今回、特に用事があったわけではなく、10月6日の鳥取でのライブを終え、次の日に鉄道を乗りに乗り継ぎ、中国地方を横断(縦断?)し、そして瀬戸内海を越え、伊予鉄道の本拠地である愛媛県は松山までやってきたのでした。そもそも伊予鉄道の路線は、自分は路面電車(通称、市内電車)しか乗った事が無く、それ以外の路線(通称、郊外電車)にはまだ1度も乗った事が無かったので、郊外電車を3路線有する伊予鉄道には、前々から乗ってみたいという気持ちが高かったのです。
さて、その中で選ばせ貰った高浜線の開通は1888年(明治21年)。100年以上の歴史を有する路線で、松山市内と、松山の古くからの外港である三津や、伊予鉄道自体が整備した高浜港を結ぶ路線でもあります。…とは言え、列車は日中15分毎の頻度で運転され、地元の人にも利便性が高い、生活路線としても親しまれています。そんな地元感溢れる高浜線、どうぞ御覧下さいませ!
●日時…2013年10月8日 ●距離…9,4km ●駅数…10駅
伊予鉄道の松山市内のターミナル駅であり、高浜線の起点ともなる松山市駅は、JRの松山駅とは離れた位置にあり、伊予鉄道側が言わば中心部でこちらの方が交通の要衝となっています。駅には四国最大の百貨店である、いよてつ高島屋が入っている他、周辺にはオフィス街や繁華街等が並びます。
高島屋の前には伊予鉄道の市内電車(軌道)も通っており、その中でも特に、蒸気機関車を模した“坊っちゃん列車”(左上写真に停車中)は有名です(実際はディーゼル機関車)。ご存知の通り、夏目漱石の『坊っちゃん』の「マッチ箱のような汽車」という表記で登場した列車でありますが、この列車こそ、軽便鉄道時代の高浜線に走っていた車両であり、現在は市内電車で復元されて走っているという事なのです。
こうしてみると、昔ながらの風景を大事に…という感じではありますが、伊予鉄道では Suica のような IC カード(IC い〜カード…といいます)も導入されていて、今の時代にも沿った経営がなされています。松山市駅は四国発の自動改札機導入駅でもありましたが、こちらに IC カードは対応させず、自動改札機を一部撤去させ、ここに IC カード専用の簡易改札機を設けさせました(左下写真参照)。勿論、自動改札機も残っているので、松山市駅はその2つの改札機が混在するという珍しい駅にもなっています。
松山市駅を発着する郊外電車は、高浜線の他に、横河原線、郡中線(右上写真参照)と、合計3つの路線が乗り入れていますが、横河原線は高浜線と直通運転をしているので、実質2路線という雰囲気です。…なので、高浜線の散歩は、横河原線に乗って松山市駅に着き、その続き…というような印象になるかもしれません。その横河原線は全線単線ですが、松山市駅以北となる高浜線は、殆どが複線の線形となっています。
松山市駅を出ると右にカーブし、JR松山駅の最寄り駅ともなる大手町駅に到着します。この先で市内電車と平面交差しますが、異なる路線同士の十字形の平面交差は、日本ではここだけの光景(右下写真参照)となってしまいました。かつて路面電車が縦横無尽に走っていた時代は、それこそどこでも見られた光景だったのですが…。
ここで少し、伊予鉄道の郊外電車で使われる車両を見てみましょう。ここでは昔から京王線の中古車両を導入していて、東京の方から見ると、少し懐かしいと思われる方もいるかもしれませんが、その中でも610系という車両(左下写真参照)は久々の自社発注となっていた車両で、2両×2編成しか在籍していないものの、注目に値する車両だと思います。
その610系は、ラッシュ時ではその2本を繋げて4両編成で走り、朝の通勤・通学輸送に対応しています。ただ、4両運転が出来るのは横河原線内が主で、高浜線内では古町駅以北は3両編成までしか対応していないので、ここで切り離され、その後は2両編成で運転されます。この運用は700系も似ていて(元京王5000系)、ラッシュ時は4両や3両(左下写真参照)で走り、その後は2両編成で運用されます。
さて、大手町駅を出ると、その先でまた市内電車と、今度は斜めに平面交差し、車両基地も併設されている古町駅に到着します。市内電車と郊外電車のホームが並んで配置されている駅でもあり、列車運行上の拠点にもなっています。朝ラッシュ時を過ぎると車庫には沢山の700系が置かれてあり、現在の主力車両は、これから紹介する3000系(元京王井の頭線3000系)になったのだと実感させられます。
