この出来事は東上線も関係があって、副都心線を介して、東武東上線森林公園駅発、横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅行き…という列車も生まれました。この列車は流石に設定が少ないですが、日中では川越市駅⇔元町・中華街駅の列車が30分毎に運行され、相互直通運転の変化を感じさせられるものとなっています。東上線内(和光市駅~川越市駅間)では日常的に東急の車両も見られる事になり、ダイヤも結構変わりました。
ただ、このダイヤによる変化というのが、東上線内だけの変化の方が、むしろ大々的なものが見られたのが興味深かったのです。詳細は〔2013年3月16日ダイヤ改正、目前!〕の記事を見て頂きたいですが、東横線直通による変化を東上線内だけで感じるには、直通される列車の行先が“元町・中華街”となっている部分で気付くしかありません。東急の車両が来るようになりましたが、その本数は僅かでもあります。また、ここが決定的に地味な所として、それらの直通列車は、東上線内は全て各駅停車で運転されているというのがあります。要するに、東上線内ではメインの列車というように扱われていないのです…。
では、どのように東上線のダイヤは変わったのか…というと、それこそ白紙ダイヤ改正のように変化がありました。池袋駅発着の日中の優等列車を見ると、それまで1時間に急行5本、準急3本(他に普通が8本)だったものが、快速2本、急行4本、準急2本となり、“快速”という種別が新たに生まれる事になったのです。これは、それまでの急行列車が各駅に停車していた川越市駅~東松山駅間でも通過運転を行うようになった列車で、霞ヶ関駅等、それまで急行が1時間に5本停車していた駅は、逆に4本へと減少していましたが、遠距離利用者にとっては優等列車が増えた事で、便利になったに違いありません。
その分、準急が1時間に2本だけの運転になってしまった事や、普通列車の8本中6本は途中の成増駅止まりとなってしまった等、本数を減らした箇所も無くはありません。ちなみに、日中の志木駅止まりも廃止され、東京メトロからの直通列車(1時間に、有楽町線から2本、副都心線から2本)は基本は川越市駅行きとなりました。
…と、話題的にはどんどん挙がってしまってキリが無いのですが(笑)、そのダイヤ改正が行われてから、自分は何度も東上線に乗っているものの、まだ把握には乏しい感じがありました。やはり隅々まで乗る事で、そのダイヤ改正の実態を肌で感じたいものです(笑)。東上線沿線に住んでいた自分にとって、東上線に乗る…という行為は非常に一般的で、いわゆる移動の為に乗る事が殆どだったのですが(普通はそうなのですが…笑)、今回は久し振りに、東上線に乗る…という事自体が目的になりました。現在、自分は沿線から外れてしまいましたが、それでもまだまだ身近な東上線。楽しみたいと思います♪
●日時…2013年6月20日 ●距離…75,0km ●駅数…38駅
では、朝の池袋駅から順に下って行こうと思います。時間は7:30…。ちょうど朝ラッシュが始まった頃で、電車が到着する度に大勢の人がホームから出口へと殺到していきます。副都心線が開通して以来、東上線の和光市駅以西の沿線から、新宿、渋谷方面が1本で行けるようになったので、乗客はこちらにもシフトされたと思いますが、まだまだ東上線の混み様は半端ではありません。直通運転は便利ではあるものの、東武としては池袋駅までなるべく乗って貰いたいというのが本音かもしれません。この時に、朝ラッシュ時の優等列車のスピードアップや、夕ラッシュ時の着席定員列車、『TJライナー』が走り始めました。
そんな『TJライナー』も、走り始めてもう5年だそうです。副都心線開通と同時日で、月日が経つのは本当に早いものですが、自分は出発式の瞬間にも立ち会っており、こちら〔竹内大輔写真日記(~2009)、東武東上線『TJライナー』出発式〕の記事も参照して頂けたらと思います(笑)。
東上線の池袋駅ホームは3面3線となっていて、1番線以外は列車の両側にホームがある状況になっていますが、時間帯によって、これらを最大限に生かした乗降分離を行っています。普段は1番線と2番線が優等列車、4番線が普通列車、3番と5番線を降車専用…としていますが、朝の9:00頃までは普通列車が頻繁に発車するので、3番線と4番線を普通列車専用にし、2番線は降車専用としています。また、夕方以降は3番線からも普通列車が発車します。
