ボーイング787は、御存知のように?全日空が世界に先駆けて導入した新型旅客機で、今後恐らく世界のスタンダードとなる旅客機でもあります。しかし、この時点で稼働しているのは、その全日空に導入された本当に1機のみで、これが現在のところの、世界で運航している唯一のボーイング787でもあるのです。
これは乗らないわけにはいきません…。定期便に導入されたのは11月1日と、まだまだ間もない状態で、それまでに記念のチャーター便で何便か運航されていたものの、搭乗者数の順番で言えば、世界で2000番目の乗客にはなれているでしょう…(笑)。現在のボーイング787の運航スケジュールを見ると、羽田空港を拠点に、午前中に岡山を往復、午後に広島を往復するというもので、1日を有効に使うには、早朝の岡山空港行きに乗るのがベストだと思いました。11月1日の便も一瞬は検討したものの、即座に完売となっていたようで、今回の2日の便にしたわけですが、それでもまだまだ新鮮な話題を振りまいてくれる時期なのは確かです。それは当日はウキウキ気分で空港に向かったものでした(笑)。
●満席のボーイング787
当日の羽田空港の天気は良好…。正に新型飛行機の搭乗日和です。岡山空港行きの当便は羽田空港出発が7:30なので、結構な早起きをしたわけですが、貴重な飛行機に乗る為には、その苦労も厭わないというものです。少し早めに空港に着き、展望デッキからその機体全容を眺めようとしますが、既に先客が何名かいたのに驚きました(恐らく飛行機に乗るのではなくて、見に来ただけだったと思われます)。しかし、自分はこの時に初めて見ましたが、今までの旅客機とは異なった容姿、スラッと伸びる翼、大きく機体に描かれた787の文字(全日空に導入された最初の2機だけ、このような特別塗装となるようです…)と、そのオーラは流石のものが感じられました。今からこの飛行機に乗れると思うと嬉しくなりますが、乗ってしまうとその容姿は見れなくなってしまうので(当たり前)しっかりと今の内に目に焼き付けておきたいものでした。
さて、搭乗ゲートに移動しましょう。平日のこの時間の岡山便なんて、それは空いているに決まっているものなのですが、流石にこの便は満席…と言いますか、付近の他の便と比べて、この便だけ満席という状況からも、ボーイング787に乗る為だけに来ている人が多いのが窺るというものです。もしかしたら、たまたま利用した…という人もいたのかもしれませんが、こんなに賑やかな状況に驚かされる事でしょうね…。飛行機好きの方達だけではなく、恐らくそんなに飛行機に興味の無い方でも、頻りに飛行機にカメラを向けているのが印象的でした。
いよいよ機内に向かいます。満席という事で、その搭乗には時間が掛かりそうですが、これが意外にもスムーズでした。機体の大きさも、巨大…というわけではない割に、広い機内がそうさせているのかもしれませんが、特に飛行機のドア周辺の広さや、天井の高さ、荷物入れの大きさには目新しいものを感じましたね。そして、従来の飛行機より約1,6倍も大きくなった窓…。自分は今回、運良く窓側の席が取れたので、直にその変化を体験する事が出来ましたが、日除けのシェードが無く、電子カーテンという、窓に青い色味が付いていく事で光の透過率を調節する装置(乗客がボタンで調節できます)も間近に見る事が出来ました。
座席も真新しい物でしたが、これは今後の全日空の機体の標準となっていく仕様らしく、既に従来のボーイング777等にも導入されている座席なので、そこまで感動するものではないのかもしれませんが、自分にとっては初めてですし、そもそもこの機体は、将来は近距離国際線に投入される予定になっている機体なので、座席も国際線仕様になっているのです。現在、1機しか無い状態で、乗務員、スタッフ等にこの機体に慣れて貰う意味合いもあるのでしょうね。特に、プレミアムクラスの方は、本来はビジネスクラスで提供される座席ですから、現在はお得な料金で利用出来てしまうわけで(その代わり、1時間半弱のフライトですが…笑)、こちらの人気も高いものになっています。
…と、色々目移りをしてしまいますが(笑)、飛行機は定刻通りに動き始めました。まだ定期便の運航から2日目で、特に混雑する状況下では流石だと思いますが、これも全日空の実力とも言えそうです。何度も体験している羽田空港離陸ですが、この時ばかりはとても新鮮なものを感じさせてくれたものでした。
今回、自分は窓側の席でしたが、翼の上という、どちらかと言うと外があまり見えない席でもありました。しかし、それはそれで主翼の大きさや、上向きにしなった特徴的な形がよく分かりましたし、そもそも窓側という自体が贅沢な状況です。隣に座っていた人も、何とか外の景色を見ようとしているように窺えましたしね…(笑)。
