- 2025/01/18 [PR]
- 2015/06/16 旅日記 49.タイ、バンコク編(2014.8.17〜8.21)《まだ途中です!》
- 2015/04/10 旅日記 48.関西の桜編(2014.4.7〜4.8)
- 2015/04/04 旅日記 47.フランス、パリ編(2014.1.30〜2.5)《まだ途中です!》
- 2014/07/03 旅日記 46.アメリカ準州、グアム編(2013.8.4〜8.8)《まだ途中です!》
- 2014/03/28 旅日記 45.『あけぼの』号、JR江差線編(2013.4.24)
- 2013/04/23 旅日記 44.スペイン、バルセロナ編(2013.1.29~2.4)≪まだ途中です!≫
- 2013/03/05 旅日記 43.イタリア編(2012.7.30~8.5)≪まだ途中です!≫
- 2012/10/07 旅日記 42.十和田観光電鉄編(2012.3.27)
- 2012/07/05 旅日記 41.台湾編(2012.2.3~2.7)≪まだ途中です!≫
- 2011/12/08 旅日記 40.ボーイング787、山陽新幹線編(2011.11.2)
●羽田空港深夜発で早朝のバンコクへ!
羽田空港に着いたのは、17日の夜22:30頃…。夜の遅い時間ですが、これから乗る日本航空のバンコク行きは0:40発なので、まだまだ余裕の到着と言えましょう。羽田空港の近さは、こういった場合にも非常に有り難いものであると思います。羽田空港の国際線ターミナルは、まだ成田空港に比べるとコンパクトなので動線も非常にスムーズで、逆に空港内で時間を持て余してしまう程でした。深夜になっているので、色々なお店が閉まっているという状況もありましたが、この急かしていない時間というのも好みだったりするのです。
バンコクへの飛行機はボーイング767ー300ERという機体が使われていて、世界的には中型機というカテゴリーに属する大きさの飛行機でもあります。昔の日本の空港は、世界的に見て非常に小さくて狭かったので、少ない便数で沢山の人を乗せる為に、就航する飛行機は殆どが大型機だったというイメージがあるのですが、最近では空港設備も充実してきて本数も増やせるようになったので、こういった中型機や小型機の台頭が目立つように感じます。
中型機と言えど、このバンコク線に投入されている機体の機内設備は日本航空の最新のものが導入されていて、座席を少なくして前後のシートの間隔を広げ、シート自体の座り心地も改善、そしてその最新さは機内プログラムにまで及んでいました。徐々にこのシートは色々な路線に導入されていくらしいですが、その中でもバンコク線への導入は早い方だったという事で、これに乗れたのは運が良かったのかもしれません。
ただ、自分の予定としては、すみだジャズで燃え尽きた(笑)後の深夜便で、次の日はどうしても朝から行動せざるを得ない状態だったので、なるべく機内では眠っていようという考えがありました。しかし、こんなに充実した機内プログラムを見せられては、なかなか眠るのが惜しまれてしまうではありませんか…。折しも、数ある映画の中には『アナと雪の女王』まで組み込まれていまして、これは見ないわけにいかないでしょう(笑)。結局、機内では殆ど眠る時間などありませんでした…。
それでも、着陸態勢に入った頃を利用して、30分〜1時間は眠れたのでしょうか…。あまり眠れたという意識はありませんでしたが、バンコク郊外の灯りを見つつ、バンコクの空港へと着陸しました。現地時刻は朝の5:00。日本とタイでは2時間の時差があるので、日本ではこの時は朝の7:00という時刻です。流石に眠い筈なのですが、昨夜からの余韻と、久し振りにバンコクに来れたという嬉しさから、頭はまだまだ働いているようでした。願わくば、バンコク初日の1日だけはこの状態が続いてほしいと願いつつ、バンコク市内へと移動したのでした。…さてさて、長い1日(日本から数えたら2日目ですが)の始まりです!
まだまだ続きます!
実は、この時の関西旅行は直前に決めたものでもありました。たまたま連続した2日間の日程が空き、どこかに行こうかなと思って航空会社のサイトを調べていたところ、ジェットスターで成田空港〜関西空港間が5000円台であったのを見付けたのです。勿論即決し(笑)、後の予定は現地に行って決めようと思いました。
…こうして、特に何も考えないまま向かった関西旅行。結果的に大阪から京都に向かう事になるのですが、開花状況は満開に近く、ゆっくりとその桜を満喫する事が出来ました。今年分も昨年に思いを馳せ、綴っていきたいと思います。どうぞ御覧下さいませ。
●直前でも安いジェットスター
今回の旅行の切っ掛けになったのが、格安航空会社であるジェットスターの安さでした。この日程が決まったのは、出発する2、3日前ぐらいだったと思いますが、前述のように成田空港〜関西空港間が5000円台。他の行先も似たような値段ではありましたが、関西は何度も行っている場所でもある為、桜というのものだけに焦点を合わせるなら、こうした慣れた場所の方が有利です。成田空港10:00発の便に乗り、一路関西空港へと向かいました。
成田空港からの離陸ですので、巡航高度に達した後に東京湾を横断するようなルートになるのですが、この日の天気は非常に良く、羽田空港を手前にし、東京23区エリアがよく見渡せる光景が広がっていました。この分でいくと、富士山もアルプスの山々もクリアに見えそうですが、実際に期待は裏切りませんでした。やはり、飛行機からの景色は何度見ても飽きません。関西空港までの1時間半は、退屈いらずでした。
フライトはほぼ快晴という空模様だったものの、関西に近付くにつれ、少し雲が出てきたような天気になってきました。まあ、それでも晴れとは言えるような状況だったのであまり気にしないとして(笑)、ここからどこに行くかを決めなければなりません。通常?行き先を決めていない場合、本来なら先程の機内等で少しは考えておけば良いのですが、ついつい外の景色が気になり過ぎてしまう性分の為(笑)、未だに結論は出ないまま関西空港に到着してしまいました…。ひとまず大阪中心地である難波に出て、そこまでの電車内で検討する事に致しましょうか。しかし選んでしまった列車が南海電鉄の特急ラピート。レトロフューチャーをコンセプトとした独自のデザイン車両は、外観も車内も、気になってしまう事ばかりです。これでは、まだまだ目的地が決められないではありませんか…(笑)。
●石清水八幡宮、そして淀川河川公園背割堤地区
…とは言え、難波に着く頃には、1つのプランが浮かび上がっていました。それは、大阪府と京都府の境に位置する淀川河川公園背割堤地区という所で、住所は京都府八幡市になるのですが、近くには石清水八幡宮もあるので、合わせて見る事も出来そうです。難波駅から地下鉄で淀屋橋駅へ向かい、京阪電鉄で八幡市駅へ。乗り換えが沢山で大変ですが、こういった関西私鉄の旅もなかなか良かったりするのです。
まずは、山の上に位置する石清水八幡宮に向かいましょう。意外と小さな駅だった八幡市駅を降りると、そこに横付けされているようにケーブルカー乗り場があります。京阪鋼索線という、これも京阪電鉄の路線の1つとなっています。以前の京阪電鉄の特急車両の塗装がケーブルカーに施されており、京阪の路線である事を主張しているかのようです。
所要時間は3分程度なので、わりと小規模のケーブルカーに入ると思いますが、それでも歩いて登る事に比べたら有り難い存在です。石清水八幡宮の大事な足でもあり、初詣客で賑わう1月中に、1年の利用者の半分が占めてしまうのだとか…。そう考えると、この時というのは桜の時期とも相まって、わりと乗客は多い方だったように思いました。
そうして石清水八幡宮へ…。初めて立ち寄った場所でしたが、赤い色の社殿が印象的な、非常に重厚感のある建物でした。日本三大八幡宮の1つにも数えられており、関東の鶴岡八幡宮との共通点を見出だしつつ、意外と桜が少ない事にも気付いてしまいました(笑)。八幡宮の総本社である、大分県の宇佐神宮にこの気持ちは取っておくとして、直ぐさま下山(笑)。桜の名所へと自然に足を運ばせてしまいました…。
山の上からの景色でも分かるように、ここは木津川と宇治川、そして桂川が合流して淀川になるという地点で、その川に挟まれた細長い背割堤が例の場所というわけです。その植栽された桜並木の長さは1、4kmにも達し、しかも満開に近い状態でもありました。歩いて回るには丁度良い規模かもしれません。早速ビールを片手に、散策開始です♪
この時点で、時刻は16:00頃になっていたので、人の流れもピークを越え、そろそろ帰り支度をしている人も多かった感じではありましたが、桜の具合は最高でした。午後になると風が少し強くなってきたせいもあり、花びらがどんどん散っていってしまっていたのですが、その桜吹雪もまた春の儚さを演出してくれています。ただ歩いているだけでも、何かのドラマの1シーンに巡り会えたような気分になれます。勿論、自分はエキストラ役ですが…(笑)。
ビールを飲んでいたら、少し肌寒くなってきてしまいました…。時刻は17:00と、そもそも、まだここに来てから1時間ぐらいしか経っていない筈でしたが、何だか場所を移動したくなりました。腹ごしらえも出来たので、もう充分でしょう(笑)。今来た道を引き返し、改めて八幡市駅へと向かいます。途中では、川を渡る京阪電車を見たり、遠くに見えた先程の京阪鋼索線を眺めたり…、いつの間にか焦点が、桜より電車になっている事に気付かされました(笑)。
