地震発生時は池袋周辺にいて、確かにこの時の自宅の成増まで2時間掛けて、バスと歩きで帰りましたが、夕方の18:00頃には家に戻れていましたし、家族も揃っていましたし、ただただ動向を見守る…というような状況ではありました。
むしろ、大変だったのはその後の事でしょう…。次の日の3月12日から自分は中国ツアーが入っており、5ヶ所を巡る10日間の壮大な行程が組まれていたのですが、南京での1ヶ所での演奏をした後に、対外的な活動を自粛するという外務省からの方針が出てしまい、ツアーは途中で中止、5日目にして日本に強制的に帰国させられてしまう事になりました〔amin、中国ツアー(2011.3.12~3.16)参照〕。この時に思ったのは、自粛って何だろう…という事と、帰ってから何をしよう…というものでした。
日本に帰国した当初、自宅周辺は“計画停電”の最中にあり、街から明かりが消えた中を最寄り駅から歩いて帰ったのですが、思ったより普通に歩けた事と、月明かりの眩しさを改めて知る事が出来たという記憶が思い出されます。そして自宅に戻って丸1日考えた後、色々な仕事仲間に連絡をしていったのでした。
…というのは、元々自分は10日間の予定を抑えられていたので、その間に他の演奏の仕事を誘われるも、幾つか断らざるを得ない状況が続いていたのです。しかし、せっかく自分の身が空いたので、何か協力出来る事は無いかと、直前ながら聞いてみたのでした。突然な行動ではありましたが、皆、快く承諾してくれ、それで実現したライブが〔五香(松戸)慎家から元気を…〕や〔牡羊座とは、雄の羊〕でもありました。改めて考えると、このライブへの参加は、自分の今後への行動に深く影響しているような気がしてなりません。
…その後、自粛の為にキャンセルしてしまうライブも然り、いや、こんな時こそ実行した方が良いというライブも然り、暫くはこうした状況が続いていきましたが、自分の場合は、それ程はキャンセルの影響は受けていませんでした。また、こうした時だからこその工夫を拵えたライブも多く、やり方次第では、音楽もまだまだ需要はあると思ったものです。
…そうして今日を迎えております。いつものように自分は、これから出向くリハーサルの準備をし、夜に行われる演奏の譜面を整え、深夜に行われるレコーディング(笑)のアイデアを考えています。こうして音楽という仕事に、いつも通りに関われる事の幸せを噛み締め、まずは自分の為に音楽活動を続けていきます。どうぞ今後ともよろしくお願い致します。
改めて、震災で亡くなられた方々やご遺族に、お悔やみ申し上げます。また、全ての被災者の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。