羽田空港上では晴れていましたが、やがて飛行機は雲上飛行となっていて、下の景色もよく分からなくなってきてしまいました。そうなると、ついつい機内の方に目がいってしまいますが、CAの方々は皆、常務に追われていて大変そうです。満席の機内ですから仕方の無い事ですが、グッズもよく売れていそうでしたし、何より賑やかなのは良い事です。
自分も少し、機内を探索していました。やはり目に付くのは機内のデザインで、曲線が多く使われ、目にも優しいというか、限りある空間で、広さを思わせる造りにもなっているように感じました。また、照明もLEDが使われていて、何色ものパターンがあるそうなので、これは長距離の国際線で生かされる事でしょう(照明を、時差に合わせて明るさを変えていく事で、身体への時差の負担を軽減する役割があるそうです)。そして、写真では伝えられないですが、湿度や気圧の設定も、従来より地上の感覚に近付けるようにしてあるので、これが搭乗者には何よりの朗報なのではないかと思います。実際、それは乗っていても気付けるもので、特に湿度は、分かりやすく変化を感じる部分かもしれません。
さて、飲み物サービスも終わると、そろそろ岡山空港へ降下を始めるというアナウンスが流れます。本当にあっという間であり、順調過ぎるフライトでしたが、これも全日空の努力の結晶でしょう…。何せ、この飛行機が世界で他に運航している会社が1社も無い今、全て自分達の手でノウハウを築いていかなくてはならないのです。何か予想外の事が起きてもおかしく無い状況でしょうが、それを起こさせないところが流石ではないですか。少し曇り空の中という中での降下でしたが、大した揺れも無く、無事に岡山空港に定刻に到着。飛行機が新しくなった事以外は、通常の時間が流れていました。ただ、それが今後のボーイング787の展望を思わせる印象にも繋がったかもしれません。何故なら、この飛行機が今後の世界の、スタンダード(標準)=通常に位置付けられるわけですから…。
ボーイング787が到着した後の岡山空港は大盛況でした!…どうやら乗客の7割くらいは、このまますぐに同じボーイング787の羽田空港行きの便で引き返すのだそうで、空港のお土産には人が殺到…。まるで行楽シーズンのような光景が繰り広げられていたのです。それは空港の展望デッキも同じ事…。ボーイング787にこの日乗れない人も、一目見ようと集まってきているようで、これはもうボーイング787フィーバーとしか言いようがないですね(笑)。
まだ暫くはこの状況は続きそうで、まだまだ人気も衰える事は無さそうです。しかし、来年からはいよいよ他の航空会社、そしてライバルの日本航空にも投入される予定になっていますし、更なるサービス争いが展開されるかもしれません。勿論、乗客にとってはこの上ない期待感が溢れますが、安全第一で、今後も末永く活躍してくれる事を祈るばかりです。当然、またきっと乗る機会は出てくるでしょうから、自分もこの時期の搭乗が出来た事を誇りに思いたいものです。皆さんも、是非機会があったら、一足早い、この未来の飛行機に乗ってみて下さい!
●貴重な山陽新幹線“こだま”号
自分は羽田空港行きのボーイング787には乗らず、せっかくここまで来たなら…と、バスで岡山駅へと向かいました。目的は山陽新幹線で、実は今ここには、貴重な新幹線車両が何種類か走っているのです。その中でも特に貴重なのは100系という車両で、これは1985年に初めて登場した、東海道新幹線で初のモデル・チェンジ車でもありました…。それまで0系〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 26.(山陽・九州編…2008.11.30~12.1)参照〕しか存在しなかった東海道・山陽新幹線にとって、この車両はとても眩しく映り、その後この車両が沢山出揃うと、自分が小学生の頃には、100系=“ひかり”号、0系=“こだま”号…という図式も出来上がっていて、本当にこの“ひかり”号には憧れたものでした。
そして、当時は2階建ての車両も2両~4両含んで16両編成だった100系も、次第に世代交代によってその数を減らし、今ではなんと山陽新幹線に6両編成が3本だけ残るのみで、設定も“こだま”号としてだけの運転となってしまいました。運用範囲も岡山駅~博多南駅に限られていて、もうこんな残り数になっていますから、狙って乗らない限り、出会う事は不可能かと思われるくらいです。今回、岡山まで来れたという状況は、ある意味で、100系に乗れるチャンスだったとも言えるでしょう。しかも、100系は2011年度までに引退するという発表もなされていて、恐らくこれが自分の最後の100系乗車になるかもしれません。幸いにも100系の運用は公表されているので、調べればそれに乗る事は十分可能でした。…というわけで、少し寄り道はしたものの、ここからはそんな山陽新幹線の旅へと変わります。
