これには山手線の歴史を紐解く必要がありますが、この路線のそもそもの建設は、日本文明開化期に誕生した私鉄、日本鉄道によるものでした。既に開通させていた上野駅〜前橋駅間の路線(ほぼ、現在のJR東北本線とJR高崎線〔鉄道さんぽ17.(JR東日本、高崎線編)参照〕に相当)と、当時横浜駅方面から新橋駅まで開通していた東海道本線〔鉄道さんぽ 32.(JR東日本、東海道本線編)参照〕を繋ぎ、国内有数の貿易港だった横浜港と、関東地方内陸部の各地及び、東北地方や北陸地方へ物資の輸送が目的とされたのです。距離的には、上野駅〜新橋駅間を繋げば早そうですが、この辺りは人口密集地域であったのと、地盤の緩さが災いして建設が難しいと判断され、品川駅(及び大井町駅)〜赤羽駅という、当時まだ街外れであった山手地域に建設、1885年に開業されました。当時は品川線と呼ばれ、今度はこの路線と常磐線方面を結ぶ路線として、池袋駅〜田端駅間の豊島線が建設、この路線が開業される時に品川線と豊島線を合わせて、山手線という呼び名が使われました。1901年の事です。
その後、上野駅〜新橋駅間の路線も繋がり、1925年にはついに環状運転が始まりました。この時、余った池袋駅〜赤羽駅間は支線のような存在になりましたが、山手線の一部という扱いでした。これが1972年に赤羽線という名称になり、山手線とは完全に分離。現在はこの区間はJR埼京線として案内されていますが、正式な路線名は今でも赤羽線として存在しています。こういった経緯があり、山手線の正式区間は品川駅〜池袋駅〜田端駅となり、田端駅〜東京駅間はJR東北本線、東京駅〜品川駅はJR東海道本線へ乗り入れているに過ぎないのです。勿論、案内状では一括して「山手線」となりますが、こういった側面から路線名を見てみるのも面白いものです。
当初は貨物線としての意味合いが強く建設された山手線でしたが、東京市街地の拡大により、市街を巡る大都市の最重要路線としての性格に変わってきました。1968年には10両編成での運転が始まり、1971年には10両編成に統一、1991年には全11両編成化も完了して現在に至っています。車両自体の変遷を見ても、当時の国鉄から現在のJRに至るまで、新車が優先的に投入されるような状況となっており、国鉄時代の101系、103系から、205系の初投入、山手線仕様のE231系500番台の投入、そして最新式のE235系の初投入も行われています。205系の時から、混雑時の乗降時間緩和の為に6扉車も一時導入されましたが、ホームドア設置に伴い、現在は全て4扉車での運行となっています。
そして、量産先行車として現在1編成だけ導入されているE235系ですが、先日、量産化が決定して、2017年春に追加投入が決定、2020年度までに山手線は全てE235系での運行になる事がアナウンスされました。変化の多い山手線ですが、使用車両の置き換えは、また路線に新しい時代を呼び込みそうです。同時に、今見られているE231系500番台は他路線に移っていくので、こちらの山手線からの引退のカウントダウンが始まった事にもなります。今ならではの共演、そして変化の多い沿線も含め、どうぞ山手線のさんぽをお楽しみ下さい!
