旅日記『ニューヨーク編』かと思いきや、6月に敢行してきた鉄道旅行について少々綴らせて頂きます(笑)。今回の目的はズバリ、山陰本線の余部橋梁と、そこを走る特急『はまかぜ』号です。現在(2010年8月12日以降…)、この橋梁は新しく付け替えられているのですが、今年の7月16日まで使われていた橋梁は1912年に完成したものなので、それこそ100年近く使われていたという事になります。全長約319m、高さ約40m、そして11基の橋脚、23連の橋桁を持っており、その独特な構造と鮮やかな朱色、そして周りの風景とも相まって、全国有数の鉄道風景名所としても知られてました。それは鉄道ファンどころか、山陰地方を訪れる観光客にも人気のある場所で、自分も一度は訪れたいと思っていたものなのです(通過した事はありますが、降りた事はありませんでした)。
そして、いずれいずれ…と言いながら、その機会は意外にも早くやってくる事になります…。いわゆる橋梁の架け替えで、今までの橋梁は使われない事になってしまいました。また、そこを走る唯一の特急に『はまかぜ』という列車があるのですが、この列車にはキハ181系という、JRの中で最古参のディーゼル特急車両が使われていて、それも今年の11月で新しい車両に替わってしまうそうです。この車両交代でキハ181系は基本的に定期運用を失う事になるので、やはりこちらも今の内に乗っておかなければなりません…。
これらの背景もあり、旧橋梁の使用期限約1ヶ月前くらいに、今回の鉄道旅は実現しました。自分的には、やっとの思いがあっての実現だったのですが、やはり丹波・丹後地方というのは関東圏からは不便なんですよね…。新幹線は途中までしか使えなく、そして乗り換えをしてからがまた長い…。しかし、それがかえって余部という地に郷愁を感じさせる事にもなり、鉄道の旅を豊かなものにさせてくれるとも思いました。明らかに渋い内容ではありますが(笑)、どうぞご覧下さいませ!
●新幹線『のぞみ』1号!
余部(山陰本線では“餘部”駅と表記)に東京から向かうには、新幹線で京都まで行って、そこから山陰本線に乗り換えて行くのが一般的でしょう。今回もそれに乗っ取り、東京駅を朝1番に出発する(6:00発)、東海道新幹線『のぞみ』1号で、まずは京都駅へと向かう事にしました。そんな『のぞみ』1号ですが、実は現在の東海道新幹線において、一番早い列車でもあります。
ところで、現在の東海道新幹線の東京~新大阪間の標準到達時間は、どれくらいだか御存知でしょうか?…『のぞみ』という列車が生まれた時に、東京~新大阪2時間半!…と大々的に宣伝していたので、このイメージが強いかもしれませんが、現在は、品川駅が新しく出来て全列車が停車、そして新横浜駅も現在は全列車が停車しているので、今は2時間36分くらいに延びてしまっているのです。
ただ、最近になってN700系という車両ができ、これはカーブ進入時でもスピードを落とさずに走れる工夫がなされているので、たまに2時間33分で走破する列車も設定されています。しかし、相当数のN700系が投入された現在でも、やはり殆どの列車が2時間36分で走っているのは、要するに列車の本数(特に、各駅停車の『こだま』が邪魔しているのです…)が沢山ある為に、思うようにスピード・アップが出来ない現実もあるわけです。
東海道新幹線は日本の鉄道の大動脈ですから、この理由は仕方ありませんが、この影響を全然受けない列車が存在します。それが『のぞみ』1号で、つまりは朝1番の列車なので、まだ他の列車が本格的に動いていなく、その分トップ・スピードで全線を走破出来るという事なのです。この為、『のぞみ』1号は東京~新大阪間を2時間25分で結んでおり、これは、今のところの同区間の最短到達時分にもなっています(過去を遡っても、現在が最短です)。この所要時間で走る列車は、もう4、5本設定されていますが、いずれも始発か最終の『のぞみ』で、ある意味で貴重な列車でもあるわけなのです。
まあ、所要時間2時間36分が2時間25分になったところで、実際に乗っていてもその違いはよく分からないというのが事実ですが(笑)、栄誉ある列車に乗っているという自負だけでも旅気分は盛り上がるというものです。さて、こんな感じで、京都駅には朝の8:11には着いてしまいました。所要時間は2時間11分。一般的な到達時間は2時間21分ですから、10分も早いですね(笑)。…さあ、本題の山陰本線へと向かいましょう!
