偶数月恒例の“鉄道さんぽ”ですが、今回はJR線の回でもあります。それこそ日本全国に路線網を広げるJR線ですが、ならば…と、先日の九州ツアーの帰りに回った路線から、1つ取り上げてみたいと思います。以前の記事で言ったように、今回はただひたすら(笑)九州内を回っていたわけですが〔更なる広がりを見せた九州ツアー 参照〕、その中で目を付けたのは、JR筑肥線という路線でした。
この路線は、JR九州管内の路線としても特徴的な一面を持っています。それは、唯一地下鉄と相互乗り入れを行っており、車両も通勤型を中心に使われているという事です。JR九州の他の車両と比べるとそれは明らかで、この路線だけ、1両に片側4扉がある車両…、つまりは東京のJR線らしい雰囲気で走っているのです(他の路線は近郊型車両が主に使われていて、それは片側3扉車となります)。
九州一の繁華街である天神、博多を通るので当然とも言えますが、この区間は乗り入れ先の地下鉄区間ともなっており、実際の筑肥線は、姪浜駅より西側の区間を指します。元々、博多駅まで単独で乗り入れていた路線ですが、1983年に福岡市の地下鉄が開業した際に、そちらと相互直通運転を行う事で、従来のルートは廃止してしまったのです。
それこそ、それまでは単線、非電化の路線でしたが、この開業を機に、筑肥線は一気に近代化路線の仲間入りを果たしました。また、唐津市周辺も、唐津市街に立ち寄るルートに変更され、更に奥に存在する山本駅~伊万里駅間の路線とは分断される事になります。その間はJR唐津線という路線で介されている状況になっているのですが、この西側の路線は単線、非電化で、正にローカル線といった風情です。つまり現在の筑肥線は2区間で、姪浜駅~唐津駅の電化区間と、山本駅~伊万里駅間の非電化区間に分かれるわけです。この2路線の雰囲気の違いは興味深く、特に非電化区間の方は、昔ながらの筑肥線を彷彿とさせてくれます。
今回は勿論どちらの区間にも乗り、その歴然とした“差”を体感してきました。また、この日はとても良い天候に恵まれ、春の訪れを感じさせた“さんぽ”になった事も(顔が若干日焼けしてしまいましたが…笑)付け加えておきましょう。それではどうぞご覧下さい!
●日時…2011年4月5日
●路線距離…68,3km
(姪浜駅~唐津駅…42.6km、山本駅~伊万里駅…25.7km)
●駅数…30駅(姪浜駅~唐津駅…19駅、山本駅~伊万里駅…11駅)
福岡市営地下鉄空港線の西端が姪浜駅で、JR筑肥線はここから西側の区間となります。殆どが地下鉄からの直通列車で、本数は半減しますが、それでも日中は1時間に片道4本程度は運転されています。地下鉄の車両も筑肥線に乗り入れており、JRの車両が赤色を基本とした塗装に対し、こちらは青色なので、明確に差が出ていて面白いです。
姪浜駅を出ると、左側に福岡市営地下鉄の車両基地を望みつつ、高架区間から降りてすぐに下山門駅に到着します。ここまではマンションや住宅街が続く区間ですが、ここを過ぎると早速、生の松原と呼ばれる松林の中を走り、右側に博多湾を望みつつトンネルへ…。ここから地図上では、博多湾の海岸と並行して走っていくのですが、意外にも海が望める区間は少なかったりします。ここはそんな数少ないビュー・ポイントで、福岡市街から断続的に続いた住宅街もここで一旦途切れるので、何となく旅情を掻き立てられる区間でもあります。
残念ながら、下り線は、海が見れたと思うとすぐにトンネルに入ってしまうので、ゆっくりと博多湾を望む事が出来ないのですが、それでも注意して車窓右側の方をみると、直前に通過してきた生の松原や、その海の対岸には、昨年のさばいばるいとうさんのツアーでも訪れた能古島〔さばいばるいとう UNIT、西日本・九州ツアー(2010.8.5~8.13)参照〕を見る事が出来ます(←まだこの記事は未完成なので、能古島まで説明出来ていませんが…笑)。
今回の“さんぽ”は、この風景が望める下山門駅~今宿駅間を、今宿駅から歩いてみました。電車で通ると一瞬ですが、その区間を歩いてみると、本当に海に近い所を走っているんだなと感じます。その距離はたった道路1本分で、改めて福岡という場所が、如何に海と身近にある土地か…、考えさせてくれる区間でもありました。
ここで、筑肥線(姪浜駅~唐津駅間)を走る車両について触れておきましょう。まず、一番よく見かけるのが、左上写真の103系1500番台という車両で、1983年の地下鉄乗り入れ開業時(同時に電化も達成)にデビューしました。この時、既に東京では203系という、地下鉄乗り入れ用の車両(JR常磐緩行線に使用)が造られていたのですが、ここでは経済性を重視し、今までの103系を一部設計を変更して投入されました。なので、系列は103系となっていますが、他の103系車両とは似ても似つかない車両で、どちらかと言うと201系や、先程の203系に近い雰囲気の車両となっています。基本的に6両編成ですが、後に中間の2両を先頭車化改造させて、3両×2編成…として走る列車も多数あります。そして、筑前前原駅以西では3両だけで走る列車もあり、需要に応じた編成が組める車両として、今でも筑肥線の電化区間の主力となっている車両となっています。
そして、1999年に登場した新しい車両が303系です。筑肥線は、福岡市営地下鉄と乗り入れを行っている関係から、JR九州の路線としては唯一直流電化の路線となっており、その為、国鉄がJRになってから造られたこの303系は、JR九州の唯一の直流専用車両ともなっています。また、乗り入れ先の地下鉄車両が、地下鉄区間はワンマン運転になっているのに対し、先程の103系はそれに対応しておらず、車掌業務となっていたのですが、この303系は地下鉄線内のワンマン運転にも対応しています。JR九州らしいモダンな装いが特徴で、まだ以前の103系が全車現役の為に、車両数は3編成に留まっていますが、今後の装備を期待したいものです(ただ、全て6両固定編成なので、3両運転が多くなる筑前前原駅以西では使い難い…といった見方もありますが…)。
さて、その筑前前原駅から、徐々に車窓風景も変わってきます。ここまでは路線も複線区間が続いており、地下鉄線の延長のような感じで、通勤路線性格が強い区間となっているのですが、ここからは単線区間となり、田園風景も目立ってくるので、郊外路線のような感じとでも言いましょうか。運転本数も、日中はここからは1時間に片道2本程度となってしまいます。
筑前前原駅を出ると、次に美咲が丘という駅がありますが、この駅のデザインはなかなか特徴的です。1995年開業と、結構新しい駅ですが、JR九州のコーポレート・カラーである赤色を纏った駅舎を採用しており、黄色の筒状の通路と相まって、非常にカラフルな雰囲気の駅となっています。左上写真のように、筑肥線の103系1500番台の車両と組み合わせると、正に合わせ技的な雰囲気を思ってしまいますよね(笑)。JR九州には、こうした試みを持った媒体が数多くあるような気がします。
そして、広大な田園風景の中を走り、筑前深江駅へ…。地下鉄の車両の乗り入れは当駅までとなり、ここより西の区間は、基本的にはJRの車両しか走りません。日中も半分以上は、103系の3両編成での運転となっています。
さて、お次の“さんぽ”は、この区間にある大入駅~福吉駅間です(福吉駅から、1駅戻る形で歩いてみました)。特にこの区間に何かあるわけではないのですが、何となく駅名の縁起が良さそうだったので、降りてみたくなったのです(笑)。勿論、期待していたような事柄は起きはしませんでしたが(笑)、ここも広大な田畑が望める区間を走っており、写真的には良いものが撮れたようにも思いました。ちなみに、これらの駅の読み方は、大入(だいにゅう)駅、福吉(ふくよし)駅です…。
さて、この先にある鹿家(しかか)駅から次の浜崎駅までは、筑肥線の中でも最も駅間の長い区間(5,2km)になるのですが、一番海が長い事望める区間でもあります。流石に距離が長いので今回は歩きませんでしたが(笑)、トンネルも断続して続くものの、海への展望は概ね良好であり、“さんぽ”をするには結構面白そうな区間だとも思いました。
今回は浜崎駅で降りて、少し鹿家駅寄りに歩いていくだけに留めましたが、その時に撮った写真はむしろ海というより、山や木々とを取り合わせた写真になりました(下写真参照)。海だけではない筑肥線…という側面を感じさせてくれると思います。
この先は虹ノ松原で有名な、その名も虹ノ松原駅を通り、線路の右手には暫く松原が続く区間が望めます。すると、意外にも線路は高架区間に入っていくのですが、これが地下鉄開業後に新たに造られたルートでもあります。以前は、この先にある松浦川を渡らず、今より少々河口付近に位置した東唐津駅を通って、スイッチバックしてこの後に説明する山本駅に至っていたのですが、現在はそのまま西に向かい、高架化された東唐津駅、そして松浦川を渡って唐津駅へと達しています。山本駅からは、北に延びるようにJR唐津線が走っているので、山本駅に行けなくはないのですが、一旦唐津駅を通らざるを得ない路線配置となりました。
…と言うように、前述通り、この唐津線を介して、筑肥線は唐津駅より東側と、山本駅より西側の路線の分断されてしまうのですが、現在の山本駅より西側の筑肥線は、博多駅からの延長というより、唐津線の支線のような扱いに等しく、列車も日中は1両編成のディーゼルカーが1~2時間に1本が走る程度で、地元の人もあまり“筑肥線”とは呼んでいません(伊万里線…とか呼ばれています)。それでは今度は、山本駅より西側の筑肥線を見ていく事にしましょう。ちなみに、唐津駅より東側の筑肥線は、この先、唐津線の西唐津駅まで乗り入れていますが、これは線区が別になるので、唐津線を“さんぽ”した時にでも(いつ実現するかは不透明ですが…笑)取り上げていければと思います。
いきなり山本駅には行けないので、先程の唐津駅からJR唐津線で向かう事になりますが、筑肥線への列車も、唐津や西唐津駅から直接出ているので、利便性は悪くはありません。山本駅は唐津駅から2つ目で、以前の状態ならば、ここで改めて左側から博多からの筑肥線が合流してから当駅に至ったわけですが、今は、Y字に分かれるだけの駅となってしまいました。それでも、言わばジャンクションと呼ばれる駅ではあるのですが、唐津線も1時間に1本程度の路線なので、駅の規模は小さく、無人駅でもあります。それでも、これから訪れる筑肥線の駅よりは、遥かに立派な駅構内だったのですが…(笑)。
さて、筑肥線の伊万里駅行きディーゼルカーは1両編成で、乗客も10人程という状態でした。これがいわゆる“日常”なのだと思いますが、路線風景の雰囲気からしても、明らかにローカル情緒が漂っています。先程の姪浜駅付近の筑肥線とは別路線のようだと、早速嫌でも思ってしまいます…。
山本駅を出ると、暫く唐津線と並行し、お互い単線の路線なのですが、一種複線の路線のようにも思える風景が続きます。途中の本牟田部駅は唐津線だけに存在し、何事も無かったかのように筑肥線は通過、そして唐津線をオーバー・クロスし、やがて唐津線を左に見ながら二手に分かれていきます。このオーバークロスに、かつて山本駅手前で旧路線と合流していた名残が見れるかなと思います。今のような状態ですと、山本駅を出てすぐに筑肥線は右側に出た方が効率が良いように思えるからです。わざわざ左側からオーバークロスして右側に出るのは、以前の筑肥線と唐津線の両線が干渉しないように造られたからではないでしょうか…。現在はY字に分かれるので、あまり機能しているとは言えませんが、X字にクロスしている時は、意味のある分岐の仕方のようにも思えるわけです。
そんな事を思いながらも、1つ1つの駅に停まっていきますが、殆どの駅で乗客の出入りはありません。線内唯一の列車行き違い可能駅である大川野駅で、少しの入れ替えがあったくらいで、後は皆、終点の伊万里駅まで乗るか、途中から2,3人、やはり伊万里駅まで向かう人が乗ってくるか…ぐらいでした。そもそも絶対数が少ないので、これで乗客の流れを把握するのには早過ぎる判断だとは思いますが…。
筑肥線の非電化区間の主力となっている車両は、上写真のキハ125形で、日中は1両編成での運転が基本となっています。この車両で1~2時間に1本の運転ですから、輸送力は少な目…という事になってしまいますが、そもそもお客さんが今回乗った時も10人くらいだったので、これでもむしろ足り過ぎてしまうわけですね…。ローカル線の事情というも、なかなか厳しいものがあるようです。
その分、車内は喉かそのもので、唐津駅~伊万里駅間をを乗り通すと約1時間という感じなのですが、お昼過ぎに乗っていた状況もあるのか、かなりのんびりとした時間を過ごす事が出来てしまいました。沿線中にも、これといった観光地があるわけでもないので、先程も言ったように、この線を支配しているのは“日常”そのものなのです。しかし、それが何とも言えない旅情を生み出しているようにも思え、そのまま路線の魅力にも繋がっている事にも気付かされますね。
この事は、この後“さんぽ”した、肥前長野駅~桃川駅間の風景を見ながら、改めて感じた事でもありました。今にも朽ち果ててしまいそうな駅舎や、日本の原風景のような状況の中を走る、1両の鮮やかなディーセルカー…。それは、昔ながらの光景に溶け込んだ、正に現代の車両であり、その共存が上手く成り立っているようにも思ったのです。他に見るべきものはなくても、こういった事が感じられるだけで十分ではないでしょうか。いつまでも続いてほしい風景のようにも思ってしまいます。
最初の筑肥線の写真と見比べると、こうも雰囲気が違うのか…という感じですが、紛れも無く同じ路線です(笑)。もしかしたら、筑肥線の本来の姿というのは、むしろ西側のこちらの路線の方なのかもしれませんね。…言ってしまえば、博多側の沿線は、近年発展し過ぎてしまったのでしょう。それだけ都会化というのは、街も雰囲気も変えてしまうものなのでしょうか…。
そんな事を考えているうちに、列車は終点の伊万里駅へと到着しました。1面1線のシンプルな構内で、列車もただ折り返すだけしか出来ません…。この先、第3セクターの松浦鉄道へと乗り換えが出来ますが、両者の駅舎は、1本の道を挟んで完全に分かれており、一種独特な風景となっています。かつては線路は繋がって(松浦鉄道は旧国鉄の路線で、JR移管後、1988年に第3セクター化されました)いたのですが、2002年に分断されました。