…さて、この後はどうしましょうか。今現在、この地点の桜が散り始めという状況を見るに、ではもう少し北側に進んだら、更に満開度の高い桜が見れるのでは…という発想に至りました。そうなると、やはり京都方面に足を向けた方が良さそうです。京都も桜の名所で沢山の場所なのは確かです。折しも、京阪電鉄は京都の街まで通っている路線。考えは決まりました。
京阪電鉄で四条河原町駅を降りると、そこには鴨川沿いに並ぶ桜の姿が…。これはなかなか期待出来そうです。ひとまずこの日の夜は京都の食を堪能しつつ、桜の堪能は次の日に取っておく事にしました。
●モーニングはイノダコーヒーにて
最近の京都での朝は、イノダコーヒーに行く事が多くなっています。イノダコーヒーは関東にも支店を構えていますが、本店・本社は京都であり、特に本店の建物は町屋をイメージしたものになっており(左下写真参照)、ここで頂く京の朝食(右下写真参照)は外せません。
朝から京都らしい雰囲気を、視覚からも味覚からも味わえ、そして特に時間等は気にせずに、ゆっくりと過ごします。なかなか贅沢であり、この時間で本日の予定を立てていくのも良いかもしれません。…かと言って、お店で何かをしているわけではないのに、この時点で満足してしまうわけですが(笑)、そんな時間を過ごしに、きっとまた足を運んでしまうのでしょう。
●京都の桜は、美でした
イノダコーヒーを出て早速、見頃と言われる桜を見に足を運ばせましょう。せっかく京都に来ているので、神社仏閣系の場所に行きたいと思いますが、既に街中を歩いているだけでも、満開の桜が目に飛び来んできました。流石は京都!…という事ではないのかもしれませんが(笑)、そう思ってしまうのですから不思議です。どこを切り取っても京都らしいと思えるから…なのでしょうか。
まず最初に足を運んだ場所は、京都御苑を通っての護王神社(左下写真参照)。足腰の守護神として知られており、境内には猪を象った、狛犬ならぬ狛猪が置かれていました。ここの桜は僅かという感じでしたが、京都にしては小ぢんまりと規模だったのが逆に好印象でもありました。
そして、次に向かったのは平野神社(左下写真参照)です。京都の桜の名所としても広く知られていますが(神紋も桜です)、成程、その桜の品種の多さが、沢山の人を惹き付けて止まない部分なのかもしれません。
境内は満開の桜で溢れていました。そして、場所によっては色々な種類の桜がある事に気付かされます。それは、ある程度植物に詳しい人でないと分からない…というものではなく、明らかに見た目から異なる桜が存在し、そしてそれは開花の時期も若干異なるのだそうです。特に有名なのは魁(さきがけ)桜というもので、この神社が発祥の桜の品種なのだとか。その名の通り、開花時期が他のものに比べて早く、この桜が咲き始めると、都のお花見が始まると言われているのだとか。
全体的には、桜のピークは若干過ぎて、少し散ってきた様子が見られた感じでしょうか。それでも、前述のように開花時期の異なる桜が多数存在する事から、どこかしら見頃の桜が見られるというのは、他にはない珍しい環境なのかもしれません。流石に人出は多く、皆、珍しい桜に目を奪われている感じでした。
外国の方も多かったように感じましたが、やはり有名なのでしょう。時間が経って、少し風が出てきたせいもあり、満開の桜から溢れる桜吹雪は本当に印象的でした。まるでアニメを見ているような光景でもありました。何だかんだで、神社そのものより、桜の印象が残ってしまった感じしたね…(笑)。
こうして平野神社もだいぶ堪能しましたが、あと1ヶ所くらい立ち寄る時間はありそうです。そんな3ヶ所に向かったのは、世界遺産としても名高い仁和寺(左下写真参照)でした。真言宗御室派の総本山でもある場所ですね。
本当は、国宝である金堂を含め、見ておかなければならない場所がここには沢山存在していたわけですが、今回はあくまでも桜を見る事に重点を置いていた(いつの間に?…笑)為、そんなに長居はしなかったように思います。それにしても、やはり雰囲気は抜群の場所で、季節を変えて特に秋頃等に寄ってみたら、どんなに綺麗なのかと思いましたね。その時には建物を中心に、もっとじっくり見て回ろうと思います(笑)。
●桜の締めは、嵐山電鉄
色々と、桜をテーマに神社仏閣を巡ってきましたが、やはり自分らしい旅の基本として、鉄道と桜という組み合わせも忘れてはいけません(笑)。そんな希望?を叶えてくれるのが、この近くを走っている京福電気鉄道(嵐山を通るので、嵐電と呼ばれています)です。特に北野線の方は付近に桜のトンネルと呼ばれる鉄道名所があり、仁和寺からも割りと近かったので、こちらも寄ってみる事にしました。
それは宇多野駅(左上写真参照)〜鳴滝駅間にあり、右上写真のような感じになります。これは素晴らしいですね。電車も、普段は1両編成のところを、この時期は2両に増結されて走っており、沢山の観光客に配慮していました。また、桜の区間は夜になるとライトアップがなされるのだそうで、今回は無理ですが、いつかは見てみたいものだと思いました。本当に今回は、桜に堪能された旅になりましたね。
ふと思い立って向かった、関西の桜旅。やはり京都の位置付けが大きかったですが、こんなに堪能しても、また見たい、足を運びたい…と思ってしまうのですから、京都の魅力は本当に壮大なものなのですね…。勿論、春だけが京都の魅力ではありません。また違う時期に、新たな魅力を探して旅を続けていきたいと思います!
☆ジェットスター・ジャパンのHP…http://www.jetstar.com/jp/ja/home
☆イノダコーヒーのHP…http://www.inoda-coffee.co.jp
☆石清水八幡宮のHP…http://www.iwashimizu.or.jp/top.php
☆護王神社のHP…http://www.gooujinja.or.jp
☆平野神社のHP…http://www.hiranojinja.com
☆仁和寺のHP…http://www.ninnaji.or.jp
☆京福電気鉄道のHP…http://www.keifuku.co.jp
●エールフランスA380でパリへ!
ヨーロッパに行く時には航空会社選びから楽しく悩む自分ですが、今回は最初から乗りたいものが決まっていました。航空会社はフランスの代表的な航空会社、エールフランスで、そしてお目当ては全2階建ての旅客機、エアバスA380−800(以下A380)という飛行機です。
A380は以前、韓国のソウルに行った時にも乗りましたが〔旅日記 39.韓国、ソウル編(2011.7.29〜8.1)参照〕、日本の航空会社では導入されていなく、まだまだ日本人的には珍しい飛行機でもあります。ソウルへは日本から2時間強の距離なので、この時にはすぐに乗り終わってしまうのですが(笑)、パリへはA380の本領が発揮できる約12時間の距離です…。その乗り心地を味わうには充分なフライトではありませんか。そんなパリ行きのA380の便は成田空港12:55発…。時間的にも余裕を持った搭乗と、そのゆったりとした機内に、早速旅心がくすぐられてしまいました。
相変わらずA380の離陸は静かです。翼に近い席でしたが(窓側ゲットでした!)、通常ならエンジンの音が直に耳につくところが、遠くの所で鳴っている…という程度の騒音なのです。そして揺れも少ない堂々とした飛びっぷり…。やはり最新の飛行機というのはひと味違います。機内アレンジについては、特にA380用という目新しいものは無いのですが、それまでの機材をそのままグレードアップさせた仕様になっており、今までのエールフランスのブランドを維持させつつ、最新のものにさせるという手法が取られているようでした。お楽しみの機内食では早速ハイネケンを頂きつつ、限りある機内ので時間をゆっくりと味わいました。
A380用として面白いのが、尾翼からの機外映像が楽しめるという事でしょうか。通常の機外映像こそ、色々な飛行機で見る事が出来ますが、A380は尾翼の先端付近にカメラが付いているのか、右上写真のような風景がモニター越しに望めるのです。勿論、ビデオとかではありません(笑)。結果的に、いま自分が飛んでいる飛行機自体を見られるという物になるので、これは結構珍しいものではないかと思います。実際はそんなに変化の無い映像が続くので、ジッと見ているという事はそんなにありませんが…(笑)。
最新式の機内プログラムを堪能していると、12時間20分のフライト時間は本当にあっという間です。流石に結構乗った感じがしたものでしたが、いざ降りる準備をしていると、やはりまだまだ乗っていたいという気持ちも強くなってきてしまいました。A380は、それぐらい魅力ある飛行機ともいう事でしょう。
パリの玄関であるシャルル・ド・ゴール空港に着いたのは定刻通りの17:15。A380に対応させた、これまたスタイリッシュな新しいターミナルの建物に横付けされましたが、周りを見てみると、隣りの飛行機もエールフランスのA380、そしてその隣りの飛行機もエールフランスのA380!…エールフランスにとってA380という飛行機は珍しいものではなく、既に日常の存在というのものが改めて分かった瞬間でもありました。
空港を出ると、そろそろ辺りは暗くなってきている頃だったでしょうか。このまま、パリ市内へのメジャーな移動手段であるロワシー・バス(左上写真参照)を使って、一路パリ市内へと向かいます。ホテルに着いたのは、時刻的には20:00近くになっていたかもしれませんが、これはまずまずの到着状況でしょう…。長距離の移動で疲れてはいましたが、頑張って力を振り絞り、シャンゼリゼ通りへと足を向けさせました。そして、シャンゼリゼ通り越しに見る、久し振りの凱旋門…。そこはパリを簡単に間近に感じられる光景でもありました。…さて、今回の日程は、どのように使っていきましょうか。
まだまだ続きます!