●日時…2016年6月15日 ●距離…20,6km ●駅数…17駅
山手線の“さんぽ”区間は正式区間に則り、品川駅〜池袋駅〜田端駅で行いますが、それらの乗車前にJR大井町駅付近に位置する東京総合車両センターを見ておきましょう。ここは車両基地の山手電車区と、車両工場の大井工場が合併して発足した車両基地・工場で、その車両基地部分には山手線で使用される全ての電車が配置され、定期検査や修繕工事等が行われています。車両基地部分は大井町駅を出てすぐの細い道路から確認出来ますが(下写真参照)、ここは2階建て車両基地となっており、外観で容易に見られるのは高架の「上収容線」となります。
すぐ脇をJR東海道本線が通っており、JR京浜東北線の列車等、頻繁に行き交う列車を眺めながらの光景となります。この車両基地は、写真奥に見えるビル群の付近に位置する大崎駅に通じており、故に山手線の列車はラッシュ時を中心に、大崎駅を始発・終着となる列車が数多く存在するのです。言わば、山手線車両の「ねぐら」という事です。
それでは改めて、山手線の起点駅である品川駅に向かいましょう。路線的には起点駅となりますが、当然、この先の東京方面へはそのまま直行し、山手線ホーム上は中間駅のような雰囲気ではある事は言うまでもありません。…とは言え、品川駅のホーム脇には山手線の留置線があり、深夜時間帯には当駅終着列車の設定もあります。また、山手線ホームの東京寄りに、山手線の起点を表す0キロポストが存在します。
品川駅を出て、そのまま東海道本線の線路は先程の大井町駅に向かいますが、山手線は暫くしてから右カーブしてそれらとは分かれ、JR東海道新幹線とJR横須賀線と併走します。カーブは続き、やがてそれらの路線とも分かれて、今度は先程の東京総合車両センターからの線路が近付いてきます。ここまで来ると、品川駅を出た時点で向いていた南西向きから、北西向きに進路を変えており、環状線部分の南端を表現するような感じで大崎駅に到着します。山手線のホームの向こうには、山手貨物線の線路越しに、JR湘南新宿ライン、JR埼京線、東京臨海高速鉄道りんかい線のホームが設けられています。
山手線のホームだけでも、大崎駅は2面4線。これは前述の通り、大崎駅を始発・終着となる列車が多数存在する為で、ラッシュ時には同じホームに山手線の列車が2本並ぶ姿がよく見られます。山手線のホームはホームドア化が各駅で進んでいて、大崎駅もその1つなのですが、当駅始発・終着用に使われている2番線、4番線は今のところホームドアの設置は無いようです。
この先、山手貨物線の線路とは、田端駅手前まで併走します。その線路を使って乗り入れているのが、先程の湘南新宿ラインと埼京線という事です。この先の五反田駅、目黒駅を始めとし、駅によっては山手貨物線にはホームが無く、これらは山手線の快速電車としての役割も果たしている事が分かります。
目黒駅を出ると山手貨物線が電車線をくぐって、併走の配置が進行方向左側から右側へと移ります。この辺りを“さんぽ”して、ついに、現在1編成のみのE235系を写真に収める事が出来ました(左上写真参照)。この日も日中の運用にも入っていたようで良かったです。そのまま恵比寿ガーデンプレイスの西側を通ると、貨物線にも駅がある恵比寿駅となります。同駅に貨物線にホームが設けられたのは1996年の事で、2002年のりんかい線開業までは、新宿方面からの埼京線は当駅で折り返していました(列車はその先の大崎駅付近まで回送され、そこで折り返していました)。
恵比寿駅を出ると、現在再開発真っ最中の渋谷駅となります。恵比寿駅〜渋谷駅間では、以前は東急東横線〔鉄道さんぽ 11.(東京急行電鉄、東横線編)参照〕の線路をアンダーパスしていましたが、現在は地下化され、東横線の地上時代の渋谷駅も見られなくなっています。むしろこの跡地を利用も含めて、渋谷地区の再開発は進んでいると言っても良いでしょう。現在、貨物線(埼京線等)にある渋谷駅ホームは、かなり恵比寿寄りに造られていてアクセスが不便なのですが、この跡地を利用して、山手線のホームと並列する位置に移設させる工事が、跨線橋移設と共に進められており、2020年の完成が見込まれています。また、そのスペースを提供するという目的もありそうですが、現在、外回り線、内回り線でホームが分かれている山手線ホームも島式1面2線ホームになるようです(全体の完成は2027年予定)。
