今年の12月に、東北新幹線の八戸駅~新青森間が開通する見込みで、ついに新幹線は本州の北端である青森市にまで到達するようになります。また、来年中には九州新幹線の博多駅(博多南駅)~新八代駅間も開通し、この時に山陽新幹線との乗り入れが予定されているので、実質、東京駅~鹿児島中央駅間は線路で結ばれ、言うならば、本州の北端である青森から、九州の南端である鹿児島まで、新幹線網が完成する…という事になります。
時代の進歩は目覚ましいものですが、その一方で、廃止になった列車も少なくありません…。その代表的なものが寝台列車(ブルートレイン)で、新幹線が開通しては廃止になり、今では、残っている列車を探す方が困難という状況です。そして、先月の3月13日(土)のダイヤ改正ではついに、上野駅~金沢駅を走る寝台特急『北陸』号の廃止、夜行急行『能登』号の臨時列車化が実現されてしまい、東京と北陸を結ぶ夜行列車は、定期的には見られない…という事になってしまいました。
この『北陸』号の廃止は、実は寝耳に水でした。…と言うのは、今までのパターンからして、並行する新幹線が開通するから廃止させる…というものが、暗黙ながら?あった気がしていたのですが、この区間の、いわゆる“北陸新幹線”と呼ばれる金沢駅までの開通は2014年を目指しており、まだ時期尚早なのではないかと思ったからでした。
しかし、これは現実です。このダイヤ改正が発表されたのは、そこから約3ヶ月くらい前の、昨年の12月の頃でしたが、これは早い時期に北陸に向かっておかなければなりません。ただ、寝台特急『北陸』号は、結構至近の時期に乗っていた事がありましたので〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 30.ブルートレイン編(2009.6.22~6.25)参照〕、今回は夜行急行『能登』号に乗っておく事にしましょう。後述しますが、この列車も相当貴重な列車に属するものなのです…。実は、この列車も約4年ほど前に乗った事がありましたが〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 3.北陸編(2006.4.16~4.17)参照〕(笑)、ならばあの時とは逆のルートで、金沢駅~上野駅と、上り列車に乗ってみる事にしましょう。
これだけでも十分な列車旅となりますが(笑)、実はこの3月13日のダイヤ改正では、その他の北陸地区の列車にも色々な変化を引き起こすダイヤ改正ともなっており、今の内に乗らなければならない路線が他にも沢山あったのです…。成程、それなら全てひっくるめて、ダイヤ改正を前に、北陸地区の列車事情の“今”を見ておこうではありませんか。
…そんな事を思ったのが、実は既に2月末の事(笑)。計画も何も、結構ギリギリな決断ではあったのですが、今回の北陸の旅が実現しました。また長い事になるかもしれませんが(笑)、末永くお楽しみ下さいませ。
●飛行機で、羽田から富山へ…
帰路に関しては、前述のように夜行列車で帰る事が決定していましたが、北陸への往路に関してはノープランでした。ただ、よく考えると、もし北陸新幹線が金沢駅まで開通した時に、そこまで飛んでいる飛行機はどうなるのだろう…と頭を過ぎったのです。予想ですが、新幹線というスピードを考えると、東京駅~金沢駅間で、軽く2時間半くらいで結んでしまうのではないかと思います。これが東京駅~富山駅間になると更に早く、2時間10分くらいにはなるかと思うのですが、この時間ですと、さすがに航空機は太刀打ちできなく、恐らくは路線ごと廃止になってしまうかもしれません(こういった例には、羽田~新潟線、羽田~仙台線等があります)。…という事は、これから羽田~富山線という飛行機の路線は、ますます貴重になっていくのではないでしょうか…。これらは机上の論議ではありますが、羽田~富山線というのは、羽田空港を発着する路線の中でも、離島行きを除くと、かなり短距離を飛ぶ路線という事になります。その体験という意味でも興味深いものであると認識しつつ、3月7日の朝、自分は羽田空港の人となっていました。出発時刻は6:50発と、非常に早いものでしたが、これなら現地で有効的に時間が使えるというものです。