何となく予想はしていましたが、呆気無い終着駅到着でした(笑)。…ですが、この飾らない感じも筑肥線の魅力だと思ってしまえるのは、全線乗り通して来たこそかもしれません。今回、JR筑肥線は全てが初めて乗った路線となりましたが、1日で見終えてしまえたからこそ、沿線の変化を如実に体験出来たような気もします。関東からは流石に気軽に行ける場所でもない今回の路線ですが、色々な側面を感じられた“さんぽ”にもなりました。そして少しでも筑肥線を身近に感じられるようになったのが、今回の最大の収穫にもなったような気がします。
野岩鉄道という名前は、下野(現在の栃木県)と岩代(現在の福島県の会津地方)を結ぶという意味から付けられており、想像通り、かなりの山間部を走る路線でもあります。今は冬真っ只中という事で、この季節に相応しい風景も見られるかもしれません。また、この路線は、自分が鉄道に興味を持ち始め、何となく遠出もするようになってきた中学生の頃に幾度と無く足を運ばせていた路線でもあり、その時との比較を見てみるのも面白そうです。…沿線の人口が極端に少ないので、殆どが観光客で成り立っているというこの路線ですが、敢えて観光客が少なさそうな平日を狙って(学生の頃は、それこそ日曜日しか行けなかったので…)乗ってみました。さあ、その表情はどのように変わっているでしょうか…。
●日時…2011年2月25日 ●路線距離…30,7km ●駅数…9駅
首都圏の路線を乗り継ぎ乗り継ぎ、東武鬼怒川線の終点新藤原駅が、今回の野岩鉄道の起点駅です。ここまで4両編成で来た列車も、原則的に野岩鉄道線内は2両編成での運転となるので、いよいよ山岳地帯に入っていくのだと感じさせます。ただ、ここまでの道のりが、東武鬼怒川線は鬼怒川の渓谷に沿って急カーブが続き、スピードもろくに出せなかった路線に対し、歴史的にも新しい野岩鉄道は、ここから急にトンネルや橋梁が増え、列車も生き生きとした?速度で走り始めていきます。この路線が完成したのは1986年ですから、大正時代に軽便鉄道として開業した東武鬼怒川線とは、本当に対照的なのです。ただ、運行形態を見ると、野岩鉄道は実質東武鬼怒川線の延長部分であり、大部分の列車が東武線からの直通列車です。更に何本かは浅草駅からも直通しているので、この事が、ただの地方路線とは別格の意味合いをもたらしているような気がします。
…では早速、その新藤原駅から次駅の、龍王峡駅まで歩いてみましょう。駅を北上するとすぐにトンネルに入り、カーブはしても緩やかな線形になっているので、確かに高規格の路線である事が窺えます…。周辺は既に山の中なのですが、路線の勾配やカーブにまでは影響していないといった感じですね。恵まれた線路条件の鉄道だと言う事が出来ると思います。
それ故、新藤原駅~龍王峡間は、並行すると国道のすぐ近くを走っているものの、その殆どがトンネル区間になる為、列車の確認には限度(右上写真参照)があるというものでした。ちなみに野岩鉄道を走る車両は、殆どが左上写真のもので、右上写真の車両は、この先に接続する会津鉄道からの乗り入れ車のものです。
龍王峡駅は、トンネルとトンネルの僅かの明かり区間に位置しています。…むしろ、ホームの半分くらいはトンネル内と言って良いのかもしれません。ここまで歩いてきたので、やっとここから野岩鉄道に乗るという事になりますが、ここではフリーきっぷ(後述します)がとても便利な役割を果たしてくれました。駅の名前通り、火山岩が浸食されで出来た渓谷“龍王峡”は、当駅から歩いてすぐの所です。
龍王峡駅を出ると、すぐ様トンネルとなり、そこを抜けると川治温泉駅です。トンネルを出てそのまま高架橋が続きますから、本当に近代的な路線ですが、結構な山の中でこのような路線形態が続くので、何だか不思議な気さえしたものでした…。
さて、ここから次の川治湯元駅間こそ、自分が何度も足を運んだ区間です。何故かというと、両駅の距離が短い割りに、とても眺め良い景色の中を走るからです。下の双方の写真を見れば分かると思いますが、左下写真の左の方に川治温泉駅があり、右のトンネルを抜けると、そのまま右下写真へと繋がり、この写真の右端には既に川治湯元駅が見えています。路線の距離的には、ここは僅か1,2kmしかありません。道路は回り道をしている為に、歩きだと30分弱は掛かるのですが、それでも丁度良い散歩コースであり、山の中を走る列車を手軽に撮影出来る場所でもあったのです。
この付近を、駅を降りてまで訪れたのは、本当に十数年振りなのではないでしょうか…。駅の近くにある川治温泉街は前のままでしたが、色々な個所に気軽な温泉施設(足湯等)が出来ていたり、“かわじい”という、川治温泉のキャラクターまで現れていたり(笑)と、現代風な部分を感じる事も幾つかあって微笑ましかったです。全体的に、以前よりも訪れやすい環境が整っているとも言え、何だか嬉しくもありましたね。辿り着いた川治湯元駅前にも、例の“えんじい”が居ましたし(写真左下参照…笑)、これから更なる発展を願いたいものです。
さて、川治湯元駅を出ると、これまた長いトンネルに入ります。沿線で最長の葛老山トンネルというもので、その延長距離は4250mもあるのですが、こんこトンネルを出ずして存在するのが、次の湯西川温泉駅です。この駅に降り立つと、すぐ先がトンネルの出口なのは分かるのですが、人間の降りれる出口は勿論別(階段で何段か上がっていきます)で、いわゆるこの駅は、山岳トンネル内にある駅…にあたるわけです。
この駅は、道の駅と併設となっており、お土産屋や食堂など、なかなか充実した設備を持っています。しかし、周りに民家等は無く、ここから湯西川温泉街までも、バスで30分くらい掛かります。しかし、列車からバスへの接続はちゃんとしているので、要は中継地のような役割を果たしている駅だという事でしょう。駅の北側には、五十里湖を渡る鉄道橋梁が見え、この日は湖が凍っている姿が目撃出来ました。この季節ですと、この駅から雪が目立ってくるようになってきます。丁度お昼時でしたので、この建物内にあった食堂で、“鹿ビビンバ丼”(右下写真参照)なる物を食べておきました。鹿はどうやらこの辺りでは産物らしいです…。さてさて、この辺りが“さんぽ”の中間地点になるでしょうか…。
湯西川温泉駅から、次の中三依温泉駅までは駅間が長く、6,5kmもあります。この区間は目立った平地も無いので、トンネルの連続という感じで、一気に山間部を抜けてしまう感じなのですが、実は以前、自分はこの駅間を歩いた事があったのです(しかも、今くらいの冬の時期にです…笑)。当時は、左上写真の鉄道橋の奥に見える道路橋が出来ていなかったので更に大回りになっていて、実質8~9kmくらいは歩いたような気がするのですが、自分ながらよくやったと思います(笑)。その代わり、大自然の中を強行突破するような?野岩鉄道の列車が見えて、改めて凄い路線だなと思った記憶がありますね。この間、列車ですと7分くらい到達するので、鉄道の便利さと言うか、この路線が東京(浅草)まで繋がっているという安心感と言うか、何か偉大なものを感じた時期でもありました。
今回は、この次の中三依温泉駅から、その次の上三依塩原温泉口駅までを歩いてみる事にしましょう。駅間は4,2kmで、道路もほぼ並行しているので、そんなに無理のないプランのように思います。中三依温泉付近は“三依そば街道”と言われていて、所々にお蕎麦屋さんが点在していたのが興味深かったですが、先程自分は、鹿ビビンバ丼を食べてしまっていたところでした。せっかくの蕎麦好きが泣きますが(笑)、またの機会という事にしておきましょう。
この区間も山と川が迫ってきているようで、やはり列車はトンネルや橋梁で抜けるのですが、先程までその区間は長くなく、点在している集落と集落を繋いでいるような感覚に近いかもしれません。道路は川に沿って若干蛇行して進むので、鉄道とはえらい違いですが、もう一本奥に有料道路の存在もあるので(こちらはトンネル等で一気に突き抜けます)侮れません。そう言えばこの野岩鉄道は、自分が中学生の頃は4両編成での運転が普通で、勿論日曜日という事もあったと思いますが、今よりも賑やかだったイメージがあります。しかし、現在では2両編成での運転が原則で、それでもこの日はガラガラだったので、やはり時代の影響も無視できない部分なのかもしれませんね。
…歩いて歩いて、それでも1時間は掛からずして上三依塩原温泉口駅に到着しました。ここは塩原温泉への玄関駅ともなっていて、駅前から路線バスも運行しています。そろそろ雪も目立ち始め、栃木県から福島県に入ろうとしている場所でもありますね。この駅舎は右上写真の通り、結構モダンな装いをしていて、それこそ観光の拠点にでもなりそうな佇まいなのですが、次の列車に乗った乗客は自分1人だけでした。冬はスキー・シーズンで、野岩鉄道沿いにもスキー場は幾つか有り、完全なオフ・シーズンとは言えないとは思うのですが、やはり現在は車が主流なのでしょう…。実際、スキー人口自体が減っているらしいですし、なかなか観光を取り巻く状況は厳しいようです。
さて、次の駅である男鹿高原駅まで向かいますが、この時に来た列車が、ついに野岩鉄道所有の車両になりました。…とは言え、左上写真を見た限り、今までと同じ車両では…と思うかもしれませんが、この車両は6050系といって、東武鉄道の車両と一体化させて運行が行われているのです。車両の運用幅は広く、南は浅草駅から、北は東武日光駅や、今回の野岩鉄道の終点の先である会津田島駅まで使用されていて、車両自体も共通運用となっているので、現在29編成58両のうち3編成6両を所有する野岩鉄道の車両は、当の路線自体でもなかなか出会える機会がありません…。見分けるポイントは簡単です。車両の番号表記が60100台になっていて、車両番号表記の横に、野岩鉄道の社紋が入っているところです(写真左下参照)。ちなみに会津鉄道所有の車両も1編成2両だけあって、こちらは60200台の番号となっているのですが、こちらこそ究極のレア車両かもしれません(笑)。外観は殆ど変わらないので、一瞬では見分け難いですが、見付けた時には感激ものです(笑)。
さて、そんな自社車両に乗って、男鹿高原駅までやってきました。ここは栃木県と福島県との県境に近く、人が全く住んでいない地域でもあるのですが、何故か駅が用意されています。近くに緊急ヘリポート(左下写真参照)があるのが不思議ですが、いわゆる“秘境駅”として、何度かテレビや雑誌等にも取り上げられた事があり、自分も降りらずにはいられませんでした。
確かに駅前にあるのは道だけで、ここから10分ぐらい歩くと国道に出られるですが、辺りは山の中で、成程、人の姿は全く感じられません。むしろ熊や猿の方が出そうな感じがする程で(実際、目撃情報は頻繁にあるそうです…笑)、秘境駅と呼ばれる所以も分かる気がしました。しかし、列車は1時間に1本くらいは走っており、その行き先は“浅草”だったりするのが面白いところで、ある意味で気軽な秘境駅…とでも言いましょうか。ちなみに、1日の平均乗車人員は1~2人らしく、恐らくこの日も、自分以外の乗客はいなかったと思われます…。
さて、男鹿高原駅を出るとすぐにトンネルを潜り、そこを抜けると福島県に入ります。峠を越えたような印象を受けますが正にそうで、ここからは勾配を下る方向に向かっていくのですが、その途中で集落が見えてくると、そのまま会津高原尾瀬口駅に到着となります。ここが野岩鉄道の終点で、今回の鉄道さんぽも終わりを告げる事になります。
このまま線路は先に延びていますが、ここからは会津鉄道という、やはり第3セクターの鉄道会社となっています。この路線の途中の会津田島駅までは電化されているので、東武鉄道や野岩鉄道からの列車は、その駅まで直通運転されています。その先は非電化区間なので乗り換えは発生するものの、最終的には会津地方の中心地、会津若松駅まで行けるので、都心から会津方面のルートとしても、この鉄道は見逃せない存在となっているのです。逆に、会津鉄道側からの列車(気動車)が、野岩鉄道、そしてその先の東武鉄道鬼怒川温泉駅まで乗り入れているのですが、これが今までに何度か写真に登場してきている“AIZU マウントエクスプレス”という快速列車で、今回はこれで一気に戻る事にしましょう。
この列車は東武側の鬼怒川温泉駅で、東武特急のスペーシア号と接続がとられていて、それらの車両と遜色が無いように、座席は回転リクライニング・シート、木目調の壁、電球色の半間接照明等、なかなかの豪華仕様となっています。快速とは言えど、野岩鉄道内は、前述の男鹿高原駅を通過するだけで、あとは全ての駅に停車します。今回の“さんぽ”は、何気に全ての駅に立ち寄る事が出来たので、1駅1駅、復習?する意味でも良い乗車時間だったと思います。
今回の“さんぽ”に使わせて頂いた切符は、史跡めぐり往復割引きっぷ…というもので、料金は1460円でした。龍王峡駅~会津高原尾瀬口駅の片道運賃が1040円なので、これはお得な値段設定と言えるでしょう。これは龍王峡駅、川治温泉駅、川治湯元駅を発駅とした場合のみ発行される切符で、それらの駅から会津高原尾瀬口駅までの区間が乗り降り自由というものです。自分は今回、野岩鉄道自体は龍王峡駅から乗ったので適用となったのでした。ただし、この場合だと、帰りの龍王峡駅~新藤原駅間は別清算しなくてはならないのですが、それでも龍王峡駅~新藤原駅間の料金は190円なので、まだまだお得なのです。ちなみに、野岩鉄道全線のフリーきっぷも存在していて、それは2000円になるのですが、それでも前者の方がお得ですね点。この鉄道には、東武鉄道や会津鉄道も絡めたお得な切符が色々と売られているので、用途に応じた検討をした方が良さそうです。
今回この切符は、実は龍王峡駅の改札のおばさんが説明してくれて知ったもので、本当に有難かったのですが、そう言えば野岩鉄道では、車掌さんも含めて、何だか親身になって話しかけてくれる姿が前から印象的であり、それは自分は中学生の頃から経験済みでした。世の中は不況という時代ではありますが、こうした人間的なホスピタリティは変わらず健在だったという事で、本当に素晴らしい事だと思いました。お客さんは減少してしまったかもしれませんが、まだまだ頑張る野岩鉄道…。機会があったら、是非乗りに来て頂ければと思います。何せ、東京(浅草)から直通で来れてしまうのですから!
