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自分は韓国に行くのはこれが初めてではなく、むしろ既に4回も行っており(笑)、どちらかと言うと“慣れた”旅先でもあります。しかし振り返ると、前回に訪れたのは2006年の10月〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 7.(韓国編・…2006.10.18~10.21)参照〕らしく、既に5年が経過しています。この間の日本での韓流ブームは留まる事を知らず、むしろ年々、外国という壁は低くなってきたように思います。また、自分の好きな鉄道面でも(笑)、空港からソウル中心部への鉄道の開通や、ソウル市内で新しい地下鉄路線が続々と誕生している事等、個人的に見逃せない変化も目白押しなのです。これらは故に街の発展へと繋がっており、結果的に新しい見所が増える事にもなっているので(アクセスがしやすくなったので…)、今のソウルを見ておきたいという気持ちが芽生えるのも当然と言えるものでした。
…という事で、今回の旅先は、韓国はソウルへと決定!…流石に、鉄道の旅…とまではいきませんでしたが(笑)、現在の韓国を色々な角度から(…とは言え、やはり個人的な視点だと思いますが…笑)体験出来たと思います。…まずは、韓国に向かう飛行機から拘りつつ、ソウルに向かってみる事にしましょう(笑)。
●大韓航空A380
今回、ソウルへの足となる航空会社は、最初から大韓航空と決めてました。言わずと知れた、韓国の昔からある航空会社で、便数も多く、現在ではサービスも世界最高水準になりつつある、人気の航空会社でもあります。そしてこの航空会社を選んだ最大の理由として、今年の6月から運航を始めた、全2階建ての旅客機、エアバスA380-800(以下A380)の存在は無視出来ませんでした。
A380は、〔竹内大輔の写真日記(~2009)、エアバスA380、日本初就航!〕の記事にも書いていますが、とにかく自分はまだ乗った事の無い機種で、今でこそ日本への路線は、シンガポール航空、ルフトハンザドイツ航空、エールフランス航空等が投入していますが、その機体の大きさから、やはり長距離便に使用される事が多く、なかなか個人的に乗れない状況が続いていました。
しかし、大韓航空に初めて投入されたA380が選んだ路線は、なんとソウル~成田線(他にソウル~香港線もあります)。これは飛行時間的には2時間強に過ぎず、ソウルは気軽に行ける海外というのもあって、航空券は安めに設定されています。何故これらの路線なのかと言うと、この時点ではまだ大韓航空のA380が1機しか存在していないので、本来のパフォーマンスである、ヨーロッパ線やアメリカ路線では、毎日の運航が出来ない状況になっています。そして、1日に成田線と香港線を往復させる事によって、クルーや地上スタッフをA380に慣熟させるという目的もあるのでしょう。…という事は今後A380の受け取りが進むと(全部で10機を発注しているようです)、順に長距離路線へと振り向けられる可能性もあるので、もしかしたら成田線は暫定的なものになるのかもしれません(現在、12月までは週3便の運航に減っているようです)。
…となると、気軽にA380に乗るには今がチャンスなのです。…ここまで書くと、韓国に行く目的の殆どが、A380に乗る為…みたいになってしまっていますが(笑)、強ち、的外れな意見でも無い事は言っておきましょう(笑)。今でこそ、ソウルへは羽田空港からも沢山の便が出ているので、総合的に見ればこちらの方が便利なのですが、敢えて成田空港を選ぶ理由というのも、まだまだあるようですね。
…さて、成田空港にやってきました。目の前にはスカイブルーのA380が駐機しています。やはり第一印象は「でかい!」…に尽きますね(笑)。それは世界最大の旅客機なので当然とも言える感想ですが、実は大韓航空のA380は、世界最小のA380でもあります。勿論、機体の大きさは他の航空会社と変わらないのですが、座席数が最小の407席しかないのです。
実はエアバスが提案しているA380の3クラスの標準座席数は525席なので、それよりも100席以上少ない設定です。この“525”という数字ですら、既存の旅客機よりスペースに余裕があるように作られているので、如何にゆとりのある機内であるかが想像出来ると思います。大韓航空の場合、2階部分は全てビジネスクラスとなっている(1階部分はファーストクラスとエコノミークラス)という事からも、挑戦的な座席配置が見て取れます。
勿論、自分はエコノミークラスの人間ですが(笑)、それでも確かに“ゆとり”があるというのは肌で感じる事が出来ました。特に思ったのが通路の幅で、これまで、機内に通っている通路というのは、人と人が擦れ違うのがやっと…という感じで、例えば搭乗中、誰かが荷物を頭上にしまっている人が前にいると、後ろの人はその人が収めるのを待ってからでないと、先に進めない感じでした。しかしA380の場合はどうでしょう。余裕で人と人が擦れ違えるばかりか、CAのワゴン・サービス中ですら、その脇を通って進めそうな気がします。
座席周りは、特にA380用…というわけではないので、敢えて言う必要は無いのかもしれませんが、ディスプレイの大きさや解像度は、やはり最新型である事を思わせ、それぞれにUSB端子が備えられてある事も特筆するところだと思います(要は、自分のメディアが接続出来るという事ですね)。
そして、大事な“乗り心地”という面ですが、これはもう“静か”と評するのが一番でしょう…。この巨体を見るに、さぞかし巡航中は騒々しいのではないかと思うかもしれませんが、ハッキリ言って、今まで乗った飛行機の中で一番静かではないでしょうか…。特に驚いたのが離陸時で、ジェット・エンジンを始動させ、着地時と共に、騒音では一番けたたましくなる瞬間でもあるのですが、まるでそんな事を感じさせないレベルです。言ってしまえば、隣の人と小声でも会話できてしまうような…そんな感じかもしれません。滑走路に向かう時の揺れも少なかったですし、ただ新しいだけではなく、“ゆとり”や“乗り心地”という、乗客にも優しい配慮が随所に感じられる旅客機だと確信したものでした。
大韓航空のA380お機内には、世界で初めて、免税品の展示スペースまでもが設けられてあります、昔から大韓航空の機内免税品販売は人気があり、カタログも相当な厚さのものが用意されているのですが、今度からはカタログだけでなく、実際に手にとって、しっかりと吟味する事が出来るわけです。例えば、往路に実際に手に取ってみて、復路で飛行機で受け取りを出来るように予約すれば、効率的且つ、確実なものがありますよね。ファーストクラスやビジネスクラスには、機内でこれ程までに広いラウンジがあったという程、ゆとりのあるラウンジやバー(!)が設けられあり、これからの飛行機旅?の可能性を広げた旅客機だと言う事も出来そうですね。これらのような、非旅客スペースを機内に設けるというのは、航空会社にとっては相当思い切った決断だったとも思うのですが、現実に大韓航空は実現を果たしてくれたのです。
このように、魅力があり過ぎる飛行機だったというのは分かって頂けたと思うのですが、皮肉にもソウルまでの所要時間は、たったの2時間半…。やはり、もっと乗っていたいという気持ちが出てきてしまうのは仕方の無いところですが、今後開設される長距離路線で、その乗り心地をフルに発揮出来る事でしょう。2011年11月現在、A380も順調に受け取りが進んでいるようで、ニューヨーク線やロサンゼルス線も開設されました。日本からソウル経由のアメリカ本土路線もマイナーなチケットではないので(むしろ、安くて使いやすいルートです)、アメリカに行く1つの手段として使うのも良いかもしれません。
さて、韓国の航空会社、大韓航空の誇るA380に乗ったところで、今度は現地韓国へと足を向けさせます。A380を導入出来る、勢いある航空会社が存在する国(日本では、日本航空も全日空も、今のところ導入の予定はありません)、韓国と考えると、この先の旅も楽しくなってくるような気がするのは自分だけでしょうか(笑)?
●空港鉄道 A`REX
韓国の玄関、仁川(インチョン)空港から、ソウル市内までの行き方は数多く存在しますが、今回は2010年12月にソウル駅までの全区間が開業した、空港鉄道 A`REX に乗ってみたいと思います。この鉄道は2007年に、仁川空港から、現在、国内線が主に発着する空港である金浦(キンポ)空港へ部分開通したのが初めで、ソウル駅までの開通は、本当に最近の事です。逆に言えば、今まで仁川空港は鉄道のアクセスが無かったわけで(そもそも、2001年に開港した新しい空港ですし…)、今回の開業は正に待望という感じでした。
それまでの主流のアクセスは、バスかタクシー…という事になっていたわけですが、ソウル市内から、短めに見ても1時間以上は必要で、しかも渋滞が起きるリスクを考えると、更に時間の余裕は見ておく必要があるでしょう…。しかし今回の鉄道開業で、仁川空港駅~ソウル駅間は、直通列車(特急タイプ…ノンストップです)で43分、一般列車でも50分強で結ばれ、しかも途中で他の地下鉄と乗り換えられる駅も豊富にあるので、本当に便利になったのです。今回は、ソウル市内に向かう時が一般列車、帰国時の仁川空港に向かう時は直通列車を使ってみました。それぞれ、なかなか快適だったと思います。
さて、まずは一般列車の方に乗車してみましょう。近未来の雰囲気漂う仁川空港ターミナルを後にし、徒歩5分くらいで乗り場に到着できます。一般列車と直通列車の改札は異なるので注意が必要ですが、案内の人も常駐しているので心配は無いと思います。切符を買うにしても、日本語対応の自動券売機が設置されているので、言葉の心配もありません。まあ、せっかくなら韓国版の Suica と言える、T-money カードを先に購入しておくのがベストだとも思います(地下鉄等が割引料金で乗れます)。
一般列車は、韓国を走る地下鉄と雰囲気は同じ感じになっており、また、韓国の地下鉄車両というのも、日本の通勤電車に似たような雰囲気を持っているので、本当に日本にいるのと変わらないような気持ちで利用する事が出来ると思います。全車両にLCDモニターが設置され、日本語表記の案内も出てきたり、駅到着時の自動アナウンスも日本語で話されるので、初めて韓国に来た人でも大丈夫でしょうね。仁川空港は、東京で言うと成田空港くらい都心から離れた場所にあるので、どうしてもソウル駅までは50分強という所要時間になってしまうのですが、それでも4300ウォン(約300円)という料金は魅力です。ソウル駅のホームが地下深くにあり、既存路線との乗り換えが面倒という部分はありますが、積極的に使っていきたいものです♪
気が早いですが、帰りに利用した直通列車についても、今の内に紹介させてしまいましょう。12分毎に運行されている一般列車に対し、こちらは毎時0分、30分発(仁川空港駅、ソウル駅共に同じ)と、30分毎の運行となっています。まあ、分かりやすいですよね。
直通列車は、左上写真を見ても分かるように、日本で言う特急タイプの列車で、何と言っても仁川空港駅~ソウル駅間がノンストップというのが魅力です。また、乗務員サービスや、大きな荷物を置けるスペースも確保しているので、座席でゆったりと優雅に…という場合にも良いかもしれません。
ノンストップ…とは言え、所要時間は43分で、これは元々路線上の途中駅が少ない為でもありますが、車内で乗客が入れ替わらないという安心感は、リムジンバスに通じるところがあるかもしれませんね。ただ、直通列車の料金は、少々高めの13300ウォン(約900円)です。それでも、日本の感覚からすると安いとは思いますが…。
直通列車は、帰りという事もあって疲れてたのか(笑)、何だかあっという間に空港に着いてしまった感じでした。正しい比較は出来ませんが、基本的には一般列車利用で十分かな…という印象でした。ちなみに、今まで空港アクセスの主流だったリムジンバスを利用すると、一般車が約10000ウォン(約700円)、高級リムジンで15000ウォン(約1000円)程度との事です(ただ、昔に比べて値上がりもしています)。ソウル市内の広さを考えると、一概にどちらが良いとは言えないですが、空港鉄道の開業のお陰で、空港アクセスの選択の幅が広がったのは事実です。今後のお互いの更なる発展を期待したいところですね。
まだまだ続きます!
