最近は、寝台特急を始めとした、いわゆる夜行列車の廃止が後を絶ちません。これは新幹線の路線網の拡張や、夜行バスの台頭、そして日本の航空業界に LCC が現れ、昔より格段に安く、気軽に遠くに行けるようになった部分が大きいとは思うのですが、その他の大きな理由に、車両の老朽化や、機関車運転士の激減等も挙げられます。そして上野駅〜青森駅間を、JR羽越本線経由で運転してきた“あけぼの”号も、ついにこの対象になりました。これまで廃止されてきた寝台特急の中では乗車率はまだマシな方でしたが、季節運転化されてしまいました。これはもう、ただ受け止めるしかありません…。
この『あけぼの』は自分も何度か利用した事があり、〔竹内大輔の写真日記(〜2009)、旅日記 30.(ブルートレイン編…2009.6.22~6.25)〕の記事では、旅の最後として、上り列車となる青森駅➡上野駅間の全線で利用しています。この時は、日本全国に残っていた、所謂純粋な“ブルートレイン”…と言える列車である『北陸』、『日本海』という寝台特急も乗りましたが、それらは先に廃止されてしまい、そして今年はついに『あけぼの』も無くなってしまう事になりました。『あけぼの』については季節運転化(ひとまず今年のゴールデンウイークに運転される事は決まっています)…という事なので、あくまでも定期運行の廃止…という事になってはいるものの、前述の『北陸』、『日本海』も当初は季節運転化され、後にいつの間にか運転されなくなるという、自然消滅的な消え方をしているので、『あけぼの』もいつまで走るのか怪しいものです…。
そんな状況という昨今ですが、今回の旅日記は昨年の4月に時を戻して、『あけぼの』号に、そして今年の5月12日に一部区間が廃止されてしまう、JR北海道の江差線に乗りに行った時の事を書かせて頂きます。寝台特急『あけぼの』号とは言え、自分が乗ったのは下り列車で朝を迎えてからの秋田駅➡新青森駅間で、この区間は通称“ヒルネ”(もうこれも死後になってしまうのかも…)と言って、寝台を利用しない時間帯に限って立席特急券(席指定無しで、空いていれば座れる)で乗車出来る…という制度に則って利用したのでした。勿論、利用車両は寝台車で、布団等は敷かれていませんが、純然たるブルートレインの風格は味わう事ができ、…とは言え、最初で最後の利用になったとも思います。
『あけぼの』の秋田駅発は朝の6:42…。何故、突然この駅から乗車出来たかと言うと、昨年の4月に実行した〔鉄道さんぽ 20.(JR東日本、田沢湖線編)〕を終えた自分は、東京には戻らず、そのまま秋田市内で1泊し、この日に備えたからなのでした。秋田新幹線にE6系が走り始め、そして『あけぼの』号に乗り、廃止が決定されたJR江差線にも乗り…と、色々な要素が絡んで実現した今回の旅でしたが、最後の最後に、更に大きな目的もありつつの旅でもあったのです。それは後にとっておくとして、まずは『あけぼの』の乗車から振り返ってみましょう。
●ブルートレイン『あけぼの』号
朝早くにホテルを出て、秋田駅に着いたのは朝の6:20頃。少々早いですが、恐らく最後の乗車になるかもしれない『あけぼの』号に、逸る気持ちがあったのかもしれません…。前日の21:16に上野駅を出発した『あけぼの』は、JR上越線、羽越本線を通って、ここ秋田までやってくるのです。新潟県に出てからは、ずっと日本海と併走?しながらの行程になっているわけですが、その厳しい路線環境から、悪天候ですと運休になってしまう事もしばしばありました。前日は晴れていたので心配は全く無い筈でしたが、それでも予定通りにいかなかったりするのが旅でもあります。…とは言え時刻通りに『あけぼの』は現れ、ホッと一安心をする自分がいたりするのでした(笑)。
“ヒルネ”が出来る車両は1両のみで、意外にも秋田駅から利用する乗客が多いのは驚きました。確かに、この時間帯にはまだ特急列車が運転されておらず、この『あけぼの』が唯一の速達列車でもあるのです。…とは言え、普通の特急列車よりは速度は遅くならざるを得ず、ここから向かう新青森駅までの所要時間は約3時間。通常の特急列車ですと約2時間半くらいなので、やはり機関車が客車を引っ張る…という差は大きいようです(単に車両が古いせいでもありますが…)。
しかも、3時間もの所要時間があるのに車内販売は全く行われないようで、お弁当や飲み物確保は死活問題に等しいものがありました(笑)。勿論、それらは万全に用意しまして、いざ『あけぼの』へ乗車したのでした。
