- 2024/11/21 [PR]
- 2019/08/13 鉄道さんぽ 58.(JR北海道、札沼線)《まだ途中です!》
- 2019/06/11 鉄道さんぽ 57.(西武鉄道、池袋線)《まだ途中です!》
- 2019/05/09 鉄道さんぽ 56.(JR西日本、桜井線)《まだ途中です!》
- 2019/02/24 鉄道さんぽ 55.(阪神電気鉄道、阪神本線)《まだ途中です!》
- 2018/12/13 鉄道さんぽ 54.(伊豆箱根鉄道、駿豆線編)《まだ途中です!》
- 2018/10/30 鉄道さんぽ 53.(JR東日本、武蔵野線編)《まだ途中です!》
- 2018/09/05 鉄道さんぽ 52.(京成電鉄、押上線編)《まだ途中です!》
- 2018/06/20 鉄道さんぽ 51.(JR西日本、奈良線編)《まだ途中です!》
- 2018/04/30 鉄道さんぽ 50.(小田急電鉄、小田原線編)《まだ途中です!》
- 2018/02/20 鉄道さんぽ 49.(JR東日本、八高線編)《まだ途中です!》
路線は札幌医療大学駅を境に大きく性格が異なります。札幌駅から当駅までは1980年頃から始まった「札幌ニュータウンあいの里」等の住宅開発、そして大学の移転等により、高架化や一部区間の複線化、駅の増設、列車本数の増発、そして電化化等も進められていて、比較的利用者の多い区間ではあるのですが、対して当駅以降は非電化単線は勿論の事、列車本数も非常に少ない典型的な閑散区間で、いつ廃止になってもおかしくない状況だったのですが、ついに来年2020年5月、札幌医療大学駅〜新十津川駅間の廃止が決定になりました。この区間は11年前に一度だけ乗った事があって〔竹内大輔の写真日記(〜2009)、黒光由佳、北海道ツアー(2008.6.28〜7.2)参照〕、特に末端区間の浦臼駅〜新十津川駅間は当時1日3往復のみの運転。流石、北海道の路線は過疎感も凄いなと思っていたのですが(この時、この区間は列車に自分1人しか乗っていませんでした)、2016年3月からは更に列車本数が削減され、1日1往復という状態になってしまいました。これはJR路線の旅客列車の本数としては史上最少の運行本数でもあり、この時既に廃止への警鐘は鳴っていたのかもしれません…。
桑園駅〜札幌医療大学駅間は残るものの、この区間はもう札幌都市圏への通勤・通学路線という雰囲気があり、6両編成の電車が頻繁に行き交っているので、いわゆるローカル線という部分の札沼線はあと1年足らずで見納めという事になるでしょう。末端区間は1日1往復故、札幌に来た時についでに足を運んで…というような気軽な感じでは乗りに行く事が出来ません。今回は前々から予定を決め、この札沼線を『鉄道さんぽ』する!という強い気持ちで乗りに行ったのでした(笑)。
前述のように、札沼線は1日1往復のみの区間が存在するので、いつものように駅を降りたり乗ったり…という行動が制限されてしまいます。なので、今回は札幌駅〜新十津川駅の往路、復路…という行動に分けて書いていきたいと思います。起点と終点でこうも表情が異なる路線というのも、なかなか無いかもしれません。是非、現在の札沼線に触れて頂きたいと思います。どうぞ御覧下さい!
●日時…2019年8月5日 ●距離…76,5km ●駅数…29駅
お楽しみに!
