そして明治7年(1874年)には、日本で2番目となる鉄道となる大阪駅〜神戸駅間が開業します。その後はルートの選定を繰り返し、最終的に東京〜名古屋間は東海道に沿って、その先の名古屋〜草津間は中山道に沿って作られる事に決定、徐々に延伸をしていきます。…そうして明治22年(1889年)には新橋駅〜神戸駅間の全線が開業し、首都圏と京阪神が鉄道で結ばれる事となりました。この時、直通列車も1往復だけ設定され、所要時間は20時間強だったそうです。尚、この時の国府津駅〜沼津駅間は現在のJR御殿場線ルートだったのですが、この事に関しては〔鉄道さんぽ 12.(JR東海、御殿場線編)〕を参照頂ければと思います。
…その後、東京駅の開業(大正3年)やルート変更等を経て、徐々に現在の東海道本線の形に近くなってくるのですが、昭和62年(1987年)の国鉄分割民営化によって、東海道本線はJR東日本、JR東海、JR西日本の3社に管轄が分かれました。民営化後は、それぞれで独自の運営方法がなされ、今回取り上げるJR東日本の区間は首都圏の郊外路線という性格がより強くなってきます。
昔は、山手線は通勤路線、東海道本線は近郊路線というように、路線の性格で分けて扱われていた感じがあったのですが、実際に車両も前者は4扉ロングシート(103系、205系等)、後者は3扉セミクロスシート(113系、211系等)等と、雰囲気も結構異なっていました。しかし、現在東海道本線を走っている普通列車の車両の主力はE231系と、これらは山手線で走っているものと基本的には同じ車両が使われており、もはや首都圏では通勤路線、近郊路線という区分けは曖昧なものとなっているのかもしれません。かろうじて?東海道本線に使われているE231系はセミクロスシート車も存在しますが、どちらにしろ4扉車ではあるので、通勤路線感が否めないと思います。
そして、この東海道本線が大きく変わったのが、2001年の湘南新宿ラインの開業、また記憶に新しい、先月の上野東京ライン〔2015年3月14日ダイヤ改正参照〕の開業でしょう。この開業によって、東海道本線の車両は首都圏を越えて北関東にも顔を出すようになり、壮大な直通運転を行うに至ったのです。東京都心を縦に貫くという運行形態は、通勤路線そのものの顔を窺わせてくれるものでもありました。東海道本線の歴史は、日本の鉄道の歴史でもあるという事を、今でも感じさせる出来事だとは思います。
今回の記事で扱う東海道本線は、タイトル通り、JR東日本区間(東京駅〜熱海駅間)のみとさせて頂きます。他のJR各社の区間を扱う日が来るかはさておき(笑)、東海道本線の支線であり、JR横須賀線やJR湘南新宿ラインのルートである品鶴線も取り上げておきます。また、JR山手線の東京駅〜品川駅間や、JR京浜東北線の東京駅〜横浜駅間、そしてJR横須賀線の東京駅〜大船駅間もそれぞれ独立した線路があるものの、正式路線名的には東海道本線の別線、増線…という扱いになっているので、こちらも組み込んでおきました。…尚、東海道新幹線も、東海道本線の線増として建設されましたが、流石にこれは別扱いとしておきます(笑)。また、貨物線も多い東海道本線ですが、ここでは旅客線だけを取り上げる事にしているので、それも項目からは外しておきます。
東海道本線の全区間である東京駅〜神戸駅間からしたら、JR東日本区間の東京駅〜熱海駅間なんて僅かなものですが、非常に歴史があり、そして日本の大動脈を永らく支えてきた事から、取り上げる項目はそれでも膨大な物になってしまいそうです。上野東京ラインが開業し、正に取り上げるなら今のタイミング…とも思っていたのですが、それでも少し躊躇するぐらい、(記事にするのが)大変そうな路線なのでした。そんな背景もあり、全部の要素は流石に伝えられないでしょう…と、今のうちに断りを入れつつ(笑)、JR東日本区間の東海道本線を“さんぽ”出来たらと思います。それではどうぞ御覧下さいませ!
