照〕、廃止後約2年後となる2016年3月26日に北海道新幹線が函館方面まで開通する際に、道南いさりび鉄道という、第3セクター方式の鉄道会社に切り替わるが決定されています。つまり、江差線という路線名はここで途絶え、これまで線内を走っていた特急列車も役目を終え、全て新幹線にバトンタッチされます。
 そもそも江差線自体がローカル線でしたが、この路線が様変わりするのは、青函トンネルが開通した事により、本州と北海道を結ぶ津軽海峡線の、北海道側の接続路線としての役割を与えられた時でしょう。電化や線路の改良工事が行われ、本州と北海道を結ぶ昼行特急の他、長距離寝台特急『北斗星』号、『トワイライトエクスプレス』号、そして長編成の貨物列車が頻繁に往来する路線になりました。その中からすると、ローカル輸送に関しては、日中は1両編成の気動車が何往復かするくらいでしたが、新幹線の開通後は、線内を走る旅客列車はこのローカル輸送のみになるでしょう(貨物列車は存続)。
 もう新幹線の路盤は殆ど完成しており、後はソフト面の完成を待つばかりです。江差線で見られる色とりどりの列車を見られるのも後残り僅か…という事で、今回は遠く北海道まで足を延ばしてみたのでした。江差線内の様子の他に、北海道新幹線の暫定的な終着駅となる新函館北斗駅(現、渡島大野駅)も見てきました。周囲に何も無い所に建てられた巨大な駅は不思議な感じではありましたが、開業まであと3ヶ月というところです。この付近の鉄道事情も大きく変わる筈であり、恐らく最後になるであろう江差線の現在の状況を見るのは、とても大きな意味があると思ったものでした。…もう既に冬景色となっていた函館ですが、さんぽ時は概ね好天にも恵まれました。それでは御覧頂ければと思います!


 ●日時…2015年12月7日 ●距離…37,8km ●駅数…12駅

 場所が場所だけに、函館には前日入りを果たしていましたが、当日の朝を迎える前に、深夜の訪問列車をカメラに収めるという目的もありました。…という事で、深夜1:00頃に函館駅で迎えた列車というのが、夜行急行『はまなす』号です。

    

 青森駅〜札幌駅間を青函トンネル経由で結ぶこの列車は、現在JRで唯一の定期急行列車でもあり、数少ない夜行列車の1つでもあります。機関車が客車を牽引するという、鉄道発祥の頃は当たり前だったスタイルも既に貴重なものとなっており、正に現代に生きる夜汽車に相応しい列車とも言えましょう。車両はかなり年季が入っており、寒さの厳しい北の大地で走り続けた貫禄をも感じさせてくれました。

    

 この列車、自分には馴染みが深く、安く青森〜札幌間を、それでいて夜行時間帯で効率良く移動する事が出来るので、かつて演奏ツアー時に往復で利用した事があったくらいでした〔竹内大輔の写真日記(〜2009)、Generation Gap & The Linda カップリング・ツアー、北海道編(2007.9.13~9.17)参照〕。…とは言え東京から鈍行で丸1日かかって青森駅まで来て、更に夜行列車で札幌駅まで…という行程は身体には堪え、流石に今の自分では出来ないかも…と思いつつ、駅に停車している列車を見ては当時を懐かしんだりしたものでした。これも、新幹線開通時には廃止が決まっています。後少しの間、無事に走り続けてくれたらと思います。

 …夜を明かし、今度は朝一番となる江差線の列車に乗る為に再度函館駅にやってきましたが、ここでもう1つ撮っておきたい列車があります。それが、恐らく御存知の方も多いと思われる、寝台特急『カシオペア』号です。

    

 『はまなす』と違って歴史は新しく、1999年に豪華寝台列車として登場し、1編成のみが造られた為に1週間に上野駅〜札幌駅を3往復するスケジュールが与えられ、瞬く間に人気列車に躍り出た列車です。まだまだ走れる筈ですが、やはり新幹線開通と同時に廃止になる運命にありまして(この車両を使って、別列車の設定が検討されています)、これもまた貴重な写真となる事でしょう。
 このように、まず江差線を語る上で大事なのは、本州と北海道を結ぶ路線…という役割が与えられている事で、それ故に『北斗星』号や『トワイライトエクスプレス』号という寝台特急も、かつてはこの路線を頻繁に走っていた事を忘れてはならないのです。これらの列車も既に廃止されてしまい、『はまなす』号や『カシオペア』号が最後の砦だったわけですが、函館への新幹線開通後は、青函トンネルは貨物列車を除いて、基本的には新幹線車両しか走らせない予定でいるので、ここで思い切った改革が進んでしまいそうです。新幹線ではなく、在来線が本州と北海道を結んでいたという事実を、今回は特に味わう必要がありそうです。

 さて、長くなりましたが、江差線の普通列車に行き、現在の終点である木古内駅までまずは向かいましょう。そこから函館方面に折り返していう形で、今回の“さんぽ”を始めていきたいと思います。木古内駅は既に新幹線の駅が姿を見せており、今後、本州方面へはここでの乗り換えが余儀なくされます。急に巨大で近代的な駅舎が出てきてビックリしてしまいますが、今後はこちらが日常の光景となりそうです。

    

 前述通り、昔は更に江差方面に線路が伸びていましたが、2014年5月12日にその区間は廃止になってしまいました。現在はこの先は、津軽海峡線として青函トンネル方面に線路を伸ばすだけですが、それも新幹線に取って替わられます(…貨物列車は継続するので、線路も一応は繋がったままになる筈です)。…色々な思いが交錯してしまいますが、早速江差線の鈍行列車での“さんぽ”に入りましょう。この路線、日中は青森駅〜函館駅を結ぶ特急『スーパー白鳥』号、特急『白鳥』号等も行き交ってますが、江差線内での途中駅は起終点を除いて停車しないので、今回利用する列車は鈍行列車のみという事になりそうです。

    

 鈍行列車に使われるのは、JRグループ全域で使われる一般型ディーゼル車両キハ40系…。国鉄時代に造られた車両で、その中でもJR北海道のキハ40系は窓が2重になっている等の、北海道仕様の車両となっているのが特徴です。車内は典型的なボックスシートですが、今やこちらも珍しい存在かもしれませんね。所謂“汽車旅”…というのが連想出来そうな雰囲気を醸し出しています。

    

 木古内駅から2駅乗って、泉沢駅へ…。こちらは1両編成ですが、やはり本州と北海道を結ぶルートだと感じさせるのが、長大貨物列車の存在でしょう。鈍行列車に比べれば遥かに列車の本数が多いので、ここでの存在感は大きいものがあります。また、特急列車も軽やかに通過しているのを見ると、今まで乗ってきた列車が1両編成だったのは俄には信じられない気持ちになりますが(笑)、改めて、鈍行列車の利用者減の実態を感じさせてもくれますね…。

    

 この先、列車は海外線に沿ったルートを走り、天気が良いと函館湾の海越しに函館山も臨めるのですが、なかなか函館には近付きません…。丁寧に湾に沿って、ぐるっと半周するような形で函館方面に進むので、暫くは海越しに函館山が見えるような景色が続くのです。当然、江差線からの車窓ハイライトもこの付近なのですが、何ぶんこの区間の鈍行列車の本数が少なく(現在、1日9往復)、“さんぽ”をするにもなかなか大変ではあります(笑)。ここでは路線バスの力も借りつつ、釜谷駅〜渡島当別駅間を“さんぽ”してみました。

    

 釜谷駅舎は、貨物のコンテナを再利用したものとなっており、JR北海道のローカル駅では結構目にします。ここでは、1度列車を見逃してしまうと、次は2時間、3時間後…とかになってしまうので、列車1本1本が貴重です。駅に着くと、2、3人の乗り降りがあるような状況が続いている感じでした。

    

 殆ど国道228号線と並行していますが、早速函館山も見えました(左上写真参照)。東京からずっと列車旅をしててこの区間に差し掛かると、北海道に入ったという実感が強く湧いた事を覚えています。ここを走る昼行特急列車は、殆どがJR北海道車両が担当する『スーパー白鳥』号となりますが、1日2往復のみ、JR東日本485系が担当する特急『白鳥』号も足を延ばします(右上写真参照)。これは本州で活躍する電車が北海道に定期的に乗り入れるという貴重な例でもありましょう。繰り返しになりますが、新幹線開通後のこういった例は、新幹線と貨物列車を除くと皆無となります。