羽田~富山線というのは、実は4年前の北陸を旅した際に乗った事があったのですが、この時は富山発、羽田行きの便で、今回とは逆方向であり、しかも夜の便だったので、機内からの景色というのは皆無でした。しかし、東京~北陸を結ぶ飛行機路線というのは、本州を横断するだけあって、屈指の絶景路線とも言われており、富士山はもちろん、アルプスの山々や信州地区を見下ろしながらのフライトになります。今回は朝早くだったので自分はかなり期待して、もちろん窓側の席を抑えていたのですが、写真を見ての通り、生憎の天気です。奇跡的に晴れないか…という思いも虚しく、出発から着陸まで、殆どが雲の上、雲の中の飛行となってしまいました…。今度、いつ乗れるか分からないというのに、何だか勿体無い事です。
飛行機という乗り物は、目的地が遠ければ遠いほど、燃料を沢山積んでいて重いので、離陸時の滑走距離(滑走時間)が長くなる…というのは、前のブログで書いた事があると思うのですが〔竹内大輔の写真日記(~2009)、成田空港飛行機撮影 1.(おまけ編)参照〕、それならば羽田~富山線というのは、かなりの短距離路線…という事になるので、滑走距離も相当短い筈です。これは実際にそうで、離陸の助走を始めて、本当にあっという間に飛行機は浮き上がっていってしまいました…。自分は、羽田空港からの離陸は、もう何度も体験している為、ある程度の離陸地点は予想が付いてしまうくらいだと自負はしていたのですが、今回ばかりは予想を遥かに超える早さの離陸でした。ある意味で呆気無く、そして軽い離陸でした。本当に、富山というのは航路上では近い場所なのでしょうね…。
実際、時刻表上では6:50に出発し、7:55に富山空港に到着する事になっているので、実際の飛行時間というと、50分にも満たないわけです。その間にドリンクのサービス(離陸に10分、着陸に20分以上は要するので、シートベルトが消えている時間というのは、本当に僅かな時間なのです)等もあるわけですが、この日は空席が目立ったから良いものの、満員の機内ではCAも大変なのではないかと思いました。そう言えば4月から全日空は、国内線も水とお茶を除き、飲み物が有料になるそうです。これは、今の内にフリー・ドリンクを楽しんでおいた方が良いですね。個人的には、お気に入りのコンソメ・スープをいつも注文していまいますが…。
そして、飛行機はあっという間に着陸態勢に入りました。すぐに雲の中に入り、暫くはどのような動きをしているのかさえ分からない状態になります。そして、着陸5分くらい前になって、やっと雲の下に出ましたが、天気が悪いのか、結構飛行機は揺れが目立っている感じでした…。富山空港は海側からの進入が基本ですが、この日は、いつものように海側から滑走路を目指したものの、着陸直前で滑走路へのコースから外れ、ぐるっとその反対側に回って、逆側からの侵入となっていました。恐らく風の影響だと思いますが(飛行機の離着陸というのは、向かい風で行うのが基本なのです)、この時は、かなり低空の所で旋回していたりしたので、結構スリル満点の着陸となりましたね。こちら側は楽しかったですが、パイロット的には高度な技術が要求された事でしょう。
さて、飛行機は若干遅れ、丁度8:00頃の到着となりましたが、もう既に旅は始まっています。少し時間を気にしつつ、空港の外に出る事にしました。…この日、富山は東京と同じで雨という天気でしたが、気温はぐっと低く4度(!)でした。まあ、この方が、北陸に来たという感触を味わえるというものですが…(笑)。
●JR高山本線(1日目)
空港から外に出て、いきなり自分はタクシーに乗り込みました。これからJR高山本線の笹津という駅に向かう為です。距離的には空港から12~13kmという感じですが、この駅を8:43に発車する列車に乗らないと、この日の予定はガタガタになってしまうのです(それくらい列車の本数が少ないのです)。空港からは富山駅行きのバスが出ていて、高山本線の列車も富山駅から出てはいるのですが、これだと連絡の時間が間に合わなくなってしまうので、今のような手段を取ったわけです。…なので、飛行機が5分遅れで富山空港に到着したというのも、若干自分は焦りの気持が無いわけでは無かったのですが、笹津駅に着いてみれば、8:20頃の到着で、結果的には全然余裕という事になりました。…というわけで、ここから列車旅の始まります(笑)。