ほぼ前回の記事との合わせ技とも言える(笑)今回の旅日記はズバリ、鉄道で仙台を往復した行程を書かせて頂きます。行きは在来線のみで、そして帰りは念願の新幹線“はやぶさ”で、一気にその行程をこなしてきました。3月の大地震により鉄道は寸断され、東北新幹線が全通したのが4月の29日…。だからこそ今回の企画は実現したと言っても過言ではないのですが、鉄道の有難味を再確認させてくれる旅になったとも思いました。基本、今回は鉄道に乗ったままだったので(笑)簡単ではありますが、順に振り返ってみたいと思います。
●往路
5月16日を出発と決めたこの日、仙台駅には18:00頃に着くように行程を立てていました。使用路線は、先程も行ったように新幹線を使わずに在来線を使い、ずっと東北本線1本のみという行程です(笑)。…勿論、乗り換えは何度か必要で、今回の場合は、池袋起点で考えますと、宇都宮駅、黒磯駅、郡山駅、福島駅の4ヶ所の駅での乗り換えが必要になりましたが、これで掛かる時間は、大体7時間ぐらいという計算でした。これを、遅いとみるか早いとみるかは自由ですが、安さ重視で考えると、そんなに有り得ない選択でもないと思う自分がいたものでした。
池袋駅から乗ったのは湘南新宿ラインからの電車で、この先の合計の乗車時間が長くなる事を考慮し、思い切ってグリーン車から始めてみました。プラス950円が掛かりますが、居心地の良さで言えば新幹線とほぼ変わらない感じなので、こんな時?は進んで使ってみたいものです。勿論、新幹線のような所要時間の早さという武器は無いのですが、その居心地の良さで言えば、あっという間に時間が経ってしまうように感じさせるのは、時間と豪華さとは言え、似たような魅力なのかもしれません。
宇都宮駅までは優雅に過ごし、後はひたすら普通車の鈍行列車の旅になります(笑)。宇都宮駅から黒磯駅までは、211系という車両の5両編成で、ロングシート(左下写真参照)だったのが玉に瑕ですが、かなり空いている車内は、のんびりと過ごすのに打って付けの雰囲気を提供してくれたものでした。
そして黒磯駅に着いて、この日2回目の乗り換えとなります。この駅は特徴的で、電化方式が直流から交流に代わる駅でもあるので、この駅を通して運転する鈍行列車は一切無く、乗り換えが必ず必要となる駅でもあります…。車両も一変し、ここまでは首都圏で使われる車両だったのですが、ここから先は仙台を中心とする東北圏の車両となり、昔で言えば、ここまでが“電車”、ここからが“汽車”でした。
今でこそ、どちらも近代的な車両となりましたが、東京から東北本線の鈍行に乗って黒磯駅で降りると、ついに関東から離れたな…と、毎回思わせてくれた駅でもありました。これはそのまま旅情にも繋がり、遠くに来たと思わせる重要な役割は、今も変わらず健在な気はしましたね。この先は、栃木県と福島県の県境に跨るので特に乗客は少なく、2両編成にも関わらず、列車は1両に10人くらいしか乗っていませんでした。
暫くは空いた車内が続きましたが、郡山駅に近づくにつれ、多くの高校生達が乗ってきたのには驚きました。地方の路線の昼過ぎでよく目にする光景で、路線の主な乗客は高校生なのだと理解する瞬間でもあります。列車の本数がそう多いわけでもないので、皆、1列車に集中するんですよね…。車内はいきなり満員状態となり、それは郡山駅まで続いたものでした。
それは、この次に乗った郡山駅~福島駅間の列車もそうで、こちらは4両編成で、乗客も盛んに乗り降りがあった感じでしたが、福島大学の最寄駅である金谷川駅からは、やはり車内は学生で埋め尽くされるような形となり、時間帯によって(列車にもよって?)随分印象の異なる車内になるのだろうな…と、改めて思わせてくれる車内風景でもありましたね。やはり、こういった変化は、在来線だからこそだと思います。
さて、福島県に入ると、ブルーシートを被せてある(一部であったり、全体であったり)住宅が結構目に入るようになってきました。地震の被害によるものである事は明確で、中には全壊してしまった家が、未だそのまま残っている…という状況も目にしてしまい、流石に背筋にゾッとしたものを感じたものでした。
今回、少し時間に余裕をもって移動してきたのですが、福島駅まで順調に到達する事が出来たので、電車を1本見送り、少し福島の街を散策してみる事にしました。福島県は全体的に風評被害を被ってしまった県でもありますが、見たところ、福島駅前は普段通りの感じと言って間違い無いでしょう。普段通りにお店はやってましたし、普段通りに学生達は駅前で待ち合わせをし、マクドナルド等に群がっていきました。勿論、まだ見えてこない部分も多いのだと思いますが、小一時間歩いた程度では、本当に言われなければ分からないくらいだと思います。どこか安心する事が出来た福島駅前でもありました。
ここまでくるとラスト・スパートです。福島駅から出る列車は仙台駅行きで、どうやら順調に仙台駅に着く事は出来そうでした。仙台駅に着いたのは18:00頃と、夕ラッシュ時の時間帯でしたが、乗客も多く、エスカレーター等も殆どの場所で動いていたので(こちらは東北電力ですからね…)、見た目の活気で言えば、東京を超えている部分もあるかもしれません。
ただし、修復中の仙台駅駅舎や、まだ鉄道が通っていない石巻市へのバスに、凄い乗客の列が出来ている等、やはり地震の渦中にある街である事は確実で、道路にしても、たまに隆起している部分もあったりして、まだまだ予断は許されない状態である事にも気付かされました。ただ、人々が元気に見えるのは自分の気のせいだったでしょうか…。仙台市は、地震で大きな打撃を受けた都市の1つでもありますが、人々はどこか希望を見出そうとしている生活を送っている…。そんな事が何故か感じられた瞬間でもありました。そして、それは東京の人達が思っている以上に仙台等に学ぶべき事が多いようにも感じたものでした。…そんな事を思いつつ、前回のブログ〔竹内大輔の『奢らせて頂きます!』9.(永井健編)参照〕に繋がっていくわけです。
●復路
あっという間の復路ですが、これは事前に予告したように、念願の新幹線“はやぶさ”に乗る事にしていました。“はやぶさ”は、3月5日に営業運転を始めるものの、3月11日の大地震で全面運休(…というか新幹線自体が全線でストップ)。その後、部分開通はなされるものの、運転が再開されたのは、東北新幹線全面復旧の4月29日の事でした。しかし、当面は東京駅~新青森駅間1往復、東京駅~仙台駅間1往復の、1日合計2往復のみの運転となっており、基本的には朝か夜かの運転となっています。
今回自分が目を付けた?のは、仙台駅始発の東京駅行き“はやぶさ”号でした。…と言うのも、前から言っているように自分は“グランクラス”という車両に乗りたくて、これは1編成に18席しか用意されていないのでチケットの獲得競争が厳しく、早朝6:26発という部分もありますが、新青森駅から出ている列車よりは競争率が低いと感じたのです。そして、そのチケットは無事入手しまして、流石に当日は満席となっていましたが、ついに“はやぶさ”との対面が実現出来る事になったのです。
仙台では永井健宅に泊まらせて頂き(正直、仙台市内のホテルは、その殆どの部屋が埋まっていて、予約出来るどころではなかったのです…)、それこそ朝の5時台には別れを告げ(笑)、仙台駅には6:10頃に到着しました。そして、新幹線ホームに上がると…当駅始発列車という事もあって、もう“はやぶさ”は入線を果たしていました。
今回で間近に見るのは初めてでしたが、このフォルムのインパクトさはどうでしょうか。緑色基調の塗装というのも、最近の新幹線では珍しいですが、そこに駆け抜けるピンクの細いラインが何とも鮮やかに見えます。そして、やはり先頭車両のノーズの長さは相当なものです…。このフォルムで、将来は日本最高営業速度の320km/時運転(まだ2,3年は時間が掛かる予定ですが…)を目指しており、その期待が掛かります。
まだまだこの車両、E5系は珍しいせいか、乗客の格好の被写体となっています。観光客は勿論の事ですが、スーツに身を包んだビジネスマンのような方まで携帯電話のカメラに収めていたのは微笑ましい光景でした。本当に皆の人気者で、何だか東北の代表選手のような車両…という印象も受けましたね。
そして、列車は定刻通りに発車しました。自分はグランクラス車両に身を委ねましたが、確かにこれまでの車内とは一線を画すもので、今までのグリーン車の雰囲気というよりは、飛行機のビジネスやファーストクラスのようなものを感じたくらいでした。
座席は大きく、新幹線では珍しい1人掛けのタイプがある事も特筆出来ます。リクライニングも相当なもので、しかもシェル・ベット状になっているので、後ろの席に座席が倒れてくるような事もありません。これはハッキリ言って、寝れてしまいますね(笑)。
そして、発車してから暫くすると、グランクラス専用のアテンダントの方からの挨拶があり、後に飲み物や軽食のサービスがある事も告げていきます。おしぼりを配る時も、1人1人に語りかけるように配っており、確かに“電車”というよりは“飛行機”に近いサービスのように思ったものです。軽食に関しては1人1品(和か洋か選べます)ですが、飲み物は何と、飲み放題です。しかも東北の地酒やワイン等、その種類は豊富なので、頑張れば料金の元を取れてしまうのではないかと思ってしまうくらいです(笑)。現に、自分の前の方に座っていた老夫婦は、東京駅に着くまで7,8回はお酒を注文していました。…流石です(笑)。
車両はまだ新車独特の匂いが漂っていて心地良いですが、あまりスピードを上げて運転していない事に気付きました。これは事実で、まだ東北新幹線は復旧して間もないので、暫くは徐行運転を行っているのです。基本は200km/時前後くらいなと思いましたが、区間によっては更にスピードを落とすところもあり、“はやぶさ”の本領はまだ発揮出来ていない感じでした。これによって、東京駅までは普段より20分~30分くらいは時間が掛かってしまうダイヤになっているのですが、これは見方を変えれば、いつもより長めにグランクラスを楽しめる…という事でもあります。凄く前向きな考えですが(笑)、強ち間違った考えでもないような気はします。
車窓では、相変わらずブルーシートを被せた家が多く目に入ります。新幹線自体も速度を落として走っているので、よりゆっくり見れてしまうのです。こうしてグランクラスを楽しんでいる状況から見るのは複雑でもありましたが、新幹線が走る事で、地域が活性化されるのは事実で、全く無関係な位置にはいないと確信をしたものでした。福島県を抜けて栃木県に入ると、何となくそういった家屋も少なくなってきたような気はしましたが、それでも“はやぶさ”は坦々と走行していきます。しかし、それが新幹線の重要な役目のようにも思ったりしました。
宇都宮駅を過ぎ、今回唯一の停車駅である大宮駅を過ぎ、8:32、本来の“はやぶさ”より30分くらいは遅い到達ですが、臨時ダイヤ上では“定刻通り”に東京駅に到着しました。この駅でも当然の如く“はやぶさ”は人気者で、本当に色々な方がカメラを向けています。この列車は、このまま折り返して、新青森駅行きの“はやぶさ”となり、東京駅には12分間しか顔を見せないので、皆カメラに収めるにも時間との戦いになっているのです(笑)。
こうして、自分の初めての“はやぶさ”乗車は終わりを告げました。思ったよりも長く楽しめ、身体的にも気持ち的にも大満足の時間でした。そして、こうして仙台を出発して、東京に着いて皆の注目の的になっている“はやぶさ”の姿を見ると、現在の東北という状況の中において、元気を与えてくれる牽引役にもなっているような気がして、とても熱いものを感じました。
現在、“はやぶさ”は徐行運転を行っていて、結果、他の列車とも同じ速度になっているので、当面は“はやて”や“やまびこ”と同じ料金設定になっています。そして例のグランクラスですが、仙台駅~東京駅間では9000円と結構高額なものの、その内の5000円が義援金として寄付されるそうです。当面の予約状況を見たろころ、現在は結構落ち着いてきており、日にちを選べるなら、そんなに苦労無く予約でも出来ると思います。今こそ、グランクラスの体験を勧めたいものですね!
東北新幹線の全面復旧により、今回の企画は成り立ちましたが、自分が想像する以上に、被災地の方々からの期待も大きいと思います。東京~東北の移動は容易になり、今以上に多くの人達が往来を重ねる事でしょう。そして、新幹線が全面復旧する事によって与えられる“安心感”というのも、無視出来ないものだと思いました。最後に、東北新幹線が全線で運転を再開した時の、広告の一文を紹介して終わりたいと思います。とても自分が共感出来る一文です。
一日も早く、レールをつなぐ。
街と町をつなぐ。
人と人をつなぐ。
鉄道にできることは、それしかないけれど。
つながれば、きっと誰かの力になる。
つながれば、きっとこの国は元気になる。
私たちはそう信じています。
☆JR東日本のHP…www.jreast.co.jp/
●21時間遅れのハワイアン航空
2月1日の夕方18:00頃。自分はハワイに旅立つ為、羽田空港の人となっていました。昨年の10月末に、定期国際線が復活したという事で、記憶に新しい羽田空港ですが〔鉄道さんぽ 6.(東京モノレール羽田線編) 参照〕(それまで僅かながら国際線は存在していましたが、こちらはチャーター便の扱いとなっていました)、新国際線ターミナルも完成し、それは利用してみたくなるというのが自分の本望というもの…(笑)。羽田~ホノルル便も設定されたという事で、すぐ様自分はその便を押さえたのでした。
羽田空港というと、成田空港と比べてその利便さが第一に挙げられるでしょう。品川駅や浜松町駅からは最短13分で到達する事ができ、自分の家からも1時間程で着く事が出来ます。横浜方面の方々なら、更にその距離を比較した時に顕著だと思います。
また、便の時間設定の遅さにも特徴があります。成田空港という空港は、離着陸の使用時間が6:00~23:00と決まっていて、この他の時間帯では緊急時以外認められていません。本当に1分でも越えてはならないので、遅れなどを考慮すると、成田空港出発というのは遅くても22:00発ぐらいが限度となります。そうなると、チェックインは出発の2時間くらい前が望ましいので、20:00に成田空港到着…。自宅を出るのは18:00過ぎとなってしまうところでしょう。これに比べて、羽田空港は24時間運用が可能となっていて、特に今回自分が乗る便は、23:59発というものでした。…となると、空港集合は22:00、自宅を出るのは21:00頃でも十分間に合うという事になります。自分はあまり関係がありませんが、普通に仕事がある人でも、仕事後に空港に行くという事が可能な時間でもある事が分かります。
そして、成田空港に就航していなくて、羽田空港にのみ就航している航空会社が存在します。それは自分が今回乗るハワイアン航空というもので、その名の通り、ハワイを本拠地とした航空会社なのです。日本への定期乗り入れは、この羽田空港の国際化を受けて初めての事で、羽田~ホノルルという、日本人の利用もかなり意識したこの路線は、相当自信があって開設した事と思われます。基本的に、自分が海外へ行く時は、なるべく現地の航空会社を使いたいという気持ちがあるので、逆に言えば、ハワイアン航空が羽田空港に就航したので、今回の旅先はハワイにしよう!…という気持ちさえあったかもしれません…(笑)。変な理由だと自分でも思いますが、とにかく今回は、その飛行機の路線さえも相当拘りを持って考えた旅行でもあったのです。
しかし、先程言った、2月1日の夕方の18:00…。本来自分は、既にハワイに着いている筈でした。…と言うのは、本当の自分の出発日は、その1日前の1月31日だったからなのです…。話しを1日前に戻すと、その日の昼頃に旅行会社から電話があり、「1月31日羽田空港出発のハワイアン航空ですが、機材のメンテナンスの関係で、まだ現地(ホノルル空港)を飛び立っていなく、今日中の出発は困難です。空港には行かないようにして下さい!」…と事付けをされたのです。最初は、どういう事か訳が分かりませんでしたが、とにかく飛行機は相当遅れるという事でした。日本から別の機材で…と考えても、そもそも向こうの空港から飛んできた飛行機が、羽田空港で折り返してまた現地に向かう為、控えの機材というのも考えられないのです。こういう時に、現地航空会社利用のデメリットが当て嵌まってしまいましたが、改めて案内された出発時刻は、2月1日の21:10発。約21時間の遅れです。つまりは1日無駄になってしまい、これで4泊6日だった行程は、必然的に3泊5日になってしまいました…。今更悔やんでも仕方無いですが、せっかく楽しみにしていたハワイアン航空が、大遅延という理由で悪い印象を持ってしまわざるを得なくなったのは残念でした…。それでも欠航にならずに、頑張って飛ばしてくれたという方を、むしろ賞賛するべきなのかもしれません。
とにかく、複雑な思いのまま羽田空港でチェックインを行っていた感じでしたが、それでもやはりハワイに行けるとなると嬉しいものです。むしろ、「やっと…」という感覚が多い分、尚更なのかもしれません。羽田空港に18:00到着というのは、飛行機の出発時刻からすると明らかに早過ぎるのですが、1日暇を持て余してしまったからか、早く空港に行っておきたい…という気持ちが強かったわけでもあるのです(笑)。
ハワイアン航空のチェックインこそ混んでいたものの、荷物検査や税関はスムーズそのものでした。まだまだ国際線の便は少ないので、並ぶ…という事は殆ど無いのです。建物自体も適度な広さからか、保税エリア内の免税店も、随分と見やすい感じで並べられているような印象を受けました。今度は万全の状態の時?に訪れたいものですね。
さて、そんなわけで1日遅れのハワイアン航空は、21:10定刻(もはや定刻と言って良いのかどうか…笑)に出発を始めました。機内にはハワイアンのBGMが流れ、乗務員の服装も花柄が基調になっていて、正に飛行機に乗った時からハワイ気分になれます。今回の機材はボーイング767-300ERで、ハワイアン航空の中・長距離部門(路線的に、ハワイ~アジア路線か、アメリカ本土路線になります)の機材にあたります。主翼にウイングレットが付いている新しい機材で、ここにハワイアン航空のコーポレート・カラーが纏ってあるのが良い感じです♪…夜の羽田空港をスムーズに出発し、関東の夜景にも、そのカラーが映えていたのが印象的でした。
東京の夜景が予想以上に素晴らしかったですが、そこを超えて太平洋になると、もう後は着陸するまで、ほぼ洋上飛行となります。本来なら23:59発と、深夜の運航になるので、出される機内食は軽め…と言われていたのですが、今回は21:10発だった為か、わりと一般的な量の機内食が出されていました(確実な情報ではありません…)。飲み物では、やはり南国らしい…という事でグァバ・ジュースを注文し、早速身体をハワイらしくしておきます(笑)。ハワイまでは、この時期は偏西風の影響を受けて、たった6時間で着いてしまうので、意外と呆気無いフライトです。夜が明けてきたのは。出発4時間半後ぐらいだったと思いますが、本来の便ですと、出発2時間後くらいに明るくなってくるのだとか…。やはり今回はイレギュラーの運航ですね。
さて、ひと眠りし、到着前の軽食を食べ終わると、そろそろ飛行機は降下を始めてきてしまいました。もう既に外は明るくなっており、機内も慌ただしくなってくる頃です。しかし、やはりハワイ便なのか、どこか緩やかな空気を感じる時間でもあり、自分はのんびりと外の景色でも眺めてようか…という感じです(笑)。
この辺りになると、機内右側には、ハワイ諸島で一番北側に位置するカウアイ島を見下ろす事ができ、そのまま15分程でホノルル空港に到着となります。現地時刻は8:50頃で、何とかこの日を無駄にしたくない時間でした…。ただ、日本との時差が19時間もあり、つまりは日本ではまだ深夜3:50という感覚なので、睡眠との戦い…という状況も否めません。ホノルル空港では、日本航空の最後のジャンボ機と言って良い機材を見る事ができ(今年の2月28日で、定期路線からは完全引退するそうです)、ちょっとラッキーと思いつつも、この日以降のハワイでの予定をどう組み立てるか…という事で頭が一杯でした(笑)。事実上、現地滞在は“3日と半日”という事で、自分のハワイとの戦いは、今始まったばかりだったのです。
まだまだ続きます!