●日時…2015年4月15日
●距離(JR東日本区間のみ)…172,5km
(東京駅〜熱海駅…104,6km、
品川駅〜武蔵小杉駅〜鶴見駅…17,8km、
浜松町駅〜東京貨物ターミナル駅
〜浜川崎駅…20,6km《旅客営業無し》、
鶴見駅〜八丁畷駅…2,3km《旅客営業無し》、
鶴見駅〜東高島駅〜桜木町駅…8,5km《旅客営業無し》、
入江信号所〜旧・新興駅…2,7km《旅客営業無し、事実上廃止》、
鶴見駅〜横浜羽沢駅〜東戸塚駅…16,0km《旅客営業無し》)
●駅数(JR東日本区間のみ)…35駅
(東海道本線…32駅《緩行線の駅数も含む》、
品鶴線…3駅《品川駅、鶴見駅を除く》)
最近の『鉄道さんぽ』は早起きが付き物です。それが地方の鉄道ならば更に顕著ともなるわけですが、東京を代表する東海道本線でも、今回は早起きをさせて頂きました。前述したように、今回はJR東日本だけの区間となるわけですが、いわゆる東京駅〜熱海駅間だけではなく、書類上は“東海道本線”となっている区間も取り上げなければなりません。こうなると、より時間を掛けなくてはならないのは明白で、故に東京駅には朝7:00前の到着とさせました。朝の東京駅前はまだ人が疎らではあったのですが、対照的に駅構内はラッシュが始まったとばかりの人混みで、流石は東京の玄関口となる駅だと感じさせてくれます。そして堂々たる丸の内側の駅舎は、日本を代表する駅だと感じるに充分な風格を持っているのでした。
すぐに7・8番線に向かいます。東京駅7:08に到着する寝台特急『サンライズ瀬戸・出雲』号(左下写真参照)を出迎える為で、今や貴重な、定期的に運転する唯一のJR寝台特急列車であると共に、東海道本線が熱海駅を越えて、名古屋、大阪、神戸方面へ続いているという手掛かりを知るにも大事な列車でもあります。東京駅発着のブルートレインが全廃されたのが2009年3月の事ですが、それ以降、ここでの長距離の列車というと、静岡県は下田への特急が限界という感じでしょうか。遠くへは新幹線や飛行機を使うのが一般的という現在ですが、こうした寝台特急は末永く活躍してほしいと思いますね。
また、やはり今年3月の上野東京ラインの開業により、東京駅の“終着駅感”が薄れたような気がしてしまいました…。単純に、殆どの列車がこの東京駅を通り越し、北側の路線との直通運転を始めたからでもありますが、確かに行き交う列車を見てみると、ここは中間駅のような雰囲気です。列車の停車時間も長くはなく、時間短縮や速達間をアピールするかのように、次の駅に向けて淡々と発車していきます。東京駅というと、線路の高さが1段低くなっているJR山手線やJR京浜東北線のホームと、ここJR東海道本線のホームとでは、明らかに雰囲気が違っていたのですが、今やその雰囲気が近付いているように感じました。勿論、便利になった部分は大きいのですが、いわゆる日本を代表する東海道本線…という路線の風格を見出だすのは難しいかもしれません。ここが東海道本線の起点駅だと自信を持って言える材料も、もはや書類上の話しでしかないのでしょうか…。
さて、東京駅にはここ地平ホームだけではなく、地下にも東海道本線のホームが存在します。それは“総武地下ホーム”と呼ばれる地下5階に位置する場所で、JR総武線(快速)の起点となる駅でもありますが、直通運転するJR横須賀線の電車も乗り入れています。故に、ここも中間駅のような風情が漂っていると言って良いでしょう。この横須賀線側が、書類上では東海道本線の別線として扱われています。
ここを通る列車は普通列車ばかりではなく、千葉県の銚子方面へと向かう特急『しおさい』号を始め、成田空港への足である特急『成田エクスプレス』は頻繁に発着しています。特急『成田エクスプレス』は、当駅で連結、切り離し(右上写真参照)を行い、ここから新宿方面と横浜方面へと乗客を振り分けています。
