●日時…2011年1月23日(日) ●場所…西国分寺 ●お店…たつみ
竹内(以下、緑で表示)「鰯の塩辛とかあるんだ。」
池田(以下、青で表示)「あ、ホントだ。流石、鰯の店だけありますね。」
「俺、なめろうが凄く好きでさ♪」
「へ~…、あ、でも美味そうだな。」
「さて、今回は…、1年振りなんですけど…。」
「そうですね。」
「今までの『奢らせて頂きます!』を全部見て貰えれば
分かるんだけど…。池田君のだけやたら…、誌面が少ないんですね。」
「誌面?」
「誌面…って言わないのかな(笑)。何て言うの?…量が少ないって言うか…。」
「あ~、はいはいはい。」
「最初だけあってね。」
「そうですね。」
「ちょっと不公平じゃないかって(笑)。」
「あははは(笑)。確かにねぇ…。奢られる額も…、やっぱりまだ…(笑)。」
「はは、ちょっとお試し的な…(笑)。探りながらの感じはあったでしょ。」
「手探り感はありましたよね。」
「…まあ、それはしょうがない(笑)。そう、それで、今は軌道にも乗ってきたので(笑)。」
「回ってきた感じ…ですよね(笑)。」
「そうそう(笑)。それで今までの総評とかも出来るかなって…、この1年の。
何だかんだで、池田君も含めて6人やってきましたから。」
「男女男女…交互でやってきましたからね。やっぱ反響はあるんですか?」
「…ありますね。あれ結構、見てる人いますね。」
「まあやっぱり、こう…、だんだんと読み応えがあると言うか…。」
「ヨナミネハウス行ったわけよ。阿嘉島の。」
「はいはいはい。」
「その話題になったもん(笑)。あれは見た!…って(笑)。」
「はははは!!…マスターが(笑)。」
「ほら、俺のブログって長いからさ…。最後まで
見れないらしくて(笑)。だけど…、あれは見た…って(笑)。」
「まあ確かに、会話なんで、読みやすいですよね。」
「そうですね、長くてもね。」
「なんか、説明的なものが少ないと言うか…、なんか朗らかな気持ちで見れますよね。」
「そうなんですよ(笑)。」
「あと、お店のバリエーションも…ありますしね。前のフレンチ、
イタリアンのラインはちょっと大きいんじゃないかと(笑)。」
「そうだよ、郷原君なんか、お店を予約したんだよ?…確か(笑)
〔竹内大輔の『奢らせて頂きます!』5.(郷原繁利編) 参照〕。」
「ははは、まあG原さん(池田君は、郷原君の事をこう呼びます…笑)は
予約しそうですよね。堅気の人だから(笑)。」
「あはは(笑)。」
「りこさん(桜井りこさん)も…、是非また呼んでくれって。熱望してましたよ。」
「ああ、そう!?…大反響じゃないですか(笑)。」
「ははは。まあ、あの人はただダラダラ飲みたいだけなんだろうけど…(笑)。」
「そう言えば最近、色々な人から『出させてくれ』とか言われるんだよな(笑)。」
「あはは(笑)。でも、トシさん(佐々木俊之さん)が、まだっていうね…。」
「あれは敢えてです(笑)。」
「ははは!…ジョーカーだ(笑)。」
「まだ…時期尚早じゃないかと…(笑)。」
「ちょっと俺は、サックスのかわ島さんとか興味ありますね。
あまり、語らなそうな気がするので…。どこまで掘り下げられるのか…。」
「成程…。それ言ったら、そろそろ和丸がタイム・リミットだからね(笑)。」
「はははは(笑)。あと数ヶ月で二十歳かぁ…。まあ、確かにありますね(笑)。」
「場所は、Crazy Love(経堂)…(笑)?」
「ははは~、Crazy Love か~(笑)。」
「あははは(笑)。」
「…まあ、女性がやっぱり鬼門ですよね。」
「まあ~…ね。サシで飲みに行ける相手…ですからね。限られますね。」
「限られますよね~。…あ、お婆ちゃんとやったら良いんじゃないんですか(笑)?」
「ははは(笑)。どうなのそれ!」
「自分は見たいですけどね。まあ、とりあえず
ミキヤと出来るようになるまでは…続けたいですよね(笑)。」
「…ですね(笑)。あと、4,5年(笑)?…長いな~(笑)。」
----西国分寺----
竹内「どうですか、西国分寺での生活は…、何か変わった事とか?」
池田「変わった事?」
「生活習慣とか…。でもたぶん、言われなきゃ分からないけどね。」
「何がですか?」
「いや…、だから家を出たって事…。いつだっけ?」
「10月ですね。…変わるって、なんか顔付きが凛々しくなったりするんですかね。」
「いや、何か生活感が凄く出るとかさ。ありそうじゃん…。
急に現実的になったり…、あ、元々現実的かもしれないけど(笑)。」
「まあ…、あまりにも近くに自由な人がいますからね。」
「確かにね。」
「でも、まあ自分自身の生活的には、実家にいるよりも何かこう…、
ひと山越えて、今は大分楽しめるようにはなってきましたけどね。
若干もう、何か色々考えても仕方無いのかな…って感じですね。」
「成程。」
「なんか実家で楽しもうってすると、楽しようとする方向になっちゃうじゃないですか。
でも今は家賃を払わなければいけないので(笑)、やる事をやりながら、その
やる事を自体を楽しむみたいな…。それが上手くいってる感じはしますけどね。」
「じゃあ、わりと良い方向で…。」
「そうですね…、ですけど、今度の竹内さんのトリオライブ用の曲が
まだ完成してないっていう…(笑)。今日も朝からやってたんですけど。」
「ふふ…(笑)。実は俺、前にトシさんに電話して、何となく聞いてみたんだよね…。
前にお願いした、それぞれのオリジナル曲って、どうなってますかね…みたいな。」
「はいはい。」
「…難航してる…と(笑)。」
「あははははは~(笑)!!…まあ、トシさんとこの前
一緒に仕事した時、その話題1回も出ませんでしたからね(笑)。」
「はっはっは(笑)。」
「今日なんか、朝7:30に起きてやってたんですから。」
「ホントに!?…曲って朝に書けるの?」
「そうです(笑)。」
「俺なんか、寝る前が一番浮かぶなあ…。まあ、起きると大抵忘れてるんだけど(笑)。」
「まあ、ここまで書けなかったら、逆に朝だ!…みたいな(笑)。
アイデアはあるんですけどね。それを、どう曲に落とし込むかみたいな。」
「そうなんだよね。それが難しい…。」
「しかも今回は、竹内さんとトシさん…って言う中に、自分のやりたい事を、
入れていって、それでどうやってバランスを取るか…みたいな感じですしね。」
「トシさんも似たような事を言ってたなぁ…。」
「でも、今回は自分の色を少し出そうかなとも思ってるんですよ。」
「あ~、いいね。そうなんですよ…。これからの自分のトリオは、
そういう方向性なんじゃないかと思ってるんですよ。」
「おお~!」
「もしかしたらブレブレな感じになるのかもしれないけどさ。」
「いや~…、それは無いんじゃないですか?」
「そうかなあ。…まあいずれにせよ、そういった方向は試してみたいんだよね。」
「まあたぶん今回は、今までの竹内大輔トリオには無かったような曲を…、
持っていきたいなと…。ぶつけてみたいなと…。思いますね。」
「は…はい(笑)。」
「昨年、俺1曲も書いてないんですよ。」
「あれ、そうだっけ?」
「アレンジはしてるんですけど…。まったく新しい曲…ってのは
書いてないんですよ。まあ、今年は曲も書いていきたいですね。」
----竹内大輔トリオ----
竹内「もう4年やってるんだよ?」
池田「竹内さんのトリオですか?…4年もやってるんですか?」
「だって、この間のライブ〔自分名義ライブ、祝30回目、4周年!参照〕
が4周年だったじゃん!…あれ、違うっけ(笑)?」
「4周年だったんすか?」
「覚えてないんかい(笑)!」
「4周年って事は、始めた頃は俺は24歳だったのか。…若いな。」
「まあ、最初の頃はそんなにライブをやってないしね。」
「へ~…。いやーー、長いなあ、それ。」
