そんな横浜線は、1908年に横浜鉄道として、八王子や信州で生産された生糸を横浜へ運搬する事が目的で開業しました。その後、1917年に国有化がされますが、路線が大きく変化するのは、1964年に東海道新幹線が開業した事によって誕生した新横浜駅の存在です。これにより、横浜線は横浜市と新幹線のフィーダー路線としての役割も持つ事により、その後に沿線の宅地化や大学の設置が急激に進み、都心を通らないJR東日本路線としては珍しく、1988年には快速の運転も始まりました。この年には首都圏でJR山手線に続いて205系が導入され、翌年には全列車の205系化が完了しています。
…その後、6扉車の導入を経るも、通勤型車両は205系のみ…という運行が続きましたが、本当に最近である2014年2月16日に、26年振りとなる新車のE233系6000番台が投入されました。沿線では早速その姿を頻繁に見掛けるようになり、なんと今年の夏までには全28編成の車両を置き換えるそうです。つまり、205系とE233系のコラボを見られるのは今のうち…という事で、今回は迷わず横浜線を選ばせて頂いたのでした。実行日は、E233系が運用を開始してから2日後の2月18日。八王子付近では、まだ2月14日に降り積もった雪が残る中での“さんぽ”となり、早速、残雪の中を走るE233系、そして、最後の冬となる横浜線の205系も写真に収める事も出来ました。それではどうぞ御覧下さい。
●日時…2014年2月18日 ●距離…42,6km ●駅数…20
横浜線は東神奈川駅〜八王子駅間の路線ですが、列車の多くは東神奈川駅からJR京浜東北線(JR根岸線)に乗り入れ、横浜を経て桜木町駅まで、中には大船駅まで足を伸ばす列車も設定されています。ちなみに、横浜線用車両の配置は、大船駅近くにある鎌倉車両センターとなっていますが、横浜線自身の路線と少し離れているので、鎌倉車両センターに入出庫する運用は僅かしかありません。故に、沿線の橋本駅派出所を中心に、夜間滞泊を兼ねて各主要駅に分散して留置されているのは、ある意味で特徴と言えるかもしれません。
せっかくなので、乗客の多くが利用する横浜駅から横浜線を眺めてみましょう。確かに、路線上は横浜駅を通っていないのに、横浜線…と名付けたのは不思議な気もしますが(笑)、実際には横浜駅ではよく見掛ける列車の1つと言えるでしょう。横浜線の日中の運転本数は、1時間に快速3本、各停6本という計9本の運転で、このうち快速3本、各停3本が東神奈川駅を越え、京浜東北線の桜木町駅まで顔を出しています。
そして横浜駅から一駅の、路線上の起点駅、東神奈川駅へと向かいます。東神奈川駅はホームの番線的に眺めると、京浜東北線(1、4番線)の間に横浜線(2、3番線)が入り込んでいるような線路配置になって(同じく並走しているJR東海道本線は通過扱いで、ホームも存在しません)いますが、横浜線方面への列車は、2(始発列車専用)、3、そして4番線からも発車が行われます。
暫くは京浜東北線(東海道本線)と並行します。右手には京浜東北線や、京浜急行の車庫等が見え、鉄道好きには釘付けとなってしまうような区間でもあります(笑)。そのまま並走は京浜急行の子安駅付近まで続き、ここで東側に進んでいた向きを北へと変え、京浜東北線等と分かれます。そして大口駅を過ぎ、シェードで覆われた東海道貨物線の高架下を潜ると、ここで今度は進路を西に変え、東急東横線〔鉄道さんぽ 11.(東急電鉄、東横線編)参照〕を連絡する菊名駅へと入ります。電車からは眼下に東横線が見えます(左下写真参照)。以前は快速の通過駅でしたが、2006年3月より快速停車駅となりました。
菊名駅を過ぎると、程なく新横浜駅となります。言うまでもなく東海道新幹線との連絡駅で、現在では東海道新幹線の全ての営業列車が停車する駅となったと考えると、神奈川県とその周辺における玄関口駅としての役割は、時代を追う毎に大きくなってきていると言えそうです。東海道新幹線はJR東海となっているので、駅の北口側はJR東海仕様となっていて、首都圏に居ながらJR東海の駅の雰囲気を味わえる珍しい駅となっています。
