ほぼ前回の記事との合わせ技とも言える(笑)今回の旅日記はズバリ、鉄道で仙台を往復した行程を書かせて頂きます。行きは在来線のみで、そして帰りは念願の新幹線“はやぶさ”で、一気にその行程をこなしてきました。3月の大地震により鉄道は寸断され、東北新幹線が全通したのが4月の29日…。だからこそ今回の企画は実現したと言っても過言ではないのですが、鉄道の有難味を再確認させてくれる旅になったとも思いました。基本、今回は鉄道に乗ったままだったので(笑)簡単ではありますが、順に振り返ってみたいと思います。
●往路
5月16日を出発と決めたこの日、仙台駅には18:00頃に着くように行程を立てていました。使用路線は、先程も行ったように新幹線を使わずに在来線を使い、ずっと東北本線1本のみという行程です(笑)。…勿論、乗り換えは何度か必要で、今回の場合は、池袋起点で考えますと、宇都宮駅、黒磯駅、郡山駅、福島駅の4ヶ所の駅での乗り換えが必要になりましたが、これで掛かる時間は、大体7時間ぐらいという計算でした。これを、遅いとみるか早いとみるかは自由ですが、安さ重視で考えると、そんなに有り得ない選択でもないと思う自分がいたものでした。
池袋駅から乗ったのは湘南新宿ラインからの電車で、この先の合計の乗車時間が長くなる事を考慮し、思い切ってグリーン車から始めてみました。プラス950円が掛かりますが、居心地の良さで言えば新幹線とほぼ変わらない感じなので、こんな時?は進んで使ってみたいものです。勿論、新幹線のような所要時間の早さという武器は無いのですが、その居心地の良さで言えば、あっという間に時間が経ってしまうように感じさせるのは、時間と豪華さとは言え、似たような魅力なのかもしれません。
宇都宮駅までは優雅に過ごし、後はひたすら普通車の鈍行列車の旅になります(笑)。宇都宮駅から黒磯駅までは、211系という車両の5両編成で、ロングシート(左下写真参照)だったのが玉に瑕ですが、かなり空いている車内は、のんびりと過ごすのに打って付けの雰囲気を提供してくれたものでした。
そして黒磯駅に着いて、この日2回目の乗り換えとなります。この駅は特徴的で、電化方式が直流から交流に代わる駅でもあるので、この駅を通して運転する鈍行列車は一切無く、乗り換えが必ず必要となる駅でもあります…。車両も一変し、ここまでは首都圏で使われる車両だったのですが、ここから先は仙台を中心とする東北圏の車両となり、昔で言えば、ここまでが“電車”、ここからが“汽車”でした。
今でこそ、どちらも近代的な車両となりましたが、東京から東北本線の鈍行に乗って黒磯駅で降りると、ついに関東から離れたな…と、毎回思わせてくれた駅でもありました。これはそのまま旅情にも繋がり、遠くに来たと思わせる重要な役割は、今も変わらず健在な気はしましたね。この先は、栃木県と福島県の県境に跨るので特に乗客は少なく、2両編成にも関わらず、列車は1両に10人くらいしか乗っていませんでした。
暫くは空いた車内が続きましたが、郡山駅に近づくにつれ、多くの高校生達が乗ってきたのには驚きました。地方の路線の昼過ぎでよく目にする光景で、路線の主な乗客は高校生なのだと理解する瞬間でもあります。列車の本数がそう多いわけでもないので、皆、1列車に集中するんですよね…。車内はいきなり満員状態となり、それは郡山駅まで続いたものでした。
それは、この次に乗った郡山駅~福島駅間の列車もそうで、こちらは4両編成で、乗客も盛んに乗り降りがあった感じでしたが、福島大学の最寄駅である金谷川駅からは、やはり車内は学生で埋め尽くされるような形となり、時間帯によって(列車にもよって?)随分印象の異なる車内になるのだろうな…と、改めて思わせてくれる車内風景でもありましたね。やはり、こういった変化は、在来線だからこそだと思います。
さて、福島県に入ると、ブルーシートを被せてある(一部であったり、全体であったり)住宅が結構目に入るようになってきました。地震の被害によるものである事は明確で、中には全壊してしまった家が、未だそのまま残っている…という状況も目にしてしまい、流石に背筋にゾッとしたものを感じたものでした。
今回、少し時間に余裕をもって移動してきたのですが、福島駅まで順調に到達する事が出来たので、電車を1本見送り、少し福島の街を散策してみる事にしました。福島県は全体的に風評被害を被ってしまった県でもありますが、見たところ、福島駅前は普段通りの感じと言って間違い無いでしょう。普段通りにお店はやってましたし、普段通りに学生達は駅前で待ち合わせをし、マクドナルド等に群がっていきました。勿論、まだ見えてこない部分も多いのだと思いますが、小一時間歩いた程度では、本当に言われなければ分からないくらいだと思います。どこか安心する事が出来た福島駅前でもありました。