「MJQ(モダン・ジャズ・カルテット=ミルト・ジャクソン・カルテット)
目指してますから(笑)。」
「あはははは(笑)!!…TDT(竹内大輔トリオ)ですね、じゃあ(笑)。」
「何なに(苦笑)?」
「…いやいや(笑)。だけど24歳の時って、何を思ってたのかな…。」
「たぶん、24歳に成り立ての頃だよね。」
「あの頃の演奏なんて、怖くて聴けないですね。」
「一応、音源はあるけど(笑)。」
「ちょっと…泥酔してないと聴けないですね…。」
「まあ、俺はたまに聴いちゃうけど…(笑)。」
「…って事は、“Guernica”って、もう4年もやってるんですか?」
「確か一番最初のライブではまだやってなくて、
2回目からだけど…。まあ、大体4年ですね。」
「…で、ほぼ毎回欠かさずやってますもんね。」
「そうですね。」
「もう、“TDT”=“Guernica”的な感じですよね(笑)。」
「はははは(笑)。」
「でも、見てる人って、そう思ってるんですかね。」
「まあ、最近は母校の高校の教え子がカバーしてくれてるから…(笑)。」
「はははは(笑)!…コピーでは無く、カバーですか?」
「カバーです(笑)。まあ、随所に聞き覚えのあるフレーズは出てくるけど(笑)。」
「でも、“Guernica”をカバーするって辺りは、結構キてますよね。」
「最近は自分でもリアレンジしちゃったしね。これもまた
新しく作るCDに入れたいんだよなあ…。難しいけど(笑)。」
「CD作って、色々な場所に行きたいですよね。」
「そうだね。とりあえず北海道は行けそうだし…。」
「鹿児島ラインもありますから(笑)。」
「あはは(笑)。まあ、色々とラインは作っておきたい。」
「これは、曲が作れない…とか言ってる場合じゃないですね(笑)。」
「ははは。まあでも、ある意味で新しいCDに入れたい曲ってもう決めてるから、
今年の活動という単位で見れば、曲的には足りてるし、完結してるかもだけど。」
「いやいや、CDに入っている曲はやりません!…ってスタンスも大事ですよ。」
「成程ね…。まあ、流石にそれは東京で演奏する時だけかね(笑)。
地方でそのスタンスでやっていく自身は、自分にはまだ無いです(笑)。」
----そろそろ本題にいかないと----
竹内「では、今ままのは前置きとしまして…(笑)。」
池田「長かったですね…。」
「池田君の昨年の1年をちょっと振り返って貰いましょうか。」
「そうですね。2010年を…振り返ると…。」
「ええ、そうしてくれると…有難い。」
「まあ、やっぱり、一番大きかったのは引っ越し…ですよね。」
「やっぱそうなのかな。でも、それって10月の話しでしょ?
それまでの10ヶ月で、何か大きな事は無かったの?」
「でも、部屋を探し始めたのは8月なんで…。」
「そうか…。でも例えば5,6月頃は、まさか家を出るとは…って思ってたわけでしょ?」
「そうですね。若干、不動産ノイローゼにも掛かりつつ…(笑)。」
「初めから西国分寺…ってわけではなかった…?」
「そりゃー。出来れば中野で20万円で住みたかったですよ(笑)。」
「ははは(笑)。車的にも超便利。」
「まあ、それは無理として、今の場所で丁度良いのが見つかったので…。
やはり誰にも気兼ね無くベースが弾けるっていうのは…ありがたいですね。」
「弾く時間とか…増えた?」
「弾く時間は…いや、あまり変わってないんじゃないですか?
でも、集中して出来るってのは大きいと思いますよ。
メンタリティな部分でも変わったと思いますし。」
「そうだね。」
「ま、でも金が無いんで…(笑)。金が無い中でどこまで楽しめるかって感じですよ。」
「まあ…、お金は残念がら…、重要な要素ですよね(笑)。」
「そうですね。でも、実家を出て、考え方も少し変って…、今も
成程な…って感じなので。やはり出るのって良いなと思いますよ。」
「帰ったりする?」
「しょっちゅうですよ。自転車で移動してますし…。」
「寝泊まりとか…。」
「いや、それは無いですね。実家っていう扱いというか…、
ホント、一瞬帰って、…なんか、ペッ!…って(笑)。」
「何だそりゃ(笑)。まあ、そういうものですかね。
じゃあ、ここ1年の…音楽的な変化というか。」
「変化(笑)?…そうですね。」
「まあ、俺は先に言っておくけど、無いね!」
「は~は~は~は~は(笑)!…まあでもホント、楽しくやるしかないって言うか…。」
「あ、捉え方か…。向き合い方…かな?」
「でもこう…、家でじっくりと楽器を弾くとか、音楽をじっくり考えるとか、
そういう時間が実家に居た時よりも出来るというのは、大きいのかも…。
そもそも、昨年は自分がジャズの方向にシフトさせてた年でもあったので、
そういう場所に身を置く事によって、気付かせられる事は多かったですね。」
「だって、昨年何て言ったか覚えてる?…今年(2010年)はどういう年にするか…。」
「あ~…、何か言ってましたね…。」
「ピュアで有りたい…って(笑)。」
「あははは(笑)。」
「まあ、ピュア…だったと俺は思うけどね(笑)。色々な現場で一緒に
なったけど、事ある毎にそんな言葉を思い出したもの(笑)。」
「まあ、それまで外のバンドでやる事もあまり無かったですし…。」
「ま、池田バンドもやりましたね。」
「そうですね、結局1回(2回?)しか出来なかったですね。」
「デュオ…やっちゃったからな(笑)。」
「もう日本酒モードですよね(笑)。」
「こういう時は身に沁みますな。」
「でもまあ…、何かこう、自分がチャレンジしたい事を
曲にしてみたい…って事はありますね。メンバーだったり、
場所だったりとかではなくて、それこそ…、“ピュア”に…と。」
「なんかブログ用的な発言…(笑)。まあ、ピュアは大事ですよね。」
「あと、今まで何か、30歳…っていう年齢で、その…、お金が稼げる稼げない
…っていう事を色々考えたりしてたんですけど、またなんか…、別に音楽って、
辞めるものでもないし、続けるものでもないかな…みたいな。」
「うんうん。」
「別に、やりたい時にやれば良いし、やりたい事が無くなれば、別にやらなくても
良いのかな…って。まあ、形だけ、『やりたい!』…って人もいますけどね。」
「うん。…まあ、音楽に対する自分との距離感って、大切だったりするよね。
何だろう…、近過ぎても、自分を苦しめる事になるだけの場合も…ありそうだしね。」
「あ~…、そうですね。ありますね。」
「まあ…、どういう距離感が、その池田君の言う“ピュア”な(笑)スタンスに
なれるかって事なのかね。それが人それぞれ…って事だとも思うし。
まあ、俺も最近、その距離感がやっと掴めるようになってきたというか…。」
「おっ!…じゃあ、俺もあと2年ですね。」
「え~っと、三十路…(笑)。」
「あははは(笑)。」
「まあ、その歳がラインなのかどうかは分からないけどね(笑)。自分が40歳になって
今の30歳を振り返った時に、ああ、若かったな…って言ってそうだし(笑)。」
「でも、今までは30歳くらいを1つのターニング・ポイントに置いておいたんですけど、
最近は40歳とか、50歳の頃の自分はどうしてるんだとか、考えちゃいますね。」
「そうかー。まあ、40歳なんて、ホントにすぐだと思うよ(笑)。」
「いや、もうホントにすぐですよ!…とりあえず、自分は今年29歳になっちゃうんで、
たぶん30歳、30代をどう過ごすか…みたいに考える年になるかもしれないですね。」
「あー…、あと1年…、1年半…か。」
「そうですね。まあ、今年と言うか、来年も…っていう考えかもしれないですけど。」
「自分の方向性を探す…みたいな。」
「探す…って言うよりも、その土台を造るって感じですかね。もう自分の中には
30歳~40歳をどう過ごすかっていうプランがあるんで…。」
「へ~…、それは聞いても良いんですかね。」