特急『(ワイドビュー)ひだ』号が通過して暫くして、2両編成の猪谷駅行きの列車がやってきました。笹津駅は、駅舎自体は新しそうでしたが無人駅で、駅周辺は大変静かなところだったと思います。ここは富山平野の南端ぐらいの場所に辺り、高山本線はここから更に、南の方向を目指して進んでいくのですが、早速山が近くまで迫ってくるようになり、いわゆる山岳路線へと変化を遂げていくわけです。
猪谷という駅は笹津駅から2つ目の駅で、ここでJR西日本からJR東海の路線となり、運行上の分岐駅でもあるので、特急列車以外では。ここで乗り換えが必然となります。自分が乗ってきた列車も例外では無く、車両もJR東海のものになり、更に山を越えていきます。この駅の時点で、さっきまで降っていた雨は雪へと変わり、山々にも残雪が見られるようになりましたが、まだまだ雪の景色はこれからなのです。
ここからは、雪もちらつき…という程度では無く、この季節になると毎年雪との戦いにもなる区間…であるとも言えます。それは車窓から見ても明らかで、どんどん山と山の間は狭くなっていき、列車も川に沿って走っていくか、橋梁かトンネルかで抜けて行く区間が目立ってきます。列車と並行して走っている道路のほうは、雪や雪崩から守る為か、シェルターに覆われた部分が多くなり、それは鉄道側も同じ状況です。この区間を走る普通列車は1日に8往復しかないのも、環境的に厳しい所を走っているというのを物語ってくれていますね。
こんな感じの区間を30~40分程走っていき飛騨細江という駅に着くと、少し山々も減ってきて、ちょっとした平地に出たという感じになります。高山盆地に出た証拠で、ここから高山駅までは、盆地の中をひた走るので、急勾配やトンネル…といった状況は出てきません。しかし、明らかに周りは雪深くなっている事から、やはり山の中に来たという印象は強いですね。実際、高山は山の中の町でもあるので、車窓も富山市内の時とは一味違います。そうして猪谷駅を出てから約1時間して、高山駅に到着しました。
高山へ来たのは今回が2回目です。実は、1回目に来たのは昨年の2月頃と〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 28.飛騨高山編(2009.2.24~2.25)参照〕、言わば最近来たばかり(笑)でもあったのですが、この時に自分は高山本線の高山駅~美濃太田間に初めて乗り、そこから考えると、先程の富山駅~高山駅間は、まだ未乗車…という事になっていました。それが何だか妙にもどかしく(笑)、今回の乗車に至ったわけなのです。また、昨年は驚くほど雪が少なく、何だか拍子抜けしてしまっていた部分もあったので、ちゃんと雪がある高山…というのが見たかったというのも、理由として小さくはありません。
…つまり、今回の高山本線は、正に“乗る為”だけの乗車であり、特に高山に用事があったわけではないのです(笑)。そもそも列車旅というのは、列車に乗る事自体が目的としているので、別に間違った事をしている感覚も無く、この高山には45分間の滞在のみで、さっさと富山駅行きの特急『(ワイドビュー)ひだ』号で、今来た道を引き返す事にしてしまいました(笑)。
昨年、高山に来た時にも乗ってきたこの特急ですが、列車名に“ワイドビュー”と冠しているだけあって、窓からの眺めは抜群で、座席が通路より1段高く設定されていて、そして窓自体も大きいサイズになっています。もちろんスピードも速いのですが、それは高山より南の区間の話しであって、高山駅~富山駅間の区間は、利用者も少なく本数も少ないので、そんなに線路設備にも手に入れいている感じではなさそうでした。実際、名古屋駅から来た特急は、日曜日という事もあり9両編成でやってきたのですが、ここ高山駅で6両を切り離し、終点の富山駅までは残りの3両という陣容でした…。利用者の少なさが窺えるというものです。