    

 それにしても雄大な景色です。北海道らしい…というのとはまた異なり、函館らしい景色とでも言うのでしょうか。真っすぐな地平線が伸びてという感じではないのですが、荒々しい海と、そこに切り立った丘に列車が走っているという風景は、やはりどこか遠くに来たという旅情が感じられます。今では特急列車も頻繁に走りますが、今後はローカル列車のみが走るという事で、かなりのんびりとした路線になるのではないでしょうか…。運行継続される貨物列車の存在が尚更際立ちそうな感じもします。

    

 渡島当別駅は、可愛らしい駅舎を持った駅でもありました。この駅の近くにトラピスト修道院があり、その最寄りの駅にもなるという事から造られたそうです。郵便局との合築の建物でもありますが、終日無人駅となっています。駅の函館方にはトンネルがあり、トンネル内で上下線の分岐が行われています。これは、江差線が津軽海峡線の一部として使用するに辺り、貨物列車等の待避を考慮して、駅構内の有効長を拡大する工事が行われた為のものです。

    

 この先、茂辺地駅、上磯駅と続きます。上磯駅から函館方面は住宅街が続き、鈍行列車の本数も倍になり、概ね1時間に1本程となります。駅間も短めに設定され、ここから起点駅の五稜郭駅まで5駅で 8,8km という距離ですが、先程の茂辺地駅から上磯駅までの距離もまた、8,8km というものだったりします。

    

 駅間も短いので、上磯駅〜清川口駅〜久根別駅と、2駅分“さんぽ”してみましょう。住宅街や工場が多い中を走るので、先程の雄大さ溢れる景色とは違った世界のようですが、これはこれで地元密着型の雰囲気も醸し出していて興味深いですね。この2つの駅間をまたがっても、距離的には 2.3km というものでした。

    

 キハ40系は非力なので加速に時間が掛かり、この2駅間でも6分程掛かります。加えて単線であるが故、途中の駅での列車交換待ちや特急列車等の待避もあったりするので、上磯駅から五稜郭駅まででも20分以上掛かる事はしばしばで、その遅さが乗客離れの一因にもなっているのは否めません…。第3セクター化を切っ掛けに、鈍行列車の電車化を検討してスピードアップを図っても良いと思うのですが、財政的にも厳しい部分があるのでしょう。ひとまずはキハ40系を譲り受け、現状で推移していくようです。特急列車は全て新幹線に替わるので、その分の待避時間は少なくなりそうですが、今後の路線の発展の為にも、近代化は避けて通れないかもしれませんね。ちなみに現在の特急列車は、この区間を5、6分程で駆け抜けていきます。

    

    

 さて、JR函館本線と合流して、そろそろ起点の五稜郭駅に到着します。江差線の列車は全て函館本線に乗り入れて、この先の函館駅まで足を延ばしていますが、江差線としての起点は五稜郭駅なので、今回の“さんぽ”もここまでとなります。五稜郭駅から木古内方向を見ると、左奥に向かう方が江差線という事になります(右下写真参照)。右奥に向かう路線は、前述の函館本線の長万部、札幌方面となります。
 
    

 五稜郭駅構内は広く、貨物列車も多く見掛けます。この近くの函館貨物駅が本州と北海道を結ぶ貨物列車の拠点、スイッチバック駅ともなっている為で、これは新幹線開通後も変わらず賑わう事でしょう。札幌方面へ向かう優等列車、特急『スーパー北斗』号の姿も見かけ、ここからは道内列車の性格が強くなり、JR北海道エリアの雰囲気の本領発揮!とでも申しましょうか…。

 これでJR江差線の“さんぽ”は終わりとなりますが、前述通り、せっかくなので今後の北海道新幹線の開通後に、函館の拠点駅となる駅を見ておきたいと思います。それが、函館駅から5駅札幌方向に進んだ(五稜郭駅からは4駅先)、渡島大野駅という場所です。

    

 渡島大野駅は現在、普通列車のみが停車する小さな駅です。そもそも列車本数は少なめではありますが、この区間は、函館本線の迂回路線である藤城支線と並行区間にもある為、普通列車の本数も更に少なめで、1日に上下併せて20本程度の列車が停車するくらいです。そんな場所が新幹線の停車駅に選ばれたのは、北海道新幹線は函館が終着ではなく、この先の札幌駅まで目指して造られている為で、真っすぐに札幌を目指すには、現在の函館駅の位置ではスイッチバックを要する等、非常に遠回りになってしまうからです(そもそも、市街地の中に新幹線を通すのも難しいかもしれません)。

    

 そんなわけで、広い空間のあるこの場所が選ばれたわけですが、昔の渡島大野駅の雰囲気からすると大変貌も良いところで、急激な出世を遂げたとでも言いましょうか。とにかく、激しい変化がこの場所には起きていたのでした。もう、駅は外観を含め、大まかな部分は完成しており、いつ新幹線車両が来てもおかしくない状態になってはいました。雪が積もっていたので、駅前の整備された様子は若干分かりにくかったのですが、恐らく綺麗に、そして整然とされた風景が広がっているのだと思います。駅から離れ、札幌方向に進んでみると、新幹線の高架橋はこの先でひとまず断たれていました。右下写真は、隣りを走る函館本線の線路をオーバークロスする車道からのもので、更に新幹線が延伸された時に、この道路の処遇はどうなるのかも少し気になるところでした…。

    

 この道路から札幌方向を臨むと、大沼方面へ上り勾配で進んでいく線路が見えます。…そう、ここから先は函館本線は山越えの区間が、北海道新幹線はこの山を長大トンネルでぶち抜くかもしれなく(大沼駅や森駅は経由しない)、とにかく札幌に速く到達させようという理念が感じられそうです。

    

 北海道新幹線の札幌駅までの開通は、今のところ2031年の春が予定されており、その時の東京駅〜札幌駅間の所要時間は5時間1分との事です。現在の東京駅〜福岡駅間の所要時間と殆ど変わらないので、新幹線で札幌に行こうとする需要も見込めそうではありますね。まだまだ先の話しですが、動向を注意深く見守っていきたいと思います。…というより、まずは函館までの開通ですね。新駅は渡島大野駅…ではなく、新函館北斗駅という名前に生まれ変わります。道内の鉄道体系にも変化が出てくる事でしょう。また変化した函館にも、今度は新幹線で訪れたいものですね。その時は第3セクター化された後の江差線(➡道南いさりび鉄道…という鉄道会社になります)にも注目してみたいものです!

 ☆北海道新幹線スペシャルサイト…http://hokkaido-shinkansen.com/

 ☆道南いさりび鉄道のHP…http://www.shr-isaribi.jp/

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 今回の『鉄道さんぽ』は、千葉県内を走る、新京成電鉄新京成線を取り上げたいと思います。松戸駅と習志野市の京成津田沼駅を結ぶ京成グループの鉄道会社で、関東では唯一の準大手私鉄に分類されます。全線普通列車のみの運転で、半環状的なルートを通っているので、全線を乗り通すというよりは、短距離間で利用される側面が大きいと思います。正直、地味な路線ではあるのですが(笑)、この路線の沿線に自分の祖母の家があり、個人的に昔からよく利用していた路線でもあるので、非常に馴染みはあります。以前は京成電鉄からの中古やそれに準じた車両ばかりが使われてきていたのですが、徐々にオリジナル性を開拓してきていて、現在の車両は高性能のものばかりとなっています。
 新京成電鉄の路線は、以前は陸軍鉄道連隊演習線として使われていたものを第二次世界大戦の激化に伴って放置され、それが後に京成電鉄に払い下げられたもので、そこで新京成電鉄という会社も発足されました。演習線は、様々な状況での路線敷設演習の為に急曲線が多数介在するような路線で、旅客線開業時に可能な限り直線化を図りましたが、現在でも非常にカーブが多い路線となっています。事実、松戸駅〜京成津田沼駅間の営業キロ数は約26kmですが、直線距離にすると約16km程となっています。
 一時期、北総開発鉄道との相互直通運転がされていましたが、現在はそちらは解消し、代わりに京成電鉄千葉線への片乗り入れが開始されました。これにより松戸駅〜京成津田沼駅〜千葉駅が1本化されましたが、その頃の新京成電鉄が最大8両編成だったところを、京成千葉線は6両編成が限界だったので、乗り入れ編成は限定される事になります。その後、全編成が6両化される事になりますが(乗り入れ非対応車も有り)、編成を敢えて短くするというのは珍しいかもしれません。
 新京成の塗装は、暫くは茶色のラインカラーをベースにしていた部分がありました。これは古さも否めませんでしたが、味のあるカラーでもあり、新京成らしさを出していたとも言えるものでした。…しかし、2014年になって新たなコーポレートカラーが発表され、それがピンクとホワイトをベースにしたものだったので、これには驚かされました。車両の塗装も順次変更されていますが、会社の規模がそんなに大きくないので、そのペースはゆっくりなものとなっているようです。…とは言え、これから新京成電鉄は新たな時代に突入するものと思われるに十分な状況となりました。現在の新京成電鉄をどうぞ御覧頂ければと思います!