…という事で、今回はある意味念願の旅行でもあったわけです。初日は名古屋地区では珍しい大雪で、東海道新幹線も大幅に遅れたスタートとなってしまいましたが、自分が向かう頃にはそれは解決し、概ね順調に旅行を続けられたのは幸いだったのかもしれません。2日目は、鳥羽から南紀白浜で鉄道移動と、ここの移動は合計5時間くらい掛かってしまいましたが、基本的にはゆっくりと、そして優雅な旅行で、お互いに思う存分楽しめた3日間でもありました。…今回は写真を中心に、簡単に振り返らせて下さい。
●全行程3日間を簡単に…
行きの東海道新幹線からは、綺麗に富士山が見えました。この後、大雪の名古屋を通るわけですが(雪自体は止んでいましたが、相当雪は積もってました)、ここからではまだ想像出来ない感じですね。目的地の鳥羽は雪は降っていなかったようで、雪景色を期待するも、そんな状態ではなかったのですが(笑)、とても寒い気温が自分を待ち構えていたのは事実でした…。
伊勢海老を頂きつつ、伊勢湾を眺められる部屋で一休み…。
鳥羽からは、近鉄特急、JR東海“南紀”号、JR西日本“くろしお”号で、列車で5時間の移動をして南紀白浜へ…。途中の新宮だけ、やけに暖かった事が印象的です。
どちらも白浜の観光ポイントです。千畳敷(左上写真)と、三段壁(右上写真)。
これは、アロエの花です。ここまで一面に咲いたものを目にしたのは初めてでした。
円月島を見ながら、また伊勢海老を♪…ここのは本当に美味しかった…。
帰りは飛行機で、羽田空港まで約1時間の旅…。鳥羽から5時間もかけて来た事を考えると、何とも呆気無い帰路…(笑)。いや、飛行機が偉大だという事ですね。
帰りも富士山が望めました♪…概ね良い天気に恵まれて良かったです!…そんな感じで、祖母ももう82歳ではありますが、まだまだ元気にやっていってほしいですね。そして、また一緒に旅行でも行けたらと思います!
●成田空港へは新型スカイライナーで
ニューヨークへ旅立つ日は7月26日となりましたが、その10日程前の7月17日、成田空港への期待の新鉄道路線、京成電鉄成田空港線(以下、成田スカイアクセス線)が開通したのは記憶に新しい事だと思います。自分が成田空港へ向かう時は、必ずと言って良い程、日暮里駅から京成電鉄の特急『スカイライナー』で向かったものでしたが(JRの『成田エクスプレス』は料金が高いのでいつも敬遠してます…笑)、ここに新しいルートが誕生し、今までは最速51分(日暮里駅~空港第2ビル駅間)だった所要時間が、なんと36分にまで短縮されました。新しいルートは、従来より距離も短くなっており、何と言っても新型『スカイライナー』の出す最高速度160km/h(これは、新幹線を除く在来線では一番速い速度です)が効いています…。これは何としても今回利用したいところで、ニューヨーク旅行の1つの目的にもなってしまった程でしたが、これは勿論、簡単に実現する事が出来ます。いつもと同じ要領で、日暮里駅で特急券を買えば良いだけなのですから…(笑)。
成田スカイアクセス線が開通し、成田空港へのルートが2パターン存在する事になった日暮里駅ですが、その事は大きく広告でも打ち出されていました。…というのは、新ルートの方が距離が5,2km程短いのですが、乗車券は200円高くなっていて、しかも特急料金だけを見ても従来より280円高くなっているからです。以前の特急『スカイライナー』(スカイアクセス線開業後は、名前を『シティライナー』と改め、現在も旧ルートで運行中…)利用で1920円でしたから、新ルート、新『スカイライナー』利用では2400円になったわけですが、それでも『成田エクスプレス』は3000円以上した筈なので、まだ自分は『スカイライナー』を利用するでしょうね。ただ、最近『成田エクスプレス』も新型車両になったので、いつかは乗りたいところなのですが…(笑)。このように、成田空港への鉄道アクセスは、競争の激しさを増してきているのですが、やはり今年の10月末に行われる、羽田空港の本格国際化が視野に入っているのだと思われます。確かに、日暮里駅から36分というのは、羽田空港への所要時間と遜色無い感じですものね…。とにかく自分は、新型『スカイライナー』に乗りました。
すっかり新しくなった京成電鉄の日暮里駅ですが、まだ結構ゴチャゴチャしている感じは否めません。どの列車に乗ったらスカイアクセス線ルートで…と分かる人がどれだけいるのか実際に聞いてみたいところですが(特に外国人利用者…)、早速新型『スカイライナー』に乗り込みました。今までの車両よりも、乗降扉、そしてデッキからの扉が特に広くなっていて、乗降時に、以前ほど乗客で詰まってしまう状況は改善されていたような気がしました。…と言うのは、扉から座席に着くまでに荷物置き場があり、ここに乗客がスーツケース等を置いたりしてから座席に行くので、乗降に時間が掛かってしまっていたのです。この新型『スカイライナー』でも同じ配置なのですが、通路と扉をを広くとる事で、混雑が解消されていたのです。また、座席の間隔が従来よりも広いので、そのまま座席に持っていっても大して問題では無い…というのも大きいのかもしれません。
さて、日暮里駅を出ると、もう次の駅が空港第2ビル駅…です。あと36分で着くのは間違い無いようですが、まだ俄かには信じ難い事でした…。そして、京成高砂駅までは従来と変わらないルートで、そんなに速度を出せないまま走っていくのですが、ここから新ルートの北総鉄道に入って江戸川を超える橋梁に入ってから、ようやく速度を上げ始めた…という感じでしょうか。ここまでが日暮里駅から15分ぐらいだったのですが、ここから20分で成田空港まで着けるのでしょうか…。
そして、列車はまず130km/hまで速度を上げます。ここから印旛日本医大駅までは今までにあった路線で、設備的にもこの速度が限界なのかもしれません。駅を次々と通過していき、千葉ニュータウン中央駅、印旛日本医大駅を過ぎると、更に速度を上げ始めました。ここからが今回開通した路線で、160km/h対応区間…という事になるわけです。線系は非常に良く、もう新幹線並みといっても過言では無いでしょうね。そして、本当に周りに何も無いような所を走っていくのですが、ここから成田空港(空港第2ビル駅)までは約18kmほど離れているにも関わらず、現在途中駅が成田湯川駅の1駅しか無いので、まだ開発もままならないという感じなのだと思います。ここからは本当にあっという間で、何も無い風景を眺めつつ、右側に成田市街が見えてきたと思ったら、JR線とすぐに合流して、あれよあれよという間に、空港第2ビル駅に到着…という感じでした(笑)。確かに、36分でした…。
自分は終点の成田空港駅までの利用だったので、もう3分ほど乗車していましたが、確かにこれは従来よりも早いと、すぐに実感出来ました。初めての利用だったので、時間が経つのが早く感じられたのかもしれませんが、ハッキリ言ってしまうと、車内で眠るタイミングを逃したまま到着…という感じだったのです(笑)。よく空港に向かう前日は、荷物作業等に追われ、あまり眠れないまま旅立つので、車内で眠ってしまう事が多かったのですが、今回はそのタイミングを逃しました(ついでに言えば、帰国時もそうだったので、やはり早いのだと思いますね)。空港アクセス新ルートの開通で、成田空港への所要時間は短くなりましたが、余計に寝不足になる可能性も出てきてしまいましたね(笑)。とりあえず、今回の欠点と言えるのは、それだけだったように思います。まあ、機内で眠れば良い話しですから…。
●ニューヨークへはコンチネンタル航空で
今回、ニューヨークへ選んだ翼は、アメリカのコンチネンタル航空…という航空会社でした。アメリカでは第4位の規模を持つ、相当大きな会社(世界でも第5位)ですが、今年の5月に、第3位のユナイテッド航空と合併をする事が決まり、アメリカ第1位の規模の航空会社になろうとしている(会社名はユナイテッド航空になり、コンチネンタル航空の名前は消えますが、会社のロゴや飛行機の塗装はユナイテッド航空に受け継がれるそうです…)航空会社でもあります。実際のところ、最近のアメリカの航空会社は合併が相次いでいて、どこか2つの会社が合併して規模が大きくなると、他の2つが合併してその会社を抜き…みたいな、イタチごっこのような状態が続いているのも事実です。今後がどうなるのか、要注目の航空会社かもしれません。
ある意味で、コンチネンタル航空として乗るのは、今回で最後になるかもしれない…という可能性を含んだ?搭乗にもなりましたが、実は1回目にニューヨークに行った時も、この航空会社を使っていました〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 2.(アメリカ、ニューヨーク編…2006.3.8~3.17)参照〕。あの時は、ただ何となく安い航空券を探したらこの便になっていたのですが(笑)、今回は、敢えてこの航空会社を選ぶ状況になっていました。…と言うのは、今回の旅行日程は、日本に8月1日に帰ってくるように組んでいたのですが、その日の夕方には大学の友人の結婚披露宴がありまして〔ニューヨークから結婚披露宴へ直行参照〕、そこに間に合うように便を設定しなければならなかったのです(勿論、ニューヨークからの直行便しか選択の余地はありません…)。具体的には、成田空港到着が、ギリギリで14:00ぐらいという制約がありましたが、意外とその時間までに到着する便は少なく、その中の1つがコンチネンタル航空だったのです(他にはアメリカン航空ぐらいしかありませんでした)。
さて、割りと早く成田空港には到着したつもりでしたが、ニューヨーク行きの便の前後には、同じコンチネンタル航空のヒューストン行きやグアム行きと時間が被っていたせいか、チェックイン・カウンターは予想以上の長蛇の列でした。家族連れが多い割りには、手続きが全て機械でセルフでやる事が前提になっていたので、慣れない人も多かったのでしょう。お陰で、その列の進み具合も遅く、自分は窓側も通路側の座席も取れませんでした…。
この後、荷物検査、出国審査もやはり予想以上の混み具合で、何だかんだでギリギリの搭乗になってしまいましたが、今回の機材は、以前と変わらず、コンチネンタル航空が誇る長距離機、ボーイング777-200ER型機が使われていました。しかし、内装は結構リニューアルされていて、特に、それぞれの座席に付いている個人ディスプレイが大型のものになっているのが目立ち、タッチパネル化、そしてビデオ自体がオン・デマンド(巻き戻し、早送りが自由に出来る機能)式になっていたのは嬉しい事でした。人と人に挟まれた席でしたが、これなら少しは居心地が改善されそうです(笑)。映画の本数も相当用意されていて、確か170本ぐらいはあったと思いますが、何故か自分はデス・ノートの前・後篇、後はゴッド・ファーザー等、最新の映画とは程遠い部分を攻めてしまいました(笑)。まあ、見逃した映画を敢えて見るのも、機内映画との過ごし方の1つではあるでしょう。
こんな感じで、後は眠ったりしつつ、機内での時間は、あっという間に過ぎ去っていた感じがありました♪…成田空港出発が16:35で、ニューヨークはニューアーク空港到着が同日の16:30(この時期、日本との時差は13時間あり、大体フライトが13時間ぐらいあるので、日本からニューヨークに行く便は、日本を出た時刻と殆ど同じ時刻に現地に着きます)でしたが、そんなに疲れないままフライトを過ごす事が出来ました。もっとも、現地空港の入国審査ブースが相当混んでいて、こちらに並んでいた時に疲れが出てしまうという傾向はありましたが…(笑)。
以前のニューヨークの記事にも書きましたが、ニューヨークには大きな空港が3つあり、今回はコンチネンタル航空の本拠地、ニューアーク・リバティー国際空港に降り立ちました。恐らく一番有名なのはジョン・エフ・ケネディ空港だと思いますが、ある意味ではニューアーク空港の方が、マンハッタンまでのアクセスは便利なのです。
要するに今回は、初めてニューヨークに来た時と同じ経路を辿ってマンハッタンに向かうわけですが、あの時は初めての連続で、鉄道に乗るところから路頭に迷っていた感じでした(笑)。しかし、もうあの時の自分ではありません(笑)。過去の苦い?経験を生かし、空港からまず、スカイトレインという、モノレールのような鉄道でニュージャージー・トランジット(以下NJトランジット)という鉄道の駅まで行き、そこから終点のペンシルバニア駅までのチケットを購入します。前のように、パストレインに乗り換えという事は致しません(スーツケースがあると乗り換えが結構大変)。後はホームさえ間違わなければ良い(空港駅は中間駅なので…)わけですが、冷静に見れば行き先は書いてありますし、どう考えてもマンハッタンに向かう人の方が多いのは明らかです。後は来た列車に乗れば、黙っていても30分くらいで終点駅に着いてしまいます。そして、終点のペンシルバニア駅は、マンハッタンのど真ん中!…いよいよニューヨークにやってきましたね。空港を出てからここまで1時間以内で着けました。そして今回のホテルですが、ペンシルバニア・ホテルという、名前通り、着いた駅の向かいに位置するホテルを選ばさせて頂きました。正に、ニューアーク空港、NJトランジット経由で降り立った自分にぴったりのデスティネーションです!…まあ、ホテルのチェックインには相変わらず時間を要してしまいましたが(ホテルが大きかったせいか、同じ目的の客が物凄く並んでいたのです…笑)、今までで一番スムーズなアクセスだったとは思いました。
…ホテルの部屋に着くと、ドッと疲れが出てしまったのか、小一時間ほど休んでいましたが、せっかくなので今日の内にどこかの観光ポイントにでも行っておきたいものでした。気付くと、辺りは暗くなり始めていて、それでは…と、初めてニューヨークに来た時にも訪れた事のある、エンパイア・ステート・ビルに上る事に決めました。あの時は午前中に訪れましたが、今行けば夜景が確実に見える事でしょう。その分、人で混雑しているのは必至でしたが、それだけ価値のある景色が望めたと思います。どうぞ下の写真をお楽しみ下さい!