●デルタ航空、ボーイング757
今回、グアムへの航空会社は、アメリカのデルタ航空を利用しました。これは、同じアメリカの航空会社のノースウエスト航空の路線を引き継いだもので、前回、グアムに行った際にはこちらの航空会社を利用しています〔竹内大輔の写真日記(〜2009)、旅日記 27.(アメリカ準州・グアム編…2009.1.24~1.28)参照〕。現在がデルタ航空の路線になっているのは、このノースウエスト航空がデルタ航空と合併された為で、ノースウエスト航空という名前は消滅してしまっているのですが、日本からの路線はデルタ航空に無事に引き継がれたので、こうして以前と変わらずグアムに行けるわけです。
そして今回の機材は、ボーイング757−200型(以下、B757)という、日本の航空会社では運航されていない飛行機に乗る事が出来ました。デルタ航空ではこの機体を150機以上も保有しているので、アメリカを始め、世界的には珍しくはない旅客機ではあるのですが、日本人的には珍しく映る飛行機なのです。また、現在のデルタ航空の日本〜グアム線は全便がB757で運航されているようで、かつてはボーイング747型機等の大型機が飛んでいたものですが、以前に比べたらコンパクトな運航になっている印象がありますね。
B757は最新の飛行機では無いので、現在のボーイング787やエアバスA380等に比べるとクラシカルな雰囲気が漂っている感じですが、何だかアメリカっぽい雰囲気でもあるのは、グアムに向かう自分にとってはモチベーションが上がります(笑)♪…今回のグアム行きに利用した便は、成田空港が朝9:25発というもので、自宅を6:00には出なければいけない状態でした。前日のライブから家に帰ってきたのが深夜1:00頃だったので、言わば飛行機に乗る直前までが、バタバタしている状況だったのです…。そして飛行機に乗り込み、後は黙っていれば約3時間半でグアム島です。そして前述のアメリカらしい雰囲気に包まれて、一気に旅行気分へと変わっていくのでした。
さて、機内食が若干質素だった事は置いておいて(笑)、洋上飛行から高度を下げていくと、大きい雲が所々に漂う、グアムらしい光景が目に飛び込んできました。よく考えたら今回は雨季の時期なんですね…。今までグアムを訪問してきたのは1月や2月が多く、言わば乾季の時期ばかり(…とは言え、スコールは何度も降りますが)のグアムを体験してきたわけですが、今回は久し振りに雨季のグアムを訪問する事になったわけです。まあ、天気が雨ばかりなのは少し困りますが(笑)、雰囲気の違いは楽しみたいところでもあります。
…そして、現地時間(グアムの方が、日本より1時間早いです)の14:00頃にグアムに到着。その1時間後にはホテルに着き、とりあえず左上写真のタモン湾の景色を堪能します♪…ついに南の島にやってきたという感覚と共に、やっと、のんびり出来そうな気配も漂ってきたところでしょうか(笑)。そして視線を後ろの方にやれば、先程到着したグアム国際空港から、貨物機が離陸していくのが見えました(右上写真参照)。ホテル群から空港が近いグアムならではの光景ですが、これがまた個人的には至福の時間でもあったのです。さて、今回はどのようにグアムを滞在していきましょうか…。
まだまだ続きます!
最近は、寝台特急を始めとした、いわゆる夜行列車の廃止が後を絶ちません。これは新幹線の路線網の拡張や、夜行バスの台頭、そして日本の航空業界に LCC が現れ、昔より格段に安く、気軽に遠くに行けるようになった部分が大きいとは思うのですが、その他の大きな理由に、車両の老朽化や、機関車運転士の激減等も挙げられます。そして上野駅〜青森駅間を、JR羽越本線経由で運転してきた“あけぼの”号も、ついにこの対象になりました。これまで廃止されてきた寝台特急の中では乗車率はまだマシな方でしたが、季節運転化されてしまいました。これはもう、ただ受け止めるしかありません…。
この『あけぼの』は自分も何度か利用した事があり、〔竹内大輔の写真日記(〜2009)、旅日記 30.(ブルートレイン編…2009.6.22~6.25)〕の記事では、旅の最後として、上り列車となる青森駅➡上野駅間の全線で利用しています。この時は、日本全国に残っていた、所謂純粋な“ブルートレイン”…と言える列車である『北陸』、『日本海』という寝台特急も乗りましたが、それらは先に廃止されてしまい、そして今年はついに『あけぼの』も無くなってしまう事になりました。『あけぼの』については季節運転化(ひとまず今年のゴールデンウイークに運転される事は決まっています)…という事なので、あくまでも定期運行の廃止…という事になってはいるものの、前述の『北陸』、『日本海』も当初は季節運転化され、後にいつの間にか運転されなくなるという、自然消滅的な消え方をしているので、『あけぼの』もいつまで走るのか怪しいものです…。
そんな状況という昨今ですが、今回の旅日記は昨年の4月に時を戻して、『あけぼの』号に、そして今年の5月12日に一部区間が廃止されてしまう、JR北海道の江差線に乗りに行った時の事を書かせて頂きます。寝台特急『あけぼの』号とは言え、自分が乗ったのは下り列車で朝を迎えてからの秋田駅➡新青森駅間で、この区間は通称“ヒルネ”(もうこれも死後になってしまうのかも…)と言って、寝台を利用しない時間帯に限って立席特急券(席指定無しで、空いていれば座れる)で乗車出来る…という制度に則って利用したのでした。勿論、利用車両は寝台車で、布団等は敷かれていませんが、純然たるブルートレインの風格は味わう事ができ、…とは言え、最初で最後の利用になったとも思います。
『あけぼの』の秋田駅発は朝の6:42…。何故、突然この駅から乗車出来たかと言うと、昨年の4月に実行した〔鉄道さんぽ 20.(JR東日本、田沢湖線編)〕を終えた自分は、東京には戻らず、そのまま秋田市内で1泊し、この日に備えたからなのでした。秋田新幹線にE6系が走り始め、そして『あけぼの』号に乗り、廃止が決定されたJR江差線にも乗り…と、色々な要素が絡んで実現した今回の旅でしたが、最後の最後に、更に大きな目的もありつつの旅でもあったのです。それは後にとっておくとして、まずは『あけぼの』の乗車から振り返ってみましょう。
●ブルートレイン『あけぼの』号
朝早くにホテルを出て、秋田駅に着いたのは朝の6:20頃。少々早いですが、恐らく最後の乗車になるかもしれない『あけぼの』号に、逸る気持ちがあったのかもしれません…。前日の21:16に上野駅を出発した『あけぼの』は、JR上越線、羽越本線を通って、ここ秋田までやってくるのです。新潟県に出てからは、ずっと日本海と併走?しながらの行程になっているわけですが、その厳しい路線環境から、悪天候ですと運休になってしまう事もしばしばありました。前日は晴れていたので心配は全く無い筈でしたが、それでも予定通りにいかなかったりするのが旅でもあります。…とは言え時刻通りに『あけぼの』は現れ、ホッと一安心をする自分がいたりするのでした(笑)。
“ヒルネ”が出来る車両は1両のみで、意外にも秋田駅から利用する乗客が多いのは驚きました。確かに、この時間帯にはまだ特急列車が運転されておらず、この『あけぼの』が唯一の速達列車でもあるのです。…とは言え、普通の特急列車よりは速度は遅くならざるを得ず、ここから向かう新青森駅までの所要時間は約3時間。通常の特急列車ですと約2時間半くらいなので、やはり機関車が客車を引っ張る…という差は大きいようです(単に車両が古いせいでもありますが…)。
しかも、3時間もの所要時間があるのに車内販売は全く行われないようで、お弁当や飲み物確保は死活問題に等しいものがありました(笑)。勿論、それらは万全に用意しまして、いざ『あけぼの』へ乗車したのでした。
車内は寝台車そのもので、ただ布団が敷かれていないくらいでした。この“ヒルネ”というのは、この時は既に『あけぼの』号でしか行われていませんでしたが、寝台特急が全盛期の頃は至る所で行われていて、昼行特急の代わりを大々的に担っていたのです。布団が取り払われた寝台は、さながら幅のあるボックス席のようです。定員的には、1つのベッドに3人が腰掛けられる設定になっているようですが、流石に真ん中の人は大変かもしれませんね。まあ、この乗車率で言うと、1つのベッドに1人か2人が腰掛ける状態で収まるので、あまり心配しなくても良いのかもしれませんが…。
さて、列車は秋田駅からはJR奥羽本線に入り、ひたすら北を目指します。車窓からは八郎潟が望める等、成程、秋田を走っているなと理解出来ますが、そこを過ぎると列車は内陸に入っていきます。秋田から青森への山越えを迎えるのです。
この区間は何度も通った事があるのですが、“ヒルネ”利用とは言え、寝台車から見る車窓はまた異なった味わいがありました。明らかに車内の雰囲気が日常とは異なり、時間の進み具合さえ遅く感じるのです。そして、これは客車という環境が大きいのですが、とても静かなのです。確かに、客車自体に動力は無く、先頭の電気機関車1両のみがそれを担うので、モーターの音というのが全くしないのです。特に、奥羽本線は区間によっては単線で、列車同士の行き違い待ちをする為に、客扱いをしなくても駅に停車する場合がよくあるのですが、その時の静けさがまた格別です。特に大きな駅でもない(むしろ山間の無人駅とかです)ので、そもそも物音がする方がおかしいのです。そして、列車行き違い後に動き出す瞬間、先頭の電気機関車の動力がそれぞれの車両に伝わるのは時間差があるので、ガクンガクンと、連結器の音を立てながら発車していく…。車両のそれぞれに動力がある電車では味わえない発進で、これがまた旅情を引き立てるのです。東能代駅、大館駅等を経て青森県に入り、大鰐温泉駅、弘前駅と停車していき、車窓に岩木山(左上写真参照)が見えて来ると、そろそろ“あけぼの”号の旅の終わりが近付いてきますが、停車する度に、あと何回この発進が経験出来るのか…と思いながら時間は過ぎていくのでした。