 ●日時…2015年10月28日 ●距離…26,5km ●駅数…24駅

 新京成の“さんぽ”は起点の松戸駅から始めたいと思います。JR常磐線との乗り換えが出来る松戸駅は一大ターミナルで、新京成の中で1位の乗降客数を誇っています。当然、常磐線との乗り換え客が多く、両線は中間改札を1度通るだけで乗り換えが出来るようになっています。

    

 現在、新京成には大きく分けると4種類の車両が走っていますが、8000形、8800形、8900形、N800形と、全て8から始まる形式となっています。以前存在した800形という車両が、新京成にとっては使いやすい車両だったようで、それを上回る性能を…という意味合いで8000形が、その8000形と800形の長所を併せ持った車両という意味で8800形という名が…というように付けられていったのだとか。これらは、親元の京成電鉄と、それらと直通運転する都営浅草線や京浜急行電鉄の車両との重複を避ける為、関係各社の車両形式の数字割当て(千の位が1、2が京浜急行、3、4が京成、5、6が都営等)が存在しています。

    

 新京成の車内装備として特徴的なのが、ドア横に設けられた鏡です(上写真参照)。日本の他鉄道事業者では名古屋市営地下鉄や、相模鉄道(最近の車両は未装備)に見られる程度なので、結構珍しいと思います。前述のように、2014年に新コーポレートカラーが発表され、全車にその新塗装が施されるという事で、現在は旧塗装と新塗装車両が両方が見られるという過渡期の状況になっていますが(左下写真参照…両方ともN800形車両です)、鏡はしっかりと残っていますので(笑)、今後も新京成の特徴として生き続けていく事でしょう。

    

 さて、松戸駅を出ると、常磐線と分かれて右に大きくカーブし、早速とばかり下総大地を登る勾配に差し掛かります。上り勾配は暫く続き、国道6号線を越えた先を頂点として、そのまま上本郷駅へと到着するのですが、この辺りは変化に富んだ所ですので、この区間を早速“さんぽ”してみましょう。勾配とカーブが連続するので、新京成電車の撮影地としても知られている区間でもあります。

    

 現在は4編成のみが残っている(※2016年1月に1編成が廃車され、2月時点では3編成のみが残っています)最古参8000形(左上写真参照)も、新塗装が施されるとの事で、こちらはまだ全車が旧塗装なので、どのような出で立ちになるかが楽しみですね。新京成の中で最多車両を占める8800形(右上写真参照)は既に半分くらいが新塗装になったでしょうか。この車両は、日本の直流1500V鉄道路線用として、初めてVVVFインバータ制御を早期に本格採用した先駆車(1986年に登場)ではありますが、塗装が変わり、違った意味で徐々に新京成の車両が垢抜けていくのを感じたものです。

    

 車両の特徴ばかり説明してしまいましたが、今度は線路付近の特徴も見てみましょう。右上写真は上本郷駅での写真ですが、線路の付近にトゲトゲしいものが設置されているのが分かりますでしょうか。現在こそ駅のホームに行くには、橋上駅舎を通ったり、地下道を通ったりする事が多いですが、まだまだ駅の規模が小さい頃は駅構内に踏切があり、道路から改札を通ってホームまで、段差無く行ける駅も多かったのです。その時に駅付近の踏切(改札外)から線路を通って直接ホームに行けてしまうのを防ぐ為に設置したもので、今でも地方の鉄道や小規模の鉄道の駅ですと見られたりします。新京成は橋上駅舎になっても、まだ色々な所でこの施設は残っているので、今では珍しいものに映るかもしれませんね。

    

 上本郷駅を出ると、駅間が短い区間が続きますが、八柱駅ではJR武蔵野線との乗り換えが出来ます。個人的に話しになってしまいますが、当駅から次の常盤平駅までの付近が自分の祖母宅の界隈であるので(笑)、昔から馴染みのある区間でもあります。せっかく?なので、この付近も躊躇わず“さんぽ”してみましょう。
 この付近は新京成の開通後に常盤平団地として開発され、ベッドタウン化したという街でもあります。開発区域は扇のような形をしており、新京成はその弧を描くような感じで線路が敷設されています(故に八柱駅を出て左にカーブするも、その後は暫くは右カーブが続きます)。

    

 そして常盤平駅へ…。もう、何度この駅を利用したか分かりませんが(当然、今でも度々利用しています!)、今後も末永くお世話になりたいものですね。内装は少し新しくなったものの、基本的な外見は自分が生まれた頃とそんなに変わっていないような気もします。…という事で、弧を描くような線路敷設は、次の五香駅辺りまで続きます。

    

 その後、自衛隊松戸駐屯地の横を走り、新京成本社のあるくぬぎ山駅となりますが、この先には新京成の車両基地が置かれている為、ラッシュ時を中心に、当駅を始終着とする列車も何本か設定されています。鉄道の車両基地というと、何だか壮大で機械的な印象を受けますが、新京成電鉄のくぬぎ山車両基地は、外周道路からもよく見え、何だか開放的で、そして中規模私鉄の為なのか、アットホームな雰囲気を受けました。8800形の塗装変更等も行われているようでしたが、1両1両じっくりと時間を掛けてやっているような雰囲気もあり、とても長閑で好印象な空間でした。こうした車両基地もあるのですね…。この“さんぽ”の日は、8900形(右下写真の4編成のうち、右2編成)は昼間の運用に付いていなかったようで、全3編成が車両基地で昼寝をしておりました(笑)。こちらも新塗装化が進んでいるようです。

    

 この長閑なくぬぎ山車両基地に反して、近くに北総・成田スカイアクセス線の高架橋が見えてきますが、北初富駅で合流し(駅は新京成のみ)、暫く併走して、その先の新鎌ケ谷駅で乗り換えが出来ます。当駅は東武野田線〔鉄道さんぽ 26.(東武鉄道、野田線編)参照〕との乗り換え駅でもあります。

    

 新鎌ケ谷駅が開業したのは1991年と新しく、まずは北総線に駅が誕生、その後に新京成側にも駅が完成し、野田線に駅が出来たのは1999年の事でした。以前は北総鉄道北総線と新京成が乗り入れていた事もあり、その分岐駅が北初富駅だったわけですが、北総線が高砂駅まで延伸した際に新京成との乗り入れを辞め、高砂駅より先の京成線や都営浅草線との乗り入れを開始したのでした。そして新鎌ケ谷駅が誕生したのです。現在、北総線は成田スカイアクセス線としての機能も有しているので、それらも含めて一気に4路線が合流する駅ともなったわけですが、駅周辺の開発も、2000年頃から一気に進められた感じはあります。元々は畑や梨園が広がる土地に3つの線路が交差しているに過ぎない場所でしたが、開業当初とは大きく変貌を遂げた駅の1つでもありましょう。この付近は新京成路線の高架工事の真っ最中で、更なる変化が起きるかもしれませんね。

    