特急ですと、高山駅から富山駅までは大体1時間半くらいで到着します。先程通ってきた笹津駅も簡単に通過し、弁当を食べてた以外は殆ど車内で寝てしまっていたので、それこそあっという間の到着でした。せっかく良い景色なので、勿体無い感じもありましたが、やはり車窓というのは、なるべく鈍行列車から、ゆっくり見たいものなのですよね…。まあ、言い訳には違いありませんが…(笑)。
●JR大糸線のキハ52形に乗る
富山駅に着いた後、今度はJR北陸本線で糸魚川駅へと向かいました。特急列車でも50分くらい掛かる行程なので、結構な距離の移動でしたが、そこまでして行きたかったのは、ここから出ているJR大糸線の、キハ52形という車両に乗りたかった為です。
キハ52形という車両は、国鉄時代の1958年に登場したディーゼルカーの車両です。1両に2つのエンジンを積んでいるので勾配に強く、なおかつ単行(1両編成)での運転が可能という事で(両運転台の車両なので)、非電化の山岳ローカル線には重宝された車両でした。どちらかと言うと、1両単位で運転出来るところがメリットのように使われていましたが、国鉄がJRになり、新しいディーゼルカーが続々と登場してくると、急激にその活躍場所を失い始めてしまうのです。
特にこの1、2年は急ピッチの交代劇で、ついに日本全国で見られるJRキハ52形は、この大糸線だけとなってしまったのです。言わば最後の活躍場所ですが、それも今年の3月13日には新しい車両に入れ替わる事が決定してしまいました…。これでキハ52形の定期運転は終了となってしまうのです。
実際のところ、大糸線を走るキハ52形は1965年、66年製で、車両寿命から考えても、よく現在まで走っていたなという感じですが、他に適当な代替車両が今まで無かった事が、今日まで生き永らえた理由なのかもしれません。また、大糸線という路線の特徴も、その事に大きな影響を与えていたように思います。
JR大糸線は、ここ糸魚川駅から長野県の松本駅までを結ぶ路線ですが、糸魚川駅から途中の南小谷駅まではJR西日本の路線で、南小谷駅から松本駅までの間はJR東日本の路線となっているのです。勿論、これは国鉄がJRになった際に行われた措置ではありますが、そもそも現在のJR西日本の区間だけ電化されておらず、使われる車両も元々異なっていたので、南小谷駅が境界駅となるのも当然だったように思います。
これで、南小谷駅より北側の区間は、JR東日本とは殆ど関係の無い路線になってしまいましたが、もう一方の糸魚川駅側で接続する路線というのも、JR北陸本線のみ(勿論、電化路線)という事で、どちらかと言うと、大糸線のJR西日本区間は、他の路線から取り残されたような存在になってしまうのです。
大糸線の糸魚川駅~南小谷駅は、道中が日本屈指の険しさで、人口もかなり少ないところを通る為、列車の本数も事の他少ないです。実際のところ、区間運転の列車を含めても、1日9往復しか設定されておらず、かなりのローカル線と言っても過言ではありません。これにより近代化も遅れたと思うのですが、結果的に、最後のキハ52形が定期運行している路線ともなったわけですね…。
…さて、概要はこれくらいにして、早速キハ52形に乗って、南小谷駅まで向かいましょう。流石にキハ52形が終焉間近というのは広く知られていて、車内は既に満員状態でした。普段ならば、数えるくらいの乗客しかいないような路線です。
現在大糸線に配置されているキハ52形は3両で、これで全てなのですが、この3両で全運用を賄える程でもあるのです。そして、その3両すべてが旧国鉄塗装に塗り替えられていて、しかも3両とも異なった塗装になっているので、ファンの目を喜ばせてくれます。常時2両運用で、残りの1両が同日には見れないのが残念ですが、もはや現役のキハ52形に乗れるだけでも貴重な事です。ここはじっくりと体験しておきたいものでした。
糸魚川駅を出て、姫川という川に沿って南にずっと下っていきます。この姫川…、名前からは想像出来ない程の暴れ川として有名で、1995年にはこの大糸線も土砂災害の犠牲となってしまい(橋脚が流されたのです)、長い間運行できない時期が続いていた事もありました。それは糸魚川駅を出て1つか2つ目の駅で、すぐに雰囲気的に分かる筈です。急激に山肌が迫り、もはや渓谷に近い感じで列車は進んでいくのです…。また、雪もいきなり深くなり、先程のJR高山本線より急に、険しい道のりに突入…という感じでもあります。