そんな池袋線は、1915年に武蔵野鉄道として池袋駅〜飯能駅間を開業させたところから始まります。その後、1945年に現在の西武新宿線系統を開業していた西武鉄道(旧川越鉄道…1892年設立、1894年に現在の西武国分寺線の路線部分を開業させていたので、路線自体は武蔵野鉄道より歴史があります)を合併し、西武農業鉄道という名前になり、翌年に西武鉄道に改称されて現在に至ります。
西武農業鉄道…という名前は、戦時中当時、第二次世界大戦下の食料不足に対応する為、沿線の耕地を利用した大規模食糧提供を目的に食糧増産株式会社を設立していて、前述の合併時にこの会社も合併されているからです。また、この時期は東京都からの委託によって糞尿輸送も開始されていました。当時の車だけでの処理では追い付かなかったのが理由で、専用の貨車も造られましたが、衛生面で問題が続出してしまい、1951年には輸送が休止されています。
戦後は国鉄の戦災車や事故車、これらが枯渇すると老朽廃車となった木造車を大量に譲り受けて、自社の所沢工場で改造、修繕を行って走らせていました。当時の大手私鉄というと、国鉄モハ63形の割り当てによって体制を整えている感じだったので、西武鉄道は異質の存在でもありました。この時は「質より量」という考え方で、ようやく車体が新造されても台車や機械類は国鉄の譲り受けたものを使っていて、その後も暫く新性能電車は造られませんでした。前述の糞尿輸送のイメージもあり、他社と比べて時代が遅れている感も否めなかったですが、1963年には池袋駅〜所沢駅間で私鉄で初めて10両編成の運転を開始。他社がまだ6両編成ぐらいで乗車率は200%を軽く越えていた時代で、「質より量」という方針は間違ってもいなかった事を証明させています。
しかし、1969年には自社のイメージ確立に乗り出し、高性能電車である101系をデビューさせます。この車両は現在でも利用者の西武のイメージである「黄色の電車」の第1号でもあり、後にこの車両で冷房試作車が登場。急ピッチで高性能化は冷房化が進められるようになりました。この過程で、1977年には西武鉄道で初の4扉車で界磁チョッパ制御・回生ブレーキを採用した2000系が登場。現在でも多くの車両が活躍してます。1985年の時点で電車保有数912両中、高性能電車は97%、冷房車両も91%で、この数字は関東大手私鉄中1位に位置するようになり、「質より量」と言っていた時代からは一転していた事が分かります。
都心中心部への乗り入れは、1998年の地下鉄有楽町線、2008年の副都心線で実現。後者は更に2013年に東急東横線・横浜高速鉄道みなとみらい線と直通運転を開始し、神奈川県でも西武の車両が見られるようになりました。
これらの乗り入れ車両も含めて、現在の西武池袋線では本当にバラエティに富んだ車両が見られます。特別塗装車も多く、列車が擦れ違う毎に異なる車両が見られたという状況も珍しくはありません。2017年は最新鋭の40000系を使用した有料座席指定列車「S-TRAIN」の運転も開始し、今年2019年3月には001系特急『Laview』の運転も開始されました。この車両は〔鉄道さんぽ 53.(JR東日本、武蔵野線編)〕の時に甲種輸送されていたのが記憶に新しいと思いますが、そんな中、現在の特急列車に使われている10000系が、今年度限りで池袋線から引退すると発表されました。2種類の特急車両の共演は今だけになりそうです。特別塗装車両も期間限定のものが多いので、ここで様々な車両を今一度押さえておきたいと思いました。それではどうぞ御覧下さい!
●日時…2019年6月8日 ●距離…57,8km ●駅数…31駅
お楽しみに!