渋谷地区の再開発はまだまだ進められていますが、2019年完成予定の地上47階建てにもなるビルが完成すると、また渋谷駅の風景は一変しそうです。ビルの高さは230mと、近くのヒカリエ(右下写真の左奥の高いビル)も高く、渋谷随一の高さになる事は間違いありません。しかも、このビルには屋上展望台が設けられるらしく、何も遮るものが無い景色を提供してくれる事と思います。そんな時にも常に走り続ける山手線は、本当に今まで、色々な風景を見てきたのでしょうね…。
さて、渋谷駅を出ると原宿駅となります。若者の日本文化発祥の地としてのイメージが強い場所でもありますが、駅的には、外回り線に存在する、明治神宮敷地内に通じる臨時ホームが特筆されるでしょう。このホームは基本的に正月期間中のみに使用され、この時には外回り線は通常のホームを使っての乗降が出来なくなります。
また、原宿駅から代々木方面を臨むと、貨物線から分岐されたホームがあるのが目に入ってきますが、これが皇室専用ホームで、以前はここから皇族を乗せたお召し列車が年に数回発着していたものでした。しかし、今上天皇の時代になると東京駅を使用する事が多くなり、そもそも鉄道で移動する事自体が少なくなってきてしまったので、2001年以降、皇族がこのホームを利用した実績は無くなっています。
進行方向右側から、中央線、総武線の線路が寄り添ってくると代々木駅になります。中央総武緩行線と山手線のホームは同位置に存在し、中央総武緩行線の下り線と山手線の内回り線は同じホームで乗り換えが出来るようになっています。前述のように、山手線にはE235系が投入されてきていますが、それに押し出される形で、山手線を走っていたE231系が中央総武緩行線へと転属されています。山手線を走るE231系は前面部のデザインが他のE231系と異なるので、中央総武緩行線では異彩を放つ存在となっています。早速、転属された編成に出会える事も出来ました(左上写真参照)。
そして程なく新宿駅へ到着します。この間に、中央総武緩行線の下り線が山手線を跨いで一番西側へ来て、これらの上下線に山手線が挟まれるような配線となっているので、新宿駅では両線の乗り換えが同一ホームで出来るようになっています。…そんな新宿駅は、ここに乗り入れる全ての鉄道路線を併せると、1日の乗降客数が約347万人と、世界一の数字を誇っており、当然ギネス登録もされています。色々な路線が行き交いますが、JRの登録上の路線としては山手線(埼京線、湘南新宿ライン系の路線が含まれる)、中央線(中央総武緩行線が含まれる)の2路線だけとなっています。それでもホームは1〜16番線まであり、1日中、列車は引っ切りなしに発着しているのです
…この新宿駅、以前は1〜10番線しかありませんでしたが、1986年に埼京線が新宿駅まで延伸してきた頃から、駅の改良工事が段階的に進められ、拡張もその都度進められてきたのでした。埼京線ホームは山手線とは反対側の端になっていますが、ホーム自体はあまり並行していなく、東側(埼京線側)になるにつれ、ホームは徐々に南寄りずれてきます。むしろ5・6番線ホームの一番北側の位置は、7・8番線ホームの一番南側の位置と同じくらいとなっています。
新宿駅を出ると中央線が西側に分かれるので、既に一番西側に来ていた中央総武緩行線の線路を除き、一気に中央線の線路を乗り越えます。この地点が山手線で一番標高の高い所で、その高さは41m。対して、標高が一番低いのは品川駅で1m〜3m。意外にアップダウンの多い路線である事が分かります。暫く西武新宿線とも並行して、新大久保駅、そして高田馬場駅へ。その後に西武新宿線と分かれ、目白駅へと到着します。
目白駅は、今でも他の鉄道路線と接続しない山手線の駅(他には厳密には新大久保駅ぐらい)となっていますが、開業は古く、山手線開通の1885年から存在する駅でもあります。ちなみに開通当初の駅は、品川駅〜赤羽駅間で、渋谷駅、新宿駅、板橋駅のみ。そして開通2週間後に目黒駅、目白駅が出来ました。今では隣りの池袋駅の方が圧倒的に規模が大きいですが、開通当初は池袋周辺は農村地帯だったのだそうです。この目白駅と池袋の駅の間で西武池袋線の線路を潜りますが、以前はこの辺りには山手線では貴重な踏切が存在していました(今では歩道橋が架けられ、踏切は廃止になっています)。