…さて、東京駅を見るだけで結構な時間が掛かってしまいましたが(笑)、地上に戻り、ようやく東海道本線に乗る事に致しましょう。何度も言うように、正式には東京駅から南側に向かう路線(JR東海道本線は勿論、JR山手線、JR京浜東北線、そしてJR横須賀線、更に広義ではJR東海道新幹線も当て嵌まります)全てが東海道本線とされているので、何を乗っても東海道本線の“さんぽ”になるのですが(笑)、ひとまずここは、案内上も東海道本線と呼ばれる路線に乗って向かう事にしましょう。東京の1つ隣りの駅は有楽町駅ですが、東海道本線の列車は通過し、1つ目の停車駅である新橋駅で、まずは下車します。
新橋駅の開業は1872年。この記事の最初に記した通り、日本で初めての鉄道が開業した時に出来た駅でもあります。現在の駅は2代目で、1914年の東京駅完成に伴い、東海道本線の起点が東京駅に変更された時に、元々が烏森駅として開業していたこの駅を新橋駅と改称させ、それまでの新橋駅は汐留駅と改称し、こちらは荷物列車と貨物列車の専用駅となりました(その後1986年に廃止され、以後再開発がされているのは周知の事と思います!)。現在、JRの高架線のホーム上に掛かる大屋根を設置工事中です。
今度はJR山手線の列車で浜松町駅に向かいます。浜松町駅は、JR東日本グループになった東京モノレール〔鉄道さんぽ 6.(東京モノレール羽田線編)参照〕の乗り換え駅として利用する方も多いと思いますが、JRの3・4番線ホームの田町駅寄りに、“小便小僧”の像(左上写真参照)があるというのは意外と知られていません。これは、ここに設置されてから60年にもなる結構古いもので、季節毎に衣装が変えられていて、通勤、通学客の目を楽しませている事と思います。
次の田町駅のホームの北側に立つと、東海道本線を始め、山手線や京浜東北線、そして東海道新幹線もが並行して臨めるポイントがあり(右上写真参照)、頻繁に行き交う列車を眺めているだけで東京の都会さを実感するのですが、この次の品川駅周辺はそれ以上に大きく都会化、そして今後も発展が見込まれている地域でもあります。田町駅と品川駅の間には、2020年を目処に新駅が開業する事も決まっています。
さて、東海道新幹線も停車する品川駅は、JRの在来線だけでも15番線までホームが存在する非常に大きな駅です。これに東海道新幹線と京浜急行の路線が加わるわけですが、JRの在来線だけでいうと、正式には殆どが東海道本線の路線であるところは流石です。尚、JR山手線は正式には当駅が起点であり、ここから大崎駅方面が、いわゆる正式な“山手線”となります。
最近の話題として、やはり上野東京ラインの開業に伴って、JR常磐線からの列車が品川駅まで乗り入れる事になった事は挙げておきましょう…。この時のダイヤ改正と同時に、新たに特急『ひたち』号、『ときわ』号という名称に変更されたE657系(右上写真参照)列車や、乗り入れは朝と夕方以降に限られますが、常磐線のE231系(左上写真参照)等、新たな顔触れが増える事となりました。
そして、東京駅では地下駅の存在だったJR横須賀線の路線も、ここ品川で地上に顔を出してきます。この先のこの路線は、品鶴線という呼ばれるルートで、既存の東海道本線とは大きく異なる行程を辿る事になるのですが、やはりこちらも正式には東海道本線なので、まずはこちら側のルートを辿って、いったん品川駅に戻り(笑)、再度東海道本線のルートを見ていきたいと思います。この時は朝のラッシュ時の真っ最中という感じだったので、215系(右上写真の左側の車両)を使用する快速『湘南ライナー』の姿も多く見掛けました。国鉄➡JRの着席定員列車の元祖とも言える列車です。
品鶴線は品川駅を出ると、本家の路線を左に見ながら分かれ、東海道新幹線と共に右にカーブしていきます。隣りにはJR山手線が並行して走っており、このままですと大崎駅に到着してしまいそうですが、今度は山手線を右に見つつ分かれ、左カーブしていきます。この時に車窓右手には大崎駅が見えますが、そこから伸びてきた路線をオーバーパスし、後にその路線と合流をします…。これが湘南新宿ラインの路線で、左上写真で見ると、左側が品鶴線で、右側が湘南新宿ラインの路線となっています。この2つの路線の合流部分は平面交差となっており、ラッシュ時を中心に行き交う列車も増えてきたお陰で時刻調整をする事もしばしばで、将来的には立体交差に改良されるようです。この合流ポイントの頭上に東急大井町線(右上写真参照)が通ります。
