“東武アーバンパークライン”…。御存知でしょうか?…これ、実は今年の4月からの東武野田線の新しい愛称名なのです!…東武鉄道的には、都市(アーバン)近郊を走り、沿線に数多くの公園(パーク)が存在するから…との事ですが、個人的な野田線のイメージというと、東武鉄道の路線の中でも地味な方であり、都市…というより田畑や雑木林が、公園…というより、野田の醤油工場のイメージの方が強い路線でもあったので、何故にこのような名前が?…と考えてしまうのも無理は無いように思いました。
…こう思ったのは自分だけではなく、沿線の方や鉄道ファンの方も同じように思ったらしく、何故名前を変えなければいけないのか…という意見や、愛称名が導入されたのが4月1日だったので、本気でエイプリールフールの一環だと思った方もいたそうです(笑)。
…とは言え、最近の野田線は昔に比べると、沿線にも変化が生まれてきているのは確かです。野田線は大宮駅から春日部、野田、柏を通って船橋駅に至る路線で、東京30km圏内の東半分を結ぶ校外路線でありますが、1980年以降の宅地化は著しく、人口減少という傾向の中、利用者数は未だに伸びています。…しかし、埼玉県と千葉県にまたがって路線が形成されているにも関わらず、特急や急行等の優等列車は臨時列車を除いて一切走らず、実際、大宮駅から柏駅や船橋駅に行くには、野田線を使うより、乗り換えがあってもJRを使った方が早く到達出来ます。車両も、今までは東武伊勢崎線や東武東上線の“お古”を回される事が多く、2004年にやっと8000系に統一されたのですが、この時点で他の東武の路線では、8000系が通勤型車両で一番古いという状況でした。この状況は2012年まで続きますが、2013年になって突如、野田線専用に新型式車両の60000系が導入されます。野田線に新型式の車両が導入されたのはこれが初めての事で、これは流石に自分も驚きました。そして、この60000系の導入の少し前には、ステンレス車体の10030系も野田線に導入され(こちらは伊勢崎線や東上線のお古でしたが…)、こちらは何と塗装をわざわざ変えての導入となっていました(こちらも非常に驚きました)。
つまり、野田線ブランド…というものを作っていっている感じがしたのです。野田線に自分が初めて乗ったは恐らく小学生くらいの頃で、中学生以降くらいになると、殆ど乗る事の無いまま現在に至ってしまいましたが、今回、約20年のブランクを持って“さんぽ”した野田線は、自分の予想以上に近代化が進んでいる路線でもありました。駅の発車ベルは全駅がメロディ化され、船橋駅には東武鉄道初のホームドアが…。流山おおたかの森駅の発展は凄まじく、清水公園駅周辺は“ソライエ”という、東武鉄道のマンションブランドの住宅都市開発が成される地域になり、その広告のキャラクターとして、“のだめカンタービレ”が起用されていたのです(確かに、のだめの名字は野田…笑)。
確実に“アーバンパークライン化”が推進されていました。東武野田線の駅に立つと、野田線という表示は殆ど無く、既にアーバンパークラインの表記に取り替えられていましたが、東武鉄道では野田線を基幹路線と位置付けており、まだまだ今後に期待される路線としての意思表示もあるのでしょう。そんな野田線の今を、じっくりと味わせて頂きました。前置きが長くなってしまいましたが、それではどうぞ御覧下さい!