「それはちょっと…駄目です(笑)。」
「え~~(笑)!?」
----まだまだ話しは…続く!?----
竹内「じゃあ、ちょっと時期的に質問になっちゃうけど、今後の展望を…(笑)。」
池田「やはり聞きますね。」
「しょうがないよね。」
「まあ、俺が質問する側だったら、絶対に聞いてますしね(笑)。」
「でしょ?…という事で、どうぞ!」
「まあ、でもやっぱり…、それこそ単純に、楽器弾いて、曲書いて、あと色々なんか
聴いたりして…。あとはホントなんか、自分がやりたいように演奏して、表現して
いくしか無いんだなあ…って改めてそう思いますよね。別に、売れようと思ったって
…売れないわけだし…。まあ、わけだし…って事もないかと思いますけど。」
「売れようと思ってやってた?」
「まあ、それが出来てたらやってますよねー(笑)。」
「ははは(笑)。」
「まあ、今までやってきた事とか、自分の性格も含めて…。元々器用に
やっていけるタイプではないので…、もう、それはそれとしてやっていくしか
ないですし…。勿論、音楽でやっていきたいという気持ちは変わりませんし…。」
「うん。」
「…もう、こうなってくると、自分がやろうと思えば
やれるし、辞めようと思えばいつだって辞められるんですよね。」
「音楽を?」
「音楽を。」
「まあ、辞めてから再開する人だっているしね。」
「沢山いますよ。その方が幸せなのかなっていう…。」
「まあ、ある意味で潔いしね。自分に正直になれるっていう…。」
「それね、りこさんも言ってたんですよ。」
「はあ…。それ…、書けねぇな。」
「書けないですね。やめましょう(笑)!」
「薄い(笑)。」
「薄い。はははは(笑)!…もう、辞められるもんなら、辞めたいわ!…って。」
「よく言うわ~。辞めてから言ってくれ!完璧に。
…辞めるって言うのはさ、連絡も取らなくて…って事だからね。」
「そうですよね。」
「今の世の中、連絡なんて、取ろうと思えば取れるからね。」
「自分だったら、楽器も売っちゃって…って事ですよね。」
「そうだね、覚悟が伝わってくるしね。」
「…かと言って、自分は音源制作や、どこかのハコバンでずっと
演奏していって…っていう感じではないんですよね。」
「池田君はあれですか。やはりプレイヤーの仕事ですか。」
「そうですね、ちゃんとしたライブで演奏していきたいですね。
だから、そういった意味では、今月なんかは衛生上良くないですね。」
「衛生上(笑)?」
「精神衛生上(笑)。あまりにも演奏機会が少なくて…。
やはり、週3か4は弾いてないと、衛生的に良くないなと。」
「成程…。池田君はあれですね、一度、週に6回くらい演奏の仕事が入って、
尚且つそれを1年ぐらい続けていく…っていう機会があったら良いかもね。
また何か、それを体験していく事で、考え方とか変わりそう…。」
「あー、そうですね。」
「週6だとリアリティが無いか…。まあ、普通の仕事と考え方を
同じにして、週5ぐらいで…。そういう状態になった時に、どうなるか…。」
「ええ、やっぱりこう…、自分のやりたい事を表現して、そして色々と批判される
ところまでいかないと、週5であれ週6であれ、仕事出来ないと思うんですよね。」
「う~む。」
「だから、結局は楽しくやっていくのが良いのかなと。勿論、お金的という最低限な
ものはありますけど、その中で自分がより良く…って事ですかね。変な話し、
60歳くらいになった時に、自分のオリジナルがどういうものか分かれば良いなと。」
「先を見据える感じですね。…まあ、流石に
来年の今月は、池田君の番じゃないと思うんで。」
「あらっ…。えええええっ!?」
「流石に…ねえ?」
「ちょっとこれ…、今年一番ショックですね。」
「ははは(笑)、まだ1月じゃんか!」
「2011年で、ショック・ランキング第1位ですよ。」
「何、毎年1月は池田君…みたいな?…他に出来る人が減っちゃうんじゃん!」
「俺からの…みたいな(笑)。」
「そしたら、1年間で男性は他に2人だけになっちゃうしさ…。
むしろ、足りてないのは女性の方なんですから!」
「そうですか。ま、じゃあ…、自分もこれで卒業って事で…。」
「そうですね、、、、ありがとうございました、、、(笑)。」
「はははは…、締まった!」
「締まった…みたいだね。何か早い気がするけど…、ま、いっか(笑)!」
「閉店ガラガラですね。」
☆本日の注文品
・サッポロ瓶ビール(500円×2点)…1000円
・鰯のなめろう(550円×2点)…1100円
・鰯の竜田揚げ…500円
・いか納豆…450円
・もずく酢…400円
・冷トマト…300円
・さんが焼き…600円
・つみれ鍋…1100円
・鰯の塩辛…500円
・焼きニンニク…400円
・景虎…600円
・からり芋(お湯割り)…500円
・八海山(清酒)…700円
・焼き鳥(塩1点…250円、たれ1点…250円)…500円
・お新香盛り合わせ…400円
・お通し(200円×2点)…400円
計9450円!…奢らせて頂きました!!
☆池田暢夫のHP…sites.google.com/site/nobuoikedawebsite/
…という事で、今回はある意味念願の旅行でもあったわけです。初日は名古屋地区では珍しい大雪で、東海道新幹線も大幅に遅れたスタートとなってしまいましたが、自分が向かう頃にはそれは解決し、概ね順調に旅行を続けられたのは幸いだったのかもしれません。2日目は、鳥羽から南紀白浜で鉄道移動と、ここの移動は合計5時間くらい掛かってしまいましたが、基本的にはゆっくりと、そして優雅な旅行で、お互いに思う存分楽しめた3日間でもありました。…今回は写真を中心に、簡単に振り返らせて下さい。
●全行程3日間を簡単に…
行きの東海道新幹線からは、綺麗に富士山が見えました。この後、大雪の名古屋を通るわけですが(雪自体は止んでいましたが、相当雪は積もってました)、ここからではまだ想像出来ない感じですね。目的地の鳥羽は雪は降っていなかったようで、雪景色を期待するも、そんな状態ではなかったのですが(笑)、とても寒い気温が自分を待ち構えていたのは事実でした…。
伊勢海老を頂きつつ、伊勢湾を眺められる部屋で一休み…。
鳥羽からは、近鉄特急、JR東海“南紀”号、JR西日本“くろしお”号で、列車で5時間の移動をして南紀白浜へ…。途中の新宮だけ、やけに暖かった事が印象的です。
どちらも白浜の観光ポイントです。千畳敷(左上写真)と、三段壁(右上写真)。
これは、アロエの花です。ここまで一面に咲いたものを目にしたのは初めてでした。
円月島を見ながら、また伊勢海老を♪…ここのは本当に美味しかった…。
帰りは飛行機で、羽田空港まで約1時間の旅…。鳥羽から5時間もかけて来た事を考えると、何とも呆気無い帰路…(笑)。いや、飛行機が偉大だという事ですね。
帰りも富士山が望めました♪…概ね良い天気に恵まれて良かったです!…そんな感じで、祖母ももう82歳ではありますが、まだまだ元気にやっていってほしいですね。そして、また一緒に旅行でも行けたらと思います!
少し前の話しになってしまいますが、昨年の11月27日に行われた自分名義のピアノトリオのライブ〔自分名義ライブ、祝30回目、4周年!参照〕で、お客さんでビデオカメラを回して下さっていた方がいまして、この度 YouTube に載せたいという運びになりましたので、ここでも紹介させて頂きたいと思います。見て分かるように、ジャンベのミキヤと共に演奏した時のもので、この日のライブの最後に取り上げた、チック・コリアの名曲“Spain”です。
※この先、普通の携帯電話で YouTube をご覧になる方は、
パケット定額制を申し込んでないと、ダウンロード時に相当な
金額の通信料が掛かる恐れがありますので、何卒御注意下さい!
