その代表的な例として、1933年に登場した阪和間をノンストップ45分で結ぶ『超特急』と呼ばれる列車があった事が特筆されます。この時の表定速度、81、6km/時という数字は、営業運転される列車としては当時日本国内最高記録の速さで、戦後に国鉄特急『こだま』号が、東京〜大阪間6時間40分運転(表定速度83、5km/時)を開始した1959年まで、26年間も破られる事は無かったという、歴史的に見れば超絶的なレコード保持の列車であったと言えましょう。阪和間に限っても、特急に限り120km運転が許容される事になり、阪和間が41分で結ばれた1986年で、ようやく記録更新が行われた程でした。阪和電鉄の線形は概ね良好でしたが、県境の山中渓駅付近は急勾配急曲線が存在し、現在のように振り子式車両(車体傾斜式車両)も無かったので、平坦区間で如何にスピードを出していたかが想像出来ます。
対しての南海本線は明治時代に敷設され、市街地を通りながらのルートであった為、スピード面での対抗には限界があり、そこでの対抗策が、豪華列車の登場や接客サービスの向上でした。特筆すべきは、1936年には日本の私鉄初の冷房電車試作に挑戦した事で、乗客からは大好評を博しました。
これら以外にも、阪和・南海の両社は大阪〜和歌山間の優等列車を頻発させて、デッドヒートを繰り広げていきますが、京阪間(大阪〜京都間)や阪神(大阪〜神戸間)間に比べて、和歌山という場所がそこまで規模の大きな場所では無かった為に、輸送需要に対して過大な供給過多であった事は否めませんでした。その為、両社は少ない乗客を取り合う為の消耗戦とも言えるべき戦いをしていたという見方もあり、むしろ阪和電鉄の経営は不振でした。南海は市街地を通っていたので、阪和間の乗客より地元の乗客の輸送で経営は成り立っており、1940年についに阪和電鉄は南海電鉄に吸収合併、南海山手線となります。その後、1944年に戦時買収によって国有化、国鉄阪和線となったのでした。この間、南海鉄道は関西急行鉄道と合併して、一時的に近畿日本鉄道保有の路線となりましたが、戦後の1947年に旧南海鉄道の路線については南海電気鉄道に分離しています。
こうして阪和間は複雑な歴史を経て、国鉄(後にJR)と南海電鉄の2社体制という、現在の形にほぼ近付きます。元々私鉄であったという阪和線だけに、沿線には私鉄らしい面影がどこか残っていて、国鉄標準の2面3線構造の駅がなく、2面4線が主要駅の標準となっているのも阪和線らしい光景です。また、起点の天王寺駅の阪和電鉄の頃から使っている阪和線専用のホームも私鉄らしい風景と言えるでしょう。
そんな阪和線ですが、現在、車両置き換えの過渡期にあります。以前は国鉄からの車両ばかりが台頭していましたが、1994年に日根野駅から関西国際空港へのアクセス線が開通した事を切っ掛けに、3扉転換クロスシート車の223系が大量投入。それは225系へと引き継がれ、この時は快速列車に優先的に投入されていましたが、快速優先のダイヤになったのと、普通列車にも223系、225系の充当が開始された事で、旧国鉄型の103系、205系は2017年度までに置き換えられる事になりました(後記…103系は2017年7月末をもって、羽衣支線を除いて全車運用を離脱しました)。
特に103系は、以前は東京等でもよく見た車両でしたが、現在ではJR西日本とJR九州でしか見る事が出来なくなってしまった車両です。JR九州の車両は地下鉄直通用という少し特殊なものなので、純粋な?103系は、今やJR西日本にしか存在しなくなったと言っても良いでしょう。それでも、まだまだ大量に残っているという印象だったのですが、今回の施策を聞き、直ぐさま阪和線を取り上げようと思ったのでした。この施策は阪和線だけではなく、恐らく他の路線にも波及していくと思われますので、今後は大阪のJR路線を取り上げる事も多くなりそうですね(笑)。…という事で、現在の状況も踏まえた阪和線の様子をお伝えしたいと思います。どうぞ御覧下さいませ!