そんな桜井線は、高田駅〜桜井駅間が大阪鉄道によって、京終駅〜桜井駅間が奈良鉄道(既に京都駅〜奈良駅間を運行中)によってそれぞれ1890年代に造られ、その後奈良駅〜京終駅が繋がるも、両鉄道とも関西鉄道に譲渡、その関西鉄道が国有化されて現在に至ります。当時は大阪市や京都市等から、橿原市、桜井市、天理市等に向かう重要な交通機関に位置付けられていましたが、近畿日本鉄道(以後、近鉄)の前身である大阪電気軌道や奈良電気鉄道によって、現在の近鉄大阪線、京都線、橿原線、天理線等が開通し、乗客の多くがそちらに流れ、現在の桜井線はローカル線のような存在になっています。特に、近鉄大阪線と並行する桜井駅〜高田駅間は、近鉄が複線で特急も走る多頻度運転に対し、桜井線は単線で2両編成のワンマン列車が1時間に1本走るのみと、利便性にも大きな差が出来てしまっている状況です。
基本的には地元の方々によって支えられている桜井線ですが、ここを走る105系500番台という車両は全国的にも貴重で、この『鉄道さんぽ』で何度も追い掛けている103系という車両の、2両編成バージョンみたいな車両でもあります。105系は番台によって色々と種類が分かれている車両ですが、実際ここの105系500番台は、元々は東京の常磐緩行線が地下鉄千代田線に乗り入れる為に製造した103系1000番台を国鉄末期に改造させたもので、至る所に当時の面影が残っているのです。
そんな桜井線に、新型車両227系1000番台が今年3月に導入され、2020年の春には全車が置き換え完了とのニュースが入ってきました。桜井線の車両数なんてそう多くはないのですが、直通運転をしているJR和歌山線と車両を共有している為に、あと1年の猶予があるみたいです。そして、3月に導入されるも、まだ桜井線内では運転を開始していないようで(現状、和歌山線内だけの運行)、103系500番台を見るのも乗るのも今だと確信したのでした。
関西圏のJR路線を見てて、他の路線のサービスアップが続々と図られていく中、ここ桜井線の変化の無さには大丈夫かと思ったものでしたが(笑)車両は前述の通り置き換えがされるとして、駅のリニューアルというのも徐々に行っていいるようでもありました。今回は、今の桜井線に触れてきました。どうぞ御覧下さいませ!
●日時…2019年5月3日 ●距離…29,4km ●駅数…14駅
お楽しみに!
そんな中での阪神電鉄です。1899年に会社が設立され、1905年という早い時期に路線の営業を開始。その時既に神戸(三宮)〜大阪(現在の福島駅〜梅田駅の間)間の路線を持つ鉄道会社となっていました。都市間電気鉄道としては最も古い歴史を持っています。
この時期、大阪〜神戸間では既に官鉄線(旧国鉄東海道本線)が走っていて、この路線と並行して阪神電鉄が開業するにあたって、競合を危惧するという事で私設鉄道法での許可が認可されなかったので、軌道条例準拠に則って軌道敷設申請を行いました。要は路面電車としてだったら開業しても良いという事なのでしょう。・とは言え、殆どは専用軌道となっていて「線路のどこかに道路上があれば良い」という了解を得た事で実現されたものでした。こういった経緯から、集客を目的として、ルートは西国街道沿いの集落を結ぶ形でカーブは多く、駅間も平均約1kmと短くなっています。
1920年に本線に並行して阪神急行電鉄(現在の阪急)が神戸線を開業させると、お互いで激しい乗客獲得競争が繰り広げられるようになります。中には、車内でハンカチを無料配布させるというサービスまであったらしいですが、この時から阪神は大阪〜神戸間の多頻度運転を進めるようになり、「待たずに乗れる阪神電車」というキャッチフレーズが広く知られるようになりました。そして2006年には阪急・阪神経営統合へ…。阪神が阪急ホールディングスの子会社になるとは驚いたものでしたが、その後は競争というよりは共存共栄、棲み分けが行われているような感じです。
現在の阪神電鉄の総合営業キロは、第2種鉄道事業区間の神戸高速線及び、2009年に延伸された阪神なんば線の区間を含めても 48.9km で、1990年に相模鉄道〔鉄道さんぽ 40.(相模鉄道、本線編)参照〕が大手私鉄に昇格するまでは、大手私鉄の中で最も距離が短い私鉄でもありました。しかし路線が短く車両数が少ない事を利点とし、早期における軽量高性能車、高減加速車の開発、電機子チョッパ制御の実用化、そして全車両冷房化の達成(1983年)等々、「技術の阪神」と永らく言われていて、その評価も高いものです。
また、優等列車と各停列車で車両の性能を完全に分けているのも特徴です。特に各停列車は日本一の高加減速車両と言われており、「ジェットカー」の愛称が付けられています。この施策は以前は他の鉄道会社でも取り入れている事はありましたが、沿線人口が増えるにつれて車両の装備が追い付かなくなり、結局は通常の加減速車両と連結したり、付随車(モーター無しの車両)を装備させたりする事によって、高加減運用は解除されていきました。阪神が現在でも唯一と言えるこの運用を行っているのは、駅間が短い事に加え、沿線が既に成熟していて人口の伸びが緩やかだった事や、各停列車の本数も少なく、あくまで優等列車の補助的立場として運用させているからだと思われます。
さて、少し挙げるだけでも個性的な一面が垣間見れる阪神電鉄ですが、前述のように路線長は短いものの、山陽電鉄や近鉄線との乗り入れで、西は姫路から、東は奈良までも顔を出すようになっています。お陰で、行き交う車両もバラエティに富んでいて、最近の車両も個性的で目が離せません。暫く乗っていなかった阪神電鉄の現状を確かめておきたいと思います。それではどうぞ御覧下さい!