そして、今までは終日降車専用としていた5番線が、夕方以降には、『TJライナー』の発車ホームの機能も持つ事になりました(『TJライナー』発車時は、4番線が降車専用)。つまり夕方からの時間帯は、2・3番ホームに着く列車と、4・5番ホームに着く列車は、列車の種別によって乗れるホームが変わるという事です。なかなか複雑になってきてしまいましたが、限られたスペースの中で、よく頑張っていると思います(笑)。しかし、夕ラッシュ時のホームの状況は既に大変な混雑になっており、何かしらの打開策が必要かもしれません。今後を見守っていきたいものです。
さて、池袋駅を出るとJR山手線と分かれ、暫くはJR埼京線と並走します。これは北池袋駅まで続き、その先で埼京線と分かれ、今まで北に向かってきた東上線は左にカーブし、一路西へと進路を変えます。そして下板橋駅となり、その先の広いスペースに留置線があるのが確認出来ますが(右上写真参照)、ここが開業時の下板橋駅の場所でもありました。
実は、今でこそ東武鉄道の東上線ですが、かつては東上鉄道という私鉄で、1911年に設立した鉄道会社でした。そして、1914年に最初の営業区間として池袋駅~田面沢駅(現・川越市駅~霞ヶ関駅間)が開通し、後の1920年に東武鉄道と合併して、現在の姿になるのです。その東上鉄道の最初の起点として計画されていたのは大塚辻町という所(現・東京メトロ丸ノ内線新大塚駅付近)だったのですが、当時の東京市に阻まれて、当駅から東に延ばす事が容易には出来なかったのです。そして結局は南へと方向転換をし、池袋発着となるわけですが、こうした経緯から、東上線の起点を示す0kmポストは池袋駅ではなく、この留置線内にあり、東上鉄道発祥の記念碑も留置線内に設置されています。
ちなみに東上鉄道の名前は、“東京”と“上州(現・群馬県)”を結ぶ鉄道…という由来がありまして、当時は高崎を超えて渋川まで結ぶという構想がありました。それは、当時の国鉄の八高線等の計画によって中断されてしまいますが、その構想は雄大なものであったと想像出来ます…。開通していたら、さぞかし面白かったでしょうね(笑)。
そしてこの下板橋駅ですが、当時は隣りの大山駅との間に金井窪という駅があって、駅間距離が非常に狭かった事と、もはや大塚辻町への延伸は不可能と判断されて、1935年の複線化と同時に現在の場所に移されたのです(後に金井窪駅は、1945年の東京大空襲で被災して廃止されました…下板橋駅も全焼する被害を受けています)。
東上線の歴史を辿る…みたいな時間になってしまいましたが(笑)、先に進みましょう。北池袋駅~下赤塚駅間にある7つの駅は、普通列車のみが停車する駅となっていて、その中に2駅、優等列車を待避出来る駅が存在します。それが中板橋駅(左上写真参照)と上板橋駅(右上写真参照)で、早朝・深夜以外、普通列車の殆どはどちらか(朝ラッシュ時の上り列車は両駅)で優等列車を待避します。副都心線開通前のダイヤでは、殆どが中板橋駅待避だったのですが、それ以降や、今年のダイヤ改正で更に顕著に、上板橋駅待避の数が多くなっています。
そして、東京都内で最後の駅となる成増駅です、快速、急行、通勤急行、準急が停車し、日中のダイヤにおいては全ての列車が停車する要の駅で、今年のダイヤ改正では池袋発着の7割ぐらいの普通列車が、当駅折り返しとなりました(従来は半分くらいでした)。今まで何度か言っていますが、自分の出身地はここ成増であり、もう本当に30年以上も見てきた駅でもあります。当時は快速の種別が無く、ここを通過する列車というのは、1日に数本しか走らない特急(現在は設定無し)だけであり、個人的に、「自慢出来る、大きな駅!」との自負があった事を憶えています(笑)。子供の時はそれくらい、通過する列車の方が珍しい…という見え方の駅だったのですが、現在では『TJライナー』が通過し、快速急行も通過し…、それでも、それらの列車は日中の設定が無いので、かろうじてその面子が保たれているかもしれません(笑)。