 新鎌ケ谷駅を出ると急カーブして進路を南に変え、初富駅に至ります。高架化工事はこの辺りまで行われるようです。この先は畑や果樹園等の田園風景と、幾つもの団地街が続け様に見えてきて、周辺には学校も多いのか、東葉高速鉄道との乗り換え駅である北習志野駅では学生も多い印象を受けます。一部区間に、直線距離が続く部分もあるも、やはり基本的にはカーブが多い区間が続きます。

    

 北習志野駅は習志野市ですが、この先船橋市に入り、習志野駅へと着きます。そして前原駅を過ぎると、ここでも大きくカーブして新津田沼駅へと入ります。繁華街の中の駅ですが、JRの津田沼駅とは400メートル程離れていて、ここは徒歩での連絡となります。…とは言え、乗り換え客は多く、それ故に繁華街も発展してきていると言えるのかもしれません。

    

 新津田沼駅を出ると、新京成で唯一の単線区間へと入ります。一瞬、複線が続くのかと思いますが、分岐器後の右の線路は留置線になります(右上写真参照)。この単線区間の為に、朝方のラッシュ時は新津田沼駅での折り返し列車が多数設定されています。この先は急カーブが続きますが、これは以前、新津田沼駅と京成津田沼駅への路線が2路線あったものを、それを急カーブでまとめて1路線にした名残でもあります。
 新津田沼駅を出ると、大きく逆S字を描きながら、JR総武本線を越え、そして京成本線へと合流し、終点の京成津田沼駅となります。新京成のホームは1面2線ですが、端の1線は車止めが設置されているものの、もう1線は京成千葉線の線路へと繋がっており、日中を中心に、2本に1本は京成千葉線の千葉中央駅まで片乗り入れが行われています。

    

 京成千葉線への乗り入れは、8000形とN800形が全車可能、8800形は一部編成のみ可能、8900形は全車乗り入れ不可と、少々複雑ですが、京成千葉線は6両編成の路線の為、以前8両編成だった8800形と8900形は物理的に対象外とされていたのでしょう。後に全車両が6両化されたのは前述しましたが、それでも尚、乗り入れ対応ではない車両が存在するのは面白いところです。

    

 さて、これにて新京成線の“さんぽ”は終了となります。地味ながらも、地元に根ざした活躍を昔から続けており、全体的に長閑な時間を体験させて頂きました。昔から利用していた路線ではありましたが、今回のように全線に亘って乗り降りを続けていった事は無く、新たな側面も垣間見えた1日でもありました。まだまだ全車が新コーポレートカラーになるのは時間が掛かりそうですが、今までの新京成電鉄と、これからの新京成電鉄が入り組む“現在”の新京成の姿をじっくりと体感する事が出来たのは良かったと思います。…そして、今後ともお世話になります!

 ☆新京成電鉄のHP…http://www.shinkeisei.co.jp

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 宮城県の仙台市と石巻市を結ぶ路線である、JR仙石線。前身は宮城電気鉄道という私鉄で、戦時買収によって1944年に国有化された路線です。東北地方を走る国鉄の電化は遅かったですが、この路線は前身から電気鉄道という直流電化で建設された鉄道だったので、仙石線は早くから電車運転がなされていた路線でもありました。その後、東北地方を走る国鉄も電化されていきますが、この時は交流電化で建設されていったので、仙石線は現在でも、JR東日本が保有する路線では東北地方で唯一、JRグループでは日本最北の直流電化路線となっています。故に、東北地方を走るJRの車両は仙石線を走れないので、首都圏で運行されていた電車を転配して昔から運転しています。
 ターミナル駅となる仙台駅も、以前から新幹線やJRの多路線の駅とは少し離れた位置にありましたが、2000年に仙台駅〜陸前原ノ町駅間が地下化され、少しは別会社感は薄れたように思うものの、両線の乗り換えにはやはり少々時間を要します。また、この時に仙台駅〜あおば通駅間が延伸開業され、仙石線はあおば通駅〜石巻駅を結ぶ路線となりました。また、支線として陸前山下駅〜石巻港駅を結ぶ貨物線がありますが、旅客輸送を行っていないので今回は取り上げません。
 さて、以前は国鉄の代表車両であった103系という車両ばかりだった仙石線も、現在はJR山手線等から転配してきた205系ばかりとなり、最近は首都圏で205系を見る機会が少なくなってきたので、遠く離れた仙台でこれらの車両を見る事が出来るのは親近感を覚える路線でもありました。しかし、2011年3月に起きた東北地方太平洋沖地震およびその津波の被害で全線が不通になってしまったのは記憶に新しい事でしょう。それは時が経ち、それぞれの区間で運転が再開されるも、高城町駅〜陸前小野駅間は最も津波被害の大きかったところで、2015年に入っても運転再開はされていませんでした。
 そしてこの不通区間の内、陸前大塚駅〜陸前小野駅間は山側に線路を新しく付け替えさせる案が立ち、これらの完成をみて、最近である2015年5月30日に、仙石線は約4年振りに全線で運行がなされたのでした。…同時に、JR東北線との接続線を通る仙石東北ラインも開業し、仙石線は新たなステージを迎えようとしています。この復旧は個人的にも嬉しく、全線が開業したら即“鉄道さんぽ”に組み込もうと思っていたのでした。
 …逆を言うと、全面復旧をする前には訪れる気持ちにはなれませんでした。自分はこの大地震の2ヶ月後に仙台を訪れていますが〔旅日記 38.仙台往復編(2011.5.16〜5.17)参照〕、この時は福島県に入った辺りからブルーシートを被せてある建物が多く目に入り、復旧の兆しこそあるものの、地震の爪痕は深いものがある事を感じさせ、正直、まだ自分が訪れるには早いと思ってしまったのです。既に“鉄道さんぽ”企画は始めていましたが、この企画に於いては、被災地に訪れる資格はまだ持ってない…という判断に至りました。
 そうした中で取り上げさせて頂いた今回の“鉄道さんぽ”JR仙石線編は、とても大きな意味を持つように思います。前述の、最後の最後まで不通区間になっていた陸前大塚駅〜陸前小野駅間の一部区間も歩きましたが、個人的に、今回の津波被害を受けた地域に、初めて足を運んだ事になりました。そこはニュースや新聞で何度も目にしている筈の場所なのですが、やはり実際に足を運ぶと、現実を肌で感じる事が出来ると言いますか、一言では言い表せないような世界がそこにはありました。津波によって何もかも無くなってしまった平地を見ると絶望と言えるのかもしれませんし、そこにお店ができ、人も徐々に集まってきている場所があるところを見ると希望と言えるのかもしれませんし…、何だかよく分かりません…。ただ、この地域に仙台市と石巻市を結ぶ仙石線が復旧したのは事実ですし、仙石東北ラインによって、仙台駅から40分程でこの地域に辿り着く事が出来るようになったのも事実なのです。ひとまず、仙石線の全線復旧により、今回の“鉄道さんぽ”が行える事に感謝です。どうぞ御覧下さいませ。



 ●日時…2015年8月2日
 ●距離…50,8km
 (あおば通駅〜石巻駅…49,0km、
  陸前山下駅〜石巻港駅…1,8km《旅客営業無し》)
 ●駅数…31駅《貨物駅を除く》

 仙石線の起点駅は長らく仙台駅でしたが、前述のように2000年に仙台駅〜陸前原ノ町駅が地下化された時に、仙台駅〜あおば通駅間の0,5kmが開通し、起点はあおば通駅となりました。なので、この鉄道さんぽもあおば通駅から始める事になりますが、仙台駅から500mしか離れていない事もあり、事実、あおば通駅からも仙台駅の駅舎を望めます(笑)。それでも延伸されたというのは、それまでの仙台駅の位置が他の路線と比べて離れた位置にあった事も大きいと思います。特に、仙石線の仙台駅が、JR東北本線の仙台駅に比べて東側に位置するのに対し、仙台市地下鉄の仙台駅は西側にあったので距離がありました。そこで仙石線をそのまま西側に延伸する事によって、地下鉄の仙台駅とは、あおば通駅での乗り換えが便利になるようにしたのです。現在の利用者数は1日約2万人。この数字は、JR東日本の東北地区の駅では、仙台駅に次いで2位の利用者数です。

    