演奏時間が長いので(笑)、2つに分けてあります。以下、後半です。ちなみに、後半の動画は4:09あたりが、前半との丁度良い分割部分となっています。
いや~、パワフルにやってますね(笑)。この他にも関連動画でピアノトリオの演奏は勿論、自分が他で演奏しているものが幾つかアップされていますので、色々探してみて下さい。それにしても、不思議な時代になったものですね…。
今年は早速、1月の始めからツアーを行ってきました。場所は沖縄で、お相手はフルート奏者の西仲美咲さんです。昨年にも似たようなツアーを行ったのは記憶に新しいですが〔西仲美咲、沖縄ツアー(2010.2.24~2.28) 参照〕、今回は決定的に大きな違いが2つあります。1つは、メンバーが西仲さんと自分の2人編成でのツアーだったという事と、もう1つは、今回のツアー中に現地でレコーディングを行った…という事です。詳しくは徐々に触れていきますが、新たな試みと言う意味では、非常に大きなものを持つツアーになったと思いました。5日間という行程の中で、レコーディング1日、ライブ2日と、結構詰めた感じにはなりましたが、色々なものを経験し、そして残せたツアーでした。順に振り返っていきたいと思います。
1月11日(1日目)
ツアー1日目、西仲さんとの待ち合わせですが、実は現地の沖縄那覇空港にて…となっていました。西仲さんは自分より3時間程早い便で先に沖縄入りしており、何か用事を済ませてから来るとの事…。つまり自分は、東京の羽田空港から飛行機に乗って沖縄入りするまで、ずっと単独行動だったわけで、お陰で羽田空港では、完全に飛行機撮影を楽しんでいる人になってしまいました(笑)。今回自分が利用した航空会社は、お馴染みスカイマークでしたが、以前より明らかに規模が大きくなっているのを感じました。便数は実際に増加の傾向にあるのですが、それよりも使用搭乗ゲートの数が多くなっていた事に驚かされたのです。
自分の以前の記憶ですと、スカイマークが使えていた搭乗ゲートの数はせいぜい2つ程度で、後は駐機場までバスで移動となる事も結構多かったのです。しかし、今回目にしたのは、ざっと4つは使っているという状態で、1度に4機以上のスカイマークの機体が目に入るという構図は壮観であり、新鮮でもありました。これらの搭乗ゲートを今まで使っていたのは、紛れもなく日本航空(JAL)で、現在路線縮小傾向にもある状態なので、逆にスカイマークが使えるようになってきているのかもしれません。
とにかく、自分が乗った那覇行きの便は満席でした。1月半ばの平日…という条件にしては素晴らしい成績でしょう。ただ、自分を含めた乗客というのは我儘なもので、お陰で混雑した機内で過ごさなければならない…という憂鬱さが出てくるものなのです(笑)。自分も、本来ならば窓側の席をゲットしたかったのですが、出発1時間半前に空港に行っても、それは叶いませんでした(スカイマークは、事前座席指定が出来ないのです…つまり、当日のチェックインの早い順で選べるのです)。しかも、冬の沖縄行きの便というのは、季節風(向かい風)の影響を受け、そのフライトは3時間を超える事もしばしばです(実際この日は特に風が強い日で、3時間半くらい掛かりました)。仕方無く?自分は有料のビールを頼み、機内を殆ど寝て過ごすというやり方で乗り切りました…。飛行機は16:05発で、那覇空港に着いたのは結局19:30くらいになっていましたから、フライトの後半は暗くなっていたのでこれで良しとも言えそうですが、やはり外は見たかったというのが正直な思いでした。
西仲さんとは、無事那覇空港で落ち合えました。30分以上も遅れてしまったので、何だか悪いなとも思っていたのですが、西仲さんが乗ってきた便も、やはりそれくらい遅れていたのだそうで、何となく自分が遅れるのは想像がついたそうです(笑)。このまま、西仲さんの知り合いという、現地のデザイナーの方に連れられ、1軒のお店へと一緒に案内されました。
そこは“ふくむら”というお店で、特に建物の外には看板等は出ていません。昼間は刺身屋らしいのですが、夜な夜な魚料理を提供するというお店に変わっていくのです。店内は15人くらいしか入れないような感じでしょうか。カウンターの中には、いかにも大将という感じの人が丁度魚を捌いており、黙々と料理を作り続けています。
ここは基本的に一見さんは入れず、今回のように、そのデザイナーの方に連れて行って貰ったこそ入れたというものでした(つまり、その方は常連さんなのです…)。ビールの自動販売機が店内に設置されているのが驚きましたが、要するにお酒の持ち込みが自由なんだそうで(氷や、割る物は用意してくれます)、ここでは本当に食べ物しか提供しないのです。そして値段設定も簡単で、1人1000円!…との事でした。何とも単純な設定ですが、特にメニューがあるわけでもなく、席に座ると大将がお任せで作ってくれるのです。その1つが左下写真のものですが、何とも豪快な量で…(笑)。この後、これと同等の量の天ぷら、マース煮(全て魚料理)等が出てきて、一気にお腹が一杯になってしまいました。
何てインパクトのあるお店なのでしょう。最寄りの沖縄モノレールの駅的には旭橋駅という、わりと中心に近い所に位置するお店なのですが、まだまだこんなお店があるのですね…。出された料理をカメラで撮ってると、「早く食べれ!」という大将の厳しい声?が飛んできたものでしたが(笑)、色々話していくと、とてもお茶目な方だと分かりました(笑)。音楽目的で沖縄に来ているという事も話し、色々アドバイスを貰ったり、「また来てくれ」とも言われたりして、何だか楽しかったですね。最後まで色々な料理が出てきたのも嬉しかったです。
沖縄らしい…と言って良いのかどうかは難しい部分ですが(笑)、この時に出してくれた料理通り、豪快な大将と共に飲み食い出来るお店です。早速良い1日目を過ごせました♪…次の日はいよいよ、阿嘉島に入ってレコーディングをしてきます!
1月12日(2日目)
前日は飲み過ぎてしまった感がありましたが、この日は朝8:00に起床。9:00発の阿嘉島行きのフェリーに乗る為に、なるべく身体を万全の状態にしておきます。こんな時にはウコン茶の沖縄バージョン、“うっちん茶”を飲むに限りますが、この後のフェリーに自分は大打撃をくらう事になります…。
阿嘉島に向かう船は2種類あって、それは高速船と大型船です。今の時期はオフ・シーズンでもありますので、1日に前者は2便、後者は1便のみの設定となっているのですが、便によっては座間味島を経由して向かうので、今回自分が乗る高速船でも、70分という所要時間が掛かる事が分かっていました。
大型船ですと便数も限られる上、阿嘉島へ直行でも1時間半は掛かる為、今回は当然のように高速船が選ばれたようですが、船に乗る直前、「船酔いとか平気?」という質問に、もっと真面目に考えるべきでした…。高速船は、当たり前かのように結構なスピードを出し始め、この日はそんなに良い天気でもなかったので、船内が揺れる事揺れる事…。この高速船は、波が4m以上ある日は欠航になるらしいのですが、今朝のニュースでは、確か波の高さは3mと言っていたような…。要するに、ギリギリの出航だったのかもしれません。最初は面白かった揺れも、20分後には相当気分が悪くなってきてしまったのです。
この日、沖縄本島から新聞社の方が同行してきていて、今日1日レコーディング等の取材を行う為に、自分の前の席で西仲さんと打ち合わせをしていたようなのですが…、何故この揺れの中で普通に会話が出来るのか、自分は不思議でなりませんでした。それはやがて、前の席を気にする余裕さえも無くなってくるのです…。
気分転換の為に外を見ようとしても、雨が降ってきているようで、窓ガラスに水滴が滴ってしまい、満足に眺められず、甲板に出ようなんて、もっての他です…。とにかく阿嘉島に着くまでの残り約50分、自分は心を無にして船内を過ごしたのです…。
そうして座間味島に寄り、定刻の10:10に阿嘉島に到着しました。もう身体は限界に達していたと思いますが、自分達を迎えに来て頂いた方々もいる為、へこたれるわけにもいきません…。しかし、この後すぐ学校に寄って…、という申し出は無理だと判断し、今日から2泊程お世話になる、ドラムの和丸君の実家(ここが民宿にもなっているのです!)へと車で移動させて貰いました。この間、西仲さんは学校に行って、この日の打ち合わせを行っていたと思いますが、同じ頃に自分は、自分の身体との打ち合わせを入念に行っていたわけなのです(笑)。