●日時…2019年2月23日 ●距離…32,1km ●駅数…33駅
お楽しみに!
この「駿豆」という言葉は、駿河国と伊豆国を結んでいるという意味合いがありますが、これはかつて駿豆鉄道(当初は駿豆電気鉄道)時代に、駿河国に属していた沼津市と、伊豆国に属していた三島市の間に運行していた軌道線(1963年に廃止)を保有していた鉄道会社の路線の名残でもあります。現在は駿豆線は前述のように三島駅〜修善寺駅間の路線なので、全線が伊豆国内を走っていますが、路線開業当初は起点が現在のJR御殿場線の下土狩駅となっていて、微かに駿河国内も走っていました。
この下土狩駅ですが、実はかつての「三島駅」でもありました。これは、以前ここでも取り上げた〔鉄道さんぽ 13.(JR東海、御殿場線)〕にあるように、御殿場線は当初の東海道本線のルートの一部だった事に由来します。故に、現在の東海道本線の三島駅がある位置にはまだ駅が造られていないわけで、駿豆線の起点も現在の三島駅ではなく、当時の三島駅(現在の下土狩駅)まで線路が達していたのでした。これが1934年に丹那トンネルが開通して、東海道本線のルートが御殿場経由から熱海経由に変更された時に、熱海経由の新線に2代目となる三島駅が誕生。駿豆線の起点も線路を付け替え、こちらに変更されたのでした。駿豆線の三島駅付近でカーブが多いのはその為とも思われます。
ところで、今でこそ駿豆線は三島駅が起点となっていますが、路線計画当初は起点を沼津にする予定でもありました。東海道本線が御殿場線経由だった頃、三島駅には駅が設けられていなかったのですが、これは三島の町の者が鉄道建設に猛反対していたという状況があったからです。これは、まだ鉄道の信頼性が薄かった鉄道創成期では珍しい事ではなく、騒音や空気の汚れ(当時は蒸気機関車だった為)をもたらすイメージも大きかったのかもしれません。いずれにせよ、当時は三島には駅は設けられなかったのですが、人の流れが変わって三島の街は寂れてしまい、そんな時にこの駿豆線(当時は豆相鉄道)の計画が持ち上がった時に、この危機を脱しようと、三島は積極的に土地の無償提供等も行って誘致をはかり、東海道本線(現在の御殿場線)と豆相鉄道の連絡駅として、ようやく三島駅(現在の下土狩駅)を開設するに至ったのです。
勿論、その後の東海道本線が熱海経由に変更される時にも三島の誘致は凄く、これも当初は三島の町の南の方を通って熱海から真っすぐ沼津駅に向かうようなルートを通る予定だったのですが、路線を迂回させて三島の町に近い部分を通らせ、現在の三島駅を開業させるに至ったのでした。現在は東海道新幹線も停車する三島駅。こちらも開業当初は駅が無かったのですが、地元の強い希望で、新幹線新駅の第1号として、新幹線開業5年後に開設されています。
さて、そんな駿豆線ですが、この御殿場線下土狩駅起点時代から、東京方面からの国鉄の直通列車が運行されています。これは戦時中にいったん中止されるも、1949年から再会されており、現在も東京駅から特急『踊り子』号が乗り入れています。しかし最近になって、この『踊り子』号の先行きが不安視されてきてしまいました。現在『踊り子』号に使われている185系という車両は国鉄時代に造られていて古く、そろそろ経年置き換えの時期となっていて、『踊り子』号自体はE257系という車両に置き換わる事が決定されているのですが、この修善寺駅行きの編成は5両となっていて、それが9両+2両編成のE257系では勤まる事が出来難そうだからなのです…。