 さて、あおば通駅から乗り、列車はすぐに仙台駅に到着。どちらも地下駅なので味気こそ無いですが、先に進む事にしましょう。2000年までは仙石線の仙台駅は地上にあったのですが、東北本線側の駅と比べると小ぢんまりとしていて、なるほど、元々は地元の私鉄だったのだかという雰囲気が満点でした。右下の写真で言うと、ちょうど写真の右真ん中辺りから、右側に伸びるようにホームがありました。今でも名残と言えば、他の路線との乗り換えに少し時間が掛かる事でしょうか(笑)。地下駅になったものの、まずはエスカレーター等で橋上のコンコースまで上がらないと、他の路線に乗り換える事は出来ません。

    

 仙台駅を出て、暫くは地下鉄のような雰囲気?で路線が展開されていきます。どの駅も似たような雰囲気になりそうな感じですが、途中の宮城野原駅では、東北楽天ゴールデンイーグルスの楽天 kobo スタジアム宮城の最寄り駅という事で、所々にチームカラーであったり、マスコットのクラッチやクラッチーなが描かれている等、個性が発揮されています。

    

 地下駅は次の陸前原ノ町駅までで、この駅からは路線が地上に出ていく様(左下写真参照)が見て取れます。地上に出た直前に潜る路線は、東北本線の貨物線(この路線は仙台駅を通らず、仙台駅の南北を短絡して結んでいます)です。そして地上に出ると高架になり、カーブ上に存在する苦竹駅(右下写真参照)となります。

    

 仙石線を走る車両は、後に紹介する仙石東北ラインのHBーE210系気動車を除き、首都圏でも見られる205系のみが走っています。全て4両編成で、基本のラインカラーはブルー2色となっていますが、何編成かはグリーンやレッド、パープル等が1両1両で変わっていくというカラフルなものとなっており、この編成の1両は 2way シート設置編成と呼ばれ、座席を回転させて、ロングシートにもクロスシートにも出来る仕様となっています。それらも含め、仙石線に投入されている205系はトイレが設置されたり、半自動ドア機構を備えている等の改造が施されている為、全てに3100番台の区分が与えられます。

    

 そろそろ田園風景が目立つ頃になると、小鶴新田駅となります。2004年の開業と比較的新しく、このおお陰でこのエリアにも住宅地が目立つようになってきました。当駅と次の福田町駅間に仙台車両センター宮城野派出所(車両基地)があり、ラッシュ時を中心に、入出庫を兼ねた小鶴新田駅始終着の列車が存在します。

    

 再度、昔から市街地が形成されていたエリアに入ると、多賀城駅となります。2009年頃から高架化が始まり、2013年に駅舎や周辺も含めて全高架化が完成しました。この完成予定も本来は2011年となっていましたが、地震の影響でずれ込んだそうです。写真を見ても分かるように、駅の入口は付近の多賀城の門をモチーフとしており、駅全体のデザインも、この地の歴史を感じられるようにとの配慮がなされているそうです。

    

 この先、本塩釜駅、東塩釜駅付近は、海沿いを走る高架線となる為に眺めの良い区間となりますが、すぐに市街地に入り、東塩釜駅から先は単線となります。あおば通駅から当駅まで、日中は約15分毎の運転となっていて、ラッシュ時はそれこそ4〜5分毎と、運転頻度の高い区間ともなっています。以前は快速の設定もありましたが、仙石東北ラインの開業により、この区間は普通列車のみの設定となりました。
 東塩釜駅以遠になると列車本数は半減し、約30分毎の運転となります。同時に、JR東北本線と暫く並走する区間が続きます。自分が初めて仙石線に乗った時(1995年頃)、都会でも無いのに、何で同じJR路線で、こんなに近くを走っているのだろう…と思ったものでしたが、前述のように、仙石線は元々が私鉄だった為、むしろ当時は競合していたのかもしれません…。確かに、この先は一大観光地である松島も控えているのです。

    

 そんな松島の最寄り駅は、仙石線だけに存在する松島海岸駅となります。近くに東北本線の線路もありますが、この辺りに駅はなく、ここから1kmほど先に行ったところに松島駅は存在していますが、観光地への足としては少々不便かもしれませんし、JRとしても、松島観光へは仙石線の松島海岸駅を促しています。この付近、東北本線と仙石線は並走はしているものの、乗り換え出来る駅は今まで無く、通しの乗車券も発行されていませんでした…。そこで開業したのが、松島海岸駅と次の高城町駅間で、両線の線路が一番近付くポイント(左下写真参照…真ん中が仙石線の線路で、奥が東北本線)に設けられた渡り線(右下写真参照…左から右に伸びているのが渡り線)を利用した、仙石東北ラインです。渡り線自体は以前から設けられていましたが、仙石東北ライン開業の為に改良して作られました。

    

 この路線の開業で仙台駅から東北本線経由でも高城町駅に直通する事ができ、当駅で乗り換えて仙石線の松島海岸駅に向かう事が出来るようになりました。この付近の東北本線が交流電化、仙石線は元々歴史上経緯から首都圏と同じ直流電化と、異なる電化方式を直通させるにはコストとの折り合いが付かないまま現在に至っていたのですが、ディーゼルハイブリッドという新技術が使われた新車が導入され、このハンデを乗り越える事が出来たのでした。
 仙石東北ラインの開業と、この先震災の為に不通になっていた区間の復旧は同日程で、この日から仙台駅と石巻駅を仙石東北ライン経由で結ぶ快速列車が運転されました。両駅間の所要時間は震災前より早く、1時間を切る列車ばかり(以前は63分が標準)になり、仙石線全線復旧のアピールポイントにもなった事と思います。その代わり、仙石線のみを走る快速列車は運転されなくなりましたが、以前はこの快速が通過する駅では、仙台駅近くの駅でも30分程運転間隔が空いてしまう駅も存在していた為、普通列車のみが等間隔で走る現在のダイヤの方が利用しやすくなったとも言えるのかもしれません。

    

 上の写真が、前述の渡り線付近の遠景です。左上写真は東北本線を走る貨物列車で、右上写真は正に仙石東北ラインの列車が渡り線を通っている時のものです。何となくのどかな風景ではありますが、この総事業費には約18億円を掛けており、JR東日本の東北エリアに於いて、この路線にかける期待の大きさが窺えるというものです。

    

 渡り線と合流すると、仙石線の撮影ポイントとしても有名な高木川の橋梁(左上写真参照)を通り、高城町駅となります。仙石線の列車の半分は当駅止まりとなりますが、それらの列車は当駅で仙石東北ラインからの列車に乗り換える事が出来るようなダイヤが組まれています。

 …さて、ここから陸前小野駅間の約10kmの区間は、震災の影響で最後まで不通になっていた区間で、途中には海岸の近くも走っていた事からその被害は大きく、本当に暫くは手付かずの状態でもありました。その中でも陸前大塚駅〜陸前小野駅間の約6,4kmについては、路線のルートを内陸側に約500mも移設する等、工事は非常に大掛かりなものとなりました。仙石東北ラインの開業は、それを後押しするものだったとも言えましょう…。改めて、東北地方太平洋沖地震の規模の大きさを実感させられるというものです。
 この区間で最初に気になったのは陸前大塚駅でした。この駅は海のすぐ脇にある…と言っても過言ではない駅で、ホームからもすぐ海を見渡す事が出来ました。大地震で津波発生と聞いた時には、この駅はどうなってしまうのだろう…とすぐに思ったのでした…。普通列車しか停車しない駅ではありますが、大変味のある駅であり、復旧して現在の姿がどうなったかも知りたかったのです。

    

 上写真が現在の陸前大塚駅です。ホームや周囲の施設こそ新しくなりましたが、人の背丈以上の堤防が無機質に築き上げられていました。左上の写真は、かなり背伸びをして撮影したものなので、堤防の向こうに海が僅かに見えていますが、本来、駅のホームからは海は全く見えない状態なのです。…これがやはり現実というものでしょう。津波による代償は、こういったところにも影響があるようです。
 また、右上写真を見て頂くと、これは陸前大塚駅から石巻駅方面を見たところですが、線路が新しい高架線に上がっていくのが分かります。今までの路線は海岸線に沿って、写真右にカーブしていく感じで線路は進んでいました。言わばここがルート変更の開始地点となっており、今までのルートとは全く異なる位置に線路は敷かれる事になったわけです。