●青森から北海道へ
新青森駅には、時刻通りの9:44に到着しました。終点の青森駅まで行かなかったのは、ここ始発の特急『白鳥』号で北海道に向かう為です。東北新幹線が八戸駅まで延伸してきた時の運転区間は八戸駅〜函館駅間でしたが、新青森駅まで延伸してきた現在では、新青森駅〜函館駅間に短縮されています。そして、いずれは新幹線も函館方面まで伸びるので、恐らくその時には現在の『白鳥』号は廃止になる事でしょう。時代はあっという間に変わっていくのです。
今回乗車したのは、その中でも頭に“スーパー”と付けた、JR北海道の789系という車両を使用した『スーパー白鳥』号でした。通常の『白鳥』と違うのは、使用車両…という感じですが、本州で唯一JR北海道の車両が見れる所でもあり、気分は乗った時から北海道♪という事で(笑)、個人的に楽しみながら乗った感じです。先程乗っていた『あけぼの』と違い、車内は洗練されていて、正に現代の特急…という感じです。…とは言え、旅情は“あけぼの”の方が一枚上手か…と思いつつも(笑)、一路北海道に向けて列車は走り始めました。
列車は、いったん青森駅に停車し、方向転換をしてから通称JR津軽海峡線に入って北を目指していきます。今や、青函トンネルを潜る旅客列車は特急しか存在しなくなってしまいましたが、これも時代の流れなのでしょうか。…とは言え、途中の蟹田駅〜木古内駅間のみを乗車する時は、特急券無しで利用出来るという特例もあり、青春18きっぷ利用者にも対応している感じですが、新幹線が開通したらどうなるのか、気になるところでもあります。そんな新幹線は只今建設中で、車内からは既に高架橋が見え(左下写真参照)、そして青函トンネル付近では、新幹線と在来線の線路共用の為、レールが3本敷かれている(右下写真参照)のも確認出来ました。新幹線開通は、1歩1歩近付いている事を感じさせてくれました。
青函トンネルを通って北海道へ到達すると、列車は木古内駅に到着します。まだ小さな駅ではありますが、新幹線が開通した際には、北海道に入って最初の駅設定にもなっているので、今後は重要な役割を持っていきそうです。ここで自分は列車を降り、今回の目的の1つであるJR江差線へと乗り換えたのでした。
●JR江差線
JR江差線は、五稜郭駅(函館駅の1つ隣りの駅)〜江差駅間の79、9kmの路線ですが、このうちの五稜郭駅〜木古内駅間は、先程の津軽海峡線ルートの一部となっており、特急『白鳥』号や貨物列車も走る等、列車の設定も多い区間でもあります。今回乗るのは、その木古内駅から先の、終点江差駅までの42、1kmの区間です。今となっては普通列車しか走らず、正に“取り残された”路線ですが、この区間が2014年5月12日に廃止されてしまうのでした。ちなみに、自分は今回がこの区間の初乗車となります。これもまた、最初で最後の乗車になってしまう事でしょう。
列車は1両編成。JR北海道のローカル線ではよく見るスタイルですが、ここ江差線も例外ではありません。乗車率は、自分も含めて10人くらいだったでしょうか。この区間は1日に列車が6往復しか運転されず、これでは風前の灯と言われても仕方無い状況ではあります。実際、JR北海道の路線で、一番利用者が少ない区間でもあるのだとか…。建設中の新幹線の高架橋が恨めしくも見えますが、もう廃止は決定になってしまいました。自分が出来る事は、この区間の乗車をなるべく記憶に留めておくのみです。
列車はゆっくりと走っています。最高速度は65km/時に抑えられているので当然ですが、更に峠を越すような上り坂に差し掛かると、このキハ40系という車両ではパワー不足なのか、更に減速して坂を上っていきます。いつの間にか辺りに民家は無くなり、ただ森の中を走っているという感じになってしまいました。いつしか携帯電話の電波も無くなってしまい、ここで列車が止まってしまったらどうなるんだろう…とか思いながらも、ゆっくりとゆっくりと進んでいきます。その峠越えは、途中の吉堀駅から神明駅の1駅で行われますが、この駅間は約13km。列車は22分掛かります。
湯ノ岱駅に着くと、いったん落ち着いた感じになりますが、それでもまだ山の中という感じで、今度はゆっくりと江差に向かって下っていきます。途中で何度か横切る川の名前は、その名も天野川。周囲の雰囲気と相まって、何だか別の世界に来たような感覚になります。
…とにかく、のんびり、のんびりと進みます。それがこの車両の限界なのか、それとも、そもそも速く走る気が無いのか、よく分かりませんが(笑)、これもある意味、北海道を感じさせる旅情とも言えるのではないでしょうか。その規模が本州とは比較にならないくらい大きな北海道。その雄大な風景をゆっくりと見る体験が出来るというのは…贅沢です。
木古内駅から約1時間掛けて、ついに海が見えてきました。木古内側は津軽海峡と呼ばれる海に対し、こちらは日本海と呼ばれる海です。壮大に表現するならば、北海道を横断してきた…とでも言えましょうか…。ゆっくりと列車と共に歩んできた目からは、違った海のようにも思えてきました。この車窓からの海が、江差線のハイライトの風景でもありますが、列車は呆気無く終点の江差駅に着いてしまいます。線路の先にはアパートが立ちはだかっており、この先の延伸は物理的に無理ですが、そもそも江差の中心部は、当駅よりもう少し先に位置しており、そこまで列車が通っていれば、もう少し利用者も居たかもしれません。
ちなみに、江差の中心部からは函館行きのバスが通ってあり、こちらの所要時間は約2時間との事。鉄道利用でも、函館駅〜木古内駅間を特急利用にすれば、所要時間はそんなに変わりませんが、乗り継ぎが上手くいかなかったり、この江差駅のアクセス状況では不便です…。このバスにも乗ってみたい感じはありましたが、江差線に敬意を評し?今来た道のりを逆戻りして、再度木古内駅に向かっていきました。
ちなみに、当列車の江差駅での折り返し時間は12分間。その間に、上の写真を撮った場所まで走っていき、また走って駅まで戻るという強行軍を実地しました。この列車に乗り遅れると、次の列車まで3時間も待たなければならない中、自分で自分を褒めてあげたいです(笑)。
また約1時間強掛けて木古内駅まで戻り、特急列車に乗り換えて、一路函館駅へと向かいます。進行方向右側に海を望みながらの走行になり、その向こうには函館山(右上写真参照)も見えてきます。函館駅に着く、かなり手前からそれは望めるのですが、函館湾をぐるっと囲むように列車は走っていくので、ノンストップの特急列車と言えど、なかなか近付く事は出来ません。それでも木古内駅から30分ぐらい経つと、いつの間に列車は街中を走るようになり、左からJR函館本線が合流して五稜郭駅に入り、そして函館駅となります。この駅も青森駅と同じく頭端式の駅となっており、周りには、札幌駅行き…という文字も目に入りつつ、ここでも旅情を感じてしまうのでした。
その旅情とは裏腹に、函館駅はモダンな駅舎(右上写真参照)に生まれ変わっていました。これも時代の変化なのでしょうが、函館と言えば、自分が中学生の時の修学旅行先の1つでもありました。あの頃とはまた違う魅力が、現在にはあるのかもしれません。
●帰りは絶対に Air Do で
さて、函館駅に着いたのが15:00頃でしたが、ここでそろそろ東京への帰路に向かわねばなりません。せっかくここまで来たので、市場等にも寄っていきたいところなのですが、どうしても16:40発の飛行機に乗らねばならず、直ぐさま空港行きのバスに飛び乗ってしまったのでした。恐らく、函館駅での滞在時間は、約20分です(笑)。
この16:40発の飛行機とは、函館空港に1日2便だけ設定されている Air Do という航空会社のもので、自分も札幌に行く時等に何度も使わさせて貰っているのですが、実はこの年(2013年)の3月と4月の2ヶ月間、機内オーディオで自分の曲が流れていたのです。詳しくは〔Air Do 機内にて“The Energy Of Silence”が聴けます!〕の記事を御覧頂きたいのですが、自分のトリオで北海道の伊達でライブをやった際〔自分名義ライブ第41回目、2012 New どさコン!参照〕に、伊達の為に作った曲“Energy Of Silence”が、この時の司会をやって下さった方の目に止まり、その方が Air Do の機内オーディオ・プログラムの1番組を担当しているという事で、使用させて頂ける事になったのでした。
…と、話しには聞いていて、確かに Air Do のHPにも載っていたのでそうなのでしょうが、実際に流れているのかどうか、やはりその飛行機に乗って確かめない事には、きちんとした報告が出来ないではありませんか。…という事で、この旅の最後の締めには、Air Do の機内オーディオを確認するという事にしたのです。E6系『スーパーこまち』号から、『あけぼの』号、JR江差線…と、そこから考えると若干矛先の異なった展開になってしまいましたが(笑)、実際の行程は一本線で辿る事が出来たのがまた面白いものでした。
函館山をバックに着陸してきた Air Do 機をきちんと撮り(左上写真参照)、いざ機内へ…。まずは機内誌をパラパラとめくると…ありました(右上写真参照)!…しかし、多数の曲が流れる内の1曲なので、どのように放送されるかは謎です。そして、離陸してから約30分ぐらい経ったところで…、、、
聴けました!!!
