移管される前は信越“本線”と、幹線に値する路線でしたが、長距離利用者が新幹線に移ってしまった為に、開業当初から経営は苦しいものでした。本来なら、篠ノ井駅から先の長野駅までも経営移管させたかったと思うのですが、この篠ノ井駅~長野駅間はJR篠ノ井線からの列車や、JR東海からの特急『しなの』号が乗り入れているので、ダイヤ調整のやり繰りが難しいという事で、ここは未だにJRの区間なのです。しなの鉄道の列車は全て篠ノ井駅から先の長野駅まで直通していますが(勿論、料金体系は別です…)、この篠ノ井駅~長野駅が一番利用客が多いだけに、しなの鉄道にとっては厳しい話しでしょう。
そして今後、北陸新幹線(現長野新幹線は、将来の北陸新幹線の一部というわけです)として長野駅から先(金沢駅まで)の新幹線が、2014年度中の予定で開業しますが、その時の並行在来線である、現JR信越本線の長野県部分(長野駅~妙高高原駅間)も、しなの鉄道が引き継ぐ事になり、こちらの区間は更に利用者が少ないので、今後の経営手腕が問われるところだと思います。
このように、正に変化の真っ只中のしなの鉄道ですが、更に大きな出来事として、現在所属中の車両の1つである169系という車両が、今年の4月29日をもって引退するという発表がありました…。169系は、国鉄時代に“急行型電車”の名義で生まれた165系の、碓氷峠での協調運転に対応した車両でして、しなの鉄道に経営移管された際に、車両もそのまま引き継がせたのですが、2003年に既にJRからは形式消滅しており、今や全国で、ここでしか活躍していない車両なのです(165系も既にJRからは形式消滅)。
これは今の内に、しなの鉄道に乗るしかありません…。ちなみに、まだJR信越本線だった時代に、自分はこの区間にはよく乗りに来ていて(15年以上前ですから、高校生時代ですね)、しなの鉄道に代わってから1度だけは乗りましたが、途中下車する程の鉄道旅(さんぽ?)は正にそれ以来の事でもあったので、その意味でも非常に楽しみな路線でした。当日は天候には恵まれたもの、真冬の極寒の中の“さんぽ”だったので大変ではありましたが(笑)、当時を思い出したりして、非常に充実した内容のものになりました。どうぞ御覧下さいませ!
●日時…2013年2月25日 ●距離…65,1km ●駅数…19駅
しなの鉄道に乗る為には、関東起点で考えるとすると、まずは軽井沢駅に出向かなければなりません…。しなの鉄道以前は、軽井沢の手前に存在した、横川駅~軽井沢駅間の約10kmで、500m以上の高低差があった碓氷峠を、EF63形という専用の機関車を2両連結して通過していたものでしたが、今では新幹線で大宮駅から1時間も掛からずに着いてしまいます(以前はこの碓氷峠越えだけで20~30分くらい掛かっていました)。現在、碓氷峠区間は廃止されていて、あの迫力ある峠越えは体験出来ないのですが、利便性で言えば、現在は飛躍的に向上されていると言って良いでしょう。
それにしても寒いです。都心から1時間ぐらいで着いてしまう為に、その変化も急激なものと感じるのでしょうか。まだ朝方の時間帯でもあったので、空気もピシッと締まっており、恐らく氷点下10℃ぐらいはいっていたと思われます。写真撮影の際、手袋をするわけにはいかないので生指でやるしかないのですが、30秒くらい経つと痛くて堪らなくなります。1分も経つと、暫く感覚が無くなってしまう程です。これは、大変な時期に“鉄道さんぽ”を敢行してしまったなと思い始めてしまいましたが、天候は写真通り、本当に恵まれました。後に掲載する浅間山もよく見え、やはりこの時期に行っておいて良かったです。