    

 せっかくなので、旧ルートを辿っていきたいと思います。…とは言え、旧ルートは海岸線脇を通っていたのでそもそも辿れるわけではなく、並走する奥松島パークラインという道を地道に歩いていきます。この辺りは小高い山が海岸線に迫っているような地形となっており、仙石線はそこを海岸線近くで抜けるのに対し、道路は山の中腹を切り通して抜けていくルートを通っていました。そして山を抜けると野蒜地区へと入りますが、すぐにここが仙石線の中で被害が最も大きい所だと感じました。
 道路の周りや、道路から内陸側は住宅がまだあるのですが、その先の海側には建物が僅かしか建っていません…。いきなり広い平地に来たようで、どうも違和感が残る景色です。車はそれなりに通っていますが、歩いている人は少なく、やはり住んでいる人が減ってしまったからなのでしょう。当然、レストラン等の商店も殆ど無く、急に津波の爪痕を見せられた感覚になってしまいました。

    

 この先に、道路が仙石線をオーバークロスした右側に旧東名駅があったのですが、この付近の路線はカーブしていたのかな…と微かに分かるくらいで、駅やホームに関しては陰も形もありませんでした(左上写真参照)。そして更に歩いていくと、この地区の中心地だった旧野蒜駅へと到着します(右上写真参照)が、駅前には何も無い状態で、駅構内も寂しい状況としか言いようのない感じでした。

    

 旧野蒜駅のホームから内陸側を見ると、かなり遠くの高台に列車が走っているのが目に入っていきました。これが新しいルートの野蒜駅で、旧市街からも結構離れてしまいましたが、これからは新しい駅周辺の開発が進むのでしょうか…。旧野蒜駅の周りも、以前は建物も沢山あったような記憶がしたのですが、今では数えるぐらいしか建物が残っていません。…とは言え、旧野蒜駅舎は改修され、観光交流拠点「野蒜地域交流センター」として生まれ変わりました。1階部分がファミリーマート、2階部分は多目的スペースとして、人を集める場所として今後注目されていく事でしょう。建物内には震災直後の様子が写真で掲示されており、先程通った東名駅の当時の様子も、リアルに目にする事が出来ました(右下写真参照)。

    

 目を覆いたくなるような光景ばかりですが、ここから目を背けるわけにもいきません。現実に起きたこの光景を前に、自分達は今何をするべきなのか、大いに考えていきたいと思います…。そして、復興復興と言われていますが、いくらインフラが整ったところで、やはり人が集まってこないと、真の意味で復興とは言えなさそうな気がしました。その意味ではこの施設はとても大切な役割を持っていると言えましょう。今では静かなこの街が、またかつてのように東松島市の観光拠点になる事を願って止みません。

    

 旧野蒜駅を後にし、高台に造られた新野蒜駅まで向かいます。直線距離にすると約500mの移設らしいですが、道は結構な大回りをし、しかも上り坂が続いているので、旧野蒜駅から徒歩で30分以上は掛かる道のりで、着いた頃には流石にヘトヘトでした。新野蒜駅のホームからは、先程とは逆に旧野蒜駅を見渡す事が出来ましたが、これからこの駅が野蒜地区とどう関わっていけるのか、注目していきたいと思います。

 野蒜駅を出発すると左にカーブして、山を駆け下りていきつつも、そのまま新しく造られた高架橋へと入り、右側にはだだっ広い平野を眺めつつ、吉田川と鳴瀬川を真新しい橋梁で一気に駆け抜け、旧ルートに合流して(合流するポイント等は分かりませんでした…)陸前小野駅に到着します。ここから先は被害の少ないエリアに入る為、当駅から矢本駅までは2012年3月に、矢本駅から終点の石巻駅までは、2011年7月には営業運転が再開されていました。しかし、全面復旧するまでは架線の損傷や変電所が使えず、電車ではなく気動車での運行が行われたいたようです。

    

 矢本駅を過ぎると、石巻市への人の流れが大きくなってきます。以前は、矢本駅〜石巻駅間の区間運転列車も設定されていた程で、需要が増えてくる区間なのでしょう。何となく降りてみた蛇田駅付近は住宅地に囲まれていて、乗り降りする乗客も多めな感じでした。やはり鉄道は利用する人があって活性化が図られるのです。

    

 そして左からJR石巻線と合流し、終点の石巻駅となります。今回は途中に震災の爪痕が残る地域を通った事もあり、少々疲れてしまいましたが、最後に、この震災の余波を吹き飛ばす新型車両、仙石東北ライン用のディーゼルハイブリッド車両、
HBーE210系について解説をしておきましょう。ディーゼルハイブリッド車両は、以前、JR小海線でも説明をしましたが〔鉄道さんぽ 5.(JR小海線編)参照〕、駆動に蓄電池、加速時にディーゼルエンジンを使用するという、電車と気動車の利点を併せ持った革新的な車両です。以前はまだまだ試験的な意味合いが強く、車両数も限られていましたが、仙石東北ライン用に登場したHBーE210系は、言わばこれからの仙石線の牽引役の車両でもあり、堂々とメイン街道をいく車両でもあります。これは技術力の向上を意味しており、頻繁に使われる列車に使用しても大丈夫という目処が立ったからだとも思います。今後の活躍を期待したいところです。

    

 左上写真は、左から、電車、ハイブリッドディーゼル車、気動車…と、全て駆動システムが異なる車両が集結した石巻駅にてです。こうした側面から見ても、今こそ仙石線に注目の時期なのかもしれません。震災を乗り越えて、発展性のある方向に進み始めた仙石線…。路線名通りの、仙台と石巻を結ぶ…という性格は、“速達”という意味では仙石東北ラインに譲った感じもありますが、これからも多くの乗客を乗せて活躍をし続けるでしょう。全線復旧にあたり、今回、また始発から終点まで乗る機会に恵まれて本当に良かったです。

拍手[6回]



 今回の『鉄道さんぽ』ですが、新潟県や上越市等の出資による第3セクター方式の鉄道会社、えちごトキめき鉄道の、妙高はねうまラインを取り上げたいと思います。この会社名や路線名を聞いても恐らくピンと来ない方が殆どだと思いますが、これは2015年3月14日に北陸新幹線が開業したのを受け、それまでの並行在来線が経営分離され、えちごトキめき鉄道が発足…、新潟県下の路線を引き継ぐ事になったものです。そしてその中で、それまでのJR北陸本線区間(直江津駅〜市振駅)が日本海ひすいライン…、JR信越本線区間(直江津駅〜妙高高原駅)が妙高はねうまライン…と命名され、今回は後者の路線を取り上げさせて頂いたのでした。

    

 …とは言え、前述の北陸新幹線が開業して、まだ自分が未乗車であった事、そしてもう1つの路線である日本海ひすいラインも気にはなります(笑)。…という事で、今回の最初の目的地は起点である直江津駅だったのですが、まずは北陸新幹線(左上写真参照)で糸魚川駅まで行き、そこから日本海ひすいライン(右上写真参照)で直江津駅まで行くという経路を取らせて頂きました。現在の日本の最高峰の技術を惜しまなく導入した北陸新幹線然り、それまで電化されていた路線にも関わらず、途中に交直流のデッドセクションが存在する事から敢えてディーセル車を導入したという日本海ひすいライン然り、この地域の新たな鉄道路線の実情が見えてきた時間となりました。これらもいつか『鉄道さんぽ』で取り上げられる事を祈りつつ(笑)、今回は妙高はねうまラインが主役となります。
 前述の通り、これまでJRの幹線としての地位があった路線が第3セクターのローカル鉄道と化したわけですが、列車の運行を見ても変化は様々で、以前から継続されたもの、新しく取り入れられたもの、効率化を図って削減されたもの等、第3セクター化させた影響は結構大きいものであると言えましょう。
 全体的には線内のみの輸送に重きを置いている感じでしょうか。特に妙高高原駅側が顕著で、この駅から先は長野県のしなの鉄道が担当しているのですが、運用と車両の差異から、当駅を介して直通する列車は1本も設定されていません(その分、乗り換えはなるべくスムーズにさせています)。車両も、それまでの主力であったJRの115系(3両編成)から、JR東日本から譲り受けたET127系(2両編成)へと変わり、よりコンパクトになった感じを受けました。その中でも、線内からJR信越本線の長岡方面へと入り、新潟駅まで達する特急『しらゆき』号や快速の設定もあり、これは新潟県内の輸送に力を入れた感じでしょうか。今後の展開にも要注目だと思います。
 …前置きが長くなってしまいましたが、華やかな北陸新幹線開業の裏で、並行在来線がどのようの状況になっているのかは以前から単純に気になっていた事で、その思いが今回実現した運びとなった次第です。天気予報では降水確率100%という情報の中、雲を避けられたのか、時には雲の間から青空まで見える始末で、“さんぽ”日和と言えるまでの天候に恵まれました。新緑の中を駈ける新しい鉄道会社の今を、是非とも感じて頂ければと思います!