音源は、伊達でのライブで演奏したものしか無かったので、このラインナップからすると、恐らく唯一のライブ音源だったと思いますが(笑)、ちゃんとあの時、自分達が演奏した状況がイヤホンから伝わってきました。ただ、流石にあの時は10分以上の演奏をしたものの、この番組では後半がカットされていて5分くらいに抑えられていたのですが、これは番組なので仕方の無い事です(事前にそのように言われてましたので…)。…とは言え、機上で自分達の演奏したものが流れてくるというのは初経験であり、ようやく聴けたという満足感にも繋がりました。プログラムは2ヶ月単位で変わってしまう為、滑り込みで間に合った感じになりましたが、良かったです。秋田から移動してきて、初のJR江差線に乗ってからの Air Do の機上。色々と詰め込んだ1日になりましたが、そのどれもが印象的な時間を持って、自分自身の記憶に留められたと思います。あれから約1年が経とうとしていますが、その記憶は未だに薄れてはいません。あの時に体験出来た事が、1つ1つ不可能になっていったのは残念ですが、ここでブログに残せた事で、1つの区切りがようやく出来たようにも思いました。自分に…お疲れ様でした!
☆Air Do のHP…http://www.airdo.jp/ap/index.html
そんな中で選んだ、今回のスペイン旅行。滞在地は敢えてバルセロナ1都市だけに絞り、期間も1週間と、余裕のある時間をとる事が出来ました。色々な都市からバルセロナを選んだのは、まだまだ訪れたい場所が沢山あったのと、以前に訪れた時に、何だか良い雰囲気を感じられたからという、当時の記憶の印象から(笑)でもあります。
結果的に、前回以上に面白味を体験でき、そしてスペインの魅力を再認識する旅行になったと思いました。書きたい事が多数あり過ぎて、なかなか終わりが見えなさそうな旅日記になりそうですが(笑)、ゆっくりと御覧頂ければと思います。それではどうぞお楽しみ下さい!
●スイス・インターナショナル・エアラインズでバルセロナへ…
スペインへは現在、日本からの直行便がありません。以前はあったのですが、スペインという国の位置がヨーロッパの中でも西の方に位置している為か、乗り継ぎ客というのが殆どいなく、結局廃止されてしまいました。この事は、目的地がオランダという客は少ないのに、乗り継ぎ客が多いので成功しているKLMの例〔旅日記 43.イタリア編(2012.7.30~8.5)参照〕からも分かる事かと思います。
…とは言え、バルセロナへ運航している航空会社は多く、日本からの便も沢山の選択肢がある事は言うまでもありません。昨年の7月にイタリアに行ったようにKLMを使っても良いかもしれませんし、その前にイタリアに行った時〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 15.(イタリア、ローマ・フィレンツェ編…2007.7.21~7.27)参照〕に利用した、乗り継ぎに定評のある、ドイツのルフトハンザドイツ航空を使っても良いかもしれません。
そんな感じで、色々と航空券の料金について調べていたのですが、その中で驚愕の料金を発見してしまいました。値段から先に言うと、ピッタリ20000円だったのです。これは片道料金ではなく、バルセロナまでの“往復”料金です。勿論、燃油サーチャージ(この時は56000円ぐらい)というものや、空港使用料金等の税金が更に課せられるので、結局は80000円近くにはなってしまうのですが(どのプランでもこの税金は掛かります)、それでも相当安い値段設定です。その航空会社はスイス・インターナショナル・エアラインズ(以下、スイスエアー)。言うまでもなくスイスの航空会社で、以前に破綻した旧スイス航空を引き継いだ、当時スイス国内や、スイスからの近距離線等を運航していた航空会社でもあります。
1月出発限定のプランだったとは言え、何故こんなに安いのかは不思議ではありますが、冬のヨーロッパはオフシーズンである事は大きいと思います。そして、スイスエアーはルフトハンザドイツ航空の子会社でもある事からも、本家より値段を下げやすい…というのもあるのかもしれません…。唯一の欠点と言えば、帰りのバルセロナの出発時刻が朝の早い時間になってしまうという事(…とは言え、バルセロナ出発は朝9:45)でしたが、このプランを利用しないわけにはいかないでしょう。ちなみに、行きのスケジュールは、成田11:15発、チューリッヒ乗り継ぎで、バルセロナは19:05着というものでした。こちらはベストな時刻設定とも言えるでしょう。
出発日である1月29日は何気に自分の誕生日でもあり(笑)、天気も晴れ晴れとしていて、気持ちの良いフライトが期待出来ましたが(右上写真の山は日本の筑波山です)、約12時間半後のスイスのチューリッヒの天候は雨…。冬らしい天候と言えば冬らしいですが、場所柄、雪景色も期待していたので少し残念でもありました。それでも、スイスエアーのサービスは丁度良い感じで居心地は良く、それでいて堅実な運航が自分好みで頼もしい感じでした。スイスというお国柄がドイツらしい…という定評もありますが、成程、スイスエアーの拠点であるチューリッヒは確かにドイツ語圏(そもそも“チューリッヒ”がドイツ語読みです)で、そうした影響もあるのかもしれません。
チューリッヒのクローテン空港には15:50着予定でしたが、30分以上も到着が早まり、現地時刻の15:10頃には着陸してしまいました。今度のバルセロナ行きである、17:20発の便までの約2時間、勿論空港探索は欠かせませんでしたが、今までのヨーロッパの乗り継ぎ空港の規模からすると、ターミナルは結構コンパクトに出来ており、少し時間を持て余してしまう事になりました。以前はターミナルは1つだったのですが、現在は国際線ターミナルが新たに出来ており、その間の移動は空港の地下を通っている鉄道で行うので、国際線からの乗り継ぎは少し時間が掛かるようになってしまったのですが、それでもコンパクト故に、乗り継ぐ搭乗口には出発1時間以上前に到着してしまうくらいでした。この時の搭乗口が少しターミナル中心から離れており、ショップ等は中心部に集中しているようなので、また戻るのも面倒と思ってしまう…等(笑)、とりあえずゆっくりと空港内で過ごしていました。
そうこうしている内に、飛行機の時間になりました。少しショップも覗いてみましたが、帰りにも寄れるという気持ちと、スイスの通貨(単位はスイスフランで、CHF と書きます)がこの時はよく分からなかったので、気になる物だけをチェックして(笑)、いざ機内へ…。成田からここまで乗ってきた飛行機は、エアバスA340-300型という大型機でしたが、ここからは当然小型機で、A321という、ヨーロッパ内を移動する機種としてはポピュラーな機体での移動になります。成田空港でも毎日見る事の出来るスイスエアーの機体ですが、流石に小型機は日本にまでは来ないので、この小型機に乗り換える…というのがヨーロッパに来ている感じがして、自分としては実は結構好きな瞬間でもあるのです(笑)。そしてバルセロナまでの飛行時間は、タイムテーブル上では1時間半。これは羽田から福岡に向かうような飛行時間で、ヨーロッパ内での移動とは言え、意外に近い距離なんだなと思いました。
チューリッヒでの天候が雨だったので、バルセロナはどうかな…と思いましたが、離陸してから40分ぐらいしてフランスの南付近になると雲も無くなり、正に夕陽に向かって飛んでいくようなフライトになりました。そうして19:05。時刻通りにバルセロナ・プラット空港に無事着陸しました。もう陽は落ちていましたが、空港内の灯りが周囲を照らし、なかなか旅情的な風景を作り出しています。飛行機は、2009年より共用を開始したターミナル1に到着しましたが、これまたスペインらしいデザインセンスに溢れたターミナルではないですか。一気にバルセロナ旅行が楽しくなってきますが、まずは市内に向かいましょう。
プラット空港から市内中心部へは、恐らくアエロ・ブス(Aerobus…スペイン語でバスはブスと発音します)が便利でしょう。ターミナル1、ターミナル2それぞれから、独立して市内方面へバスが出ており、日本人もよく利用する前者のターミナルからは、日中は約5分毎の運行です(早朝、夜間でも10分毎)。ルートも割りとシンプルで、市内中心部であるカタルーニャ広場まで、約20分くらいで着いてしまいます。鉄道もありますが30分毎の運行なので、バスの方が便利かもしれません。また、空港利用者しか乗らないのも、治安面で安心です。
また、実は今回予約したホテル(ホテル・ジャズというデザインホテルを選んでみました♪)がウニベルシタット(Universitat)というエリアに位置していたのですが、丁度アエロブスにもウニベルシタット広場という停留所があり(終点のカタルーニャ広場の、1つ手前の停留所)、ホテルもそこから徒歩3分くらいの所という事だったので、勿論自分もここで降りました。移動はスムーズで、20:00前にはホテルにチェックイン出来るという、正に順調そのものでした…。スーツケースを引きずっての移動だったので、バス停付近での治安面が若干不安でしたが、雰囲気的には全く問題が無かったです。この時の印象は正しかったようで、夜間に出歩いても特に問題は感じられませんでした。思ったより安全で、何だかバルセロナが身近に感じられた、何とも楽しい旅になりそうな瞬間でした。明日以降の為に、疲れを十分にとっておきましょう!