さて、成増駅留置線を写した上のが挙げたところで、東上線車両についても徐々に説明しておきましょう。左上写真には同じ種類の車両が2本見えますが、これは9000系という車両で、東京メトロ有楽町線直通用として開発された車両です。そして時代は過ぎ、副都心線対応が必要になってきますが、ここで試作車の1編成を除いて、そのリニューアルが施されました。その対応型が左の車両で、真ん中に走っている車両こそ、1編成のみの試作車なのです。何故試作車には対応が施されなかったかというと、製造が6年も異なる事(試作車が1981年、量産車は1987年)と、それに伴う寸法の違い(副都心線にはホームドアが設置されていて、ドア間の寸法が試作車では異なります)や、走行装置の違い等が大きな理由かと思われます。故に、試作車は現在は地下鉄には乗り入れておらず、地上線専用の運用となっています(量産車は主に地下鉄に乗り入れますが、運用によっては地上線に入る事もあり、左上写真のような共演も見られるのです)。
さて、では成増駅を超え、埼玉県に入りましょう。次の和光市駅からは、いよいよ副都心線や有楽町線系列の車両(左上写真参照)も見掛けるようになってきます。その前に、既に走り始めてから50年も経つ、8000系車両(右上写真参照)を紹介しておきましょう。その数は徐々に減らしており、東上線系列に於いては、小川町駅以西と、越生線用にワンマン改造された4両編成×12本を除くと、8両編成と2両編成を組み合わせた10両編成の車両が3本、残るのみとなっています。…なので、小川町駅以東で8000系に出会える確率は、相当低い数字という事になりますが、『TJライナー』以外の全ての種別で使用されるので、写真のように快速急行に入る場合も十分あるのです。ただ、2015年に池袋駅~小川町駅間でATCが導入されるらしいので、非対応の8000系は、この区間ではそれまでの活躍となるでしょう。昔ながらの走行音を都心で体験出来るのも、今の内かもしれません!
少々話しが逸れましたが、和光市駅では色々な鉄道会社の車両を見る事が出来ます。その中でも特筆したいのは、やはり西武鉄道と東急電鉄の車両でしょう。遠く離れた東武鉄道管轄内で、その2社の共演(右上写真参照)が見られるというのは、相互直通のスケールの大きさを感じさせるというものです…(笑)。当然、東京メトロの車両も見られますし、みなとみらい線の車両も見られますので、和光市駅は非常にバラエティに富んだ車両が見られる駅ともなっています。この内、西武鉄道の車両以外は、東上線内にも乗り入れてきますが、前述の通り、日中は1時間に有楽町線からの車両が2本、副都心線からの車両が2本(副都心線内は急行運転)だけの直通となっているので、全て10両編成となっている事から、8両編成の車両(故に、みなとみらい線の車両は全部)は日中では見る事は出来ず、しかも8両編成の乗り入れは最大でも志木駅までとなっています。
和光市駅~志木駅間は複々線区間となっています。他社のそれと違う点は、急行線にもホームが設置されており、当区間で各駅停車を行う準急列車も、急行線を走行するという事でしょう。以前は緩行線(普通列車が走る線)に多くの列車が設定されていましたが、日中は東京メトロからの直通列車を除くと、池袋発着の普通列車が1時間に2本だけ運転されるに留まっています。
和光市駅を出ると、東京メトロの車庫を左に僅かに臨めつつ、一気に右カーブします。当初は近くを走る川越街道と共に、そのまま真っ直ぐ進めるつもりだったらしいのですが、当時、志木付近での商人の誘致が盛んで、朝霞や志木方向を通る事となりました(今や途中の朝霞台駅は、東上線で池袋駅の次に乗降客数の多い駅になりました)。このように、当時の計画経路から変更された区間は幾つかあり、この先では坂戸、小川町、寄居辺りがそうで、確かにこの付近の前後はカーブしてある所が多いです。
志木駅を過ぎると複線区間に戻り、柳瀬川駅となります。駅の由来となっている柳瀬川は駅を出るとすぐに渡り、ようやく風景らしい風景に立ち会える感じでしょうか。…とは言えこの付近では宅地化も盛んで、現在では和光市駅~川越市駅間の日中の列車の本数が同じになった事からも窺えるというものです(以前は、志木駅以遠で本数が減っていたのです)。
その宅地化の最もたるが、その先のふじみ野駅でしょう…。1993年に開設された当駅は、当初から急行停車駅とし、周囲の土地区画整理事業と併せ、新しいマンションを続々と建ち並ばせた地域でもあります。駅の建設時代に自分は立ち寄った事がありますが、本当に何も無い空き地といった感じで、現在のような“街”になるとは想像もついていませんでした。現在では、年を追う毎に駅の利用者が増加傾向にあり、乗り換えの無い単独駅としては、東上線では志木駅に次いで、2番目に乗降客数の多い駅になりました。