●山陰本線で余部へ!
京都駅に着き、そのままJR山陰本線へと乗り換えます。山陰本線は、今年の4月のツアー時にも乗った路線〔竹内大輔、北九州ツアー(2010.4.1~4.5)参照〕ではありますが、あの時は山口県での区間、そしてこちらは京都府…と、かなり距離が長い路線でもあります。この線路が遠く山口の下関まで繋がっていると思うと感慨深いですが、それを言ったら、JR在来線の全てのの線路だって繋がってますしね…。ただ、山陰本線…という名前が、何となく郷愁を誘う路線名であるのは、自分にとって昔から変わらないようです。
山陰本線の京都側は“嵯峨野線”とも呼ばれていて、列車の本数的にも一番、都市的?な区間ではないでしょうか。山陰本線に“都市”…という単語は、あまり似つかわしくない感じがしてしまうのですが(笑)、等間隔のダイヤと、快速列車の運転など、JR西日本の大阪圏に設定されている“アーバン・ネットワーク”に恥じない路線に成長していました。
ただ、近代化は結構最近で、それは、ここ20年くらいの間で行われたと言っても過言では無いと思います(京都駅付近が電化されたのが、1990年の事ですからね)。やはりJR化後…という感じですが、それだけ、山陰本線を取り巻く事情は変わっていったのでしょう。今では、途中の園部という駅まで(ここまでが、京都側の近郊区間と言える場所です)、全線複線化がされていました。
京都駅を出て、二条駅、嵐山駅と、京都のお馴染みの地名を通りながら京都盆地を抜けます。この先、亀岡駅までの10kmくらいの間は、かつては、保津峡と呼ばれた渓谷に沿って線路が敷かれていて、それは情緒溢れる景色が展開されていたものでしたが、現在では長いトンネルで一気に駆け抜けてしまって、車窓からの景色はトンネルとトンネルの間の明かり区間の一瞬くらいしか楽しめなくなってしまいました(その代わり、所要時間は大幅に短縮されました)。流石に旧区間を惜しむ人も多く、この線路を使って、嵯峨野観光鉄道という、トロッコ列車で楽しめる鉄道会社が出来た事も、御存知の方は多いかもしれませんね。自分はこちらの鉄道には乗った事が無いので、いつか乗りたいとは思っているのですが…。
保津峡を抜け、辺りは田園風景が目立ち始め、園部駅に到着します。京都からの通勤圏内は、大体この辺りまでかもしれません。ここからの普通列車は、基本的に2両編成のワンマン列車となり、徐々にローカル色が濃くなってくる区間でもあります。ここからものんびりと普通列車の旅を楽しみたいところなのですが、一応今回の目的は余部でもありますので、特急列車へと乗り換えました。
この区間を走る特急列車は、実に様々です。…と言うのも、この先、色々と路線が枝分かれしていくのが原因で、行き先によって列車名を変えている為です。実際、この時に乗った列車も、特急『まいづる』・『たんば』1号となっていて、途中の綾部駅で一部車両を切り離し、二手に分かれて発車していくという二層立ての列車でした。具体的には東舞鶴駅行きが『まいづる』、福知山駅行きが『たんば』、天橋立駅行きが『はしだて』、城崎温泉駅行きが『きのさき』…となっています。そして途中の福知山駅では大阪方面からの福知山線特急(こちらは、天橋立駅行きが『文殊』、城崎温泉行きが『北近畿』です)も流れ込み、また、観光特急的な存在として、車両も異なる『タンゴ・ディスカバリー』号というのもありまして、ある種、特急列車名の入り乱れ状態ともなっています(笑)。要するに、京都から来た列車と、大阪から来た列車が福知山駅で合流し、それが、天橋立と城崎温泉方面に分かれていくわけです。言わば、福知山駅が合流駅の役割を果たしているわけですね。そして、これらの特急列車は、上手い具合に福知山駅で同じホーム、同じ時間帯で乗り換えられるようにしていて、例え乗り換えが発生しても、特急券は通し料金で購入できるのです。それぞれの列車が組み合わさって、計1時間に1本程度の特急の本数ではありますが、効率の良いネットワークが組まれていると言って良いと思います。そんな自分は福知山駅で乗り換えて、城崎温泉駅へと足を進ませました。