まだまだ続きます!
今回訪れたのは、イタリアのフイレンツェとローマの2都市で、これは5年前の2007年にイタリアを旅行を敢行した時〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 15.(イタリア、ローマ・フィレンツェ編…2007.7.21~7.27)参照〕と全く同じ訪問先なのですが(笑)、やはりイタリアで行きたい場所となると、真っ先に自分の中で挙がるのがこの2都市なのです。それくらい、行きたい気持ちが大きくなってきていたわけでもありますが、今回は先にフィレンツェに入り、その後にローマに移動する行程をとらせて頂きました。少しでも日程に変化を付けようとしていたわけで(笑)、それは旅行に新鮮味を与えるという意味でも大きいものでした。
イタリアに行くのは今回でもう3度目で、そろそろ慣れも生じてきます…。そうなると、更に色々な場所に行ってみたいという思いが出てくるのも当然で、そういった行程も随所に組み込ませて頂きました。そのもっともたるものが、フィレンツェに向かう飛行機の、今回の乗り継ぎ地としたオランダのアムステルダムで、少々の市内観光を行った事でしょう。乗り継ぎに5時間以上の時間があったので、空港を出て、初めてのオランダの地に足を踏み入れてみましたが、これがとても印象深い訪問でもあったのです。
またまた長い記事になると思いますが(特に、イタリアに到着するまでが長そう…笑)、どうぞご覧下さい。久し振りのヨーロッパ旅行で、浮かれている様子がよく分かります(笑)。
●KLMオランダ航空で、アムステルダム乗り継ぎ、フイレンツェへ…
今回、イタリアへの旅行に選ばせて頂いた航空会社は、KLMオランダ航空(以下、KLM)でした。設立は1917年と、創設期から名称を変えずに現在に存在する、世界で最も古い航空会社の流れを組む組織で、現在では、フランスのエールフランスと持株会社方式で経営の統合を行い、お互い、それぞれのブランドは生かし、広大なネットワークで世界中を飛んでいます。
日本語のHPもあって、非常に利用しやすく、今回の航空券もこのHPから購入させて頂きました。エールフランスとの共通の組織、そして傘下にある航空会社のネットワークも一同に選ぶ事が出来るので、今回、行程的には成田→フィレンツェ→(陸路移動)→ローマ→成田…という感じに組んだのですが、KLM純粋のフライトは、成田から乗り継ぎ地のアムステルダムのみとなっていて、そこからフィレンツェまではエア・ワンという航空会社で、アリタリア航空の機材で運用されている便、そして帰りはエールフランスで、ローマからフランスのパリに飛び、そこで乗り換えて、やはりエールフランスの便で成田まで戻ってくる…というものでした。
つまり、合計3つの航空会社に乗った事になったのですが、これが全てKLMのHP上で手配でき、あたかも全て同ブランドの航空会社で移動しているような、気軽な感じで旅行が楽しめるのでした。帰りをエールフランスにしたのは、日本~ヨーロッパを結ぶ各航空会社の中で、最も遅い時間に現地を出発する便がある為(時期によって異なりますが、概ねパリを23:30頃に出発します)で、現地の滞在時間(帰路日は、ローマを20:00頃出発する便に乗れば良いのです)を少しでも伸ばせる為でもありました。
このようにネットワークが広大なので、色々なフライトから旅行の日程を選ぶ事が出来ます。ひとまず今回は、最初の目的地をフィレンツェにしたのですが、調べてみると、どうやら乗り継ぎ地であるアムステルダムからの便の設定が少ないらしく、乗り継ぎ時間に5時間以上を要する事が分かりました。…しかし逆に、その時間を利用して、アムステルダム市内を観光出来るという事でもあり、自分は喜んでその便に決定したので。そもそも目的がイタリアではなくなっていますが(笑)、これは大正解の決断でもありました。お陰で、今回初訪問となるオランダにも足を運ぶ事が出来ましたし、オランダの魅力を知る切っ掛けにもなったかもしれません。そして、ルート選びの魅力も教えてくれた、KLMに感謝したいくらいでしたね。
さて、KLMオランダ航空の成田出発は10:40。そこには、世界で一番古い航空会社だから、空の青の塗装を使えたと謳う、青色ベースのボーイング747-400M型が待っていました。貨物との混載型機で、座席の後ろの方も貨物スペースになっている珍しい機材ですが、この航空会社では何機も飛んでいる機材でもあります(それだけ貨物の搭載量も多いのでしょう)。
…そして、当初はエコノミークラスで予約していた自分だったのですが、プラス15200円で、エコノミー・コンフォートという1つ上のクラスの座席にアップグレード出来るとの事で、これもHP上で簡単に手配出来てしまうので、今回はこのクラスを利用してみる事にしました。機内食等の機内サービスはエコノミーとほぼ変わりませんが、何といっても座席の大きさが一回りは違い、前の座席とのスペースも広くなっているので、これは12時間を超えるフライトには嬉しい設備でした。ただ、自分は右側の窓側の座席を選んだつもりだったのですが、この機材では、エコノミー・コンフォートの設定場所が、機内の左半分のスペースを使ったものになっており、端は端でも、自分の右側には壁…という状態だったのは迂闊でした(機内右半分がギャレーという設定でした)。席を替えようにも、既に満席となっており、しぶしぶこの位置で12時間を過ごす他ありません。…とは言え、普段より大きめの座席で居心地は非常に快適で、機内食とお酒(オランダといえばビールのハイネケンですね!)と映画を堪能したら(外の景色こそ堪能出来ませんでしたが…笑)、すぐに現地に着いてしまった…という印象でした。これは、15000円の価値は充分にあったという事でしょう。
さて、オランダのアムステルダムに着いたのは、現地時刻の15:05。乗り継ぎのフィレンツェ行きのフライトは20:40発だったので、5時間半の余裕があります。この時間を利用して、市内に出てみない手はありません…。ただ、このアムステルダムのスキポール空港というのは、乗り継ぎに最も適した空港とも言われていて、しかも世界でも常に人気の高い空港でもあるのです。すぐ市内に出るのは勿体無いので、ちょっと空港内散策でもしてみましょう…。何だか、徐々に旅らしくなってきたではありませんか♪
スキポール空港は、ヨーロッパの中でも大空港の1つとして数えられています。ヨーロッパの中の代表的な空港というと、恐らく御三家的にはロンドンのヒースロー空港、パリのシャルル・ド・ゴール空港、フランクフルトのマイン空港となっていて、イギリス、フランス、ドイツの大都市の空港なので当然とも言えそうです。しかし、今回のスキポールも、それらと方を並べる大空港で、オランダという小さな国の割りには、その規模は特筆される程です。
…と言うのは、そもそもこの空港は、乗り継ぎ客を主体にした造りにしているからです。ここを拠点とするKLMもその事は充分承知していて、オランダ自体を行き来する客数は、国の規模からしてそんなに見込めないので、ここを経由すると、色々な場所に行けますよ…というようにアピールをしているのです。実際、自分がそうで、フィレンツェぐらいの小さな都市にある空港ですと、日本から直行便はなく、国際線はヨーロッパ内への便のみ…。こうなると、どこを経由してフィレンツェに向かえば良いか…という事になるわけで、今回の場合、イタリアの都市を経由するより、オランダを経由した方が安かったのです。これは日本発着に限らず、今回は乗り継ぎ時間が結構ありますが、要はフィレンツェ行きの便の2時間ぐらい前に、他の場所からの到着便があれば、皆オランダを経由する事で便利に移動出来る事になり、その為にスキポール空港利用者も多くなっているのです。
乗り継ぎ利用客が多いのには、オランダの位置も関係しています他の大都市であるロンドンやパリですと、ヨーロッパの中では少し西に寄っている感じがします。そう考えると、アジアからヨーロッパへの道筋を見た場合、オランダ経由というのは距離的にもロスが少なく、短い飛行時間で目的地に結べるのです。また、ロンドンやパリの空港は規模が大き過ぎて、乗り継げる選択肢は多いものの、スムーズに乗り継げるかというと、ターミナルが複数あったりして、これまた大変になる事が多いのです(今回の帰路ではパリを経由しましたが、乗り継ぎ時間が1時間半でギリギリでした)。
規模が大きくなると、ターミナルが複数になるのは止むを得ませんが、ここスキポール空港ではワン・ターミナル・コンセプトを掲げており、規模は大きくしているものの、ターミナルは全て1つとしてしており、これは全ての場所に徒歩のみで移動できる事を意味しています。日本からここを経由してヨーロッパ内に入る場合、EU圏なので当空港で入国審査をしますが、これも矢印に沿って歩いて行ければ、迷わず着く事が出来ます。その先が国内線(ヨーロッパ内路線も含む)系のターミナルになっていて、あとは次の便の搭乗口まで向かえば良いだけです。
