その歴史は、池上本門寺参詣客輸送を目的に、1922年に池上電気鉄道が蒲田駅〜池上駅間を開業させた事に始まりますが、後に路線は徐々に伸び、1928年には五反田駅までの路線が全通しています。この時、五反田駅から先にも更に延伸する予定があった為に、駅周辺は山手線の線路を越えて高架で建設されました。そして、1934年には目黒蒲田電鉄(後の東急電鉄)に買収されて現在に至っています。
長らく旧性能電車ばかりが活躍する路線でもありましたが、1984年に冷房車の導入、そして1989年には全て新性能電車に取って代わられ、他の東急路線同様の近代化が図られていきました。また、池上線は従来は他の路線で使用された中古車両ばかりが使用されていましたが、1993年には池上線用に直接新車を導入する機会もあり、これは池上電気鉄道以来、63年振りの事でもあったとか…。
現在、お隣の東急電鉄多摩川線と使用車両を共通させており、これらの路線専用の7000系も導入される等、かつての“お下がり”感は無くなってきていています。しかし新性能電車ばかりになったとは言え、中には車体年齢が50年を越える車両、7700系も存在していて、それらと新型の7000系が同時に運用されているというのは、見ていて頼もしくもなってきていしまいます。
駅施設は相変わらず古いものが多く、木造の旅客上屋や、上屋と一体化した木製ベンチ等が今でも現役で残っていたりします。3両編成と短い列車である為でもありますが、上り線、下り線毎に、ホーム毎に簡素な改札口が設けられた駅も多いです(両ホームの通り抜けは不可)。その中でも戸越銀座駅は2016年12月と、最近リニューアルが完了。「木になるリニューアル」という、敢えて木造駅舎の雰囲気を踏襲したデザインが施されているのは、池上線にも新たな時代が来た事を感じさせてくれそうでした。
都会の中のローカル線…とも表現される池上線ですが、その近代化、現代化はスローペースではあるものの、徐々に徐々に行われているようでした。今一度、じっくりと乗ってみる価値はありそうです。路線が短く、そして自宅からも近いので、むしろ逆に、こうでもしないと普段乗らない路線でもあると言えるでしょう…。どうぞ池上線の魅力を味わってみて下さいませ。
●日時…2017年2月6日 ●距離…10,9km ●駅数…15駅
池上線の“さんぽ”は五反田駅から始まります。JR山手線からもそのホームが見えるので分かるかと思いますが、随分と高い場所に設置されています。これは前述のように、五反田駅から更に延伸させる予定があったからですが、今では駅ビルに遮られています。このホームの高さは地上から見るとより顕著で、駅ビルの4階とホームは直結されていますが、実際にはもっと高いように感じます。
池上線は日中は6分毎の多頻度運転で、全て普通列車です。車庫が雪が谷大塚駅にある為に、早朝深夜に雪が谷大塚駅発着の区間列車が一部設定されていますが、殆どは終点の蒲田駅まで行く列車です。眼下を走る山手線が11両、埼京線が10両、湘南新宿ラインが15両編成ともなるのに、こちら池上線はオール3両編成とローカル感を醸し出していますが、池上線は、並行して西に1km付近を、同じ東急の目黒線・多摩川線も走っています。こちらも蒲田駅に向かっているので、両線で乗客を振り分けているという考えも出来ましょう。ちなみに両線の一番近い千鳥町駅付近では、約500m程しか離れていません。
五反田駅を出ると、地上2階ぐらいの高さに降りてきて、すぐに大崎広小路駅となります。当初はここが池上線の終点でした。当時はここから五反田駅まで、徒歩で連絡するようにしていたのです。実際、五反田駅までの距離は300m強ぐらいです(東急の路線で、世田谷線を除いて一番駅間の短い所です)。また、大崎駅にも徒歩で行ける距離にあります。
大崎広小路駅を出ると、左右にカーブしながら国道1号線を潜り、リニューアルされた戸越銀座駅に到着します。同駅前には、全長 1,3km にもなる関東有数の商店街、戸越銀座商店街が伸びています。木調の駅舎、駅構内が印象的な駅となっています。尚、池上線は1998年3月からワンマン運転となっており、安全運転確保の為にホーム柵とホームセンサーが当駅も含め、全ての駅に設置されています。
戸越銀座駅までは、商業地の中を走る…という感じだったのが、この先は住宅街の中を走るという感じに変わってきます。次の荏原中延駅とその前後は1989年3月に地下化されました。旧線路敷は公園等に変わっています。そして再度地上へ出て、東急大井町線と乗り換えられる旗の台駅に着きます。この先は住宅街に交じって緑地も増えてきます。
