実際、工事も終盤に差し掛かっていた調布駅を色々な角度から眺められたので、これは今後は貴重な記録になるかもしれません。その部分も含めつつ、相模原線の現状を追ってみたいと思います。それではどうぞ御覧下さい!
●日時…2012年8月13日 ●路線距離…22,6km ●駅数…12駅
相模原線の起点は調布駅となっていますが、ここは京王本線の中間駅ともなっていて、日中は半数以上の列車が、新宿方面からの直通列車となっています。ダイヤは20分サイクルとなっていて、内訳を見ると、都営新宿線からの急行が1本、新宿駅からの快速が1本(相模原線内は各駅停車)、調布駅始発の各停が1本…となっています。つまりは20分に1本は、調布駅始発の列車が設定されているわけですが、今までは調布駅の狭さが問題になっていました。
上の写真を見て下さい。これは調布駅から新宿側を見た所で、上り線に列車が停まっているのが分かります。これは、相模原線からやってきた調布駅止まりの上り列車で、当駅で折り返して下り橋本駅行きになるのですが、この調布駅には、折り返し線が設置されていないのです。つまりは調布駅に停車後、そのまま新宿寄りに走行していき、上り本線上で折り返しをしなければならないわけで、要するにその間には、上り線に他の列車は走行出来ません。当然、折り返し時には下り線も他の列車は走行出来ないわけで、ダイヤ上にはかなりのネックになっているのです。本線は結構な本数が走っていて、やはり20分サイクルではありますが、準特急が2本、急行が1本、快速が1本、各停が2本と、計6本も走っていて、この本数の間に折り返しをしなければならないのです。
新宿側も大変ですが、その逆側も大変です。調布駅が相模原線の起点となっているので、要するにこの駅で本線と相模原線が分岐するわけですが、これが立体で分岐するわけではなく、下り線と上り線が干渉する平面分岐となっているのです。具体的には、下り本線方面の列車と、相模原線から来た上り線の列車は同時に走行出来ないわけで、実際、調布駅に進入する相模原線が、この分岐点の手前で信号待ちをしている状況は日常茶飯事となっています。日中でそうなのですから、ラッシュ時は更に顕著となっており、そのまま他の列車にも波及し、先程の新宿側の事情とも併せて、地下化は急務でもあったのです。また、当然の事ながら沿線の踏切は、ほぼ開かずの踏切ともなっていて、列車だけではなく、沿線住民にとっても、待ちに待たれた地下化ではありました。
ちなみに、地下化された後の調布駅は、上り線(地下3階)と下り線(地下2階)と階層が分かれており、勿論それぞれが干渉する事も無く、劇的にダイヤはスムーズになる筈です(…とは言え、やはり折り返し線は設置されておらず、相模原線から来た調布駅止まりの列車は、現在はつつじヶ丘駅まで回送されて、それで折り返してきます…)。そして、それに伴うダイヤ改定も行われてますが、改正ではなく“改定”となっており、今年度中に、抜本的なダイヤ改正が行われるとの事でした。一体どんな内容になるかが楽しみですが、今回の改定では“特急”が廃止されており(一応、休止扱いですが…)、あまり後ろ向きなダイヤ改正にならない事を祈りたいものですね(笑)。
これまでの調布駅舎は仮設のものとなっていましたが、晴れて地下1階が主要の改札口になりました。そうなると、これまでの駅舎も取り壊しになるのだと思いますが、直前の記録ができて良かったです。
さて、長くなってしまいましたが、この先の“さんぽ”に向かう事にしましょう。…とは言え、相模原線の大きな話題は、この調布駅が殆どだったので、後は気軽な感じで、のんびりと行ければと思います(笑)。…では、ゆっくりと向かいましょう♪
列車は調布駅を出ると、すぐに左に急カーブをし、進路を西から南へと変えて進み始めます。そのまま、高架になって京王多摩川駅となりますが、調布駅が地下化された現在では、地下からここまで、一気に駆け上がってくる姿が見れる事でしょう。
調布駅から、この京王多摩川駅までの1区間は、京王相模原線で一番最初に開通した区間でもあり、以前“さんぽ”をした西武多摩川線〔鉄道さんぽ 2.(西武鉄道、多摩川線編)参照〕と同じく、当時、多摩川で採れた砂利を、都心に運搬する目的で造られた路線でした(当時は、このような目的の鉄道は幾つも存在していました)。これが1916年の事でしたが、この先の区間の開通は1971年まで待つ事になります。