車内は寝台車そのもので、ただ布団が敷かれていないくらいでした。この“ヒルネ”というのは、この時は既に『あけぼの』号でしか行われていませんでしたが、寝台特急が全盛期の頃は至る所で行われていて、昼行特急の代わりを大々的に担っていたのです。布団が取り払われた寝台は、さながら幅のあるボックス席のようです。定員的には、1つのベッドに3人が腰掛けられる設定になっているようですが、流石に真ん中の人は大変かもしれませんね。まあ、この乗車率で言うと、1つのベッドに1人か2人が腰掛ける状態で収まるので、あまり心配しなくても良いのかもしれませんが…。
さて、列車は秋田駅からはJR奥羽本線に入り、ひたすら北を目指します。車窓からは八郎潟が望める等、成程、秋田を走っているなと理解出来ますが、そこを過ぎると列車は内陸に入っていきます。秋田から青森への山越えを迎えるのです。
この区間は何度も通った事があるのですが、“ヒルネ”利用とは言え、寝台車から見る車窓はまた異なった味わいがありました。明らかに車内の雰囲気が日常とは異なり、時間の進み具合さえ遅く感じるのです。そして、これは客車という環境が大きいのですが、とても静かなのです。確かに、客車自体に動力は無く、先頭の電気機関車1両のみがそれを担うので、モーターの音というのが全くしないのです。特に、奥羽本線は区間によっては単線で、列車同士の行き違い待ちをする為に、客扱いをしなくても駅に停車する場合がよくあるのですが、その時の静けさがまた格別です。特に大きな駅でもない(むしろ山間の無人駅とかです)ので、そもそも物音がする方がおかしいのです。そして、列車行き違い後に動き出す瞬間、先頭の電気機関車の動力がそれぞれの車両に伝わるのは時間差があるので、ガクンガクンと、連結器の音を立てながら発車していく…。車両のそれぞれに動力がある電車では味わえない発進で、これがまた旅情を引き立てるのです。東能代駅、大館駅等を経て青森県に入り、大鰐温泉駅、弘前駅と停車していき、車窓に岩木山(左上写真参照)が見えて来ると、そろそろ“あけぼの”号の旅の終わりが近付いてきますが、停車する度に、あと何回この発進が経験出来るのか…と思いながら時間は過ぎていくのでした。
●青森から北海道へ
新青森駅には、時刻通りの9:44に到着しました。終点の青森駅まで行かなかったのは、ここ始発の特急『白鳥』号で北海道に向かう為です。東北新幹線が八戸駅まで延伸してきた時の運転区間は八戸駅〜函館駅間でしたが、新青森駅まで延伸してきた現在では、新青森駅〜函館駅間に短縮されています。そして、いずれは新幹線も函館方面まで伸びるので、恐らくその時には現在の『白鳥』号は廃止になる事でしょう。時代はあっという間に変わっていくのです。
今回乗車したのは、その中でも頭に“スーパー”と付けた、JR北海道の789系という車両を使用した『スーパー白鳥』号でした。通常の『白鳥』と違うのは、使用車両…という感じですが、本州で唯一JR北海道の車両が見れる所でもあり、気分は乗った時から北海道♪という事で(笑)、個人的に楽しみながら乗った感じです。先程乗っていた『あけぼの』と違い、車内は洗練されていて、正に現代の特急…という感じです。…とは言え、旅情は“あけぼの”の方が一枚上手か…と思いつつも(笑)、一路北海道に向けて列車は走り始めました。
列車は、いったん青森駅に停車し、方向転換をしてから通称JR津軽海峡線に入って北を目指していきます。今や、青函トンネルを潜る旅客列車は特急しか存在しなくなってしまいましたが、これも時代の流れなのでしょうか。…とは言え、途中の蟹田駅〜木古内駅間のみを乗車する時は、特急券無しで利用出来るという特例もあり、青春18きっぷ利用者にも対応している感じですが、新幹線が開通したらどうなるのか、気になるところでもあります。そんな新幹線は只今建設中で、車内からは既に高架橋が見え(左下写真参照)、そして青函トンネル付近では、新幹線と在来線の線路共用の為、レールが3本敷かれている(右下写真参照)のも確認出来ました。新幹線開通は、1歩1歩近付いている事を感じさせてくれました。
青函トンネルを通って北海道へ到達すると、列車は木古内駅に到着します。まだ小さな駅ではありますが、新幹線が開通した際には、北海道に入って最初の駅設定にもなっているので、今後は重要な役割を持っていきそうです。ここで自分は列車を降り、今回の目的の1つであるJR江差線へと乗り換えたのでした。
●JR江差線
JR江差線は、五稜郭駅(函館駅の1つ隣りの駅)〜江差駅間の79、9kmの路線ですが、このうちの五稜郭駅〜木古内駅間は、先程の津軽海峡線ルートの一部となっており、特急『白鳥』号や貨物列車も走る等、列車の設定も多い区間でもあります。今回乗るのは、その木古内駅から先の、終点江差駅までの42、1kmの区間です。今となっては普通列車しか走らず、正に“取り残された”路線ですが、この区間が2014年5月12日に廃止されてしまうのでした。ちなみに、自分は今回がこの区間の初乗車となります。これもまた、最初で最後の乗車になってしまう事でしょう。