最後は、ニューヨーク名物、プレッツェルを持ちながら、ビールを飲む自分の写真…ですが、なんか缶のサイズがおかしいかなって(笑)。…とまあ、いきなりニューヨーク気分を満喫したところで、いよいよ本格的にニューヨークを楽しんでいきましょう!
●やはり自由の女神でしょ!
ニューヨークを代表するものと言えば、やはり誰しも思い浮かべるのが自由の女神でしょう。もはや、ニューヨークと言うより、自由の国アメリカの象徴とも言える建造物ですが、そろそろ立ち寄ってみたくなる時期でもありました。1回目にニューヨークを訪れた時に足を運んでいるのですが、2回目となる前回〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 20.(アメリカ、ニューヨーク編…2008.3.5~3.14)参照〕は、スタテン島に行くフェリーから、遠く眺めていたのみ…。今回は、足を運ばせるタイミングの時…と言っても良かったのかもしれません。
しかし、今まで3月前半という、割りと寒い時期に来ていた時に対し、今回は夏という、いわゆるオンシーズンの最中での訪問になります。1回目に来た時ですら結構並びましたが、この時期の行列は洒落にならないかもしれません。…はい、こういう時は、朝一で訪れるに限ります。夏のシーズンは朝8:30頃から運営しているようですが、自分は9:00頃には出向く事が出来、殆ど並ばずにフェリーに乗る事が出来ました。これに乗るには、飛行機に乗る時と同じように、荷物等のセキュリティ・チェックを受けなければならず、時間が経つと本当に並ぶ羽目になってしまうのです。さすが世界の観光地といったところでしょうか…。
この日は本当に晴れていて、正に自由の女神像訪問日和…とでも言いましょうか(笑)。朝早いだけに太陽の日差しも上がり切っていなく、本当に心地の良い朝です。日本のように湿度も高くないので、例え眩しくても蒸し暑くなるような事は無いのです。早起きした甲斐があるとも言えますよね。
さて、フェリーは出発してから約15分くらいで、自由の女神像のあるリバティー島へと到着します。約4年半振りの訪問ですが、まだ時間的にオープンしたばかりなので、人が疎らなのが良い感じでもあります。そして、あの時と同じく自分を迎えてくれました。堂々とした佇まいは正に唯一無二のもので、特に真下から見た時の迫力は、実際に見てみないと分からないくらいの存在感があります。
こういった場所に来て、良いな…と思える事の1つに、色々な国からの観光客と、その場を共有できる事…が挙げられます。本当に世界の名立たる観光地で、自分と同じ日本人はもちろん、中国系、欧米人や、インド系、イスラム系の人等、その人種は千差万別でもあります。しかし、皆必死に自由の女神像をカメラに収めていたり、女神像の真似をしながら写真に写ってみる等、やっている事は皆変わらなかったりするのです…。言葉は通じない人達ではありますが、どこかホッとするような、そんな光景が自分は好きなのでした。これは、世界の有名な観光地ではよく思う事なのですが、ここのような開放的な空間ですと、尚更強く思ったりするのです。
朝から楽しい思いを経て、マンハッタンへと帰ってきました。そして、朝乗ってきたフェリー乗り場を見てみると、既に長蛇の列!…時間にして11:00過ぎぐらいになっている頃でしたが、列は海側からそのまま伸びていき、バッテリー・パーク(フェリー乗り場や、チケット売り場がある公園です)をぐるっと囲むように、更に人が増えていっている感じでした。もう、何時間待ちの騒ぎではないような気もしてしまう程です。本当に早めに行って良かったと、改めて思った朝になりました。
●メットも行くべきでしょ!
マンハッタンのセントラル・パーク付近にある、メトロポリタン美術館(以下、メット)も、ニューヨークに来たら是非一度は訪れておきたい場所です。ここも、初回に来た時は見ておいたものの、前回は池田君を入口まで見送るだけで終わってしまいました(笑)。やはり、そろそろ行くべき場所なのではないかと思います。
ここも自由の女神像同様、午前中に出来れば入っておきたい所です。朝9:30からオープンしているので、10:00くらいには着いておきたい感じでしょうか。やはり世界最大級の美術館且つ、その展示物もバラエティに富んでいるので、世界中からここを訪れる人が多いのです。それが、入場料大人20$(約1800円)で済んでしまうのですから、尚更だと思いますね。
今回は、たまたまですが、無料の日本語ガイド・ツアーが開催されているとの事で、約1時間強でしたが、日本人ガイドによる、館内の主だった所をピック・アップして回ってくれるツアーに参加する事が出来ました。特に応募する等の手続きは必要無く、入口付近に11:00に集合していれば良いだけです。恐らく、何カ国語のツアーが日によって用意されているのでしょう。定期的かどうかは分かりませんでしたが、とにかくラッキーな出来事ではありました。
話しを聞いて驚かされたのが、このメット、これだけの規模の美術館にも関わらず、国立でも市のものでもなく、純然たる私立の美術館なのだそうです。もしかしたら有名な事だったのかもしれませんが、自分はこの時初めて知りました。そもそも、アメリカという地に、ヨーロッパに負けないような美術館を…という思いから生まれたメットでしたが、それが現在、世界を代表するような美術館になるとは…。そう言えば、館内スタッフもどこかしら親しみやすい感じはありますし、展示の方法にしても、何となく柔軟性が垣間見れたりもします。大体日本人でしたら、チケットを買う時に「学生か?」と聞かれ、そうではないと言っても、学生料金(10$)で入れてくれるかもしれません(笑)。ある意味で、アメリカらしい美術館…と言う事も出来るのではないかと思います♪
この巨大な美術館、ただやみくもに回っただけでは迷う事必至で(笑)、そして、絶対に1日では見切れません!…なので最初からポイントを幾つか押さえて回るのが良いように思います。そうなると、前述のウォーキング・ツアーはやはりお勧めですし、又はガイドブック等を持って計画的に見ていくのが最低ラインでしょう(時間が沢山ある方は別に良いのですが…)。やはりヨーロッパ絵画や彫刻、中世美術等が面白いかもしれませんが、エジプト美術や日本美術も捨て難いです。自分も、かなり厳選させましたが、結局昼の14:00くらいまでは掛かってしまいましたね。そして外に出ると、右上写真のように、チケット・ブースには既にかなりの人が…。ここも時間的に早めに行っておきたいと言うのは、もはや説明するまでもありませんね!
まだまだ続きます!
旅日記『ニューヨーク編』かと思いきや、6月に敢行してきた鉄道旅行について少々綴らせて頂きます(笑)。今回の目的はズバリ、山陰本線の余部橋梁と、そこを走る特急『はまかぜ』号です。現在(2010年8月12日以降…)、この橋梁は新しく付け替えられているのですが、今年の7月16日まで使われていた橋梁は1912年に完成したものなので、それこそ100年近く使われていたという事になります。全長約319m、高さ約40m、そして11基の橋脚、23連の橋桁を持っており、その独特な構造と鮮やかな朱色、そして周りの風景とも相まって、全国有数の鉄道風景名所としても知られてました。それは鉄道ファンどころか、山陰地方を訪れる観光客にも人気のある場所で、自分も一度は訪れたいと思っていたものなのです(通過した事はありますが、降りた事はありませんでした)。
そして、いずれいずれ…と言いながら、その機会は意外にも早くやってくる事になります…。いわゆる橋梁の架け替えで、今までの橋梁は使われない事になってしまいました。また、そこを走る唯一の特急に『はまかぜ』という列車があるのですが、この列車にはキハ181系という、JRの中で最古参のディーゼル特急車両が使われていて、それも今年の11月で新しい車両に替わってしまうそうです。この車両交代でキハ181系は基本的に定期運用を失う事になるので、やはりこちらも今の内に乗っておかなければなりません…。
これらの背景もあり、旧橋梁の使用期限約1ヶ月前くらいに、今回の鉄道旅は実現しました。自分的には、やっとの思いがあっての実現だったのですが、やはり丹波・丹後地方というのは関東圏からは不便なんですよね…。新幹線は途中までしか使えなく、そして乗り換えをしてからがまた長い…。しかし、それがかえって余部という地に郷愁を感じさせる事にもなり、鉄道の旅を豊かなものにさせてくれるとも思いました。明らかに渋い内容ではありますが(笑)、どうぞご覧下さいませ!
●新幹線『のぞみ』1号!
余部(山陰本線では“餘部”駅と表記)に東京から向かうには、新幹線で京都まで行って、そこから山陰本線に乗り換えて行くのが一般的でしょう。今回もそれに乗っ取り、東京駅を朝1番に出発する(6:00発)、東海道新幹線『のぞみ』1号で、まずは京都駅へと向かう事にしました。そんな『のぞみ』1号ですが、実は現在の東海道新幹線において、一番早い列車でもあります。
ところで、現在の東海道新幹線の東京~新大阪間の標準到達時間は、どれくらいだか御存知でしょうか?…『のぞみ』という列車が生まれた時に、東京~新大阪2時間半!…と大々的に宣伝していたので、このイメージが強いかもしれませんが、現在は、品川駅が新しく出来て全列車が停車、そして新横浜駅も現在は全列車が停車しているので、今は2時間36分くらいに延びてしまっているのです。
ただ、最近になってN700系という車両ができ、これはカーブ進入時でもスピードを落とさずに走れる工夫がなされているので、たまに2時間33分で走破する列車も設定されています。しかし、相当数のN700系が投入された現在でも、やはり殆どの列車が2時間36分で走っているのは、要するに列車の本数(特に、各駅停車の『こだま』が邪魔しているのです…)が沢山ある為に、思うようにスピード・アップが出来ない現実もあるわけです。
東海道新幹線は日本の鉄道の大動脈ですから、この理由は仕方ありませんが、この影響を全然受けない列車が存在します。それが『のぞみ』1号で、つまりは朝1番の列車なので、まだ他の列車が本格的に動いていなく、その分トップ・スピードで全線を走破出来るという事なのです。この為、『のぞみ』1号は東京~新大阪間を2時間25分で結んでおり、これは、今のところの同区間の最短到達時分にもなっています(過去を遡っても、現在が最短です)。この所要時間で走る列車は、もう4、5本設定されていますが、いずれも始発か最終の『のぞみ』で、ある意味で貴重な列車でもあるわけなのです。
まあ、所要時間2時間36分が2時間25分になったところで、実際に乗っていてもその違いはよく分からないというのが事実ですが(笑)、栄誉ある列車に乗っているという自負だけでも旅気分は盛り上がるというものです。さて、こんな感じで、京都駅には朝の8:11には着いてしまいました。所要時間は2時間11分。一般的な到達時間は2時間21分ですから、10分も早いですね(笑)。…さあ、本題の山陰本線へと向かいましょう!
●山陰本線で余部へ!
京都駅に着き、そのままJR山陰本線へと乗り換えます。山陰本線は、今年の4月のツアー時にも乗った路線〔竹内大輔、北九州ツアー(2010.4.1~4.5)参照〕ではありますが、あの時は山口県での区間、そしてこちらは京都府…と、かなり距離が長い路線でもあります。この線路が遠く山口の下関まで繋がっていると思うと感慨深いですが、それを言ったら、JR在来線の全てのの線路だって繋がってますしね…。ただ、山陰本線…という名前が、何となく郷愁を誘う路線名であるのは、自分にとって昔から変わらないようです。
山陰本線の京都側は“嵯峨野線”とも呼ばれていて、列車の本数的にも一番、都市的?な区間ではないでしょうか。山陰本線に“都市”…という単語は、あまり似つかわしくない感じがしてしまうのですが(笑)、等間隔のダイヤと、快速列車の運転など、JR西日本の大阪圏に設定されている“アーバン・ネットワーク”に恥じない路線に成長していました。
ただ、近代化は結構最近で、それは、ここ20年くらいの間で行われたと言っても過言では無いと思います(京都駅付近が電化されたのが、1990年の事ですからね)。やはりJR化後…という感じですが、それだけ、山陰本線を取り巻く事情は変わっていったのでしょう。今では、途中の園部という駅まで(ここまでが、京都側の近郊区間と言える場所です)、全線複線化がされていました。
京都駅を出て、二条駅、嵐山駅と、京都のお馴染みの地名を通りながら京都盆地を抜けます。この先、亀岡駅までの10kmくらいの間は、かつては、保津峡と呼ばれた渓谷に沿って線路が敷かれていて、それは情緒溢れる景色が展開されていたものでしたが、現在では長いトンネルで一気に駆け抜けてしまって、車窓からの景色はトンネルとトンネルの間の明かり区間の一瞬くらいしか楽しめなくなってしまいました(その代わり、所要時間は大幅に短縮されました)。流石に旧区間を惜しむ人も多く、この線路を使って、嵯峨野観光鉄道という、トロッコ列車で楽しめる鉄道会社が出来た事も、御存知の方は多いかもしれませんね。自分はこちらの鉄道には乗った事が無いので、いつか乗りたいとは思っているのですが…。
保津峡を抜け、辺りは田園風景が目立ち始め、園部駅に到着します。京都からの通勤圏内は、大体この辺りまでかもしれません。ここからの普通列車は、基本的に2両編成のワンマン列車となり、徐々にローカル色が濃くなってくる区間でもあります。ここからものんびりと普通列車の旅を楽しみたいところなのですが、一応今回の目的は余部でもありますので、特急列車へと乗り換えました。
この区間を走る特急列車は、実に様々です。…と言うのも、この先、色々と路線が枝分かれしていくのが原因で、行き先によって列車名を変えている為です。実際、この時に乗った列車も、特急『まいづる』・『たんば』1号となっていて、途中の綾部駅で一部車両を切り離し、二手に分かれて発車していくという二層立ての列車でした。具体的には東舞鶴駅行きが『まいづる』、福知山駅行きが『たんば』、天橋立駅行きが『はしだて』、城崎温泉駅行きが『きのさき』…となっています。そして途中の福知山駅では大阪方面からの福知山線特急(こちらは、天橋立駅行きが『文殊』、城崎温泉行きが『北近畿』です)も流れ込み、また、観光特急的な存在として、車両も異なる『タンゴ・ディスカバリー』号というのもありまして、ある種、特急列車名の入り乱れ状態ともなっています(笑)。要するに、京都から来た列車と、大阪から来た列車が福知山駅で合流し、それが、天橋立と城崎温泉方面に分かれていくわけです。言わば、福知山駅が合流駅の役割を果たしているわけですね。そして、これらの特急列車は、上手い具合に福知山駅で同じホーム、同じ時間帯で乗り換えられるようにしていて、例え乗り換えが発生しても、特急券は通し料金で購入できるのです。それぞれの列車が組み合わさって、計1時間に1本程度の特急の本数ではありますが、効率の良いネットワークが組まれていると言って良いと思います。そんな自分は福知山駅で乗り換えて、城崎温泉駅へと足を進ませました。
これらの車両は、殆どが485系という、旧国鉄時代に造られた車両によって運行されているのですが、このうち、『北近畿』号と『きのさき』号は、新しい車両による置き換えが発表されています。これらは、旧国鉄色(左上写真の、右の列車のカラー)の雰囲気を今に伝える貴重な列車でもあるのですが、やはり時代の為には止むを得ないところです。今回、敢えて特急列車に乗ったのは、この列車に乗る為でもあったのです…。
さて、城崎温泉駅より先は非電化となり、列車の運転本数も激減します。特急列車は、この先は1日に3往復のみの運転ですし、普通列車も、1、2時間に1本程度となってしまいます…。しかし、ここからが山陰本線の本領発揮という感じで、ワクワクする瞬間でもあるのです。この城崎温泉という駅は、駅名の通り、温泉で有名な所で、それこそ大阪や京都から直通特急列車が走ってきたりするものですが、この先に、そんな特急列車を惹き付けるような場所は殆どありません(笑)。そして、それこそが山陰本線の魅力なのです。
今回の目的の余部は、そんな区間に位置します。非電化でディーゼルカーなので速度も遅く、実際線路も急勾配、カーブが多くなってくるので、列車は思うようにスピードを上げられないままです。しかし自分からしてみれば、正にこれこそが山陰本線の醍醐味だ!…と思ってしまうもので(笑)、なかなか不思議ですよね。実にのんびりとした動きで1つ1つ駅を停車していき、城崎温泉駅を出て約50分、例の余部橋梁を渡って、列車はついに餘部駅に到着しました。
外は雨が降っていたのが何とも残念ですが、それでも20人くらいの乗客が一気に列車から降りていきました。こんなローカルな駅に、これくらいの乗降客があるとは思えません。勿論この橋梁を惜しむファン達でしょう。6月の平日という日ではありましたが、皆さんなかなか流石ですね(自分もですが…笑)。
既に、付け替えに取り掛かれる準備に進んでいるようで、駅も、ホームと小さな待合室だけの簡素な造りになっていました。そして、来た方向の線路を振り返ると、余部橋梁、そしてその先にトンネルが口を開けているのが見えました。これも不思議な光景かもしれません…。