185系が登場した国鉄時代と現在では状況が異なっているのが、現在修善寺駅に乗り入れる『踊り子』号の運行区間のうち、熱海駅〜三島駅のみがJR東海の区間になっているという事でしょう。JR東日本時代に生まれたE257系がこの別会社の区間に新しく乗り入れる事は少々考え難いのです。メインの区間となるJR東日本からしたら、別会社となるこの区間に乗り入れる事による増収はあまり発生しませんし、JR東海としても、自社の路線である東海道新幹線で東京駅から三島駅まで来て貰った方が良いと考えそうです。
…そうなると、『踊り子』号がE257系に全車置き換わった時点で、駿豆線を走る『踊り子』号は見納めになる可能性が高そうなのです。これはまだ予想段階なので何とも言えませんが、実際、185系の引退が迫っているのは事実なので、今の内に駿豆線に乗っておきたいという気持ちは大きくなっていたのでした。三島駅〜修善寺駅間という、20km 足らずの短い路線ですが、『踊り子』号を含め、普通列車の車両もバラエティに富んでおり、なかなか楽しい駿豆線。どうぞ御覧頂ければと思います!
●日時…2018年12月9日 ●路線距離…19.8km ●駅数…13駅
お楽しみに!
これは、武蔵野線が元々は貨物路線として建設された事に起因します。国鉄時代の当初、東海道本線方面と東北本線方面とは山手貨物線で結ばれていましたが、貨物量の増加により、都心を通らないで迂回出来る首都圏の外環状路線として、武蔵野線のルートが出来上がったのでした。1964年に着工され、1973年府中本町駅〜新松戸駅間、そして各路線とを結ぶ支線となる、国立駅〜新小平駅間、新秋津駅〜日本国有鉄道線・西武鉄道株式会社線分解点間、西浦和駅〜与野駅間(支線ではこの区間のみ、JR東日本も管轄)、南流山駅〜北小金駅間、南流山駅〜馬橋駅間が開業。この内、本線となる府中本町駅〜新松戸駅間で、貨物路線建設の見返りとして旅客運転も開始されましたが、日中は40分毎、ラッシュ時でも15分〜20分毎の運転と、その列車本数は少ないものでした。
その後、1976年には貨物列車のみの運転として鶴見駅〜府中本町駅間が開業し、続いて1978年には旅客列車のみの運転として新松戸駅〜西船橋駅間が開業して、現在の武蔵野線の大枠が出来上がりました。その後、西船橋駅より先は京葉線として建設され、武蔵野線が京葉線に乗り入れる事で海浜幕張駅行き、東京駅行き(直通運転開始当初は新木場駅行き)という列車が見られるようになりました。
旅客運転が開始された当初の運転本数は、首都圏内にしては微々たるものでしたが、1970年代後半になってくると、貨物列車は拠点間集中輸送で列車本数が削減されでダイヤに余裕が出てきて、更に沿線人口も増えてきた為に、列車本数も徐々に増発されていきます。現在の日中のダイヤは10分毎にまで増え、最初は6両編成だった列車も、現在は武蔵野線用の全列車が8両編成になりました。
2000年代になってくると更に沿線開発が進んできて、JR東日本はこの武蔵野線、乗り入れ先であるJR京葉線、府中本町駅で接続するJR南武線、そして西側を通るJR横浜線を『東京メガループ』と指定しました。これら路線に共通する事は、首都圏の外環状線の一部を形成し、首都圏中心部から放射状に伸びる各路線と接続駅を多く持っているという事で、利用者が伸びているこれらの路線の活性化に、現在特に力を入れている状況でもあります。これらの路線は、首都圏中心部から放射状に伸びるJR中央線やJR東海道本線等から比べると、車両や駅の施設等、近代化が遅れていた傾向がありました。しかし、これまで『鉄道さんぽ』でも取り上げてきた、
〔鉄道さんぽ 3.(JR東日本、京葉線編)〕
〔鉄道さんぽ 25.(JR東日本、横浜線編)〕
〔鉄道さんぽ 29.(JR東日本、南武線編)〕