●日時…2016年10月30日
●距離…63,0km
(天王寺駅〜和歌山駅…61,3km、鳳駅〜東羽衣駅…1,7km)
●駅数…36駅(東羽衣駅を含む)
阪和線の天王寺駅は、前述のように地上に阪和線専用の私鉄のターミナルらしい頭端式ホームがあり、以前からそこでの列車発着が行われていましたが、1989年から特急『くろしお』号を中心に、JR関西本線が発着するホームへの入線も可能とし、特に関西国際空港開業後は特急『はるか』号、関空快速等々、関西本線ホームから発着する列車が大幅に増えています。阪和線と関西本線を結ぶ連絡線も最初は上下線で1本の線路を共有していましたが、後に上下線で1本ずつに増設されました。
朝夕ラッシュ時でこそ地上ホームの発着はまだ多いですが、日中は3分の1以上が関西本線のホームから発着します。その主な列車は関空・紀州路快速で、特急列車と共にそのままJR大阪環状線の外回り線に乗り入れて、前者は環状線を1周して再度天王寺駅まで、後者は貨物線を使用して新大阪駅、京都駅まで到達します。大阪の“キタ”に向かうのは便利な列車であり、従来はこの天王寺駅で地下鉄に乗り換えて向かったものでしたが、現在では便利な直通列車に乗車する人が増えています。故に関西本線ホームでの列車系統は複雑で、関西本線の列車も大阪環状線に乗り入れる列車が多数あるので注意が必要です。
…とは言え、ダイヤは2011年3月からだいぶシンプルになりました。阪和線と関西本線、そして乗り入れ先の大阪環状線で併せて15分サイクルを基本とし、大阪環状線内に乗り入れて環状線を1周する快速(阪和線が関空・紀州路快速、関西本線が大和路快速)がそれぞれ1本、阪和線内と関西本線内で完結の快速がそれぞれ1本、普通もそれぞれ1本、そして大阪環状線内をずっと環状運転している普通が1本…という感じです。これに1時間に2〜3本の特急が加わります。15分サイクルで、それぞれの列車で接続のタイミングも同じなので、何度か利用すると概要が分かってくるようなダイヤだと思います。
それでは天王寺駅を普通列車で出発してみましょう。車両は青1色の103系。もう残数が少なくなってきた車両でもあります。日中のダイヤは前述のように15分サイクルに普通は1本しか走っていないので、少し本数が少ないかもと思いますが、車内はガラガラの状態でした。対して快速は、関空・紀州路快速と線内快速で併せて2本と、特急も走っているのでどうしても優等列車待避が多くなります。逆に言えば阪和線は待避設備がある駅も多いので、このダイヤが可能だとも言えましょう。日中の普通は鳳駅行きのみの設定で、途中、鶴が丘駅(左上写真参照)、杉本町駅(下写真参照)、上野芝駅で待避を行います。
国鉄型と言われる103系や205系は、もう普通列車でしか見る事が出来なくなりました。関西国際空港の開業後、転換クロスシートを持つ223系、そして後継の225系が次々に導入され、現在では普通列車ですら223系、225系で運転される列車が多くなっています。普通列車は4両編成と6両編成があり、最初は4両編成の車両から置き換えが始まりました(快速に使われる車両が4両編成が基本だったので)。しかし、2016年7月に、ついに6両編成の置き換え用として225系5100番台が登場し、103系や205系が姿を消すのも時間の問題となったのでした。関西では実は、205系は103系以上に希少な車両(元々少数しか投入されなかったので)であり、今回の“さんぽ”でも姿を見れて(下写真参照)ホッと一安心したくらいでした。JR東日本の205系とは違ったリニューアル化が行われている車両でもあります。