●日時…2014年4月26日 ●距離…62,7km ●駅数…35駅
野田線の“さんぽ”は、起点の大宮駅から始めようと思います。野田線のように、東京を擦らないようなルートですと、どちらが上り列車で、どちらが下り列車…というのを定義するのは難しかったりするのですが、東武では大宮方面を上り、船橋方面を下り…と設定しているようです。こうなると、東武伊勢崎線と連絡する春日部駅では、伊勢崎線の上り下り列車とは方向が真逆になり、スイッチバックをする柏駅では、どちらも同じ方向に進むも、ちゃんと上り列車と下り列車というようになりますが、ちゃんとそこは徹底されています。
混雑率としては、大宮方より船橋方の列車の方が僅かながら混んでいる状態ですが、大宮駅では出口が先端の1ヶ所しかないので先頭車両に乗客が集中し、全区間で最も混む状況になってしまっているようです。この為、女性専用車両は柏方の先頭車に設定されています。朝ラッシュ時(大宮駅は、少し東京から離れているターミナル駅なので、ピークは7:30前後)は4〜5分毎、日中は10分毎に運行されています。
…では、船橋方面に向けて電車に乗ってみましょう。野田線の運転形態は、スイッチバックとなる柏駅でほぼ分断されていて、大宮駅〜柏駅と、柏駅〜船橋駅間の列車に大別されています。勿論、早朝・深夜を中心に柏駅を跨ぐ列車は設定されていますが、その本数は僅かです。また、ラッシュ時には区間列車も多数運転されていますが、春日部駅〜運河駅を中心に、まだ単線区間が多く残っているので、この区間では8〜9分間隔の運転が限度となっています。
大宮駅を出て、次の北大宮駅の先まではJR東北本線と並走します。そしてそのまま野田線は右にカーブをして分かれ(右上写真参照)、大宮公園駅へと着きます。この北大宮駅、大宮公園駅(上りホームのみ)とも、出入口がやはり大宮側にしか無いので、ますます大宮方の先頭車両は混んでしまう結果ともなっています。
大宮公園駅を出て暫くすると早速視界が開け、アーバンパークの“アーバン”な部分と“パーク”の部分が、早速この時点でどちらも体験出来る事になります(笑)。以前は後者のイメージの方が強かったわけですが、これから前者の“アーバン”な部分が伸びて来る事でしょう。…とは言え、この開けた区間は未だ昔の野田線の面影を残しているとも言えるかもしれません。車両もいつの間にか種類が増え、最新型の60000系(右上写真参照)、東上線や伊勢崎線から転属してきた10030系(左下写真参照)、今のところまだ主力の8000系(右下写真参照)の3種類の車両がそれぞれ活躍中です。8000系はこれから数を減らしていく運命にあるので、3種の共演も今の内なのかもしれませんね。
また、実は野田線には定期的な臨時列車も設定されています。定期的な臨時…というのは変な言葉ではありますが、今のところ土曜日に運転が設定されています。それは2012年12月から運行された特急『スカイツリートレイン』というもので、主に東武日光線や鬼怒川線で使用されている6050系〔鉄道さんぽ 7.(野岩鉄道、会津鬼怒川線編)参照〕を改造した634型(この数字は、東京スカイツリーの高さである634mに因んでいます…)を使用し、大宮駅を12:30に発車する伊勢崎線直通浅草駅行きとして運行されています(逆方面の列車は回送として運行…右下写真参照)。
この列車は、現在設定されている唯一の「野田線からの伊勢崎線直通列車」ですが、まだ宣伝が浸透していないのか、この日は野田線から利用している乗客は僅か…という状況でした。かなりの改造が施された車両で、窓も天井まで行き届き、座席の一部が窓側を向いている等、面白い趣向が凝らされているとは思うのですが、大宮駅から野田線を経由して(しかも、大宮駅の次の乗降扱いは春日部駅)スカイツリーに向かう…というのが、まだ浸透されていないのでしょう。週1回のみの運転というのも若干難しいと思うのですが、何とか頑張って貰いたいものですね。七里駅〜岩槻駅間等も辺りが開けていて(左下写真参照)、車窓的にも楽しいと思うのですが、やはり少し地味な印象なのでしょうか…。
橋上駅舎化が進められている岩槻駅を過ぎます。以前は、ここまでが15分毎に2本運転されていて、ここからは単線区間になり15分毎に1本の運転となっていました。今では大宮駅からの複線区間は春日部駅まで進み、運転本数も全区間で10分毎となっています。つまりは、ここから先の利用者が比較的伸びたのだとも言えます。実際、どの駅もそれなりに乗降客数は多く、田舎の路線…と言うよりは、地元の人に愛されている郊外電車…という感じでした。これが今の野田線のリアルな姿なのかもしれません。