…を見てみると、新製E233系が相次いで投入。京葉線を一部車両を除いて、殆どがこの車両に統一されました。これらが置き換えられたのは205系で、かつて東京のJR通勤形の代表だったこの車両は、関東では今や武蔵野線やJR相模線等、限られた路線でしか見れなくなってきてしまいました。そしてこの武蔵野線の205系も現在、世代交代が進行中です。JR山手線〔鉄道さんぽ 39.(JR東日本、山手線編)〕に新製E235系が投入されていまして、そこで置き換えられるE231系500番台がJR中央・総武緩行線へ…。更にそこで置き換えられるE231系、209系500番台が武蔵野線にやってきている…という状況です。これはつまり、山手線がE235系で統一された後、武蔵野線の205系も引退するという事を意味しているのです。
山手線の全E235系化はまだ2年くらい掛かりますが、これはあっという間の時間であるとも言えそうです。既に武蔵野線にはE231系、209系500番台の営業運転も開始されており、205系との共演というのも貴重なものになってくるかもしれません。そのような状況も含め、今回は『鉄道さんぽ』に武蔵野線を選ばせて頂いたのでした。
沢山の路線と線路が繋がっているという性格上、臨時列車も多く設定されている武蔵野線ではありますが、今回の『鉄道さんぽ』では、今年度末にデビューする予定の西武鉄道の新型特急の甲種輸送を見る事も出来ました。これは臨時列車以上にレアな列車です。こうした楽しみもまた武蔵野線の魅力の1つ。それでは見ていく事にしましょう!
●日時…2018年10月28日
●距離…100,6km
(鶴見駅〜府中本町駅…28,8km《定期旅客営業無し》、
府中本町駅〜西船橋駅…71,8km)
その他、西浦和駅〜与野駅、武蔵浦和駅〜別所信号所…4,9km
※JR貨物管轄路線は省略
●駅数…29駅
(旅客駅…26駅、貨物駅…3駅)
どうぞお楽しみに!
押上線は京成電鉄で最も古く、1912年に押上駅〜曲金駅(現、京成高砂駅)〜伊予田駅(現、江戸川駅)が開業した区間の一部分となっています。今でこそ、京成電鉄のターミナルは京成上野駅となっていますが、当時は押上駅がターミナルでした。その後に青砥駅から上野方面への路線が分岐し、こちら側が本線、押上方面は押上線となったのです。
路線名的には支線の扱いになったのものの、1960年には都営地下鉄1号線(現、都営浅草線)との相互直通運転が開始されました。この為に京成電鉄は線路の幅を都営線に合わせて改軌しており、京成電鉄の本気度が窺えるというものです。これで京成線内からは乗り換え無しで都心に向かえるようになり、利便性は本線より格段に勝りました。これは、地下鉄と郊外の民鉄事業者による初の乗り入れケースとなり、現在では当たり前となっている他社路線同士の直通運転の元祖でもあります。この都営浅草線は1968年に泉岳寺駅まで達し、京急とも相互直通運転を開始。ここで京急、都営、京成による、日本初の三社相互直通運転が開始され、今年はその50周年の年でもあるのでした。
前述のように、現在は相互直通運転区間は更に広がり、列車の行き先を見ても、押上駅行き…というのは殆ど無く、京急線内の羽田空港駅行き、三崎口駅行きが目につきます。また、反対方面では北総鉄道線内の印旛日本医大駅行きや、更に越えて成田空港駅行き等も目立ち、押上線は単独路線というより、様々な路線を振り分ける幹のような役割を果たしている路線とも言えましょう。行き先は勿論の事、乗り入れる車両も多様なので、京成電鉄の路線ではないような錯覚も起こしてしまう程の路線。最近はそのラインナップに、都営浅草線の新型、5500形も加わりました。そんな押上線の現状をお送りしていきたいと思います。それではどうぞ御覧下さいませ!
●日時…2018年9月2日 ●路線距離…5,7km ●駅数…6駅
お楽しみに!