列車は1両編成。JR北海道のローカル線ではよく見るスタイルですが、ここ江差線も例外ではありません。乗車率は、自分も含めて10人くらいだったでしょうか。この区間は1日に列車が6往復しか運転されず、これでは風前の灯と言われても仕方無い状況ではあります。実際、JR北海道の路線で、一番利用者が少ない区間でもあるのだとか…。建設中の新幹線の高架橋が恨めしくも見えますが、もう廃止は決定になってしまいました。自分が出来る事は、この区間の乗車をなるべく記憶に留めておくのみです。
列車はゆっくりと走っています。最高速度は65km/時に抑えられているので当然ですが、更に峠を越すような上り坂に差し掛かると、このキハ40系という車両ではパワー不足なのか、更に減速して坂を上っていきます。いつの間にか辺りに民家は無くなり、ただ森の中を走っているという感じになってしまいました。いつしか携帯電話の電波も無くなってしまい、ここで列車が止まってしまったらどうなるんだろう…とか思いながらも、ゆっくりとゆっくりと進んでいきます。その峠越えは、途中の吉堀駅から神明駅の1駅で行われますが、この駅間は約13km。列車は22分掛かります。
湯ノ岱駅に着くと、いったん落ち着いた感じになりますが、それでもまだ山の中という感じで、今度はゆっくりと江差に向かって下っていきます。途中で何度か横切る川の名前は、その名も天野川。周囲の雰囲気と相まって、何だか別の世界に来たような感覚になります。
…とにかく、のんびり、のんびりと進みます。それがこの車両の限界なのか、それとも、そもそも速く走る気が無いのか、よく分かりませんが(笑)、これもある意味、北海道を感じさせる旅情とも言えるのではないでしょうか。その規模が本州とは比較にならないくらい大きな北海道。その雄大な風景をゆっくりと見る体験が出来るというのは…贅沢です。
木古内駅から約1時間掛けて、ついに海が見えてきました。木古内側は津軽海峡と呼ばれる海に対し、こちらは日本海と呼ばれる海です。壮大に表現するならば、北海道を横断してきた…とでも言えましょうか…。ゆっくりと列車と共に歩んできた目からは、違った海のようにも思えてきました。この車窓からの海が、江差線のハイライトの風景でもありますが、列車は呆気無く終点の江差駅に着いてしまいます。線路の先にはアパートが立ちはだかっており、この先の延伸は物理的に無理ですが、そもそも江差の中心部は、当駅よりもう少し先に位置しており、そこまで列車が通っていれば、もう少し利用者も居たかもしれません。
ちなみに、江差の中心部からは函館行きのバスが通ってあり、こちらの所要時間は約2時間との事。鉄道利用でも、函館駅〜木古内駅間を特急利用にすれば、所要時間はそんなに変わりませんが、乗り継ぎが上手くいかなかったり、この江差駅のアクセス状況では不便です…。このバスにも乗ってみたい感じはありましたが、江差線に敬意を評し?今来た道のりを逆戻りして、再度木古内駅に向かっていきました。
ちなみに、当列車の江差駅での折り返し時間は12分間。その間に、上の写真を撮った場所まで走っていき、また走って駅まで戻るという強行軍を実地しました。この列車に乗り遅れると、次の列車まで3時間も待たなければならない中、自分で自分を褒めてあげたいです(笑)。
また約1時間強掛けて木古内駅まで戻り、特急列車に乗り換えて、一路函館駅へと向かいます。進行方向右側に海を望みながらの走行になり、その向こうには函館山(右上写真参照)も見えてきます。函館駅に着く、かなり手前からそれは望めるのですが、函館湾をぐるっと囲むように列車は走っていくので、ノンストップの特急列車と言えど、なかなか近付く事は出来ません。それでも木古内駅から30分ぐらい経つと、いつの間に列車は街中を走るようになり、左からJR函館本線が合流して五稜郭駅に入り、そして函館駅となります。この駅も青森駅と同じく頭端式の駅となっており、周りには、札幌駅行き…という文字も目に入りつつ、ここでも旅情を感じてしまうのでした。
その旅情とは裏腹に、函館駅はモダンな駅舎(右上写真参照)に生まれ変わっていました。これも時代の変化なのでしょうが、函館と言えば、自分が中学生の時の修学旅行先の1つでもありました。あの頃とはまた違う魅力が、現在にはあるのかもしれません。
●帰りは絶対に Air Do で