新横浜駅を出て暫くすると、突如田園地帯となり、右手には日産スタジアムも目に入ります。そこを過ぎると小机駅、そして快速停車駅の鴨居駅となります。この小机駅〜鴨居駅間では鶴見川と並走する区間があって(左下写真参照)、この辺りは横浜線の代表的な撮影地としても知られている場所です。
鶴見川沿いには農地や工場、反対側は住宅地となっいて、この辺りの風景の特徴とも言えるでしょう。横浜線では沿線の宅地化が進んでいて、この風景もまた何年か後には変わってくるのかもしれません。
鴨居駅を出ると、快速設定当初からの停車駅となっている中山駅に着きます。2008年からは横浜市営地下鉄グリーンラインが乗り入れ、乗り換え駅となりました。現在、日中の上り列車(横浜方面)は、快速は当駅で各停を追い越すダイヤになっています。下り列車の快速の追い越しは町田駅で行われていますが、これは中山駅のホームが2面3線で、上下列車同時に追い越しが出来ない構造によるものと言えそうです。
中山駅を出ると、十日市場駅、そして東急田園都市線・こどもの国線と連絡する長津田駅に到着します。こちらも快速停車駅で、こちらは1994年に快速停車駅となりました。田園都市線とは線路も繋がっており、東急電鉄(他、線路の繋がっている東京メトロ半蔵門線の車両等も)への新車受け渡しは、当駅を経由して行われます。田園都市線は、当駅では右手に見えますが、駅を出ると当線を潜るものの、引き続き東急長津田検車区を見ながらの走行となります。この辺りで神奈川県から東京都町田市に入り、成瀬駅に到着します。
この成瀬駅と長津田駅の間のカーブ区間も、横浜線の有名な撮影地の1つです♪…今回は雪がまだ残っている状態でしたので、“さんぽ”をしながら、楽しく撮影が楽しめました。今まで活躍してきた205系(右下写真参照)は勿論、まだ営業開始してから間も無い、ヘッドマーク付きのE233系(左下写真参照)も撮る事が出来ました。これが今年の夏以降はE233系だけになってしまうというのは俄には信じられませんが、これも時代の流れなのでしょう。思う存分、205系を目に焼け付けておきたいものです(笑)。
また、横浜線の205系で忘れてはいけないのは、6扉車の存在でしょう。1994年12月に混雑の切り札として、横浜寄りの2両目に組み込まれ、それまでの7両編成が8両編成化されました。横浜線の205系では1編成だけ、6扉車が組み込まれていない車両が存在する(左下写真参照)ので、6扉車有り(右下写真参照)と見比べて下さいませ。ちなみに、E233系では6扉車は導入されなかったので、205系の横浜線撤退は、横浜線からの6扉車が姿を消すという事にもなるわけです。
6扉車の車内は下写真になります。以前は朝の通勤時間帯には座席が収納されていましたが、E233系の営業開始と共に、この座席の格納は実施されなくなりました。いよいよ終焉が近付いている事を案じさせるというものです…。
さて、成瀬駅を過ぎると、横浜線の中心駅であり、路線のほぼ中間地点にも位置する町田駅に到着します。下り列車は当駅で、快速が各停を追い越します。勿論、快速の当初からの停車駅でもあります。…と、言いますか、快速の当初の設定停車駅は、快速運転を行う東神奈川駅〜橋本駅間では、中山駅、町田駅の2駅のみとなっていました…。当時は1時間に1本しか運行されていなかった事もあって、不便さが滲み出ていましたが(笑)、後に停車駅が見直され、新横浜駅(当然…笑)、鴨居駅が追加されます。そして長津田駅が、その後相模原駅が、そして前述した菊名駅も停車駅に加えられ、東神奈川駅〜町田駅間では4駅しか通過しないという状態になってしまいましたが、上下列車とも途中駅で、先行する各停列車を追い越す設定になっている事で、快速の面子を保っているようにも思えます(笑)。線内の速達化を目指すなら、停車駅を更に厳選したいところですが、短距離利用者が多い事実を考えると、これで良いのかもしれません。
町田駅では小田急小田原線と連絡しますが、両者の駅が少し離れている事は有名です。それぞれの路線で利用者が多数(横浜線では利用者1位、小田急線では新宿駅に次いで2位)あるにも関わらず、珍しい措置だと思いますが、元々、それぞれの駅が独自に発展して、同一駅としていなかった事にも由来しそうです。そして駅の再開発により、両駅を近付ける事が検討されたのですが、これに大しては周辺の商店街が猛烈に反対を唱えたそうで、結果、横浜線の駅を少し小田急線側に近付ける事で、現在の形となったのでした。現在でも、横浜線と小田急線の乗り換えには最低5分は見ておきたいところで、当然の如く人の流れも多いので、余裕を持って7、8分は見ておきたい乗換駅でもありますね。