杉本町駅を出ると、大和川を渡って堺市に入ります。川を渡りきった所に浅香駅があり、ここは阪和線の撮影地として有名な場所でもあります(下写真参照)。行き交う車両の種類は前述のように多く、まずは先程の205系と103系。205系には1000番台という、前面窓の大きいタイプもあり、103系には前面の低窓タイプと高窓タイプとあります。
そして、当初は快速用で、現在では阪和線の特急以外の全ての列車を担う事になった223系と225系。こちらも223系は初期の0番台(左下写真参照)と、後に登場した2500番台(右下写真参照)が、225系は5000番台と5100番台があり、それぞれ前面のデザインが異なります。この記事には全ての“顔”を写真に掲載しているので、細かな違いをチェックしてみて下さい。
浅香駅を出ると、快速としては天王寺駅発車以来の停車駅となる堺市駅に着きます。主要駅の1つではありますが、2面2線の駅で、当駅で優等列車等の待ち合わせを行う事は出来ません。また、堺市としての代表駅は南海高野線の堺東駅や南海本線の堺駅で、阪和線の堺市駅は地理的には不利な位置にあります。ただし、当駅に停車する関空・紀州路快速は天王寺駅を越えて大阪駅に直結しています。当駅から梅田地区、そしてそこから発着する京都、神戸、北陸、山陰方面に向かうには、ここ堺市駅からの利用が便利かもしれませんね。また、223系、225系は転換クロスシート車なので、旅情気分が盛り上がるという見方もありましょう。これらは番台区分を設けて阪和線系統専用車両となっており、関西国際空港へのスーツケース利用者を考慮して片側が1列席になっているのが特徴です。
続いて三国ヶ丘駅も、特急以外の全ての列車が停車しますが、やはり待避設備がありません。ここは南海高野線との乗り換え駅ともなっており、終日乗り換え客が多いです。以前は区間快速と普通しか停車しない駅で、ホームも6両編成分しかありませんでしたが、1999年5月に快速も停車。ホームも8両分まで伸ばされました。実は阪和線の途中駅で、一番乗降客数が多い駅でもあります。
対する南海高野線は、準急以下のみ停車する駅で一番乗降客数が多い駅となっています。利用者の半分以上が阪和線との乗り換え客ですが、遠近分離や経営戦略上から、区間急行以上の列車は停車しません。ここが何とも関西の私鉄らしい部分を感じます。三国ヶ丘駅は、南海電鉄の中でも難波駅、新今宮駅、天下茶屋駅、堺東駅に次いで、5番目に利用者の多い駅。それでも通過列車の設定が多いのは興味深いところです。
…さて、列車は鳳駅に着きます。鳳駅は車両基地も併設されていて、阪和線の拠点となる駅の1つでもありますが、ここから阪和線の支線である、阪和線東羽衣線、通称羽衣線が分かれているので、こちらに少し寄り道してみましょう。寄り道…とは言え、羽衣線は鳳駅、東羽衣駅のみの1駅区間からなる、非常に短い路線です。鳳駅のホームも、本線とは別の場所である5番線から出ていて、ホームの時点で既に本線から分かれてカーブしているのが特徴です。
羽衣線は終日、線内だけを往復させる専用の103系3両編成が使用されています。この記事を書いている2017年8月の時点で、阪和線の103系は羽衣線を除いて運用離脱してしまいましたが、これは他の羽衣線のホームが3両編成までしか対応出来なく、現状でその編成の車両が新しく造られていないからです。しかし、鳳駅、東羽衣駅とも、現在ホームを4両化させるように工事がなされていて、これが完成すると羽衣線での103系も引退になるかもしれません。車両の世代交代は着実に進められているようです。
鳳駅を出ると、程なく線路は高架に上がります。この辺りは1974年に高架化されました。そもそも羽衣線は、ここ浜寺辺りの海水浴客を運ぶ為に、阪和鉄道時代に既に開通されていた路線で、短いながらもその歴史は本線と変わりません。現在では通学客が多く、東羽衣駅のすぐそばには南海本線の羽衣駅があり、乗り継ぎ客も多いとの事です。