そして西大井駅となります。事実上、品鶴線(横須賀線)と湘南新宿ラインの分岐駅となりますが、ここで乗り換える人は少ないかもしれません。日中の列車の本数的には、横須賀線の列車が4本/時、湘南新宿ラインの列車が2本/時で、湘南新宿ラインの列車が少ないですが、これは2本/時の快速系統が当駅は通過するからです。全体的には横須賀線と湘南新宿ラインの列車本数は、ほぼ同等に設定されているようですね。
上写真の通り、頭上には東海道新幹線が通っていますが、西大井駅を過ぎると徐々に同じ目線の高さになり、長い直線区間へと入ります。列車は最高速度の120km/時をよく出す区間で、これは多摩川を渡るぐらいまで続き、そこを過ぎると武蔵小杉駅になります。JR南武線〔鉄道さんぽ 29.(JR東日本、南武線編)参照〕、東急電鉄東横線〔鉄道さんぽ 11.(東京急行電鉄、東横線編)参照〕、目黒線との乗り換え駅ですが、こちらの路線としての駅は2010年3月に開設された、比較的新しい駅(左下写真参照)となっています。
この開設の影響は大きく、都心への路線の選択肢が広がった事でとても便利になり、武蔵小杉駅周辺の高層ビルの開発は本当に目覚ましい状況となっています。確かに、品川や東京方面は勿論の事、渋谷、新宿、池袋方面もダイレクトで行けるようになったのですから、利用者が増えるのも頷けるというものです。
武蔵小杉駅を出ると、ついに東海道新幹線と分かれ、代わりに右側から貨物線が合流します。これはJR武蔵野線の貨物専用線で、遠く府中本町駅からやってきている路線です。合流した後は新鶴見信号所と呼ばれる、多くの貨物線が行き交う中継地点の役割を果たす場所へと入っていきますが、その地点に新川崎駅が存在します。
新川崎駅を出ると、次は横浜駅です。一気に飛んだ感じがありますが、東海道“本線”とは鶴見駅の手前ぐらいで既に合流をしており(左下写真参照)、ここから鶴見駅、新子安駅、東神奈川駅と、駅自体はあるものの、こちらはJR京浜東北線の路線にしか駅が無く、品鶴線ルートの列車は全て通過するからでもあります。横浜駅は一番西側の9、10番線に入線し、2004年に東急東横線のホームが地下へと移動させた以降、余った土地を利用してホームの拡張が行われました(右下写真参照)。
さて、一度品川駅に戻り、今度は所謂東海道本線のルートで改めて横浜駅に向かってみる事にしましょう。この間、東海道本線の列車自体の停車駅は品川駅、川崎駅、横浜駅と少なく、並行するJR京浜東北線が各駅停車の役割を果たしています。こちらは川崎駅の手前で多摩川橋梁を渡って神奈川県に入ります。
川崎駅を出ると、JR南武線と分かれた後に先程の品鶴線路線と合流して、後は同じルートを通っていくのですが、ここは更に京浜急行電鉄本線の線路も走っている区間でもあるので、多路線が暫く並行して走る区間を楽しめるポイントともなっています。特に注目すべきは、京浜急行電鉄の花月園前駅〜生麦駅付近で、ここはJR東海道本線、京浜東北線、品鶴線、京浜急行線の線路の他に、分岐した貨物専用線の線路も別に存在するので、合計10本の線路が敷設されている区間になるのです。面白いのは、ここを横断する踏切(右下写真参照)がある事で、開かずの踏切、そして日本一長い踏切として紹介された事もあるくらいです。
貨物線が分かれ、京浜急行本線とは離れたり近付いたりが繰り返され、その後の東神奈川駅ではJR横浜線〔鉄道さんぽ 25.(JR横浜線編)参照〕と合流します。合流…とは言っても、JR京浜東北線の路線との合流で、東海道本線の線路には乗り入れません。横浜線、この東神奈川駅止まりの列車も多いですが、半分以上はJR京浜東北線に乗り入れ、横浜駅から先、桜木町駅や磯子駅、時間によっては大船駅まで達しています。