さて、この奈良線ですが、競合する形で近畿日本鉄道(以下、近鉄)京都線があり、こちらは市街地の近くを走る部分が多い事から以前から列車本数で勝り、利用者数にも水を開けられているのが事実です。それこそ奈良線は非電化、単線の路線でしたが、1984年に遅れつつ電化、そしてJRになってからは輸送改善が進み、現在では一部が複線化され、更に複線化工事も進められている状態で、やっと近鉄と同じ土俵に立ててきたという感じなのかもしれません。
2001年には当初予定されていた複線化の部分が完成し、JR西日本自慢の設備を持つ車両である221系を使った『みやこ路快速』が設定され、速達列車が増発、所要時間も大きく短縮され、近鉄の急行列車(特急列車は更に速いのですが、特急料金が必要です)と同じくらいの到達時間になりました(奈良駅〜京都駅間で、ほぼ45分)。『みやこ路快速』は設定当初は全列車4両編成でしたが、現在では6両編成で運転される列車も増えてきています。
これで近鉄に並んだかのように見えますが、まだまだ絶対数的には近鉄が抜きんでいて、快速を除く普通列車の利用状況を見ると、近鉄京都線の通らない稲荷駅や宇治駅からの京都駅間利用以外では、まだまだローカル線のような状態と言っても差し支えない感じではありましょう…。今まで、どちらかというと改善のメスは快速列車に向いていて、車両に関しても、快速等の速達列車は221系で統一されましたが、普通列車は長年、国鉄型である103系での運用が基本ではありました。
103系というと、既に関東圏内では見られなくなって久しいですが、関西では随分と長生きしていて、以前にここでも取り上げた〔鉄道さんぽ 41.(JR西日本、阪和線編)〕や〔鉄道さんぽ 46.(JR西日本、大阪環状線編)〕では、さんぽ実行日にもまだ活躍している状況でした。しかし、これが最近になって、急速にその姿を減らすようになってきてしまったのです。上記の阪和線や大阪環状線では既に完全引退をしており、ここ奈良線でも103系の廃車進行により、普通列車の約3分の1が221系による運行となりました。そして今年2018年3月のダイヤ改正では、阪和線で引退になった205系1000番台5編成が奈良線へ転入。積極的に運用に投入されており、日中は103系の稼働を見るのが難しくなってきた感じもありました。
こうなると、やはり『鉄道さんぽ』に出向かざるを得なくなります。阪和線や大阪環状線、そしてここではまだ取り上げていませんが、JR関西本線でも近年103系が引退になり、もはやオリジナルの103系4両編成を見るにはここ奈良線が最後の砦になっていると言っても過言では無いのです。
実際に奈良線に足を運んでみると、予想以上に221系が幅を利かせ、そして205系も頻繁にその姿を見られるのが分かりました。その日、日中に動いていた103系は2編成だけだったようで、それでも動いていただけマシだったのかもしれません。阪和線には205系0番台の車両も余っているので(既に当線からは引退済み)、その気になればすぐに103系全編成を置き換えられる事は可能でしょう。この先どうなるかは分かりませんが、今のうちに足を運んでおいて良かったと思いました。そして、ここでの103系のウグイス色塗装が、また奈良線によく溶け込んだ塗装だった事にも気付けました。現在のJR奈良線の状況、どうぞ御覧下さいませ。
●日時…2018年6月10日 ●距離…34,7km ●駅数…19駅
お楽しみに!