…最後に、これは野岩鉄道とは直接関係がありませんが、東武鉄道とJR東日本を行き来する特急についても触れておきましょう。現在、東武鉄道日光線とJR東日本宇都宮線の栗橋駅を介して、JRの新宿駅から東武日光駅・鬼怒川温泉駅を直行する特急が走っているのですが、東武側は“スペーシア”という、東武鉄道を代表する車両を使うものの、JRは485系という、いわば旧国鉄型の改造車を使っており、いわゆる車両の老朽化が問題となっていました。
そこで今年の4月半ばに、旧“成田エクスプレス”号で活躍していた253系という車両を改造したものと取り替える事になり、現在の車両はそれまでの活躍という事になったわけです。この485系は、改造はされているものの、今では貴重な旧国鉄型の特急車両…。これは乗らないわけにはいきません。東武日光駅まで足を運ばせ、今回はこの車両を使った列車(特急“日光”号)で池袋駅まで一気に戻ってきたのでした。
車両の揺れや騒音等、現在の最新型の特急からすれば見劣りしてしまう点は多いものの、この車両にしか無い味わいを体験する事が出来た時間でもありました。こちらの所要時間は2時間弱という感じでしたが、良い時間を過ごせました。こちらの車両も合わせて、野岩鉄道に乗ってみるのも良いかもしれませんね(笑)!
☆野岩鉄道のHP…www.yagan.co.jp/
ちなみに、この会社の株式は、現在はJR東日本が70%を有している為、私鉄…と言うよりかはJR…と言った方が近いのですが、東京モノレールというブランド?を維持している感じもあるので、私鉄の項目とさせて頂きました。
何やら前置きが長くなってしまいましたが(笑)、普段は空港利用の為に乗る事が殆どの東京モノレールを、今回のように沢山乗ったのも初めてですし、また、色々な駅で降りたのも、予想以上に楽しかったです。今年の10月21日に羽田空港に新たに国際線ターミナルができ、それに伴う東京モノレールの駅も誕生したのは記憶に新しいですが、羽田空港自体も含めて、今まさに変化のある時期に来ているとも思います…。今一度、東京モノレールの魅力を探りつつ、沿線を“さんぽ”していきたいと思います。それではどうぞご覧下さい!
●日時…2010年12月27日 ●路線距離…17,8km ●駅数…11駅
東京モノレールの起点は、浜松町駅(東京モノレール側は、モノレール浜松町駅)となっています。しかし、ターミナルとしては中途半端な位置のようにしか思えません…。これは事実で、東京モノレールは、1964年の東京オリンピックに間に合うように建設されたのですが、当時は新橋駅を起点に造られる筈でした。しかし、用地確保の目処が立たずに、やむなく浜松町に造られたのです。ここを通っているのは、JR山手線と京浜東北線だけ(ただ、すぐ目の前に都営浅草線と都営大江戸線の大門駅があります)で、乗り換えられる路線というのは、ターミナル駅にしては少ない方でしょう。
この為か、先程言った通り、起点を新橋まで延ばす計画もあるそうです。JR東日本が株式を70%保有し、事実上経営権を持っているというのも、こうした対策を円滑に進めさせるという背景があるのだと思います。路線の用地は、JR線上空を通す事になっているらしく、確かに新橋駅まで延長させると、現在の成田エクスプレスを新橋駅に停車させる事で、成田空港から羽田空港へのアクセスが、乗り換え1回でも済む事になり、利便性は向上するかもしれません。
新橋駅まで延びていない現在の浜松町駅でも、京浜東北線の快速を浜松町駅に停車させたり、Suica をいち早くモノレールに導入させたり、JRから東京モノレールへ直接乗り換えが出来る入口を完成させたりと、やはりJR東日本の力は大きいようです。そもそも、JR東日本の路線自体が羽田空港に乗り入れていないので、この連携による双方の思惑が一致していたのかもしれませんね。
そんな浜松町駅ですが、そもそも単線ホームという、列車が1本しか乗り入れられない構造になっているのがネックで、これ以上の増発は困難です。列車が浜松町駅に着いたら、全ての乗客を降ろし、その後に新たな乗客を乗せ、羽田空港に向けて出発しないと次の列車は入れない状態なのです…。それでも、1時間の最大本数は18本に設定(約3~4分毎)されているのは驚きですが、これもホーム拡張(2面2線にするらしいです)が計画されていて、最大本数を24本にするのだとか…。羽田発着の飛行機ははどんどん増加しているので、これに対応するには必須とも言えそうです。今後はどんなターミナル駅へと変貌していくのでしょうか…。
さて、浜松町駅を出ると、眼下に東海道新幹線を含めたJR線を乗り越し、暫くは寄り添うようにして進んでいきます。東京モノレールのダイヤはタイトなので、駅を出てすぐに、新たに浜松町駅に到着する列車と擦れ違う事でしょう。もうすぐJRの田町駅という辺りで、JR線とは分かれ、今度は芝浦の辺りを進んでいきますが、この付近には駅は設けられていません。ただ、オフィスビルや運河の上空を、滑るように走行していく様は、乗っていてもスリル感があって面白く、ある意味で東京モノレールらしい光景が望める区間だなとも思っています。
カーブや高低差も乗り越え、大井車両基地に出入りする東海道新幹線と交差(左上写真参照)すると、そろそろ天王洲アイル駅になります。この駅は1992年に開業したので、この路線の中では新しい方の駅ですが、当時は倉庫が乱立するような場所だったそうで、今や臨海高速鉄道りんかい線も乗り入れている等、その変貌には驚かされるばかりです。駅の羽田空港寄りには、前述の新幹線の線路も見え、左下写真のように、一緒に写真に収める事も可能です(笑)。
ここから暫くは、右手に首都高速、左手に京浜運河を見ながら進んでいきます。…と言うか、線路は運河上に建設されてあります。要するに土地買収が不要になる為ですが、前述のように、東京オリンピックに合わせる為の終夜の突貫工事となり、多大な工費が掛かってしまった事実もあるようですね。
さて、右手に見える高速道路は混んでいる事が多いので、ここは東京モノレールの速さを実感する区間かもしれません。今ではモノレールは、重要な交通手段になっているという事の証でもあります。また、左手の運河より向こうの土地は全て埋立地となっていますが、そちらにも多くの団地が建ち並び、近代的な風景を作り出しているかのようでした…。ただ、全体的な風景は、ここ20年でそんなに変わっておらず、そもそもモノレールというものが、近代的な建築物なのだという事なのでしょうね。運河は意外と綺麗で、釣りをしている人もいるくらいでした。
そのまま走ると、大井競馬場前駅です。その名の通り、大井競馬場への来場者の便宜を図って造られました。競馬開催日には多くの観客がこの駅を利用しますが、運河の向こうにある八潮団地の利用者数も多いのが特徴かもしれません。駅のすぐ隣には厩舎がある為か、若干馬臭いのも目立ちますが…(団地は運河の向こうにあるので、影響は無いと思います…笑)。
この浜松町駅から2駅目の大井競馬場前駅まで、距離的には丁度7kmとなっています。何とこの時点で、羽田空港国際線ビル駅までの距離の半分を来てしまった事になりました!…ただ、ここから先の駅間は今までのように長くなく、細かく設置されているのが特徴です。では、後半戦を見ていきましょう。
大井競馬場前駅を出て、流通センター駅を過ぎると、東京モノレールの車庫が設置されている昭和島駅になります。この駅は、空港快速が走っている時の、普通列車の退避駅となっていて、ホームは狭いながらも、ここで通過列車を先に行かせる事が出来る駅となっています。元々はこういう構造になっておらず、単に相対式2面2線だったのですが、2007年3月に空港快速と区間快速が設置された時に、現在の形となりました。
東京モノレールの日中ダイヤを見てみると、列車は浜松町駅を4分間隔で発車していくようになっているのですが、その種別は、空港快速、区間快速、普通…という順番となっています…。つまり、12分サイクルのダイヤです。浜松町駅を、普通列車の4分後に出た空港快速が、ここ昭和島駅で追い付き、抜いていくわけです。区間快速は、昭和島駅こそ通過するものの、それまでの天王洲アイル駅~流通センター駅は停車するので、空港快速に抜かれた普通列車との間隔はまだ狭まっておらず、結局普通列車を追い越す事なく、終点まで到達します。
なかなか良く出来たダイヤで、現状ではこれが最善かもしれません。ただ、やはり快速系統の方へ乗客が集中してしまっていて(特に空港快速は普通を間に挟んで浜松町駅を発車するので、常に混んでいます)、混雑度にバラ付きがあるのが難点と言えば難点でしょうか…。羽田空港には早く着いておきたい心理は分かりますが、ある意味で、普通列車利用をお勧めしたいところですね。空港快速との所要時間の差は8分程なので…。
昭和島駅を出ると、整備場駅、天空橋駅となり、羽田空港の敷地へと入っていきます。もう窓の外には空港が見渡せ、そろそろ…という雰囲気も漂ってきます。モノレールはその間、地下に潜ったり、再度地上に出たりと忙しいですが、高低差に強いモノレール…と、再認識する区間でもありますね(笑)。
天空橋駅は地下駅で、元々はここが“羽田”駅でした。…とは言え、羽田空港ターミナルが現在の沖合位置に移される前の話しで、駅の移設もされています。ここには京浜急行電鉄も乗り入れており、両者の乗り換えも出来るようになっています。
ここで、東京モノレールの車両について説明しておきましょう。…とは言え、現在は2形式しか運用されておらず、左上写真の2000形と、右上写真の1000形です。2000形の方が新しいですが、数の上ではまだまだ1000形が多数を占めています。この東京モノレールは、跨座式モノレールという、車両の下にレールがある形態のモノレールとなっていますが(今更ですが…笑)、東京モノレールの場合、重心を低くする為に、車内にも少し駆動部分が迫り出しているように造られているのが特徴です。この為、車内も特殊なものになっており、1車両の前後の部分の座席は1段高いように設置されています。荷物置場ともなっており、色々とその配置は工夫されているようですが、何だか不思議な感じの車内でもありますね。是非乗った時に確かめてみて下さい。
さて、天空橋駅を出ると、いよいよ出来たての(笑)羽田空港国際線ビル駅です。新しいのは当然として、モノレールの改札を出てすぐに各航空会社のチェックイン・カウンターがあるのは機能的に見ても素晴らしく、より気軽に海外へ行けるという象徴にもなっているかのようです。以前はモノレールの線路は、もう少し多摩川寄りを通っていたのですが、これを空港側に少しずらす事で、現在のような配置が実現したわけですね…。モノレールの駅を降りてから、飛行機のチェックイン、そして荷物検査を受けて税関、搭乗まで、階を変えずに移動出来るというのも、このターミナルの強みだとも思います。すぐにでも利用してみたいものです(笑)。
この日は天気が良く、空気も澄んでいた為、駅から沖合側を望むと、海ほたるや、その遥か先である木更津の陸地まで見渡す事が出来ました。意外と言えば意外でしたが、それ程空港周辺というのは広々としている事の証なのだとも思います。…という事で、ここではせっかくなので、羽田空港の新国際線ターミナルも見てみる事にしましょう。
ターミナルは前述したように、モノレールの改札を出て1分も掛からずに(…と言うか、出た所がターミナル内なので…笑)アクセスする事が可能です。まだ国際線がメインの空港ではないので、そこまで広い空間とは言えませんが、機能的に造られた構造は流石とも言えるでしょう。この出発階は“空”を空間コンセプトとしてあり、天井は“すじ雲”をイメージしてあるのだとか。ここから海外に旅立つ乗客を迎え入れるのに、十分な環境だと思いました。
そして、やはり空港利用者としては、商業施設や展望デッキ等が気になります(笑)。それらも抜かりなく、江戸の街並みを本格的に再現した“江戸小路”と、日本文化の1つであるアニメやキャラクター・ショップ等が並ぶ、“Tokyo Pop Town”は必見です。それぞれに特徴的なお店が入っており、江戸小路には、あの“つるとんたん”も入っています(笑)。こうした、ある意味で非日常な空間を持ってくるというのは、空港に足を運ばせる原動力にも繋がっており、今や東京の人気スポットにも入っていると言っても過言ではないと思います。実際、この空港ターミナルに訪れる人は、国際線を利用する人よりも、見学しに来る人の方が全然多いのですから…。
そして、展望デッキもまた良い環境でした。東京スカイツリーまでも見えるとは、こちらも意外な感じでしたが、国内線ターミナルを一望出来る…というのもまた新鮮でした。離発着は頻繁に繰り返されており、その中でもやはり海外エアラインの存在は大きなものでした。今回は香港の航空会社、キャセイ・パシフィック航空のジャンボ機を見る事が出来ましたが、現在、日本ではジャンボ機自体が貴重になっている中で、こうした存在はとても頼もしいものです。一昔前までは、ジャンボばかりだったというのが嘘のようですが、現在では小さい飛行機で数多く飛ばす時代になっており、皮肉にも、それは空港の拡張によるところも大きいのです…。展望デッキから飛行機を眺めているだけでも、確実に新しい時代は来ている…と感じさせる時間でもありましたね。着実に、羽田は変わってきています。
さて、モノレールに戻り、そのまま新整備場駅、羽田空港第1ビル駅と過ぎて、ここまで来るとあっという間に終点の羽田空港第2ビル駅へと到着します。ここは全日空のターミナル側の駅でもあり、自分もどちらかと言うと、こちらの利用回数の方が多いような気がします。ここで、今回の“さんぽ”は終了となりますが、今回使用した“沿線お散歩 1day パス”は役に立ちました。東京モノレール全線が、1日乗り放題で700円なのです!…単純に、終点までの片道を乗り通すと470円なので、往復でも元が取れてしまう計算です。特に、今回のような目的の場合には最高でしたね(笑)。これで浮いたお金で、空港で食事でもとる事にしましょうか…。