 ●日時…2015年6月28日 ●距離…37,7km ●駅数…10駅

 今回、乗車を始めた直江津駅を訪れたのは〔鉄道さんぽ 28.(北越急行、ほくほく線編)〕以来、約10ヶ月振りでした。この時はJR信越本線とJR北陸本線が主要の路線となる駅で、JR東日本とJR西日本の境界駅らしく、行き交う特急列車は全て停車し、乗務員の交代等が行われたものでしたが、現在は長岡駅方面以外はえちごトキめき鉄道の路線となり、JR信越本線の名は残るものの、駅自体もえちごトキめき鉄道管理下に置かれる事になりました。

    

 ここには北越急行の列車も乗り入れるので、“JR”という存在自体が更に薄くなってしまった印象でしたが、今回の妙高はねうまラインとの直通運転は何本か残っており、その中には前述の『しらゆき』号の存在もあるので、どこかに幹線駅という貫禄も見えてくるのかもしれません。前述のように妙高はねうまラインの普通列車の車両は、JR東日本から譲り受けたET127系を使用し(現在、えちごトキめき鉄道カラーと、JR時代のカラーの2種類が存在)、これらは2両編成の運転となっていますが、ラッシュ時を中心に4両〜6両編成を組み、多くの乗降客に対応させています。
 さて、それでは直江津駅を出発します。暫く元JR北陸本線だった日本海ひすいラインと並走しますが、向こうは真っすぐ路線が伸びていくのに対し、こちらは左にカーブして分かれます。今や1両編成のディーゼルカーが走る日本海ひすいラインが直線の複線で、こちらは特急列車やラッシュ時には6両編成も走る路線であるにも関わらず、曲線を描きつつ単線になります。こちらも元々JR信越本線という“本線”だったのですが、この路線の中では長野駅〜直江津駅間は重要性が低かったのも事実で、単線区間が多い区間となっていました。その影響で、妙高はねうまラインも全線に亘り単線の路線となっています。

    

 単線であるので、今やローカル線にしか見えない感じではありますが、かつてはこのルートを通って、上野駅〜直江津駅結ぶ特急『あさま』号や、上野駅〜金沢駅を結ぶ特急『白山』号等が運転されていたものでした。この時の特急列車は9両から11両編成に及び、幹線らしい風格を漂わせていたものでしょう。現在でも主要駅のホームはそれらの列車に対応していた長さのままなので、ここに2両編成の列車が到着している様は、鉄道の栄枯盛衰を思わせるようで、時代の流れを感じさせます…。

    

 上写真は、そんな主要駅の1つである高田駅です。特急『しらゆき』号(右上写真参照)も停車しますが、かつて走っていた特急列車のように長い編成ではなく、4両編成の列車となっています。だいぶコンパクトな編成ではありますが、妙高はねうまラインから新潟方面に向かう特急列車が残された(名称と車両は変わりました)のは喜ぶべき事でもありましょう。

    

 そして無人駅の南高田駅に着きます。上写真に写っているのは北越急行の車両になりますが、これは北陸新幹線の開通と同時に、妙高はねうまラインへの直通運転が1往復だけ開始されたもので、その内の越後湯沢駅発新井駅行きの列車は『超快速』と称し、越後湯沢駅〜直江津駅間の停車駅が十日町駅の1駅という、非常に意欲的な列車の設定がなされています。北陸新幹線開業に伴い、北越急行を走る特急『はくたか』は全て運行が終了し、北越急行は速達列車としての側面を失ってしまったかに見えたのですが、直江津駅は北陸新幹線が通らず、上越妙高駅から乗り換えて向かわなければならないので、北越急行経由の需要も残されているのではないかとの判断がなされたのでした。この『超快速』の設定により、東京〜直江津駅の所要時間は北陸新幹線の使用時よりも実は早く、しかも料金は1500円程安く済むのです。現在は1日1往復の設定ですが、軌道に乗れば本数も増えていくかもしれません。まだまだビジネス需要を諦めていないという北越急行も、応援していきたいところです。

    

 さて、この南高田駅を出発すると、前方には立派な高架橋と駅が見えてきますが、これが北陸新幹線の上越妙高駅で、このエリアである上越市一帯をカバーする駅となっています。JR信越本線時代は、この辺りは脇野田駅という小さな中間駅があったに過ぎない場所だったのですが、新幹線の駅が造られる事が決まってから、路線のルートも少々変更され、新幹線と一体になった駅へと生まれ変わりました。南高田駅を出ると、本来真っすぐに線路は進んで脇野田駅になったのですが、現在は右にカーブし(左上写真参照)、新幹線に回り込むような形で後に並行させ、上越妙高駅へと生まれ変わった駅に到着していきます。

     

 せっかくなので、旧線跡探しの“さんぽ”でもしてみましょう。流石に以前の線路は残っていなかったものの、路盤は未だハッキリと残っており(右上写真参照)、かつて通っていたルートは容易に想像出来る感じでした。これらもいずれは完全に撤去されてしまうのでしょうか…。

    

 遠くから見ると、田んぼの中に忽然と現れる駅…という感じですが、この上越妙高駅は流石に立派で、上越市の中心駅として設定されている意志が沸々と伝わってきました。中にはお土産屋や食堂等もあり、地元の食から新幹線グッズ等、観光要素もふんだんに盛り込まれている駅でもありました。これからどのように発展していくか、注目でもあると思います。

    

 妙高はねうまラインとしても、当駅は北陸新幹線と接続する重要な役割を持つ駅としており、なるべく新幹線に接続しやすいダイヤが組まれ、近隣の新井駅、高田駅、そして勿論直江津駅へのアクセスの負担を少なくさせています。

    

 そして、妙高市の中心である新井駅に着きます。特急『しらゆき』号の南端終着駅でもあり、当駅始発の新潟駅行き快速列車も2本運転されています。この駅までが、直江津駅から続いてきた上越市近郊エリアであるのと、ここからは山間部に突入する事もあり、この先は列車の本数も減り、終日1時間に1本程となってしまいます。
 新井駅を出ると早速上り坂となります(右上写真参照)。これは最終到達点の妙高高原駅まで続いていて、先程は山間部と言いましたが、どちらかというと高原部に向けて走っていく感じとでも言いましょうか。車窓右手に見えてくる妙高山の裾野を回るようにして徐々に上っていき、ここからの車窓は俄かに雄大になってきます。

    

 まだまだ坂を上ろうとしている途中に、次の二本木駅となりますが、本線上にホームは存在しなく、ここは全国でも珍しくなったスイッチバック式のスタイルを取っている駅でもあります。スイッチバック式というと、箱根登山鉄道〔鉄道さんぽ 9.(箱根登山鉄道、鉄道線編)参照〕を筆頭に、富士急行の富士山駅〔鉄道さんぽ 30.(富士急行、大月線編) 参照〕等が思い出されるかもしれませんが、この二本木駅のはそれとはまた異なります。
 この辺りの本線はずっと上り坂が続いていて、1911年の駅の開業時の列車はまだまだ非力な汽車ばかりで、勾配中に駅を設けるのは困難でした。そこで、本線から側線に分岐させて平地の部分に駅を造り、その際に進行方向が変わる(スイッチバック)作業が行われているという事です。進行方向が変わる…とは言え、運転士は反対側の先頭車まで移動せず、推進運転(後部車両が前部車両を押す方法で運転する事…つまり、バックをしているという事です)を行っているのでスイッチバック自体は非常にスムーズです。