新幹線が開通して、だいぶ軽井沢駅の印象は変わりましたが、しなの鉄道のホームだけに限れば割りと当時の雰囲気を留めている感じかもしれません。ただ、もう編成両数の長い特急列車は来る筈もなく、高崎側の線路も分断され、行き止まりとなっています(右上写真参照)。ホームで待っていたのは、JRから移管された115系の3両編成。しなの鉄道では11編成の所属となっており、この鉄道会社の主力車両です。塗装も変更され、車内も少々のリニューアルはされていますが、やはり雰囲気的には115系そのもので、かつて信越本線時代に何度も旅をした事を思い起こさせてくれるものでした。とりあえず1駅、次の中軽井沢駅まで乗ってみましょう。この駅の近くには、浅間山をバックに列車が走る撮影ポイントが存在するのです。
それが上の写真です。少しゴチャゴチャしているものの、短い編成を撮るには適した場所です(中軽井沢駅からは、徒歩5分くらいでしょうか)。浅間山は気持ち良いくらい全容が見渡せましたね。中軽井沢駅は現在改築中で、旧駅舎は既にありませんが、新しい交流の場として(図書館が出来るとか)今後発展が見込まれそうな雰囲気でした。信越本線時代は特急も停車した駅でしたが、新幹線は軽井沢駅の方に造られたので、こちらも発展させていこうという狙いでしょうか。
それでは、もう1駅進んでみましょう。次の駅は信濃追分駅で、何とも風流な駅名ではありませんか。標高は956mで、かつては特急が通る日本最高所として知られていましたが、現在はしなの鉄道になって特急の設定は無くなったものの、JRを除いた普通鉄道では最も標高の高い駅になりました。この駅名の“追分”とは、中山道と北国街道の分岐点の意味があり、鉄道作家の故・宮脇俊三氏は「旅情を誘われ、信濃路の終わりを感じさせられる」と、この駅名を表現しています。信濃路の終わり…という事は、軽井沢側から向かうと、ここから信濃路が始まる…という感じでしょうか。確かに、軽井沢は長野県ですが、色々と発展している部分もあり、また異色の存在の土地のようにも思えます。そうなると、ここからが純粋の“信濃”という国になるのかもしれません。そういえば昔、不動産分譲の為に“西軽井沢”と駅名も地名も変更しようとした時があったらしいのですが、地元住民等の猛反対にあったそうです。当然の事だと思います。
さて、少し歩いてみましょう。この駅から次の御代田駅、その次の平原駅までは、しなの鉄道で最も景色に富んだ区間でしょう。浅間山の裾野に沿って、徐々に長野盆地に向けて下っていく区間で、車窓からも堂々とした浅間山を、これでもか!というくらい望めるのです。…そしたらそれは自然と、鉄道の撮影地としても有名になってくるのです。この信濃追分駅~御代田駅間のポイントは今回初めて訪れたのですが、特急が走っている時代にも来たかったですね。今は列車は3両、長くても6両編成が基本ですが、当時の在来線特急『あさま』号は、9両、又は11両編成だったので、さぞかし迫力もあった事と思います。…もう早速、当時の状況を思い出してしまっていますね(笑)。
どちらの写真も、この区間の変化に富んだ雰囲気がよく表れています。そして左上写真の車両が前述した169系です。現在、3両編成×3編成が残っているのですが、その内1編成は湘南色と言われる、当時の国鉄時代を思わせる塗装になっていて、近年更に注目が集まっています。169系は現在、基本的には1日に1編成しか運用されず(運休の日もあります…)、故に湘南色の編成が運行される日は少ないのですが、しなの鉄道のHPに運行表が掲載されていまして、だからこそ、この日を選んだという部分もあるのです。
ちなみに、この169系を使って、リバイバル列車として急行『志賀』号等、イベント列車も数多く運転されているのですが、自分としては普段の姿を見ておきたかったのでした…。全容がハッキリ見える浅間山をバックに走る、湘南色の169系…。この姿が見れるだけで、寒い想いをしてまで(笑)、ここまで来た甲斐があったというものです。