実は、羽田空港の国際線ターミナル開業で、陰に隠れがちなのですが、このターミナル2の方でも最近、建物の拡張が行われおり、色々なお店も新たにオープンしているのです。まだまだ空いているせいか、雰囲気的にも良い感じです。特に、展望デッキはわざと照明を落としてあり、更には夜の滑走路をイメージしたような光の使われ方がされており(右下写真参照)、なかなか興味深い事になっていました。
この1年、それこそ色々な路線を“さんぽ”させて頂きましたが、1年の最後を空港ターミナルで終えるというのも、また一興ではありませんか!…お疲れの意味を込めて、ターミナルで食事(勿論、お酒も注文♪)を済ませてきたものでした。
今や空港はただ通過するだけではなく、大いに利用したい場所にもなってきました。そして、それらの雰囲気に一役買っているのが、モノレールという存在でもあると思います。これからも空港アクセス路線としての役割を筆頭に、より良い発展を期待したいと思いました。
…そして自分は、また新たな路線を散歩していきたいと思います!…ひとまず、2010年の御愛読、どうもありがとうございました♪
☆東京モノレールのHP…www.tokyo-monorail.co.jp/
●日時…2010年10月19日 ●路線距離…78,9km ●駅数…31駅
小海線の始発駅は、JR中央線の小淵沢駅からになります。小淵沢という駅は、市販の時刻表を見てみると、特急を含めて殆どの列車が停車するので、どんなに大きな駅かと最初は思うのですが、実際は規模は大きくなく、街もどちらかというと小ぢんまりな感じです。この駅は登山客の中継地ともなるような駅で、そのゲート的な役割を果たしている駅とも言えましょう。そんな小淵沢駅は、既に標高が881m…。ここから小海線は更に山を上って行くのですから、日本一高い所を走る路線の異名を持つのも当然とも言えますね。
この小淵沢駅、せっかくなので駅から降りて、まずは駅周辺を歩いてみる事をお勧めします。この日は天気が曇りがちでしたが、晴れの日ならば、北側に雄大な八ヶ岳を望む事ができ、この町は八ヶ岳の裾野に位置しているんだなと感じられるに違いありません。駅から5、6分も西側に向かって歩くと、すぐに市街地からは抜けられるので、気軽に訪れて頂ければと思います。
左上写真を見ても分かるように、右側に向かって傾斜になっており、その坂の先?が右上写真の八ヶ岳というわけです。実は、そんなに傾斜はなだらかでも無い…という様子がお分かり頂けるかと思います。
そして、更に小海線の線路に沿って(沿う道は無いので、回り道は必至です…)西に向かっていくと、小海線の撮影地で有名な、“小淵沢の大カーブ”に辿り着きます。ここは、甲斐駒ケ岳を始めとする、南アルプスをバックに撮影出来る有名ポイントで、小海線のポスター等を見掛ける時には、かなりの割合でここで撮られた写真は使われてるように思います。
左上のような撮影環境で、写真として撮る場合には、右上のように、思い切って望遠で狙うのが絵になるような気がします。やはりこの日は曇りがちでしたので、南アルプスの山々の全容を捉えるのは不可能でしたが、これからの季節は空気も澄んでくるので、撮りやすくなってくるでしょうね…。冬の日にリベンジでもしたいところですが…(笑)。
さて、小淵沢駅に戻り、改めて小海線の旅のスタートです。小淵沢駅を出ると、まずは中央線に沿って西に進みますが、例の大カーブで一気に逆向きに針路を変えて、今度は東へと進み始めます。その間にも列車はどんどん勾配を上っていくのですが、1駅目の甲斐小泉駅では、既に標高は1044mに達しています。そして、ここから9駅、駅名で言うと松原湖駅まで、標高の高い駅1位~9位までの駅を次々と通っていくという、正に高原路線という雰囲気で進んでいきますが、車窓に関しても独特なものがあるように思います。
やがて清里駅を抜けて暫くすると、明らかに峠を越えたような感じになる場所がありますが、そこが正にJR鉄道最高地点で、標高は1375mです。ここから急に開けて、列車の左手には八ヶ岳の全容が望める筈なのですが、やはりこの日は曇が多くて無理でした。山の裾野くらいは辛うじて分かるくらいだったのですが…。
そこから少し下り勾配になって、日本一標高の高い駅である野辺山駅に到着します。この駅は海抜1345mで、列車から降りると、流石に東京とは大分違った(笑)涼しい空気が身を包んでくれる筈です。
ここからJR鉄道最高地点を経由して、1駅戻る形になりますが、隣りの清里駅まで歩いてみました。線路の距離で5,9kmあるので、徒歩の道のりですと更に距離は掛かりそうですが、ここはハイキング気分で頑張ってみてみましょう。とりあえず鉄道最高地点までは、殆ど線路に沿って道があるので、簡単に歩ける筈です(…とは言え、30分弱は掛かるかも…)。
野辺山駅側から清里駅に向かう線路を辿ると、いったん右に曲がった後、ほぼ真っ直ぐ勾配を上っている感じになるので、いつまで歩けば良いんだ…という気分にもなってきますが(笑)、気合を入れて歩いて、中央分水界のような所に辿り着くと、JR鉄道最高地点となります。それを示す石碑なども建っていて、レストランや土産屋等もあるので、すぐに分かるでしょう。
特に、鉄道最高地点神社はなかなか粋な代物です。後ろには車輪が祀られて?いますし、賽銭箱の奥にはレールが埋められています。また、神社によくあるガラガラの部分が、枕木とレールを繋ぎ止める釘になっており、それが幾つも繋ぎ止められてあるので、なるほど、振れば確かにガラガラ(割りと高音?…笑)と鳴りました。
ここに自分は20分くらい滞在してみましたが、列車が通ったせいもあってか、どこからか車がやってきては、これらの前で記念写真を撮って帰る…といった人達が多く見受けられました。特に列車好き…という感じでもなさそうでしたから、やはり“日本一”という背景が、格好の広告塔になっているのかもしれません。
まあ、それは良いとして、せっかくなのですからもう一歩進んで、本当の鉄道最高地点を是非カメラに収めてほしいものです。…と言うのは、記念碑的に建っているモニュメントは、あくまでも“記念碑”であるので、本当の最高地点は線路上に無ければおかしいからです。勿論、線路上にそれを示す物は建ってはいるのですが、あまりに一般的ではないので、どうも見付けられていないようですね。
右上の写真の白色の標識が、JR鉄道最高地点を表すものです。ここにある踏切の、清里方向の線路脇に建てられています。この標識は、いわゆる勾配を示すもので、数字の“3”というのは千分率の値、つまり1000m進んで、3m高さが変わる勾配(‰…パーミルと読みます)を表しています。この標識は、どの鉄道路線にも建てられており、線路の勾配が変わる度に置かれている標識でもあるのです。
右上写真の表示が3‰の下り勾配(画面奥の線路が)で、その反対側は…というと、左上写真を見て頂ければ分かるように、22‰の、やはり下り坂です。つまり、ここはどちらを向いても下り坂になるポイントで、故にここが最高地点となるわけなのです。
…と、言葉で説明した感じの通り、あまり一般的ではないようですね(笑)。ただ、ここは中央分水界にもなっていて、山梨県と長野県の県境…つまりは、ここから山梨県側に降った雨は、富士川となり太平洋へ、長野県側に降った雨は千曲川、信濃川となり日本海へ…と分かれる地点でもあるのです。そう考えると自然の尊さを感じますが、とにかく、1度は訪れて頂きたい場所に変わりはありません…。車でもその雰囲気は得られると思いますので、是非♪
さて、このまま清里駅までは、ほぼ下り坂で向かえます。…とは言え、距離にして4km近くはあるので、やはり徒歩で1時間弱は掛かってしまう行程でしょうか。道は整備されているので簡単ですが、この先は線路が見えるポイントも限られるので、時間が無い方にはあまりお勧め出来ないかもしれませんね。現に、この行程の約1時間、清里駅周辺以外、歩きの人とは誰とも擦れ違いませんでしたし…(笑)。
清里駅前は1980年頃から開発が進んで、言わばミニ軽井沢?みたいな雰囲気になっていますが、ここも独特な雰囲気ではあると思います。自分は中学2年生の時の校外学習が清里だったので(学校の寮があったので…)懐かしかったですが、あの頃はゆっくりとモノを見てなかった時代でもあり、今こそ改めて、じっくり、ゆっくり見ていきたいですね。まあ、今回はまた次の機会へとなってしまったのですが…(笑)。
さて、清里駅からまた小諸方面へ向かいますが、この時に乗った車両が、実は世界初の営業用ハイブリット車両と言われる、キハE200形という車両でした。小海線は非電化路線なので、普通はディーゼルカーが走っているのですが、この車両はディーゼルエンジンとリチウム蓄電池を組み合わせ、その原動を変えながら走行する事が出来るのです。
具体的には、車両駆動(発進)時には蓄電池充電電力を利用し、加速時にディーゼルエンジンが作動します。そして減速時には電動機を発電機として利用し、減速時の運動エネルギーを電力に変換して、蓄電池に充電させるのです。確かに凄いシステムで、これらの背景ゆえ、走行音がディーゼルカーとは全く違った独特のものでした。普通はディーゼルカーの発進時というのは、エンジンを吹かさせるような音がするものなのですが、それが全くの皆無で、むしろ電車の発進時に近いものでした。また、停車している時にもアイドリング・ストップのような状況になっているので、これまたディーゼルカーに乗っている感じはしませんでした。
この車両は2007年に登場して、現在までに3両全てが小海線で活躍していて(常時2両が運用されていて、残りの1両は検査や試験等に使用…)、定期的にその姿を見る事が出来ます。大量生産にはまだまだこれからなのかもしれませんが、既に小海線ではマスコット・キャラ的な存在になっていて、小海線自身が『わくわくエコランド小海線』と明記、表示されていたりもするようです。成程、鉄道に特に興味が無い方でも、小海線に乗ってはカメラで色々と撮っていた人も多かったのですが、そういった施策が影響されているのかもしれませんね。
さて、峠を越え、千曲川を何回も横切りながら勾配を下っていくと、路線の中継駅でもある小海駅に着きます。ここからは高原路線というよりは、川に沿って走る路線…という感じで、車窓の風景も変わっていきます。小海駅は、駅数で言えば小渕沢駅から3分の1くらいまでしか来ていませんが、距離は既に6割以上は進んでいます。つまり、小海駅までの駅間は長く、これより先は短い駅間が続くという事です。その事も、列車風景の雰囲気を大きく変えているような気はします。
今度は、高岩駅から馬流駅間を歩いてみました(また1駅戻る形をとりました)。この間には写真右上のように“天狗岩”と呼ばれる岩肌の崖があり、ここも小海線を代表する有名撮影地があるからです。実際、写真を撮ってみると、正に絵に描いたような配置…。それは多くの方が写真に収めるのも頷けました…。雰囲気は素朴な感じが漂っています。
また、馬流という駅が想像以上に?集落の奥地にあり、これもなかなか面白いです。広い道には面していなく、ただ『JR馬流駅』…と書かれた看板に沿って歩いていかないと着けません。写真左上にある表示から、更に2回ほど小道を曲がっていかないと着けないので、初めて駅を訪れる方は、その表示無しでは絶対に分からないでしょうね(笑)。…ただ、時にはこんな楽しみも有りだなと思いました。
緩やかに勾配を降りて、佐久市の中心駅でもある中込駅に着くと、もはや高原路線のような雰囲気は全く無くなって、普通の地方のローカル線のような、のんびりとした感じ…また、駅間も短くなるので、地方の通勤路線のような性格も持ってくるようになります。
最後に歩いたのは、長野新幹線との交差駅、佐久平駅から、また1駅手前の岩村田駅までの、約1kmの距離でした。長野新幹線の開通(1997年)と共に出来た佐久平駅は、今までの小海線の雰囲気からすると、大都会にあるような駅で、周辺も同じ時期に開発されたのでしょう。東京のニュータウンのような雰囲気と若干被る部分があるような気がします。
前述したように、この駅では長野新幹線と乗り換えられますが、新幹線に跨って在来線の駅があるという構造は、結構珍しいのではないでしょうか。小海線のホームは1面1線という、非常にシンプルな駅になっていますが、上から新幹線を見下ろす…というのもなかなか新鮮です…。ホームから見える新幹線の方向は西南向きですが、北東側には、天気が良ければ浅間山も望めると思います。この時は何故か晴れていて、なんとか望める事が出来ました。この天気が朝から続いて入ればと、何度思った事か…(笑)。
それに比べて、佐久平駅から0,9kmの距離にある岩村田駅は、なんとか昔ながらの雰囲気を保ってもいます。ここも割りと活気のある駅で、周辺に3つの高等学校があるらしく、自分の利用した17:00頃は、下校時の学生で結構混み合っていました。確かに、ローカル線の主な客は高校生です。小海線も観光だけではなく、こんな要素があったのだと思いますが(笑)、なんか嬉しくもなる出来事でしたね。もしかしたら、自分の想像以上に色々な側面を持った路線なのかもしれません。
岩村田駅から20分弱で、終点、小諸駅に到着します。途中下車が、小淵沢駅を含めて4回行いましたが、一応1日で終われましたね。東京から日帰りの“鉄道さんぽ”では、小海線の規模を考えると、これくらいの遠さが限界かもしれません…。たまにはまた、東京から離れた土地にある路線を扱ってみたいと思います!