洗足池に着き、ここで色々と“さんぽ”してみましょう。駅前を通る中原街道の向こうには洗足池があって、花見のシーズンには多くの見物客で賑わいますが、線路沿いに少し五反田方面へと戻ってみると、とても小さなガード下を発見出来ます(左上写真参照)。大人は勿論、子供でも屈まないと通れない程で、ここから見上げた池上線列車は迫力満点!…個人的に、隠れた名所ではないかと思っています(笑)。
そのまま次の石川台駅方面に向かってみます。この先は急に切り通し区間となって、以前は両脇の土手に桜の木が植えられていました。故に、こちらも花見シーズンには多くの乗客の目を楽しませていたのですが、今では安全上の観点から殆どが伐採されてしまったようです。この切り通し区間を抜けると石川台駅で、駅の途中から今度は盛土区間となります。この辺りは呑川の河岸段丘の段丘面上にある為に高台となっていて、池上線はそこを貫いているので、周辺を観察してみると、随分とアップダウンの激しい所を通っているなと感じさせられます。
次は、車両基地のある雪が谷大塚駅となります。前述のように、朝夕ラッシュ時や夜間、そして始発や終電時間帯の列車を中心に、当駅発、止まりの列車が設定されていますが、池上線と、お隣の東急多摩川線の車両は共通仕様となっているので、ここで所属している車両は多摩川線も担当している事になります。
この雪が谷検車区を横に見つつ、お隣の御嶽山駅まで“さんぽ”してみましょう。踏切や線路の測道からは、停泊している車両がよく眺められ、バラエティに富んだ現在の池上線の車両群を垣間見る事が出来ます。新型の7000系、車齢50年を越える7700系の他にも、1000系(赤帯が特徴)や1000系1500番台(緑帯が特徴)があり、その中にも以前は東京メトロ日比谷線乗り入れ用で使われていた車両がある等、その興味は尽きません。
そんな車両達を眺めながら歩いていると、すぐに御嶽山駅に到着してしまいました。駅北西側に御嶽神社が鎮座している為にこの駅名となっていますが、この駅の南端直下を東海道新幹線とJR横須賀線・湘南新宿ラインが潜っています。実はここは、JR以外の普通鉄道(鉄道から、モノレール、新交通システムを除いたもの)事業者が新幹線をオーバーパスしている、数少ない例の1つの光景でもあります(右下写真参照)。
この後も短い間隔で駅に停車していき、のどかな住宅地を抜け、路線名の由来にもなっている池上駅へと到着します。言うまでもなく池上本門寺の門前町で、総門は駅から徒歩10分程…。前述のように、当駅から蒲田駅間までが、池上線で最も早く開通した区間になります。
池上駅は立派で、参詣客目的で造られただけに入口も広めにとられていますが、ここでは都内では珍しくなった旅客用構内踏切(東急電鉄では唯一)が存在し、五反田駅方面へのホームへは改札を通った後、この構内踏切を抜けて進まなければ到達出来なくなっています。
風情もありましたが、構内踏切による混雑化(蒲田駅方面の列車が到着すると、その先に位置する構内踏切が塞がれてしまい、その間、五反田駅方面へのホームとの行き来が不可能になってしまいます)や安全の為、今後、駅舎の改良や構内踏切の廃止が決定されてしまいました。昔ながらの池上線の雰囲気を色濃く残す駅でもありましたが、時代の波は着実に様々な場所に及んでいるようです。
池上駅を出ると、蓮沼駅、…そして左にカーブして、右手側から東急多摩川線が寄り添ってくると、両路線揃って終点の蒲田駅へと到着します。多摩川線と同居する頭端式の蒲田駅は、そこに覆い被さる巨大な屋根も相まって、さながらヨーロッパの終着駅のような雰囲気を醸し出しています。両端と中央のホームは降車専用。意外と設備は整っています。多摩川線も、日中は池上線と同じ6分間隔の運転なので、両線併せて、蒲田駅での列車の発着は引っ切りなしに行われているような印象です。
これで池上線の“さんぽ”は終了となります。素朴ではありますが、今回の写真で見ても分かるくらいのバラエティ豊かな車両群と共に、時代の移り変わりを感じられた“さんぽ”になったかもしれません。蒲田駅の改札付近には、2015年2月に引退した7600系の撮影用ボードが展示されていたりと、東急の車両に対する愛情も垣間見れました。
これから徐々に変化が期待される東急池上線ですが、そんな中でも地道に活躍を続け、大事な路線風景は残しつつも、ノスタルジー溢れる、鉄道然とした話題を提供してくれる事でしょう。まだまだ冬真っ只中の『鉄道さんぽ』でしたが、どこか心が温まる1日になりました。
☆東京急行電鉄のHP…http://www.tokyu.co.jp/index.html