こちらの車両(左上写真参照)も見覚えのある方が多いでしょう。伊予鉄道に導入されたのは2009年と、比較的新しい時期でもあるからです。全て3両編成を組み、日中の7割方はこの車両を見掛けます。ラッシュ時に4両編成を組む事は無理なものの、朝から晩までマルチに活躍する主力車両です。結果、京王線時代の700系と、本線時代には有り得なかった並びが実現する事にもなっています(笑)。
さて、古町駅を過ぎると路線は高架に上がり、松山市内を見下ろしつつ暫く進んでいきます。そのまま高架駅になるのかと思いきや、高架から地平に降り衣山駅に着きます。松山市の中でも近年発展が進んでいるエリアでもあります。ここを過ぎると幾分喉かな風景になってくるので、次の西衣山駅まで“さんぽ”してみましょう。左からはJR予讃線も近付いて来て、変化に富んだ区間でもあります。
付近は喉かな住宅街という感じで、そこに15分毎に走行する伊予鉄道の列車が既に風景に溶け込んでいて、地元に根付いた鉄道というのを改めて感じました。前述したように、この近くには予讃線も走っていますが、特急も走り、列車自体のスピードも軽快に駈けて行くので、どちらかというと“よそ行き”な列車でもあるような気がします(笑)。
そうして西衣山駅に着きました。無人駅となっていますが簡易改札機や自動券売機は設けてあるので、特に不便という感じではありません。予讃線はすぐ横を走っており(こちらに駅はありません)、当駅のすぐ先でアンダーパスします(左下写真参照)。
この先、少し丘陵地帯を走って、再度平野部に出ると山西駅、そして三津駅になります。三津駅は三津浜地区の中心の駅となっていて、高浜線の開業時はここが終点でした。今も漁業で栄えている三津浜港があり、かつては九州や関西を結ぶフェリーが発着する港でもありました(現在は山口県や瀬戸内海の離島を結ぶフェリーが発着しています)。
港山駅を過ぎ、列車左手には海が見えてきます。この先は海外線に沿って線路が敷かれていく感じになり、そのまま梅津寺駅となります。上り列車(高浜方面)のホームの柵の向こうには砂浜が広がり、数ある鉄道の中でも屈指の“海に近い駅”と言えるでしょう。港山駅と梅津寺駅の間で海が見える区間に入ると、上り線から下り線へ行ける渡り線があるのですが、これは異常気象時に海側の路線を使わず、陸側の路線だけで運行出来るようにしている為です。
この梅津寺駅は、海に近い駅としても有名ですが、ドラマ『東京ラブストーリー』の最終回のロケ地として使われた事でも有名です。主人公の赤名リカがハンカチを結び付けた柵も健在で、この行為を真似て、今でも柵にハンカチを結びつけて行く人も後を絶たないのだとか(当時は本当に凄い量のハンカチが結び付けられていたそうです)…。今では柵に、ロケ地であった事を示す案内板が掲げられています。
梅津寺駅を出ると、松山市駅から続いた複線区間は終わりを告げ、次の終点高浜駅までの1駅は単線区間となります。…とは言え右上写真を見ると、複線分の用地は残されているように窺えるのですが、これは全線開通時に複線だったものが、戦時中に金属供出で単線化された名残なのです。他の区間も単線化され、戦後は徐々に複線が復活してきましたが、この末端の区間だけ単線のままで残っている…という事です。確かに、今の運転本数ではこれで十分なような気もしますね。この区間も自分は“さんぽ”してみました。
こうして終点の高浜駅に着きました。松山市駅からは約20分の道のりでした。正に小旅行という感じで、かつての主要な港だった高浜港は目の前に位置しています。駅舎も存在感があり、当時は客船への乗り継ぎとして重要な役割があった駅だったと想像が出来る程です。ただ、現在は客船が大きくなってきた事もあって、ここから北に焼く600m 程行った所にある松山観光港に主要客船は発着しており、そこへの連絡バスは完備されているものの、当時の繁栄振り?は、もはや過去のものとなってしまっています。
今年で開業125周年を迎えた伊予鉄道高浜線。会社設立から換算すると126年の歴史がある鉄道ですが、こうした過去のものと現在のものとが入り交じり、とても魅力的な鉄道になっていると思いました。地元に愛され、四国初の鉄道を自負しつつ、まだまだ走り続けてほしいものですね。市内電車と合わせ、松山観光の1つに如何でしょうか(笑)?
☆伊予鉄道のHP…http://www.iyotetsu.co.jp