    

 妙高高原駅から坂を下って来た列車を例に取ると、二本木駅(上写真ですと手前にあります)に到着後、進行方向を変えて推進運転で本線を横切り、横の側線へと向かっているところが左上写真です。前照灯が点いていますが、これは後方に進んでいる状態なのです。そして側線へと到着後、再度進行方向を変えて通常運転に戻り、本線に再進入しているという状態が右上写真という事です。写真ですと左に分岐しているように見えますが、この道筋が新井駅への本線となるわけです(手前の線路は二本木駅に続いています)。

    

 …と、言葉で書くと何やら複雑な運転方法を取っている感じがしてしまいますが、二本木駅に停車する列車は全てこの方式を取っています(現在は殆どの列車が停車しますが、逆に駅を通過する列車は二本木駅構内には入らない事になります)。現在の列車は勾配に強い電車での運転となっているので、正直スイッチバックである必要性は薄れていて、実際に次の関山駅はかつては二本木駅と同じようなスイッチバック式の駅だったのですが、1985年に本線上にホームが設けられ、スイッチバックが廃止された経緯を持っています。二本木駅が現在でもスイッチバック式の駅であるというのは、構内に工場への専用線があったからという理由がありますが、こちらも2007年で廃止されていました。それでは、いつかはスイッチバック式は廃止か…とも思われますが、えちこトキめき鉄道に生まれ変わり、この駅が1つの観光要素とも見て取れる感じがありますので、当分は安泰かとも思われます。スイッチバック式の駅だけに、駅のホームの先は行き止まりとなっていて、一瞬終着駅かと見間違うような雰囲気を持つ二本木駅。かつての運行形態に思いを馳せてのんびりと電車を待つのも心地良かったです。

    

 さて、二本木駅を出ても尚も上り坂は続き、車窓も高原風な景色が広がってきます。天気が良ければ進行方向右側に妙高山が臨め、雪消えの頃には路線の名称ともなっている“跳ね馬”の雪形が姿を現します。流石にこの日は妙高山は臨めないかと思っていましたが、頂上までは見えないものの、何と裾野の一部は確認出来るではありませんか!…しかも、よく考えたらこの日は降水確率100%と出ていたのです。勿論、写真を見てもお分かりのように、雨らしい状況が1枚も無い事にお気付きでしょうか。日頃の行いがここで発揮されたと信じています(笑)。

    

 そして関山駅となります。前述のように、以前はスイッチバック式の駅だったのですが、現在ではそれは廃止されて、勾配中の本線にホームが設けられています。左上写真は、関山駅側から二本木駅方面を見たところで、右に分岐していく線路が本線(後方が二本木方面)、左に分岐していく線路がかつてのスイッチバック式だった駅構内へ続いています。そちらは現在でもホーム跡が僅かながら残り(下写真参照)、保線車両等の入線に使用しています。

    

 現在の関山駅のホーム(下写真参照)に立つと、結構な勾配に位置しているという事が分かります。それは線路の間を流れる水路を見ても窺えます。また、狭いホームに対して、やたらと幅の広い架線柱が建っている事が気になりますが、恐らく上り坂側の引き上げ線がこの辺りに配置され、スイッチバック式だった頃は広めの駅構内になる配線だったのかもしれませんね。今やここを発着する電車は難無く通過していきますが、こちらもかつての時代に思いを馳せられる光景とも言えましょう。

    

 さて、列車は更に坂を上っていきますが、あともう少しで峠を越えそうなところで終点の妙高高原駅に着きます。今回、直江津駅から乗ってきたので終点と表記しましたが、この路線が元々はJR信越本線であり、高崎駅から長野駅や妙高高原駅を通り直江津駅に達するのが下り列車に設定されていたので、えちごトキめき鉄道的にも妙高高原駅は起点駅となります。つまり、直江津駅が終点駅です。
 この先、妙高高原駅から長野方面へはしなの鉄道の管轄になり、前述のように両社を直通運転される列車は1本も設定されていません。妙高高原駅ではしなの鉄道は2番線に発着し、えちごトキめき鉄道の列車は同じホーム上で乗り換えられる3番線に発着(左下写真参照…一部は写真右奥の1番線発着)、両社は一部時間帯を除き、概ね10分以内に接続しています。

    

 これでえちごトキめき鉄道、妙高はねうまラインの“鉄道さんぽ”は終了ですが、せっかくなので往年のJR信越本線を偲ぶ意味でも、このまましなの鉄道に乗って、長野方面へと向かってみましょう。しなの鉄道は長野県下を走る第3セクター鉄道ですが、車両は塗装こそ変わったものの国鉄時代の115系がまだ使われていて、まだまだ昔ながらの旅が楽しめそうです。
 国鉄、JRから第3セクター鉄道になり、ローカル鉄道は地域密着型としての側面をより大きく打ち出してきています。この事は勿論良い事ですが、往年の信越本線のように、群馬県の高崎駅から出発し、長野駅を通り、直江津駅を通り、そして新潟駅まで結んでいた(直江津駅〜新潟駅は現在もJR信越本線です)という、県を幾つも跨ぐ壮大な路線の存在を忘れてはいけないと思いました。…そして、結局は雨は殆ど降られなかった事に感謝です♪

 ☆えちごトキめき鉄道のHP…https://www.echigo-tokimeki.co.jp

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HN:
竹内大輔(Pf,Key)
性別:
男性
自己紹介:
1980年1月29日生まれ
の生粋のO型(…が、初対面
ではよくA型と見られる)。
3歳(自分では記憶に無い)
からクラシックピアノを始め、
高校ではジャズに目覚め、大学
ではバンドも経験する。現在の
活動は日本全国から海外に及び、
各地のライブハウスやラウンジ、
レストラン、そしてバー等での
演奏は勿論、各アーティストへの
レコーディングや、作曲・編曲
等にも積極的に取り組んでいる。
日本、世界中を飛び回りたい、
鉄道、旅客機、旅行、写真好き。

12月10日(月)
南青山 ZIMAGINE
Open…19:00~、
1st…19:30〜、
2nd…21:00〜、
Charge…3500円(ドリンク別)
Member…(Pf)竹内大輔、
(B)池田暢夫、
(Ds)佐々木俊之
(Sax)藤田淳之介

全曲オリジナル収録の最新作、
4th.CD アルバム『Voyaging』
発売中!(2015.4.15 Release)
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『ReInterpret the passage』
発売中!(2013.4.10 Release)
●詳しい曲解説はこちらへ!

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 From Spartacus”公開中!


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全7曲入り、トータル70分強の
意欲作、2nd.CD アルバム
『Fingers Dance』ライブ会場限定
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全曲オリジナルの 1st.CD アルバム 『Pictures』発売中!…在庫僅か!
(2008.10.17 Release)

   Pictures-photo

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初のカバーアルバム
『Hybrid ROOTS』に
収録されている、TRI4TH
自身によるセルフカバー
“FULL DRIVE”の MV 公開中


TVアニメ『博多豚骨ラーメンズ』
の ED を飾った TRI4TH 楽曲
“DIRTY BULLET”の MV 公開中


TRI4TH、6th CDアルバム
『4th Rebellion』の MV
“Rebellion”公開中


同“Guns of Saxophone”公開中


TRI4TH & カルメラ
スプリット・ミニ・アルバム
『HORNS RIOT』のタイトル曲
MV“HORNS RIOT”公開中


5th CDアルバム
『Defying』の MV
“Green Field”公開中


同“Sand Castle”公開中


ベストアルバム
『MEANING』の PV
“Dance 'em All”公開中


4th CDアルバム
『AWAKENING』の PV
“Bon Voyage”公開中


同 PV“Freeway”公開中


3rd CDアルバム
『Five Color Elements』の PV “Evervbody Knows That”公開中


2nd CDアルバム
『TRI4TH AHEAD』の PV
“TRY AHEAD”公開中


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“Introduction Pt.3”〜
“The Return Of Nautilus”公開中


Music Video
“YOISURA”公開中


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