- 2024/11/23 [PR]
- 2012/12/26 鉄道さんぽ 18.(京浜急行電鉄、空港線編)
- 2012/10/17 鉄道さんぽ 17.(JR東日本、高崎線編)
- 2012/08/29 鉄道さんぽ 16.(京王電鉄、相模原線編)
- 2012/06/28 鉄道さんぽ 15.(JR九州、三角線編)
- 2012/04/23 鉄道さんぽ 14.(筑豊電気鉄道線編)
- 2012/02/29 鉄道さんぽ 13.(JR東海、御殿場線編)
- 2011/12/18 鉄道さんぽ 12.(JR東日本、吾妻線編)
- 2011/10/14 鉄道さんぽ 11.(東京急行電鉄、東横線編)
- 2011/08/23 鉄道さんぽ 10.(JR東日本、外房線編)
- 2011/06/29 鉄道さんぽ 9.(箱根登山鉄道、鉄道線編)
空港線は、本線の京急蒲田駅から分かれますが、最近までこの京急蒲田駅が手狭で、ダイヤ上のネックとなっていました。当初の京急蒲田駅での空港線への線路は1線のみで、これで上下線共用となっていました。本線と線路は繋がっていましたが平面分岐で、例えば、空港線から本線の品川方面に進むには、横浜方面の線路を跨いでから進まなければならない状態でした。そして1線のみの京急蒲田駅から空港線に入っても単線区間は続き、急カーブと国道15号線の踏切を超えて、やっと複線区間に入るのです。
それなのに、日中は1時間に上下合わせて18本の列車を運転させ、それら空港線系統の列車は全て、品川方面にも横浜方面にも直通列車を設定していたのですから、正に神業的?なダイヤだったと思われますが(笑)、流石に本線も含めて2000年から全面的に高架化が進められ、最近の出来事とも言える2012年10月21日にそれが完成…。京急蒲田駅は3階建て構造になり、1階に改札、2階に本線上り線、3階に本線下り線と、完全に本線側では上下線が分離されたのでした。勿論、国道15号線との交差も、完全に立体交差となり、開かずの踏切と言われていたこの区間の渋滞も解消されたのです。
とにかく、ダイヤ上のネックは瞬く間に改善され、この高架化の完成で京浜急行はダイヤ改正を実施、日中は品川方面も横浜方面も10分間隔で直通列車が運転される(要は1時間に、上下合わせて24本の運転)、より便利なダイヤになりました。品川方面に向かう列車は快特ばかりとなり、所要時間も、急行列車時代より大幅に短縮される事になったのです(品川駅~羽田空港国内線ターミナル駅…22分→15分)。
個人的に、現在の自宅に引っ越してからは、羽田空港へは東京モノレールを利用した方が早いので、暫くはこちらばかり使用していましたが、より便利になった空港線を、今一度見ておきたい気持ちはありました。昔から軽快なダイヤを組む京浜急行としては、更に更にダイヤ改正が行われていくのでしょうが、常に運転系統が複雑に絡む現在の空港線を今回は“さんぽ”してみたいと思います!…短い路線ですが(笑)、どうぞ!
●日時…2012年12月24日 ●距離…6,5km ●駅数…7駅
まずは、現在の京急蒲田駅の様子を見てみましょう。普段は通過する事が多く、あまりの変貌振りに驚いてしまいましたが、とにかく、品川方面からやってくると、列車は3階部分に到着をします。羽田空港行きでしたら1番線、横浜方面でしたら3番線に着く事でしょう。では2番線はどこに…と思いますが、これは3番線の横浜寄りに用意されていまして、構造的に切り欠き式ホームとなっていて、本線の普通はここで優等列車を待避出来るようになっているのです。
これが本線下り線のホームで、本線上り線のホームはこの下、2階部分に位置し、横浜方面からの列車が6番線、羽田空港から品川方面に向かう列車が4番線に到着し、やはり間の5番線は優等列車待避用のホームとなっています(右上写真参照)。つまり、かなり長い構内を有しているわけで、ホームそのものは、3、6番線が12両対応、2、5番線が6両対応で、それらは繋がっていますから、実に18両分ぐらいの長さはある事になるのです。
本線系統でのホーム使用状況は割りとシンプルなのですが、今度は少し複雑な、空港線系統のホーム使用状況を見てみましょう。空港方面へのホーム割り当てを見てみると、3階部分の1番線と、2階部分の4番線から…というように案内されています。これはどういう事かというと、品川方面からも、横浜方面からも直通列車が設定されているからです。つまり品川方面からの列車は、本線下りホーム用の3階部分に到着するわけですが、横浜方面から空港に向かう列車は、本線上りホーム用の2階部分に到着するので、ここでスイッチバックして、空港に向かう構造になっているのです。ちなみに、この時に使う線路は、空港から品川方面に向かう線路と共用しているので、ある意味で単線構造とでも言いましょうか…。
空港線からの列車も似たような感じです。品川方面に向かう列車は、2階部分の4番線に到着をする(この時、先程の横浜方面から空港線に乗り入れる列車と、同じ線路、ホームを使用する事に注目!)のですが、横浜方面に向かう列車は、3階部分の1番線に到着をするのです。この時やはり、品川方面から空港線にの入りれる列車と、線路、ホームは共有せざるを得ません。
段々ややこしくなってきましたが(笑)、京急蒲田駅自体がY字のような構造となっていて、空港線と横浜方面を結ぶ列車はスイッチバックを行う…というのがポイントだと思います。都内ではなかなかスイッチバック自体を見なくなってしまいましたが、ここでは1時間に上下合わせて12本が設定されており、そして京浜急行のそれは相当迅速に行われます。停車時間も1分あるかないか…ぐらいでしょうか。単線平面時代と比べて、だいぶダイヤの制約は無くなったように思うのですが、それでも線路の許容量を限界まで使うのが京浜急行流(笑)。最新式になった現代でも、その精神は受け継がれているように思える駅でした。
…では、今度は外から当駅を眺めてみましょう…。高架化が完成したと言っても、まだ2ヶ月程しか経っていなく、駅の方はまだまだこれから整備を進めていく感じでした。まだ地平時代のホームが残っていましたし、完成していないエスカレーターとかも幾つかあった気がしました。全面完成すると、また違った雰囲気になるのでしょうか。楽しみです。
地域的には、やはり国道15号線との立体交差が大きいでしょう。ここでの渋滞は本当に慢性化していましたし、元旦に行われる箱根駅伝の通り道ともなっていた為、ダイヤ的にも制約の大きい状況ではあったのです。写真を見ると、上下2層構造となっているのがよく分かりますが、空港線のこの区間では、どちらが上り線、下り線…という感じではなく、それぞれが共用する単線並列式となっているのは、先程説明した通りです。
ではこのまま、隣りの糀谷駅まで歩いてみましょう…。高架化された下には、最近まで使われていた線路がまだ残っており、ここには確かに鉄道が通っていたのだと窺わせてくれます。昔は京急蒲田駅を出ると、単線で急カーブで国道15号線の踏切を渡り、直線区間になって、やっと複線区間に入ったもので、そして空港方面行きの列車に乗ると、よくこの辺りで、空港からの上り方面の列車が信号待ちをしていたものでした。当時は(今でもですが)相当ゆっくり走行していた区間でもあり、何だか印象に残っていた場所でもあったのです。昔では考えられない構造になってしまいましたしね…。
この京急蒲田駅~糀谷駅には、大事な見所があります。それが、両駅の真ん中辺りに設置されたシーサスクロシングで、ここで初めて空港線は、単線並列区間から複線区間へと移り変わるのです。糀谷駅から京急蒲田駅側を臨むとよく分かりますが、上下2層構造から、同じ高さに線路が揃ってきた時に、そのポイントが設置されているのが見えると思います。
京急蒲田駅寄りでは、どちらの線路も上下線が行き交いますが、このシーサスクロッシングを超えて糀谷駅側は、ちゃんと上下線が分離された、通常の運転形態となるわけです。つまりは、現在のダイヤ上の唯一のネックでもあるでしょうね。京急蒲田駅側で線上下線の線路を共用している為に、どれかの列車が遅れると、その線路を塞ぐ状態にあるので、逆方面の列車にまでそれは波及してしまうのです。
“さんぽ”中にもそれは起こりました。本線系統の列車が遅れた為に、品川方面からやってきた、京急蒲田駅1番線を発車した列車が5分遅れ、そのすぐ後に同じ場所を走行する、空港方面から横浜方面に向かう列車(やはり京急蒲田駅では1番線を使用)が、糀谷駅の先で時間調整を行わなければいけない状況になっていたのです。そうなると、空港線からの後続の品川方面に行く列車も遅れ、この列車は京急蒲田駅では、2階部分の4番線を使用しますから、今度は横浜方面から空港線に向かう列車(同じく4番線を使用)に影響し、、、。…と、なかなか遅れを取り戻すのが大変です(笑)。それでも、迅速対応の京浜急行ですから、いつの間にかダイヤは正常に戻っているのですが、とにかく、ドラマチックな運行が今日も続けれている…と思って頂けると幸いです(笑)。
…さて、陽も暮れてきましたし、先に進みましょう。もう、空港線の話題の7割方は過ぎてしまいましたし(笑)、後は空港に向かうのみです。次の大鳥居駅は1997年に地下化され、糀谷駅から乗ると、高架から一気に地下へ、そして更に次の穴守稲荷駅で地上に出るので、なかなか変化があって面白いです。
結果的に現在、空港線で地平駅なのは、この穴守稲荷駅となりましたが、他の駅と見比べてみても、この駅だけは素朴感が保たれて良いですね。そもそも空港線は歴史ある路線で、その開業は1902年の事です。まさかこのような変貌を遂げるとは、当時としては想像もつかなかった事かもしれませんね。ちなみに開業時は、空港島での潮干狩りや海水浴、当時島内にあった穴守稲荷神社の参詣、観光的な要素が強い路線でもあったそうです。
穴守稲荷駅を発車すると、すぐに地下区間へと入り、東京モノレールとの接続駅、天空橋駅へと到着します。もうここは空港敷地内であり、京急蒲田駅周辺の高架化が完成するまでは、ここでやっと、空港線という名前の路線らしくなってきた!…という感じがありましたが(それまでの道のりが、下町っぽい雰囲気の所を走るので)、今では京急蒲田駅自体がだいぶ近代化されてしまったので、当時程の感想は抱かないかもしれません(笑)。ここからはずっと地下区間になります。
そして、2010年10月21日に開業した、羽田空港国際線ターミナル駅へ…。駅メロディとして、SMAPの“世界に1つだけの花”が採用されていたり(そういえば京急蒲田駅では、ラッツ&スターの“夢で逢えたら”が使われていました…大田区出身メンバーが多い為だとか…)、ホームドアが設置されていたりと、正に現代の駅!…という感じがあります。東京モノレールにも駅はあって、あちらは地上に設置され、改札を出るとすぐにチェックイン・カウンターがあるので、利便性では向こうが1枚上手かもしれません。ちなみに、ここから次の羽田空港国内線ターミナル駅までは通常130円掛かりますが、羽田空港に於いて国内線⇔国際線を乗り継ぐという理由でこの区間を利用する場合、無料で乗車出来ます(パスポートと航空券の提示が必要で、乗継乗車票を発行して貰い…と、結構面倒…笑)。
…そんなこんなで、終点の羽田空港国内線ターミナル駅に到着です。ちょうど、羽田空港の第1ターミナルと第2ターミナルを結ぶような形でホームは置かれており、故に利用航空会社によって、それぞれの出口が異なるので、これは要確認という感じですね。一応、色別になっているので、JALかANAか…というのは分かりやすいですが…(上写真参照)。
ここから出る列車の行先は本当にバラエティに富んでいて、昨今は横浜方面行きの列車が大増発されましたが、品川方面に向かう列車も多種多様です。品川駅行きは勿論、都営浅草線を介して押上駅(近年、東京スカイツリーが出来たので、俄かに宣伝に力を入れてます)行き、京成線に入って青砥駅、京成高砂駅行き、そのまま北総開発鉄道に入って、千葉入ータウン中央駅行きや、印旛日本医大駅行き…。そして、更に奥まで行って、成田空港駅行きまであるのです…。現在、羽田空港国内線ターミナル駅~成田空港駅の所要時間は、最速で93分となっており、日中は40分毎の運転と、意外に使えるようになってきた感じもしています。成田空港方面の路線については、またこのブログで取り上げてみたいものですね。
使用される列車も多種多様…。京浜急行電鉄自社の車両だけでも結構な種類があるのですが、それに都営浅草線、京成線、北総開発鉄道、千葉ニュータウン鉄道の車両が加わり、特に品川方面行きの列車では、自社の車両になる事の方が稀な状況です(笑)。それも、乗り入れがバラエティに富んでいる京浜急行ならではの特徴なのかもしれません。
せっかく羽田空港まで来たので、展望デッキにでも上がってみる事にしましょう。今回で、2012年最後の“鉄道さんぽ”となりましたが、今年はツアー三昧の年でもありました。その時に使っていた空港というのは、紛れも無く羽田空港が多かったわけで、その締め?として、またこの空港に来れたというのは、何だか気持ち的にも良かった気がします。
…という事で、ますます気軽になる飛行機移動と、それをアクセスする鉄道の発展をお祈りする形で、“鉄道さんぽ”を締め括りたいと思います。どうもありがとうございました!