信濃追分駅に戻り、今度は御代田駅から平原駅まで“さんぽ”してみましょう。この区間にも数多くの撮影地が存在し、自分も2,3回訪れた事がある場所です。流石に有名撮影地が点在してるだけあって、自分と同じ目的の人も何人か見掛けましたが、ここは鉄道と浅間山が望めれば、どこでも撮影地と言っても良いような広々とした場所なので、余裕のある撮影になりました。
それにしても…寒いです。ここは浅間山の裾野のような場所にあたり、長野方面に向かって、ちょっとした傾斜になっているのですが、そこから吹き上げてくる風がわりと強めで、どんどん体温を奪っていくのです。雪もまだまだ残っていて、常に風が吹いている証拠として、地面に積もっている雪が風の経路をそのまま残しており、霧氷のようにも見えます。そんな中でも、時刻通りに、ただ坦々と運行している鉄道…。これがまた良いのです。
さて、平原駅まで歩いたものの、思ったより距離があったのか、予定の列車に間に合わないという事態が発生してしまいました(本当は、左上写真の列車に乗りたかった…笑)。この先の予定として、この列車の後に来る169系を駅間で撮影しようとしていたのですが、せっかくですので、169系に乗る…という予定に変更しましょう。…とは言え、次の列車が来るまで50分くらいあったので、いったん逆方面の列車に乗り、少し時間を稼いで(とりあえず信濃追分駅まで戻りました)、改めて169系との対面を果たしました。ちなみに、今回のしなの鉄道を利用するにあたり、自分は“しなの鉄道フリーきっぷ”(2000円)を購入しています。こういった急な予定の変更にも対応出来るのが嬉しいですよね。
さて、再度の信濃追分駅にて、169系の小諸駅行き列車がやってきました(平原駅の次が、小諸駅です)。湘南色という塗装のせいか、往年の急行列車の風格が漂い、かつて旅と言えば鉄道が主力だった時代を思い起こさせてくれます(自分はこの世代ではありませんが…笑)。片側2扉でデッキが備えてあり、車内は落ち着いた雰囲気そのもの…。座席は元新幹線の物が使われていますが、40年以上前に登場した雰囲気は未だ健在という感じでしょうか。今回の引退も老朽化に伴うものですが、現在で既に運用範囲が狭まっております。…というのは、2011年にJRが保安装置の更新を行ったのですが、これに伴い、JR線に乗り入れる、しなの鉄道所属の115系も保安装置の更新を行ったものの、169系はその対象としなかったからです。これも数年後に引退する事を見越しての事でしょう。つまりは、現在は169系は長野には顔を出せないという事で、定期運用としては、車庫のある戸倉駅~軽井沢駅間のみが運用範囲で、実際の運用としては、殆どが小諸駅~軽井沢駅間の区間運用に張り付いている感じです。
ひとまず、しなの鉄道の風向明瞭な区間に残っているというのは幸いな事ですが、流石に引退という将来を感じさせるような状況である事は確かです。少し前までは、朝のライナー的な列車として、169系9両編成での『しなのサンライズ』号という運用もあったのですが、今では最高でも3両編成です。ここは現実から目を背けず、最後まで安全運転をして欲しいと願うばかりですね。乗っていると、安定しているような走行感や、静かな車内など、正に鉄道旅に適しているような車両でもあるのですが、これも時代の流れなのでしょう。じっくりとその風格を堪能したいと思います。
そうこうしている内に平原駅を過ぎ、左からJR小海線〔鉄道さんぽ 5.(JR東日本、小海線編)参照〕が合流して、この列車の終点、小諸駅に到着します。そもそも軽井沢駅~小諸駅間の区間列車が多いのは、ここまでの利用者と、ここから先の利用者にだいぶ幅があるという部分もあるのでしょう。ここからは列車の本数も増え、1時間に1本程度から、1時間に2本程度となります。