ではここで10030系の紹介です。先程紹介した8000系の後継者として、1983年に登場した10000系電車の、更にマイナーチェンジを施したのが10030系です。今の東上線では最も多く見られる系列かもしれません。天井の空調の変更や車椅子スペースの設置、外観では冷房装置のカバーが連続式になる等の変更が見られた10050番台の車両と共に、大活躍中でございます。最近では内装を中心にリニューアルされた車両(右上写真参照)も多く、行先表示器のフルカラーLED化や、先頭車にはスカート(前面排障器)が取り付けられる等、外観的にも少し変化が出てきています。
さて、路線の中枢である川越駅に着きました。北池袋駅付近で分かれたJR埼京線(ここではJR川越線と呼ばれます)と再度合流し、池袋駅以降、全ての種別の列車が停車する最初の駅でもあります。中枢こそ川越駅なものの、列車運行的には次の川越市駅の方が重要となりますが、両駅はそんなに離れておらず、歩いてもせいぜい20分程度だと思います。せっかくなのでこの区間を“さんぽ”してみる事にしましょう。
川越駅を出ると、暫くは川越線と並走しますが、あちらは4両編成で20分毎に1本の運転なので、車内からはなかなか姿を捉える事が出来ません。そして、両線が分かれる辺りに、1本の線路を越えるのですが、これが西武新宿線で、車窓の右側には当路線の本川越駅が臨めると思います。要は、川越市中心部には、川越駅、川越市駅、本川越駅と3つの駅があるものの、それらは全て別の場所にあり、そして本川越駅はどの路線とも接続していないのです(割りと近いのは本川越駅と川越市駅で、徒歩8分程です)。西武線だけ独立した形になっていますが、喜多院や菓子屋横町等、川越の観光ポイントに一番近いのは本川越駅であり、それぞれにメリットもあれば、デメリットがある状況になっているのかもしれません。川越市駅以降は、日中は快速と急行だけの運転になり、本数は半分以下に減ってしまいます。
…という事は、東京メトロからの車両も、基本はここ川越市駅止まりとなります。その中でも貴重なのが、東横線所属の5050系(左下写真参照)でしょう。志木駅までは朝・夕ラッシュ時を中心に何本か来ているのですが、川越市駅までとなると、1日に5往復しか乗り入れてこないのです…。直通運転用として使われているのは多くは東京メトロの車両で、東武の車両も有楽町線乗り入れ用に多く使われていて、東武の車両による副都心線乗り入れ用の設定も少ないのですが、とにかく、ここで東急車両に出会えたら、運が良かったと感じる事にしましょう(笑)。鉄道の趣味とは、こういった部分に価値を感じる所から始まります(笑)。
川越市駅を出ると、田園地帯を過ぎて入間川を渡ります(右上写真参照)。左の遠くの方に見えるのは先程の川越線で、距離はあれど、並走し続けていたのだという事が分かります。流石に川を超えるとそれぞれ進路を変え、霞ヶ関駅、鶴ヶ島駅と過ぎ、今回のダイヤ改正で快速停車駅に昇格した若葉駅を過ぎて、坂戸駅に到着します。ここまでが東上鉄道時代に開業した区間て、この先からは東武鉄道になってから開業した区間(…とは言え、東上鉄道時代に建設はされていました)へと入ります。
坂戸駅では越生線を左に見ながら(左上写真参照)、一気に右カーブします。そのまま北坂戸駅を過ぎ、越辺川を超え、都幾川を超え、沿線は徐々に緑が多くなってきて長閑な風景になってきますが、やはり駅に近付くと、ある程度の宅地化が行われているのが、東上線の凄いところでしょう。この為、快速や急行列車は、東松山駅を過ぎて、やっと空いてきた…という感じになります。流石は通勤・通学路線です。
さて、森林公園駅に到着しました。当駅には車両基地が併設されているので、ここを始終着としている列車は多く、東武東上線の車両の殆どは、ここを寝床としています。では、今度は東上線の最新型車両である、50000系電車(右上写真参照)を紹介したいと思います。