さて、それから2時間ぐらい経った頃でしょうか。いよいよレコーディングの為に、改めて、西仲さんと阿嘉幼・小・中学校(全てを兼ねているわけです…)に向かう事になりました。実はレコーディングの前に、生徒達や先生方と給食を共にするという時間が設けられてあり、それは新聞社の方々も参加していたのですが、そもそもこの学校では、校長先生も含めた全先生方と、小・中学生の生徒全員で、毎日給食を一緒に食べているのだそうで、今回自分達は、その給食に参加させて貰った…という形になったわけです。…とは言え、生徒数が24名(他に、幼稚園児が4名)、先生が約10名くらいですから、東京で言えば学校の1クラスにも満たないくらいの人数です。しかし、歳の差がかなり離れたこの食事会…、なかなか良いものだと思いましたね。敢えて学年をバラバラに配置させている部分も特筆出来るのかもしれません。自分達の自己紹介も行いまして、早速自分は、こちらに向かう船で酔った事を明かし(笑)、いざレコーディングへと臨んでいきました。
今回レコーディングする場所は、学校の音楽室。普通に考えれば、ここしか場所的には有り得ないとは思いますが、それでも音の反響等を極力抑える為に、窓にはカーテンを掛けたり(この為に、別の場所から持ってきたのです)、棚にもカバーを掛けたりと、より良い音で録音出来るように色々と手を施させます。今回のエンジニアさんは、本島から機材持ち込みで2人で駆けつけて頂いて、楽器にも複数録り、生徒達の前には5,6本立てて貰う等、その細かい調整に子供達も興味津々な感じでした。
さて、音楽室の前方の壁には、3番まである長い歌詞用紙が貼り付けられていました。これこそが、今回録音する西仲さんのオリジナル曲“Aka Is. Funky”の歌詞で、子供達に歌詞のベースとなる言葉を書いて貰って、それを先生が曲に載せられるように振り分けたらしいのです。そして自分達の演奏をバックに、子供達にこの歌を歌って貰う…というのが今回最大のレコーディングの内の1つで、西仲さんの前々からの願望でもあったのです。
自分も歌詞が付けられた事は知っていましたが、こうして実際に生で聴くのは勿論初めてで、まずは練習とばかりに子供達に歌って貰ったのですが、これがなかなかの出来です…。この日の為に、よほど子供達は練習したのだと思われます。
そして、いざ本番へと移ります。こちらの演奏をバックに、子供達にはいつもの感じで歌って貰うべく、気軽な雰囲気を心掛けたものでした。しかし、どちらかと言うと緊張していたのは自分達の方だったのかもしれません。何となく演奏に固い感じが出てしまっていて、それが全体の雰囲気にも反映されていたような感じがありました。
自分達が作ってしまった雰囲気で、子供達まで緊張の空気にさせてしまっては申し訳なさ過ぎます…。逆に言えば、それくらい子供達の歌い方は安定していたのです…。録音は恐らく全部で4テイク行ったと思いますが、後半の方は自分達も力が抜けてきて、子供達とのバランスも良い感じで演奏出来たのではないかと思いました。レコーディングした音を改めて聴いてみるという時間は、子供達にとっても新鮮だったと思いますが、真剣に自分達の歌を聴いているという様子もまた、とても真っ直ぐな印象を受け、それはこの学校の原動力そのものだとも思ったりしましたね。この学校にしかない、“子供達らしさ”が光る音源が完成出来ればと思います!
レコーディングを無事終え、子供達や先生に見送られながら、今回の宿屋へと向かいます…。改めて説明すると、ここはドラマーの和丸君の実家でもあり、ダイビング・ショップでもあり、そして川井ダイビングという宿泊施設でもあるのです。今の時期はオフ・シーズンなので、基本的には営業をしていないのだそうですが、今回、自分達の為に部屋を開けて頂きました。本当に有り難い話しです…。建物は海のすぐ脇に位置し、店内は常にアメリカの音楽有線放送(米軍等に聴かれているのでしょうね)が流れています。日本風というよりは、ややアメリカ風で、それが沖縄の空気と相まって、独自の雰囲気を作り出しているようにも思いました。成程、和丸君はこういった環境で育ったわけですね。改めて彼のルーツが少し分かったような気もしました。
…と、川井ダイビングのママ(つまり、和丸君の母親ですね)が、犬を連れて散歩に行くというので、自分達も気分転換に少し島内を歩いてみる事にしました。また、この次の日に行う Bar ヨナミネハウスの下見にも行ったりして、沖縄風の瓦屋根が印象的な建物を拝見する事が出来ました。お店の入口には、いつ作られたのか、自分達のライブのポスターが貼ってあり(西仲さん自身も、この時初めて見たようです…)、改めて自分達が歓迎されている事を確認…、次の日のライブにも気合が入るというものでした。
この日、川井ダイビングには例のエンジニアの方2人も泊まる事になっていて、自分達と4人で夕食を頂き、それは音楽談議に花が咲いたものでした。実は、この2人はまだ仕事が残っていまして、それは西仲さんの希望で、阿嘉島の海の波の音を録ってほしいというものでした。今回録音した“Aka Is. Funky”と共に、CDに収録したいのだそうです。ただ、特徴的な波の音を録るというのは意外にも難しく、他の音が全くしない深夜(昼間だと、米軍の飛行機が飛んでたりするので)且つ、大きな波の音が期待出来る満潮時が良い…という事で、これは実際に録ってみないと分からないので、次の日に本島に帰るまで、何度も何度も挑戦するしかないのだそうです。拘りの音を実現させる為のプロフェッショナルな部分と、その上での、音を録る事の楽しさが伝わってきた時間でもありました。
この後エンジニアのお2人に連れられて、実際に海の波の音を録音している現場(…とは言えこの川井ダイビングのすぐ裏の場所です)も見させて頂きました。マイクを通してヘッドホンで聴く波の音は新鮮で、例えば、波にさらわれる砂の音などが1つ1つ手に取って分かるような…そんな感じでした。
このまま見ていても良い感じでしたが、自分は今朝の乗り物酔いと、昨夜の飲み物酔い(笑)の合わせ技で、体調的に万全とは言い難かったので、次の日のライブの為にも、この日は早めに寝る事にしました。それは時間にして21:00頃…(笑)。しかし、明かりも少ない阿嘉島では、それでも深夜のような雰囲気で眠りにつく事が出来たと思います。
1月13日(3日目)
この日は気持ちの良い目覚めでした。たっぷりと睡眠をとる事ができ、気分的にもスッキリとしています。また、空はまだ雲で覆われていたものの、眩しい朝陽が差し込んでいて、すぐにでも晴れそうな雰囲気でした。朝御飯の為にロビーに移動してきて、エンジニアの方とお会いしましたが、なんと昨夜は、ぶっ続けで波の録音を行っていたそうです。実は一時的に、西仲さんとヨナミネハウスに飲みに行っていたらしいですが(笑)、かなり遅くまで居たらしい西仲さんを置いて(笑)、夜中3時頃に録りに行ったり、そのまた2時間後ぐらいに録りに行ったり…と、何度も録る事で、より良い状況で録れるのではないかという思いから、結局一晩経っていたという事でした。しかも、お2人は今日の昼過ぎの船便で本島に戻るのですが、それまでにまた何度かトライしてみるのだとか…。凄いなと思いつつ、きっと良い作品が出来るのだろうと、改めて思った次第でもありました。
この朝御飯の時間でしたが、どうも西仲さんが起きてきません…。用意された朝御飯だけが、空しく食卓の上に残っている感じでしたが、1時間経っても来る様子が無かったので、相当昨日は飲んでお疲れだったのでしょう(笑)。まあ、この日の予定は夜にライブがあるだけなので、今の内に思い切り休んでおくのもまた一興です。
しかし、自分はと言うと、せっかく初めての阿嘉島に来て、このまま部屋でじっとしているわけにはいきません。折りしも天気は晴れだしてきていて、絶好の探索日和ではないでしょうか。少しばかり部屋で休みつつ、10:00頃には既に外に飛び出していました。まず向かうは阿嘉大橋(右上写真の左奥参照)です。
阿嘉大橋は、この阿嘉島と、隣りの慶留間島を結ぶ道路橋であると共に、阿嘉島の集落が見渡せるポイントでもあります。少し風が強かったですが、前日の学校を含め、街全体が一望出来ました。勿論、そんなに広くないので見渡せてしまうわけですが、この海の青さはどうでしょう。そして例の街並みは、その海の綺麗さに負けずとも劣らないくらいなんです。
この橋からは、昨日自分達が船から降りてきた阿嘉港も見下ろせるのですが、ちょうど大型船が座間味島に向けて出発している時でした。この時間には普段は運航が無い筈なので、臨時便でしょうか。どっしりとしたその動きは、島と島を結ぶ大切な足の手段として、確かな安心さが感じられものでした。