1940年に帝都電鉄(現、京王井の頭線)を合併させるも、1942年には陸上交通事業調整法の趣旨に則り、東京横浜電鉄(東京急行電鉄の前身)に京浜電気鉄道(現、京浜急行電鉄)と共に合併され、東京急行電鉄の路線となりますが、1948年には分離し(この時点で、帝都電鉄の路線は京王電鉄に組み込まれました)、この時に箱根登山鉄道が関係会社に加わりました。
1950年には箱根登山鉄道への乗り入れが開始され、翌年には本格的ロマンスカー1700形がデビューする事になります。その後、1957年就役の3000形ロマンスカーSE車を始めとして、小田急と言えばロマンスカー…と言われるくらい、時代と共に登場させる各種ロマンスカーの登場は鉄道会社にも大きな影響を与えてきました。
そんな小田原線ですが、箱根への観光要素の他に、通勤・通学路線としての要素も相当大きい路線となっています。最混雑区間である世田谷代田駅〜下北沢駅間は、1960年の時点で既に235%となっており、混雑緩和に向けて車両数を増やしたりして対策を図るも、1993年までは200%を越えていました。現在は少し下がっていますが、それは輸送量の減少によるもので、ほぼ横ばいの状態で、輸送力の増加ももはや限界というところまで来ていました。
しかし、今年2018年3月に、小田急待望の複々線化が全通(代々木上原駅〜向ヶ丘遊園間の12,3km…登戸駅〜向ケ丘遊園駅間は暫定的に上り線2線、下り1線)し、列車の本数も飛躍的に増やす事ができ、混雑率も150%ぐらいまで下がる見通しとの事です。この新たな複々線化工事は1997年の喜多見駅〜和泉多摩川駅間の2,4kmから始まっており、自分も、ここから全通完成まで一体どれくらい掛かるものなのか、今か今かと待っていた状況でもありました。特に下北沢駅付近での工事は素人目的にも大変そうで、あれから20年…ついに完成がなされたのでした。
そして、同じ頃には最新型のロマンスカー70000形(GSE車)もデビュー。これと入れ替わりで、現在のロマンスカーの最古参車、1980年に登場した7000形(LSE車)がありますが、こちらは残り1編成になり、2018年度中に引退させる事も発表…。これを受けて、『鉄道さんぽ』するなら今だと思ったものです。
自分も仕事の移動等でよく使わせて貰っている路線である小田急小田原線ですが、よりじっくり、そしてより楽しく今回は乗っていきたいと思います。それではどうぞ御覧下さい!
●日時…2018年4月30日 ●距離…82,5km ●駅数…47駅
お楽しみに!
高麗川以北である非電化区間の車両は、以南の電化と同時にキハ110形200番台で統一され、それ以降大きな変化はありませんが、高麗川以南の車両は電化以降、車両の変化が大きく起こる事になります。当時、川越線の高麗川駅〜川越駅間で使用されていた103系3000番台と共に、全くの新造車である209系3000番台が投入されます。その後、103系3000番台の老朽化に伴い、209系3100番台や205系3000番台が投入され、ステンレス車両で統一が出来たのが2005年頃でした。
そして時代は経ち、今度は205系3000番台が老朽化してきます。その第1編成目が廃車されたのが2018年2月の頭頃…つまり今月です…。それに替わって2月19日から、E231系3000番台の運用がついに始まりました。これは何を意味するかというと、八高線車両(電車)の世代交代が始まったという事にもなります。入れ替わる車両はE231系3000番台だけではなく、209系3500番台も用意されており、これらはJR中央総武緩行線からの転用改造車です。なぜ中央総武緩行線から転用されてきたかというと、現在、JR山手線〔鉄道さんぽ 39.(JR東日本、山手線編)〕はE235系投入の真っ最中で、以前山手線で走っていたE231系500番台を中央総武緩行線へ転用、そこから玉突きのように出された車両が、八高線に回ってきたという事なのです。山手線で使用される車両数は膨大で、数から言うと、簡単に八高線の全車両を置き換えてしまいそうであり、今後のE235系の新造導入ペースが、八高線車両の世代交代に大きく影響を与えていると言っても良いでしょう。尚、この玉突き転用は八高線だけではなく、同じく205系を使用しているJR武蔵野線にも転用させており、今後は都内で205系を見られる機会がどんどん減ってくるように思います。八高線で活躍している205系3000番台は、元はJR山手線で活躍していた車両が転用されてきたもので、ドアの窓が小さい(初期の205系の特徴)のですが、このまま全車廃車になる可能性が高く、先頭車改造されたその車両を見られるのも今のうち…といった感じでしょう。
E231系3000番台と共に活躍する205系3000番台が見られる今こそ、八高線を今回選んだ大きな理由の1つです。バラエティに共存する車両と共に、八高線ならではの長閑な車窓をお楽しみ頂ければと思います。それではどうぞ御覧下さい!
●日時…2018年2月12日 ●距離…92,0km ●駅数…23駅
お楽しみに!