50000系は2004年に東上線で初めて登場し(営業運転開始は2005年)、東武鉄道の通勤車としては初めてアルミ車体を採用したり、それまでとはガラッとデザインが変わる等、いわゆる最近の鉄道車両のトレンド風でもあり、話題になった車両ではありました。2編成目は翌年の2005年に登場し、それまで非貫通であった先頭車が貫通型になり、前照灯等の位置が変わる等、見た目の変化も大きいものとなりました。そして、3編成目以降(左下写真参照)が2009年の登場と、今度は4年振りの投入でもあったので、その間に登場した50050系、50070系、50090系の仕様がフィードバックされ、側面の窓が開閉式になったり、椅子の形状や車内の化粧版が変更される等、居心地が幾分か改善されました。今では初期車を含めて9編成が導入され、地下鉄乗り入れ用の50070系、そして『TJライナー』にも使用出来る50090系と共に活躍中です(50050系は東武伊勢崎線で使用されている車両です)。
では、もう1系列として、2011年から運転が開始された30000系(下写真参照)についても紹介しておきましょう。元々は東武伊勢崎線系列で、東京メトロ半蔵門線、東急田園都市線乗り入れの為に造られた系列で、まさか東上線に転用されるとは思いもしなかったのですが、既に6編成が東上線へと移ってきてます。これは前述した、東上線のATC化と大きく関わっており、30000系は既に対応化となっている車両なので、こちらに沢山移ってきたものと思われます。現在、伊勢崎線系統での半蔵門線系列の直通列車は、先程前述した50050系が主体となっています(30000系も2編成だけ残存)。
さて、森林公園駅からは本数もいよいよ少なくなって、1時間に快速2本、急行1本のみと、日中は快速の本数が上回り、時間帯によっては30分も電車間隔が空く時があります。流石に宅地化はここまでか…と思われますが、次のつきのわ駅は2002年に開業された、東上線の中で最も新しい駅で、東武鉄道による分譲住宅地「フランサ」の開発が進められ、やはりここも宅地化は進められています。
つきのわ駅までは池袋駅から快速で約1時間。西武池袋線ですと、飯能駅を通り越して高麗駅までの所要時間で、小田急線に至っては、新宿駅~秦野駅ぐらいまでの距離です。如何に宅地化が奥地まで進んでいるかが分かるというもので、東上線の利用者の多さが窺えますね…。勿論、東武鉄道の中でも収益率はトップクラスの路線である事は言うまでもありません!
つきのわ駅から隣りの武蔵嵐山駅までも歩いてみましたが、あまりに宅地化が進んでいて驚きでした。勿論、ショッピングセンター等の施設もあり、既にそこは“街”と化していました。この辺りは、小中学生の頃によく電車に乗りに来ては、駅から降りて電車の写真を撮っていたりしましたが、当時は田舎の素朴な景色だったのに対し、完全に郊外の街の景色でした。武蔵嵐山駅に近付くと、街並みも昔ながらの雰囲気に変わってきて懐かしくなりますが、駅も含めて周囲は新しくなっており、やはり時は経っているのだと改めて思わせてくれました。
昔は森林公園駅以遠は単線で、つきのわ駅も無かったので、森林公園駅~小川町駅間では武蔵嵐山駅が唯一の交換駅だったのですが、つきのわ駅が開業した時に当駅までが複線化され、当駅を始終着とする列車も運転され、現在に近い本数が走るようになりました(それまで、森林公園駅以遠は1時間に2本の運転でした)。そして、2005年には武蔵嵐山駅から3km程先にある嵐山信号所(左下写真参照)までも複線化され、それまで武蔵嵐山駅始終着だった列車は全て小川町駅まで延長…。森林公園駅~小川町駅間は、1時間に3本の運転になるのです。この武蔵嵐山駅~小川町駅の駅間は7,0kmもあり、東上線の全長の10分の1の距離に相当する長さなので、ここが列車行き違いのネックになっていたのです。それまでは、列車の間隔が15分がやっとだったのが、この複線化のお陰で、10分間隔まで縮める事が出来ました。
…くねくねとカーブが続き、丘陵地帯を抜け、やっと小川町駅までやってきました。ここも宅地化は進んでいるものの、まだ疎らで、どちらかというと山間の中の小さな街…という雰囲気が残っています。当駅からは終点の寄居駅までは、8000系4両編成のワンマン化対応の列車が限定して使われていて、小川町駅を通り越す列車は設定されていません。以前は何本かあったのですが、2005年に無くなってしまいました。こうなると、俄然ローカル色が増してくるというもので(笑)、確かにこの先は、以前の景色をまだ留めているような気がします。