さて、何だか楽しくなってきてしまったので(笑)、もうこの際、道で繋がっている所は全て行ってしまおうと思いました。…この阿嘉島と、阿嘉大橋で結ばれている慶留間島、そしてもう1つ先の島である外地島(ふかじしま)までが道路で繋がっており、船を使わずに向かう事が可能です。車を借りる…までもないでしょう、自転車で十分です!…と、自分はどこかのショップに出向き、自転車を借りて島内散策を始めたのでした。
ここから先は、言葉数は少なくても大丈夫でしょう。もう、写真の見たままの世界です。自分は自転車は3時間借りていましたが、時間をほぼ使い切り、島々を南から北まで、とにかく走り切ったものでした。
まずは、慶留間島を超えて外地島へ…。この島の丘の上には慶良間空港という空港があるのですが(…と言うか、この空港しか目立った施設は無い島です)、現在定期便の乗り入れは無く、空港ターミナルだけがドン!…とある感じです。中は勿論ガランとしていましたが、一応、従業員の方はいるっぽい感じでした。この近くの展望台からの眺めがまた最高でしたね。
さて、慶留間島に戻ってきてみます。ここは集落もあるのですが、その規模は阿嘉島のものと比べても少なく、人口は約80人とか(阿嘉島は約340人)。島全体が断崖絶壁で覆われているので、道も、集落以外は阿嘉島とを結ぶ1本しかありません。それでも集落内には学校っぽい施設(結構立派!)があったりと、長閑ながらも、島として主張している部分が感じられたのが良かったです。
ここから阿嘉島に戻る道からは、阿嘉島の北東側に位置する座間味村がよく見えるのですが、ちょうど那覇を出航して、座間味経由で阿嘉島に向かうフェリーを見る事が出来ました。そして自分が阿嘉島に向かう頃には、阿嘉島の乗客を拾って、再度那覇港へ…と、その船をよく見てみると、エンジニアのお2人が乗っているではないですか!…向こうが気付いていたどうかは分かりませんが、とりあえず、お疲れ様でした(笑)。
再度、阿嘉大橋を渡り、そのまま阿嘉島の集落を横に見つつ、今度は島の北側へと向かっていきます。丘を越えていく感じで、自転車にとっては厳しい道中ですが、何だか楽しくも感じた行動ではありました。
そして、色々な方に勧められてやってきた場所がここです。北浜(ニシハマ・ビーチ)という所で、この海の透明度は何なのでしょう!…これでも、一時期に比べると珊瑚が死んだり、魚が少なくなったりしてる…と言うのですが、俄かには信じられません。この阿嘉島は観光が資源だとは思いますが、この海を守っていくのもまた使命だと、少し複雑な心境にも駆られました…。ただ、沖縄の海で、ここまで綺麗なものは今までに見た事が無かったかもしれません。
そろそろ自転車を返さなければいけなくなったので、阿嘉島の集落地へと戻りましたが、このまま少し街中を散歩していると、ふと「大ちゃん」と声を掛けられました。誰かと思えば、今日の演奏場所であるヨナミネハウスのマスターではありませんか。子供を連れて、買い物に来ていたようです。そして、そのマスターの乗っていた車には、例のライブのポスターが貼られていて(左下写真参照…笑)、何とも心憎い演出だと思いましたね。
では、今夜に…と挨拶を済まし、また暫く自分は街中を散歩してみました。日差しが西日っぽくなってきて、何とも情景的でもありますが、白が基調のこういった街だからこそ、日差しが映えて見えるのかもしれません。昔から、太陽と共にあった街…というのが、どこか伝わってくるかのようですね。
…ここまで来て自分は、川井ダイビングのすぐ近くに、展望台がある事を思い出しいました。昨日は天気が良くなくて断念していたのですが(疲れていたせいもありますが…)、この日は素晴らしいタイミングになるのではないでしょうか。
やはり、ベストの眺めでした!…左上と右上の写真を横に並べて、ワイド画面的に表現してみました。今まで過ごした阿嘉島から、阿嘉大橋と共に慶留間島の全景も望む事が出来ます。面白い事に、ここで暫く過ごしていたら、後から西仲さんもやってきまして…(笑)、要するにこの日初めて会ったのですが、やはりこの場所は外せないようですね。また暫くして、西仲さんはどこかに行ってしまいましたが、自分は更に粘り、下のような夕陽を独り占めする事が出来ました(この時、西仲さんは近くのビーチで、同じく夕陽を独り占めしていたそうです)!
なんとも良い景色に恵まれた1日でしたが、勿論、この日はこのまま終わりでなくて(笑)、Bar ヨナミネハウスでのライブが待っています!…とは言え演奏開始時間は相当に遅いもので、21:00ぐらいを予定しているとの事でした。お店は普通にバーなので、リハーサルをガッツリとやるわけにもいかず、西仲さんとお店に向かったのは、川井ダイビングにて夕食を済ませ、更に一休みしてからでした…。時間にして20:45ぐらいだったでしょうか…。本当に演奏開始の直前だったのです。
ヨナミネハウスは、昼間見た時とは、またグッと大人びた雰囲気を醸し出しており、バー…と一括りに綴るのは勿体無いような気がしました。洒落た外観ですが、店内に入ると今度は庶民的な装いで迎えてくれて、なかなか魅力的なお店でもあります。そんなお店の奥の縁側らしき所にキーボードが用意されて、ここでステージを行うとの事でした。
しかしこのキーボード、かなりの曲者です。まず鍵盤数がかなり少ないです。見た目には結構ごつい感じなのですが、古い為か、少なめの機能しか付いておりません。ピアノの音色もあるにはあるのですが、本当に電子音みたいな感じでした…。いや、それらはまだ弾き方によっては何とかなるのですが、サスティン・ペダルが無かった事と、強弱が付けられない事が、本当に厄介だったのです…。
サスティン…というのは音を伸ばす…という意味ですが、要するに、このペダルを踏んでいる間は音が伸びたままになるという、一般的に、普通のピアノには絶対に付いている機能でもあります。キーボードにも、ほぼ付いているものなのですが、どうやらここの物にはそれが無いようです…。これは結構大変で、ピアノを弾いている方なら分かると思いますが、これを使うのと使わないのでは、表現に相当な違いが出てしまうのです。テンポの速い曲ならまだ良いかもしれませんが、バラード等のゆっくりとした曲を演奏する時には必須で、音に厚みを出すのが困難になるばかりか、間が大事なエンディングを弾く時には、相当辛いものになる事でしょう…。
また、もう1つの“強弱が出ない”ですが、これはピアノを弾く側にとっては、相当なハンデとなる状況です。そもそもピアノという楽器の特色が、弾く強さによって音の強弱も表現出来る…事なわけですから、それが出来ないとなると、もはや鍵盤というより、音が出るスイッチを押しているような感覚です。どんなに弱く弾いても、結局同じ音量が出てしまうのですから、静かな曲を演奏する時には特に大変です。後は、手元のボリュームを弄るしか手は無いような…。
…と、色々言ってみましたが(笑)、言ってどうにかなる問題でもないので、そのままライブをやり切りました!…かなり、自分は頑張ったと思います(笑)。ジャズ・スタンダードの速めの曲を西仲さんリクエストしつつ、ある意味で“Aka Is. Funky”も弾きやすい方の部類に入ったかもしれません。しかしライブという場なので、ノリのある曲ばかりを演奏するわけにもいかず、西仲さんのもう1つのオリジナル曲で、割りとゆっくり目の“Pray”という曲もやりました。かなり神経の使う演奏でしたが(笑)、お客さんにも喜んで頂き、とりあえず一安心でした。
西仲さんは、過去に何回かここで演奏した事があるようですが、いつもは観光客ばかりで溢れているヨナミネハウスも、この時期はオフ・シーズンという事もあって、地元の方が目立つ状態となっており、これは西仲さん自身も、初めての状況…という事でした。確かに、昨日の学校の校長先生や教頭先生を始め、他の先生方やそのお知り合い、そしてお店の地元の常連の方々等、かなりローカル感溢れる現場だったように思います。そして、その方達と酒を交わしながらお喋りするのがまた楽しい事♪…ライブの合間も、ライブ後もそうで、話しはドンドン盛り上がり、そのまま一夜が明けるのではないかと思いました(笑)。これぞ、沖縄の夜ではありませんか。やっと自分は、沖縄の空気に触れる事が出来たような気もします。マスターとも長くお話しさせて頂きましたし、恐らく夜のの2:30頃にはなっていたのではないでしょうか。阿嘉島最後の夜でしたが、楽しい時間を本当にありがとうございました!