さて、この小諸駅。この付近の新幹線は佐久平駅を通っているので、在来線から発展してきた当駅付近は、若干肩身の狭い思いをしているような気がしてしまいます。新幹線が出来て、ここを走っていたJR信越本線という幹線路線も、しなの鉄道という第3セクター経営の鉄道会社になりました。今回の旅でも少し使ってみましたが、そう言えば、しなの鉄道に転換されてから利用したのは今回が初めてでもありましたね。昔(高校時)、この辺りの信越本線にはよく乗っていたものですが、今ではパタリと乗らなくなってしまっていたのです。恐らく、現在は新幹線で通過してしまう場所なのだからとも思いますが、小海線に乗って、また新たな魅力を再発見した事もありますし、いつかはこちらの鉄道も記事にしてみたいと思いますね。信州を走る路線は、ただでさえ景色の良い路線が沢山あるのですから…。
この日は本当に暑く、過去の“さんぽ”の中でも屈指の過酷さを極めていましたが(笑)、それ故に本気の夏を体感できた1日でもありました。写真と共に、そんな夏の“さんぽ”を楽しんで頂ければと思います!
●日時…2010年8月16日 ●路線距離…10.0km ●駅数…15駅
江ノ電の旅は、藤沢駅から始めるのが良いかもしれません。鵠沼の住宅地を抜け、江ノ島駅を過ぎると海が見え、そして徐々に鎌倉の街並みに入っていくのが奥ゆかしいです。路線距離こそ10kmしかありませんが、その車窓の変化はあり過ぎるほど、見所の詰まった路線でもあると思います…。そんな旅の始まりの起点、藤沢駅は、デパートの中にホームがあるという形態の、ある意味で江ノ電で最も近代的な駅でもありますが、それでもどこかノスタルジックな雰囲気を醸し出しているのは、やはりこの鉄道が持つ魅力によるところでしょう。いきなり旅気分を盛り立ててくれるわけです。
江ノ電の時刻表は、実にシンプルです。それは早朝・深夜を除き常に12分間隔で、藤沢駅発の時刻を見ると、毎時00、12、24、36、48分発となっています。これなら時刻表もいらないくらいでしょう。…逆に、これ以上の増発は出来ません。全線単線で、列車同士が行き違い出来る駅も限られ、しかも現在それらはフル活用しているからです。列車は2両編成を基本とした車両を繋ぎ、4両編成で走っている事が多いですが、元々が小型車でもある為、よく混んでいるようなイメージがあります。まあ、基本的に自分が江ノ電に乗る時期というのは夏が多く、しかも観光客がよく利用する時間帯に限られる為、たまたまそうなのかもしれませんが、江ノ電は都心から1時間で来れるような場所でもある為、こういった方達にもよく利用されているのは事実です。この日も例外ではなく、藤沢駅発車の時点で、かなりの立ち客が目立つ感じになっていました。
江ノ電に使われている車両は、2両編成が基本…と書きましたが、それら2両分は全て連接車〔鉄道さんぽ 3.(JR東日本、京葉線編)参照〕となっていて、急カーブでも曲がれやすいようになっています。また、右下の写真を見ても分かるように1両は短く、この後紹介する併用軌道区間を有する鉄道でもある為、よく路面電車に分類されそうになるのですが、扱い的には普通の鉄道となっています。しかし、こういった車両、線形の特徴から、付近の街並みに驚くほど溶け込んでおり、これもまた江ノ電の魅力の1つになっているのだと思いますね。それぞれの駅の個性も強く、本当は1つ1つ紹介したいくらいですが、ここでは主な駅・路線風景に留めておきたいと思います。
藤沢駅を出て、最初の行き違い駅が鵠沼駅です。ここまで藤沢駅から約5分掛かるので、ここで藤沢駅行きの列車とすれ違って、その列車が再度藤沢駅に着くのが、前の列車が発車してから約10分後…。江ノ電は12分間隔で運転されているので、基本的に藤沢駅で折り返しの為に停まっている時間は約2分…という事になります。藤沢駅に列車がやってきて折り返して発車するまで、いつも短い時間で発車している感じがあるのですが、こういった事情があるわけですね。全線単線という状況ならではだと思います。
話しが逸れましたが、鵠沼駅周辺の道路は狭く、車もろくにすれ違いが出来ないような状況の街並みでしたが、これが鵠沼という土地らしさを表しているような気もしました。大通りが近くにないので、閑静な住宅街…という感じでしょうか。そこに時折聞こえる江ノ電の走行音、そして踏切の音だけが、時間の動きを作り出し、また、夏のワンシーンを展開させているようにも思いました。この駅の鎌倉方には、遠くに江ノ島を臨む事が出来、いよいよ海が近付いたと感じさせますが、まだ海が見えるのは少し先の区間になります。
この後は路線を右に左とカーブを繰り返しながら、江ノ島駅に到着です。実際の江ノ島までは少し歩きますが、駅から一本道なので迷う事はまず無いでしょう。中枢の駅、また、江ノ島観光の拠点駅でもあるので、何となく明るい雰囲気が漂っているようにも感じられます。
この駅から次の腰越駅までが面白いです。路線は道路との併用区間に入り、さながら路面電車のような風景が展開されるのです!…更に言えば、1両が基本の路面電車と比べると、こちらは最大4両編成ですから、いくら小型車と言えど迫力が違うわけです。また、この道路があまり広くない(商店街ですからね…笑)という事もあって、ますますスリル感が倍増されているように見えます。よく車に当たらないものだと感心してしまいますね…(笑)。
併用軌道区間に入ったところに、かつて江ノ電を走っていた昔の車両の先頭部が入っているお店を見付ける事が出来ます(左下写真参照)が、このお店こそが、江ノ電名物?江ノ電もなか…と作っているお店でもあり、実際、この運転部分でお菓子が作られています。ここから眺める、線路の上を走る現役の車両達…というのも何とも興味深い光景ですが、行き交う列車を見守っているようにも感じられ、何とも和やかな思いにさせられますよね。是非、注意して観察してみて下さい(笑)!
走っている車内からは、やはり運転台からの景色が気になってしまいます…。
そして、こんな緊張感のある区間(笑)が終わると、まるで路地裏にあるかのように腰越駅へと到達していきます。写真で見ても狭さは伝わると思いますが、更にこの駅は3両分しかホームが無く、4両編成の列車が停車する際は、1両分だけホームからはみ出して停車、右下の写真のように、1両はドア扱いもせずに乗降を行います。車内ではその旨は何度も案内していますが、やはり慣れない人は戸惑ってしまうようです。実際、自分が今回乗っていた時にも、これらの事に気付かずに、腰越駅で降りれないお客さんがいたくらいです…。これもまた、江ノ電お馴染みの風景…(笑)?
さて、こんな腰越駅を出ると、暫く狭い区間が続く…という感じですが、これが一気に目の前が広がる風景に出合います。そう、海に出るのです。…この瞬間が、江ノ電の車窓の中で最も華やかな瞬間ではないでしょうか。混んでいる車内からも、喜びと驚きの声が上がるくらいです。ひとまずは海に釘付け…という感じでしょうね。そして、その海の風景は暫く続くので、やはり印象的な区間になっているに間違いありません。
海に出て暫くすると、鎌倉高校前駅です。道路を挟んで反対側はもう海…という感じで、これぞ湘南の駅という雰囲気満点です。鎌倉高校は、駅前の道を線路方向に進み、最初の踏切の道を左に曲がって坂を上って行けば辿り着きますが、この踏切の風景はとても有名で、もしかしたら誰もが一度は見た事はあるのではないでしょうか(右下写真参照)…。坂の上から踏切を臨み、その向こうは無限に広がる雄大な海…。何とも素晴らしい光景であると共に、江ノ電がよく似合う“絵”でもあるのです。如何に江ノ電が海と共に歩んできたか分かるというものです。そんな事を思いながらも、炎天下の中、身体は汗だらけではあったのですが…(笑)。
鎌倉高校前駅を出るとすぐに、江ノ電唯一の信号所、峰が原信号があります。駅は設置されてないものの、列車の行き違いは可能で(日中は必ず行います)、海を見ながら対向車を待つという風情も良いかもしれません。元は鎌倉高校前駅が行き違い駅になっていたのですが、並行する道路の拡幅に伴い、現在の場所が選ばれたのだそうです。その為か、ここではよく藤沢行きの列車が先に到着して、鎌倉駅行きの列車を待っているようなイメージがあります。
稲村ケ崎駅を過ぎると、これまで並行してきた海と離れ、少し山間に入って行きます。やはり近くを走る道路は狭く、走る列車にしても車にしても、どちらも肩身が狭そうにしているのが面白いです。恐らく江ノ電の沿線で一番ひなびた雰囲気を走る区間ですが、カーブが多く、そんなに速く走れないのも、そういった雰囲気を後押ししているように思います。この稲村ケ崎駅から次の極楽寺駅の間に、江ノ電の車庫が設置されています(右下写真参照)。
次の極楽寺駅は、駅名の由来となった極楽寺の真ん前に位置し、ここもまた風情溢れる駅だと思います。駅の鎌倉方には極楽寺トンネルが控え、その向こうはいよいよ鎌倉旧市街です。鎌倉という土地は、どうしても山を超えないと入れない場所にありますが、現在でもその入り方は変わってないと思わせるような地形でもありますね。ちなみに極楽寺駅は、鎌倉高校前駅と共に、関東の駅百選に選定されています。
極楽寺トンネルを抜けて、すぐ左側にある神社が御霊神社です。この神社は裏側からも入れますが、表から入るには、まず江ノ電の踏切を越えて入らなくてはならないという、なかなか面白い構造になっています。如何に江ノ電が古くから走っていて、そして如何に昔から街に溶け込んで存在しているか…という事ですよね。ちなみに、この辺りの線路に面している住宅も、やはり江ノ電の線路を経由しないと玄関に達せない構造になっている所が幾つかありました。ここを過ぎると長谷駅。鎌倉大仏の最寄り駅ともなっています。
昨今では、鎌倉大仏がかなりメジャー化?(外人に特に…)した事により、長谷駅~鎌倉駅は常に混雑している区間にもなってきた感じがありますが、ここから鎌倉駅までは、後5分という道のりです。そして、鎌倉駅までの最後の交換駅が長谷駅でもありますので、列車の運転形態的には、先程説明した藤沢駅~鵠沼駅間と似たような状況がここにはありますね。とにかく、鎌倉駅まではあと3駅です。
…という事で、終点鎌倉駅に着きました。藤沢駅からは34分の旅です。鎌倉駅も藤沢駅と同じく、発時刻が毎時00、12、24、36、48分となっているので、基本的に鎌倉駅での折り返しも2分弱ぐらいしかありません。江ノ電車両は、今日も休みなく働き続けるのです!
…如何でしたでしょうか。営業距離がたったの10kmという路線の割りには、本当に見所が沢山といった感じだったと思います。しかし、これでも相当端折ったのです。そもそも今回は、バラエティに富んだ車両についてあまり説明をしませんでしたし、その中には300形という、車齢50年もなる車両も含まれています。この車両は2両1編成しか残っていなく、そして夏場はあまり出番が回ってこない(この日も車庫で休憩?中でした)ので、今回は説明は省きましたが、この車両こそが江ノ電のイメージ・リーダーと称する人も多く、まだまだ江ノ電には魅力が一杯です。そして最初に話した通り、やはり江ノ電には夏という季節が似合うのです。
首都圏から約1時間で行けてしまうこの路線。全線乗っても34分ですし、そもそも江ノ島という場所が著名な観光地であるので、行く理由は沢山あると言っても良いでしょう。何だかんだで一度くらいは乗った事があると言われそうな路線でもありますが、今一度、江ノ電の魅力に触れてみては?…と思った1日でした!