ここまでくるとラスト・スパートです。福島駅から出る列車は仙台駅行きで、どうやら順調に仙台駅に着く事は出来そうでした。仙台駅に着いたのは18:00頃と、夕ラッシュ時の時間帯でしたが、乗客も多く、エスカレーター等も殆どの場所で動いていたので(こちらは東北電力ですからね…)、見た目の活気で言えば、東京を超えている部分もあるかもしれません。
ただし、修復中の仙台駅駅舎や、まだ鉄道が通っていない石巻市へのバスに、凄い乗客の列が出来ている等、やはり地震の渦中にある街である事は確実で、道路にしても、たまに隆起している部分もあったりして、まだまだ予断は許されない状態である事にも気付かされました。ただ、人々が元気に見えるのは自分の気のせいだったでしょうか…。仙台市は、地震で大きな打撃を受けた都市の1つでもありますが、人々はどこか希望を見出そうとしている生活を送っている…。そんな事が何故か感じられた瞬間でもありました。そして、それは東京の人達が思っている以上に仙台等に学ぶべき事が多いようにも感じたものでした。…そんな事を思いつつ、前回のブログ〔竹内大輔の『奢らせて頂きます!』9.(永井健編)参照〕に繋がっていくわけです。
●復路
あっという間の復路ですが、これは事前に予告したように、念願の新幹線“はやぶさ”に乗る事にしていました。“はやぶさ”は、3月5日に営業運転を始めるものの、3月11日の大地震で全面運休(…というか新幹線自体が全線でストップ)。その後、部分開通はなされるものの、運転が再開されたのは、東北新幹線全面復旧の4月29日の事でした。しかし、当面は東京駅~新青森駅間1往復、東京駅~仙台駅間1往復の、1日合計2往復のみの運転となっており、基本的には朝か夜かの運転となっています。
今回自分が目を付けた?のは、仙台駅始発の東京駅行き“はやぶさ”号でした。…と言うのも、前から言っているように自分は“グランクラス”という車両に乗りたくて、これは1編成に18席しか用意されていないのでチケットの獲得競争が厳しく、早朝6:26発という部分もありますが、新青森駅から出ている列車よりは競争率が低いと感じたのです。そして、そのチケットは無事入手しまして、流石に当日は満席となっていましたが、ついに“はやぶさ”との対面が実現出来る事になったのです。
仙台では永井健宅に泊まらせて頂き(正直、仙台市内のホテルは、その殆どの部屋が埋まっていて、予約出来るどころではなかったのです…)、それこそ朝の5時台には別れを告げ(笑)、仙台駅には6:10頃に到着しました。そして、新幹線ホームに上がると…当駅始発列車という事もあって、もう“はやぶさ”は入線を果たしていました。
今回で間近に見るのは初めてでしたが、このフォルムのインパクトさはどうでしょうか。緑色基調の塗装というのも、最近の新幹線では珍しいですが、そこに駆け抜けるピンクの細いラインが何とも鮮やかに見えます。そして、やはり先頭車両のノーズの長さは相当なものです…。このフォルムで、将来は日本最高営業速度の320km/時運転(まだ2,3年は時間が掛かる予定ですが…)を目指しており、その期待が掛かります。
まだまだこの車両、E5系は珍しいせいか、乗客の格好の被写体となっています。観光客は勿論の事ですが、スーツに身を包んだビジネスマンのような方まで携帯電話のカメラに収めていたのは微笑ましい光景でした。本当に皆の人気者で、何だか東北の代表選手のような車両…という印象も受けましたね。
そして、列車は定刻通りに発車しました。自分はグランクラス車両に身を委ねましたが、確かにこれまでの車内とは一線を画すもので、今までのグリーン車の雰囲気というよりは、飛行機のビジネスやファーストクラスのようなものを感じたくらいでした。
座席は大きく、新幹線では珍しい1人掛けのタイプがある事も特筆出来ます。リクライニングも相当なもので、しかもシェル・ベット状になっているので、後ろの席に座席が倒れてくるような事もありません。これはハッキリ言って、寝れてしまいますね(笑)。