…という事で、改めて横浜駅に着きました。横浜市の中心駅である事は言うまでもなく、当駅には合計6つの鉄道事業者が乗り入れる駅となっており、これは日本最多(2015年現在)でもあります。前述のように、東海道本線が開通した当初は、現在の桜木町駅が横浜駅と名乗っていて、その後に東海道本線が延長した時は、現在の桜木町駅がある場所からスイッチバックして国府津方面へと向かっていました。その作業が効率的でなかったので、1898年に短絡線が開通し、後に平沼駅という駅がその付近にでき、長距離の優等列車はその駅に停車していました。現在の横浜駅の場所の前身となる駅ですが、その後関東大震災等を経て再度場所が変わり、現在の場所になるのは1928年の時です(この年には東急東横線も開通しています)。当駅は工事完成前に、構内や駅周辺で次々と工事が行われる為、実質1915年(2代目横浜駅…現在の横浜市営地下鉄の高島町駅付近)から現在に至るまで、一度も工事計画が完全に完成した事が無いという、日本のサグラダ・ファミリアとも比喩される駅ともなっています。
それでは、横浜駅から先に向かいましょう。歴史的にはこちらの方が古い桜木町駅方面とは分かれて、保土ヶ谷駅方面に路線は進んでいきます。暫くは相模鉄道の本線が進行方向右側に並走します。また、ここから大船駅までは、案内上ではJR横須賀線、湘南新宿ラインとされる路線と並行して進み、こちらは保土ヶ谷駅、東戸塚駅に停車しますが、東海道本線の列車はそれらは通過し、次は戸塚駅となります。
それまで路線別で並走していたこれらの路線ですが、戸塚駅では方向別の配線になり、お互いの路線の乗り換えがホーム上で可能となっています(左上写真参照)。また、湘南新宿ラインの列車は、当駅で横須賀線方面と東海道本線方面へ、それぞれ振り分けられて運転されます。運転経路は複雑になってきており、最近は上野東京ラインの開業もあって、ますます分かりにくい状況にはなっていると思います。この戸塚駅は、それらが最も集約する場所でもあり、上り方面も下り方面も、注意して列車に乗らなければなりません。
特に上り方面が顕著で、ここから上り方面に向かう方は、列車の行き先だけを見てはいけない状態になっています。…と言うのは、例えば同じ高崎駅行き(現在は、それまでの終点であった東京駅行きは、数が非常に減りました)でも、湘南新宿ライン経由なのか、上野東京ライン経由なのかで、ルートはだいぶ異なるからです。その中で更に快速の設定もされていたりするので、注意すべきは○○経由というのと、快速運転をしているのかどうか…という感じでしょう。
運転経路は複雑ですが、走る車両の種類はだいぶ整理され、現在、この付近の東海道本線を走る普通列車はE231系とE233系にほぼ統一されています(横須賀線にはこれにE217系が加わります)。以前は列車によって車両が決まっていましたが、上野東京ライン開業以降は共通運用とされ、互いの車両の併結運転(左上写真参照)も見られます。この2系列の車両は共通設計の部分も多いので、利用者的にはどちらの車両に乗っているのかは、あまり気にならないかもしれません。前面部は結構異なりますが、側面部の差異は、ドアの形やラインカラーがドア部にも貼ってある等、だいぶ細かい点になってしまいます(笑)。車両は4扉ロングシート(一部セミクロスシート…右上写真参照)で、どちらも10両編成と、増結用の5両編成があり、それらを連結して15両編成で運転されている事が多いです。尚、10両編成には2階建てグリーン車が2両連結されています。
戸塚駅の次の大船駅を出ると、並行してきたJR横須賀線とも分かれ、いよいよ東海道本線単独の路線となります。…とは言え、まだ進行方向右側には別の路線が並行していますが、これは東海道貨物線の線路で、貨物列車は勿論の事、快速『湘南ライナー』系列の一部や、様々な回送列車、そして試運転の列車等々、意外と走行する列車を見る事は多いです。
ホームにかつての湘南型80系を模した売店がある藤沢駅(右上写真参照)は、小田急江ノ島線との乗換駅です。湘南新宿ラインが運転されて以降、小田急側も湘南急行(現在は快速急行)の運転を始め、新宿方面への競争が激化されています。東海道貨物線にもホームがありますが、これは事実上、ラッシュ時の『ライナー』用で、それ以外の時間帯は閉鎖されています。また、江ノ島電鉄〔鉄道さんぽ 4.(江ノ島電鉄線編)参照〕も乗り換えできます。