そして、東武伊勢崎線と連絡する春日部駅へ…。先程、回送電車で見送った634型が、大宮駅で折り返して特急『スカイツリートレイン』として、伊勢崎線への側線を渡って行く姿が見えました(右上写真参照)。奥には東京メトロ半蔵門線の8000系の姿も…。この共演も、各社の相互直通が進んだ現代ならではの構図ではありますよね。
春日部駅を出ると、大宮駅から続いてきた複線区間が終わりを告げ、ここからは単線区間となります。駅間の距離も少し長くなり、次の藤の牛島駅までは2、6kmあります。その駅に入る手前には、徳川家康入府前の利根川だった大落古利根川を渡ります(上写真参照)。元々、牛島という駅名で開業した藤の牛島駅ですが、東武には他に牛田という駅があって混同を避ける為と、付近に特別天然記念物である“牛島の藤”がある為に、観光誘致の意味も含めて、現在の駅名に変更されたようです。
単線なので、駅は列車同士の行き違いを行う側面も持っているわけですが、日中は擦れ違う列車を極力待たないようにダイヤが配慮されていて、この駅でも殆どの場合、上りと下り列車が同時に進入してきます。春日部駅から当駅までの距離が前述通り2、6km。そして次の南桜井駅までが2、8kmで、野田線の単線区間での最長駅間距離となっていますが(野田線自体の最長駅間距離は、豊四季駅〜柏駅間の3、2km)、ここは片道4分弱の距離となっていて、これが野田線の運転間隔が8〜9分以内に縮められない大きな理由です(ダイヤは、少し余裕を持った設定にしなければなりません)。勿論、複線区間での増発はなされているのですが、この付近ではそもそも利用者も多くない区間なので、現状でも大丈夫なのでしょう。
南桜井駅からは、江戸川橋梁までの約1km程だけ複線になっています(左上写真は、複線区間と単線区間の境目の所です)。日中が10分間隔となっているので、片道に4分弱掛かる区間があったとしても、結局は1分程時間調整をしないと、次の列車と擦れ違えない状況にあるわけですが、南桜井駅を出て暫くは複線区間になっているので、この区間で上下列車が擦れ違い、うまい具合に駅で時間調整をしないで済むダイヤになっているのです。このように、現状単線区間が残っているものの、実質的には日中は複線と同等の流れを維持しており、この区間での複線化はまだ計画されていないようです。この先では江戸川を渡りますが(右上写真参照)、暫くはこの景色は維持される事でしょう。
江戸川を渡って千葉県に入り、千葉県最北端の駅(笑)川間駅を過ぎて、野田線の車両基地が隣接している七光台駅に着きます。この次の清水公園駅と並び、野田線の中では乗降客数の最も少ない区間を通りますが、車両基地が隣接しているので、当駅始発・終着の列車が設定されています。また、運転士はここで交代します。清水公園駅も、現在では野田線で一番利用者が少ない駅となっていますが、前述の通り“ソライエ”が開発されてからは、恐らく賑やかになってくる事でしょう。まだまだ潜在性を秘めている区間とも言えるのかもしれません。
そして、野田線の路線名の元にもなっている野田市駅へ…。そもそも野田線は、この野田市駅から柏駅まで、醤油を運ぶ貨物輸送の為に建設された路線でもあるのです。…かつては野田市のキッコーマン本社内に運搬用の駅が存在し、それこそ柏駅経由で、全国に醤油が輸送されていたのだとか…。今での名残と言えば、駅構内が広くとられている事でしょうか。この付近は将来は高架化が予定されていて、完成すると島式ホーム2面4線の駅になるようです。急行列車等の速達列車が設定されそうな予感がしますね!
野田市駅を出ると、徐々に柏駅に向かうに連れて利用者が増えていく感じになります。途中の運河駅からは複線となり、利用者の増加も顕著になりますが、その中で、最近の野田線の中で特に変貌を遂げた風景となった、流山おおたかの森駅は、取り上げないわけにはいきません。
当駅は、つくばエクスプレスが開業した2005年に8月24日と同時に、野田線にも新しく開業、併設された駅です(ちなみに、東武鉄道の中で一番新しい駅でもあります)。当駅から、つくばエクスプレスの快速を利用すると、北千住駅までは15分、秋葉原駅までは25分で着いてしまいますが、これは同時に、野田線沿線の駅からも都心が飛躍的に近くなった事を意味しています。利用者は年々伸び続け、中間駅としては柏駅(中間駅と言って良いのか…笑)、春日部駅に次いで、3位の乗降客数を数えます。
つくばエクスプレス側も快速が停まる駅なので全体的に駅の規模も大きく、現在では駅に隣接して“流山おおかたの森 S.C.”もあり、ここで1つの街が形成されているような状態です。当然、付近の宅地化も著しく、10年前とは景色が一変してしまったかのようです。…とは言え、森林もある程度残しながらの開発ともなっているようで、駅名に相応しい、過ごしやすい街を目指すべく、これからも発展していく場所となるでしょうね。