さて、この駅は余部橋梁を渡ってすぐの、かなり高い所に位置する為に、集落に辿り着くにはお世辞にも歩きやすいとは言えない道を、5分ほど下っていかなくてはなりません…。しかも、この日は生憎の雨という事で、道が滑りやすい事滑りやすい事…。いや、本当に滑ってしまったのですが(笑)、これを道を毎日辿っている地元の人は、さぞかし大変だろうなと思いました。それに、夜とかどうなってしまうのでしょう…。
そして、やっとの思いで橋桁の下に出る事ができましたが、なんと雄大な橋梁なのでしょう。正に、見上げる…という言葉が必要な程、その橋梁の全体を把握するには時間を要しそうです。この橋が無ければ、普通の喉かな海のある街…という感じなのでしょうが、余部橋梁のお陰で、多大なるインパクトに溢れています。そして、その橋梁を通る列車と相まって、とても情緒深い景色が作り出せているなと思いました。確かに、鉄道文化遺産とはよく言ったものです。
新しい橋梁というのは、まだ一部繋がっていない部分があったものの、もう殆ど出来ていると言って良いような状態で、旧橋梁も、いよいよ付け替えか…という事実が、ここに来て改めて理解できたような気がしました。新しい方は現代的であり、コンクリート使用で、非常に頑丈そうな感じです。しかし旧橋梁にも、それに劣らず魅力的な部分があるというのは、ここに来た自分だけの意見でも無さそうですね。自分の他にも、橋梁に向けてカメラを向けている方がチラホラいたのが、何よりの証拠です。また、国道の通り道でもあるので、どこからか車でやってきて、走行中の列車を撮って、また別の場所に移動する…といった方も結構多かったように思います。確かに、未だ止まない雨(むしろ本降り…泣)という天気でしたから、そちらの方が便利と言えば便利なのでしょうが…、しかし、やはりここは鉄道で訪れたい場所なような気がします…。
さて、その誰しもがカメラで狙うのが、ここを1日に3往復だけ走る特急列車『はまかぜ』の存在です。冒頭にも述べましたが、この列車は全国で唯一の、キハ181系という車両を定期的に運行している列車で、それも今年の11月までとなっています(新車に替わります)。この列車と、貴重な余部橋梁の共演…。見逃すわけにはいかないに決まっています。自分へ与えられたチャンスは、上りと下り列車の計2本で、どんな構図で狙おうかと、色々と考えたものでした。やはり、ぐずついた天気が惜しまれますね…。
そして、上のような写真を撮らせて頂きました。普通列車こそ2両編成ですが、このように長大編成(…とは言え6両編成ですが、ここでは“とても長い”編成です)の列車が来ると、とても勇ましく、そして絵になる風景が生まれますよね。この光景を目に焼き付け、昔はこの場所で、こんな写真が撮れたのだと、いつまでも残しておきたい風景のように思いました。…名残惜しいですが、列車の本数は限られているので、いつまでもこの場所にはいられないのも事実です…。駅から歩いてきた山道を再び戻り、本数的にも貴重な?普通列車へと乗り込みました。ちなみにこの餘部駅にいたのは、たったの約1時間20分!…実に濃い時間を過ごさせて貰ったのだと思いました。
●ある人の、生前葬ライブ
今回の旅は1泊2日という行程になっていましたが、その時の宿は大阪市内と決めてました。山陰本線の餘部駅を堪能し、次の日は例の『はまかぜ』号に乗りながら帰路に着く予定にしていたので、わざわざ大阪に行く必要は、無いと言えば無かったのですが、、、いえいえ、この日は前々から、どうしても見ておきたかったライブが大阪で開催されるという事で、そこに行かなくてはならなかったのです。
そのアーティストとは、この日で大阪3daysライブの千秋楽を向かえるという人で、この時期、関西ツアーも並行して行っているという人でした。…更に言えば、このライブは自らが企画したもので、その名も“生前葬ライブ”という、もう年齢も年齢なので、生きているうちに香典をよこせ!…という意思の元に生まれた、シンガー・トーク・ライターの、、、
そう、Daddy 津田さんのライブです(笑)。
大阪は心斎橋にある、“ら”というお店にて、それは行われました。どうやらこの日は全国的に雨だったようで、大阪市内も土砂降りに近い状態が続いていましたが、その中でお店を探すのは大変でした。場所の見当は付いているのですが、ビルに入っている小さいお店で、この辺りはそのようなお店が本当に沢山あるので、外見はどれも同じように見えてしまうのです。…そして、何とかお店を見つけ、Daddy さんと久し振りの再開を果たしましたが、、、お客さんが自分しかいません(笑)。そして、本当にお店が小さい!
小さい、小さい…とは聞いていましたが、本当に噂通りの広さです。そして、マスターがいい味を出している方でして、何だか改めて、大阪に来たんだなあ…という感じがしてしまうくらいでした。もう、客席の一部がステージみたいなもので、そこには遺影のような写真が飾られております(笑)。やがて、お客さんもチラホラと来た感じになりましたが、まだまだ少ない感じではありました。…聞くと、3daysの初日は、それこそ満席だったのだそうで、全部その日に偏った…と言っておられました(笑)。マスターも、Daddy の客は、正直めちゃめちゃバランス悪いわ…と嘆いてたくらいです(笑)。面白いですけど…。
そんな中でライブは楽しませて頂きました。こうした地方で、わざわざ Daddy さんのライブを聴きにいったのは初めてかもしれませんが(関東ではあります)、今回は機会が巡ったといいますが、丁度良いタイミングだったんですよね。お客さんとして来ていた、やはりボーカリストのやらっぺさんも何気に歌ってくれましたし、なかなか楽しい時間を過ごせました。
そしてゲスト扱いで、自分も、Daddy さんのステージに参加してきてしまいました♪…今まで聴いた事のある曲が殆どだったので、準備は万端です!…勿論、一か八かみたいなところは正直ありましたが、それがまた面白かった要因の1つにも思えたくらいでした。それこそ、生前葬に華を添える事が出来て本望でした。ありがとうございました!
このままお店で飲んでいても良かったのですが、いつしか場所を変え、焼き鳥を食べながらの打ち上げに流れていきました。ここで、Daddy さんと自分、そしてマスターと、先程のやらっぺさんの4人が出揃い、またまた楽しい時間を過ごさせて頂いたものでした。そして、今回、一応は鉄道の旅メインでやってきたのですが、次の日の昼くらいまでは眠っていたいな…と思うようにもなってきてしまいます。これではイカンと、何とか夜の1:00くらいにはホテルに戻る事にしました…。しかし、この飲み様では、明日の朝がどうなってしまうのか、全く読めません。…という考える間もなく、ホテルに着いて暫くして、自分は眠りについてしまいました(笑)。
●JR播但線と、特急『はまかぜ』181系
次の日は、大阪駅を7:30には出たいという予定でした。しかし、この日に起きれたのは朝9:00過ぎで、未だ心斎橋にあるホテルにて…。完全に予定は駄目になりました(笑)。ただ、大まかにこの日の予定を言うと、山陰本線の和田山という駅(福知山駅の少し先に位置します)から、特急『はまかぜ』4号で播但線経由で姫路駅に出て、そのまま新幹線で東京に戻る…という手筈でした。『はまかぜ』4号の和田山駅発は14:58。…要は、この時間までに和田山駅に着いていれば良いわけです。
1日目の餘部駅から大阪駅までは、福知山駅からJR福知山線で帰ってきたので、この日は別のルートで福知山駅、そして和田山駅に抜けようと考えていて、まだ乗った事の無いJR加古川線でも乗って行こうかと思っていたのですが、この寝坊でそれは駄目になりました。それでは…と色々模索してみたのですが、なかなか良いルートが探せません。結局、JR福知山線の鈍行列車で福知山方面に行く事にしました(1日目は特急で一気に大阪に来たので…)。これならまだ時間はあるかと思いきや、福知山駅~和田山駅間は本数も少なく、列車の接続も考えないといけないので、シャワーを浴びて早々に出ていきました。やはり、鈍行列車というのは時間も掛かるものなのです。
まずは大阪駅に出て、JR福知山線(この付近ではJR宝塚線という愛称で呼ばれています)の丹波寺快速に乗って、篠山口駅へと向かいます。これは、いわば山陰本線の京都口にある園部駅みたいなもので、ここまでが大阪への通勤圏内という感じの駅です。ここからはやはり、普通列車は基本的に、2両編成のワンマン列車が1時間に1本くらいの頻度でのんびりと走る…という感じです。ただ、車両の居住性は極めて高く、これがJR西日本での車両の強みとでも言いましょうか…。車内は転換クロスシートで構成され、言わば行楽気分にもなれます(この路線では最近そうなったのですが…。お陰で、快適に福知山駅までの旅が出来ました。この区間を鈍行列車で乗るのは初めてでしたが、ゆっくりと景色を眺められるのが良かったですね。いつかは途中の駅でも降りてみたいものでした。
福知山駅から特急『北近畿』7号に乗り継ぎ、和田山駅には14:17着きました。まだ14:58発までには時間がありますが、これ以上、直前に着く列車が無いので仕方ありません。少し駅前を歩いてみましたが、暑くて身体がもたなかったので(笑)、駅中にある食堂みたいな所でお蕎麦を食べつつ、時間が経つのを待っていたりしました。
そして、いよいよ『はまかぜ』4号の入線です。昨日は、余部橋梁を渡る姿を遠くから眺めるだけでしたが、今回は相当近くで(まあ、乗りますし…)見る事が出来ます。恐らく、次に出会える機会は殆ど無いと言っても良いでしょう。記念、記録としても、何枚かカメラに収めておきたいところでした。
編成こそ、昨日見た時より短い4両編成でしたが、それでも特急列車らしい、威風堂々とした入線は流石でした。最近の車両に見られるような軽快さは無く、正に重鎮という感じです。この車両が生まれたのが1968年の事ですから、それこそ40年以上も走り続けているわけで、今こうして現役として働いている姿が見れる事自体が、凄い事なのかもしれません。車両を改めてじっくり見てみると、先頭車の5分の2ぐらいのスペースは、発電セットや大型放熱器の機器室となっており、その分客室も短くなっています(…つまり、この列車は4両編成ですが、実際は3両編成分くらいの定員しか無いのです)。また、中間車両の屋根上に掲載された、大型の放熱素子を並べた巨大な自然通風式ラジエーターが相当目立っており、これらは現在の車両には踏襲されていない部分でもあるので、やはり時代を感じさせる車両なのだなとも思いました。逆に、良き時代の車両…と言う事も出来るかもしれませんけどね。
JR播但線は今回初めて乗る路線でしたが、それが、恐らく最後の181系『はまかぜ』号によるものになるとは…思ってもみませんでした。どちらかというと、車窓より、車内の方が気になってしまうくらいです(笑)。走行音や、車内の雰囲気等、今の内に感じておかなくてはならない事柄が多過ぎるのです。実際、播但線自体は比較的地味な路線で、寺前駅より北側の非電化区間と、当駅より南側の姫路側の電化区間(電化は1998年)に分かれますが、車窓も前者が山岳路線、後者は郊外路線…という感じでした。これらはやはり、今一度鈍行列車に乗って旅をしなくては駄目でしょうね。新しい特急車両が走り始めたら、改めて鈍行列車と乗り比べの旅にでも来ようかと思いました(笑)。
和田山駅を出てから約1時間、車窓右手に姫路城が見えてくると、播但線の終点姫路駅に到着となります。鈍行列車で乗り継いでも1時間半あれば着く距離なので、そんなに『はまかぜ』号は速くは走っていないのでしょうが、良い旅でした…。列車はこのまま大阪駅まで走りますが、今回はここで見送るとしましょう。もう自分は、東京に戻らなくてはなりません。高架化された姫路駅との対比が、若干アンバランスな気もしましたが、これも時代の流れなのでしょうか…。そんな背景には似合わない、騒がしいエンジン音を立てて、『はまかぜ』号はゆっくりと大阪駅に向け、発車していきました。
これで今回の旅は終わりです。途中、面白いライブを挟んだりしましたが(笑)、貴重な駅、そして列車を今の内に体験する事が出来て良かったです。現在、余部橋梁は新しい橋が完成し、特急『はまかぜ』号、勿論181系が、最後の活躍をしているところでしょう。新しく入った情報によると、『はまかぜ』に新車が投入されるのは今年の11月7日、つまり、181系の最後の定期運用日は、11月6日となるようです。定期運転終了後も、暫くは臨時列車用として車両は残るようですが、それでも今年度中には全営業運転が終了になるようで、いよいよ全廃までのカウントダウンが始まったと考えて良いでしょう。
新しい車両が生まれる一方で、古い車両は交代されていく運命にあります。これは景色も同じ事で、旧余部橋梁がある風景を見ておけて、本当に良かったと思いました。時代の移り変わりと共に、消えていく風景もある…。しかし、その両方とも記憶に留めておきたいと思うのは当然の事で、今回の旅では、経験的にその事を学べたような気がしました…。そして、これからの余部橋梁、そして新車の『はまかぜ』も記録、記憶していけたらと思います。
今年の12月に、東北新幹線の八戸駅~新青森間が開通する見込みで、ついに新幹線は本州の北端である青森市にまで到達するようになります。また、来年中には九州新幹線の博多駅(博多南駅)~新八代駅間も開通し、この時に山陽新幹線との乗り入れが予定されているので、実質、東京駅~鹿児島中央駅間は線路で結ばれ、言うならば、本州の北端である青森から、九州の南端である鹿児島まで、新幹線網が完成する…という事になります。
時代の進歩は目覚ましいものですが、その一方で、廃止になった列車も少なくありません…。その代表的なものが寝台列車(ブルートレイン)で、新幹線が開通しては廃止になり、今では、残っている列車を探す方が困難という状況です。そして、先月の3月13日(土)のダイヤ改正ではついに、上野駅~金沢駅を走る寝台特急『北陸』号の廃止、夜行急行『能登』号の臨時列車化が実現されてしまい、東京と北陸を結ぶ夜行列車は、定期的には見られない…という事になってしまいました。
この『北陸』号の廃止は、実は寝耳に水でした。…と言うのは、今までのパターンからして、並行する新幹線が開通するから廃止させる…というものが、暗黙ながら?あった気がしていたのですが、この区間の、いわゆる“北陸新幹線”と呼ばれる金沢駅までの開通は2014年を目指しており、まだ時期尚早なのではないかと思ったからでした。
しかし、これは現実です。このダイヤ改正が発表されたのは、そこから約3ヶ月くらい前の、昨年の12月の頃でしたが、これは早い時期に北陸に向かっておかなければなりません。ただ、寝台特急『北陸』号は、結構至近の時期に乗っていた事がありましたので〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 30.ブルートレイン編(2009.6.22~6.25)参照〕、今回は夜行急行『能登』号に乗っておく事にしましょう。後述しますが、この列車も相当貴重な列車に属するものなのです…。実は、この列車も約4年ほど前に乗った事がありましたが〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 3.北陸編(2006.4.16~4.17)参照〕(笑)、ならばあの時とは逆のルートで、金沢駅~上野駅と、上り列車に乗ってみる事にしましょう。
これだけでも十分な列車旅となりますが(笑)、実はこの3月13日のダイヤ改正では、その他の北陸地区の列車にも色々な変化を引き起こすダイヤ改正ともなっており、今の内に乗らなければならない路線が他にも沢山あったのです…。成程、それなら全てひっくるめて、ダイヤ改正を前に、北陸地区の列車事情の“今”を見ておこうではありませんか。
…そんな事を思ったのが、実は既に2月末の事(笑)。計画も何も、結構ギリギリな決断ではあったのですが、今回の北陸の旅が実現しました。また長い事になるかもしれませんが(笑)、末永くお楽しみ下さいませ。
●飛行機で、羽田から富山へ…
帰路に関しては、前述のように夜行列車で帰る事が決定していましたが、北陸への往路に関してはノープランでした。ただ、よく考えると、もし北陸新幹線が金沢駅まで開通した時に、そこまで飛んでいる飛行機はどうなるのだろう…と頭を過ぎったのです。予想ですが、新幹線というスピードを考えると、東京駅~金沢駅間で、軽く2時間半くらいで結んでしまうのではないかと思います。これが東京駅~富山駅間になると更に早く、2時間10分くらいにはなるかと思うのですが、この時間ですと、さすがに航空機は太刀打ちできなく、恐らくは路線ごと廃止になってしまうかもしれません(こういった例には、羽田~新潟線、羽田~仙台線等があります)。…という事は、これから羽田~富山線という飛行機の路線は、ますます貴重になっていくのではないでしょうか…。これらは机上の論議ではありますが、羽田~富山線というのは、羽田空港を発着する路線の中でも、離島行きを除くと、かなり短距離を飛ぶ路線という事になります。その体験という意味でも興味深いものであると認識しつつ、3月7日の朝、自分は羽田空港の人となっていました。出発時刻は6:50発と、非常に早いものでしたが、これなら現地で有効的に時間が使えるというものです。