小川町駅を出ると、暫くはJR八高線と並走し、いったん右側に分かれてから、東上線も右の方にカーブしてきて、八高線と立体交差します。八高線も寄居駅を通るので、この先はルートを変えて、それぞれで寄居駅まで向かうわけですが、東上線は丘陵地帯の北側を、八高線は南側を通っているのが面白いところです。
そして寄居町に入り、鉢形駅を過ぎると荒川橋梁を渡ります。ここの眺めは素晴らしく、恐らく東上線の中で最もハイライトな区間と言って良いでしょう。荒川というと、金八先生でお馴染みの、あの雄大な川というイメージが浮かびますが(笑)、上流に近いここでの荒川は、岩肌もゴツゴツしていて、何だか厳しい自然を思わせる雰囲気が漂っています。
荒川を渡るのも束の間、すぐに玉淀駅となります。ホームは1面1線で、東上線の単線区間の中では唯一、列車の交換が出来ない駅です。まあ、鉢形駅から当駅まで0,9km、次の寄居駅までは0,6kmしかないので、そもそも必要無いのかもしれません。このように、既に寄居の街中には入っていて、玉淀駅を出るとあっという間に終点の寄居駅に着いてしまいます。先程分かれた八高線は、東上線とは反対側の方向が小川町方面となっており、東上線と共に入線した側が高崎方面になります。
この駅はもう1つの路線、秩父鉄道とも接続していて、そもそも駅の管理は秩父鉄道が行っているので、東上線はどちらかというと間借りさせて貰っているような?雰囲気もあるかもしれません。以前は池袋駅から当駅まで直通列車が走っていて、この先の秩父鉄道線内にも乗り入れ、長瀞駅や三峰口駅まで走っていたものでしたが(その頃の種別は特急で、それぞれ『ながとろ』や『みつみね』の名前が付けられており、ヘッドマークまで用意されていました)、1992年に取り止めてしまいました。
…とは言え、線路はまだ繋がっています。これは東上線が、秩父鉄道を介して東武伊勢崎線と繋がらせている為で、新車や伊勢崎線との車両入れ替えの際は、このルートを通って車両を移動させているのです(…なので、8000系の2両固定編成の一部に、秩父鉄道の信号システムに対応させた編成が存在しています)。30000系も、伊勢崎線からこのルートを通って、東上線に移ってきたわけですね(他にも車両の入れ替えは頻繁に行われています)。
さて、これで東上線の“さんぽ”は終了です。昔と比べて変化があった所、まだまだ昔ながらの姿を留めている所…と、それぞれでしたが、その両方を掛け合わせて、今の東武東上線なのだと思います。折りしも、いま東上線は過渡期でもあり、車両も本当にバラエティに富んでいる状態になっているのですが、これも2015年のATC化で、少し整理されるのかもしれませんね。一時期(自分が生まれた頃)、東武鉄道は車両の統一化が進んでいて、通勤型は8000系ばかりになり、趣味的にはあまり面白くない時期が続いていたようですが、通勤型の約20年振りの新型式である9000系が登場してからは、どんどん変化が進んでいます。とにかく車両数が多いので、同じ型式でも編成によって仕様の異なる場合が多く、それは現在の50000系列でもしっかりと伝統?を守っています(笑)。今回で改めて身近に思えた東上線ですが、例えばまた10年後とかに“さんぽ”してみたいものです。それでなくても何度も乗ってしまうような路線ですが、今後ともどうぞよろしくお願いします…という結びにさせて頂きます(笑)。
…では池袋方面へ戻る事にしましょう。時刻は17:00を回ってきて、これからは50090系を使った『TJライナー』(右上写真参照)が本格的に稼働する時間帯となります。使用車両が50090系に限定されているので、この時間には森林公園検車区から、池袋駅への送り込みを兼ねた、50090系限定仕様の快速急行が多数運転されます。TJライナーと、この送り込み用の快速急行だけ、50090系はクロスシート仕様(ロングシート、クロスシートと、座席を回転させる機能を持っているのです)となっているので、旅行気分を味わうのには持って来いの列車です♪…その辺りは、〔竹内大輔の写真日記(~2009)、地下鉄副都心線開業、その後(東武東上線編)〕の記事を御覧下さいませ。どうもお疲れ様でした!
☆東武鉄道のHP…http://www.tobu.co.jp/