当駅から、次の駅の豊四季駅までも歩いてみましたが、途中から、昔からあった住宅街エリアに入っていく感じがなかなか面白かったです。この辺りもまだまだ緑は残っていて、こちらは昔ながらの野田線の風景だったので、1駅でこんなに景色が変わるのかと、何だか不思議に思ったものでした。この豊四季駅を出ると、JR常磐線との連絡駅、柏駅にいよいよ到着します。
柏駅に入る直前に、進行方向右側から、船橋からの線路と合流します。前述したように、野田線の当駅はスイッチバック式の駅となっており、ここから大宮方面も船橋方面の列車も、同じ方向へと発車していきます。…とは言え、日中にこの駅を跨ぐ列車は設定されておらず、ホームも分かれているので、あたかも別路線のような雰囲気になっているのですが、ホーム自体は頭端式となっているので、6号車の先に行けば、階段を使わずにスムーズに乗り換えが可能です(右上写真参照)。
列車を乗り換え、野田線の柏駅〜船橋駅間の部門?に入ります。この区間は、大宮駅〜柏駅の全線で10分毎運転のダイヤになる前から、日中は10分毎の運転が行われていた区間で、どちらかというと変化の少ない区間でもあるのですが(笑)、新鎌ケ谷駅の開業や、柏駅〜新柏駅の間に新駅の構想、そして将来は全区間の複線化が予定されており、地味ながらも、徐々に便利になってきている感もあります。
柏駅からの複線区間は、3つ先の逆井駅までで、ここから高柳駅、六実駅までの2駅のみが単線区間で残っています。単線区間の列車の擦れ違いは高柳駅で行っており、ここも日中は殆ど待つ事がありません。…とは言え、朝ラッシュ時にはやはり、行き違う列車を待つ事もあるので、複線化を期待したいところですね。
そして新鎌ケ谷駅へと着きます。北総鉄道(京成電鉄成田スカイアクセス線を含む)、新京成電鉄(右上写真の左奥の列車)が乗り入れる駅であり、3路線が乗り換え出来る大きな駅ではありますが、歴史は比較的新しく、野田線に駅が出来たのは1999年の事です。この3路線の中で歴史が一番新しいのは北総鉄道(当時は北総開発鉄道)ですが、1979年に開業した当時、この時点で3路線が交差する部分となったものの、まだこの付近に駅はありませんでした。この場所は当時、梨園や畑が広がる結構喉かな場所で、市街地等はまだ形成されていないような状態だったのです。ちなみに、北総鉄道と新京成電鉄は、この時点では隣の北初富駅で連絡し、北総鉄道が暫定的に新京成電鉄に乗り入れていました。そして1991年になって、北総鉄道が京成高砂駅まで延伸になった際に、ついに新鎌ケ谷駅が誕生します。しかし、この時点ではまだ新京成電鉄には駅は無く、1年後の1992年にようやく開業、そしてこの時に新京成電鉄と北総鉄道の乗り入れは中止されます(現在、北総鉄道は、京成電鉄やその先の都営浅草線、そして京浜急行線等と相互直通運転を行っています)。この時点でも、東武鉄道は依然として駅を設置しない方針だったのですが、地元の強い要望から1999年に野田線にも新鎌ケ谷駅が開業し、現在に至るのです。
このように、3路線が交差するようになってから20年経って、やっと3路線の駅が揃った形となったのですが、当然の如く利用者は伸びており、前述の流山おおたかの森駅に次ぐ利用者数となっています(この次に岩槻駅となります)。成田スカイアクセス線が出来てから、当駅から成田空港までも行ける事になったので、更なる伸びが期待出来る事でしょう。
この新鎌ケ谷駅の次の駅が、かつての鎌ヶ谷市の中心駅だった鎌ヶ谷駅です。高架の立派な駅ですが、新鎌ケ谷駅の大規模開発によって、その中心的役割を失いつつもあります。当駅から徒歩10分くらいの所に新京成電鉄の初富駅があり、新鎌ケ谷駅開業前は、こちらが新京成電鉄との乗り換え駅に指定されていました。
さて、大宮駅から長らく続いてきた野田線の“さんぽ”も終わりが近付いてきました。鎌ヶ谷駅から4つ目で、終点の船橋駅に到着です。ホームの先端からは東京スカイツリーも望む事が出来ます(左上写真参照)。ホームには東武鉄道初のホームドアが設置されており、駅は東武百貨店の2〜3階(左下写真参照)に位置しています。ちなみに駅照明はLED化されており、何気に東武の駅の中でも現代化が進んでいる駅とも言えましょう。
これで野田線の“さんぽ”は終了です。朝10:00頃から始めて、すっかり暗くなるまで乗り継いできましたが(笑)、自分の想像内の野田線と、想像外の野田線が入り乱れ、ついつい書く事が多くなってしまいました…。それほど、現在の野田線、いや、アーバンパークラインには変化が沢山訪れていたわけでしょう。勿論、現在もまだ過渡期と言ってよく、これから10年、20年後には更なる変化が起こっていきそうです。その頃にはどんな姿を見せてくれるのでしょうか。自分も楽しみに見守っていきたいと思います!
☆東武鉄道のHP…http://railway.tobu.co.jp