羽田~富山線というのは、実は4年前の北陸を旅した際に乗った事があったのですが、この時は富山発、羽田行きの便で、今回とは逆方向であり、しかも夜の便だったので、機内からの景色というのは皆無でした。しかし、東京~北陸を結ぶ飛行機路線というのは、本州を横断するだけあって、屈指の絶景路線とも言われており、富士山はもちろん、アルプスの山々や信州地区を見下ろしながらのフライトになります。今回は朝早くだったので自分はかなり期待して、もちろん窓側の席を抑えていたのですが、写真を見ての通り、生憎の天気です。奇跡的に晴れないか…という思いも虚しく、出発から着陸まで、殆どが雲の上、雲の中の飛行となってしまいました…。今度、いつ乗れるか分からないというのに、何だか勿体無い事です。
飛行機という乗り物は、目的地が遠ければ遠いほど、燃料を沢山積んでいて重いので、離陸時の滑走距離(滑走時間)が長くなる…というのは、前のブログで書いた事があると思うのですが〔竹内大輔の写真日記(~2009)、成田空港飛行機撮影 1.(おまけ編)参照〕、それならば羽田~富山線というのは、かなりの短距離路線…という事になるので、滑走距離も相当短い筈です。これは実際にそうで、離陸の助走を始めて、本当にあっという間に飛行機は浮き上がっていってしまいました…。自分は、羽田空港からの離陸は、もう何度も体験している為、ある程度の離陸地点は予想が付いてしまうくらいだと自負はしていたのですが、今回ばかりは予想を遥かに超える早さの離陸でした。ある意味で呆気無く、そして軽い離陸でした。本当に、富山というのは航路上では近い場所なのでしょうね…。
実際、時刻表上では6:50に出発し、7:55に富山空港に到着する事になっているので、実際の飛行時間というと、50分にも満たないわけです。その間にドリンクのサービス(離陸に10分、着陸に20分以上は要するので、シートベルトが消えている時間というのは、本当に僅かな時間なのです)等もあるわけですが、この日は空席が目立ったから良いものの、満員の機内ではCAも大変なのではないかと思いました。そう言えば4月から全日空は、国内線も水とお茶を除き、飲み物が有料になるそうです。これは、今の内にフリー・ドリンクを楽しんでおいた方が良いですね。個人的には、お気に入りのコンソメ・スープをいつも注文していまいますが…。
そして、飛行機はあっという間に着陸態勢に入りました。すぐに雲の中に入り、暫くはどのような動きをしているのかさえ分からない状態になります。そして、着陸5分くらい前になって、やっと雲の下に出ましたが、天気が悪いのか、結構飛行機は揺れが目立っている感じでした…。富山空港は海側からの進入が基本ですが、この日は、いつものように海側から滑走路を目指したものの、着陸直前で滑走路へのコースから外れ、ぐるっとその反対側に回って、逆側からの侵入となっていました。恐らく風の影響だと思いますが(飛行機の離着陸というのは、向かい風で行うのが基本なのです)、この時は、かなり低空の所で旋回していたりしたので、結構スリル満点の着陸となりましたね。こちら側は楽しかったですが、パイロット的には高度な技術が要求された事でしょう。
さて、飛行機は若干遅れ、丁度8:00頃の到着となりましたが、もう既に旅は始まっています。少し時間を気にしつつ、空港の外に出る事にしました。…この日、富山は東京と同じで雨という天気でしたが、気温はぐっと低く4度(!)でした。まあ、この方が、北陸に来たという感触を味わえるというものですが…(笑)。
●JR高山本線(1日目)
空港から外に出て、いきなり自分はタクシーに乗り込みました。これからJR高山本線の笹津という駅に向かう為です。距離的には空港から12~13kmという感じですが、この駅を8:43に発車する列車に乗らないと、この日の予定はガタガタになってしまうのです(それくらい列車の本数が少ないのです)。空港からは富山駅行きのバスが出ていて、高山本線の列車も富山駅から出てはいるのですが、これだと連絡の時間が間に合わなくなってしまうので、今のような手段を取ったわけです。…なので、飛行機が5分遅れで富山空港に到着したというのも、若干自分は焦りの気持が無いわけでは無かったのですが、笹津駅に着いてみれば、8:20頃の到着で、結果的には全然余裕という事になりました。…というわけで、ここから列車旅の始まります(笑)。
特急『(ワイドビュー)ひだ』号が通過して暫くして、2両編成の猪谷駅行きの列車がやってきました。笹津駅は、駅舎自体は新しそうでしたが無人駅で、駅周辺は大変静かなところだったと思います。ここは富山平野の南端ぐらいの場所に辺り、高山本線はここから更に、南の方向を目指して進んでいくのですが、早速山が近くまで迫ってくるようになり、いわゆる山岳路線へと変化を遂げていくわけです。
猪谷という駅は笹津駅から2つ目の駅で、ここでJR西日本からJR東海の路線となり、運行上の分岐駅でもあるので、特急列車以外では。ここで乗り換えが必然となります。自分が乗ってきた列車も例外では無く、車両もJR東海のものになり、更に山を越えていきます。この駅の時点で、さっきまで降っていた雨は雪へと変わり、山々にも残雪が見られるようになりましたが、まだまだ雪の景色はこれからなのです。
ここからは、雪もちらつき…という程度では無く、この季節になると毎年雪との戦いにもなる区間…であるとも言えます。それは車窓から見ても明らかで、どんどん山と山の間は狭くなっていき、列車も川に沿って走っていくか、橋梁かトンネルかで抜けて行く区間が目立ってきます。列車と並行して走っている道路のほうは、雪や雪崩から守る為か、シェルターに覆われた部分が多くなり、それは鉄道側も同じ状況です。この区間を走る普通列車は1日に8往復しかないのも、環境的に厳しい所を走っているというのを物語ってくれていますね。
こんな感じの区間を30~40分程走っていき飛騨細江という駅に着くと、少し山々も減ってきて、ちょっとした平地に出たという感じになります。高山盆地に出た証拠で、ここから高山駅までは、盆地の中をひた走るので、急勾配やトンネル…といった状況は出てきません。しかし、明らかに周りは雪深くなっている事から、やはり山の中に来たという印象は強いですね。実際、高山は山の中の町でもあるので、車窓も富山市内の時とは一味違います。そうして猪谷駅を出てから約1時間して、高山駅に到着しました。
高山へ来たのは今回が2回目です。実は、1回目に来たのは昨年の2月頃と〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 28.飛騨高山編(2009.2.24~2.25)参照〕、言わば最近来たばかり(笑)でもあったのですが、この時に自分は高山本線の高山駅~美濃太田間に初めて乗り、そこから考えると、先程の富山駅~高山駅間は、まだ未乗車…という事になっていました。それが何だか妙にもどかしく(笑)、今回の乗車に至ったわけなのです。また、昨年は驚くほど雪が少なく、何だか拍子抜けしてしまっていた部分もあったので、ちゃんと雪がある高山…というのが見たかったというのも、理由として小さくはありません。
…つまり、今回の高山本線は、正に“乗る為”だけの乗車であり、特に高山に用事があったわけではないのです(笑)。そもそも列車旅というのは、列車に乗る事自体が目的としているので、別に間違った事をしている感覚も無く、この高山には45分間の滞在のみで、さっさと富山駅行きの特急『(ワイドビュー)ひだ』号で、今来た道を引き返す事にしてしまいました(笑)。
昨年、高山に来た時にも乗ってきたこの特急ですが、列車名に“ワイドビュー”と冠しているだけあって、窓からの眺めは抜群で、座席が通路より1段高く設定されていて、そして窓自体も大きいサイズになっています。もちろんスピードも速いのですが、それは高山より南の区間の話しであって、高山駅~富山駅間の区間は、利用者も少なく本数も少ないので、そんなに線路設備にも手に入れいている感じではなさそうでした。実際、名古屋駅から来た特急は、日曜日という事もあり9両編成でやってきたのですが、ここ高山駅で6両を切り離し、終点の富山駅までは残りの3両という陣容でした…。利用者の少なさが窺えるというものです。
特急ですと、高山駅から富山駅までは大体1時間半くらいで到着します。先程通ってきた笹津駅も簡単に通過し、弁当を食べてた以外は殆ど車内で寝てしまっていたので、それこそあっという間の到着でした。せっかく良い景色なので、勿体無い感じもありましたが、やはり車窓というのは、なるべく鈍行列車から、ゆっくり見たいものなのですよね…。まあ、言い訳には違いありませんが…(笑)。
●JR大糸線のキハ52形に乗る
富山駅に着いた後、今度はJR北陸本線で糸魚川駅へと向かいました。特急列車でも50分くらい掛かる行程なので、結構な距離の移動でしたが、そこまでして行きたかったのは、ここから出ているJR大糸線の、キハ52形という車両に乗りたかった為です。
キハ52形という車両は、国鉄時代の1958年に登場したディーゼルカーの車両です。1両に2つのエンジンを積んでいるので勾配に強く、なおかつ単行(1両編成)での運転が可能という事で(両運転台の車両なので)、非電化の山岳ローカル線には重宝された車両でした。どちらかと言うと、1両単位で運転出来るところがメリットのように使われていましたが、国鉄がJRになり、新しいディーゼルカーが続々と登場してくると、急激にその活躍場所を失い始めてしまうのです。
特にこの1、2年は急ピッチの交代劇で、ついに日本全国で見られるJRキハ52形は、この大糸線だけとなってしまったのです。言わば最後の活躍場所ですが、それも今年の3月13日には新しい車両に入れ替わる事が決定してしまいました…。これでキハ52形の定期運転は終了となってしまうのです。
実際のところ、大糸線を走るキハ52形は1965年、66年製で、車両寿命から考えても、よく現在まで走っていたなという感じですが、他に適当な代替車両が今まで無かった事が、今日まで生き永らえた理由なのかもしれません。また、大糸線という路線の特徴も、その事に大きな影響を与えていたように思います。
JR大糸線は、ここ糸魚川駅から長野県の松本駅までを結ぶ路線ですが、糸魚川駅から途中の南小谷駅まではJR西日本の路線で、南小谷駅から松本駅までの間はJR東日本の路線となっているのです。勿論、これは国鉄がJRになった際に行われた措置ではありますが、そもそも現在のJR西日本の区間だけ電化されておらず、使われる車両も元々異なっていたので、南小谷駅が境界駅となるのも当然だったように思います。
これで、南小谷駅より北側の区間は、JR東日本とは殆ど関係の無い路線になってしまいましたが、もう一方の糸魚川駅側で接続する路線というのも、JR北陸本線のみ(勿論、電化路線)という事で、どちらかと言うと、大糸線のJR西日本区間は、他の路線から取り残されたような存在になってしまうのです。
大糸線の糸魚川駅~南小谷駅は、道中が日本屈指の険しさで、人口もかなり少ないところを通る為、列車の本数も事の他少ないです。実際のところ、区間運転の列車を含めても、1日9往復しか設定されておらず、かなりのローカル線と言っても過言ではありません。これにより近代化も遅れたと思うのですが、結果的に、最後のキハ52形が定期運行している路線ともなったわけですね…。
…さて、概要はこれくらいにして、早速キハ52形に乗って、南小谷駅まで向かいましょう。流石にキハ52形が終焉間近というのは広く知られていて、車内は既に満員状態でした。普段ならば、数えるくらいの乗客しかいないような路線です。
現在大糸線に配置されているキハ52形は3両で、これで全てなのですが、この3両で全運用を賄える程でもあるのです。そして、その3両すべてが旧国鉄塗装に塗り替えられていて、しかも3両とも異なった塗装になっているので、ファンの目を喜ばせてくれます。常時2両運用で、残りの1両が同日には見れないのが残念ですが、もはや現役のキハ52形に乗れるだけでも貴重な事です。ここはじっくりと体験しておきたいものでした。
糸魚川駅を出て、姫川という川に沿って南にずっと下っていきます。この姫川…、名前からは想像出来ない程の暴れ川として有名で、1995年にはこの大糸線も土砂災害の犠牲となってしまい(橋脚が流されたのです)、長い間運行できない時期が続いていた事もありました。それは糸魚川駅を出て1つか2つ目の駅で、すぐに雰囲気的に分かる筈です。急激に山肌が迫り、もはや渓谷に近い感じで列車は進んでいくのです…。また、雪もいきなり深くなり、先程のJR高山本線より急に、険しい道のりに突入…という感じでもあります。
豪雪地帯に入り、雪も降ってくるようになって、視界も悪くなってきました…。山肌も迫り、高山本線と同じように、トンネル、スノーシェッドが続く区間が目立ってくるようになります。おまけにカーブも多く、列車は徐行運転をしているかのような速度で、ゆっくりと、しかし確実に線路を踏み締めて走ります。
最近の車両というのは、色々と軽量化も進んでいて、こんな時に1両編成では何だか頼りなく思えてしまう車両ばかりなのですが、このキハ52形の重厚な走りっぷりはどうでしょう。明らかに、現在の車両では味わえないような雰囲気を持っています。また、旧国鉄塗装の持つ懐かしい感じも、そうさせるのでしょうか…。車内は混雑していたので、結局座席には座れないままでしたが、南小谷駅までの約1時間、なかなか感慨深い時間を過ごさせて頂きました。前述したように、南小谷駅はJR東日本との境界駅。こちらは新宿までの直通列車が運転されている程で、急に垢抜けた雰囲気を感じてしまいましたね…。
もう雪は本格的に舞っていて、特に駅前散策も出来ない感じでしたが、自分はすぐ折り返し、再度糸魚川駅へと向かうので、特に気にしない感じで進めました(笑)。束の間のJR東日本管内の滞在でしたが、今回の旅のメインは北陸系統です。JR東日本の車両は、どうも“北陸”という響きには合いません。
このまま糸魚川駅に直接向かうのではなく、途中の平岩という駅で降りてみました。ここは、糸魚川駅からの区間列車の折り返しに設定されている駅でもあり、乗ってきた列車で降りると、今から45分後くらいにちょうど折り返し列車がやってきて、15分程の停車をしてまた糸魚川駅に向かうという光景が見られるのです。平岩駅は特に大きな駅でもなく、むしろ無人駅だったのですが、付近に温泉や集落もあって、なかなか風情ある場所でした。
さて、ここでのメインは“撮影”です。雪の中を走るキハ52形は、また勇ましくも見える事でしょう。ギリギリ今乗ってきた車両も写真に収める事ができ(右上写真参照…駅に到着してから発車するまでが、割りとゆっくりしていたのが幸いでした)、後は折り返し列車を待つだけでしたが、この辺りから本格的に雪が激しく降ってきてしまい、外での待機は危険と判断しました。結局、平岩駅の駅待合室で時間を潰していましたが、他にも何人か同じ境遇の人がいた様子で、やはり皆、大糸線のキハ52形を捉えるのに必死なのですね…(笑)。
やがて、糸魚川駅からの折り返し列車が到着。姫川を渡る橋脚付近に移動していた自分も無事に撮影を終え、そのまま平岩駅に戻りましたが、当駅は、今その列車に乗ってきた乗客と、先程の自分と同じ境遇の人を合わせ、急に賑やかになっていました。駅から、特にお客さんが降りていった形跡も無かったので、これは明らかにキハ52形に乗る為だけに、ここに来た人達です。雪の降る中でしたが皆、ぽつんと佇むキハ52形にカメラを向けては、さながら人気者の撮影会みたいになってましたね(笑)。…まあ、自分もその1人であるのは確かでしたが、こういった雰囲気で、ゆっくりとキハ52形を撮れる機会も少ない筈なので、自分が思った以上に皆、敢えて狙って来ていたのかもしれません。この時のキハ52形は、首都圏塗装と言われる朱色塗装の車両で、また暖かみのある光景が展開されていたとも思いました。
さて、名残惜しいですが、出発の時刻になりました。このまま糸魚川駅まで乗ってしまうと、もう次に立ち寄る時には、別の新しい車両に取り替わっている事でしょう。自分にとっては最後のキハ52形でしたが、最後まで勇ましい走りを見せつけてくれました。そして、終点の糸魚川駅に着いてお客さんを降ろすと、すぐに電源を切ってしまったようでした…。恐らく、この日の運用は全て終えたという事なのでしょう(この後は終電まで、1両運用で賄えるので…)。まだ18:00を回ったところですが、高齢の車両は、眠るのも早い…といったところでしょうか。停車していたキハ52形も、最後の時をゆっくりと過ごしているように見え、自分も早々と富山に戻る事にしました…。運転終了まであと1週間…という時でしたが、乗る事が出来たのは、本当に良かったのだと思います。
まだまだ続きます!