そして、ヨナミネハウスから帰る時の夜空の綺麗さというのが、もう言葉では表せないくらいでした!…星とは、こんなにも見れるものだったのかと…。これは写真では限界がありますが、左上写真では北斗七星が確認出来るかと思います。本当にこの日は大自然から人の温もりまで、沢山の阿嘉島らしさを感じた1日になりましたね。
1月14日(4日目)
ツアー4日目、この日はいよいよ阿嘉島を後にする日です。終わってみればあっという間でしたが、非常に濃い時間を過ごせたと思いました。川井ダイビングでとる朝食が、何だか当たり前の時間ように思えて仕方無かったのですが(笑)、阿嘉港10:20発の1便は、既に時間が迫っているところでした。
天気は写真のような状態で、どうやら晴れていたのは3日目の時だけのようでした。そう考えると、前日の探索が非常に貴重な体験に思えてきて、この高速船に揺られながらも、感慨深い思いになってしまいます。ひとまず、この日は平日なので、阿嘉島の学校も普通に授業が進められている事でしょう…。
阿嘉島を後に見ながら、高速船はスピードを上げて那覇港へと向かいます。那覇までの所要時間は、今度は直行なので50分ですが、自分はまた船酔いする事のないように、今回は甲板に出たまま時間を過ごす事にしました。恐らく、船内にいるよりはマシでしょう。しかし、やはり揺れは相当なもので、しっかり手摺り等に掴まっていないと、船酔いどころか甲板中を転げ回させられそうな感じです(笑)。雨が降っていないのが幸いでしたが、スピードが出ているので風の勢いは相当なものです…。これは立ち位置の工夫も必要でした。
那覇と阿嘉島の間を直線で結ぶと、ちょうど間に渡嘉敷島という島があって、船はここを大回りするように進んでいくのですが、往路は確か渡嘉敷島の南側を通っていたものの、今回の復路のルートは北側を回っているようでした。そんなに渡嘉敷島と距離をおいて走行しているわけでもないので、島の様子も何となく見えたりするのが楽しかったです。
その時、船長室から「前方に鯨の群れを発見!」とアナウンスがありました。…そう言えば今の時期はホエール・ウォッチングの時期でした。甲板に出ていたのは自分だけだったので、早速前の方を覗いてみるものの、風が強くて数秒も居られません(笑)。そして横目に、ホエール・ウォッチングのツアー中だと思われるヨットが浮かんでいるのが見え、その瞬間、黒いでかい物体がヨット近辺にヌッと現れ、そして次の瞬間にはもう海に消えていきました。
鯨…だったのだと思います。その間、2~3秒しかありませんでしたが、こちらの高速船も結構なスピードで動いているので、ジッと見ていられるわけでもなかったのです。一瞬でしたが、見る事が出来て良かったと思いました(後で聞くと、西仲さんも船室から見れたようで…もしかしたら、自分が気付いていない瞬間もあったかもしれません…)。
さて、那覇港へと着きました。心配された船酔いも大した事は無く、このまま次の行動へと移せそうです。…しかし、今夜予定されているお店の入り時間まではまだ早いので、この日泊まる那覇市内のホテルにアーリー・チェック・インを行い、午後15:00くらいに出発しようと決め、それまでは自由時間となりました。
この時点でまだ12:00前だったので、せっかくなので那覇市内でも散歩しようかと思っていたのですが、今までの疲れと、やはり先程の揺れが効いたのか、いつの間にか部屋で寝てしまい、気付いたら15:00前くらいになってました(笑)。ある意味で勿体無かったですが、ある意味で体力の回復も出来たと思います。
今日の演奏場所ですが、那覇市内ではなく、西仲さんの生まれ故郷である“うるま市”という所で行う事になっています。移動手段は車しかなく、自分達の場合はタクシーになったのですが、ホテルの外に出ると、いつの間にか西仲さんは1台車をチャーターしているではないですか…。どうやら、以前にも西仲さんはこのチャーター車の方にお世話になった事があるらしく、今回も事前に連絡して頼んだとの事で、顔見知りのように運転手の方と話していたのが印象的でした。そして、那覇市内から高速道路を使い、約30分…、車は目的地へと到着しました。
ここは Cafe N's Garden というお店で、店名にもある通り、フラワー・ガーデンが併設されており、洗練されたレストランのような感じのお店でした。実際に料理も提供しており、出来たてのクロワッサンが特にお勧めなのだとか…(早速頂きました…笑)。そのような雰囲気の中で、お店の中央に置かれたグランド・ピアノの存在感が光りますが、カフェ・ライブ的には良い場所だとも思い、また本番が楽しみになってきたものでした。
リハーサルも早々と切り上げ、フラワー・ガーデンを見学したり、付近を散歩(自分のみ…)したりして時間を過ごしますが、この日も新聞社から取材が来ているようで、西仲さんは早速それに応じたりしているので、なかなか大変です。まあ、右上の写真通り、その取材時のテーブルにはビールも置かれているのですが(笑)、どのような記事になっているか楽しみですね。
今回は2ステージで、19:00~と早め?の時間からでしたが、西仲さんの姉妹や古い友人さん等がいらっしゃたりしてて、やはり凱旋ライブのような雰囲気が漂います。中には、凄く久し振りに会った方もいたようで、それは微笑ましい光景に包まれていました。
そうしてデュオ・ライブは始まりましたが、今回は自分のソロで1曲だけ、自分のオリジナル曲である“Monte Fiesole”なんかも演奏したりして、少しステージに変化が付けられたかなとも思いました。勿論、このツアー中で3度目(レコーディングで演奏したのを含めて…)の披露ともなる“Aka Is. Funky”や、“Pray”といった西仲さんのオリジナル曲も欠かせません。ツアー的には最終日になるわけですから、それこそ集大成的な演奏を心掛けたものでした。特に、実際に阿嘉島から戻ってきて初めての“Aka Is. Funky”だったのですから…。
最初のステージこそ、少し静か目な雰囲気が漂っていましたが、最後の方では徐々に盛り上がりつつ(お酒も入ってきたからでしょうか…笑)、無事に演奏を終える事が出来ました。お疲れ様であると共に、もう終わってしまったのかという思いも無くはありませんでしたが、何となく清々しい気分でもあります。本島とは言え、那覇とはまた違った雰囲気を味わえた時間だったと思いました。
さて、この日は、このお店までの往路がチャーター・タクシーで、では復路は?…と思っていたのですが、西仲さんに聞くと、まだ手配していないと言うではないですか!…大丈夫なのかと思いましたが、次の瞬間、この日車で来て頂いていた知り合いの方に、那覇までの同乗をお願いしているではありませんか(笑)。しかも、その同情は承諾され、そのまま一緒に飲みに行こうという事にもなり(どうやら、西仲さんの先輩の方のようでしたね)、まずは那覇市内までその方の車で移動しつつ、そのままプチ打ち上げが始まったのでした♪
この日が過ぎると、自分はあとは帰るだけになるので、今回のツアーを振り返った話しでもしようかと思ったのですが、あまりそういった雰囲気にはなりませんでした。…と言うのは、西仲さんは次の日から、今度は西表島の学校(全8校と幼稚園)に訪問し、また演奏活動をしていくらしいのです。成程、西仲さんにとっては、まだこの日は“終わり”ではないのかもしれません。更に大きく見ると、今回のレコーディングが完成(東京で、今度は“Aka Is. Funky”のカルテット演奏バージョンを録るみたいなので…)するまで、このツアーは続くものと言っても良いのだろうと思います。自分の沖縄での演奏は一先ず終えましたが、これからが本当のスタートでもあるのでしょう。そう思いつつ、普通の日の夜のようにこの日は過ごし、明日の帰りに向け、あまり無理をせず早く眠る事にしました。