☆京浜急行電鉄のHP…http://www.keikyu.co.jp/index.html
現在、上野駅(東京駅)~大宮駅間は東北本線に編入されているので、大宮から分かれているように見える高崎線の方が支線扱いのように思えますが、歴史的には高崎線の方が兄貴分だったと言えます。勿論、単に大宮~高崎を結ぶ為の路線ではなく、その先の長野方面(信越本線)、新潟方面(上越線)へ経由させる路線でもあるので、その重要性は昔から高かった路線でした。当然、特急等の優等列車も沢山走っていましたが、現在では上越新幹線や長野新幹線の開業で、在来線の特急列車の運行は数える程となってしまいました。しかし、その中でも貴重な寝台列車である特急『あけぼの』号が走っている事は、特筆出来ると言って良いでしょう。この列車は、まずは新潟方面へ向かい、その後、日本海側を通って酒田駅、秋田駅、青森駅に向かう列車で、今でも高崎線が長距離列車の経由路線として、重要な役割を担っているという事を表しているというものです。
…とは言え、『あけぼの』号は夜行列車の為、東京ではなかなか良い時間にその姿を捉える事は出来ません。しかし高崎線を取り上げるには、やはりこの列車の登場は不可欠…という事で、今回は上り『あけぼの』号が朝6:29に大宮駅に到着するのを見届けてから、高崎線の“さんぽ”を始めたいと思います。つまりは、かなりの早起きで挑んだ“さんぽ”でもあり(笑)、いつも以上に気合の入った1日でもありました。どうぞお楽しみ下さいませ♪
●日時…2012年10月日 ●路線距離…74,7km ●駅数…19駅
まずは、高崎線の起点駅である大宮駅へ、『あけぼの』号を見届ける為に向かいます…。大宮駅は今や埼玉県を代表する駅であり、それこそ色々な路線が乗り入れていますが、民鉄線以外は全て、JR東北本線に関係した路線と言っても良いでしょう。それだけ、大宮から東京方面に向かう利用者が多いという事ですが、前述のように、そもそもこの路線も、高崎線の前身として開業された路線と思うと、日本の重要路線の1つとして数えられるのも当然と言えましょう。その証拠?として、現在でも高崎線から大宮駅に向かう列車は、その殆どが大宮駅を通り越して上野駅や、湘南新宿ラインを通って新宿駅方面へと乗り入れています。
そもそも、大宮駅自体が鉄道交通網の要所となっています。また、近くの東北本線沿いに大宮総合車両センターも存在するので、大宮駅は連日のように、臨時列車や団体専用列車の入出場駅ともなっており、結果的に、鉄道ファンがよく足を運ぶ駅ともなっています(笑)。東北本線が分岐する駅としてこの地が選ばれた事から、ここ大宮は発展の歩みを進める事になったわけで、前述の大宮総合車両センターや、JR貨物大宮車両所も存在する等、駅周辺は正に“鉄道の町”として発展したのです…。東京圏から北側に位置する地方に行くには、必ずと言って良いほど通る大宮駅。駅構内には全国初の大規模駅ナカ商業施設“エキュート大宮”もオープンしており、今後も多大な発展が見込まれそうです。より便利な駅として見届けていきたいものですね。
大宮駅から北側を望むと、一番東側に東武野田線があり、そしてその左側に、東北本線に挟まれる形で、高崎線の線路が伸びていくのが分かります。東北本線の下り線が、高崎線の上下線を乗り越える形となっていて、分かれた後は東北本線が右に逸れていく事からも、後から建設されたのが東北本線なのだと窺えるというものです。
上り線を見てみると、東北本線と高崎線は大宮駅では別のホームに到着するものの、ここから上野駅までは同じ線路を共用している為に、輸送上、朝ラッシュ時の列車本数には限界があるのが事実です。その為、池袋、新宿方面への路線として湘南新宿ラインを開通させた経緯もありますが、故に、高崎線の最混雑区間も大宮駅~宮原駅(大宮駅の次の駅)間となっていて、その混雑度は191%とか…。これは、首都圏の在来線の中でも結構な高い数値で、そして東京から結構離れたこの土地でこの数字というのは、高崎線の利用者数の多さのわりに、列車本数が足りていない事も一因となっていそうです。…とは言え、恐らくこれ以上は増発出来そうにないので、こちらの問題も今後は重要となってくるでしょうね。朝ラッシュ時は、ほぼ全ての列車が15両編成となっているのですが、朝7時台の列車本数が12本という状況を考えると、少し納得かもしれません(環境は違えど、例えば中央快速線は全て10両編成ですが、1時間に30本近くは運転しています)。
大宮駅から1駅目の宮原駅までは、いきなり4km程の距離があるので、少し寄り道をして、暫く高崎線と並行して走っている埼玉新都市交通を使って、鉄道博物館駅まで行って、降りて高崎線を眺めてみましょう。大宮は“鉄道の町”と言いましたが、そんな町に鉄道博物館が出来たというのも、もはや運命だったのかもしれませんね。
鉄道博物館付近では、大宮駅地下ホームからのJR川越線の線路が地上に出てきて、こちらも暫く高崎線と並行して進んでいきます。一応、お互いの線路は繋がってはいますが、ここでの直通運転は存在しません。かつて川越線が、埼京線開通前に、大宮駅で地平ホームを使用していた時代の名残なのだとか…。やがて、埼玉新都市交通や新幹線の高架下を潜ると、その川越線とも別れ、やっと高崎線単独になって宮原駅へと進んでいきます。ちなみに、宮原駅手前に存在する右カーブ付近は、鉄道撮影地としても名高いポイントであり、今回、自分も撮らせて頂きました(下写真参照)。如何でしょうか(笑)。
左上写真は、185系を使った特急『あかぎ』号。右上写真は、かつての高崎線の主力車両である211系です。どちらも国鉄時代に登場した車両で、211系に至っては来年の春までには高崎線から引退するとの発表がありました。そんな211系を高崎線から追い出すのが、今年の9月からこの路線に走り始めたE233系(左下写真参照)で、こちらの車両の装備によって、また高崎線に新たな時代がやってきそうですね。
また、現在東北本線の上野駅~東京駅間で工事が進められており、現在の山手線や京浜東北線の線路に加え、東北本線用の線路も建設されています。これが完成すると、JR東海道本線の東京駅と東北本線が繋がる事になり、これは高崎線や、恐らくJR常磐線とも繋がる事を意味しているので、大規模なダイヤ改正が行われそうです。現在でこそ、東海道本線とは湘南新宿ラインを介して直通運転が行われておりますが、こちらは“湘南東京ライン”とでも言いましょうか…。新たな都心貫通ルートが出来る事になり、列車の動きにも変化が出てきそうです。2014年度の完成を目指しているので、意外にあとすぐ…という感じでもあるのです…。楽しみに待つ事に致しましょう。
…さて、歩いて宮原駅にやってきました。この駅の上りホームの北側からの眺めも、実は有名な撮影ポイントともなっていて、こちらでも自分は撮ってみました(右上写真、下写真参照)。ところで、鉄道撮影ポイントとして紹介されるには理由が勿論あります。やはり、良い鉄道写真を撮れる条件として、被写体となる列車とカメラの間には、何も障害物が無いのが大事で、そして出来れば、列車がカーブに掛かっている方が格好良く写ります。当然、最低でも正面は順光でなければなりません。前述のポイントも併せて参考にして頂ければ分かりますが、確かにカーブが掛かっていますし、確かに直線上で見る列車より、写真写りが良いかもしれませんね(笑)。高崎線は15両編成の列車(左下写真参照)も多く、この長編成を障害物無しで撮れるポイントというのも、実はなかなか無かったりするのです。しかも、ここは駅のホームから撮れるのですから、これ程気軽な場所はありません。短い10両編成(右下写真参照)も文句無い写り様ですので、撮影の練習にも持って来いですね(笑)。…ちょっと話しが脱線しましたが、たまにはこういう話しも良いでしょう(笑)。
ではここから、本格的に高崎線に乗っていきます。朝方の時間に大宮駅から宮原駅に移動してきて、ちょうど朝ラッシュ時も過ぎた頃の時間帯となり、特に下り列車は、殆どが空いた状態で走っています。宮原駅は各停しか停まらなく、北上尾駅、鴻巣駅と途中下車しまして、更に鴻巣駅では、湘南新宿ラインの列車が増発してからは貴重な存在となった快速『アーバン』号に乗り換え、熊谷駅まで行ってみましょう。鴻巣駅より先は田園風景も目立ち始め、いよいよ旅情が感じられてくる区間でもありますね。
ここで、高崎線を走る普通列車の車両を紹介しましょう。まずは、高崎線の主力…と言うか、今やJR東日本の関東圏の主力車両と言っても良いE231系です。その使用線区はJR山手線を初め、JR総武緩行線、JR常磐線、JR東海道本線と非常に多く、特に湘南新宿ラインの普通列車は、全てこの車両が使用されています。登場当初は、近郊型ながら4扉車両というのが波紋を呼び、通勤型とほぼ変わらなく、旅情が無くなったとの批評も受けていましたが、この車両のお陰で混雑度はだいぶ緩和されたとも言えるのです。4扉車ながら、セミクロスシート車両も連結されているのが特徴で、高崎線、東北本線で使われている小山車両センターの車両は、基本編成の10両編成が1、2号車、付属の5両編成を繋げた15両編成では、更に14、15号車がセミクロスシート車となります。
ちなみに、高崎線に乗り入れてくる湘南新宿ラインの車両は、東海道本線に属する国府津車両センターの車両が基本的に使われています。時期的に、こちらの方が後に装備されたので、若干の仕様の違いはありますが、一番の違いは、9、10号車もセミクロスシート車になっているという事でしょう。同じE231系ながら、こうした違いを辿ってみる事も面白いものです。
そして、来年の春には引退が迫っている211系です(写真左上の右側の車両)。国鉄末期に登場し、JRになってからも装備された車両ではありますが、既に初期の車両は登場から25年以上も経過しているので、置き換えも無理はないのかもしれません。同じ時期に東海道本線向けに配備された211系は、既に今年の4月で運用を終了しており、ついに高崎線でも…という形になるわけです。やはりセミクロスシート車とロングシート車に分かれますが、211系の場合は編成毎にその仕様が異なるものとなっています。そして、セミクロスシート車は現在では付属の5両編成の方のみに存在するので、どちらかというと少数派の車両でもあります。引退後は、そのまま廃車になる車両もありますが、まだまだ活躍出来る車両でもあるので、他線区への置き換えも考えられているそうです。
さて、先へと進みましょう。熊谷駅は上越新幹線も停車する大きな駅で、一般的には日本の夏の最高気温を記録する場所としても有名かもしれません。この駅は高崎線が一番最初に開通した明治16年には既に開業していて、高崎線の中でも一番古い駅の1つでもありますね。上越新幹線の他に、秩父鉄道秩父本線とも接続しており、この路線とは、熊谷駅発車後も暫く並走する事になります。せっかくなので秩父鉄道に乗って1駅、上熊谷駅まで行ってみましょう。
上熊谷駅は熊谷駅から約1km。隣りの駅まで見えるくらいの距離ですが、当然、秩父鉄道にしか駅はなく、その規模もいきなり素朴なものとなっています。喉かな風情で、高崎線が通過していくのもまた一興…(笑)。また、上写真の秩父鉄道と高崎線の間に、1本の線路があるのが見えると思いますが、これは以前の東武熊谷線のもので、かつて妻沼まで伸びていた路線だったものの、1983年に廃止になっています。まだ線路が残っているというのも驚きですよね。
再度熊谷駅へと戻り、高崎線で1駅、今度は籠原駅と向かいます。地味な駅ですが、どこかで聞き覚えのある駅だと思うのは、高崎線(湘南新宿ライン含む)の行先で、よくこの籠原駅行きがあるからでしょう。この駅行きの列車が多いのは、この駅の高崎寄りに車両基地がある為で、また、この駅より先の高崎線の駅は15両に対応していないので(1つ先の深谷駅のみ対応)、15両編成の列車はここで付属5両を切り離す作業をするのです。特に最近では、昼間時間帯でも15両編成の列車が多くなったので、列車の切り離し、連結の作業は本当に終日見られる事になっています。この為、ホームには終日立ち番の人がいて、列車の到着、発車の案内も肉声で行われる事が結構あります。
ここで、グリーン車も紹介しておきましょう…。かつての2等車の名残であるグリーン車は、ここ高崎線では普通列車でも見られます。一時期は東海道本線や横須賀・総武快速線ぐらいしか見られなかったものですが、2004年の湘南新宿ライン増発の際(この時点で湘南新宿ラインの全列車に、グリーン車が連結)に、グリーン車 Suica システムを導入し、それ以後、高崎線、東北本線、常磐線でも日常的に、普通列車のグリーン車が連結される事になりました(高崎線は2006年に、上野発着の全列車にもグリーン車が連結されるようになりました)。連結位置は全て、4、5号車です。
扱い上は“自由席グリーン車”となっており、着席の保障はありません。この場合、例えデッキで立っていてもグリーン券が必要となるので注意が必要です(これはJR全線列車に言える事ですが…)。平日や土休日、そして事前購入か車内購入で値段が異なり、これは不正防止の意味もありますが、明らかにグレードが高いこの車両は、高い値段を払ってでも乗りたいと思わせる価値は十分にあるでしょう。
よく見るE231系のグリーン車は、2両とも2階建てとなっており、定員も一番多いタイプと言って良いでしょう。特に2階部分はその眺望性からも人気が高く、何となくこの辺りからお客が埋まっていくような気がします。ただ、個人的にお勧めしたいのは階下席で、窓はホームの地面ぐらいに位置するので、どちらかというと景色はこちらの方が新鮮なのです。また、混んでいる時は別ですが、こちらは空いている傾向があるので、常に静かな空間でもあるのです。是非とも乗り比べて頂きたいですね(笑)。
211系のグリーン車も紹介しておきましょう。211系は一部の編成を除いて、2階建てではないグリーン車両も存在しています。まだ2階建てグリーン車が登場する前の車両で、当初は東海道本線に連結されていましたが、東海道本線のグリーン車の全列車2階建て化に伴い、こちらに移されてきました。しかし、最も個人的に好きなグリーン車のタイプが、実はこれだったりします。2階建てタイプのに乗り慣れているせいか、1階建ての車両の空間の広い事広い事…。天井が普通の高さなので当然なのですが、開放感があり、ちゃんとした特急列車に乗っているような感覚があるので、一番ゆったりと出来るような気がするのです…。残念ながら、211系は来年春に引退し、流石にグリーン車は地方に転用されなさそうなので、ここで乗り納めという事になってしまいそうですが、車両としても端正で美しい感じはしますよね。211系は湘南新宿ラインに入らないので、乗るなら高崎線か東北本線です。今のうち…といったところでしょう。この他、最新のE233系のグリーン車もありますが、殆どはE231系と同じです…(笑)。
では、そろそろ先へと進みましょう!…この先は列車の本数もグッと減って、1時間に3本程度の運転となります。また、昨年から節電対策として、この先の区間は電車のドアの開け閉めが半自動(押しボタン式)になりました。
次の深谷駅は、やはりその駅舎の外観が非常に特徴的でしょう。これは、東京駅丸の内口駅舎を建築する際に、当地に存在する日本煉瓦製造の製造した煉瓦を使用した事にちなんだもので、正に、東京駅をモチーフとしたものとなっています。この駅舎になったのは1996年の事で、その後の1999年には関東の駅百選に選定されました。
更に先に進みましょう…。次の駅の岡部駅から、その次の本庄駅の間は約6kmの距離がありますが、この間には有名な撮影ポイントがあり、せっかくなので駅間を“さんぽ”してみる事にします。田園風景が広がる喉かな区間でもあり、天気は予想以上に晴れていて、このままでは日焼けをしてしまいそうな状況ではありました。
撮影ポイントは、岡部駅から本庄駅方面に25分くらい歩いたところにある、小さな川を渡る為に設けられた築堤付近です。周囲が開けつつ、線路も非常に緩やかなS字カーブを描いているので、遠くから撮っても、近くから撮っても、どちらも絵になる場所なのです。鉄道ファンの間では、通称の“オカポン”と言うだけで通じるような場所でもあり(笑)、それこそ臨時列車や珍しい車両が通る際には、川の土手には数多くの撮影者で一杯になるようです。今でこそ特急列車は減ってしまいましたが、長距離列車等が数多く走っていた時代では、数々の名演が繰り広げられていた事でしょう…。そんな時代に思いを馳せながら、本庄駅までの長い道のりを辿っていきました。
このポイントから本庄駅までは、やはり1時間くらいは歩きました。高崎線の線路も、付かず離れずな感じで並行していますが、やはりこの“オカポン”が一番撮りやすそうでしたね。有名になるのも分かる気はしました。流石に、岡部駅から通算1時間半は歩いたので疲れてしまいましたが、高崎線の“さんぽ”も、もうすぐ終わりが近付いてきます。後もうひと踏ん張り、乗っていく事にしましょう。
本庄駅の近くに、上越新幹線の本庄早稲田駅があり、ここには現在路線バスの類が走っていないので、乗り換え(まあ、乗り換える人は殆どいないでしょうが…笑)はタクシーか歩き…という感じになりますが、こちらまでの距離は約2kmなので、先程の“さんぽ”からすると、心なしか余裕だな…と思ってしまいますね(笑)。
…神保原駅を過ぎ、新町駅を過ぎると、左からJR八高線の線路が近付いてきて、向こうには北藤岡駅という駅が見えますが、高崎線側には駅はありません。そのまま線路は合流して、まるで高崎線の一部になったように路線は進んでいき、烏側を渡ると倉賀野駅です。ここが事実上、八高線との分岐駅になりますが、実際に合流するポイントからは3km以上は離れており、何だか不思議な感じはしますね。また、八高線の列車は、全て次の高崎駅まで直通しています。
…という事で、高崎駅に到着しました。堂々たる新幹線乗り入れの駅でもあり、上越新幹線と長野新幹線の分岐駅でもあります。また、その前身の在来線である、上越線と信越本線の分岐駅でもあり、群馬県の交通の要所としては、むしろ県庁の前橋より上でしょう。駅はだいぶ綺麗になっており、正に群馬県の玄関駅として機能している駅なのだなと思いました。
湘南新宿ラインの列車は、ここ高崎駅までやってきていて、中には当駅発小田原駅行き…という列車も存在します。特急以外の列車では、長距離の部類に入る列車と言っても良く、実際に乗り通すと3時間くらい掛かります。それでも、直通という恩恵はやはり大きいですよね。
これで高崎線の“さんぽ”は終了です。歴史ある路線であると共に、車両の変化や乗り入れ路線の変化、そして今後の東京駅乗り入れ等、今後も目が離せません。よく考えたら高崎線は、道路でいう中山道とほぼ並行しており、昔から重要性の高い路線ではあった事は明白でした。新幹線と共に、更なる発展を期待したいですね!…勿論、自分の家の近くである池袋駅までは、ここから1本で帰れてしまいます。この日は本当によく眠れた…と付け加えておきましょう(笑)。
実際、工事も終盤に差し掛かっていた調布駅を色々な角度から眺められたので、これは今後は貴重な記録になるかもしれません。その部分も含めつつ、相模原線の現状を追ってみたいと思います。それではどうぞ御覧下さい!