これは言うまでもなく、多摩ニュータウン開発事業が決定した為で、その住民の足には鉄道開通が不可欠という事で、この京王と隣りの小田急が、この地域への路線免許の申請に名乗りを挙げるのです(…ちなみに、この時西武鉄道も、多摩川線を延伸させての申請を行ったらしいのですが、武蔵境駅からの中央線の負担が大きくなるだろうという事で、取り下げられてしまったそうです)。建設は1968年から始まり、1971年に京王よみうりランド駅まで、1974年に京王多摩センター駅まで開通しました。
さて、京王多摩川駅の先に進んでみましょう。駅を出るとすぐに多摩川を越え、渡り終えると今度は右にカーブをし、また進路は西にとりながら、京王稲田堤駅に到着します。ホームからはJR南武線の線路も見え、近くの稲田堤駅までは徒歩で4~5分程度です。急行が停車する駅でもあります。
この先は多摩丘陵の麓に沿って進むような感じになり、京王よみうりランド駅へ…。今でこそ珍しくはないですが、当時この駅は、漢字、ひらがな、カタカナが入り混じった駅名として有名でもありました(笑)。そして、この次の稲城駅からは、丘陵の麓…と言うよりは、丘陵地に飛び込んでいくような形で先に進んでいきます。
稲城駅を出るとすぐに、武蔵野線の高架橋を潜ります。…とは言え、この区間の武蔵野線は貨物営業のみを行っていて(通称、武蔵野南線と呼ばれています)、通常はこの路線を一般の旅客者が乗るのは不可能ですが、たまに臨時で旅客列車は設定されており、その時はこの区間から、相模原線の線路を見下ろす事が出来るでしょう。この武蔵野南線は、府中本町駅~鶴見駅(厳密には新鶴見信号所)までを結んでおり、その殆どがトンネル区間となっています。
さて、相模原線に戻り、次は広い構内を持つ若葉台駅に着きます。2面4線のホームを持ちながら、各停しか停車しない駅でもありますが、これは若葉台検車区、工場が併設されている為でもあり、朝、夕ラッシュ時を中心に、当駅では車両の入れ替えが頻繁に行われています。相模原線は、都営新宿線との直通運転を行っており、京王線の車両、都営線の車両、そしてそれぞれに8両、10両編成がある事から、運用形態が複雑となっており(それでも現在はマシになったのですが…笑)、昔はこの駅で乗り換えを余儀無くさせられたものです(要は、若葉台駅止まりの列車から、若葉台始発の別の列車に乗り継ぐ形です…現在は、多摩センター駅にて、その多くが行われています)。
若葉台駅を出ると、左から小田急多摩線が合流してきます(上写真参照…手前の線路が小田急多摩線です)。このまま京王永山駅、京王多摩センター駅(小田急は、小田急永山駅、小田急多摩センター駅)と並行して進んでいき、どちらも新宿というターミナルに繋がっている為、若干ライバル感の高い駅でもあります。
…とは言え、賑やかなのは圧倒時に京王線の方です。これは、京王相模原線が昔から新宿直通を意識したダイヤとなっていた為で、特に昔は、小田急側は、そもそもの本線の町田側からの乗客数が逼迫していた為に、多摩センター側からの直通を多く設定する事が出来ず、本線と合流する新百合ヶ丘駅止まりの列車ばかりが運行されていたからです。しかし、今では小田急の線路容量も、複々線等が完成して余裕が出来てきて、東京メトロ千代田線からの直通列車、多摩急行が設定されて新たなアクセス・ルートが出来る等、現在では京王:小田急が2:1くらいの利用者数となっているそうです。ちなみに日中の1時間あたりのダイヤ構成を比べてみると、京王が、都営新宿線直通の急行が3本、相模原線内は各停の快速が3本、調布駅止まりの各停が3本…。小田急が、千代田線直通の急行(多摩急行)が2本、ほぼ各駅停車に近い、新宿駅行きの区間準急が2本、新百合ヶ丘駅止まりの列車が4本…という感じです。基本はどちらも10分間隔で、京王は20分に1本、小田急は30分に1本に優等列車が走るイメージですね。どちらも、本線との合流駅で、更なる優等列車に乗り換える事が出来るので優劣は付け難いですが、今後の展開も見ものかもしれませんね。
…とにかく、ここは多摩センターの中枢となる駅です。2000年には多摩都市モノレールも開通し、更に交通の要衝になってきた感じはあります(若干、乗り換えは歩くのですが…笑)。また、バスの充実度も見逃せなく、ここからは羽田空港や成田空港への直通バス等も運行されており、今後もますます、多摩地区の重要な拠点として発展していきそうですね。是非とも鉄道にも頑張って貰いたいものです(笑)。