小諸駅は新幹線の通り道とならなかったせいか、駅舎や周りの景色も含めて、かつての名残を留めています。JRの小海線の終着駅でもあるので(駅管理はしなの鉄道)、少しJRの雰囲気も存在しているという事なのでしょうか…。駅では、JR小海線のキハ110系、そして現在の『しなのサンライズ』号の使用車両である、JR東日本の189系(183系が使われる事もあるそうです)との並びが実現しました!…そして、ここからは115系のみの旅が始まります。今の内に、169系をじっくりと眺めておきましょう。
さて、小諸駅を出発します。ここからは利用者も増え、車窓の様子も、浅間山の裾野というよりは、千曲川に沿って、山と山に挟まれた地形を進む…という感じになります。徐々にその幅は広くなっていき、長野盆地に到達するという形です。浅間山も見え辛くなり、車窓の変化も少なくなってきてくる区間でもあるので、このまま上田駅まで行ってしまいましょう。新幹線の停車駅でもあり、しなの鉄道としても、大きな駅の1つとして数えられます。
新幹線がJR東日本、そしてしなの鉄道、それと、ここを拠点とする上田電鉄別所線という、鉄道会社3つが乗り入れる駅ともなっている上田駅ですが、やはり利用者は減ってきています。峠の釜めしで有名な“おぎのや”が、ここでは立ち食い蕎麦屋も経営しているのですが(釜めしも購入可能)、どうやら今年の2月いっぱいで、この上田駅店?を閉店させてしまうのだそうで、何だか残念な話しです。駅自体は近代化が進められており、駅北口がお城口、南口が温泉口とも呼ばれる等、観光を意識した部分もあるので、今後の展開に期待したいですね…。当然の如く、利用者もこの駅から更に増えていきます。
少し先に進むと、坂城駅になります。そんなに大きな駅ではありませんが、駅の西側には新日本石油の油槽設備があり、平日にはここから神奈川県の根岸駅(JR根岸線)まで、石油取扱いの貨物列車が運行されています。これは国鉄、JR時代から続くもので、しなの鉄道になった現在でも継続されているものです。…ルート的には、坂城駅→篠ノ井駅→松本駅→(中央本線)→立川駅→府中本町駅→(武蔵野貨物線)→鶴見駅→(高島貨物線)→桜木町駅→根岸駅…という感じだと思います。かなりの長旅ですが、新幹線が開通した今も、貨物列車とは言えど、こうした1本の列車で関東地区と結ばれているというのは何だか嬉しいですね。ここでは車窓から眺めるだけに留め、次の戸倉駅で途中下車します。しなの鉄道の車両基地があり、運行の拠点ともなる駅でもあります。
この駅から長野駅までは車掌が乗り込み、ツーマン運転となります。逆に、軽井沢駅からこの戸倉駅までは、しなの鉄道所属の115系はワンマン運転(3両編成運転時)となっています。右上写真で車掌が乗り込んでいる所に注目してみて下さい。ただ、ワンマン運転とは言え、地方のローカル線によく見られるような切符収集は運転士は行わず、基本はドアの開け閉めをやっている感じです。これは、しなの鉄道の各駅は有人駅が多く、切符の収集は駅で行ってる場所が多いからでもあります。また、今後ワンマン運転は長野駅まで拡大される模様です。
車両基地があるので駅構内は広くとられてあります。車両基地には115系は勿論、しなの鉄道塗装の169系(右上写真参照)を見る事も出来ました。また、側線が山側にも延びていて、本線とは少し離れた所にも車両を配置しているのが面白いところです(左下写真参照)。車両入替の為に当駅を始終着としている列車も何本かあり、前述の通り169系の運用は、普段は軽井沢駅から当駅までとなっています(臨時で篠ノ井駅まで運転される事もあります)。また、訪問時には、今年の3月16日のダイヤ改正から運用される、2両編成の115系が試運転している姿も見られました(左上写真参照)♪…確かに、しなの鉄道の115系は3両編成のみで、特に軽井沢駅~小諸駅間は現在の状況からすると2両編成でも良いような感じではあるので、こちらの区間を中心に導入されるのかもしれません。