●日時…2012年8月13日 ●路線距離…22,6km ●駅数…12駅
相模原線の起点は調布駅となっていますが、ここは京王本線の中間駅ともなっていて、日中は半数以上の列車が、新宿方面からの直通列車となっています。ダイヤは20分サイクルとなっていて、内訳を見ると、都営新宿線からの急行が1本、新宿駅からの快速が1本(相模原線内は各駅停車)、調布駅始発の各停が1本…となっています。つまりは20分に1本は、調布駅始発の列車が設定されているわけですが、今までは調布駅の狭さが問題になっていました。
上の写真を見て下さい。これは調布駅から新宿側を見た所で、上り線に列車が停まっているのが分かります。これは、相模原線からやってきた調布駅止まりの上り列車で、当駅で折り返して下り橋本駅行きになるのですが、この調布駅には、折り返し線が設置されていないのです。つまりは調布駅に停車後、そのまま新宿寄りに走行していき、上り本線上で折り返しをしなければならないわけで、要するにその間には、上り線に他の列車は走行出来ません。当然、折り返し時には下り線も他の列車は走行出来ないわけで、ダイヤ上にはかなりのネックになっているのです。本線は結構な本数が走っていて、やはり20分サイクルではありますが、準特急が2本、急行が1本、快速が1本、各停が2本と、計6本も走っていて、この本数の間に折り返しをしなければならないのです。
新宿側も大変ですが、その逆側も大変です。調布駅が相模原線の起点となっているので、要するにこの駅で本線と相模原線が分岐するわけですが、これが立体で分岐するわけではなく、下り線と上り線が干渉する平面分岐となっているのです。具体的には、下り本線方面の列車と、相模原線から来た上り線の列車は同時に走行出来ないわけで、実際、調布駅に進入する相模原線が、この分岐点の手前で信号待ちをしている状況は日常茶飯事となっています。日中でそうなのですから、ラッシュ時は更に顕著となっており、そのまま他の列車にも波及し、先程の新宿側の事情とも併せて、地下化は急務でもあったのです。また、当然の事ながら沿線の踏切は、ほぼ開かずの踏切ともなっていて、列車だけではなく、沿線住民にとっても、待ちに待たれた地下化ではありました。
ちなみに、地下化された後の調布駅は、上り線(地下3階)と下り線(地下2階)と階層が分かれており、勿論それぞれが干渉する事も無く、劇的にダイヤはスムーズになる筈です(…とは言え、やはり折り返し線は設置されておらず、相模原線から来た調布駅止まりの列車は、現在はつつじヶ丘駅まで回送されて、それで折り返してきます…)。そして、それに伴うダイヤ改定も行われてますが、改正ではなく“改定”となっており、今年度中に、抜本的なダイヤ改正が行われるとの事でした。一体どんな内容になるかが楽しみですが、今回の改定では“特急”が廃止されており(一応、休止扱いですが…)、あまり後ろ向きなダイヤ改正にならない事を祈りたいものですね(笑)。
これまでの調布駅舎は仮設のものとなっていましたが、晴れて地下1階が主要の改札口になりました。そうなると、これまでの駅舎も取り壊しになるのだと思いますが、直前の記録ができて良かったです。
さて、長くなってしまいましたが、この先の“さんぽ”に向かう事にしましょう。…とは言え、相模原線の大きな話題は、この調布駅が殆どだったので、後は気軽な感じで、のんびりと行ければと思います(笑)。…では、ゆっくりと向かいましょう♪
列車は調布駅を出ると、すぐに左に急カーブをし、進路を西から南へと変えて進み始めます。そのまま、高架になって京王多摩川駅となりますが、調布駅が地下化された現在では、地下からここまで、一気に駆け上がってくる姿が見れる事でしょう。
調布駅から、この京王多摩川駅までの1区間は、京王相模原線で一番最初に開通した区間でもあり、以前“さんぽ”をした西武多摩川線〔鉄道さんぽ 2.(西武鉄道、多摩川線編)参照〕と同じく、当時、多摩川で採れた砂利を、都心に運搬する目的で造られた路線でした(当時は、このような目的の鉄道は幾つも存在していました)。これが1916年の事でしたが、この先の区間の開通は1971年まで待つ事になります。
これは言うまでもなく、多摩ニュータウン開発事業が決定した為で、その住民の足には鉄道開通が不可欠という事で、この京王と隣りの小田急が、この地域への路線免許の申請に名乗りを挙げるのです(…ちなみに、この時西武鉄道も、多摩川線を延伸させての申請を行ったらしいのですが、武蔵境駅からの中央線の負担が大きくなるだろうという事で、取り下げられてしまったそうです)。建設は1968年から始まり、1971年に京王よみうりランド駅まで、1974年に京王多摩センター駅まで開通しました。
さて、京王多摩川駅の先に進んでみましょう。駅を出るとすぐに多摩川を越え、渡り終えると今度は右にカーブをし、また進路は西にとりながら、京王稲田堤駅に到着します。ホームからはJR南武線の線路も見え、近くの稲田堤駅までは徒歩で4~5分程度です。急行が停車する駅でもあります。
この先は多摩丘陵の麓に沿って進むような感じになり、京王よみうりランド駅へ…。今でこそ珍しくはないですが、当時この駅は、漢字、ひらがな、カタカナが入り混じった駅名として有名でもありました(笑)。そして、この次の稲城駅からは、丘陵の麓…と言うよりは、丘陵地に飛び込んでいくような形で先に進んでいきます。
稲城駅を出るとすぐに、武蔵野線の高架橋を潜ります。…とは言え、この区間の武蔵野線は貨物営業のみを行っていて(通称、武蔵野南線と呼ばれています)、通常はこの路線を一般の旅客者が乗るのは不可能ですが、たまに臨時で旅客列車は設定されており、その時はこの区間から、相模原線の線路を見下ろす事が出来るでしょう。この武蔵野南線は、府中本町駅~鶴見駅(厳密には新鶴見信号所)までを結んでおり、その殆どがトンネル区間となっています。
さて、相模原線に戻り、次は広い構内を持つ若葉台駅に着きます。2面4線のホームを持ちながら、各停しか停車しない駅でもありますが、これは若葉台検車区、工場が併設されている為でもあり、朝、夕ラッシュ時を中心に、当駅では車両の入れ替えが頻繁に行われています。相模原線は、都営新宿線との直通運転を行っており、京王線の車両、都営線の車両、そしてそれぞれに8両、10両編成がある事から、運用形態が複雑となっており(それでも現在はマシになったのですが…笑)、昔はこの駅で乗り換えを余儀無くさせられたものです(要は、若葉台駅止まりの列車から、若葉台始発の別の列車に乗り継ぐ形です…現在は、多摩センター駅にて、その多くが行われています)。
若葉台駅を出ると、左から小田急多摩線が合流してきます(上写真参照…手前の線路が小田急多摩線です)。このまま京王永山駅、京王多摩センター駅(小田急は、小田急永山駅、小田急多摩センター駅)と並行して進んでいき、どちらも新宿というターミナルに繋がっている為、若干ライバル感の高い駅でもあります。
…とは言え、賑やかなのは圧倒時に京王線の方です。これは、京王相模原線が昔から新宿直通を意識したダイヤとなっていた為で、特に昔は、小田急側は、そもそもの本線の町田側からの乗客数が逼迫していた為に、多摩センター側からの直通を多く設定する事が出来ず、本線と合流する新百合ヶ丘駅止まりの列車ばかりが運行されていたからです。しかし、今では小田急の線路容量も、複々線等が完成して余裕が出来てきて、東京メトロ千代田線からの直通列車、多摩急行が設定されて新たなアクセス・ルートが出来る等、現在では京王:小田急が2:1くらいの利用者数となっているそうです。ちなみに日中の1時間あたりのダイヤ構成を比べてみると、京王が、都営新宿線直通の急行が3本、相模原線内は各停の快速が3本、調布駅止まりの各停が3本…。小田急が、千代田線直通の急行(多摩急行)が2本、ほぼ各駅停車に近い、新宿駅行きの区間準急が2本、新百合ヶ丘駅止まりの列車が4本…という感じです。基本はどちらも10分間隔で、京王は20分に1本、小田急は30分に1本に優等列車が走るイメージですね。どちらも、本線との合流駅で、更なる優等列車に乗り換える事が出来るので優劣は付け難いですが、今後の展開も見ものかもしれませんね。
…とにかく、ここは多摩センターの中枢となる駅です。2000年には多摩都市モノレールも開通し、更に交通の要衝になってきた感じはあります(若干、乗り換えは歩くのですが…笑)。また、バスの充実度も見逃せなく、ここからは羽田空港や成田空港への直通バス等も運行されており、今後もますます、多摩地区の重要な拠点として発展していきそうですね。是非とも鉄道にも頑張って貰いたいものです(笑)。
さて、この京王多摩センター駅から先は、更に開業が遅れた区間でもあります。沿線との交渉が難航した為で、当時はここから先、終点の橋本駅までは一気に開通させる筈でしたが、結局は途中の南大沢駅までが1988年に、そして、終点の橋本駅まで全通したのは1990年の事でした。途中駅の順番は、京王堀之内駅、南大沢駅、多摩境駅、そして終点の橋本駅となっていますが、この多摩境駅が開業したのは1991年と、橋本駅の開通よりも後になっています。これには理由があって、京王多摩川駅より西の区間が、ニュータウン計画に基づく新線区間であり、建設費等に補助金が出るのですが、補助金が出るのはニュータウン地域の次の駅まで…という決まりがありました。当時は南大沢駅までが多摩ニュータウン内となっていて、これで現在の多摩境駅を造ると、補助金がこの駅までしか割り当てられないのです。そこで先に終点の(つまり、南大沢駅の次の駅)橋本駅までを開通させ、後から中間に多摩境駅を造ったのですが、結果的に駅の開業の遅れにも繋がったと言え、相模原線の事情をよく表している歴史になりましたね。
さて、多摩丘陵をトンネルで一気に抜け、多摩境駅を過ぎると、終点の橋本駅はもうすぐとなります。高架の線路の左眼下には、JR横浜線、JR相模線が見えてきて、それらを越えると、そのまま高架駅の終点、橋本駅となります。
何だかまだ先に進めそうな構造となっていますが、実際にそうで、当初は京王としては、橋本駅を経て、この先の相模中野方面への申請路線免許を取得していました。延伸先の用地も、所々に確保されたいたようですが、延伸予定区間の路線免許は失効してしまい、その多くの土地は地元不動産会社に放出される事になります。その最もたるものが、橋本駅の終端のすぐ先に見えるマンション(写真右下参照)です。これでは、先に延伸しようにも、もう物理的に無理な状況となってしまっているので、延伸の話しも夢物語のような感じになってきてしまいました。
相模原線は、その開業が比較的新しく、線形も良いのでスピードが出せ、駅構造なども広めにとってあり、平たく言えば“余裕のある”路線です。営業路線としての潜在能力は高く、この先の延伸も無くは無い…と考えてしまう程なのですが、今後はどうなるのでしょうか…。ここは静かに見守っていきたいものですね。
比較的新しい話題としては、リニア中央新幹線の経由地として、この橋本駅が駅候補の1つとして調整が進められているという点でしょうか。東京と大阪を、ほぼ直線で結んだ建設ルートが予定され、その所要時間は1時間!という、何とも未来の乗り物がこの橋本駅を通るとなると、周りの交通網も変わってきそうですね。そもそもリニア中央新幹線は、すぐには東京都への乗り入れが困難という事情もあり、東京側の起点が、暫定的にこの橋本駅になる…という可能性も無くは無いのです。
そうなると、新宿駅まで1本で行ける相模原線は、より速達を重視した、日本における大動脈の一環として旅客を担う事になる可能性も大です。また、リニア中央新幹線の東京側の起点駅は品川駅になるという話しもあり(東海道新幹線が通っている事や、地下区間に余裕がある事、羽田空港へのアクセスの良さ…等がその選定の理由です)、そうなると、やはり新宿へは橋本駅から相模原線利用が便利…なのかもしれません。
こう考えてくると、調布駅の地下化による、平面分岐支障の解消というのは、これらの背景も踏まえたものなのではないか…という考えにまで発展してきてしまいそうです。まだ少し先の話しなので(…とは言え、リニア中央新幹線は、首都圏~中京圏の先行開業を2027年と設定しているので、たかが15年…という見方もあります)何とも言えないですが、その歴史の一環を見れたという点でも、今回の“鉄道さんぽ”は意味のあるものになったのではないでしょうか…。ひとまず、今後が楽しみな路線である事は間違い無いという事ですね。引き続き、情報を追っていきましょう!
☆京王電鉄のHP…http://www.keio.co.jp/
その中で自分は、熊本を走るJR三角(みすみ)線という路線を見付けました。熊本駅の少し南にある宇土駅から出ていて、路線総延長は約25kmと、そんなに長くなく、熊本でしたら、博多から九州新幹線で40~50分で着けてしまいます。勿論、まだ乗った事の無い路線でもありました。気になるのは、沿線にそんなに見所が無い…という事ですが(笑)、そこに見所さ?を見付けるのが、このシリーズの特徴でもあります。当日は朝6:00には博多を出発し、気合を入れて“さんぽ”に臨んできたものです(笑)。
●日時…2012年6月23日 ●路線距離…25,6km ●駅数…9駅
三角線の“さんぽ”は、JR鹿児島本線の宇土駅から始まります…。ここは熊本駅から南に3駅目に位置し、三角線の列車は、その全てが熊本駅まで乗り入れをしています。宇土駅の東側には九州新幹線の高架が連なっていて、近代的な場所だという事を感じさせますが、三角線は1時間に1本ぐらいの本数のローカル線です。鹿児島本線から枝分かれてしていく様も、何となく郷愁を感じさせてくれますよね。
宇土駅を出ると、南向きだった路線を西向きへと変え、宇土半島へと向かっていきます。三角線を走る車両はキハ31形(右下写真参照…車内は右上写真参照)を中心としていて、2両編成で走る時には、キハ40形を連結していたりします。国鉄末期に登場した、少々コストダウンを図った車両でもありますが、座席は新幹線0系の廃車発生品の転換クロスシートを装備してたりするので、観光的には悪くない車両でもあります。
さて、宇土駅から2駅目の住吉駅という駅で降り、その次の肥後長浜駅まで、早速歩いてみましょう。この辺りから列車は有明海の海沿いを走るようで、車窓も楽しい雰囲気の筈です。ここを歩いて攻めてみましょう(笑)。
…とは言え、写真で見ても分かるように、この時はが梅雨前線九州一体に停滞していて、天気が終日良くなかったのです。海も、真っ青な色!…とはいかずに、どちらかと言うと、空と共に真っ白…という状態でして(笑)、しかも途中からは雨が降ってきて、なかなか大変な状況ではありました。
本来ですと、海の向こうに熊本市の金峰山が見える筈なのですが、それも左下写真の通りの写り方となってしまっています(僅かに見えなくもないですが…)。それよりも、列車が海沿いを走っている…とは言え、その全てが国道を挟む環境になっていまして、車通りも結構多いので、これが写真に撮る時に障害に思えてしまう感じでした。この国道は、宇土半島を越え、天草半島にアクセス出来る道ともなっているので、どうしてもトラック等の交通量も多くなってしまうようですが、なかなか写真を撮る側としては苦労させられますね。どうも良い所の見えてこない三角線ですが(笑)、今度は天気の良い時に来たいものです…。
1時間程歩いて、肥後長浜駅に着きました。国道から少し奥に入った所にある駅ですが、この入口がなかなか分かりにくくて苦労させられたものです。どうやら三角線は、かなり地味な路線に入りそうな雰囲気ですね…(笑)。列車は更に進みますが、少し海と離れて(国道とはやはり並行)綱田駅、そしてまた海と国道と並行していく場面が続きます。
この辺りになると、車窓にもヤシの木が飛び込んできて、何となく南国気分も味わえたりしたのですが、そう思っている内に列車は国道と離れ、徐々に高度を上げてきました。暫くすると、海や国道を列車から見下ろす形になってきくるのですが、それも束の間、一気に山の方に線路を向け、そのまま赤瀬駅に到着となります。秘境のような雰囲気の駅で、周辺の集落に行くには、長くて急な坂を下りてかなければなりません。自分も下車して歩いてみましたが、雨でぬかるんでいて、いつ滑ってもおかしくないような状況で、それは冷や冷やしたものでした。…この駅を利用している人は、さぞかし大変な毎日を送っているように思えてしまいます。
これは、この先の峠をトンネルで抜ける為で、列車はここから、宇土半島の北側から南側に出るような進路をとっていくのです。そう思うと、このような場所に駅を造ったのは不思議な感じもしますが、かつて近隣の赤瀬海水浴場が賑わっていた頃には、夏季の乗降客数が多かったのだとか…。今では、年間を通じて利用者は少ないようです。
今度来た車両は、赤い塗装が目立つキハ200形。宇土線でも少々ですが運用されています。既に三角線の“さんぽ”は佳境に近付いてきました…。
さて、赤瀬駅を出てトンネルを抜けると、すぐに石内ダム駅になります。赤瀬駅からは直線で約1km程の距離ですが、歩くとなると山道を迂回していかなければならず、相当な遠回りになります。1989年に完成したので、比較的新しい部類に入りますが、三角町の住人や、三角に縁のある人から資金を調達して開業させたのだとか…。ここは既に、宇土半島の南側の生活圏に入ったようです。
このまま徐々に坂を下っていき、市街地に入ってきたような雰囲気になります。そして波多浦駅を過ぎると終点三角駅です。宇土駅からは、約40分弱の短い旅でした。熊本駅からも、1時間も掛からないぐらいです。やはり、今回の“さんぽ”にはピッタリの規模の路線でしたね。駅はリニューアルが施されてあり、道を挟んで反対側には、ピラミッド型の建物が特徴的な三角港もあります。ここからは天草へのフェリーが出ていますが、今回は見送る事にしましょう…。
さて、三角線は盲腸線なので、帰りには今来た道を引き返すしかありませんが、ここで、この日のメインの列車の登場です。基本的には週末の運転で、最近、運転が始まったものです。もう左上写真にも出てしまっていますが(笑)、それが、特急“A 列車で行こう”号…です。冗談みたいな名前ですが(笑)、本当です。あのジャズの名曲が、そのまま特急列車の列車名になってしまいました。
JR九州では、それぞれの路線(ローカル線が多い)に向けた観光特急の新設に、近年特に力を入れており、この“A 列車で行こう”号も、昨年の10月から運行を始めました。2両編成と、とても短く、車両もキハ185系という、そんなに新しくはない車両ではありますが、車内は豪華に改造されており、当然の事ながら、BGMには“Take The A Train”等のジャズが流れております(なんと、向谷実氏のアレンジだそうです)。