1月15日(5日目)
最終日となるこの日は朝7:30には起床し、9:00には那覇空港に着けた感じでした。西仲さんとは昨夜で既にお別れをしているので、そのまま搭乗手続きをし、一路東京へ向け出発していきました。西仲さんが西表島に向かったのは、それから約1時間後の事だったようです。この後自分は東京に着いてから、いったん自宅に戻りつつ、知り合いの結婚式パーティーに向かったというのは、周知の通りでございます〔沖縄から帰ってきた後は…参照〕(笑)。
さて、東京に戻って…、いよいよカルテットでのレコーディングを!…としていたのですが、未だそれは実現していません。まあ、急いでも仕方の無い事ではありますが、やはり島の人達、特に今回のレコーディングを手伝ってくれた子供達にも、出来れば早く聴かせてあげたいものですね。自分達は音楽として、後世に残せるものを作ったよ…と。
☆西仲美咲さんのHP…misakinishinaka.com/
☆阿嘉島 Bar ヨナミネハウスのHP…www.urinain.com/users/akajima/
☆阿嘉島 Kawai Diving のHP…oki-zamami.jp/~kawai/
☆阿嘉幼小中学校のHP…www.oki-zamami.jp/~akawine/
☆うるま市(沖縄)Cafe N's Garden のHP…cafensgarden.ti-da.net/
少し日にちが経ってしまいましたが、先日の16日の日曜日、中国上海出身のボーカリスト、amin さんのライブで、下北沢ラ・カーニャというお店でライブをやってきました。この日の開場は14:30~、開演は15:00~と、お昼からのライブとなっていたのですが、このお店の雰囲気とも相まって、アットホームな空間で演奏出来たように思います。
編成はボーカルに amin さん、ギターに自分は初めましての関淳二郎さん、そしてキーボードに自分と、かなり小ぢんまりとした感じのライブではあったのですが、そもそも今回は全体的にアコースティックな感じでやる事になっていたので、1人1人の音が大きな意味を持ってくるとでも言いましょうか…、とにかく、内容の濃いライブだったと思いました。
また、今回はゲストとして、奄美大島出身のボーカリスト、城南波(キズキミナミ)さんも迎えて何曲か演奏しまして、また異なった雰囲気と共に、自分もその世界に踏み込めていった感じがありました。城さんは奄美の島唄を中心に歌っていくのですが、自分はこのライブの前日まで沖縄にいたので、奄美というのはそこから遠い場所ではなく、違和感無くも入れたものだったのです。ただ、沖縄の音楽と奄美の音楽というのは似て非なるもので、細かく見ていくと全く違う音楽らしいのです。その部分でも勉強になった時間ではありました。
今回、ライブ時の写真はありませんが、このライブの前日、amin さんは誕生日を迎えたという事で、誕生日パーティーを踏まえた打ち上げ写真をどうぞ!…今後も何回か御一緒させて頂けるという事で、また頑張っていきたいと思います。改めまして、どうぞよろしくお願いします!
☆amin さんのHP…www.amin-wu.com/top.html
写真は、自分もよく手伝っている、ボーカルの彬子さんのバンド界隈の面々です。結婚当事者本人は左上写真には写っていませんが、チラッと右上写真に写っております(笑)。どうもおめでとうございました!…末長くお幸せに♪
阿嘉島の人達(左上写真参照…阿嘉島唯一の学校、阿嘉小中学校にてレコーディング風景)に触れ、そして綺麗な景色(右上写真参照…予想以上に天候に恵まれた日もあり、夕陽も鮮やかに拝めました!)に触れたツアーでもありました。また詳しくは後日に載せたいと思います。
自分は今日、東京に戻ってきてしまいましたが、今回、ツアーに同行させて貰ったフルートの西仲さんは、この日は西表島へと渡り、明日から3日間、島内の全8校の学校を回ってくるそうです…。まだまだこのプロジェクトは終わっていないという事ですね。この先も頑張ってきて下さい!…ひとまず、お疲れ様でした!
…では改めて、沖縄に行ってきます(笑)!
今回、自分は阿嘉島自体に行くのが初めてなので、いつの間に住所を?…とも思いましたが、昔自分のCDを郵送させて頂いた事を思い出しました。まあ、このお店のマスターとは、東京や昨年の沖縄ツアー中にもお会いした事はありますので、一応面識があると言えばあるのですが、わざわざこうやって年賀状を送って頂けるのは嬉しい事ですよね。
本来は“迎春”ですが、今の時期は鯨が見える季節だという事で、“鯨春”と書いてあるのが興味深いです(笑)。そんな感じで、いよいよ沖縄ツアーは明日からになりました。このお店で演奏するのは13日(木)になりますが〔2011年1月のライブスケジュール参照〕、今から本当に楽しみです。素直に臨めたらと思います!
Meg というお店から、ドラムやベースというスペースを除いてしまうと、ステージが今までよりも広く見えたのが不思議です。これは、初めてのお店で演奏するような状況と若干似ていて、まさか現在の Meg でそう感じるとは思いませんでした。また、西仲さんも、今回は座っての演奏スタイルにするようで、明らかに昨年までとは違うものが感じられました。
今回、デュオという編成でライブを行ったのは、今月の11日から始まる、西仲さんと自分の沖縄ツアーに備えて…という部分が大きなものでした。沖縄本島でのライブは勿論、離島にあたる阿嘉島という島でのライブも予定されていますし、その島では島の子供達と一緒に、西仲さんのオリジナル曲をレコーディングもする事になっています。
正に盛り沢山のツアーなのですが、東京にいる人はなかなか見に行けないのも事実で、今回の吉祥寺という場所でのライブは、そういった意味でも今やっておきたかったのです。1月の最初の週という状況でしたが、多くのお客さんにお越し頂けて、自分達の沖縄に対する意気込みを見せられたというものです。デュオという編成でも、カルテットの時と同じく、1時間ステージを2回…、たっぷりとやらせて頂きました。
西仲さんとデュオでライブをやる時は、結構ジャズ・スタンダード曲の割合が高くなっているのが特徴です。しかし今回は、オリジナル曲や沖縄の曲も目立っていた感じです。しかも、今回初お披露目となる西仲さんのオリジナル曲も演奏したので、更に世界観は特徴あるものに出来たと思います。
今回の新曲は“あかばなーのうた”というらしく(“あかばなー”とは、沖縄方言でハイビスカスの事です)、東京にいる西仲さん自身の事を書いた曲なのだとか…。どうやらメロディ自体は、昨年の8月頃には出来ていたようですが、このライブの日に(笑)自分も少々アレンジを施させて頂きまして、ついに人前にお見せ出来るようになれたのは嬉しい事です。
曲の雰囲気は…もう実際に聴いて頂くしかありませんが(笑)、今後の西仲さんの沖縄に対する思いが十分伝わってくるような…、そんな感じでした。そしてそれはそのまま、数日後の沖縄ツアーに対する気合にも繋がっているような気がしています。
…勿論、自分も気合十分です!…沖縄という土地に、より自分達の気持ちを伝えられるよう、張り切って行ってきたいと思います♪…そして、更に多くの刺激を沢山吸収してきたいですね。どうぞよろしくお願いします!
☆西仲美咲さんのHP…misakinishinaka.com/
☆吉祥寺 Meg のHP…www.meg-jazz.com/

5月16日(木)