…さて、この次の千曲駅から、更に1つ先の屋代駅まで“さんぽ”してみましょう。距離にして2km強という感じでもあるので、先程(御代田駅~平原駅間は5,1km)よりは気軽?に歩ける筈です。千曲駅は2009年に出来た新しい駅で、完成当時は跨線橋やエレベーターの建設が間に合わず、駅舎と反対側のホームでは、臨時の改札口が設けられていました。現在では駅周辺も整備され、利用者も増加傾向にあるようです。
左下写真の115系はJRからの乗り入れ列車で、1日に何本が設定されていて、塗装からもそれは判別付きますが、こちらの車両は構造上、ワンマン運転は行えないというのも、また細かい判別ポイントだったりします(笑)。また、トイレの設定が有るのも、JR所属の車両のみとなっています。
徐々に沿線には住宅地が増えてきています。ここは既に、長野拠点で考えて通勤圏内の度合いが濃いのでしょう。鉄道撮影の観点からすると、なかなか見通しの良い区間が少なくなってくる(撮影がしにくい)ので、すぐに気付かされます。しなの鉄道の115系は、現在のところ基本は3両編成ですが、ラッシュ時にはそれを組み合わせ、6両編成での運転も何本か存在し、通勤や通学の足としても広く使われています。今後2両編成の列車が加わり、よりフレキシブルな輸送にも対応させるとの事で、注目していきたいところです。115系は、JRからすると、現在はローカル輸送に徹している部分があり、世代交代が進んで東京都心で見かける事は無くなりましたが、ここでは今後暫くは主力として活躍する事でしょう。
さて、屋代駅に着きました。昨年の1月にこの駅に来た時〔長野遠征演奏参照〕は、まだ長野電鉄の屋代線という路線が存在してしまいましたが、昨年の4月1日に廃止され、今では列車はやってきません…。しかし、当時のホームや線路等はまだ残されている部分も多く、言ってしまえば、今でも列車がやってきそうな雰囲気です。廃止前には、しなの鉄道の169系と、長野電鉄の車両とのコラボ撮影会等も開催されていたようで、大変盛り上がった事と思いますが、今度はその169系も引退…。やはり、時代の流れなのかもしれません。
さて、しなの鉄道の旅も終わりが近付いてきました。屋代高校前駅を過ぎ、右側から長野新幹線が、左側からJR篠ノ井線が近付いてくると、篠ノ井駅となります。長野駅まで、あと3駅という場所でもありますが、ここから先は前述の通りJR東日本の路線(信越本線)となります。ただ、列車は全て長野駅まで行くので、あまり起終点駅という感じの雰囲気はありません(そういえば、しなの鉄道も、JR信越本線も、JR篠ノ井線も、この駅が起終点となってますね)。JR時代と同じく、2つの路線が合流する駅…という感じです。また、駅の管理もJR東日本が行っている為、駅の雰囲気もそのまま、JRっぽいです。起終点の駅にしては、あまりしなの鉄道らしさが感じられないのですが、仕方無いのかもしれませんね。
やってくる列車は一気にバラエティに富んでいて、JR東日本の車両は勿論、はるばる名古屋からやってくる、特急『しなの』号(左上写真参照)の姿も見る事が出来ます。また、新幹線も望む事が出来ます。今後、JR東日本では、篠ノ井線に211系やE127系を投入するらしく(右上写真参照)、更にバラエティさに拍車が掛かってきますね。しなの鉄道の路線としてはここで終わりですが、長野駅に近付いてきた…という雰囲気は感じられる駅だとは思いました。
さて、せっかくなので長野駅まで行ってみましょう。時刻は18:00頃になっており、いわゆる長野都市圏の夕ラッシュ時にあたる時間です。どんな雰囲気かなと思っていましたが、しなの鉄道を利用する帰宅客は予想以上に多く、やはり、まだまだ多くの人に利用されているな…という印象でした。ホーム上は寒いですが、しなの鉄道の列車は、実質的にここ長野駅を起点にしているので、皆で列を作って、折り返しの列車を待っています。それは東京で見る光景と変わらず、ここにもきちんと鉄道の流れがあるという事を感じさせてくれるものでした。