豪雪地帯に入り、雪も降ってくるようになって、視界も悪くなってきました…。山肌も迫り、高山本線と同じように、トンネル、スノーシェッドが続く区間が目立ってくるようになります。おまけにカーブも多く、列車は徐行運転をしているかのような速度で、ゆっくりと、しかし確実に線路を踏み締めて走ります。
最近の車両というのは、色々と軽量化も進んでいて、こんな時に1両編成では何だか頼りなく思えてしまう車両ばかりなのですが、このキハ52形の重厚な走りっぷりはどうでしょう。明らかに、現在の車両では味わえないような雰囲気を持っています。また、旧国鉄塗装の持つ懐かしい感じも、そうさせるのでしょうか…。車内は混雑していたので、結局座席には座れないままでしたが、南小谷駅までの約1時間、なかなか感慨深い時間を過ごさせて頂きました。前述したように、南小谷駅はJR東日本との境界駅。こちらは新宿までの直通列車が運転されている程で、急に垢抜けた雰囲気を感じてしまいましたね…。
もう雪は本格的に舞っていて、特に駅前散策も出来ない感じでしたが、自分はすぐ折り返し、再度糸魚川駅へと向かうので、特に気にしない感じで進めました(笑)。束の間のJR東日本管内の滞在でしたが、今回の旅のメインは北陸系統です。JR東日本の車両は、どうも“北陸”という響きには合いません。
このまま糸魚川駅に直接向かうのではなく、途中の平岩という駅で降りてみました。ここは、糸魚川駅からの区間列車の折り返しに設定されている駅でもあり、乗ってきた列車で降りると、今から45分後くらいにちょうど折り返し列車がやってきて、15分程の停車をしてまた糸魚川駅に向かうという光景が見られるのです。平岩駅は特に大きな駅でもなく、むしろ無人駅だったのですが、付近に温泉や集落もあって、なかなか風情ある場所でした。
さて、ここでのメインは“撮影”です。雪の中を走るキハ52形は、また勇ましくも見える事でしょう。ギリギリ今乗ってきた車両も写真に収める事ができ(右上写真参照…駅に到着してから発車するまでが、割りとゆっくりしていたのが幸いでした)、後は折り返し列車を待つだけでしたが、この辺りから本格的に雪が激しく降ってきてしまい、外での待機は危険と判断しました。結局、平岩駅の駅待合室で時間を潰していましたが、他にも何人か同じ境遇の人がいた様子で、やはり皆、大糸線のキハ52形を捉えるのに必死なのですね…(笑)。
やがて、糸魚川駅からの折り返し列車が到着。姫川を渡る橋脚付近に移動していた自分も無事に撮影を終え、そのまま平岩駅に戻りましたが、当駅は、今その列車に乗ってきた乗客と、先程の自分と同じ境遇の人を合わせ、急に賑やかになっていました。駅から、特にお客さんが降りていった形跡も無かったので、これは明らかにキハ52形に乗る為だけに、ここに来た人達です。雪の降る中でしたが皆、ぽつんと佇むキハ52形にカメラを向けては、さながら人気者の撮影会みたいになってましたね(笑)。…まあ、自分もその1人であるのは確かでしたが、こういった雰囲気で、ゆっくりとキハ52形を撮れる機会も少ない筈なので、自分が思った以上に皆、敢えて狙って来ていたのかもしれません。この時のキハ52形は、首都圏塗装と言われる朱色塗装の車両で、また暖かみのある光景が展開されていたとも思いました。
さて、名残惜しいですが、出発の時刻になりました。このまま糸魚川駅まで乗ってしまうと、もう次に立ち寄る時には、別の新しい車両に取り替わっている事でしょう。自分にとっては最後のキハ52形でしたが、最後まで勇ましい走りを見せつけてくれました。そして、終点の糸魚川駅に着いてお客さんを降ろすと、すぐに電源を切ってしまったようでした…。恐らく、この日の運用は全て終えたという事なのでしょう(この後は終電まで、1両運用で賄えるので…)。まだ18:00を回ったところですが、高齢の車両は、眠るのも早い…といったところでしょうか。停車していたキハ52形も、最後の時をゆっくりと過ごしているように見え、自分も早々と富山に戻る事にしました…。運転終了まであと1週間…という時でしたが、乗る事が出来たのは、本当に良かったのだと思います。
まだまだ続きます!