☆江ノ島電鉄のHP…www.enoden.co.jp/
JR京葉線を走る車両というのは、現在、通勤型だけで、E331系、209系、205系、201系の4種類があります。このうち205系は、当初から京葉線に投入された、先頭車前面の形状が従来とは異なる車両と、山手線や南武線、埼京線、中央・総武緩行線から転入されてきた車両があるので、見た目には違う車両のようにも見受けられます。また、JR武蔵野線からの直通電車もやってきます。
しかし、今年の夏からはE233系という新しい車両が導入され、E331系以外は全て置き換え対象となっているらしく、車両のバラエティさから言えば少し単調なものになってしまうに違いありません…。そもそも、E331系は試験的要素の強い車両であるので走行する機会は少なく、基本的に京葉線は、E233系の路線…というようになってしまう筈です。
209系や205系の一部は、E233系の導入によって、他の路線に転属されるらしいのですが、今や首都圏の通勤路線では最古参の車両である201系は、これで間違い無く営業路線を引退となるでしょう。今やJR東日本では、JR中央快速線に2編成と、ここ京葉線に4編成が残るのみとなってしまいましたが、中央快速線では今年の10月に完全引退で、京葉線も、そろそろ終わりが見えてきた感じです。
つまり、色々とバラエティのある状態の京葉線に出会えるのは正に“今”であり、だからこそ、今回この路線を選んだという次第です。また、京葉線は珍しく、平日と土・日のダイヤが著しく異なっている路線でもあり、それぞれにしか運転されない列車・車両もあるので、基本の日にちを6月27日の日曜日とし(ピアノトリオのライブの前の時間に実行…笑)、6月14日の月曜日にも、ちらっと行ってきまし(笑)。色々と前置きが長くなってしまいましたが、そんな状況下の路線という事を、少しでも知って頂ければと思います!
●日時…2010年6月27日(予備日…6月14日)
●路線距離…43.0km ●駅数…17駅(西船橋への支線を除く)
京葉線は東京~蘇我間を結ぶ路線ですが、東京駅から京葉線に乗った事のある方は、その移動距離の半端無さに驚くかもしれません…。東京駅の東海道新幹線乗り場の近く、八重洲南乗り換え口からその通路は続き、約300m程の移動をし、そして更に地下深く潜っていかなければならないのです。特に、地下鉄丸ノ内線、JR横須賀・総武快速線からが遠く、恐らく、乗り換え時間が10分あっても、相当ギリギリな感じになってしまう事と思います。
これは、京葉線のホームが地下にあり、道路でいうと鍛冶橋通りという、かなり有楽町駅寄りな場所に位置している為ですが、それならば…と、有楽町駅から行ってみる道のりも紹介します(もちろん、いったん駅からは出なければなりませんが)。JR有楽町駅の国際フォーラム口を出て、そのまま国際フォーラムに向かって歩いていきます。そして、国際フォーラムの入口を右側に見つつ、そのまま東京駅寄りに進んでいくと、地下に進める入口(右下写真参照)が見えてくる筈です。ここまで、有楽町駅からは徒歩5分弱といった感じでしょうか。あとは地下に下りていくだけで、場所によっては、こちらからの方がスムーズと思う事もあるかもしれませんね。特に、地下鉄有楽町線からの乗り換えは、そう思いそうですが、地下鉄有楽町線を利用する人が京葉線に乗る時と言うのは、基本的にこの先の新木場という駅を使うというのが、皮肉と言えば皮肉です…(笑)。
さて、京葉線の東京駅ホームは2面4線あり、ここからは特急“わかしお”や“さざなみ”、そしてJR武蔵野線からの直通車両、そして快速や普通という種別もあるので、乗る時は注意しないといけません。今回は鉄道さんぽという事で、各駅停車で向かっていきたいと思います。
東京駅を出て次の駅の八丁堀駅は、地下鉄日比谷線と乗り換えられる駅で、快速も停まる重要な駅?なのですが、その次の越中島という駅は、京葉線だけの単独駅で、しかも普通しか停まらない駅(半分以上の列車が通過していきます)なので、乗降客数が非常に少ないです。調べてみると、なんと東京23区のJRの駅では、一番利用者数の少ない駅でした。そもそも、京葉線の列車の本数というのが、他の路線と比べると少なく、普通列車に至っては、1時間に4本しか運転されていないのです。つまり約15分毎…という事ですが、東京駅から2つ目の駅で、このような駅があるというのも不思議な感じはしてしまいます。ここまで地下駅であるので、地上からも目立たない駅ではあるのですが、都会から忘れ去られた場所…とでも言いましょうか(笑)。なかなか他では味わえない駅でもあります。
越中島駅を出ると地上に出て、開放感のある潮見駅に到着します。この駅は6月14日の平日に降りてみた駅だったのですが、越中島駅と同様、普通しか停まらない駅なものの、意外と利用者数は多かったように感じました。確かに辺りを見回してみると、以前は倉庫や鉄工所ばかりの場所だったのに、いつの間にかマンションや大型商業施設なんかも出来たりして、新しい街のような雰囲気を醸し出しておりました。ここで、JR京浜東北線から転入してきた209系500番台(左下写真参照)と、編成を途中で分割させる必要がある為に必ず201系を使う、貴重な平日のみの運転の通勤快速『成東・勝浦行き』(途中の誉田という駅で、行き先が2つに分かれる列車です…右下写真参照)を撮っておきます(この列車を写真に収める為に、平日という日に繰り出しました…笑)。
次の新木場駅は、地下鉄有楽町線や、東京臨海高速鉄道りんかい線等が乗り入れる、京葉線にとって乗り換え客の多い駅で、実際、朝の車内の混雑状況は、蘇我駅から来た列車はここまでがピークとなっています。自分も、基本的に京葉線に乗りに行く…と言ったら、有楽町線で新木場駅まで行く事が殆どです。乗り換えも簡単ですしね。それくらい、東京駅での乗り換えが面倒という話しでもあるのですが…(笑)。
ここからは暫く海沿いを走ります。お陰で風に弱く、よく“強風の為運転見合わせ”という文字をよく見ます。京葉線が運転見合わせになると、この辺りの代替路線は地下鉄東西線ぐらいしかなく、しかも近くても3~4kmくらいは離れているので、一気に陸の孤島となってしまうのが厳しい感じでしょうか。速さ的には便利なんですけどね。
葛西臨海公園駅、舞浜駅と、エンターテイメント施設のある駅が続きますが、舞浜駅はもはや平日でも賑わっていますね。言うまでもなく、東京ディズニー・リゾートの最寄り駅でもある為ですが、実はこの舞浜駅のホームの一番東京寄りは、京葉線の車両を撮る撮影ポイントとしても有名なのです(笑)!…上の写真を見ると分かりますが(どちらも205系という車両で、右が京葉線用205系です)、編成に障害物がまるで掛からないのがお分かりでしょうか。意外にこういった場所は都内近郊では少なく(一応ここは千葉県ですが…笑)、更に言えば、編成が少しカーブしているのが、写真写りを良くしてくれてると言いましょうか…(笑)。とにかく、自分がここを訪れた日曜日ともなれば、このポイントに6、7人は陣取ってましたね…。もちろん、目的の車両もあった為なのですが、これは後にお話ししましょう。
しかし、ディズニー関連の場所に行かずして、舞浜駅に降りた…というのは、今回が始めてかもしれませんね(笑)。何だか、いつもに増して、客観的にこの場所を見れた自分が面白かったです。今度この場所に来る時はいつになるのやら…(笑)。
…さて、先に進みましょう。次は新浦安という駅で、土日ダイヤでは、当駅で快速と普通列車の接続をとっています(普通列車が、後から来た快速列車の待ち合わせを行います)。この付近は住宅地ですが、場所によってはまだ東京ディズニー・リゾートが見える場所でもあり(特に、夜の花火とかは見れるでしょうね)ここから舞浜方面の線路を望むと、もしかしてディズニー・ランド(シー)をバックに列車が撮れるのではないか?…と思ってしまいます(笑)。そして、結果は左下の写真通り。…何気にディズニー・シーのプロメテウス火山がバックに入り込んでいるような…(笑)。これには相当な望遠レンズが必要ですが、ある意味京葉線らしい光景かもしれませんね。
新浦安駅を出ると、市川塩浜駅、二俣新町駅、南船橋駅と続きますが、この辺りは典型的な工業地域で、駅間も結構長い区間でもあります。市川塩浜駅を過ぎると、途中で西船橋駅方面に行く支線が分かれ、更に二俣新町駅にの先では、逆に、西船橋駅方面から来た支線と合流します。これは、高谷支線、二俣支線と呼ばれ、どちらも京葉線という扱いの路線なのですが、営業上はJR武蔵野線と案内されており、実際、京葉線に直通してきた武蔵野線しか、基本的にはここは通る事はありません。
要するに、路線図で見るとデルタのような形になっているのですが、面白いのは、このデルタの底辺となる京葉線上の、それぞれの分岐点の中間に、二俣新町という駅がある事です。先程も言ったように、この辺りは工業地域ですので、日曜日に利用しても、殆どお客さんは見かけないという状況で、路線状況上、武蔵野線はここを通らないので、何だか路線自体から忘れ去られた感が満載の駅でもありました…。遠くには、支線を通過していく武蔵野線の列車なんかも見え、特に悪い居心地ではありませんでした。こうした不思議な雰囲気を持った駅もあるのですね。
再び支線と合流し、南船橋駅へと着きます。ここは日中の武蔵野線との乗り換え駅でもあり、武蔵野線側から見ると、京葉線の東京方面へ行く列車と、こちらの南船橋駅に向かう列車に二分されているわけですが、本数的にはこちらの方が多いようです。…とは言え、元々の本数が少ない武蔵野線ですから(平日は1時間に5本、土日は1時間に6本の運転)、それが二分されてしまうと、更に本数が少ない事になってしまい、時刻確認は必須かと思われますね。
そして、新習志野駅です。ここは普通しか停まらない駅ですが、この先に京葉線の車庫(京葉車両センター)があり、ここを始終着とする列車も多いので、駅構内が広めに造ってあるのが特徴です。しかし今見ると、無駄に広い感じも拭えません…。それよりも不思議に思うのは、この駅のホーム形態です。この駅は、島式ホーム1面2線を単式ホーム1面1線2本が挟む、計3面4線のホームを持っているのですが、何故新浦安駅のような、2面4線のホームにしなかったのでしょうか。真ん中の島式ホームが、基本的には当駅を始終着とする列車が使うのですが、例えば当駅止まりの列車に乗ってしまった場合、ここから先に向かうには階段を介してホームを替えなければいけません。逆方面も同様です。路線上は、通過列車と当駅始終着列車が分けられて、分かりやすいのかもしれせんが、利用者にとっては不便この上ありません。どうも、旧国鉄の路線というのは、そんな感じの駅が多いような気がします。私鉄だったら、まず有り得ないような構内配置ですね。こうした、旧国鉄の遺産?も見られるのが、京葉線でもあるのです。
新習志野駅から次の海浜幕張駅までの間、車窓の左手に京葉車両センターが見えてきますが、早速、今後の京葉線の主力を担うE233系の姿が確認出来ました。しかも、その数は複数あるのが分かります。今度の夏まで、もう出番が待てない…といった感じでしょうか。この車両は、既に中央快速線、京浜東北線、東海道本線、常磐緩行線に投入されていますが、京葉線の赤色の帯を纏う姿というのは勿論この時に初めて見たわけで…、なかなか新鮮な感じで良いなと思いました。いつ頃この車両に完全に入れ替わってしまうのかはまだ分かりませんが、京浜東北線の例(現在、既に前者がE233系の路線です)からしても、それは本当にあっという間かもしれませんね…。
さて、そんな思いで海浜幕張駅に着きました。この駅では終日折り返し列車が多数設定されていて、この先は快速、普通を含めて1時間に計4本のみの運転となっております。最初に言ったように、京葉線は平日と土日ではダイヤが大きく異なっているのですが、それは特に快速の本数に表れていて、平日は1時間に2本の運転ですが、土日はその倍の、1時間に4本の運転です。やはり、沿線周辺に東京ディズニー・リゾートや、ここ幕張メッセ等がある為ですが、普通はどちらも1時間に4本の運転なので、この海浜幕張駅を境に、平日は快速2本と普通2本、土日は快速4本が、終点の蘇我駅まで運転されているのです(快速も、この先は各駅に停車をしていきます)。そろそろ東京から大分走ってきたなあという感じでしょうか…?