東羽衣駅で終点なので高架は途切れ、すぐ向こうには南海本線の高架橋も見えます。かつての浜寺海岸への海水浴客を巡っても、南海鉄道との競争が繰り広げられたようで、ここにも関西の鉄道らしい風景があったのでしょう…。ちなみに2020年には、東羽衣駅と南海本線羽衣駅を2階部分で結ぶ歩行者デッキが完成するそうです。
さて、本線に戻りましょう。日中の普通列車は鳳駅で折り返してしまう代わりに、ここからの各駅への停車は区間快速が担います。前述のように、103系、205系は基本的に普通列車専用になってしまったので、日中は鳳駅以南ではこれらの車両は見られないという事になってしまいました。
鳳駅を出ると高石市に入り、すぐに和泉市へ。そして泉大津市との市境が入り乱れている部分に突入します。泉大津市に駅の設置は無いですが、路線周辺の市境が入り乱れている為に、立体化が進まない要因になっているのだとか…。その先で岸和田市に入り、待避線のある東岸和田に着きます。以前は快速停車駅のわりに狭い駅でしたが、2015年2月に下りホームが高架に移行され(左上写真参照)、2017年10月には上りホームも高架化されるそうです。
この辺りにくると、各駅停車となる区間快速の乗客も疎らで(右上写真参照)、東岸和田駅では日中は関空・紀州路快速との接続も行うので、概ね乗客は快速に移っていく感じでした。この後は更に南下し、泉佐野市に入って初めての快速停車駅、熊取駅を通り、関西国際空港への玄関口である日根野駅に到着します。
日根野駅ではJR関西空港線が分かれ、関空・紀州路快速は当駅で切り離し、それぞれ関西空港方面と和歌山方面へと振り分けられます。紀州路快速は関空快速より後に設定された列車で、紀州路快速設定時に、関空快速と日根野駅以北は併結されるという今のスタイルになりました。登場時の編成は5両編成と3両編成があり、それらを繋げて8両編成で運転。時間帯によって、利用者数に合わせてそれぞれの編成の行き先を変える工夫をしていしましたが、現在は車両の組み替えや新造を行い、関空・紀州路快速に使われる編成は全て4両編成に統一させ、車両の運用がシンプルになりました。
故に、快速の車両は223系0番台、2500番台、225系5000番台、5100番台と種類が多いのですが、これらは全て共通運用され、車両運用の効率も格段に上がりました。ちなみに、4両編成の車両は日中の区間快速、普通列車にも使われるので、その効率はより高いものとなっています。ちなみに、6両編成の車両も存在しますが(5100番台のみ)、これは前述の103系、205系置き換え用だったので、関空・紀州路快速には基本的に使われません。
鳳駅から各駅停車となっていた区間快速は、日中は当駅で折り返しとなります。そして関空快速も紀州路快速も、当駅から各駅停車となります。他に設定されている列車は特急列車となりますが、『はるか』号は関西空港駅方面に行くので、この先阪和線を通るのは、各駅停車となった紀州路快速と、特急『くろしお』号という事になります。前述のように15分サイクルのダイヤなので、1時間あたりに紀州路快速が4本(しかも4両編成)の運転と、1〜2本の特急列車のみとなり、少しばかりローカル度が上がっていく区間になると言えるかもしれません。以前の紀州路快速は日根野駅〜和歌山駅間でも快速運転を行っていましたが、2011年、2012年と段階を経て、全ての列車がこの区間では各駅停車となりました。