100系の現在の運用ですが、昼間はぽっかりと穴の開いている時間帯がありまして、それまでずっと岡山駅で待っているのは非効率です。そこで、いったん博多方向に向かいつつ、後に、逆に岡山駅に戻ってくるようなルートを組んでみる事にしました。その折り返し地点のギリギリの場所が広島駅だったのですが、そこは何度も行っている場所でもあるので、敢えて今まで降りた事の無かった駅、三原駅まで、何となく向かってみる事にしました。こちらも“こだま”号で向かいましたが、乗った車両は、現在の山陽新幹線の“こだま”号の主力、700系7000番台でした。“ひかりレールスター”号でも使われている車両なので、山陽新幹線ではメジャーな存在ですが、東海道新幹線には入らないので、ここでは乗っておきたい車両です。昨今、九州新幹線が開通し、山陽新幹線にも“さくら”号や“みずほ”号が出入りし、“ひかりレールスター”号が減少してしまった影響を受けて、この区間の“こだま”号にも転用してきたのです。言い方を変えれば、その分、100系車両も減ってしまい、現在の編成数になってしまったわけでもあります。
さて、三原駅に着き、ここで100系車両が来るまで、約1時間の休憩です。せっかくなので駅前を少し歩いてみましたが、ここはタコが名産らしく(瀬戸内海に面している場所ですし)、駅前にあったお店に入りつつ、名物と言われるタコ炒飯を満足に頂いてきました♪…結局、すぐ駅に戻ってしまったので、20分そこそこという短い滞在時間ではありましたが、非常に良い休憩時間だったように思います♪
そんな中、100系新幹線はやってきました。現在、3本の100系は全てオリジナル塗装に復元されており、16両編成という当時の威圧感こそ無いものの、編成美という点では本当に昔を思い出させてくれる感じになっています。今ではN700系“のぞみ”号が主流の東海道・山陽新幹線ですが、あれらの車両はやはり、スピード第一という感じがどこか漂っているのに対し、100系は何とも安心させてくれるデザインです。ドッシリとしていて頼もしく、昔の新幹線を容易に想像させてくれるところが良いではありませんか。窓が大きいというのも、現在の新幹線ではあまり見られない構造であるので、やはり良き時代の新幹線車両なのかもしれませんね…。時代的に、国鉄最後の新型車両だったという部分もあり、当時の国鉄も相当力を入れていたのでしょう…。デザイン的にも、本当に完成されたものがあり、いつまでも走らせてあげたいものですが、その引退時期はついに通告されてしまいました。個人的に本当に好きな車両なので残念なのですが、後は無事に走り続けてくれれば良い…と言うしかありませんね。自分も、恐らく最後の乗車を、じっくりと楽しんだものでした。
自分は、終点の岡山駅の1駅手前、新倉敷駅で100系を降りました。ここで、通過する他の新幹線車両との比較をしてみたかったからです。左上写真を見るとそれはもう明らかで、左側が最新型のN700系ですが、やはりデザインの差を感じますよね。こう見ると100系というのは本当に大きく造られているのです(N700系がスマート過ぎるのかもしれません)。また、九州新幹線の車両(右上写真参照)の通過も見る事が出来ましたし、新幹線の凄さを改めて感じた瞬間でもありました。こうしてみると、時代は既に100系→N700系になっているのは明らかで、この技術の進歩が、100系の引退を加速させたというのも改めて気付かされました。
さて、今度は別の意味で貴重な新幹線に乗っておきましょう。それは500系で、10年くらい前までは、東海道・山陽新幹線の“のぞみ”号として、東京駅~博多駅を連日運行されていた、言わば日本のトップ中のトップ車両でした。…しかし、あまりにも他の新幹線と仕様が違い過ぎたり、そもそも大量に造られなかった車両ゆえ、集中的に“のぞみ”号に投入されたせいか、車両の痛みが激しく(連日、1日に2000km以上も走ったりするわけですからね)、N700系に統一させたいという思いもあり、現在は“こだま”号に転用されてしまった経歴を持つ車両でもあるのです。
今では16両編成→8両編成になり、当時の最高速度300km/時も、今は出せない仕様に改造されてしまいましたが、そのスピード感溢れる近未来なフォルムは今でも健在です。相変わらず、先頭車両の運転台側にはドアは無く、その流線型部分は車内にまで回り込んでいますが、そもそも“こだま”号は空いている事が多いので、その部分に子供用に運転士気分を味わえるような疑似運転台を設ける等、ちょっとした遊び心が感じられるのが興味深いところです(笑)。