この駅で一旦降りつつ、先程紹介しそびれてしまった、京葉線のみに走っている貴重な車両、E331系(右上写真参照)について紹介しておきましょう。この車両、見た目はそんなに普通の車両と変わらないと思うかもしれませんが、よく見ると大きく異なっている部分が多々存在しているのです。
まず駅の列車案内表示板を見た瞬間に、この列車が来たかどうかはすぐ分かります。…というのは、京葉線の通勤型列車は全て10両編成なのですが(武蔵野線は除く)、この車両は何と、14両編成なのです。何故この車両だけ?…と思うかもしれませんが、実は列車の全体の長さは同じなのです。…どういう事かと言うと、つまりは1両あたりの長さが短く、そしてそれらは、前面と7両目~8両目の間を除き、台車が連接台車となっているのです。
言葉で説明するより、上の2枚の写真を見た方が分かるかもしれません。普通は、1つの車両につき、前後に1つずつ台車があるのに対し、この車両は、1つの台車の上に前後2両分の車両が載っかっているのです。こういった台車を連接台車、そして車両を連接車と言い、日本ではあまり採用例が無いのですが、有名なところですと、小田急電鉄のVSE車〔竹内大輔の写真日記(~2009)、町田 Herbie Xmas Live、2009!参照〕を始めとしたロマンスカー車両の一部、後は路面電車に少々…という感じです。そして、国鉄→JR保有の鉄道車両に限ってみると、営業運転を行っている例はこのE331系が初となり、かなり試験的要素が強い車両である事も分かると思います(この写真、1編成のみの存在です)。
…故に、運転中の姿を見かけるのは本当に少なく、基本的に土日(もちろん祝日も含みます)のみの運転で、その運用も基本的に決められています。逆に言えば、運用さえ知っていれば乗り(撮り?)狙える車両でもあり、今回、この車両目的の人も結構いたように感じられました…。恐らく、今の京葉線の土日における日常風景なのかもしれません。先頭車両は、ロングシートとセミクロスシートを自由に換えられる機能を持っている車両でもあり、かなり個性的な車両でもあるのですが、どうやら試験期間は今年までらしいので、今後ちゃんとした量産車が出てくるのかどうかはまだ分からない状態です。そんな状況で、普通にE233系の登場が決定ですから、本当に今後がどうなるのか、全く読めない車両でもあるのです。もしかしたら、乗るのも見るのも今のうちなのかもしれません…。
さて、海浜幕張駅を出ると、後は終点の蘇我駅まで、いわゆるニュータウン風の車窓が続いていきます。検見川浜駅、稲毛海岸駅と停まり、一時期は終点だった千葉みなと駅を過ぎて、左手から外房線が合流してくると、終点蘇我駅です。路線上では終点ですが、特急列車や一部の電車には、この先、外房線、内房線に直通する列車も多数設定されています。
ここまで、快速列車なら東京駅から約45分という感じでしょうか。以前は通過駅がもっと多かったので40分ぐらいでしたが、快速と普通の混雑平均化という名目で、本数の削減と若干のスピードダウン(快速の海浜幕張駅~蘇我駅間の各停化)が行われて、このような状態になっているのです。それでも、当駅から総武線快速経由で東京駅に向かうと、約50分は掛かってしまうので、やはり京葉線は“使える”路線なのかもしれませんね…。特に、この先の外房線、内房線沿線の人には、一気に都心を近付かせた路線とも言えそうです。今後E233系ばかりとなった京葉線はどう映るのか…。まだまだ興味は尽きない感じですね!
最後に、葛西臨海公園にある風景の写真でもどうぞ♪…実は京葉線は、自分が思っている以上に色々な側面のある路線なのかもしれません。ディズニー・ランドに行くだけの為に使うのではなく、是非“今”の京葉線の良さを味わいに、乗りにいらして下さい!
今年の2月から始めた、偶数月の連載ものとしての企画、“鉄道さんぽ”。前回はJR久留里線〔鉄道さんぽ 1.(JR東日本、久留里線編)参照〕を取り上げましたが、今回は、都内近郊を走る西武鉄道多摩川線を取り上げてみました!…今後、JR、私鉄、JR、私鉄…の順で話しを進めていきたいと思っています。
この路線に決めた理由は実に簡単で、都内近郊を走っていながら、まだ自分は(不覚にも?)一度も乗った事の無い路線だったからです。この路線の起点駅は、日本の大動脈とも言って良いJR中央線の武蔵境駅で、吉祥寺駅や三鷹駅からもすぐの場所ではありますが、そこを出てしまうと、他の路線との乗り換え駅は基本的に無く、いわゆる盲腸線と呼ばれる路線形態になっています(久留里線と同じですね)。こういった路線は、一度乗ると再度起点の駅まで戻って来なくてはならないので、乗るには根気のいる路線?でもあるのですが(笑)、いつでも行けるくらい近い…という状況が、今まで乗った事の無い路線という結果になってしまっていたのでしょう。ちなみに、恐らく都内範囲では、この路線が自分の唯一の未乗路線だったと思います。…さて、一体どんな路線なのか…。どうぞお楽しみ下さいませ!
●日時…2010年4月25日 ●路線距離…8.0km ●駅数…6駅
なかなか天気の良くない日が続いていた4月でしたが、この日はスッキリと青空が広がって、絶好の鉄道さんぽ日和?だと思いました。西武多摩川線は、名前の通り西武鉄道の路線ですが、他の路線とは繋がっていなく、西武鉄道の中では孤立路線でもあります。乗り換え可能な駅は、基本的にはJR中央線との武蔵境駅のみ。ここも特にそんなに大きな駅ではありませんが、多摩川線的には、堂々たる起点駅でもあります。この駅ですら、降りたのは初めてだったような気もしますが、とにかく、西武多摩川線を“さんぽ”してみる事にしましょう!
以前はJR中央線の下りホームと同じホームから出ていた多摩川線でしたが、中央線が高架化するのに伴い、多摩川線も一体的に高架化になりまして、最近完成(中央線の方は、まだ工事中という感じです)。今では完全に独立したスペースが与えられていて、中間改札も設けられていました。高架化に伴って駅の近代化もされていましたが、この多摩川線という路線は、西武鉄道の中でも一番経年の高い車両を使わされるのが常でして、ホームには101系という、西武本線では既に見られなくなった車両が停車していました。この車両も、自分にとっては久しぶりな感じがしてしまいます。
多摩川線は都内では珍しく、平日、土、休日ダイヤが統一されていて、早朝、夜間以外は全て12分毎、夜間は20分毎の間隔で運転されています。車両は4両編成の均一で、見た目的にはローカル線のような印象も与えていますが、ここはまだまだ都内近郊と呼ばれる地域である事を忘れてはいけません。
この多摩川線は、元々多摩鉄道という私鉄が、多摩川河原で採取された砂利を運搬する目的で造られた路線で、1922年に全通しましたが、1927年には早くも西武鉄道に吸収されています。その頃、路線名は多摩線…でしたが、その後、是政線(終点が是政駅)、武蔵境線と名が変わり、現在の多摩川線に落ち着いたようです。営業距離が短い割には、コロコロと路線名が変わっていたようですね。
早速電車に乗り込み、武蔵境駅から2つ先の、多磨という駅まで行ってみます。ここは、武蔵境駅の次に乗降客数が多い駅のようで、この駅に着くと、半分以上のお客さんが降りてしまった事からも、それは明らかのようでした。この駅の北西方向には東京都立多磨霊園があり、自分の父方の祖先の墓もそこにあるので、地域的にはよく訪れている場所なのですが、もちろん、駅自体は初めての訪問となります。
多磨霊園が近くにあるという事で、この駅は昔は多磨墓地前という駅名だったのですが(自分も未だに、そのイメージの方が大きいです)、2001年に多磨駅と改称されました(多磨霊園の“多磨”なので、多摩川の“多摩”ではありません)。この駅の近くに移転してきた榊原記念病院との兼ね合いだと思われます。
多摩川線はワンマン運転で、車掌は乗務していません。ただ、駅には全て乗務員が配属されていて、無人駅という駅はないので、別に車内で運賃精算を行っているわけではなく、ここが地方のローカル線とは違う感じでしょうか…。最近では、PASMO やSuica 対応の、簡易ICカード改札機も付けられていますが、簡易式(普通の切符は、自動改札になっていないのです)というのが興味深いところです。この駅から1駅、武蔵境駅側に徒歩で戻ってみる事にしましょう。
前述のように、この駅の近くには多磨霊園があって、それに近接して野川公園、武蔵野公園があり、列車はその間を通っていくように線路が敷かれているので、この区間は多摩川線の中でも屈指の?風光明瞭なポイントだったりします(笑)。この日は休日という事もあって、公園では家族連れの姿が目立ち、運動公園では学生達がスポーツに興じている等、何だかほのぼのとした光景でしたね。そして、そこを通る多摩川線…。正に、町に溶け込んでいる瞬間だと思ったものです。
…と思っていると、ふとすぐ頭上を小型のプロペラ機が轟音と共に飛んでいきました。そう言えば、ここは調布飛行場の近くでもあったんですよね。着陸する飛行機は、結構高さ的にも低い所を飛んでいくので面白いですが、何気に旅客便も幾つか設定されていて、新中央航空…という航空会社が、ここから大島や新島等を結んでいます。何となく不思議な感じがしますよね。
更にそこから北側に歩いていき、住宅街を抜けると新小金井駅に到着です。多摩川線は全線で単線ですが、この駅の南側の付近は、複線分の用地が確保されているというのが興味深いですね(左上写真参照)。ただ、現段階では全く必要はない感じも受けてしまいます。
多摩川線で走っている車両は、前述したように101系という、西武の中でも最も古いタイプの車両が使われていますが、今年の3月末頃に、その中の1編成が、沿線の小学生から募集したイラストのラッピングが施された新101系(右上写真参照)に置き換えられ、今後は全てこの新101系での運転となるようです。今のところ1編成だけですが、西武鉄道の本線側での新車投入ペースを考えると(それによって本線から外された車両が、こちらに回ってきますので)、全ての車両が置き換わるのも、そう遠い話しではないような気がします。旧101系は西武鉄道ではここでしか見られませんから、正に多摩川線は変革の時期にあるのかもしれませんね。
さて、今度は武蔵境駅から3つ目の、白糸台駅まで行ってみましょう。ここも、元々は北多磨という駅名だったのですが、前述のように、多磨墓地前駅が多磨駅に改称された際に、ここはその駅から南西の方向にあるのに、何で“北”多磨なんだ!…となるのを避けるために(笑)、現在の駅名になったそうです。色々と事情って厄介ですよね…。
この駅は実は、乗り換えが出来る駅ともなっています。それは京王電鉄の駅になるのですが、周りには、とても路線があるような感じに見えません。…と思うと、駅の南側に、多摩川線を越えている路線が見えるかと思うのですが、これが京王線で、白糸台駅より西に向かうと多磨霊園駅、東に向かうと武蔵野台駅に行く事が出来ます。ただし、距離的には600m~700mは離れており、徒歩で約10分ぐらいといった感じでしょうか。道も真っすぐではないので、方向感覚がある人でないと、初めてでは少し厳しい行程のように思ってしまいます。
ちょうど、両路線が交差する辺りに駅を造れば便利だと思うのですが、多摩川線は言ってしまえば地味ですし、京王線も、この辺りは普通電車しか停まらない駅なので、あまりメリットは無いのかもしれません。実際、両駅を乗り換える人も、そんなに多くはいない感じがしました。
この白糸台駅には車庫が併設されており、この時は旧101系が1編成だけ休んでいる状態でした。…という事は、多摩川線で昼間時に起点から終点まで乗り通すと、2回、他の列車と擦れ違う事になるので、常に3編成が稼働していて、あとの1編成は予備車扱い…という事になるのでしょうね。このように路線距離が短いと、車両の使われ方も分かりやすいので、自分としては面白いです。恐らく、今のところ1編成しかない新101系が使われない日というのも、あるのだと思いますし…。これも、鉄道さんぽだからこそ取り上げる事柄なのですよ(笑)。
この後は競艇場駅前で1回降りた後、終点の是政駅まで向かいました。前者の駅は多磨競艇場の最寄り駅でもあり、是政駅からは東京競馬場や多摩川が近いです。呆気無く終点…という感じですが、駅の先には府中街道があり、ここから多摩川を超えて南に向かって行けば、JR南武線の南多摩駅まで約1kmという感じでしょうか。逆に、川を超えないで行ける、南武線と武蔵野線の府中本町駅までは、約2kmの行程といった感じです。別に行かないですけど…(笑)。
この日は競艇場開催日でもあったので、多摩川を渡る府中街道は渋滞していましたが、いつもこんな状態だったような気もしてます…。とりあえず多摩川まで足を運んで、遥か向こうにJR南武線が走っているのは確認しておきました。それでもう十分でしょう(笑)。
さて、これで多摩川線は完乗してしまいましたが、どうやって帰路に着きましょう。このまま再度武蔵境駅に戻るのも勿体無いですし、かと言って、ここから南武線の駅までは遠過ぎます。結局選んだのは、白糸台駅からの京王線乗り換えでした。当駅から、京王本線の普通電車しか停まらない武蔵野台駅へ…。こんなに地味な乗り換えも珍しいくらいでしたが(笑)、その雰囲気が多摩川線の雰囲気を象徴しているようでもありましたね。まあ、“さんぽ”は、地味だからこその見方もありますし、良しとしましょうか♪
☆西武鉄道のHP…www.seibu-group.co.jp/railways/
先月、このブログになってからの新しい試みとして、“竹内大輔の『奢らせて頂きます!』”というシリーズ〔竹内大輔の『奢らせて頂きます!』1.(池田暢夫編)参照〕を始めさせて頂きましたが、あの時、隔月でお送りすると書かさせて頂きました。つまりは、奇数月にお送りする形になるかと思うのですが、では偶数月の連載するものとして、もう1つシリーズものをお送りしたいと思います。
それは、ずばり“鉄道さんぽ”…です(笑)。基本的には、自分が数ある路線の1つに乗って、それについて記事にするもので、微妙に“旅日記”と被る可能性も否めなかったのですが、こちらはあくまで“1つの路線”に絞って取り上げていく予定ですので、また違った感じになるのでは…と思っております。いつものように、末永く見守って頂ければと思います(笑)。
そして、今回がそんな記念すべき?第1回目となるわけですが、取り上げる路線は、千葉県の木更津から房総半島内部に向かって延びていくローカル線、JR東日本の久留里線を取り上げたいと思います。首都圏内にありながら、雰囲気はもう地方のローカル線そのものという感じで、首都圏内のJR路線では、未だに数少ない非電化路線でもあります。ゆえに、ここを走る車両というのも大変貴重なものばかりで、今の内に取り上げたい路線ではありました。初めて乗る路線ではありませんが、そんな久留里線の魅力を、少しでも知って頂ければ幸いです。それではどうぞご覧ください!