さて、埼玉方面への玄関口、池袋駅へと到着しました。全体の乗降客数は1日262万人と、これも凄い数字です。JR東日本では、新宿駅に次いで2位の乗降客数であり、ここに乗り入れる東武鉄道、西武鉄道、東京地下鉄(東京メトロ)では第1位の乗降客数となっています。
山手線のホームは2面4線と大きいですが、これは以前、赤羽方面と田端方面へを振り分けていた名残も大きく、山手線、赤羽線と呼ばれていた時代は、赤羽線の列車は現在の8番線から発着していました。現在では、板橋駅寄りには車庫もあるので、当駅始発、終着の列車が側線側の線路から発着しています。
…ここで改めて、現在の山手線の主力であるE231系500番台を見てみましょう。11両編成で全52編成が揃えられましたが、10号車だけ、外観が若干異なっている事にお気付きでしょうか(左上写真参照)。これは、以前山手線には7号車と10号車に6扉車が組み込まれていたのですが、ホームドア設置に伴い、6扉車は廃止させる方向になったので、それに替わって導入された車両になっています。
この時、既にJR東日本では後継のE233系が造られていたので、一部その仕様に合わせて造られたのでした。その時、7号車はかなりE231系に寄せられたデザインになったものの、10号車の方はドア部のデザインや内装もE233系寄りのデザインに作られました。これは、今度のE235系が登場した際に、この10号車の車両だけE235系の編成に組み込む為でもあります。
E235系の登場が決まった時に、まだ新しいE231系500番台の転属先が中央総武緩行線になったのですが、こちらは10両編成なので、1両が余ってしまいます。これがこの10号車の部分で、製造から数年で廃車にするものも勿体無いので、既に、E235系に組み込ませる前提で造られていた事が分かります。…とは言え、E235系は側面の寸法が結構異なるので、E235系の10号車を見ると、少し違和感のある車両が入っているようにも見えるのはご愛嬌でしょうか(全てE235系新造車で揃えられている編成もあります)。
さて、山手線の“さんぽ”も終わりに近付いてきました。ここからは、一時期は豊島線とも呼ばれていた区間に入ります。埼京線(かつての赤羽線)とも分かれますが、貨物線はまだまだ並行しており、こちらは湘南新宿ラインの列車が使用する線路となっています。
東京唯一の路面電車、都電荒川線と交差する大塚駅、お年寄りの原宿とも言われる?巣鴨駅を通り、駒込駅を過ぎると、ついに貨物線と交差して離れます。そしてこの付近には、今や山手線唯一となった踏切が存在します(左下写真参照)。振り返ってみると、どこかしら何かの路線と並行している山手線でしたが、ここで一瞬、単独の線路になる事で、今でも踏切が残っているのかもしれませんね。
貨物線と分かれた後、右にカーブしていくと、眼下に京浜東北線の線路、そして東北新幹線の高架線越しに新幹線の車両基地が見えてきて、程なくして田端駅に到着します。この間、随分と勾配を降りていくような感じになっているのですが、正にここが山手と下町の境のような地形の場所で、恐らくこの辺りの高台からは、昔は眺めが良かったのではないかと想像も出来ます…。そして地形通り、登録上の山手線という名前はこの田端駅で終了となります。ここからは登録上は東北本線。その本線も前述の車両基地越しを走っており、なかなか鉄道路線名称の複雑さを感じさせてくれますね…(笑)。勿論、実際の山手線は線路が続いており、今度は京浜東北線と品川駅まで並行して進んでいくのでした。
さて、山手線の“さんぽ”はここまでとなりますが、先程、駒込駅〜田端駅間でE235系に乗る事が出来たので、こちらの様子も紹介しておきましょう。一気にモデルチェンジし、車内に掲載されているディスプレイは荷棚の上にまで置かれていました(…とは言え、まだテスト要素が高く、本格的なディスプレイ広告の今後だと思われます)。吊り革も緑になり、優先席エリアはデザイン面でもその存在感を大きく打ち出すようになってました。
…新しく、この時点でまだ1編成しか無かったので、何となく乗り馴れない車両ではありましたが、2020年には全てこの車両になるという事で、一気に時代の変化が訪れる事でしょう。それであっても『まあるいみどりのやまのてせん♪』で有り続けられるのは嬉しい事です。過ぎ行く街の風景と共に、山手線もまた変化していく事を感じられた1日になりました。
☆JR東日本のHP…http://www.jreast.co.jp/