一時期は大谷向から新今市駅(現、JR今市駅前)へ路線を伸ばすも、1929年に東武日光線が下今市駅まで延伸されたのを機に同路線と連絡を図るようになり、新今市駅への路線は廃止させました。この時、東武鉄道との乗り入れを考慮して、路線を改軌させます。その後、鬼怒川や川治温泉が世間から認知されるようになってきますが、乗合自動車業者との競争が激化、下野電気鉄道は経営困難に陥り、1943年に東武鉄道に買収、東武鬼怒川線となりました。
その後、1948年には特急列車が走るようになり、車両も豪華になってきて、観光路線としてのイメージが定着し始めます。また、1986年には終点の新藤原駅より先の区間に野岩鉄道会津鬼怒川線〔鉄道さんぽ 7.(野岩鉄道、会津鬼怒川線編)参照〕が開通して、東武鉄道の浅草方面と直通運転を開始しました。1990年には更に先の会津鉄道の会津田島駅まで直通区間が伸びています。
こういった路線背景があるので、ここを通る列車というと、特急列車は勿論、以前は快速列車が東武鉄道の浅草駅と鬼怒川温泉駅、そしてその先の会津田島駅を結んでいて、料金不要の快速列車とは言え、浅草駅〜新藤原駅を約2時間半、浅草駅〜会津田島駅間では約3時間半という、私鉄では珍しいくらいの長距離を走る列車が数多く設定されていました。しかし、この快速列車は2017年4月に廃止され、その代替で栃木駅、新栃木駅〜会津田島駅間等の普通列車が設定されました。また、下今市駅で進行方向を変え、東武日光駅方面へ直通する列車も多く設定されています。
特急列車は以前は東武日光線を介した浅草駅行きのみの列車でしたが、2006年にはJR線を経由して新宿駅まで直通運転する列車が登場。東武の車両がJR線に乗り入れ、逆にJRの車両も鬼怒川線に乗り入れてくるようになりました。
先程の2017年4月のダイヤ改正では、快速列車の廃止に替わって、特急リバティが登場。快速列車が走らなくなった浅草駅〜会津田島駅間の直通列車を特急として担う事になりました。この列車は下今市駅〜会津田島駅間は座席を指定しない場合に限り、特急券無しで乗車出来るという、新たな列車形態をもたらしました(東武鬼怒川線、野岩鉄道線内は基本的に各駅停車)。
そして、記憶に新しい2017年8月。この鬼怒川線に、なんと蒸気機関車(SL)の運転が復活する事になりました!…東武鉄道自体は以前は蒸気機関車運転もしていた鉄道会社ですが、それでも1966年に東武佐野線で引退してから、実に51年振りの運転再開…。これには自分でも驚いたものです。勿論、運行にあたっての車両は既に所持していないので、どこからか調達してこなければならないのですが、これもまた鉄道会社を越えた協力がありました。
このSL運転にあたって、編成はSL+車掌室+客車3両+ディーゼル機関車(補機)という事になったのですが、まずSLはJR北海道から借り受け、車掌室はJR貨物とJR西日本から1両ずつ譲り受け、客車は予備編成も含めて6両をJR四国から譲り受け、ディーゼル機関車はJR東日本から、それぞれ譲り受けたのでした。こんな事が可能なのだと思いましたが、また、SLを必ず正向きで運転させる為に、車両自体の向きを変えさせる転車台も、JR西日本の長門市駅構内にあったのものと、JR西日本三次駅構内にあったのものが、それぞれ譲渡を受けて運ばれ、整備されて下今市駅と鬼怒川温泉駅に配置されています。
ここまでしてSL運転を行わせようとしている東武鉄道の最近の動きは凄く、列車も『大樹』と名付けられ、週末を中心に下今市駅〜鬼怒川温泉駅間を3往復しています。これは早々に乗る必要がありましたし(笑)、先述の2017年4月のダイヤ改正で鬼怒川線の運行形態は大きく変化したので、今回、『鉄道さんぽ』として取り上げるのも時間の問題だったと言えましょう。…以前から東武鉄道が好きだったので、学生の頃(特に中学生辺り)は本当によく乗りにきていた東武鬼怒川線。現在はどのような姿になっているのでしょうか。どうぞ御覧下さいませ!
●日時…2017年10月9日 ●距離…16,2km ●駅数…9駅
お楽しみに!