ちなみに、この列車名の“A” は、天草の“A”であったり、“Adult”の“A”という意味を持たせてあるそうで、南蛮文化の象徴である天草を、よりピックアップした列車であるとも言う事が出来そうですね。車内も楽しく、ステンドグラスで飾られたカウンター・バーまでが併設されており、この列車お勧めの“A ハイボール”というお酒も嗜む事が出来ます(天草の名産であるポンカンが含まれているそうです…飲みやすいです。自分も嗜みました…笑)。
列車は、基本的には熊本駅~三角駅間を2往復しており、片道の所要時間は40分と、これは本当にあっという間…という印象でした。実際、列車に乗り込んで、車内探検をし(2両編成なのですぐに見終われますが…笑)、カウンター・バーで土産物を物色し、ハイボールやつまみを購入し、席でそれらを堪能していたら、もう宇土駅くらいにはなってましたからね…。三角線、終了です(笑)。
この列車、たまに博多駅まで延長運転する時もあり、じっくりと楽しむには、この時を逃さぬべきという感じでしょうか。自分は、この手の観光列車は、何となく今まで敬遠していた感じがあったのですが、乗ってみると意外にも楽しんでしまった自分がいたものでした。天気が良くなくて、印象の薄い路線となりそうだった三角線の自分のイメージを、根本から拭ってくれたとも言え(笑)、本当にこの日は“A 列車で行こう”号さまさまでした。楽しい気分でライブの臨めたのは言うまでもありません♪
●日時…2012年4月9日 ●路線距離…16,0km ●駅数…21駅
筑豊電気鉄道線(以下、筑豊電鉄)の起点は黒崎駅前駅から始まります。“駅前駅”…となっているので何だかややこしいですが、駅名が“~駅前”なので仕方ありません(笑)。その駅とは、JR九州鹿児島本線の黒崎駅の事ですが、筑豊電鉄側は、JRの駅からはやや西側に位置する、現在リニューアル工事中のコムシティという建物の1階に位置します。ホームは西鉄バスの黒崎バスセンターと同一平面上にあり、バスの行き先によっては、本当に電車のホームのすぐそばにバスが停車し、乗り換えの利便性を図っています。八幡、小倉方面への利用者は多く、そちらはJRでも行けますので、競争は意識しているかもしれません。
前述したように、筑豊電鉄では全列車に車掌が乗務します。なので駅員がいない駅では(殆どの駅がそうで、この黒崎駅前駅も、日中は無人駅です)、列車から降りる際に、車掌に切符を渡すか清算をするのが通常の光景で、これは、見た目が路面電車的なタイプの鉄道では、全国的にも珍しいかもしれません。バスと同じように、ワンマンにしても良さそうなのですが、何か事情があるのでしょうか…。
黒崎駅前駅を出て、コムシティの建物から出たと思ったら、すぐに西黒崎駅に着きます。黒崎駅前駅からは200mしか離れていないので(左上写真参照)、何だか存在の意味が薄そうに思えるこの駅ですが、元々、ここに前述の西鉄黒崎バスセンターがあり、バスへの乗り換えはこの駅で行わせる為に設置された…という経緯があったようです。つまりは現在では、乗り換え駅としての機能は殆ど無いという事ですね。
そして、次の熊西駅へも400m程で着きます。本当に路面電車みたいな駅間隔ですが、実は黒崎駅前駅から、この熊西駅まで、元々は西日本鉄道(以下西鉄)北九州線の路線だったのです(ちなみに筑豊電鉄は、西鉄の子会社でもあります)。北九州線はこの熊西駅より先、折尾駅までを結んでいまして、つまりは筑豊電鉄は、熊西駅~黒崎方面は西鉄北九州線に乗り入れる形で黒崎駅前駅までを結んでたいたわけですが、この北九州線が2000年に廃止となり、改めて、筑豊電鉄の列車のみが走る区間となってしまったわけです…。今では、単純に1本の鉄道路線となっている筑豊電鉄ですが、かつては熊西駅は、西鉄九州線との乗り換え駅でもあったという事ですね。その名残として、ホームが通常の駅よりも少し長く設定されています(行き先の方面によって停車位置を変えていたようです)。
線路は左にカーブして、いよいよ方向を変えていきます。かつては右側に北九州線を眺めながらの分岐という感じだったのでしょうが、今ではただのカーブとなりました。次の萩原駅までの駅間は1,1kmあるので、やっと鉄道らしい風格が出てきたとでも言いましょうか…(笑)。この萩原駅は、付近は団地が林立する地区となっていますが、映画“おっぱいバレー”の舞台ともなった駅でもあるので、もしかしたら御存知の方も多いかもしれません(実際、筑豊電鉄もよく登場します)。流石にその名残は少ないですが、見た人が見たら分かる風景かもしれませんね。ちなみに、駅付近にある踏切は、わりと広い道路にも関わらず、遮断機も警報機も設置されて無くて、ちょっとしたカルチャー・ショックを覚えました(笑)。また、付近の子供達が、ホーム上や線路の上まで(!)遊び回ったりしていて、何だか昔の光景みたいに思えてしまった事も付け加えておきます…。
この先、路線は高架になったり、切り通しの区間等を進んだりと、普通の鉄道?らしい線形が続いていきますが、ここを走っているのが、やはり路面電車風の車両…というのが不思議な光景です。カーブや勾配も多く、なかなか車両も大型化は出来なさそうですが、路面電車風な方が、列車の乗り降りや駅の構造は簡単とも言え、これで良いのかもしれませんね。通谷駅付近では、福岡方面へのバス乗り換えの案内もあり、元々筑豊電鉄自体が、福岡市内へ路線を延ばそうという思いがあった為か、こちらへの接続の力の入れようは特筆されるものがあると思います。
そして、筑豊中間駅に着きます。ここまで、沿線は住宅街ばかりでしたが、この駅を過ぎると徐々に喉かな風景に変わってきます。列車も、日中は半数が当駅で折り返し運転となっており、黒崎駅前駅~筑豊中間駅が12分間隔、そしてこの先が、倍の24分間隔となります。以前は、前者が10分間隔、後者が20分間隔だったので、減便されてしまった(結構最近です)という事ですが、以前は時刻が綺麗に揃っていただけに、残念なダイヤ改正でもありました。
今のところ、写真では3000形という車両しか紹介出来ていませんが、筑豊電鉄の車両にはもう1種類、2000形という車両も存在します。これは、元々西鉄で使用されていた車両で、1977年に筑豊電鉄に譲渡された車両でもありました。ちなみに、それまで筑豊電鉄は、走る車両は全て親会社の西鉄の車両でまかなっていたので、自社の車両が無い鉄道会社という時代もあったのです。
初期の車両ですと、製造初年が1957年になっているので、もう結構な年齢になる車両でもありますが、今のところ、全7編成が健在です。2007年度から2008年度にかけて、その7という数字に着目したのか、7編成全車を、虹を構成する7色に塗り替える事になり、今までの西鉄カラー(黄色に赤いライン)のイメージを一新させました。3両連接車の為、2両連接車である3000形に比べ、やはりラッシュ時での使用が目立ち、平日の日中は1編成しか稼働していないようですが、とりあえず、どの日に行っても1編成は見れるというのが、逆に有難い時代なのかもしれまえん。車齢的には、いつ廃車になってもおかしくない車両ですからね…。
…そして、それらの車両は、車両基地が併設されている楠橋駅付近で、外周道路から見る事が出来ます。それはもう写真を見たら一目瞭然だと思いますが、確かにカラフルな事になっていますね(笑)。そして、これだけ集まっているという事は、日中は殆ど使用されていない事を示す事にもなっているという事なのです。ただでさえ2両連接車の3000形使用時でも、この楠橋駅付近では日中は乗客が少ないですからね…。若干ローカル線のような風情も漂っており、今後にも注目していきたい事情でもあるような気がしました。
楠橋駅を出ると、山陽新幹線と交差し、田園風景の中をひた走ります。もう路線的には終点も間近で、あとは規模の小さめな駅を細々と停車していくような感じで。何となく、その中の1駅である遠賀野という駅で降りてみましたが、なかなか特徴を見出すのが難しい駅でした(笑)。ただ一言、喉かである…と、表現するのが一番的確のような…。次の電車までの24分という時間でもありましたが、そんな印象を受けました。
そして感田駅を過ぎると、遠賀川を渡り、終点の筑豊直方駅へと到着します。JR筑豊本線の直方駅とは、徒歩で10分ぐらい離れております。この駅名、九州以外の方ですと読めない方も多くいると思いますが、“のおがた”と読みます。筑豊電鉄の遠賀川を渡る橋梁は立派で、このまま筑豊直方駅が終点にするには惜しい感じがするのですが、確かにそうで、この先の延伸を見越した開業でもあったそうです。前述のように、元々は福岡市内への延伸を強く臨んでいたようですし、筑豊直方駅の高架の駅構造を見ても、このまま先に延ばそうとしている事は明白と言って良いでしょう。
これで筑豊電鉄のさんぽは終わってしまいましたが、この鉄道の魅力は、言葉や写真で伝えられるものではないような感じがしました。昔懐かしい光景や、車両にしても貴重なものが存在する鉄道ではありますが、それを懐かしいもの…という側面で見させるのではなく、それが筑豊電鉄の“通常”なのです。路面電車風の列車に車掌常務というのも、今では非効率…という言葉で片付けられてしまう事柄だと思いますが、それこそが筑豊電鉄の文化であり、特徴なのだと思いました。そんな鉄道会社に、別に特別な感覚無しに乗れる…というのが、この鉄道の最もたる魅力なのだと言えるでしょう。
何だか、この時期にピッタリな鉄道だったとも思いました。何の考えもなしに、ただゆったりと鉄道に揺られる…。たまには、そんな鉄道乗車も如何でしょうか?
☆筑豊電気鉄道のHP…http://www.chikutetsu.co.jp/
そんな2012年最初の回は、JR御殿場線を取り上げてみたいと思います。東海道本線の国府津駅から、同じく東海道本線の沼津駅を結ぶという、東京からもそんなに遠くない場所を走りつつ、御殿場という結構有名な場所を通るので、東京に住んでいる人も名前を聞く路線だとは思いますが、関東地区にありながら、JRはJRでも、関東ではお馴染みのJR東日本ではなく、JR東海の路線だという事が特徴的な路線でもあります。
…国府津駅~沼津駅間は、東海道本線でも行けるルートですが(むしろ、こちらの方が遥かにポピュラーなルートです)、海側を走る東海道本線に対し、御殿場線はひたすら内陸を通って、箱根の北側をぐるっと迂回するように走ります。これは、実は東海道本線が開通した明治当初から昭和初期に掛けては、こちらのルートが東海道本線だった歴史が関係してきます。
新橋から横浜を通り、藤沢、平塚と抜けて国府津まで、海の近くのルートで開通してきた東海道本線でしたが、この先の工事が当時は難航だと分かり、今の御殿場線のルートで沼津まで開業させたのでした。複線化も行われており、当時の長距離特急列車も、御殿場線のルートで行き来していたものでした。…しかし、1934年に丹那トンネルが開通すると、東海道本線は海側の熱海経由に変更され、国府津駅~沼津駅間は、東海道本線の支線扱いとなります。また、太平洋戦争時には不要不急路線に指定されてしまい、資材の調達から、複線の路線は単線化されてしまいました。しかし、当時のトンネルや橋脚等は、今も面影を見る事ができ、これが1つの御殿場線の魅力でもあります。
国鉄の民営化(JR化)では、東京側の路線よりは静岡側の路線に性格が近いので、JR東海の受け持ちとなりますが、むしろ東京の人は、小田急線と乗り入れている事で名前を聞いた事がある人の方が多いのではないでしょうか。ここを走る特急“あさぎり”号は、新宿駅から小田急線で松田駅経由で御殿場線に乗り入れ、そのまま沼津駅まで直通で行けるという、御殿場線の看板列車でもあります。
しかし、この“あさぎり”号ですが、今度の3月17日のダイヤ改正で、大きな変化を迎えようとしています。まず、運転区間が新宿駅~御殿場駅に短縮され、本数自体も、平日は1往復減とされます。また、今まで使われていた、小田急とJR東海のそれぞれの車両は廃止され、小田急60000形(青いロマンスカーと呼ばれている車両です)〔鉄道さんぽ 9.(箱根登山鉄道、鉄道線編) 参照〕という車両に1本化されるとの事なのです。
現在の“あさぎり”号の体制になったのが1991年の事…。それまでも、小田急からの乗り入れ列車として“あさぎり”号は存在していましたが、この時は“急行”で、車両も昔のもの、そして御殿場駅までの乗り入れでした。…思えば、1991年は景気がまだ悪くはなっていない頃で、言わば車両も豪華に作られていた頃ではありました。現代の事情には少々荷が重くなってきたのかもしれませんが、まだまだ魅力に映る車両だけに、引退は残念です。
…これらの思いが重なり、今回は御殿場線を選ばせて頂きました。そして、何と言っても今回は天候が重要で、決して曇りの日では実行させたくない回でもありました。その理由はすぐに明らかになりますが、更には朝早く実行する事も重要で、起点の国府津駅には朝6:30頃に到着する優秀っぷりでした(笑)。天気も良く、正に散歩日和というこの日…。どうぞ御殿場線を御堪能下さいませ♪
●日時…2012年2月21日 ●路線距離…60,2km ●駅数…19駅
御殿場線の“さんぽ”は国府津駅から始まります。朝の国府津駅は、これから東京に通勤していく乗客で賑わいを迎えつつありますが、御殿場線のホームでは、それとはまた違った雰囲気を醸し出しています。これから東京に向かっていく列車は、殆どが15両編成なのに対し、これから乗る御殿場線の列車は3両編成だったので仕方ないですが(笑)、路線の性格が違い過ぎるという事でしょうか…。ここは、JR東海の在来線では一番東端に位置する駅でもあり、JR東日本地域の中では、やはり異色の存在の路線なのです。せっかくなので、現在1往復だけ東海道本線東京口に乗り入れる、JR東海の373系車両との写真(右下)を載せておきましょう。
国府津駅には、東海道本線の始発列車が何本か存在していますが、これは車両基地がある事に由来しています。…そしてその車両基地の場所が、暫く御殿場線と並行して進んだ先に位置するので、あたかも御殿場線の線路を通って、国府津駅に東海道本線の始発列車が進入してきているように見えるのです。こちらは前述の通り、殆どが10両か15両編成の列車…。対する御殿場線の列車は、2両~6両程度ですから、何だかギャップがあり過ぎる光景ですよね…。
さあ、国府津駅付近の様子を見たところで、いざ御殿場線に乗っていきましょう。何度も言うように、御殿場線はJR東海の路線なので、JR東日本の Suica とは別のものを使っている会社でもあります。それこそJR東海の誇る TOICA というものですが、国府津駅~御殿場駅はその利用エリアに含まれさせていないので、現在この区間では、どのICカードも対応していないのです。つまりはその導入予定も無いのですが、やはり異なったJR間を跨ぐ時には、ICカードのやり取りが難しいのでしょう。神奈川県にありながら、Suica が使えないJR路線というのも珍しいですが、ここがJR東日本とJR東海の境目の地域だからこそかもしれませんね。
列車は東海道本線を左手に見ながら分岐し、同じく左手に東海道本線の車両基地を見ながら、海を背にして内陸部に入っていきます。地図を見ると、小田原駅から新宿方面に向かう小田急線の線路と、酒匂川挟んで並行して走っている感じなのですが、こちらは日中は1時間に1本程度の運転なので、やはり鉄道として便利なのは小田急線に軍配が上がる区間と言えます。そんな感じの風景が小田急線と交わる松田駅(小田急線は新松田駅)まで続き、更に列車は山に向かっていくようになります。
…と、ここで途中の駅はひとまず通過し、まずは路線の中枢である御殿場駅まで一気に進んでしまいましょう。朝早い時間までに見ておかなかければならない風景があるからです。その風景を見てから、再度松田駅まで戻ってきて“さんぽ”を続けますが、そこまでしても、まず御殿場駅に行かなければいけない事情があるのです。
御殿場駅に着いたのは朝8:00頃。澄み切った青空の天気で気持ち良いですが、やはり標高は高いので、気温は2℃…との事でした。そんな中、御殿場駅から徒歩25分くらいの所に、目的のポイントは存在します。
見よ、このカメラマンの数!…背後に綺麗に富士山が見えるのが分かると思いますが、実はここは、御殿場線の、超が着く程の有名な鉄道撮影地でもあるのです。それは、列車が入った写真を見れば一目瞭然化と思いますが、正に絵に描いたように、鉄道と富士山が素晴らしいバランスで写真に納まってくれるのです。
御殿場駅は写真の左奥に位置し、手前が国府津側になりますが、どんどん勾配を上ってきた列車が、峠の最高地点である御殿場駅に到達するまでの線路が、富士山の裾野のような場所に値するわけですね。また、光線状態も大事で、光の角度や富士山がくっきり見える時間帯となると、やはり午前中が勝負となるのです。
そして、そんな素晴らしい時間帯に、役者?は、ちゃんと揃ってくれるのです。上の写真のように、“あさぎり”号の2号(左上)と1号(右上)が、一番良い光線状態の時に通ってくれて、更に車両が異なる(左上がJR東海車両で、右上が小田急車両です)のが、被写体としては有難い存在です。この2列車は、30分以内にどちらも通過するので(更に、間に普通列車が1本走ります)、正に撮影地でのシャッター・チャンスな時間帯なわけですね。人出が多いのも頷けますし、そして被写体が3月には引退してしまう車両となると、尚更だと思いました(それでも、この場所は側道から撮れるので、場所取りにはそんなに苦労しません)。
…と、この風景を見たいが為に、朝早く家を出て、そして真っ先にこの場所に来たというわけです(笑)。実際のところ、御殿場線を代表する風景のベスト1、2(富士山と“あさぎり”号)をこれで果たしてしまった感じもあるので、もう御殿場線“さんぽ”はゴールの雰囲気も漂っているのですが(笑)、これでは手抜きと思われてしまいますね…(笑)。前述の通り、松田駅まで戻り、“さんぽ”の続きをする事に致しましょう♪
さて、松田駅まで戻ってきました。前述のように、この駅は小田急線との接続駅で、路線同士は立体交差のような配置になっているものの、相当な急カーブではありますが、新宿方面との連絡線が存在し、特急“あさぎり”号はここを介して新宿駅まで直通出来ているという重要な駅でもあります。駅名は御殿場線が松田駅、小田急線が新松田駅と、名前は異なっていますが、道を挟んで反対側に位置するだけの、非常に近い駅同士でもあります。ただし、御殿場線側にはメインの出口も存在し、こちらの方が立派ではあるのですが、利用者は小田急線に近い側を使う人が多いのが現実でもあります。ちなみに、新宿方面から来た“あさぎり”号は、新松田駅に入る手前で御殿場線への引き込み線に進入するので、“あさぎり”号の停車駅は新松田駅ではなく、松田駅となります。