このまま新幹線で東京に帰っても良かったのですが、せっかく1日フリーきっぷを買っているので(長野駅~篠ノ井駅間は使えませんが…)、再度しなの鉄道に乗って、軽井沢駅まで戻ってみる事にしましょう。夕ラッシュ時の鉄道の雰囲気は、朝や昼とはまた違った印象を与えてくれるものなのです。
そんな中、乗車整理券200円が必要な、快速『しなのサンセット』号に乗ってみる事にしました。都市圏で流行りのライナー的な列車だと思われますが、以前は169系が使われていたものの、この車両はJRに乗り入れられなくなってしまったので、現在は115系が使われているのです。つまり、普段と変わらない車両であり、特に定員制というわけでもないので、何の為の200円なのか…とは思ってしまいますが、これも厳しい鉄道運営状況という事なのでしょう。列車は上田駅までノンストップで、もう終点となり、その駅で軽井沢駅行きの普通列車に接続するという形をとっています(整理券200円は長野駅出発後、車掌が車内に来て販売)。
接続列車で終点の軽井沢駅まで…という形は取らず、途中の小諸駅でいったん降りて次の列車を待ち、小諸駅始発の169系で軽井沢駅まで向かう事にしました。恐らく自分は、これが最後の169系乗車となる事でしょう。辺りはもう真っ暗で、綺麗な車窓を楽しめる感じではありませんでしたが、この列車がダイヤ的に不便な設定になっている為か、車内は非常に空いていて、思う存分169系の車内の雰囲気そのものを楽しむ事が出来ました。自分が乗った2両目の車両の乗客は、やはり169系に乗りに来てると思われる方が1人と、地元の女子高生と思われる方が2人、そして自分の計4人でした。その内、女子高生の1人が信濃追分駅で降り、もう1人は中軽井沢駅で降り、、、結局終点の軽井沢駅まで乗っていたのは、電車目的の2人だけ…という状況でした(他の車両も、似たようなものでしょう)。
軽井沢駅まで戻って、これで完全に今回の“さんぽ”は終了です。湘南色の169系に特化した感じになってしまいましたが、それだけ見届けておきたい車両でもあるのです…。引退まではもう少し時間がありますが、それまで本当に安全運転で頑張って貰いたいですね。かつて碓氷峠を長編成で通過出来た車両の1つとして、信越本線時代から、そしてしなの鉄道でも語り継がれていく事でしょう。あと2ヶ月です!
☆しなの鉄道のHP…http://www.shinanorailway.co.jp/
浅間山のまん前に、すっぽり入った169系の写真、素敵ですね。
こんな写真が自分で撮影できたらうれしいでしょうねえ。
撮影する時は「生指」って言葉が生指だけに、なんだか生々しい
…。貴重な指をお持ちなので、いろんな方面で大事に使ってくださ
いな。
子供の頃、父親の実家が長野にあったのでよく信越本線に乗りました。
横川でアプト式の機関車に付け替えていたのが懐かしいです。
高崎駅のとりめし弁当の鳥そぼろが大好きでした。
浅間山を撮るのは、本当に天候に左右されるので、
冬場の方が空気が綺麗ゆえに有利なのですが、その分
厳しい環境の中で撮影しなくてはなりません。しかし、
その苦労があってこそ、満足のいく写真に繋がるような
気もします。今回も、心に残せる写真になって良かったです♪
>ヤマトさん
ありがとございます。駅弁というのも、鉄道旅をより
魅力的にする大事なカテゴリーですよね。今でこそ、
新幹線が開通して、あまり時間を掛けずに目的地に
着いてしまうので、ゆっくりと駅弁を味わう時間は
薄れてしまったのかもしれませんが、昔はもっと
ゆったりと味わえたような気がします。それも時代の
流れだと思うと少し寂しいですが、忘れたくはない
文化ですよね。何だか駅弁が食べたくなりました(笑)。