さて、この京王多摩センター駅から先は、更に開業が遅れた区間でもあります。沿線との交渉が難航した為で、当時はここから先、終点の橋本駅までは一気に開通させる筈でしたが、結局は途中の南大沢駅までが1988年に、そして、終点の橋本駅まで全通したのは1990年の事でした。途中駅の順番は、京王堀之内駅、南大沢駅、多摩境駅、そして終点の橋本駅となっていますが、この多摩境駅が開業したのは1991年と、橋本駅の開通よりも後になっています。これには理由があって、京王多摩川駅より西の区間が、ニュータウン計画に基づく新線区間であり、建設費等に補助金が出るのですが、補助金が出るのはニュータウン地域の次の駅まで…という決まりがありました。当時は南大沢駅までが多摩ニュータウン内となっていて、これで現在の多摩境駅を造ると、補助金がこの駅までしか割り当てられないのです。そこで先に終点の(つまり、南大沢駅の次の駅)橋本駅までを開通させ、後から中間に多摩境駅を造ったのですが、結果的に駅の開業の遅れにも繋がったと言え、相模原線の事情をよく表している歴史になりましたね。
さて、多摩丘陵をトンネルで一気に抜け、多摩境駅を過ぎると、終点の橋本駅はもうすぐとなります。高架の線路の左眼下には、JR横浜線、JR相模線が見えてきて、それらを越えると、そのまま高架駅の終点、橋本駅となります。
何だかまだ先に進めそうな構造となっていますが、実際にそうで、当初は京王としては、橋本駅を経て、この先の相模中野方面への申請路線免許を取得していました。延伸先の用地も、所々に確保されたいたようですが、延伸予定区間の路線免許は失効してしまい、その多くの土地は地元不動産会社に放出される事になります。その最もたるものが、橋本駅の終端のすぐ先に見えるマンション(写真右下参照)です。これでは、先に延伸しようにも、もう物理的に無理な状況となってしまっているので、延伸の話しも夢物語のような感じになってきてしまいました。
相模原線は、その開業が比較的新しく、線形も良いのでスピードが出せ、駅構造なども広めにとってあり、平たく言えば“余裕のある”路線です。営業路線としての潜在能力は高く、この先の延伸も無くは無い…と考えてしまう程なのですが、今後はどうなるのでしょうか…。ここは静かに見守っていきたいものですね。
比較的新しい話題としては、リニア中央新幹線の経由地として、この橋本駅が駅候補の1つとして調整が進められているという点でしょうか。東京と大阪を、ほぼ直線で結んだ建設ルートが予定され、その所要時間は1時間!という、何とも未来の乗り物がこの橋本駅を通るとなると、周りの交通網も変わってきそうですね。そもそもリニア中央新幹線は、すぐには東京都への乗り入れが困難という事情もあり、東京側の起点が、暫定的にこの橋本駅になる…という可能性も無くは無いのです。
そうなると、新宿駅まで1本で行ける相模原線は、より速達を重視した、日本における大動脈の一環として旅客を担う事になる可能性も大です。また、リニア中央新幹線の東京側の起点駅は品川駅になるという話しもあり(東海道新幹線が通っている事や、地下区間に余裕がある事、羽田空港へのアクセスの良さ…等がその選定の理由です)、そうなると、やはり新宿へは橋本駅から相模原線利用が便利…なのかもしれません。
こう考えてくると、調布駅の地下化による、平面分岐支障の解消というのは、これらの背景も踏まえたものなのではないか…という考えにまで発展してきてしまいそうです。まだ少し先の話しなので(…とは言え、リニア中央新幹線は、首都圏~中京圏の先行開業を2027年と設定しているので、たかが15年…という見方もあります)何とも言えないですが、その歴史の一環を見れたという点でも、今回の“鉄道さんぽ”は意味のあるものになったのではないでしょうか…。ひとまず、今後が楽しみな路線である事は間違い無いという事ですね。引き続き、情報を追っていきましょう!
☆京王電鉄のHP…http://www.keio.co.jp/
なりました。
橋本駅のすぐ先のマンションの写真を見ると何か不思議ですね。
リニア中央新幹線についても心に留めておきたいです。
19日の未明から、午前中にかけて地下化の仕上げ(?)があり、
その道の方の見学者がかなりいらしたらしいです。この日はあの
「すみだジャズ→Jazz Jungle」の長丁場な日なので、まさか
ね…と思いつつ会場に向かったわけですが、事前にいろいろ見学
されていたことがわかり、安心(笑)しましたよ。
自分は、小学校2年の夏休みの時に、京王線のスタンプラリー
というものを実行しており、その時に全線全駅を制覇して
いたのですが(その時は京王多摩センター駅が終点でした)、
あれから考えると、相模原線の発展振りは目覚ましいものです。
更に、地下化!…なんて、当時は考えもしませんでしたが、
切り替え当日に行くわけにもいかず(笑)、事前に見届け
させて頂きました。今後もまた楽しみにしていきたいです♪