改めて、松田駅のホームを見てみると、長くて立派なのですが、ここを行き交う列車は、日中は2両編成のワンマン列車ばかりとなっていて、その設備を持て余し気味な感じがあるのも否めません(“あさぎり”号は、左上写真の一番右側のホームに常に発着します)。そんな御殿場線の普通列車の主役車両は313系。JR東海の在来線電車の標準車両で、JR東海の電化されている殆どの区間で見る事が出来ます(故に、名古屋近郊とかでは最もよく見る車両です)。御殿場線に走っているのは、ワンマン運転が出来るタイプが2両編成で、車内はボックスシート(右上写真参照)…。他に、新しく投入されたロングシート・バージョンも存在し(右下写真参照)、こちらはワンマン未対応となっています。
再度、御殿場方面へと向かいましょう。ここからは御殿場駅まで上り勾配が続き、東海道本線のSL時代には難所とされていた区間です。機関車も必ず補機が付けられ、それは勇ましい走行を披露していた事でしょう。カーブも多く、正に山間を走る区間ですが、現在は電車でスムーズに走行していきます。そして、駅から降りて線路を眺めてみると、かつての遺構を確認出来たりするのです。
…それでは、この先の山北駅~谷峨駅間を“さんぽ”してみましょう。山北駅より御殿場方面を望むと、早速勾配を上っていくのが分かります(右上写真参照)。更に本格的な山間部に入っていくのは、この辺りからという事でしょうね。JR東日本の東海道本線からの直通列車も、ここ山北駅までの乗り入れとなっています。
山北駅の西側区間は、路線が桜並木に覆われた有名区間ですが、今の時期は流石にまだ早い感じですね。桜の時期は、それはもう見事な光景が目に飛び込んできます。そのまま進み、山北の街並みを過ぎると、いよいよトンネルに入ります。ここからは暫くトンネル区間が続きますが、こちらは単線であるのに、横にもう1つトンネルの跡があるのが分かります(右上写真参照)。また、橋脚の跡や、そもそも通常?の単線区間にも、不自然に横に線路跡らしきものが続く等、これこそかつての東海道本線時代の複線路線の名残なのです。ただの線路跡は、もう痕跡が土地が空いている…ぐらいしか確認出来ないので難しいですが、トンネルや橋脚の跡は、意外にもそのままで残っている所もありますので、走っている列車の中からでも確認できてしまいます。
開通当初は、日本の大幹線である東海道本線として君臨…。そして現在は、ローカル線として歩んでいく日々…。鉄道の栄枯盛衰とは正にこの事ですが(笑)、そんな中、1日に4往復走る特急“あさぎり”号は、沿線に華を添えてくれる大切な存在でもあるのです…。今度の3月17日のダイヤ改正で、また変革(残念ながら、縮小体制です…)の時を迎える事になりますが、このルートを通る度に、時代の移り変わりを思わせてくれます。
そんな区間を、自分は歩いて回ってみましたが、道路は線路ほど真っ直ぐにはなっていなく、やや回り道をしてのルートとなっています。車通りは結構あるのですが、歩いている人は皆無と言っても良いでしょう。ちなみに、この付近の山肌を見てみると、立派な橋脚からなる東名高速道路を見る事が出来ます。こちらは、ちょうど上り線と下り線が別々のルートを通っている区間でもあり、山から山へ、遥か高い所を一気に渡ってしまう等、想像以上にダイナミックに建設されているので、御殿場線沿線の喉かな雰囲気を一瞬で消し去ってしまうような迫力があります。日中は、2両編成のワンマン列車が約1時間毎にしか走っていない区間ですが、道路的には東京と関西方面を結ぶ、重要な大動脈の一区間である事が窺えるというものですね。次の駅になる谷峨駅も、背後には立派な赤い橋脚の東名高速道路が望めますが、駅自体は無人駅で、恐らく利用客も少ないでしょうね…。
山間区間の“さんぽ”を終え、今度は御殿場の先の区間に乗ってみる事にしましょう。御殿場駅から終点の沼津駅までは、列車の本数も1時間に2本と増え、沼津方面に向かって乗客は増えていく傾向にあります。山北駅から上り勾配をずっと進んできた列車もここが峠となり、御殿場駅より先は富士山の裾野に沿って下っていく感じで進んでいきます。山と山の間を抜けていくという感じではなく、ほぼ全線に亘って進行方向右側には富士山が望める状態になっています。
富士山をイメージして造られた駅舎の岩波駅からも、そんな富士山が望めます。この駅は下り勾配の途中に位置し、写真からもそんな雰囲気が伝わるかもしれませんが、この辺りだとそろそろ町並みの中に入ってきた感じでしょうか。岩波駅の次の裾野駅は、特急も停車する駅で、ここからは更になだらかに沼津の市街に向かっていくという感じになります。
裾野駅を過ぎると、そろそろ沼津駅が近くなってきますが、ここで再度御殿場駅に引き返し、改めて特急“あさぎり”号に乗って、沼津駅に向かうという策をとりましょう。裾野駅で待っていても乗れますが、それだと次の停車駅がもう沼津駅になってしまい、あまり乗車感覚を味わえません(笑)。そして裾野駅~沼津駅より、御殿場駅~裾野駅の方が明らかに車窓は良いのです。行ったり来たりで大変ですが、今回の“さんぽ”3度目の御殿場駅へと舞い戻ってきました。
自分が乗ったのは、御殿場駅15:24発の“あさぎり”5号です。車両は小田急20000形で、恐らく今回で乗り納めとなる事でしょう。自分が鉄道の旅を本格的に始めた、小学校高学年の頃から走り始めた車両なので、個人的にも印象が深い車両でもありますが、精一杯最後の乗車を楽しみたいものです。
“あさぎり”号は基本的に全車指定席ですが、御殿場駅~沼津駅間に限り、7両編成の内の6号車にだけ、自由席が設定されます。つまりは、乗車券と特急券だけで乗れてしまうわけですが、この特急券が安く、310円に設定されているのです。やはり“あさぎり”号のメインの乗車は、新宿駅~御殿場駅なわけで、その先の空いている区間を、気軽に利用して貰おうという考えがあるのが分かりますが、実際、かなりガラガラな車内でもありました。自由席に設定された6号車の乗客も15人程度で、その隣りの7号車の車内を見てみると、乗客は皆無でした…。確かに、御殿場駅~沼津駅間が廃止になるのも仕方無いのかな…とも思ってしまう程でした。
それでも列車はスムーズに走ります。ローカル線とは言え、最高速度は110km/時に設定されている路線なので、意外にも列車は速く感じますが、富士山もまだ綺麗に見える事ですし、もう少しゆっくり走ってほしいなという気持ちも出てきてしまいました。人間とは贅沢な生き物ですが(笑)、最後の乗車となると、何となくそう思ってしまうのです…。20000形の車内はハイデッカーと言って、一段高い位置に床が座席が設けられているのが特徴で、眺めもその分良かったりするのですが、一段上がらないと車内に入れず、これがバリアフリーの考えでは致命的な欠陥となり、早期の引退を促したとも言えそうです。
そして、再度の裾野駅では、この約20年間を共に活躍し続けた、もう1種の“あさぎり”号、371系と擦れ違い、終点沼津駅に到着です。御殿場駅から約25分の乗車でしたが、記憶に残る時間だったと思います。これにて御殿場線の“さんぽ”も終了となりましたが、色々な側面からこの路線を見る事が出来たのではないでしょうか。今度のダイヤ改正で、また異なった印象が生まれてくるかもしれない路線の、1つの時代の終わりを見届ける事が出来た“さんぽ”にもなって良かったと思いました。新しく走り始める小田急60000形での御殿場線の旅も、また楽しんでみたいものですね♪
…と、もう1つ、見届けておきたい事実がありました。先程、JR東日本の東海道本線からの山北駅行き直通列車が設定されていると書きましたが、こちらも3月17日のダイヤ改正で廃止になってしまう列車でもありました。1日1本のみで、東京駅(つまりは東海道本線)で見れた唯一の“山北行き”でしたが、こちらも一応写真に収めておきましょう。
東京駅での、御殿場線直通の列車です。車両はJR東日本ではお馴染みのE231系ですが、行先表示機に表示させる“御殿場線”や“山北”の文字が貴重です。今度のダイヤ改正を境に、もうここから御殿場線に直通する列車は無くなってしまうわけですが、これで東海道本線との関係性が更に希薄になってしまったとも言え、若干の寂しさも感じさせられました。今後は東京駅から御殿場線を感じさせるワードが消えてしまうわけで、言わば御殿場線と東海道本線の関連性を見出す事の方が難しくなってきてしまう程でしょう…。しかし、是非とも今回の“さんぽ”で記憶に留めておいて下さい。かつて御殿場線は、東海道本線だったのだと…!
しかし、渋い要因ではありますが、だからこそ国鉄の風情を未だに強く残した路線でもあり、特に普通列車用の115系という車両では、東京では懐かしくなった湘南色が、ここでは日常的に見られるのです。また、自分はこの路線を乗るのは今回で2度目で、確か高校生の時に乗ったのが最後でした(笑)。つまりは、あれから15年くらいは経ってしまった筈ですが、そろそろ現在の状況を見ておきたくもなりました。更に、マイナーな路線ではあるものの、この路線には日本一の“ある物”が存在し、鉄道ファンの間ではとても有名な存在でもあるのです。そしてそれは将来、無くなってしまうとの一報も伝えられてしまいました。昔のままという状況を見るには正に今がチャンスなのかもしれません。
朝5:00には家を出発し、起点の渋川駅に着いたのは朝7:30…。ここまでの行程も旅みたいな感じがしてしまいますが、吾妻線は、ここが“起点”です。天気も晴れて、絶好の“さんぽ”日和に恵まれたこの日、吾妻線の探索が始まりました♪
●日時…2011年12月11日 ●路線距離…55,6km ●駅数…18駅
吾妻線の起点はJR上越線の渋川駅になりますが、全ての普通電車は高崎駅から直通で運転されていて、特急も前述のように上野駅から直通で吾妻線に入ります。渋川駅構内から北側(東京方面と反対側)を望むと、上越線は複線で右にカーブしていくのに対し、吾妻線は単線で細々と左にカーブしていきますが、これこそ吾妻線の性格を表しているような光景ではありませんか。路線自体は、榛名・浅間山と、草津白根山に挟まれた渓谷にあたる、吾妻川に沿った順路が形成されていますが、基本的に狭い地域を通っているので、カーブや勾配が多くなるのは当然です。普通列車に乗って、1つ1つ、丹念に止まっていく感じが、この路線には似合うような気がしてしまいます。
その中でも、渋川駅から1つ目の金島駅までは、割りと直線部が多い区間でもあるでしょう。ここまではまだ渓谷幅も広いので、カーブにする必要が無かったのでしょうが、上り勾配は確実に存在しており、これからの路線展開が期待される?瞬間でもあります(笑)。そんな金島駅の先を見ると、急に近代的な高架橋が望めますが、これが上越新幹線の高架橋でもあります。ここまで、吾妻線の普通電車ですと、高崎駅から約30分という感じでしょうが、対する新幹線は、高崎駅からここまで、5,6分くらいで着いてしまう距離でしょうか。流石新幹線…と思わざるを得ない光景ではありますが…(笑)。
金島駅を出ると、いよいよ吾妻川に沿って走っていくようになる為、カーブも多く、スピードも落ちてきます。1度、その川は渡るので、車窓の左手には吾妻川は、そして右手には折り重なる山々が楽しめる区間になっています。桜で有名な小野上駅を過ぎ、地域名も、渋川市から吾妻郡に入ってくると、その吾妻郡の中心となる中之条駅に到着します。名湯、四万温泉、沢渡温泉への玄関口ともなっていて、特急も全列車が停車します。この駅では早速降りてみますが、1番線には干し柿が吊るされ(左下写真参照…夏には風鈴が吊るされ、それぞれの季節の風物詩ともなっているようです)ていたのが面白いところでした。
この日は日曜日だったので、車内は行楽客で結構賑やかでしたが、駅前はそれは静かなものでした。まだ朝8:00過ぎという時間だったので当然とも言えますが、ここから1駅、2駅程先に、歩いてみましょう。イメージ的には、吾妻川に沿った行程…かと思われたのですが、この辺りでは吾妻川は蛇行しているようで、少し線路とは離れて流れているようです。その代わりと言っては何ですが、国道がほぼずっと並行しているので、道に迷う事は無さそうでした。右上写真では川を渡っていますが、これは吾妻川ではなく、その支流の四万川を渡っているところです。
暫くすると、群馬原町駅です。擦れ違いの出来ない、1面1線の駅ですが、特急も殆どが停車する、なかなか上級クラス?の駅です。…と言うのも、付近に大きな病院があったり、郊外型の大型スーパー等が存在したりと、この辺りが少し開けている土地のせいか、開発が盛んになっているのが大きな理由でしょう。駅前も整備され、少し近代的な雰囲気もあるような駅でした。
そんな吾妻線を走る特急は“草津”号と言って、185系(右下写真参照)という、こちらも国鉄時代に造られた車両が使われています。107系(右上写真参照)は、JRに成り立ての頃に造られた車両ですが、115系の方が頻繁に吾妻線には投入されているので、やはり吾妻線の全体的なイメージは、国鉄の車両で成り立っている感じでしょうか。そろそろ、関東のJR路線では貴重な存在となってきてると思うのです…。
群馬田原町駅を過ぎ、線路はいよいよ山間へと突入してきます。先程の国道も、吾妻川も線路に近付いてきて、渓谷が狭くなってきたのだと思わせます。ただ、それは一先ずこの先の郷原駅(残念ながら、“ごうばら”と読みます…笑)まで続くのみで、その後若干開けるのですが、取りあえずはその先の区間の予兆とも言える区間と言えましょうか…。吾妻線は、渋川駅から基本的には北西を目指しながら進路を取るのですが、この区間だけは南西に進路を向けるという、やはり川の流れには逆らえない路線敷設背景…というのを思わせてくれますね…(笑)。
写真左上の車両は、昨年から走り始めたイベント列車で、“リゾートやまどり”号です(やまどりは、群馬県の県鳥でもあります)。後で説明しますが、沿線に観光地を幾つも抱えている為、こうした臨時列車が多数設定されているのも、吾妻線の特徴と言えそうです。また、何だかんだで上越線を経由して、高崎駅や、その先の上野駅とも繋がっているので、直通列車が多く設定出来るのも強みですね。これは現在に関わらず、昔から取られてきた措置でもありました。さて、郷原駅からは電車に乗りましょう。既にここまで、中之条駅から約7kmの行程でもあったのですから…。
矢倉駅、岩島駅と停車していきます。そして岩倉駅を出て1分程すると、車窓左手に真新しい高架橋が分かれていくのが見えてくるのですが、これはこの先の区間が、今後建設される八ツ場ダムの底に沈んでしまう為の、線路付け替え用の路盤で、正に工事中という状態でもあります。付け替え区間は長く、それは約10km先の長野原草津口駅にまで及んでいます。間には1駅、川原湯温泉駅が存在していますが、そこも何年後にはダムの底となってしまいます。この辺りでは山肌も迫ってきて、断続的に吾妻川の渓谷美が続く、見事な区間でもあるのですが、ダム完成時にはトンネルで抜けてしまうようなルートを通るそうで、こうした車窓も楽しめなくなってしまうようです。ここは是非、川原湯温泉駅で降りてみて、付近を探索してみる事にしましょう。
川原湯温泉駅を降りてみると、その素朴な駅前の雰囲気を打ち砕くが如く、背後に巨大な建造物が目に入ります。ダム完成時の、ダムを渡る橋の橋脚にでもなるのかもしれませんが、周りの山を眺めてみると、山肌に新しい道路の建設も進んでおり、あの辺りまでダムの湖面が来るのかと思い、本当にここは湖の底になってしまうのだなと、一種の虚無感さえ覚えてしまいました。まだ信じられるような状況ではありませんが(実際、ダム建設の反対は本当に多かっと聞いています)、竣工は2015年を目指しており、その日は確実に近付いて来ています。
ダムが完成すると、この歴史ある川原湯温泉街自体も、殆どが水没してしまう事になります。また、前述の吾妻渓谷も、半分はダム中に呑まれてしまう事になり、景色は間違い無く一変する事でしょう…。交通事情だけで見るならば、この辺りは連続降雨量が多くなると、道も通行止めになったりしてしまうので、トンネルや橋脚の整備で便利になるのかもしれませんが、その分、失われるものも多くなる…という感じでしょうか。とにかく、この駅から吾妻渓谷の方を歩いてみる事にしました。
方向的には、川原湯温泉駅から、先程の岩島駅に少し戻るようなルートを辿ります。駅を出てすぐにその渓谷の風景は始まり、吾妻線、国道145号線、吾妻川が正に山肌に吸い込まれるような形で一緒になり、その区間を抜けていく感じです。道路にしろ線路にしろ、よくこんな所に道や線路を通したなという感じですが、本当にその通りで、崖のすぐ下には吾妻川が迫っているのです。川の音もよく聞こえ、確かな存在感でその景色を作り出してくれています。
そして、川原湯温泉駅から2km程の時点で、先述した“日本一”の物が存在します。駅から歩くと、約25分~30分の道のりでしょうか。車通りは結構あるものの、人が通る事は少ないようで、それは歩道があるのに、落ち葉が溜まりに溜まっている状態のままである事からも、何となく想像は出来るというものでした。
これです!…樽沢トンネルと言って、日本一“短い”鉄道トンネルなのです。長さは7,2mですから、1両が20mのJRの鉄道車両、1両分にも満たない長さです。右上写真でその実情はよく分かりますが、敢えてトンネルにするまでも無いのではないかと、誰もが思うのではないでしょうか…。
実際、この程度の岩場ですと、通常は切り崩してしまう事が多いのですが、強固な岩肌だった為に、切り崩すより、トンネルにする方が安価だった…という理由や、吾妻渓谷の景観を損なわない為…という理由等、様々な諸説が残されています。電車に乗ってこの区間を通ると、本当にあっという間で、今トンネルを潜ったかな?…程度にしか思わないのですが、トンネルを外から見ると、なかなか不思議な光景である事に気付かされます。ここは水没は免れるものの、前述のように吾妻線のルートが切り替わるので、それ以降、ここに列車が通る事は無くなります。つまりは用途廃止…という事ですが、残存させるのかどうかも微妙なところです…。現代で、このようなトンネルを建設するという事はまず無いと思うので、その意味では貴重な建設物ですよね。今の内に見る事をお勧めしたい場所でした!