藤沢駅を出ると、辻堂駅となります。快速『アクティ』や湘南新宿ラインの『特別快速』が通過しますが、快速『アクティ』は東京駅を出て、東海道本線上では当駅が初めての通過駅となります。そもそも、東海道本線上で通過する駅が、この辻堂駅と、あと3駅程しかないのですが、それでも先行する普通列車を追い抜いたりするので、一応の速達列車という面目は果たしているのかもしれません。…というより、東京駅〜小田原駅間を走る東海道本線の普通列車は、列車によって走行時間がバラバラで、後続の快速列車を先に行かせる為に、わざとゆっくり走ったり、駅で停車時間を多めに設定させている列車も多いです。同じ普通列車でも、所要時間が10分以上違う列車もしばしばで、なるべく等間隔に列車を設定させているが故なのかもしれませんが、速達面という意味では、他の路線より1歩遅れをとっている感も否めません。
快速停車駅の茅ヶ崎駅を過ぎると相模川を渡り(上写真参照)、平塚駅となります。当駅で折り返す列車が多く存在し、行き先もだいぶ整理されてきます。快速列車は当駅で普通列車を追い越す事が多く、一部の普通列車は当駅で付属編成5両の増解結も行われます。
相模川を渡った時に、進行方向左側には海が見えている筈で、この辺りから東海道本線は相模湾に沿って、わりと海の近くを通っていきます。…が、海が見える区間というのはまだ僅かで、それは早川駅以降に持ち越されます。大磯駅、二宮駅と、前述の快速列車が通過する駅を過ぎ、国府津駅となります。かつての東海道本線のルートでもあったJR御殿場線への乗り換え駅で、こちらの詳細は〔鉄道さんぽ 13.(JR東海、御殿場線編)〕を参照して下さい。
新幹線発祥の地である鴨宮駅を過ぎると、小田原駅に到着となります。…ここでは偶然にも、今後のJR山手線に投入される新系列、E235系の試運転列車(右上写真参照)を見る事が出来ました。東海道本線に乗っていると、こんなチャンスに巡り会える機会も少なくはないという事でしょう(笑)。小田原駅で折り返す列車は多く、ここから先の区間は、日中は1時間に3本程度の運転です。湘南新宿ラインの列車は、基本的には小田原駅までの運転となります。
さて、先に進みましょう。別線となっていた東海道貨物線の線路も、ようやくここで本線へと合流し、これまで東京駅から続いてきた複々線以上の区間が、ついに複線区間という状態になりました。そのせいか、急に庶民的な雰囲気になってくるのですが(笑)、行き交う列車の多くは15両編成を組んでいますので、やはり風格ある路線なのかもしれません。早川駅は、小田原市街の南端に位置し、それは同時に、長く続いてきた関東平野の終わりも意味します。ここから先は熱海駅まで、国道135号線と並行し、また、箱根山の外輪山が海岸近くまで迫ってきている区間を通るので、それまでの路線形態が一転して、カーブやトンネルが多い区間となります。
そのトンネルを抜けた灯り区間では、広大な海を臨める区間も多く存在します。早川駅の先に存在する石橋という地域(上下写真参照)がそうで、隣りを走る東海道新幹線も含め、東海道本線の有名撮影地としても知られています。このポイントは以前、自分が中学生ぐらいだった頃に一度訪れた事があり、今回はそれ以来の訪問になったのですが、走る車両は変われど(当時は、東海道本線では113系、東海道新幹線では100系が主力という時代でした)、その堂々たる風景は健在でした。天気も良く、絶好の鉄道撮影日和だったとも思います。
この区間は、鉄道車両が入れば、どこから撮っても絵になるような所で、色々なポイントを自由に探してはカメラを向ける…という時間が続いてしまいました…。何だか、鉄道写真を必死になって追いかけていた昔を思い出すようで楽しかったです(笑)。新幹線に至っては、速度が速いわりに灯り区間が短いので、列車が見えてからカメラを向けるのでは既に遅く、事前にカメラを線路に向けたまま待機し、そして列車がやってきたらシャッターを押す…という方法を取る必要がありますが、これも中学生時代にやってのけていた事でもありました。昔の方法をまだ自然に覚えていたという事でもあり、懐かしくもある時間でしたね。