これらの車両は、殆どが485系という、旧国鉄時代に造られた車両によって運行されているのですが、このうち、『北近畿』号と『きのさき』号は、新しい車両による置き換えが発表されています。これらは、旧国鉄色(左上写真の、右の列車のカラー)の雰囲気を今に伝える貴重な列車でもあるのですが、やはり時代の為には止むを得ないところです。今回、敢えて特急列車に乗ったのは、この列車に乗る為でもあったのです…。
さて、城崎温泉駅より先は非電化となり、列車の運転本数も激減します。特急列車は、この先は1日に3往復のみの運転ですし、普通列車も、1、2時間に1本程度となってしまいます…。しかし、ここからが山陰本線の本領発揮という感じで、ワクワクする瞬間でもあるのです。この城崎温泉という駅は、駅名の通り、温泉で有名な所で、それこそ大阪や京都から直通特急列車が走ってきたりするものですが、この先に、そんな特急列車を惹き付けるような場所は殆どありません(笑)。そして、それこそが山陰本線の魅力なのです。
今回の目的の余部は、そんな区間に位置します。非電化でディーゼルカーなので速度も遅く、実際線路も急勾配、カーブが多くなってくるので、列車は思うようにスピードを上げられないままです。しかし自分からしてみれば、正にこれこそが山陰本線の醍醐味だ!…と思ってしまうもので(笑)、なかなか不思議ですよね。実にのんびりとした動きで1つ1つ駅を停車していき、城崎温泉駅を出て約50分、例の余部橋梁を渡って、列車はついに餘部駅に到着しました。
外は雨が降っていたのが何とも残念ですが、それでも20人くらいの乗客が一気に列車から降りていきました。こんなローカルな駅に、これくらいの乗降客があるとは思えません。勿論この橋梁を惜しむファン達でしょう。6月の平日という日ではありましたが、皆さんなかなか流石ですね(自分もですが…笑)。
既に、付け替えに取り掛かれる準備に進んでいるようで、駅も、ホームと小さな待合室だけの簡素な造りになっていました。そして、来た方向の線路を振り返ると、余部橋梁、そしてその先にトンネルが口を開けているのが見えました。これも不思議な光景かもしれません…。
さて、この駅は余部橋梁を渡ってすぐの、かなり高い所に位置する為に、集落に辿り着くにはお世辞にも歩きやすいとは言えない道を、5分ほど下っていかなくてはなりません…。しかも、この日は生憎の雨という事で、道が滑りやすい事滑りやすい事…。いや、本当に滑ってしまったのですが(笑)、これを道を毎日辿っている地元の人は、さぞかし大変だろうなと思いました。それに、夜とかどうなってしまうのでしょう…。
そして、やっとの思いで橋桁の下に出る事ができましたが、なんと雄大な橋梁なのでしょう。正に、見上げる…という言葉が必要な程、その橋梁の全体を把握するには時間を要しそうです。この橋が無ければ、普通の喉かな海のある街…という感じなのでしょうが、余部橋梁のお陰で、多大なるインパクトに溢れています。そして、その橋梁を通る列車と相まって、とても情緒深い景色が作り出せているなと思いました。確かに、鉄道文化遺産とはよく言ったものです。
新しい橋梁というのは、まだ一部繋がっていない部分があったものの、もう殆ど出来ていると言って良いような状態で、旧橋梁も、いよいよ付け替えか…という事実が、ここに来て改めて理解できたような気がしました。新しい方は現代的であり、コンクリート使用で、非常に頑丈そうな感じです。しかし旧橋梁にも、それに劣らず魅力的な部分があるというのは、ここに来た自分だけの意見でも無さそうですね。自分の他にも、橋梁に向けてカメラを向けている方がチラホラいたのが、何よりの証拠です。また、国道の通り道でもあるので、どこからか車でやってきて、走行中の列車を撮って、また別の場所に移動する…といった方も結構多かったように思います。確かに、未だ止まない雨(むしろ本降り…泣)という天気でしたから、そちらの方が便利と言えば便利なのでしょうが…、しかし、やはりここは鉄道で訪れたい場所なような気がします…。