さて、川原湯温泉駅に戻り、電車で先に進みましょう。ここから長野原草津口駅まで上り勾配が続きますが、ダム完成時の地形を想像するに、湖の底から、湖面に徐々に上がってくるようなルートだと言える事が出来そうです。それは車窓からも容易に想像でき、周囲の風景とは明らかに不釣り合いな、近代的で高い橋脚が、その存在を強く誇示しているように思わせます。やがてその勾配も上り切ったところで、車窓左手から再度、真新しい高架橋が近付いてきて、長野原草津口駅と到着します。先程の高架橋は、対岸の山肌から直線で抜けてきているので、ダム完成時には、湖を横切るような景色となるのでしょうか。やはりまだ想像は出来ませんが…。
長野原草津口…と、駅名に“口”が付いているだけあって、この駅は駅前に何かがあるわけではなく、草津温泉の玄関口の駅である事を表しています。以前はもう少し駅前にも色々あったのですが、ダム建設決定のお陰で、殆どの移転が決定しており、今では駅だけがポツンとあるだけの状態が、より鮮明に浮き出てきた印象を受けます。
この駅は、今までは階段で駅舎の2階に上がった筈でしたが、その跨線橋は最近になって廃止され、地平のまま(その代わり1番線は行き止まり式になり、下り線に合流出来ない構造になりました)、この駅の先にあるバス・ターミナルまで行く感じになります。電車に合わせてバスは設定されており、有名な草津温泉までは、ここから25分くらいです。
…ところで、吾妻線はそもそも、この先にある六合村の、群馬鉄山の鉄鉱石の輸送の為に開通(1945年の事です)したという背景があります。そして、この長野原草津口駅(当時は長野原駅)から、群馬鉄山のある太子(おおし)駅まで、日本鋼管社の専用線が敷設されていたのですが、これの路線跡が、長野原草津口駅を出てすぐに渡る鉄橋から未だに確認出来るのが面白いところです(右下写真参照)。今では勿論、鉄鉱石輸送は行っていないですが、当時の様子が偲ばれる、貴重な風景かもしれませんね。
さて、ここからは1971年に開業された区間で、起伏は相変わらず激しいので、トンネルが多くなったり、並行する道路の上を橋脚で通過したりするようになります。ここから列車本数は更に少なくなり、普通列車に限っては、3,4時間ぐらい、電車が来ない時間帯がある程です。途中、羽根尾という駅があり、この駅には側線もあるのですが、ここから先は終点まで、線路が完全に1本線のみになるので、観光駅でもある万座・鹿沢口駅まで行った特急列車の折り返し調整で、この羽根尾駅まで戻ってきて待機するといった措置がよく行われています(列車によっては長野原草津口駅まで回送で戻る時もあります)。
そして、嬬恋村の玄関口ともなる、万座・鹿沢口駅に到着します。少し開けた土地のようで、商業の中心となる三原地区の市街を見下ろしての到着となります。ここは万座温泉、鹿沢温泉、浅間高原の起点ともなる駅で、特に浅間高原や、いつしか演奏で出向いた北軽井沢〔北軽井沢のホテルで演奏〕へは、意外にも10kmぐらいの距離で着いてしまう駅でもあるのです。ホームは1面1線でシンプルな構造の駅ですが、特急“草津”号の堂々たる終着駅でもあります。上野駅からの所要時間は、ここまで特急で約2時間40分という道のりになります。
そんな185系“草津”号ですが、昨年、「特急“草津”号50周年感謝キャンペーン」を迎え、1編成だけ湘南色に塗り直されました(左上写真参照)。往年の80系を思わせる…事になっているらしいですが、個人的にはどうも違和感が漂っているように(特に正面部)見えてしまいますね(笑)。昨今は、旧国鉄塗装が流行ってはいますが、実際にこの185系が湘南色で活躍した経歴はなく、ちょっと無理がある設定のようにも思えました。
…さて、吾妻線の終点は万座・鹿沢口駅ではありません。実はあともう1駅だけ先があって、そこからは普通列車のみの運転となるのですが、本数も極端に少なくなり、それは1日に5往復のみという状況です。利用者が少ないので仕方無いのですが、ここまで来ると、その本来の終点駅である大前駅の存在が不思議に感じてしまう程です。その“非日常”を求めて、訪れる人も多いのか、この日は10数人のお客さんが大前駅までの列車に乗っていました。勿論、大前駅降りるのではなく、殆どが折り返して戻ってくる乗客です。
万座・鹿沢口駅~大前駅間は景色も一変し、浅間山が作り出した溶岩断崖が、車窓からもよく確認出来るようになります。見所ある車窓なのに、列車が1日5本では、なかなか気軽に…とはいかないのが難しいところでしょうか。今回、自分はその約3kmの区間を、大前駅から歩いてもみましたが、基本的に国道と並行していて、列車が頻繁に通る区間だったら、間違い無く鉄道撮影地に選ばれている場所だろうな…とも思ったりしたものでした。
大前駅は勿論、1度目に吾妻線に乗りに来た時も訪れた場所でしたが、その時の乗客は自分だけだったような気がします。以前と比べると、鉄道旅行そのものの認知度が上がった為かもしれませんが、特に大きく雰囲気は変わっていなく、訪れる価値はやっぱりありましたね。この場所だけ国道からやや離れた位置(間に川が挟まれます)にあるのも良いのかもしれません。今回、自分は復路を徒歩で移動したので、折り返しの電車を見送っての状況となりましたが、それはそれは静かな時間でした。
…さて、以上で吾妻線の“さんぽ”は終了です。帰りは、先程紹介した“リゾートやまどり”号で高崎駅まで向かう事にしましょう。この列車は、今年登場した新しいイベント列車で、土休日を中心に、高崎駅~万座・鹿沢口駅間を快速で、登場した夏当初は、新宿駅~長野原草津口駅までの直通特急としても運行されました。
車内は右上写真を見ても分かるように、豪華の一言に尽きますが、今回は“快速”として運転されているので、普通乗車券の他に、指定席券510円だけ払うと乗れてしまうのが嬉しいところです。今野時期はオフ・シーズンでもあるので混んでいなく、1・2列掛けという、本来ならばグリーン車として設定されるような大き目な座席を、空いている車両で思う存分に寛げました。振り返れば、この日は合計約17km強は歩いてしまったようで、身体的にも疲労のピークが達している筈です。このくらいの贅沢は許されても良いでしょう(笑)。
しかし、今まで辿ってきたルートを、復路として走っていく列車だけに、景色をもっと楽しみたいところではあったのですが、その疲労は想像を超えるもので、全区間で爆睡を果たしてしまいました(笑)。特徴的な車両だけに、色々な部分を見て回りたかったのですが、これは仕方無いですね…。折りしも、この次の日の筋肉痛は半端無いものが襲ってきてしまいました…。
さて、今後の吾妻線の展望はどうなるのでしょう。前述したダム建設関連では、線路の付け替えが行われるというので廃線は免れたわけですが、乗客は減ってきており、来年3月のダイヤ改正では、また上下1本ずつの特急が廃止されます(徐々に減ってきているのです)。そんな中、復路時に乗った“リゾートやまどり”号の設定など、明るい話題もあり、ローカル線ながら、ここ5年の動向は見逃せない状況であるという事も、改めて分かりました。観光輸送の裏には、確かな地元住民の足ともなっているわけで、そこのバランスの在り方を考えさせられた路線とも言えそうでした。とにかく、一乗客に出来る事は、乗ってみる事…なのですね。
☆JR東日本高崎支社のHP…http://jres.jp/
渋谷駅と横浜駅を結んでいるという性格上、沿線は昔から発展している所なので、その変化も飽和になりそうな印象はあるのですが、2000年に、田園調布駅~武蔵小杉駅間(現在は日吉駅まで)で目黒線の並走区間が開通したり、2004年には横浜駅以遠に、横浜高速鉄道のみなとみらい21線(通称、みなとみらい線)と直通運転をし、元町・中華街駅まで事実上の延伸をさせる等、まだまだ変化の兆しは衰える事を知りません。
更に今後の2012年度の話題として、渋谷駅を介して東京メトロ副都心線との相互直通運転が挙げられます。これが実現すると、現在副都心線に乗り入れている東武東上線、西武池袋線の列車が、東横線を介して横浜駅、元町・中華街駅まで乗り入れる事になっており、東急側としても新宿三丁目駅や池袋駅まで1本で結ばれる事になります。こうなると、JRの湘南新宿ラインと似たようなルートを辿る事にもなり、現在でもその2路線は競合関係にあるものの、更にその争いは熾烈なものになる事でしょう。
また、最近挙がってきた話題として、日吉駅から新横浜駅を経由し、相模鉄道の西谷駅までを結ぶ新路線の計画も具体化してきました。これはそもそも、相模鉄道の西谷駅付近から、東海道貨物線を経由して、湘南新宿ラインと結び、相模鉄道沿線から東京方面へ直通運転をさせる計画があるのですが、その新路線から東横線までのルート(どちらかと言うと、目黒線に直通運転させる予定だそうです)も新たに作るというものであります。これは2019年ぐらいを目途に建設されるという事なので、まだまだ先の話しなのですが、既存の路線を生かしたルート選定の発展は、留まる事を知りません。
…という事で、今後も発展が見込めそうな東急東横線…。今一度、その路線の“今”を、確かめてみたいと思います!…何気に今日10月14日は、鉄道の日でもありましたね。
●日時…2011年10月11日 ●路線距離…24,2km ●駅数…21駅
東横線と言えば、まず渋谷駅ですが、ここも2012年度の副都心線との直通運転開始と共に全てが地下化されてしまうので、現在の姿が見られるのも、あと1年と少し…という事になるのは確実です。副都心線側の渋谷駅は、当たり前ですが既に完成をしていて〔竹内大輔の写真日記(~2009)、地下鉄副都心線開業、その後(地下鉄編)参照〕、後は東横線の線路と繋がるのを待つだけとなっています。ちなみに、この地下の渋谷駅は、途中改札無しに、東急田園縁都市線・東京メトロ半蔵門線の渋谷駅ホームと繋がっており、こちらの管轄が東急になっている事から、副都心線の渋谷駅…となっていますが、駅管轄は東急のものとなっています(駅構内の表示方法が、既に東急仕様のものになっている事からも分かります)。
現在は渋谷駅を出ると、渋谷川を見下ろしつつ、そのまま高架でJR山手線を越え、すぐさま地平レベルになって、カーブを繰り返しつつ代官山駅に到着しますが、副都心線の渋谷駅からのルートとしては、この代官山駅の手前までは地下化される事になっています。当然、現在の代官山駅付近は工事の真っ最中という感じで、あと1年半程で風景は大きく変わりそうですね。
代官山駅の中目黒駅側はトンネル区間になっており、その先で東京メトロ日比谷線と合流し、そのまま中目黒駅となります。この先、日比谷線の車両が菊名駅まで乗り入れていますが、その数は日中は1時間に2本程度と、意外にも少なくなっています。ここでは日比谷線の車両の他、北千住駅以北からやってきた東武伊勢崎線の車両も見る事が出来ますが、その車両は東横線には乗り入れてきません。
さて、中目黒駅を過ぎるとすぐに上り坂に突入し、祐天寺駅を過ぎると、暫くは直線区間が続きます。ここは特急に乗っていると、結構なスピードを出してくれる区間でもあり、なかなか心地良い時間です(笑)。途中、学芸大学駅、都立大学駅と、大学の文字が入った駅名が2駅続きますが、どちらの大学も移転してしまい、現在は付属高校が残るだけとなっています。
そして、東横線の中枢を担う駅の1つである自由が丘駅に到着します。ホームは2面4線で、特急や急行列車では、菊名駅と共に、必ずと言って良いほど普通列車との接続をとる事が出来ます。また、大井町線との接続駅でもあり、常に駅周辺も賑やかです。
さて、この賑やかな駅を過ぎると一変、目黒線との合流をし、閑静な住宅街が広がる田園調布駅に到着します。現在は地下駅となって新しくなっていますが、地上駅時代の駅舎も復元されていて、現駅舎のすぐ脇に残されているのが、この土地柄とでも言いましょうか。この田園調布が開発されたのも、現在の東急の前身とされる会社によるものなので、正に鉄道と街との共存が図られた場所だと言っても良いのかもしれません。
この先、日吉駅まで目黒線と並走しますが、元々この区間は、目黒駅と蒲田駅を結ぶ、目蒲線という路線と、田園調布駅の1駅先の多摩川園駅(現多摩川駅)まで並走していた区間を分け、目黒駅~日吉駅間を目黒線、多摩川駅~蒲田駅を多摩川線として誕生した区間でもあります…。目黒線は、目黒駅側では東京メトロ南北線、都営三田線と直通運転をしていて重要な通勤路線へと生まれ変わり、そして前述したように、今度は相模鉄道と直通運転させる予定があるというのですから、かなりの発展を遂げている路線とも言えるでしょう。目蒲線時代は、4両編成の電車がのんびりと走っているだけでしたが、現在は6両編成で急行運転も行っており、相模鉄道との直通運転開始後(新横浜駅を通るのが、個人的に熱いです…笑)は、8両編成化も行われるらしいです。まだまだ今後の発展にも注目ですね。
…という事で、ここから日吉駅までは、色々な車両の共演が見られます…。ざっと車両の種類を上げると、東横線の車両で5050系、9000系、日比谷線乗り入れ用の1000系、その日比谷線から乗り入れてくる、東京メトロの車両の03系、みなとみらい線からやってくるのがY500系。そして目黒線を走っているのが、東急車両で5080系、3000系、東京メトロ南北線の車両で9000系、その先を走っている埼玉高速鉄道の車両で2000系、都営三田線の車両で6300系…。よく分からなくなってきましたが(笑)、とにかく計10種類の車両が現在では走っています…。これが、副都心線との直通運転開始後には更に増えるわけですから、もう何線なのか分からない状態になってしまうかもしれませんね(笑)。鉄道好き側には楽しいですが、一般的に見ると、何とも複雑な区間に映りそうな気がします…。
基本的に、東横線が外側、目黒線が内側…という状態が続きますが、武蔵小杉駅~元住吉駅間だけは用地の関係で難しかったようで、東横線が高架の上、目黒線が下…という区間も存在しています(左上写真参照)。また、この時の高架下の目黒線の路線ですが、元住吉駅に併設している車庫への出入庫のルートとしても使われています(これは、高架化前の東横線の本線でもありました)。
そんな元住吉駅は、この先の日吉駅まで目黒線が乗り入れる事に伴い、日吉駅での優等列車の待避が出来なくなったので、この元住吉駅で、優等列車の通過待ちが出来るような構造(東横線のみ)で造られています(右上写真参照)。この駅は高架駅ですが、改札口はホームより更に高い場所にあり、外へはそこから一気に地上まで降りていくというのが特徴的だと思います。
さて、長らく続いた目黒線との並走区間も、ここ日吉駅で終わりを告げます。日吉駅の先で、その目黒線の折り返し線路が設けられていますが、恐らくこの先が、相模鉄道との直通路線用のルートとなるのでしょう。まだ工事は始まっていませんが、いずれこの風景も変わっていくのだと思います。
この次の駅の綱島駅までは2,2kmあり、東横線で一番駅間が長い区間でもあります。しかも殆どが直線に等しい区間で高架なので、東横線の最高速度である110km/時を出す列車もしばしばです。綱島駅は特急は通過する駅ですが、急行は停まるので、駅も副都心線直通用に、ホームが8両→10両用に延伸させる工事が始まっています。これは、特急・急行停車駅のどの駅でも始められている工程でもあります。
そして菊名駅に到着します。日比谷線からの直通列車はここで折り返し、JR横浜線との乗り換え駅でもあるので、結構人の出入りは多い所でもあります。この駅より先は、横浜市北部の住宅街を縫うようにして走るので、カーブが連続する区間にもなります。