日根野駅には更に、吹田総合車両所日根野支所と呼ばれる、阪和線の車両基地への線路も分かれていきます。故に日根野駅は運転上の大拠点駅とも言えましょう。ここを境にローカル度が増していくのも、こんな背景があるからかもしれません。この日根野の車両基地は広大で、次の駅である長滝駅まで“さんぽ”してみましたが、“さんぽ”中も線路越し車両基地は見え隠れし、結局は長滝駅からも基地の終端が望める程でした(右下写真参照)。
この辺りに来ると、車窓は田園地帯が目立ってくるようになります。駅に近付くと、住宅地も出てくる…といったような感じでしょうか。こうして路線は泉南市に入り、ラッシュ時に運転される快速(紀州路快速とは別種別)の停車駅(一部は特急も停車)、和泉砂川駅に着きます。
和泉砂川駅を出ると、徐々に勾配を上げていきます。この先は南海本線のルートとは大きく異なっており、孝子峠に向けて進路を南西に取り続ける南海本線に対し、阪和線は阪南市に入ると雄ノ山峠に向けて南に進路を取ります。そして和泉鳥取駅を過ぎると、いよいよ長い山岳区間へと入ります。阪和自動車道とも似たようなルートとなり、山間部へ…。カーブも多くなり、春には多くの花見客が訪れる山中渓駅へ着きます。ここまでが大阪府で、阪和線の駅では大阪府の最南端に位置しています。
全体の列車の本数が少なくなるので、特急列車の存在も俄に大きくなってきます。ここを走る特急は『くろしお』号のみですが、『オーシャンアロー』という愛称を持つ283系(右下写真参照)や、2012年に登場した287系(左上写真参照)、元々JR北陸本線で活躍するも、北陸新幹線開業の為に余剰となった683系を改造した289系等、その車両種類はバラエティに富んでいます。
山中渓駅は写真の通り小さな駅で、大阪府内におけるJRの路線では唯一の無人駅、且つ大阪府内のJRの駅で一番乗降客数の少ない駅です。この後は和歌山県に入り、トンネルの連続となりますが、長い雄ノ山トンネルを抜けると右カーブし、左手に和歌山平野を望みながら、徐々に高度を下げていきます。この山越えとも言える山中渓駅からこの先の紀伊駅までの区間は、阪和線で最も長い駅間である 8,1km となっています。
更に高度を下げ、六十谷駅に着きます。紀伊駅、六十谷駅は快速停車駅です。この先で紀ノ川を渡り、いよいよ和歌山市街に入ってきたという風景になります。もう山越えは終わっており、後は和歌山平野をひた走るという感じです。
…阪和線の“さんぽ”も、いよいよ終わりが近付いてきました。無人駅の紀伊中ノ島駅を過ぎ、和歌山市駅方向から伸びてきたJR紀勢本線を越え、更に左側にはJR和歌山線の線路が近付いてきて、この3路線で並行して走ると和歌山駅に到着します。
和歌山駅は、実質的にも和歌山市の玄関駅になりました。以前はどちらかというと南海電鉄の和歌山市駅の方が需要が高かったのですが、紀州路快速が大阪環状線内に直通運転を始めると、南海電鉄では直通で行けなかった梅田地区に乗り換え無しで行けるようになり、阪和間の都市間輸送は南海電鉄からJR西日本へ大きくシフトする事になったからです。南海電鉄の阪和間優等列車本数も、最盛期と比べて半減してしまいました。
ただし、中之島や船場等の大阪市中心部への移動や、堺や岸和田といった沿岸部に発達した市街地への移動は、依然として南海電鉄の方が有利なので、阪和鉄道時代からの阪和間の競争は現在のところ、利用条件によって互いにシェアを分け合っている…という感じでしょうか。
…線路はこの先も紀勢本線へと続いていて、特急『くろしお』号を始め、朝夕の快速の一部も紀勢本線に乗り入れています。車両と共にダイヤも変化し続けた阪和線。これからはどのような展開を見せ、阪和間を輸送し続けるのか、今後も見守っていきたいと思います!
☆JR西日本のHP…https://www.westjr.co.jp/