撮影地はこの他にもあり、この石橋というエリアの先にある米神という辺りなのですが、こちらは前述の撮影地のように景色との取り合わせではなく、列車そのものを迫力ある構図で撮る事が出来る区間でもあります(上写真参照)。カーブが多く続いている事と、15両という長い編成を生かし、蛇行して走る列車を収めるのです。ここも中学生の頃に、先程の石橋と同じ時に訪問した場所でもありました。
陽も徐々に暮れてきました。西側に山が聳えているので、どうやら夕暮れの時間が少し早い印象になるようです。ここまで来ると、早川駅というよりは次の根府川駅に近く、そのまま根府川駅まで“さんぽ”していきましょう。根府川駅は海には近いものの高台に存在していて、その海抜は45mにもなります。乗降客数はJR東日本区間の東海道本線では飛び抜けて少なく、また、東海道本線では支線を除けば唯一と言える、完全な無人駅です。高台にあるぶん、眺めは非常に良く、眼下には海が臨め、元旦に運転される『初日の出』号等の臨時列車は当駅に停車し、正に初日の出を当駅から拝めるプランになっていたりします。
根府川駅を出てすぐに渡る白糸川橋梁は、以前はここも鉄道撮影名所だったのですが、防風柵設置により、撮影には不向きになってしまいました…。だからこそ現在は、海をバックに列車が走る、石橋付近の撮影ポイントがより貴重になっているとも言えましょう。
ここからはラストスパートをかけ、真鶴駅、湯河原駅という観光地を抜けて、いよいよ静岡県へと入り、JR東日本区間の東海道本線の終点である熱海駅に到着しました。普通列車の殆どはここで折り返しますが、一部はJR東海区間の沼津駅まで、また、JR伊東線に乗り入れて伊東駅まで顔を出す列車も存在します。この先の沼津方面への列車は基本的には3番線から発車し、東京方面から来た熱海駅に到着した列車の多くは2番線に着くので、この時は同じホームでの乗り換えとなるので楽ですが、必ずしもそうなるとは言えず、特に逆パターンは殆どが別ホームの乗り換えとなるので大変です。また、JR東日本の列車は15両編成が多く、JR東海の列車は3両編成が多いので(列車の本数は日中はほぼ同じ)、通過客数の違いはあれど、これで収まりきるのかと思ってしまう程です(笑)。東京への重要の高さが窺えるというものですね。
駅前に保存されている機関車(左上写真参照)は、現在の東海道本線が開業する前に、小田原駅と熱海駅を結んでいた軽便鉄道の車両のもので、当時は人車軌道(その名の通り、人が車両を押していました)だったそうですが、後に蒸気運転を開始し、所要時間は2時間半程だったそうです。現在の東海道本線では約20分、新幹線では8分(笑)。なんて便利な時代になったのでしょうか…。
また、現在の変化として、上野東京ライン開業後の熱海駅からの東京方面への行き先は凄い事になっていて、JR東北本線(宇都宮線)、JR高崎線の行き先ばかりが乱立している状態でした。その中でも宇都宮駅行き(右上写真参照)…というのは凄いなと思いましたが、設定本数は少ないものの、栃木県の北端である黒磯駅行きも設定されており、その走行距離は 268,1km にもなるとの事です。所要時間は4時間48分。東海道新幹線の最速『のぞみ』号の東京駅〜博多駅間の所要時間がほぼ同じくらいという事で、興味ある方は是非乗ってみて下さい(笑)。
これにて、JR東日本区間の東海道本線の“さんぽ”は終了となりますが、せっかくなので帰りはグリーン車に乗ってみる事にしましょう。グリーン車 Suica システムになり、以前より気軽にグリーン車に乗れるようになりまして、たまにはゆったりとした雰囲気に身を委ねるのも悪くはありません。…それでは、最後に問題です。上の写真はそんなグリーン車の車両になりますが、これはE231系でしょうか、それともE233系でしょうか?…この記事をよく読んで頂いた方ならお分かりになれるかと思います(笑)。どうもお疲れ様でした!