特急・急行は、菊名駅を出ると横浜駅となりますが、途中には4つほど駅があります。東横線に特急が走っていなかった時代(2001年まで)、最も速い列車は急行列車だったのですが、この4つも駅を通過するというのが、当時は貴重な区間でもありました。…と言うのは、当時の急行列車はどんどん停車駅が増えてきて、目蒲線が目黒線と分かれて多摩川線となった時には、その分岐駅である多摩川駅が急行停車駅とされてから、通過する駅より、停車する駅の方が多い状態になってしまっていて、この菊名駅~横浜駅以外の区間では、2駅以上、駅を通過する事も無かった事から、利用者からクレームも殺到していたのです(ほぼ1駅毎に停車するので、各駅停車を文字って、“隔駅停車”と比喩されたものです…笑)。そんな中での貴重な?4駅通過の区間だったのですが、カーブが多いのでスピードが思うように出せず、結果的に速達的なイメージを持てなかったのが急行列車でもあったのでした。現在は、湘南新宿ラインが開通して危機感を感じたのか、特急という新たな種別の列車が出来ましたが、副都心線直通後にはどう変化していくのか…、楽しみでもありますね。
カーブが続き、東白楽駅の先で地下に潜ります。みなとみらい線乗り入れで、横浜駅周辺も地下化された為で、このまま元町・中華街駅まで、地上に出る事はありません。そして地下化された反町駅を過ぎ、1面2線の横浜駅に到着です。一応、東横線としては終点ですが、構造的にも中間駅のような存在で、列車も殆どがそのまま、みなとみらい線へと直通していきます。東横線から来た列車を見てみると、7割方のお客さんは降りてしまう感じなのですが(笑)、地上時代(みなとみらい線への直通前)は桜木町駅まで通じていたのが、何だか懐かしいですね…。
…こうして、東横線の“さんぽ”は終了しました…。そもそも1駅1駅の駅間が短いので、中には2駅ぐらい歩けてしまう所もありましたが、改めて、非常に変化の富んだ路線だなと思いましたし、また今後にも大きな変化が控えている所が。頼もしくて仕方無い路線でもあるとも思いました(笑)。どうりで、特急や急行に乗っていると、どこからどこまで行っても混んでいるわけです(笑)。副都心線乗り入れ後の、例えば今から約2年後の風景では、今回とはまた違った魅力を展開されてくれるのでしょうね。渋谷駅が地下化されると、現在の東横線の渋谷駅の用地を生かして、湘南新宿ライン・埼京線の渋谷駅がその位置に移設されてくるという話しも出てきているようですし、この競合路線との展開も目が離せません。まだまだ目が離せない、東京の代表路線!…という感じでした。
☆東京急行電鉄のHP…http://www.tokyu.co.jp/
今回取り上げた理由として、やはり夏らしい路線…というのもあるのですが、この路線を含む房総各線(外房線、内房線、総武本線、成田線、東金線等)で、昔から活躍している113系という車両が今月で引退をするという事で、それを見に行かねばいけないという思いに駆られたという部分もあります(笑)。自分が小さい頃は、それこそ房総各線の普通列車は殆どが113系で運転されていたものですが(かつての国鉄の、代表的な近郊型車両の形式でした)、それが全て無くなる…というのは、やはり時代の流れなのだと思わざるを得ません。それまで東京では、JR東海道本線やJR横須賀線等で数多く見られた形式で、これらの路線では既に全車が引退しており、最後の砦が房総各線だったのですが…、ついにこの時が来たか…という感じです。
この引退により、JR東日本管内の113系は全てが引退する事になり、残りはJR西日本やJR四国に目を向けなければならなくなりますが、特に房総各線の113系は、青色とクリーム色の、いわゆる“スカ色(しょく)”と親しまれていた(横須賀線色…という事です…)塗装の車両で、中央本線に残る115系という車両を残しては(塗り分けが若干異なりますが)最後の車両ともなるのです。
…ところで、この車両は現在どれだけ残っていて、どのような運用をされているのでしょう。正に今が流動的な時期でもあるので予想は難しかったのですが、何と残り1本しかない事が判明してしまいました。4両編成の2本を繋げて8両編成で終日走っていて、基本的には房総各線のどの路線にも運用される可能性があるとの事です。…となると、今回外房線に乗ったところで、他の路線に運用されていたら巡り合えない事態になってしまうわけですが…今を逃すともう出くわせません…。今回、夏をイメージした“鉄道さんぽ”のなのに、雨という天気でも実行したのですが、こういった背景があったからに他ならなかったのです。
●日時…2011年8月22日 ●路線距離…93,3km ●駅数…27
…朝、外房線の千葉駅に着いたのは7:30頃でした。結構な早起きをさせられましたが(笑)、目的の列車がどの路線にいるか分からないので、早めに動くに越した事は無いという判断です。既に天気は雨で気が滅入りましたが、早速始める事にしましょう。
とりあえず最初に乗る車両を確認すると、113系…ではなく、これぞ113系を追いやったと言っても過言ではない車両、209系(右上写真参照)が鎮座していました。お気付きの方もいるかもしれませんが、元々はJR京浜東北線で走っていた車両です。長距離用にトイレを設けたり、先頭車をセミクロス・シートに改造したり、ラインカラーを変更したりと、一応は随所に変化は見られますが、雰囲気は以前のままです。それにしても、113系に比べて旅情感が感じられられなくなったのは否めなく、例えばこの車両で終点の安房鴨川駅まで乗ると、軽く2時間以上は掛かってしまうのですが、通勤型車両に揺られ続けるのは辛そうです…。ラッシュ時には重宝しているのでしょうが、何だか面白くない話しですよね。
…と、千葉駅の片隅にあった駅弁屋には、その名も“ありがとう113系記念弁当”というものが売られていました。朝10:00から発売開始で、無くなり次第その日は終了…というものだったので今回は食べられませんでしたが、113系に対する皆の興味の高さを感じさせられる状況なのかもしれません。さて、本物の113系はいないようなので、とりあえずは外房線の旅を続けるとしましょう。
千葉駅から2つ目の蘇我駅までは、内房線も同じ区間を走りますが、登録的には外房線の区間でもあります。しかし、内房線からの列車は、京葉線方面を除く全ての列車が千葉駅まで達するので、一般的にはどちらの路線でも構わないでしょうね…。そんな蘇我駅は、東京駅からの京葉線が合流し、そして内房線が分かれていくジャンクション駅でもあります。
外房線を走る特急“わかしお”号は、東京駅を出発し、殆どが京葉線経由でここまで来て、そして外房線へと入っていきます(また、内房線に入る“さざなみ”号という特急列車も設定されています)。運が良い?と、左上写真のように、千葉駅からの列車と同時並走が見られるかもしれません。それにしても、京葉線の車両は殆どが233系に変わってしまい、約1年前に“さんぽ”をした時〔鉄道さんぽ 3.(JR東日本、京葉線編) 参照〕と、車両の様子が大分変ってしまいました。あんなにバリエーションのあった車両陣はどこへやら…という感じです。こちらにも既に時代の波は訪れているようですね。
内房線を右に見て分かれ、外房線は南東の方角に、房総半島を横切る感じで抜けていきます。それ故に房総台地を通るので、蘇我駅から1つ目の鎌取駅付近で既に、アップダウンの多い区間を通っていくという感じになります。それでも付近は宅地が進み、ここから誉田駅、土気駅と、土地的には山間の駅が続くのですが、全て快速列車は停車し(一部は特急列車も停車)、乗降客数は予想以上に多い地域でもあります。
そんな山間の区間が一段落すると、東金線との接続駅、大網駅に到着します。ここで特筆すべきは、東金線の線路が分かれてから、ホームに到着するという事です。それぞれの路線でホームの雰囲気には差があり、通路で結ばれているものの、なかなか特徴的な形をとっている駅とも言えるでしょう。蘇我駅からここまでの区間は、東金線への列車を含めて、日中の普通列車は1時間に4本の運転となっているのですが、東金線への列車が分かれるので、この先は日中は1時間に3本運転となります。
それ以外として、特急列車は概ね1時間に1本という感じで、朝夕にはこれに、横須賀・総武快速線からのE217系(右上写真参照)も顔を出してきます。外房線の列車の両数は、4両編成から10両編成が一般的なのですが、こちらの快速は15両編成で走っている事も多く、列車によっての両数の差は大したものです(笑)。
そして最近、日中にJR京葉線からの直通列車が設定されるようになりました。これは、京葉線内は快速、外房線内は普通として走るもので、ラインカラーが明らかに違うので、一目で分かる列車となっていますが(右下写真参照)、逆を言えば、外房線のみを走る列車が減ったとも言えそうです。外房線への直通車両は、もう223系に統一されたような感じがありますが、確かに最新型だけあって都会的なデザインですし、路線のイメージアップに繋がりそうです。
大網駅を出ると、今度は平坦な路線となり、列車は快適にスピードを上げ、小さな駅を2つ過ぎると、高架の茂原駅に着きます。沿線の宅地化はこの辺りまでで、東京への通勤圏内も、この2つ先の上総一ノ宮駅くらいまででしょうか。例の京葉線直通列車も、東京駅から上総一ノ宮駅まで1本で行けるような設定になっているので、この辺りが乗客の流れの1つの境界線だと見ても良そうな気がします。
確かに、上総一ノ宮駅自体は大きくなく、周りに大きな市街地もなさそうな感じですが、直通列車は昔から多かったので、運行上の境界線ともとれるかもしれませんね。ちなみに運転本数ですが、茂原駅~上総一ノ宮駅間は日中1時間に2本になり、上総一ノ宮駅より先は、ついに1時間に1本程度の運転となってしまいます(特急は除きます)。
この駅より先は、路線も単線区間となり、いよいよローカル色が濃くなってきます。房総半島らしい雰囲気が漂ってくるのも、この駅からと言って良いかもしれません。…とは言え、やってくる列車というと209系ばかり…。この時点で、113系のこの日の運用が成田線に入っている事が分かってしまい、113系への諦めが出てくるのですが、ここまで来たらまずは外房線を終点まで乗り通すしかないでしょう…。折りしも上総一ノ宮駅は、外房線の中間地点付近に存在する駅でした。
ここからは単線区間になる…と言いましたが、まだ各所で複線区間になる所もあり、運転本数は少ないものの、途中で特急列車の通過待ちを行う普通列車も見られます。この辺りですと車内の乗客はチラホラ…という感じで、夏休みの時期にしては寂しい感じではありますが、この日の天気を考えると仕方ないのかもしれません。つまりはそろそろ海も近付いてくる頃なのですが、外房線は暫くは海とは1kmぐらいの距離をとって走るので、車窓から海を確認するのは結構困難だったりします。
いすみ鉄道に乗り換えられる大原駅を過ぎて、少し浪花という駅で降りてみましょう。この時には雨も止んでおり、たまには“さんぽ”しないとバチが当たりそうです…(笑)。浪花駅は普通列車しか止まらない無人駅ですが、Suica 対応の駅でもあります(外房線の駅は、全てが Suica 対応です)。雰囲気は、もう紛れも無く房総のローカル駅…といった感じで、今でこそ近代的になってしまった駅も多いですが、昔はこんな駅ばかりだったように自分は記憶しています。その意味では、Suica 意外、当時のままを留めている駅とも言えるでしょう。周囲の風景も喉かなもので、セミの鳴き声が凄まじい地域でもありました。夏真っ盛り…というよりは、残暑を感じた光景でもありました。
また浪花駅に戻り、一路南へと進みます。海水浴で有名な御宿駅を過ぎ、列車は勝浦駅に到着しました。1日1往復ですが、この駅まで京葉線の直通列車は設定されており、東京駅までの所要時間も2時間10分くらい(しかし、上総一ノ宮駅で20分くらい停車し、この駅で1つ前の列車に乗った方が早く着きます)なので、勝浦も意外に便利な場所なのかもしれませんね(ちなみに、都心から普通列車で約2時間の距離と言うと、群馬県の前橋辺りになります)。
乗った列車はこの勝浦駅止まりで、すぐさま終点の安房鴨川駅行きの普通列車に接続していたのですが、これが特急列車を使った普通列車でもありました。この先の区間はトンネルやカーブ続きで、特急列車もスピードをあまり出せず、駅を通過するとしても2,3駅の差だけなので、特急列車の一部は、勝浦駅~安房鴨川駅間を“普通列車”として走るものが存在しているのです。利用者からするとお得で、鉄道会社的にも、特急と普通列車をどちらも走らせるのは輸送過剰…という思いがあるのかもしれません。ここからは海も本当に近くなりますが、トンネルも多くなるので、やはりチラチラと望めるだけではあります。
安房小湊駅や、安房天津駅と、“安房”の付く駅が多いですが、そんな外房線の終点も例に漏れずに安房鴨川駅となります。線路は終わらず、この先は内房線になり、要は房総半島をぐるっと1周するような路線形態になっているという事です(ただし、列車は全て安房鴨川駅で分離されています)。この安房鴨川駅、外房線の内房線の終点駅といういには規模が小さいですが、鴨川シーワルドや仁右衛門島、そしてビーチ等、観光要素となるものは沢山あり、その拠点駅としての役割も強いように思います。自分も路線バスを使い(反則?…笑)、外房線と海が同時に望めるという数少ないポイントまで行ってきました。今回は天候が良くなかったので、“さんぽ”的には控え目になりましたが、何とか終点まで辿り着けて、そして海との撮影ポイントは押さえて、夏らしい雰囲気を保てたので良かったと思います。逆戻りは特急を使って、豪華に帰ってしまいましょうか(笑)。
…と、ここで少々腑に落ちなかった気持ちがあったのですが、そうでした…、まだ113系に出会えていないではありませんか…。外房線的には終了ですが、こちらの目的が果たせれていません。まだ14:30という時間で、房総各線の拠点の千葉駅に戻っても16:00くらいなので、もう少し粘ってみるか…と、足を千葉駅に向けさせたのです。
その後、Twitter (本当に役立ちました)で、成田線の運用からいったん車庫に入り、その後出庫しで夕方前に内房線の運用に入ったという情報が入り、これは千葉駅で待っていれば来るのではないかという思いが立ち込めます。113系は現在8両編成、そして、209系との大きな違いは、3扉か4扉かという事…。これは駅の発車案内にも表示されている事柄なので、それを見て簡単に予想がつくのです。そして…、、、
ついに出会えました!♪
…いや~、粘った甲斐があったものです(笑)。何だか懐かしさを覚えますね。内房線の列車として千葉駅に到着した後、折り返しの行先は何と、外房線の勝浦駅行き!…という事は、正真正銘、外房線の運用に入ったわけで、今回の“鉄道さんぽ”に堂々と組み入れて良い列車になったわけです。ただ、流石に今からまた勝浦駅まで行くわけにはいかないので(笑)、2つ目の蘇我駅まで、しっかりと乗らせて頂きました。209系から見ると、明らかに洗練されたとは言えない容姿、そしてクラシカルな車内でしたが、この安心感というのは、やはり昔から使われていた車両だったからなのでしょう。
恐らく、東京近郊で乗る事、そして出会う事はもうないと思われる113系…。最後と言うのにはまだ早過ぎますが、そんな瞬間に立ち会えて良かったです。この日の出発時の事を思えば、雨にも関わらず実行を決めたのが吉と出ましたね。これも良い夏の思い出の1つとして、自分の心に刻まれた事でしょう!