ちなみにこの空港では、到着客も出発客も、同じターミナル内を共有出来ます。これがある意味で自由さを表していて、例えば成田空港では、到着した客は矢印通りに進むしかなく、出口に強制的に向かわされてしまいます…。しかしここでは、降りた客が空港内のお店で買い物をし、乗り継ぎ客が空港の外に出るのも出ないのも自由なのです。本当に、色々な目的の利用者がここを通過しており、それが空港の人気にも繋がっているのかもしれませんね。
さて、それでは空港の外に出てアムステルダム市内まで行ってみましょう。ここでは、空港の直下にオランダ鉄道(旧オランダ国鉄)の駅が入っており、市内のアムステルダム中央駅までは15分~20分程です。ホームに降りると早速、黄色塗装の車両が行き交っているのが目に飛び込んできました。ここは中間駅でもあるので、列車は停まってはすぐ発車するといったように、なかなか忙しそうな雰囲気です。列車本数は多く、そもそもオランダという国は鉄道密度の高い国でもあるので、ヨーロッパにありがちの電気機関車タイプの車両よりも、電車タイプの車両を多いというのも特徴の1つだそうです(日本で全国的に電車方式での運転が盛んなのは、かつて日本の鉄道省がオランダの電車網を視察した時に、日本にもこの方法が相応しいと思ったからだそうです)。
自分が乗ったのは総2階建ての車両で、DDM型と呼ばれる客車タイプの車両でした。つまりは電気機関車が客車を引っ張るタイプの車両なのですが、デザインが客車と機関車で揃えられており、プッシュプル方式といって、編成の前後に機関車が連結(世界的に多い方式です)されているので、見た目には電車と遜色無い感じではあります。
列車は地下駅のスキポール空港駅を出発すると、すぐに地上に出て、快調に空港を離れていきます。広大な平地を走り抜けていくといった雰囲気で、どこか北海道の景色にも似たような感じでしょうか(ちなみに、緯度的には北海道の宗谷岬を超え、樺太辺りだとか)。その景色も徐々に街並みが現れ、メトロ路線と並行したりして、ドーム型の天井が特徴的なアムステルダム中央駅に到着しました。ホームは5面あり、国の玄関口の駅としては、思ったより規模は小さいなと思いましたが、立派で、そして旅情を掻き立ててくれる駅です。
アムステルダム中央駅の駅舎は煉瓦造りで日本の東京駅に似てて、以前は東京駅がアムステルダム中央駅をモデルにしたと言われていましたが、建築様式の違いから、現在ではほぼ否定されているそうです。…とは言え、これら2つの駅は姉妹駅ともなっていて、やはりお互いに認め合っている感じもしなくはありません(笑)。
それにしても涼しいです。日本や、これから行くイタリアはきっと猛暑なのでしょうけど、ここでの気温はこの時点で19℃くらいになっていて(夕方はもう少し肌寒くなります)、少し長袖が欲しくなるくらいとでも言いましょうか。ただ、日差しが気持ち良いくらい注いでくるので、半袖でも十分という気にもなれます。
では、市内散策に出向いてみましょう。中央駅周辺ですと、徒歩のみでも結構回れそうでしたが、自分としてはやはりトラムに乗ってみたいところです。路線網は16にも及び、環状路線や放射路線が運転される等、アムステルダムでは重要な交通機関の1つでもあります。運賃は OV-Chipkaart という、いわゆる日本の Suica のようなカードを使うのが一般的のようですが、トラムには車掌が乗務していて、そこから1回券(1,6€…約180円)を購入して乗りました(ゾーンの範囲内なら、確か90分間は乗り換え自由)。日本よりは結構スピードが出すようで、路面電車…という感覚よりかは、軽快な電車…という感じなんでしょうね。
トラムでどこへ…という事になりますが、そもそも今回はオランダが観光のメインではないので(笑)、ガイドブック等も持ってきていない状況故、行き当たりばったりしかありません。まあ、それがまた楽しいのですが、とりあえず停留所を3つくらい過ぎた辺りで降り、寄り道しながら中央駅に戻るようなルートをとってみました。
歩いてみると、ヨーロッパ調の街造りに、運河、トラム、所狭し路地に沢山の店が並ぶ等、ある意味で独特な雰囲気があるような感じでした。観光客も恐らく多いでしょう。行き交う人は様々で、広場や教会の前等には常に沢山の人種の人だかりが出来ている感じでした。
歩いている途中に見付けた、フレンチフライの専門店?…フレーバーを幾つか選べ(別料金)、何だか予想以上に美味しかったです。ポテトのレベルが基本的に高いのかもしれません…。
この後も大いに練り歩き、あっという間に3時間くらいは経ってしまいましたね。ただし、これ以上細かく書くと、メインがオランダ旅日記に成りかねないので(笑)、この辺りで空港に戻りましょう。少し治安が良くないとのイメージがありましたが、観光客の多さと、街の雰囲気から察するに、よほど変な場所に行かなければ大丈夫かなという印象でした。
ただ、皆さん御存知の飾り窓地区と、大麻が合法という事に関しては、恐らく昼間は大丈夫でしょうが、夜だと安全の確証は出来ないかもしれないですね…。合法ドラッグが売っているお店は、こちらではコーヒーショップ、ドラッグショップと呼ばれ(普通の喫茶店はカフェ、薬局はドラッグストアです)、街中の至る所に店を構えています(どちらかというと、あまり大通りにはありませんでしたが…)。結構昼間からキマっている人もいたりして(匂いがきついので…笑)危険な感じですが、それもまたアムステルダムの風情だと思えば良いのかもしれません。…とは言え、オランダは非常に合理的主義の国…。大麻や売春を合法とする事で、国が成り立っている…というように考えると、必ずしも治安の悪さに直接結び付けては良くないようにも感じました。
結果的に、何だか楽しそうな街…という印象になったアムステルダム(笑)。そんなに広い街でもないので、また飛行機の乗り継ぎ時間をわざと長くしたりして(笑)来ても良いかな…という感じでした。ちゃんとした観光スポットには今回行かなかったので、また訪問する必要はありそうです。その為には、アムステルダム乗り継ぎをあと5回くらい行えば良い感じでしょうか(笑)。夢は広がります♪
さて、長くなってしまいましたが、改めてスキポール空港に戻り、フィレンツェ行きの飛行機の搭乗口まで向かいます(こちらもスムーズに進めました)。今度乗るのはイタリアのアリタリア航空で、エールフランス・KLMとコードシェアを行っている便でもあります。機材はA319という機体で、日本の航空会社でもポピュラーなA320の短胴型の飛行機です(日本の航空会社はA319は所持していません)。アリタリア航空は、自分が初めてイタリアに行った2002年に使った航空会社で、それ以来の搭乗ともなるので(経営母体が変わってしまいましたが…)、今回フィレンツェへの便で乗れるというのは嬉しい限りでもありました。座席も緑色を基調としており、当然の如くCAが話すのもイタリア語(…と英語)。いよいよイタリアが近付いてきたのを感じます。
アムステルダム出発が20:40という時刻で、更に少々遅れての出発だったものの、太陽はまだ沈む事はなく、ヨーロッパ特有の西日らしい空模様の中で飛行機は離陸していきました。改めて広大なスキポール空港が目に飛び込んできましたが、これもまた良い時間です。やはり飛行機は窓側に限ります(笑)。しかし、身体も疲れていたのでしょう。暫くは窓の外に釘付けという感じでしたが、いつの間にかウトウトと眠ってしまいました…。
気付くと飛行機は降下を始めていました。外も暗くなっており、所々に街明かりが見えてきています。フィレンツェ到着が22:30の予定だったので、流石に真っ暗だとは思いましたが、その街明かりは徐々に明るく見えてきて、街が近付いてきているのを感じます。そして、15分遅れで飛行機はフィレンツエのペレトラ空港(アメリゴ・ヴェスプッチ空港とも呼ばれます)に着陸しました。小さい空港のようで、飛行機も自分が乗ってきたのが最大機種ぐらいでしょうか…。空港の規模からすると、やたら大きく見えたものです。
オランダからの到着なので、空港から出る手続きと言えばもう荷物を受け取るだけです。そういえば5年前にイタリアに到着した際には、ローマの空港でそれを行いましたが、荷物が出てくるまでに30分以上も要するという、少し苦い思い出がありました。大きな空港だからなのか、イタリアというお国柄なのかは分かりませんが、ここはスムーズに通過したいものです。…と、そんな心配もよそに、荷物は一瞬で出てきました。やはり小さな空港の方が、こういった事は難なく進む気がします。
フィレンツェ中心部へはバスも出ていますが(30分毎)、スーツケースもありますし、もうタクシーでホテルまで直接向かってしまう事にしました。流石に疲労が溜まってしまっていて、タクシーを使っても15分程度(深夜帯で、荷物料金も合わせて約25€…約3000円)なので楽と言えば楽なのです。
そうして、無事にホテルへのチェックインは完了。時刻は23:20頃でした。このまま眠ってしまいたいところでしたが、最後の力を振り絞って、どこか開いているレストランへ…。ビールとピザを注文し、やっと到着出来た事に対する自分への労いとさせて頂きました(笑)。明日からはいよいよ、本格的なイタリア旅の始まりです。十分に休んでおきましょう!