さて、その誰しもがカメラで狙うのが、ここを1日に3往復だけ走る特急列車『はまかぜ』の存在です。冒頭にも述べましたが、この列車は全国で唯一の、キハ181系という車両を定期的に運行している列車で、それも今年の11月までとなっています(新車に替わります)。この列車と、貴重な余部橋梁の共演…。見逃すわけにはいかないに決まっています。自分へ与えられたチャンスは、上りと下り列車の計2本で、どんな構図で狙おうかと、色々と考えたものでした。やはり、ぐずついた天気が惜しまれますね…。
そして、上のような写真を撮らせて頂きました。普通列車こそ2両編成ですが、このように長大編成(…とは言え6両編成ですが、ここでは“とても長い”編成です)の列車が来ると、とても勇ましく、そして絵になる風景が生まれますよね。この光景を目に焼き付け、昔はこの場所で、こんな写真が撮れたのだと、いつまでも残しておきたい風景のように思いました。…名残惜しいですが、列車の本数は限られているので、いつまでもこの場所にはいられないのも事実です…。駅から歩いてきた山道を再び戻り、本数的にも貴重な?普通列車へと乗り込みました。ちなみにこの餘部駅にいたのは、たったの約1時間20分!…実に濃い時間を過ごさせて貰ったのだと思いました。
●ある人の、生前葬ライブ
今回の旅は1泊2日という行程になっていましたが、その時の宿は大阪市内と決めてました。山陰本線の餘部駅を堪能し、次の日は例の『はまかぜ』号に乗りながら帰路に着く予定にしていたので、わざわざ大阪に行く必要は、無いと言えば無かったのですが、、、いえいえ、この日は前々から、どうしても見ておきたかったライブが大阪で開催されるという事で、そこに行かなくてはならなかったのです。
そのアーティストとは、この日で大阪3daysライブの千秋楽を向かえるという人で、この時期、関西ツアーも並行して行っているという人でした。…更に言えば、このライブは自らが企画したもので、その名も“生前葬ライブ”という、もう年齢も年齢なので、生きているうちに香典をよこせ!…という意思の元に生まれた、シンガー・トーク・ライターの、、、
そう、Daddy 津田さんのライブです(笑)。
大阪は心斎橋にある、“ら”というお店にて、それは行われました。どうやらこの日は全国的に雨だったようで、大阪市内も土砂降りに近い状態が続いていましたが、その中でお店を探すのは大変でした。場所の見当は付いているのですが、ビルに入っている小さいお店で、この辺りはそのようなお店が本当に沢山あるので、外見はどれも同じように見えてしまうのです。…そして、何とかお店を見つけ、Daddy さんと久し振りの再開を果たしましたが、、、お客さんが自分しかいません(笑)。そして、本当にお店が小さい!
小さい、小さい…とは聞いていましたが、本当に噂通りの広さです。そして、マスターがいい味を出している方でして、何だか改めて、大阪に来たんだなあ…という感じがしてしまうくらいでした。もう、客席の一部がステージみたいなもので、そこには遺影のような写真が飾られております(笑)。やがて、お客さんもチラホラと来た感じになりましたが、まだまだ少ない感じではありました。…聞くと、3daysの初日は、それこそ満席だったのだそうで、全部その日に偏った…と言っておられました(笑)。マスターも、Daddy の客は、正直めちゃめちゃバランス悪いわ…と嘆いてたくらいです(笑)。面白いですけど…。
そんな中でライブは楽しませて頂きました。こうした地方で、わざわざ Daddy さんのライブを聴きにいったのは初めてかもしれませんが(関東ではあります)、今回は機会が巡ったといいますが、丁度良いタイミングだったんですよね。お客さんとして来ていた、やはりボーカリストのやらっぺさんも何気に歌ってくれましたし、なかなか楽しい時間を過ごせました。
そしてゲスト扱いで、自分も、Daddy さんのステージに参加してきてしまいました♪…今まで聴いた事のある曲が殆どだったので、準備は万端です!…勿論、一か八かみたいなところは正直ありましたが、それがまた面白かった要因の1つにも思えたくらいでした。それこそ、生前葬に華を添える事が出来て本望でした。ありがとうございました!