この新ブログが始まって、今回初の旅日記となります。旅日記の番号ですが、こちらも以前の日記〔“竹内大輔の写真日記”(~2009)、旅日記 31.(フランス、パリ編…2009.7.22~7.28)参照〕の連番として綴らせて頂きます。どうぞよろしくお願いします。
今年初の旅行先に選んだのは、ベトナムのホーチミンでした。前々から個人的に行きたい場所ではあったのですが、なかなか実現しなく、今回は念願の…という言葉がピッタリな機会でもありました。ベトナムという国自体が自分は初めてで、また色々と衝撃を受けてきましたが、いつも通り、マイペースで読んで頂ければ幸いです♪
●キャセイパシフィック航空で、香港乗り継ぎのホーチミン入り!
東京からホーチミンに行く方法は幾つかありますが、最もポピュラーなのは、もちろん地元のベトナム航空や、日本の日本航空や全日空による直行便でしょう。これだと、日本から6時間程でホーチミンに到着する事が出来ます。しかし、この場合1つ難点があって、ホーチミンから東京への便は、全て深夜便になってしまいます。今回、自分の休暇は5日間とれたのですが、深夜便の場合、旅行4日目の夜に現地を出なければいけない事になります。そうなると、東京到着は5日目の朝6:00過ぎくらいになるのですが、何だか1日無駄にしている感じもしてしまいます。しかし、直行便の場合は、復路は全て深夜便…。飛行時間的には無駄が無いのですが、復路の便の時間帯選択の少なさは、旅行日程に制約を与えているに等しい事実だと思いました。
そんな時に目を向けたのが、乗り継ぎ便という選択です。何も、ホーチミンへの路線を設定しているのは、日本航空や全日空だけではありません。日本に近い国からでも、豊富な便が提供されているのです。直行便に比べ、一度は乗り継ぎ…というハンデはあるものの、それはそれで、もう1国行った気分にもなり、なかなか面白い経験になるのでは…という見方もありました。
ここで航空会社の選択として挙げられらのが、チャイナエアラインの、台湾は台北乗り継ぎ、そして、キャセイ・パシフィック航空(以下キャセイ)による、香港乗り継ぎです。どちらも、その航空会社本国の拠点空港の乗り継ぎになるのですが、こちらですと、実は復路にも日中便の設定があるので、5日目の朝にホーチミンを出て、東京にその日の夜に着く…という、5日間をフルに使える日程が可能なのです。日本~ベトナム間の移動で、往復とも日中の移動は、第3国の航空会社しか無い…というのが意外な感じですが、航空機の運用や空港の使用可能時間帯等の都合で、事実そうなっています。そんなこんなで色々練りましたが、今回はキャセイの香港乗り継ぎでホーチミンに入る事になりました!
実はこのキャセイですが、何気に自分は色々な旅行で使わせて頂いております。香港に行った時はもちろん、台湾の台北に行った時や、タイのバンコクに行った時にも使ってまして、今回のホーチミンへの搭乗回数も合わせると(乗り換え含む)、実は外資系の航空会社で一番利用している航空会社にもなるみたいです。これはつまり、キャセイの豊富な便設定にあるのでしょう。日本へは成田の他に、中部、関西、福岡、札幌への便があり(このうち札幌線以外は、台北経由の香港行きの設定があります)、他に北米やヨーロッパはもちろん、中東や南アフリカ、そしてやはり、現地に近い東南アジアのへの便も充実しています。そして後に説明しますが、これらの便から便への乗り継ぎが、香港の空港ではうまく接続できるように工夫してあるのです。要は、キャセイの乗り継ぎ便を選ぶと、乗り換えに要する時間を少なくする事ができ、結果、効率の良いルートが選べる…という事なのです。実際、今回の乗り継ぎ時間は、往路が1時間半、復路が1時間強でしたから、実は、そんなに時間のロスはしていないのです。また、香港という場所がアジア諸国的に見て、ちょうど真ん中辺りに位置している…というのも、乗り継ぎに便利な武器になっているのかもしれません。
まずは、成田から香港までが4時間半(復路は4時間)。旅行日程的には、まだ序章中の序章ですが、乗り継ぎ便というのは、そう簡単に目的地に着かない(着けない)楽しさ…というのもあったりします。いかに遠い国なのかが改めて分かると共に、その中継地として香港を訪れるというのも、また新しい楽しみだったりするのです(今回は、ホントに乗り換えだけの為に寄っただけですが…)。
機種は、キャセイの中距離便ではポピュラーのA330-300型(左上写真参照)で、もうキャセイの中では古い機種(リニューアル中ですが…)になってきましたが、それでもまだ機齢は10数年という感じでしょうか。座席には全てパーソナル・ディスプレイが備えられており、1人1人が別の番組を見る事が出来ます(古いタイプなので、映画の早送り、巻き戻し…という事は出来ません)。何気に“This Is It”がやっていたのが面白かったですが(笑)、あまり見る気になれず、ビールと機内食で時を過ごさせて頂きました(笑)。それでも、香港まではあっという間です…。到着間際になると、ディスプレイには、そこからの自社の乗り継ぎ便の出発時刻・搭乗ゲートまでもが掲載されていて、香港が如何に乗り継ぎ地点として機能しているかを示す指標にもなっていました。
自分が香港に着いたのは15:00前、ホーチミン行きの便は16:30の出発ですが、乗り継ぎに便利に出来ている香港国際空港(赤鱲角空港…チェクラップコク空港と呼ばれています)をもってすれば、余裕の乗り継ぎ時間だと言えるでしょう。実際、先程の機内ディスプレイには、15:55発の便の接続も掲載されてましたし、実際のところ、30分もあれば大丈夫かな…という部分もあります。ただし、空港内はシンプルなものの広いので(長い…というか)、ゲートによっては移動が大変ですけどね…。ただし、事前にゲートはチェックできます!
また、なにも東京からの便の接続が、たまたま良かったわけではありません。キャセイは同じ時間帯に、世界各国からの便を集中して到着させており(1日に3回ぐらい、そういった時間帯を設けてあるそうです)、例えばこの時間帯は、関西や中部からの便や、近隣アジアの国からの便が、同じくらいの時間に到着しております。そして、この1~2時間後に、また近隣アジア諸国や、ヨーロッパ、北米への便が出発していくのです。この事は何を意味するかと言うと、香港を経由すれば、どこの国からどこの国へも、スムーズにアクセスが出来る…という事なのです。例えば、日本からホーチミンへは、現在、成田と関西からしか直行便は出ていませんが、福岡や名古屋の人も、キャセイを使って香港を経由すれば、わざわざ成田や関西に出向く必要が無く、ホーチミンに辿り着く事が出来ます。そもそも、日本からは直行便の設定が無い、カンボジアのプノンペンや、ネパールのカトマンズ、南アフリカのヨハネスブルグ等にも便があり(まだまだ沢山ありますよ!)、これらへの乗り継ぎも良いので、やはり香港経由は、“使える”ルートなのです。こういった運航を行っている空港の事を、いま日本でも話題の“ハブ空港”と呼んでおり、キャセイでは昔から、こういった運航で世界中の人を運んでいるわけなのです。日本では現在、羽田・成田の“ハブ化”を目指す…という記事をあちこちに見ますが、こういったキャセイのような運航をしてこそ、ハブ空港であるのです。それが、今の日本の航空会社と言うと、日本から諸外国へ行く為だけのような運航をしており、確かに、どこかの国が、日本の航空会社で成田を経由して、また別の国に行く…というのは殆ど見た事がありません。日本は極東の国であり、旅の終着点、起点になるような所なのです。
話しが逸れましたが、香港のような空港を見ると、日本の目指すハブ空港って、何なのだろうと思ってしまうんですよね…。空港だけの造りを見ても、乗り継ぎ客に易しく出来ていますし、保税エリア(税関を抜けた先のエリア)の店舗も充実しています。そして、そこには世界中の人が行き交い、それが1つの文化を生んでいるかのようなのです。自分は香港という国自体が好きですが、香港の空港も負けないくらい好きですね。そして、この空港に寄る度に、香港市内にもまた行ってみたい…と思わせてしまうのです。
この空港は、成田以上に世界中から航空会社が集まってきます。その中には、日本では見られない航空会社も多々ありますし、もちろんお馴染みの航空会社も集まってきています。それゆえ写真撮影的には忙しくて仕方無いのですが(笑)、今回はシンガポール航空のA380-800型(左上写真参照)と、ブリティッシュ・エアウェイズのB747-400型(右上写真参照)をピックアップさせて頂きました。A380は、まだ世界に10数機しか飛んでいない、全2階建ての最新機種であると共に、世界最大の旅客機でもあります。成田空港でも見れますし、自分も何回か撮った事はありますが、ここまで近くに寄って撮れたのは初めてでした!…海外で見るお馴染みの航空会社というのも、また違った表情が見れて面白いと思うんですよね。…お陰で、ホーチミン行きの便にはギリギリの時間になってしまい、しかも地上誘導スタッフには相当煽らされてしまいました(笑)。うーん…、ある意味自分にとっては、乗り継ぎに危険な空港であるのかもしれませんね。
香港~ホーチミン便の機体は、キャセイでは少数派のB777-200型というものでした。キャセイではB777-300型という、これよりも胴体が数メートル長い機体が主流になっているので、ある意味今回の搭乗はラッキーと言えるでしょう。乗り継ぎ便ですと、片道だけで、このような複数の機体に乗る事が出来るので(結局、この後の帰りの便は全てA330-300型でしたが…)、自分としてはこれすら楽しみの1つになっているのです(笑)。まあ、飛行機好きの方以外では、あまりいない例かもしれませんが…(笑)。
便が変わっても、キャセイのグローバルなサービスは健在です。さすがに、日本路線のような日本語案内というものはありませんが(当たり前です…)、それ以外は今まで乗ってきた便と雰囲気は殆ど変わりません。お客さんの風貌にはもちろん変化が出てきますが、キャビン・クルーは基本的にアジア系が多いので、日本人にとっては馴染みやすい感じで目に映るのです。
さて、ホーチミンまでは約2時間半のフライトなので、距離的には東京~沖縄間…という感じですが、ちゃんとした国際線なので、免税品販売はもちろん、機内食も普通に出てきます。自分は先程の香港までの機内で満腹になったばかりなのですが、また同じ量くらい食事は出てきてしまいました(笑)。デザートにドラゴンフルーツが添えられていた感じが、いよいよ東南アジアかと思わせますが、頑張って全て食べさせて頂きました。これは、ホーチミンでの夕食には気を遣う事になりそうです…。
そうこう言っている間に、飛行機は高度を落とし始めました。外を見ると、段々と日も暮れてきて、空も赤く染まりつつある感じになっています。そして、大きな川(左上写真参照)が視界に飛び込んできました。後で地図を見たところ、ビエンホアという地域のドンナイ川…という事でしたが、この時点ではまだ“雄大な川”という認識のみです(笑)。
そして、いつの間にか市街地上空に入り、街中に大きく蛇行している川が見えてきましたが、これはサイゴン川というのは分かりました。今回自分の泊まるホテルは、サイゴン川に面している場所にあったので、その川の名前は覚えていたのです。いよいよホーチミンに入っていく…というのが実感されてきましたね。そして、遠くに(…と言っても、空港からの距離としてはそう遠くはないでしょう)ビル群が見えてくると、機体はホーチミンのタンソンニャット国際空港に無事着陸しました。何だか本当に、夕暮れ時の良い雰囲気で出迎えてくれた感じがありました。
そんなホーチミンの玄関口となる空港ターミナルですが、2007年に新しく建てられただけあって、とても近代的な造りをしていました。しかし、ここを見ただけでは、とてもベトナムとは思えない感じではあります。むしろ、香港の空港ターミナルが、そのまま小さくなったぐらいの印象かもしれません…。早速、自分の中では予想外の光景に出くわしたわけですが、この先もきっと、自分のベトナムに対するイメージは色々払拭されるのでしょう。ふむ…楽しみではないですか♪…さあ、いよいよホーチミン市内に入ります!