さて、函館駅に着いたのが15:00頃でしたが、ここでそろそろ東京への帰路に向かわねばなりません。せっかくここまで来たので、市場等にも寄っていきたいところなのですが、どうしても16:40発の飛行機に乗らねばならず、直ぐさま空港行きのバスに飛び乗ってしまったのでした。恐らく、函館駅での滞在時間は、約20分です(笑)。
この16:40発の飛行機とは、函館空港に1日2便だけ設定されている Air Do という航空会社のもので、自分も札幌に行く時等に何度も使わさせて貰っているのですが、実はこの年(2013年)の3月と4月の2ヶ月間、機内オーディオで自分の曲が流れていたのです。詳しくは〔Air Do 機内にて“The Energy Of Silence”が聴けます!〕の記事を御覧頂きたいのですが、自分のトリオで北海道の伊達でライブをやった際〔自分名義ライブ第41回目、2012 New どさコン!参照〕に、伊達の為に作った曲“Energy Of Silence”が、この時の司会をやって下さった方の目に止まり、その方が Air Do の機内オーディオ・プログラムの1番組を担当しているという事で、使用させて頂ける事になったのでした。
…と、話しには聞いていて、確かに Air Do のHPにも載っていたのでそうなのでしょうが、実際に流れているのかどうか、やはりその飛行機に乗って確かめない事には、きちんとした報告が出来ないではありませんか。…という事で、この旅の最後の締めには、Air Do の機内オーディオを確認するという事にしたのです。E6系『スーパーこまち』号から、『あけぼの』号、JR江差線…と、そこから考えると若干矛先の異なった展開になってしまいましたが(笑)、実際の行程は一本線で辿る事が出来たのがまた面白いものでした。
函館山をバックに着陸してきた Air Do 機をきちんと撮り(左上写真参照)、いざ機内へ…。まずは機内誌をパラパラとめくると…ありました(右上写真参照)!…しかし、多数の曲が流れる内の1曲なので、どのように放送されるかは謎です。そして、離陸してから約30分ぐらい経ったところで…、、、
聴けました!!!
音源は、伊達でのライブで演奏したものしか無かったので、このラインナップからすると、恐らく唯一のライブ音源だったと思いますが(笑)、ちゃんとあの時、自分達が演奏した状況がイヤホンから伝わってきました。ただ、流石にあの時は10分以上の演奏をしたものの、この番組では後半がカットされていて5分くらいに抑えられていたのですが、これは番組なので仕方の無い事です(事前にそのように言われてましたので…)。…とは言え、機上で自分達の演奏したものが流れてくるというのは初経験であり、ようやく聴けたという満足感にも繋がりました。プログラムは2ヶ月単位で変わってしまう為、滑り込みで間に合った感じになりましたが、良かったです。秋田から移動してきて、初のJR江差線に乗ってからの Air Do の機上。色々と詰め込んだ1日になりましたが、そのどれもが印象的な時間を持って、自分自身の記憶に留められたと思います。あれから約1年が経とうとしていますが、その記憶は未だに薄れてはいません。あの時に体験出来た事が、1つ1つ不可能になっていったのは残念ですが、ここでブログに残せた事で、1つの区切りがようやく出来たようにも思いました。自分に…お疲れ様でした!
☆Air Do のHP…http://www.airdo.jp/ap/index.html
Air Do 機内オーディオ案内には“Energy Of Silence”が、ちょうど最近来日公演されていたダイアン・バーチさん曲の真上に載っているというすてきなことに!
他にもいろんなオリジナル曲を飛行機内で聴けますように…そして鉄道さんぽがそれを確かめに行く縛りになる日も来ます?ように。
この中の1つでも欠けてしまうと先に進めなくなって
しまうので、確かにスリル満点の旅とも言えそうですね…。
そうです。この時のプログラムの並びには驚かされました。
恐らく今後も、また色々と遠くに行く理由を付けては、
どこかに旅立ってしまうのでしょうね(笑)。
写真も記述も臨場感いっぱい! すばらしいです。
子供の頃、HOゲージでブルートレインを1編成揃えるのが夢でした。
この夢は今も実現していませんが。。
鉄道散歩、次もよろしく!^^
一晩で仕上げたのが良かったのかもしれません♪
今回は一応“旅日記”で、鉄道さんぽとはまた違った
趣向で行ってみたのですが、まあ鉄道がメインなので
いつもと変わらないですかね(笑)。今後も続けていく
行動の1つでしょうね。どうぞよろしくお願いします!