このままお店で飲んでいても良かったのですが、いつしか場所を変え、焼き鳥を食べながらの打ち上げに流れていきました。ここで、Daddy さんと自分、そしてマスターと、先程のやらっぺさんの4人が出揃い、またまた楽しい時間を過ごさせて頂いたものでした。そして、今回、一応は鉄道の旅メインでやってきたのですが、次の日の昼くらいまでは眠っていたいな…と思うようにもなってきてしまいます。これではイカンと、何とか夜の1:00くらいにはホテルに戻る事にしました…。しかし、この飲み様では、明日の朝がどうなってしまうのか、全く読めません。…という考える間もなく、ホテルに着いて暫くして、自分は眠りについてしまいました(笑)。
●JR播但線と、特急『はまかぜ』181系
次の日は、大阪駅を7:30には出たいという予定でした。しかし、この日に起きれたのは朝9:00過ぎで、未だ心斎橋にあるホテルにて…。完全に予定は駄目になりました(笑)。ただ、大まかにこの日の予定を言うと、山陰本線の和田山という駅(福知山駅の少し先に位置します)から、特急『はまかぜ』4号で播但線経由で姫路駅に出て、そのまま新幹線で東京に戻る…という手筈でした。『はまかぜ』4号の和田山駅発は14:58。…要は、この時間までに和田山駅に着いていれば良いわけです。
1日目の餘部駅から大阪駅までは、福知山駅からJR福知山線で帰ってきたので、この日は別のルートで福知山駅、そして和田山駅に抜けようと考えていて、まだ乗った事の無いJR加古川線でも乗って行こうかと思っていたのですが、この寝坊でそれは駄目になりました。それでは…と色々模索してみたのですが、なかなか良いルートが探せません。結局、JR福知山線の鈍行列車で福知山方面に行く事にしました(1日目は特急で一気に大阪に来たので…)。これならまだ時間はあるかと思いきや、福知山駅~和田山駅間は本数も少なく、列車の接続も考えないといけないので、シャワーを浴びて早々に出ていきました。やはり、鈍行列車というのは時間も掛かるものなのです。
まずは大阪駅に出て、JR福知山線(この付近ではJR宝塚線という愛称で呼ばれています)の丹波寺快速に乗って、篠山口駅へと向かいます。これは、いわば山陰本線の京都口にある園部駅みたいなもので、ここまでが大阪への通勤圏内という感じの駅です。ここからはやはり、普通列車は基本的に、2両編成のワンマン列車が1時間に1本くらいの頻度でのんびりと走る…という感じです。ただ、車両の居住性は極めて高く、これがJR西日本での車両の強みとでも言いましょうか…。車内は転換クロスシートで構成され、言わば行楽気分にもなれます(この路線では最近そうなったのですが…。お陰で、快適に福知山駅までの旅が出来ました。この区間を鈍行列車で乗るのは初めてでしたが、ゆっくりと景色を眺められるのが良かったですね。いつかは途中の駅でも降りてみたいものでした。
福知山駅から特急『北近畿』7号に乗り継ぎ、和田山駅には14:17着きました。まだ14:58発までには時間がありますが、これ以上、直前に着く列車が無いので仕方ありません。少し駅前を歩いてみましたが、暑くて身体がもたなかったので(笑)、駅中にある食堂みたいな所でお蕎麦を食べつつ、時間が経つのを待っていたりしました。
そして、いよいよ『はまかぜ』4号の入線です。昨日は、余部橋梁を渡る姿を遠くから眺めるだけでしたが、今回は相当近くで(まあ、乗りますし…)見る事が出来ます。恐らく、次に出会える機会は殆ど無いと言っても良いでしょう。記念、記録としても、何枚かカメラに収めておきたいところでした。