●メコンデルタに行く
ホーチミンに着いて、とりあえず1泊。まださすがに街の雰囲気には馴染めない感じですが、次の日には早速、メコンデルタという所へのツアーに参加する事にしてみました。メコンデルタというのは、ホーチミンから南西に約70kmの距離にある地域の事を指してまして、チベットから約4000kmもの長さを流れてきた、メコン川の下流に部分に属する場所でもあります。ここでの川幅は2kmにもなり、その間には幾つか中洲状の島が点在しているのですが、ここでのクルージングは有名で、メコン川やその島への観光、そして狭い水路のような所を船でのんびりと移動していく様は、ベトナムに来たら一度は体験しておきたい事でもありました。
これらの観光は個人でも行けない事はないようですが、やはりホーチミンからの往復や、現地で交渉という面倒さを考えると、ホーチミンから出発しているツアーに参加する方が得策と言えそうです。実際、ホーチミンにはこれらを扱っている旅行会社が数多くあり、それは本当にどこを使おうか迷ってしまう程なのですが、自分は、日本語ガイド付きツアーの中で、一番格安と言われている、“TNKトラベル”という旅行会社を通じて行く事にしてみました。これで、昼食付きで25$(約2250円)です…。英語で良ければ、“シン・カフェ”や、“キム・トラベル”という旅行会社が最も安いと言われていて、実際同じ条件で7$からあるのですが、同じ参加者が外人というのも困りますし、意味:が全く分からないのも嫌なので、自分は日本語のガイド付きのプランにした次第です。そして朝8:00、自分はホーチミン発の人となっていたのでした。
今回の、このツアーの日本人の参加者は、自分も合わせて8人という陣容でした。出欠?をしてからバスに乗り込みますが、随分とこの人数にしては大きなバスが停まっていて、これに乗り込めとの事です…。なかなか贅沢だなあと思っていたのですが、自分達は座席の後ろの方に座らせられ、前には欧米人を中心とした、別の団体が乗り込んでくるではありませんか。
成程、このツアーでは日本語ガイドも英語ガイドも、移動は同じバス1台で行う…という事なのですね。前の方には英語のガイドが別で乗っており、ツアーの解説もそれぞれのようですが、ハッキリ言って声は後ろまで届いてきます(マイク使ってますし…笑)。もちろん英語ガイドのツアーとして乗ってきている乗客の方が遥かに多く、割合にして5対1ぐらいな感じでしたが、英語ガイドの方の料金が気になる感じですね…。よく見ると、日本人と思われるツアー客も乗っており(英語ガイドで構わない人なんでしょうね)、何だか差がよく分からなくなってくる感じですが、後ろは後ろで快適なので、このままバスに揺られている事にしましょう(笑)。
ホーチミン市内は本当にゴチャゴチャしていて、そこを大型バスが抜けるのには、素人目にはかなり無理がある光景に思えたのですが、それでも強引に道を進み、そして大通りに出てやっとスムーズに走り始めた感じでしたね。急激に開けた感じもあり、これが郊外の風景なのかな…とも思いましたが、まだまだ工事中(途中段階)の道も多く、インフラ的にはまだまだな部分が目立っているようです。これは、自分で運転しろと言われても、断りたいぐらいですね…。
バスは国道をひたすら走り、いつしかホーチミン市内も抜けた雰囲気になってきました。そうなると、辺りは畑や田んぼだらけになり、農業をやっている人が多いという事を窺わせます…。実際、ガイドの人もそんな事を言っていて、まだまだベトナムの人達は、農業に頼っている部分が大きい…という事らしいのですが、その後に、住民は基本的に貧乏で、お金が無くて、欲しいものが買えない…等、とにかくベトナム人の貧困っぷりをやたらアピールしてきます…。何だか捻じ曲がった発想のようにも思えたのですが(笑)、後々調べてみると、ベトナムの男子というのは(ガイドさんはおじさんでしたが…)、うんちくを傾けて話す傾向にあるらしく、確かに納得してしまうような話し方でしたね。まあ、こういう部分からも、ベトナムという国を体験できるので、それはそれで面白い事なのかもしれませんね。
そろそろガイドの話しもしつこく感じてきた頃(これは、何も自分だけが思った事では無さそうな雰囲気でした…きっと、言葉の上手さ以外に、話し方にも問題があったのでしょう…むしろ英語ガイドの人の方は、話し方が上手いな…と思いながら聞いていたので)、バスはトイレ休憩に入りました。辺りには殆ど何も無いような場所に、その休憩場所だけがポツンとあるような場所で、ここは、いわゆるドライブイン…という事なのでしょうか。かなり喉かな風景ですが…。
バスから降りると、早速「サングラスを買わないか?」と、物売りの勧誘にあいます。ああ、アジアだな…と思いながら、そこを無視してドライブインに入りますが、意味不明な石像が置いてあったり、そんなに綺麗ではない泉が湧いてたりと、なかなか興味は尽きません(笑)。こういったツアーに参加した客だけを目当てとした場所のようにも感じましたが、軽い飲食が出来る休憩所もあったので、ベトナム・コーヒーと、変な短いバナナを買って、暫く時間を過ごしていました。この時、辺りは凄い暑かったのですが、やはりコーヒーだからと、ホットを頼んだのが失敗だったようにも思います。雰囲気は出ていましたが、更に暑い思いをする事になったのは言うまでもありません(笑)。
そんな胡散臭いドライブイン(笑)を出て、また暫くしまして、バスはメコンデルタの入り口となっているミトーという町に到着しました。ここからは皆でライフベストを着て、いよいよ船に乗り換え、メコン・クルーズに出発していくわけです。目の前には大河とも言えるメコン川が迫っており、本当に茶色に濁っています。確かに雄大な景色で、これが遥かチベットから流れてきていると思うと、感慨も一入でありますね。
しかし、本当に面白いのはこれからでしょう。船の乗り場からは遠くに、最近出来たと説明された、そんなメコン川を横断している大きく長い橋を望めたのですが、まず船はそれを背にしまして、いわゆる河口側に向かって進んでいきました。船は小さいのでよく揺れますが、これくらいの方が、より自然とお近付きになれるのかもしれません…。揺れ過ぎて、外の写真を撮るにもレンズが定められないくらいですが、それでも目に(カメラに?)焼き付けようと、必死で外の景色を脳裏に取り込んでいきます。
外の景色は、ありとあらゆるものが新鮮で、何が何だかよく分からないくらいでした。ガイドさんも、少しは説明をしてくれているようなのですが、船がうるさ過ぎで、正直何を言っているのかよく分かりませんし、こちとら船に揺られまいと必死なので(笑)、聞こえたところで殆ど耳にも入って来なかった事でしょう…。川幅の広い部分では、とりあえずはそんな時間が続いていった感じでした。
そんな雰囲気が少し変わり始めるのは、川の中側にある中洲状の島に近付いていった時です。船のスピード自体も落とし始めて、やっと、ゆったりな時間が過ごせるようになってた感じですかね。ガイドブック等の写真で見た時と同じように、すぐ傍にはジャングル地帯が迫ってきて、いよいよ“クルーズ”っぽくなってきた感じでしょうか。
これらの島は、殆どが果樹園になっているとの事でしたが、それを説明しているガイドさんの発音が良くないのか、どうしても“がじょえん”…と聞こえてしまうのが気になります。雅叙園…目黒か!…とか思いながら(笑)、どうやらここの島内で今回は昼食をとるらしいので、小さい船着き場のような所に船を泊め、ツアー客皆で島にゾロゾロと上陸していきました。何だか不思議な光景が続きますね(笑)。
島に上がっていくと、少し段差が付けられているのに気付きました。実はこれ、人工の堤防の役目を果たしてるとの事で、冗談抜きで、満潮の時はこの辺りまで川の水位が上がってくるらしいのです。現在の光景からは想像できませんが、改めて自然の凄さを感じてしまいますね。そのまま果樹園の中を突っ切って行くと、ちょっとした広場があり、建物もあって、その下には机や椅子が並べられていて、明らかに団体用に食事をとられる場所が作られていた感じでした。
若干萎える光景ですが、昼食はツアー代金に含まれているので、ここで少し腰を落ち着ける事にしましょう。しかし、飲み物だけは実費というのが介せません…。それでも、暑いので飲まないわけにいかなく(自分は缶ビールを頼みましたし…笑)、しぶしぶ全員に近い人数が飲み物をオーダーするわけなのですが、ここの食堂みたいな所での収入が、果樹園よりも遥かに入ってそうな気さえしてしまいますね…。まあ、ツアーにはよくある光景…という事で、細かい事は目をつぶっておきましょう。
お腹が一杯になり、一行は再度船に戻り、更に先へと進んでいきます。…という事は、またもガイドの長い話しか…という感じではあったのですが、気が付くとガイドさん、船の後ろの方で手製のハンモックを掛けており、出来あがるとそこで横になりだすではないですか!…さすがに一同絶句でしたが(笑)、これがベトナム式の現地発ツアーの光景なのかと思うと、もう笑うしかありません。自分達は今、大変貴重な体験をさせて貰っている…。こう信じて、次なる場所に着くまで、ひたすら待っている時間が続きました(笑)。
最初に船に乗ってから、川の中にある中洲を囲むようにぐるっと回ってきたので、今度は船の前方に、メコン川を渡っている先程の大きな橋を望めるようになってきました。川岸から中洲までも距離はありますが、更に対岸はその先にあるので、一体この辺りの川幅はどれくらいになるのでしょうか。そんな事を思わせる光景でしたが、不意に船は、そこから川岸に向かっていき、メコン川から枝分かれしている1つの小さな水路のような川へ向かっていきました。…これぞ、ディズニーランドのジャングル・クルーズのようで、いよいよ楽しくなってきたか?…と思ったのも束の間で、先程のガイドさんから、ここで降りろとの指示が出てしまいます…。ここには、ココナッツ・キャンディー工場があるとの事。なかなか団体行動でのツアーは、思うような行動が取れません(笑)。
さて、やって来たキャンディー工場…。しかし、そこの造りはお世辞にも立派な施設とは言い難く、はっきり言って簡素で、昔ながらの光景です。どちらかと言うと、“工場(こうば)”な感じでしょうか…。しかし、英語で言えば“Factory”という場所なわけで、成程、日本語の難しさを感じさせられましたね。とにかく、喉かな工場…という印象でした(笑)。色々と説明は受けましたが、さすがにキャンディーを買うまでには至らず、何だか時間を持て余し気味な雰囲気は否めなかったと思います。
そんな人達がいるからかどうか分かりませんが、ここでは蜂の巣(もちろん蜂付き)や大蛇を触らせてくれるというイベントが設けられてあります。皆、キャー!…とか言いながらも、記念撮影やら挑戦やら、全体的に楽しんでいた感じですが、何だか騙されているような気がしないでもないですね…(笑)。個人的に面白かったのは、外人さんのそれぞれのリアクション…という感じでしょうか。わざとおどけて写真に写ってみたり、強気なポーズを取ってみたり…。もしかしたらここが、人種のるつぼを垣間見える空間として相応しい場所なのかもしれませんね。何だか笑顔になってきてしまいました。
その後は、手漕ぎボート乗り場へと案内されます。先程の狭い水路をまた奥へと進んでいくのですが、ボートは更に小さくなって、そしてベトナムでよくある“傘”?を被せられ(笑)、正にボート漕ぎ体験が出来るわけです。ボートは、座る所が4人分で、もちろん、ちゃんと漕いでくれる人も1人か2人だけ乗ってくれているのですが、途中でオールを貸してくれたりと、なかなか大変な作業も体験できます。流石にヘビーで、汗が吹き出してしまうくらいでしたが、先程の昼食時のアルコールも抜けて、調度良いかもしれませんね(笑)。それでも、ゆったりと水の流れに任せて進むというのは気持ちの良いもので、やっと雄大な川である事を認識出来た瞬間でもありました。まさか、こんな川幅の狭い部分で気付くとは思いもしませんでしたが…(笑)。
そんな体験は5分程で終わり、ボートから降りて更に5分くらい歩くと、また小さな休憩所が現れてきました。ここではデザートが用意されており、更に辺りを見回すと、楽器らしき道具を持っている人が3、4人程スタンバイしていていて、自分達が揃うのを、今か今かと待っている感じでした。
そう、ここでデザート・タイム兼、音楽鑑賞…なのだそうです。一見マンドリンのように見える楽器や、中国の二胡のように見える楽器など、民族楽器的な雰囲気が強く漂っていましたが、確かにそのようで、曲もベトナムに伝わる民謡のようなものを演奏してくれました。
最初、女性の方が歌って、次に男性の方…というふうに続いたのですが、ここで先程から綴らせて頂いているガイドさんが突如(…という雰囲気でした)、「次は私が、歌います。この歌…私も好きだから」…と言うではないですか!
いきなり何を言い出すのか!…と思いましたが(笑)、もう既に役に成り切っているようで、最初に歌ってくれた女性の方とのデュエットが始まってしまいました。成程、どちらかと言うとミュージカル的なやり取りなのだと思いましたが、彼が作り出したこのシュールな空間は一体何なのでしょう…(笑)。そんな上手いとは思えませんでしたが、確かに気合いは入っている感じでしたね。自分としては、先程2番目に歌ってくれた男性が、このガイドさんが歌っている時に相当つまらなさそうに見ていたのが、気になって仕方ありませんでしたが…(笑)。
…これで、全てのスケジュールは終わりました。ここから歩いて10分程でバスの乗り場へと移動でき、後は先程のメコン川を渡る大きい橋を通って、ホーチミンへの帰路に着くだけです。確かに、盛り沢山なツアーでしたし、ある意味で盛り沢山過ぎる内容でもありました…。ただ、ベトナム“らしさ”を感じるには十分な1日になった事は確かで、自分はベトナムに初めて着いてすぐに次の日に行ってきたので、この後のホーチミン観光へ向けて、免疫を蓄えられた感じはしましたね(笑)。そして今、ここで当時を思い返しながらこの文章を書いてみても、ああ、面白い経験だったと言えるという事は、やはり貴重な体験をしたという事に間違いは無さそうです。まあ、やはりツアーって、ガイドによって大分印象は変わりますよね(笑)。これが今回と違う人だったら、また異なる印象を持つのかもしれません。…という事は、やはり人に勧められるべきツアーなのかな?…とも思ったりしたものでした♪