●日時…2010年2月19日 ●路線距離…32.2km、●駅数…14駅
東京に雪が降った2月19日の朝に、自分は久留里線に乗りに行きました。雪が降ったのは偶然ですが、昼前には止んでしまうという事と、元々久留里線の走る房総半島は雪が少ない地域でもあるので、きっと着く頃には跡形も無く消えている事でしょう。それでも、自宅から久留里線の起点である木更津駅までは、雪の為による列車の遅れからスムーズに行く事が出来ず、なんとか10:00前に木更津駅に到着する事が出来ました。自宅からは約2時間半の行程で(スムーズならば2時間ぐらいで着けます)、久留里線の朝ラッシュ時の時間帯には間に合わなかったわけですが(やはり路線を知るには、利用している人が多い時間を狙った方がよく分かるのです…)、この日を逃すわけにはいかなかったので、これから久留里線散歩を始めたいと思います。
久留里線は全線非電化で、いわゆるディーゼルカーと呼ばれる車両がここでは活躍しているわけですが、そんな特殊な事情から、ここには全国的にも珍しい車両ばかりが集められています。現在、久留里線で走っている車両は全部で3形式、キハ30形、キハ37形、キハ38形です。いずれも、20~40年くらい前は、大都市の非電化区間の通勤型車両として活躍していた車両ですが、路線の電化や、車両そのものが古い事もあって急激に淘汰されてしまい、気付くとここ久留里線に、全てが集結した感じになってしまいました。つまり、全国のJR路線でこれらの車両というのはここ久留里線にしか走っていなく、全てが孤高の存在となっているのです。言わば本当の意味での希少車両と言えるでしょう。しかもローカル線である為、車両の絶対数がそもそも少なく(日中は2両編成とかで走っているので…)、キハ30形が3両、キハ37形が3両、キハ38形が7両と、合計でも13両となっております。このうち、キハ30形(上写真参照)は特に古く、製造されたのも1963年~1966年頃なので、車齢からすると奇跡の現役車両と言えるかもしれません。
このキハ30形は、キハ35形という車両の両運転台付きバージョンとなっているわけですが(要するに、1両での営業運転も可能)、それがこの路線の事情によく合っているのでしょう。久留里線の他の2形式は、片方にしか運転台がないので、基本的に2両1組で運用されているのですが、時に3両、4両運転ともなる久留里線では、キハ30形のような、1両単位で独立できる車両が重宝されるのかもしれません。
この車両は、20年前くらいまでは、首都圏でも郊外に行けばよく出会える車両でした。具体的には、相模線、八高線、川越線等…です。もちろん、現在はこれらの路線は電化されており、通勤型のディーゼルカーはどんどん活躍の場が狭くなってきているわけですが、久留里線という路線があって、今まで生き永らえてきた…という見方も出来るでしょう。また、キハ30形は、首都圏内では珍しい非冷房車両でもあり、この時期では体感は出来ませんが、夏は、窓を開けながら自然の風を楽しむ事の出来る、今どき珍しい車両でもあります。そんな列車旅も良いのかもしれませんね。
せっかくなので、ここで久留里線を走る他の形式も紹介しておきましょう。まずは、こちらも3両のみの存在であるキハ37形です。元々累計5両しか製造されなかった車両でもあるので、当初から希少価値の高い車両ではありましたが、現在では更にその価値は高まっているかもしれません。しかし、車体にあまり特徴が少なく、活躍場所の狭さからも注目度は低く、地味な感じは否めないところでもあります…。久留里線では唯一の2扉車両でもあり(その分、他の車両よりも暖房の効きが良かったような感じがしたのですが…?)、ここでも異色の車両のような存在です。…ですが、今後は更に貴重になっていくに違いありません。
そして、久留里線の中でも絶対数が多い(…とは言え、計7両)のが、このキハ38形です。製造されたのは1986年~1987年なので比較的新しいですが、もう20年以上は経っている計算になりますね。元々は八高線に導入されましたが、1996年の一部電化により、ここ久留里線に移動してきました。当時はコストを下げて車両を造る傾向があった為、キハ35形の近代化改造車みたいな感じで造られたようですが、バス流用部分も多く、特に冷房装置(暖房装置もだと思います)は容量不足な感じが否めなかった記憶があります。とりあえず、久留里線の中では絶対数が多いので、一番見る機会が多い形式であると言えますね。
さて、まず木更津駅から乗ったのは、貴重なキハ30形でした。久留里線を走る車両は、全てがこの路線専用の塗装を纏っているのですが、キハ30形は最近の人気にあやかって、塗装を旧国鉄色に塗り替えられ、異彩を放っています。最近の車両の塗装は寒色系が多かったり、また、そもそもステンレス車両が多いので、塗装なんかは塗られない場合が多いのですが、旧国鉄の塗装というのは暖色系だったので、何だか車両独特の暖かみを感じたりもしてしまいます。列車は10:06に出発をしました。
走り始めると、車掌さんが検札にやってきました。この久留里線内では、殆どが駅員のいない無人駅となっているので、ここで切符をチェックしているのでしょう。また、首都圏内にありながら、当分 Suica 等を使えない路線にもなっているので、それらの確認も併せて行われているようです。久留里線は、起点の木更津駅ではJR内房線と連絡していますが、後は連絡するような駅はなく、終点の上総亀山駅まで、1本の盲腸線となっております。その意味でも、木更津駅発車後の切符確認は意味がありそうですね。
さて、木更津駅から3つ目の、東清川という駅で降りてみました。特に何の当てもなく降りたのですが、この鉄道さんぽでは、それぞれの駅間を歩いてみるという試みも、積極的に取り入れていきたい予定だったのです。…とは言え、この日は猛烈に寒かったのですが、一度決めた事を辞めるわけにもいきません…。もう、根性で歩く事に致しましょう。
東清川駅はもちろん無人駅で、特に車掌さんも切符のチェック等はしませんでした。先程の検札で確認済み…という事なのかもしれませんが、確かに、午前中の下り列車という事もあって、1列車にお客さんは10人くらいしか乗ってなかったので、全ての乗客を覚えられるくらいなのかもしれませんね。ここから、隣の横田駅まで歩いて行きました。
道順は、基本的に線路に沿って道路があったので、迷う事はまずありませんでしたが、意外に車通りは多く、しかも大型トラックの姿も結構目立ちます。それでいて、全部に歩道があるわけではなかったので、何だか危なっかしくてしょうがなかったです…。そもそも、この辺りを歩く人なんていないのかもしれませんね。大型トラックは何度も擦れ違ったものの、横田の集落に入るまで、擦れ違った人は皆無でした。
そして、途中で上り列車の撮影等もした為、普通に歩くよりは時間が掛かりましたが、およそ1時間10分くらいで横田駅に到着しました。こちらは、規模は小さいながらも町がある地域なので、先程の東清川駅程の荒涼感はありません。むしろ駅員もいる駅で、久留里線の中では比較的に大きい駅とも言えるでしょう。
ここで、次の下り列車を待ちます。久留里線は、日中は概ね1~2時間に1本の運転なので、先程東清川駅で列車を見送って以来、まだ次の列車が来ていないのです。一応、横田駅は駅舎があって、建物の中で列車を待つ事が出来るのですが、そこには特にドア的なものがあるわけではなかったので、室内ですら相当寒かったです…。ここで待つ事約15分…。自分以外には1人の学生っぽい乗客を乗せ、更に列車は奥へと進み始めました。
今度は、横田駅から4つ目の、小櫃(おびつ)という駅で降ります。もちろん、ここでも特に当てがあったわけではありません(笑)。ただ、久留里線の車窓風景というのは、大きく3つに分けられると思うのですが、最初は平野部を走り、次第に起伏が激しくなって山が近くに迫ってきます。…そして最後は山間地に入っていくのですが、この小櫃駅付近は、途中の起伏が激しくなってきそうな地域…とでも言いましょうか。
実はこの辺りは、お墓参りに行く時に、生まれてからこの方、車で何度も通ってきている場所なのですが、当たり前の事ながら、周辺を歩いた事はまずありませんでした。…なので、何となく不思議な感覚です。道自体はよく知っているのですが、歩くとまた違った風景に感じてしまうわけです。やはり、ゆっくりと周りの風景を見ながら進んでいかないと、本当に“通った”とは言えないのかもしれませんね。なかなか新鮮な時間だったように思います。
そして、隣の俵田駅まで歩いて、ここからまた下り列車に1駅区間だけ乗り、久留里線の中枢駅とも言える久留里駅に到着です。ここも小さいながら“街”という感じで、ここを終点とする列車も何本か設定されています。つまりは、ここからいよいよ山間部に突入していくわけですが、自分が今乗ってきた列車も久留里駅止まりで、次は約1時間後に発車との事でした。…という事ならば、また1駅自分は先に歩いてしまいましょう(笑)。確か車で通った時の記憶では、この先は道も険しくなってきたような気がしていたのですが、1時間駅周辺で待っているのも勿体無いです。やはり鉄道“さんぽ”なのですから、歩かないと…ですよね!?
しかし、この行程がまた、今までの2区間とは全然違っていました。傾斜を避けて通っているのか、線路と道路は大きく離れまして、そして道路の起伏の激しい事激しい事…(笑)。一応、ちゃんとした国道なので、歩きにくい道ではありませんでしたが、坂やカーブが突如多くなってきた感じはありました。小櫃川も蛇行し始め、緩やかな山ですが、ギリギリまで道路側に迫ってきている雰囲気もあります。
久留里駅の次の駅の平山駅までは、路線上では約3kmという距離のようでしたが、行程的にはもっとあったような印象がありましたね。山間部に入っていく感じが急に出てきたからだとも思いますが、予想以上に体力を消耗してしまいました。次の列車まで1時間弱…という時間制限もありましたし(それを逃すと、次の列車は更に約1時間半後…)、途中、駆け足になる区間もあったくらいです(しかも上り坂とかで…笑)。久留里駅を出てから、離れていった線路が再度見えてきた時にはホッとしたものですが、よりローカルらしい景色にも出会えた事ですし、今回は良しとしましょう…。そんな平山駅には、自分以外の乗降客はまるでいませんでした。
そして、このまま上総亀山駅まであと2駅、そのまま乗り通します。恐らく、この辺りの景色が一番変化に富んでいて面白いとも思うのですが、久留里駅止まりの列車がある為に、この区間は列車本数もぐっと減り、日中は2時間に1本くらいの運転になってしまっています。なので、気軽に途中下車するわけにもいかないというのが正直なところで、今回は終点まで行く事にしました。1駅区間も、今までより長くなってきた感もあり、いよいよ、川も山も間近に迫ってきています。そこを久留里線はギリギリで避けて?走っていくのですが、そのまま久留里線では数少ないトンネルを2つ抜けると、終点の上総亀山駅になります。ここは、自分が車で墓参りに行くルートからは外れた場所となるので、あまり馴染みの無い所ではありますが、一応今回で2回目の訪問となりました。
前に来たのは、もう10年以上も前で、季節は夏だったように記憶していますが、暑さと寒さの違いと言えど、殆ど前と雰囲気は変わってないように思えました。町の規模からすると、ここに鉄道の終着駅があるのは不思議な感じがするのですが、当初は(戦前ですね)この先も延ばす予定があったの事です。今は、そんな雰囲気は見る影もありませんが、本当に喉かな風景のように思いました。
ここで列車は折り返しの為、しばらく上総亀山駅に停車しているわけですが、その発車まで、あと約1時間20分もあります!…さすがにのんびり…という感じですが、そんなのんびり的な風景には、旧国鉄塗装の車両がよく似合うような感じもしました。ただ、さすがに自分には時間が無かったので、駅前にあったタクシー屋でタクシーを拾い、若干運転本数が多くなる久留里駅まで乗っていく事にしました。時間的には15分で、3000円くらいでしたが、途中には今まで歩いてきた道も通って行ったので、今回の散歩を少し振り返る時間にもなり、良かったと思います。…最後には、上総亀山駅に佇む、旧国鉄塗装のキハ30形の写真をお楽しみ下さい♪
こんな感じで、久留里線の“さんぽ”は終わりました。大急ぎで紹介してきましたが、沿線や車両の雰囲気など、大まかな感じで掴めて頂けたのではないかと思います…。今後もこのように、自分の気になる?路線等を取り上げていきたいと思っていますので(なるべく、山手線や中央線等のメジャーな路線は避けたいのですが…笑)、どうぞ楽しみにしていて下さい♪
…ところで、この企画をやり遂げた次の日、早速自分は足が筋肉痛になってしまいました…。行程は、道をほぼ歩いていただけにも関わらず…です。これは長期連載に繋げる為にも、まずは自分の体力を付けておかなければならなさそうですね(笑)!
☆久留里線の参考HP…www.kururisen.com/