編成こそ、昨日見た時より短い4両編成でしたが、それでも特急列車らしい、威風堂々とした入線は流石でした。最近の車両に見られるような軽快さは無く、正に重鎮という感じです。この車両が生まれたのが1968年の事ですから、それこそ40年以上も走り続けているわけで、今こうして現役として働いている姿が見れる事自体が、凄い事なのかもしれません。車両を改めてじっくり見てみると、先頭車の5分の2ぐらいのスペースは、発電セットや大型放熱器の機器室となっており、その分客室も短くなっています(…つまり、この列車は4両編成ですが、実際は3両編成分くらいの定員しか無いのです)。また、中間車両の屋根上に掲載された、大型の放熱素子を並べた巨大な自然通風式ラジエーターが相当目立っており、これらは現在の車両には踏襲されていない部分でもあるので、やはり時代を感じさせる車両なのだなとも思いました。逆に、良き時代の車両…と言う事も出来るかもしれませんけどね。
JR播但線は今回初めて乗る路線でしたが、それが、恐らく最後の181系『はまかぜ』号によるものになるとは…思ってもみませんでした。どちらかというと、車窓より、車内の方が気になってしまうくらいです(笑)。走行音や、車内の雰囲気等、今の内に感じておかなくてはならない事柄が多過ぎるのです。実際、播但線自体は比較的地味な路線で、寺前駅より北側の非電化区間と、当駅より南側の姫路側の電化区間(電化は1998年)に分かれますが、車窓も前者が山岳路線、後者は郊外路線…という感じでした。これらはやはり、今一度鈍行列車に乗って旅をしなくては駄目でしょうね。新しい特急車両が走り始めたら、改めて鈍行列車と乗り比べの旅にでも来ようかと思いました(笑)。
和田山駅を出てから約1時間、車窓右手に姫路城が見えてくると、播但線の終点姫路駅に到着となります。鈍行列車で乗り継いでも1時間半あれば着く距離なので、そんなに『はまかぜ』号は速くは走っていないのでしょうが、良い旅でした…。列車はこのまま大阪駅まで走りますが、今回はここで見送るとしましょう。もう自分は、東京に戻らなくてはなりません。高架化された姫路駅との対比が、若干アンバランスな気もしましたが、これも時代の流れなのでしょうか…。そんな背景には似合わない、騒がしいエンジン音を立てて、『はまかぜ』号はゆっくりと大阪駅に向け、発車していきました。
これで今回の旅は終わりです。途中、面白いライブを挟んだりしましたが(笑)、貴重な駅、そして列車を今の内に体験する事が出来て良かったです。現在、余部橋梁は新しい橋が完成し、特急『はまかぜ』号、勿論181系が、最後の活躍をしているところでしょう。新しく入った情報によると、『はまかぜ』に新車が投入されるのは今年の11月7日、つまり、181系の最後の定期運用日は、11月6日となるようです。定期運転終了後も、暫くは臨時列車用として車両は残るようですが、それでも今年度中には全営業運転が終了になるようで、いよいよ全廃までのカウントダウンが始まったと考えて良いでしょう。
新しい車両が生まれる一方で、古い車両は交代されていく運命にあります。これは景色も同じ事で、旧余部橋梁がある風景を見ておけて、本当に良かったと思いました。時代の移り変わりと共に、消えていく風景もある…。しかし、その両方とも記憶に留めておきたいと思うのは当然の事で、今回の旅では、経験的にその事を学べたような気がしました…。そして、これからの余部橋梁、そして新車の『はまかぜ』も記録、記憶していけたらと思います。
記録として留めておいたあの車両こそが、今回の『はまかぜ』
だったわけです。いやー、こんな繋がりになるとは…(笑)。
鉄道で面白いのは、例えば今回の『はまかぜ』が古くなった
…というのは、普通に結果なのであって、そこに趣味的要素を
敢えて加えていないのが良いのです。ここに人工的な要素を
加えてしまうと、ただの観光鉄道になってしまうわけで、
普段と変わらず、いつものように走っている姿に、自分達は
感動を覚えるわけなのです。…だからこそ、どういうシステム
で走っているのかな…とか、何故この車両が今回廃車になって
しまうのかな…とかに興味が湧いていくんですよね…。
いけない…ついつい熱く語ってしまった…(笑)。
今後ともよろしくお願いします!