そして、発車してから暫くすると、グランクラス専用のアテンダントの方からの挨拶があり、後に飲み物や軽食のサービスがある事も告げていきます。おしぼりを配る時も、1人1人に語りかけるように配っており、確かに“電車”というよりは“飛行機”に近いサービスのように思ったものです。軽食に関しては1人1品(和か洋か選べます)ですが、飲み物は何と、飲み放題です。しかも東北の地酒やワイン等、その種類は豊富なので、頑張れば料金の元を取れてしまうのではないかと思ってしまうくらいです(笑)。現に、自分の前の方に座っていた老夫婦は、東京駅に着くまで7,8回はお酒を注文していました。…流石です(笑)。
車両はまだ新車独特の匂いが漂っていて心地良いですが、あまりスピードを上げて運転していない事に気付きました。これは事実で、まだ東北新幹線は復旧して間もないので、暫くは徐行運転を行っているのです。基本は200km/時前後くらいなと思いましたが、区間によっては更にスピードを落とすところもあり、“はやぶさ”の本領はまだ発揮出来ていない感じでした。これによって、東京駅までは普段より20分~30分くらいは時間が掛かってしまうダイヤになっているのですが、これは見方を変えれば、いつもより長めにグランクラスを楽しめる…という事でもあります。凄く前向きな考えですが(笑)、強ち間違った考えでもないような気はします。
車窓では、相変わらずブルーシートを被せた家が多く目に入ります。新幹線自体も速度を落として走っているので、よりゆっくり見れてしまうのです。こうしてグランクラスを楽しんでいる状況から見るのは複雑でもありましたが、新幹線が走る事で、地域が活性化されるのは事実で、全く無関係な位置にはいないと確信をしたものでした。福島県を抜けて栃木県に入ると、何となくそういった家屋も少なくなってきたような気はしましたが、それでも“はやぶさ”は坦々と走行していきます。しかし、それが新幹線の重要な役目のようにも思ったりしました。
宇都宮駅を過ぎ、今回唯一の停車駅である大宮駅を過ぎ、8:32、本来の“はやぶさ”より30分くらいは遅い到達ですが、臨時ダイヤ上では“定刻通り”に東京駅に到着しました。この駅でも当然の如く“はやぶさ”は人気者で、本当に色々な方がカメラを向けています。この列車は、このまま折り返して、新青森駅行きの“はやぶさ”となり、東京駅には12分間しか顔を見せないので、皆カメラに収めるにも時間との戦いになっているのです(笑)。
こうして、自分の初めての“はやぶさ”乗車は終わりを告げました。思ったよりも長く楽しめ、身体的にも気持ち的にも大満足の時間でした。そして、こうして仙台を出発して、東京に着いて皆の注目の的になっている“はやぶさ”の姿を見ると、現在の東北という状況の中において、元気を与えてくれる牽引役にもなっているような気がして、とても熱いものを感じました。
現在、“はやぶさ”は徐行運転を行っていて、結果、他の列車とも同じ速度になっているので、当面は“はやて”や“やまびこ”と同じ料金設定になっています。そして例のグランクラスですが、仙台駅~東京駅間では9000円と結構高額なものの、その内の5000円が義援金として寄付されるそうです。当面の予約状況を見たろころ、現在は結構落ち着いてきており、日にちを選べるなら、そんなに苦労無く予約でも出来ると思います。今こそ、グランクラスの体験を勧めたいものですね!
東北新幹線の全面復旧により、今回の企画は成り立ちましたが、自分が想像する以上に、被災地の方々からの期待も大きいと思います。東京~東北の移動は容易になり、今以上に多くの人達が往来を重ねる事でしょう。そして、新幹線が全面復旧する事によって与えられる“安心感”というのも、無視出来ないものだと思いました。最後に、東北新幹線が全線で運転を再開した時の、広告の一文を紹介して終わりたいと思います。とても自分が共感出来る一文です。
一日も早く、レールをつなぐ。
街と町をつなぐ。
人と人をつなぐ。
鉄道にできることは、それしかないけれど。
つながれば、きっと誰かの力になる。
つながれば、きっとこの国は元気になる。
私たちはそう信じています。
☆JR東日本のHP…www.jreast.co.jp/
どうかはよく分かりません。しかし、自分はよく前向きと
言われるのは事実です。何らかの関係性があるのかもしれません。
御想像通り、この日は祖母様宴会でしたが、そこに備えていた
わけではなかったです。ただ単に、“はやぶさ”の発車が朝6:26
というものだったので、そこまで飲む気になれなかったというのが
現実でした…。まだまだ自分も攻めの姿勢が甘いですな(笑)。