そうです、山陽新幹線の“こだま”号は大体は空いているのです…。以前は、4両編成の車両も走っていたくらいで、今回の100系が無くなると、全て8両編成以上の車両となってしまいすから、その空き具合に拍車が掛かりそうですが、全て8両編成に統一出来るといった、コスト減という意味でのメリットもありそうですね。往年の500系を知っている自分にとっては、1つ1つの駅に停まる“こだま”号での設定には勿体無いように感じてしまいますが、旅…という立場で見ると、これもまた悪くない感じもあり、ゆっくりとそのまま山陽新幹線区間の終点、新大阪駅まで向かったものでした。そろそろ夕方に近くなってくる時間だったでしょうか。
●寄り道で、現在の大阪駅へ…
このまま東海道新幹線で東京駅に戻る予定でしたが、ちょっと大阪駅に寄り道をしてみる事にしましょう。最近、大阪駅は新しく生まれ変わり、自分も工事中の時は何度か見ていたのですが〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 26.(山陽・九州編…2008.11.30~12.1)参照〕、その完成を見ておくというのも一興です。大阪駅は、新幹線の新大阪駅からJR線で僅か1駅、5分。より、関西の空気を感じられる時間でもあります。
そては大阪ステーション・シティと呼ばれていて、駅北側にノース・ゲート・ビルディング、南側には従来の“アクティ大阪”を増築した上で、その2つの建物を従来のホームの上に設けた“時空(とき)の広場”と呼ばれるコンコースで繋げた、商業複合施設でもあります。写真を見ても分かるように、その2つの建物の間には、ホームを覆うように大きな屋根が設けられていて、そのカーブ上の形から、本当にインパクトがあります。この大屋根のお陰で、従来のホームの屋根の一部が撤去され、非常に開放的な駅へと生まれ変わりました(しかし、後に雨が予想以上に吹き込む事が分かり、一部に透明な屋根を付ける事を検討中なのだとか…)。
この大阪ステーション・シティ。まだまだ増築を続けるのだそうで、今後も大阪の玄関駅としての発展が期待されています。関西というのは、昔から私鉄が発達している地域でもありますが、京都駅といい、この大阪駅と言い、駅や駅周辺の施設も取り込んだ環境が、JRの方も充実してきました。今後、どのような発展に展開していくのか、まだまだ目が離せない状況である事を思わせる光景でしたね。
●最後は、新幹線300系で…
さて、再度新大阪駅に戻り、このまま東海道新幹線で東京へと帰ります。しかし、ここでも最後に乗っておきたい車両がありました。それは300系という車両で、このブログでも紹介はしましたが〔祝、300回目!参照〕、初代“のぞみ”号の車両であり、そしてこちらも2012年の春頃に引退が表明されている車両でもあるのです。
それまで、“ひかり”と“こだま”のみだった東海道・山陽新幹線に300系“のぞみ”が登場したのは1992年の事。自分はこの時、わりと早い段階で“のぞみ”号に乗って大阪に行っており(中学生に入る前の春休みの事でした)、幼心ながら270km/時という速さを痛感したものでした(270km/時、東京駅~新大阪駅間2時間半…と言うのは、この車両によって作られました)。今でこそ、“のぞみ”に投入される事が少なくなってしまった300系ですが、こちらもその車両数が減ってしまったからに他なりません。今後も徐々にN700系に置き換えられる予定なので、思い通りの列車に乗るなら今のうちです。今回も、丁度良い時間に“ひかり”号として運行されており、それで自分は東京駅まで向かったのです。
しかし乗ってみて思ったのが、その乗り心地の悪さでした。当初から300系は、トップスピードになった時の横揺れの大きさが指摘されていて、特にトンネルに入った時に顕著となるのは今でも変わっていませんでした。JR東海の車両は、その部分が改良された車両もあるとの事ですが、今回はJR西日本の車両だったので、余計に感じたのかもしれません。
これこそ、現在N700系という最新型の新幹線に乗り慣れている為でしょう。…と言うか、如何にN700系が最新の技術を駆使して、乗り心地が良く造られているか…という事ですね。ここでも技術の進歩を感じてしまいましたが、それだけ、300系という車両が先駆的でもあったのでしょうね(東海道新幹線内での最高速度は、今も変わらず270km/時なので…)。
こうして、ボーイング787を始め、貴重な新幹線車両、100系、500系、300系と乗り継ぎつつ東京に戻ってきました。1日にかなり詰め込みましたが、その全てが貴重な体験だったと思わせてくれるに相応しいもので、それは技術の発展を肌で感じるものにもなったと思います。都市と都市を、より身近なものへと変えてくれた旅客機、新幹線…。これからも大いに利用しつつ、その発展を楽しんでいきたいものです!
☆全日空のHP…http://www.ana.co.jp/