町田駅を出ると快速は、古淵駅、淵野辺駅、矢部駅と通過し、初めて2駅以上連続で通過駅がある設定になりますが、その後は相模原駅に停車し、以後、終点の八王寺駅までは各駅停車となります。そのまま進んで、京王相模原線〔鉄道さんぽ 16.(京王電鉄、相模原線編)参照〕の高架橋を潜って(左下写真参照)橋本駅へ。町田駅からここまで、ほぼ直線の緩やかな上り勾配という感じです。京王相模原線の他に、JR相模線(右下写真参照)も乗り入れる、横浜線の中でも町田駅、八王子駅に続いて、3番目に利用者が多い駅です。
日中、1時間に6本運転される各停のうち、半分の3本はここ橋本駅止まりとなり、この先は快速3本(ただし各駅に停車)と各停3本というダイヤになります。また、JR相模線は当駅を終点としていますが、朝夕ラッシュの時間帯には、橋本駅から八王子駅まで乗り入れてきます。
橋本駅を出ると、少しずつ丘陵地帯が近付いてきて相原駅となります。ここまで来ると、雪もまだまだ残っているという感じで、先日の降雪時の状況が偲ばれますが、写真撮影的には恰好の被写体となります(笑)。当駅から、次駅の八王子みなみ野駅まで歩いてみましたが、トンネル有り、そして新興住宅街有りで、なかなか変化のある風景を楽しめました。
八王子市に入って1つ目の駅、八王子みなみ野駅は横浜線で一番新しい駅で、1997年4月に開業しました。駅舎・ホームの建設費は住宅・都市整備公団(現都市再生機構)が全額負担した駅で、街開きと合わせて開業に至りました。周辺には学校も多く、利便性が向上にも一役買う形になったそうです。
この先は、少しずつ丘陵地帯から離れて片倉駅へ…。そして、その先で京王高尾線の高架下を潜り、今度は右手に京王本線と併走しますが、お互いに連絡出来る駅は無く分かれ、今度は右手からJR中央本線(この路線がE233系の最初の投入線区)・八高線が近付いて来ると、終点の八王子駅となります。横浜線のホームは南側の一番端で、中央本線のホームとの間には貨物列車が退避・機回し・入換に頻繁に使用している側線が何本が存在しているような配置となっています。この時も、まだ雪が多く残る中、機関車の付け替え作業を行っているところを目にする事が出来ました。
…という事で、横浜線のさんぽは終了となります。全線を乗り通して思ったのが、予想以上にE233系に出会う確立が高かったという事です。この時点ではまだ3編成しか運用されていなかったのですが、日中も車庫に入る事無く、積極的に稼働させているという事でしょう。今まで205系ばかりだった路線が、あっという間にE233系に変わってしまうのも時間の問題だと思いますが、これは横浜線に限った事ではなく、以前に取り上げたJR京葉線〔鉄道さんぽ 3.(JR東日本、京葉線編)参照〕や、JR埼京線(乗り入れ先のJR川越線〔鉄道さんぽ 22.(JR東日本、川越線編)参照〕に付随)でも同じ事が起きています。
E233系は、今後はJR南武線にも投入が予定されていて、こちらも短い期間で全車が置き換えられる事でしょう。今回のさんぽは、JR東日本の車両の変化の流れを、如実に感じ取れた1日になったかもしれませんね。
いました。今までさんぽした路線と、最新さんぽの路線が交差した
りが増えるのも納得な歳月がいつのまに…。しかし竹内さんは全然
ブレていないのがさすがです。
私は最近Remixアルバムの曲のアレンジャーあてにブレていますが
(笑・専門知識なく、勘で当ててるので迷います)月日のたつのが
早くって歳を取っちゃったわ~と言うことなく突き進んでいきたい
ものと、思ってしまったのでした。
とりあえず、100回目ぐらいまでは、ブレずに突き進んで
いきたいものです(笑)。…となると、1年に6回ありますので、
あと12〜13年ぐらいは掛かってしまいますが、どうぞ
付いてきて下さいませ…。よろしくお願いします(笑)!