基本、鉄道さんぽを行う時の天候は晴れが良いです。空も明るく、太陽が鉄道車両を照らしてくれるお陰で写真も綺麗に写り、何より“さんぽ”ですから、雨ですと足が鈍ってしまいます…。しかし、鉄道路線の中には、雨という天気が似合う路線もいるもので、今回取り上げた箱根登山鉄道もその1つではないでしょうか。
箱根登山鉄道は御存知の通り、小田原市と箱根町を結ぶ鉄道で、日本では珍しい本格的な山岳鉄道でもあります。特に、本格的な山岳区間となる、箱根湯本駅から終点の強羅駅までの間は、距離にして9km程の間に約440mも登り、粘着鉄道(普通鉄道)としては日本で最も急な勾配である、80‰(1000m進むごとに、80m高くなる坂です)という坂が、至る所に存在しています。箱根登山鉄道は、鉄道線の他に鋼索線(ケーブルカー)も有していますが、今回は小田原駅~強羅駅間の鉄道線のみを取り上げます。
沿線は温泉街も多いですが、箱根湯本駅より先は険しい山の中…という感じで、視界も開ける事はなかなか無く、しっとりとした風景が似合う区間でもあります。また、沿線には職員の手で植えられたアジサイが多く見られ、それが雨の似合う路線…とも言える所以でもあります。今回さんぽを実行した日は曇り時々雨…という天候で、霧も多く発生しており、箱根登山鉄道らしい風景を演出してくれました。多くの写真と共に、その魅力を伝えられたらと思います。
●日時…2011年6月26日 ●路線距離…15,0km ●駅数…11駅
箱根登山鉄道の起点となる駅は小田原駅ですが、現在、それが分かる人は数少ないのではないでしょうか。…と言うのは、現在は箱根登山鉄道の車両は、小田原駅には乗り入れてきていないからです…。どういう事かと思うかもしれませんが、現在、路線の小田原駅~箱根湯本駅間は、小田急電鉄の車両のみによって運行されている状態なのです。
元々は箱根登山鉄道の車両だけで運行されていたその区間に、小田急電鉄が乗り入れてきたのが1950年の事…。これによって新宿駅と箱根湯本駅間は1本化され、直通列車も走り、大変便利になりましたが、お互いにレールの幅が違うので、小田原駅~箱根湯本駅間は、どちらの車両も走れるように、三線軌条という、全部で3本のレールが敷かれていたものでした。
ただ、箱根登山鉄道の車両は、急勾配、急カーブに備えて造られている為にサイズが小さく、小田急の車両とは輸送力に相当な差が出ていました…。また、バリアフリーの問題もあってか、2006年3月以降は、箱根登山鉄道車両は箱根湯本駅~強羅駅のみの運行とし、小田原駅には顔を出さなくなりました。この時、3線あったレールも、小田急サイズのレールを残して撤去されたので、物理的に小田原駅に行く事すら不可能になっています。
それ以降、小田原駅~箱根湯本駅間は、小田急の車両によってのみ運行されるという不思議な区間になるのですが、一部、小田急の車両も、箱根登山鉄道に合わせた塗装に変更された車両を登場させ、その路線ブランド維持に努めています。ただ、箱根登山鉄道の路線図を見てみると、小田原駅~箱根湯本駅間は“小田急電車”、箱根湯本駅~強羅駅間は“箱根登山電車”と称しているので、その運行形態からも、これが一番分かりやすいのでしょうね…。確かに、“登山”と連想出来そうな区間は、箱根湯本駅以降の区間でもありますし…。
…というわけで、小田原駅は箱根登山鉄道の起点駅でもありますが、やはり駅の雰囲気というのは小田急電鉄…という感じは否めません…。ただ、新宿駅から小田急ロマンスカー等でこの駅を過ぎると、単線区間に入り、急に速度を落として、それは慎重に走っていく感じになるので、やはり小田急電鉄の路線とは一味違う部分がこの先には存在しているのです。
1つ目の箱根板橋駅の手前では、半径160mの急カーブがあり、ここの速度の落としっぷりは特筆ものです(笑)。島式ホームの当駅ですが、下り線側にはもう1つ、小さいホームが存在しています。これは、かつての登山鉄道車両用のホームで、三線軌条だった時代の時に、登山鉄道車両と小田急車両が駅に着くと、その車両サイズの違いから、ホームと車両の隙間が大幅に空いてしまうという状況が生まれてしまい、この専用ホームを使っていたのです。1本レールが外されてしまった今(右上写真の左側の線路に、その跡がありますね)、このホームは使われなくなってしまいましたが、かつてここに箱根登山鉄道の車両が来ていた…という事を伝える大事な存在でもあるかもしれませんね。
さて、小田原駅~箱根湯本駅間は“平坦区間”とも呼ばれ、まだ山岳路線というには早いような雰囲気でもあるのですが、それでも40‰という勾配も存在しますし、この区間を小田急電鉄の車両が走っているといのも、なかなか面白い光景ではあります。
風祭駅を過ぎ、入生田駅に到着する手前の右側に箱根登山鉄道車両用の車庫が見え、ここからは昔のように、三線軌条となって進みます。ただ、ここと箱根湯本駅間を走る登山鉄道の車両は回送列車のみで、営業運転列車はありません。それでも三線軌条を手軽に見れる区間としても、この区間は貴重と言えるかもしれませんね。更に急勾配、急カーブが続いて、速度も落として走る区間でもありますが、左側に早川が見えてきて並走し始めると、小田急列車区間との分岐点、箱根湯本駅に到着します。
今回、さんぽを行った日は日曜日でもあったので、箱根湯本駅は大混雑という感じでした…。無理も無い筈で、ここまでの列車は、普通列車で4両、特急列車で6両相当の列車から、登山鉄道車両が2両又は3両の編成になってしまうからです。また、1両の長さ自体も小さく、小田急車両は20mに対し、後者は15m程です。登山鉄道車両はラッシュ時のような状態は必至で、中には整理乗車を行っている列車すらありました。ここで「車で来ていれば良かった」と思う人もいますが、ここにはメインの道は国道1号線の1本しかなく、こちらは渋滞が必至という状態です…。果たして、どちらを取るべきか…(笑)。
…という事で、この先は混雑必至の箱根登山鉄道車両のみの運行となります。小田原駅寄りの区間は物理的に登山鉄道車両の乗り入れが不可能になりましたが、ここからは、小田急車両の乗り入れが物理的に不可能となるわけです。それは、列車が箱根湯本駅を出てからすぐに現れる、例の80‰の急勾配(右上写真参照)を見れば明らかです。箱根登山鉄道の車両は、1両の長さが約15mと書きましたが、これでこの坂を登ると、1両の前と後ろでは、約1mの高低差が付く計算になります。3両編成ですと、約3mもの差です。車内にいても、吊革が斜めになる事から急勾配である事が分かり、今回のような日曜日ですと、観光客は早速大はしゃぎ…という感じではないでしょうか(笑)。
列車は黙々と登っていきますが、ほんの数百メートル走ったところで、湯本駅の温泉街が遥か下に見えるようになり、勾配のキツさを実感させます…。そのままトンネルを入ったり出たりを繰り返し、塔ノ沢駅に到着します。ホームの両側をトンネルに挟まれており、山の奥という雰囲気が満点の駅でもあります。
実際、この駅に列車以外で人が到達するには、国道から約5分程、歩行者用通路を通っていかなくてはなりません(唯一の、終日無人駅でもあります)。車等の乗り入れもまず出来ず、小田原寄りのトンネルを拡張した際の作業の大変さが想像出来ますが(手掘りを余儀無くされたそうだとか…)、自然真っ只中の駅でもあり、是非一度降りて、その雰囲気を体験して頂きたい駅でもありますね。
駅を出ると、すぐトンネルに入り、更に勾配を登っていって、今度は早川橋梁という橋を渡ります。これは、通称“出山の鉄橋”と言われていて、深さ43mの渓谷を渡る、箱根の観光名所の1つともなっています。紅葉時には、橋上で減速や停止も行われていて、車内にいるお客さんは一斉に外に向けてカメラを撮り始める場所でもありました。
ここは、付近に架かる道路橋からも眺められる、有名撮影ポイントでもあったのですが、現在は封鎖されてしまい(その奥に通じる旅館が閉鎖されたからです…)、そこからの撮影は不可能になってしまいました。なので、現在は左下写真のような感じが限界ですが、若干無理がありますね…。素晴らしい景観を誇っていた場所なだけに、残念です。
早川橋梁を渡り、更にトンネルに入り、今度は左にカーブします。そのまま180度程は進行方向が変わったかと思うと、出山信号所に到着します。谷側には、先程通った早川橋梁が遥か下に見えて、こんなに登ってきたのか(実際、こことの標高差は50~60m)と実感させられるポイントでもあります。ここで最初のスイッチバックを行います。
スイッチバック…つまり、列車の進行方向が変わるのです。この先は、ただの直線の坂では、いくら登山鉄道車両でも登れない地形の為、こうして山を登っていく手法が使われており、この鉄道では終点まで、このスイッチバックが3回行われます。当然ですが、スイッチバック時には運転手と車掌の場所も入れ替わるわけで、御丁寧にその足で、列車の前から後ろまで、信号所に敷設されている小さなホームのようなものを通って移動しています。そして、やっとの事で列車が発車しますが、この次の大平台駅まで、塔ノ沢駅から直線距離にして1,6~1,7kmにも関わらず、例のスイッチバックや急カーブ、急勾配もあったりするので、列車は15分も要しています。ちなみにこの1駅で、列車は184mも登っています。
さて、大平台駅の標高は349m。この日、霧が発生してきたのも、この高さになった辺りからだったでしょうか…。この駅はスイッチバック駅になっており、大平台駅に到着する直前に、左から線路がやってきて、頭端式のホームに到着する…という感じです。この駅では是非列車から降りて、色々と沿線風景を見てみたいものです。
雨はギリギリ降っていない…という感じですが、霧の発生は本当に気紛れで、少し前は景色がくっきりと見えていたのに、次の瞬間には100m先は何も見えない…という状況にもなってしまったり…、鉄道の写真を撮るには不向きの条件でしたが、薄めの霧ぐらいですと雰囲気は抜群なのもまた事実です。しかし、自然発生的なものなので、その予測は不可で、暫くはそことの戦いの時間が続いたものでした。
霧が濃い状態ですと、鉄道が近付いて来るのかさえ分からなくなってしまうのですが、耳を澄ますと、あの独特の箱根登山鉄道の車両の音が聞こてくるのです。大平台駅を出発した電車は、また坂を登り始めますが、すぐに上大平台信号所に到着し、ここで3度目のスイッチバックを行うので、この付近では行ったり来たりを繰り返すのか、走り去っていった鉄道の走行音が、また少し経つと聞こえ始める…という状況になるのです。目で見るだけでなく、耳で聞くだけでも、スイッチバックという独特のシステムを感じる事が出来る…。霧は、そんな面白い環境も作ってくれていたようでした。
上写真は、そんな上大平台信号所の写真で、最後のスイッチバック・ポイントでもあります。ここまで全部で3回のスイッチバックがあったので、箱根湯本駅を発車した時点とは、逆の進行方向になっている事にも注目です!…この先、トンネルを抜けると仙人台信号所となりますが、ここはスイッチバックではないものの、必ず一旦停車します。そして再び国道1号線と並走し始めますが、山肌に沿ったルートを敢えて通している為に、急カーブ、急勾配はやはり続きます。特に、右下写真のカーブは、半径30mという相当なもの。3両編成の場合、先頭車と後尾車の角度は120度にもなるそうです。
このまま徐々に高度を上げていき、宮ノ下駅に到着します。ここの標高は448mで、大平台駅からは約100m上がってきた事になります。やはり、直線距離では1km強ぐらいしか離れていませんが、ここまで10分くらいは要します。宮ノ下駅は、宮ノ下温泉や堂ヶ島温泉等がある場所であり、あの有名な富士屋ホテルもあるので、なかなか乗降客の多い駅でもあります。
この駅には、ホーム自体にアジサイが植えられていて、自分も途中下車をしつつ、色々と写真を撮っていたのですが、霧が一気に濃くなったり、それらが逆に全く晴れてしまったり…あまりに刻々と状況が変わるので、ついつい1時間程滞在してしまいました(笑)。箱根登山鉄道の運転本数は、1時間に上下4本ずつが基本なので、意外とシャッター・チャンスには恵まれているのですが、天候にはやはり勝てません。ひとまず、上下4枚の写真が、宮ノ下駅付近を表している写真になっているかなと思います。
さて、宮ノ下駅を発車し、1,3kmの距離で87mを登り、標高535mの小涌谷駅に到着します。更に登っていき、左に、右にと急カーブで進路を変えていきますが、その後は箱根登山鉄道では珍しく直線が続き、緩い登り勾配で彫刻の森駅に到着します。有名な、彫刻の森美術館の最寄駅です。ここの標高は551mで、そろそろ終点も近付いてきた感じになります。
ここまで見てきたように、箱根登山鉄道の車両は、一般的な鉄道車両より少し小さ目なのがお分かりかと思いますが、それも急カーブ、急勾配に対応させる部分があっての事です。急カーブ時は、車輪とレールの磨耗を防ぐために、散水を行いながら走行してます(つまり、水を蓄えるタンクが装備されているのです)。また、電車の走行、ブレーキに使用している抵抗器は、下り坂での発電ブレーキで使用の際に大量の熱が発生する為、冷却しやすい用に屋根上に搭載されています(…なので、新しい車両に掲載されているクーラーは、車内に装備されています)。
さて、彫刻の森駅を発車すると、ここからは平坦な道のりが続きます。急カーブも途中1ヶ所のみで、それまでの重い走行音も一転して、軽快に終点を目指していく感じです。そんな状況も束の間、ほんの2分程でで終点、強羅駅に到着です。ここの標高は553m。小田原駅の標高は26mなので、527mも登ってきた事になりますが、これぞ山岳鉄道と言える数字かもしれませんt年。周辺には温泉街もあり、色々な施設も多いですが、この先はケーブルカー路線もあり、各方面に向かうバスの路線もあるので、箱根観光の拠点ともとれる駅にもなっているのかもしれませんね。いつも賑わっているイメージがあります。
今回の“さんぽ”はここまでです。箱根登山鉄道は、これまでに何度も乗っていますが、今回程途中下車をしたり、駅間を歩いたりをした事は無く、なかなか楽しい時間でした。天気にも恵まれて(ここでいう恵まれる…とは、霧だったり、それが晴れたりと、色々と変化があった事を指します…笑)、箱根登山鉄道の魅力的な側面を映し出してくれたかもしれません。
このままケーブルカーに乗って、ゴンドラに乗って…、箱根観光を楽しんでしまいたいところですが(笑)、いつの間にか午後5時くらいになっていたので、これで引き返します。今度またゆっくり来よう…。そう思えただけでも十分なくらい、充実した箱根登山鉄道の“さんぽ”だったと思いました♪
☆箱根登山鉄道のHP…www.hakone-tozan.co.jp/