まだまだ続きます!
実は、2010年の12月に東北新幹線が新青森駅まで延びてきて、この路線に乗る気軽さが少しでも上がったかのように思えたのですが、その翌年に起きた東北の地震で、暫く東北への足が遠のいてしまう事にもなってしまっていました…。十和田観光電鉄線の今回の廃止は大変残念でしたが、まだ足を踏み入れていない、東北新幹線の八戸駅より先の区間にも乗ってみる事にしましょう。時間の都合で、日帰りの旅にならざるを得なかったので、朝早く起きての出発です。3月という時期でしたが、雪もまだまだ残っていた、まだ冬の香りが残る旅となりました。
●七戸十和田駅から…
早朝の大宮駅から東北新幹線『はやて』号に乗り、一路北へと目指します。前に東北新幹線に乗った時〔旅日記 38.仙台往復編(2011.5.16~5.17)〕は俊足の『はやぶさ』号ですら徐行を余儀無くされていましたが、今はその徐行も解除され、かつての走りを取り戻していました。ここで目指すのは、2010年12月に東北新幹線が延伸された区間の八戸駅~新青森駅間の、唯一の中間駅である七戸十和田駅です。地元は七戸町になりますが、ここでの有名な観光産業である“十和田”の文字を冠していて、いかにも新しい新幹線らしい駅名だとは思います。
この駅を訪れたのは、一応、新しく出来た駅だから…というのもありますが、これから向かう十和田観光電鉄線の終着駅に、まずはバスで向かいたかった…という思いが大きかったのです。十和田間電鉄は、青い森鉄道(以前のJR東北本線)の三沢駅を起点の駅としているのですが、そこから終点の十和田市駅まで、他に接続する路線はありません。つまりは1本道の盲腸線という事になるのですが、普通に考えると、三沢駅まで出向いて乗って帰るには、終点の駅に着いた後に、必ず来た道を戻るという往復行動をしなければならないのです。
この単純往復が自分はあまり好きではなく、なんとか他の方法で十和田市駅に着く方法は無いかと考えていたのですが、新幹線の七戸十和田駅から十和田市駅を結んでいるバス路線がある事を発見し、この方法に至ったのです。常に新鮮味がありますし、絶対にマイナーな行き方の為、混んでいるという事もないでしょう。この日は路線廃止まで既に1週間を切っていて、平日とは言え春休みの真っ只中だったので、特に三沢駅等は混んでいる事も予想され、敢えて自分は前述の方法で向かいました。このバスは本数は少なめだったのですが、事前に調べておけば何の心配もありません。新幹線とも程良い接続で、無事にバスに乗り込むことが出来たのでした。
路線バスとは言えど、左上写真のように観光バスのような車両を使っていて、移動は極めて快適でした。まだまだ雪深さも残る七戸十和田駅でしたが、恐らく少し山に近い場所にあったのでしょう。十和田市内に近付くに連れて雪は少なくなり、場所によって積雪度が大きく変わる事を痛感させられました。バスのルートは割りとシンプルで、国道4号線を南に下っていった…という感じだったでしょうか。約30分程で十和田市駅前に到着しました。
十和田市駅ではショッピング・ビルが併設されていて、そこにバスターミナルもあるので結構立派にも見えるのですが、実は中のテナントは2007年に閉店されていて、再開発される予定もあるものの、こちらの鉄道路線が廃止になってしまいました(逆に、再開発するが故に、この鉄道が敷地からの撤退を求められていた…という見方もあります…今では、バスも建物の中での発着はされていないとの事です)。
そもそもが厳しい状況だったわけですが、電車が駅に到着すると、やはり絵になるというか、どこか街が活気付くような雰囲気が醸し出されている気がして、これが後1週間以内に廃止になるとは思えないような状況でした。車両は、元々東急電鉄で走っていたものを譲渡された物で、改造されて1両単位で走っているものと、2両単位で走っているものとあります。今回入線してきたのは2両編成でしたが、1両単位のものを2両連結した7200系という車両でした。
駅構内には“TKD89 ミュージアム”と題されたショップがあって、恐らく89年の歴史があったという事なのでしょう…。今までの写真やグッズ等が販売されていて、自分もクリアファイルも買ってしまいました(笑)。記念切符等も多く、自分も買おうかどうか迷いましたが、悩んでいるうちに列車の発車時刻が近付いてきました。廃止が近付いていると言えど、1日に17往復しか走らない路線でもあるので、電車を1本逃すのも大きなリスクです。ひとまずそこは後にし、車内へと乗り込みました。大混雑を予想しましたが、そうでもなく、席は埋まっていて、立ち客が何人かいるくらい…という感じでしょうか。最終日まであと1週間にしては、少し拍子抜けしましたが、このまま三沢駅まで向かう事にしましょう。
自分は席には座らず、最後尾の運転席の後ろに陣取り、そこから過ぎ去る景色を楽しんでいました。この車両は東急時代にも乗っていた可能性があり(恐らく、池上線や、旧目蒲線)、車内を見るとそんな姿を思い出しますが、外は明らかに雪景色で、ああ、東北にいるのだと思わせてくれます。また、ワンマン運転なので、車掌室には車掌はいないという状況も、地方ならではという光景なのでしょうか。どちらにしても、少し寂しい風景であるのかもしれませんが…。
十和田市から六戸町に入り、七百(しちひゃく)という駅に着きます。沿線唯一の交換駅で、車両基地が設置されている駅でもあるので、目のやり場に大忙しですが(笑)、かつての十和田観光電鉄の名車、モハ3400形やモハ3600形が見れたのは良かったです。少し途中下車したくもなりましたが、時間に限りがあるので、ここはグッと我慢して、そのまま三沢駅まで乗り通しました。
十和田市駅から30分足らずで三沢駅に到着です。JR東北本線から転換された青い森鉄道の三沢駅との駅舎は別になっていて、こちらはかなり重厚な造りの渋い建物でした。駅舎内には、これまた渋めのお蕎麦屋さんがあって、ここで腹ごしらえをしてから、少し周囲を散歩してみる事にしてみました…。十和田市から乗ると、三沢駅の1つ手前の大曲駅から、随分と坂を下って三沢駅に至る感じがしたのですが、実際にそうで、土地の起伏を感じる車窓を、外から見てみたくなったのです。
この辺りは古牧温泉の敷地内みたいな場所で、線路もその場を通りつつ、カーブを繰り返しながら坂を進んでいく…という感じでした。なかなか不思議な光景で、まだこの路線に乗っていない時代、東北本線からチラッと見えていたこの空間を不思議に思っていたものでしたが、やっとその全容が明らかになった感じでした。やはり、乗っておいて良かったと思います。雪もまだまだ残る中、寒さとの戦いでのシャッター・チャンスでしたが(笑)、悔いは残したくないですからね。…再度三沢駅に戻り、いよいよこの地ともおさらばとなりましたが、非常に印象的な時間でした。…では、新青森駅へと向かいましょう。
新青森駅へは、新幹線では前述の七戸十和田駅から1駅で、所要時間も15分程ですが、在来線で鈍行列車で三沢駅から向かうと、青森駅を経由して約1時間20分は掛かります…。随分と所要時間に差がありますが、これしか方法が無いので仕方ありません(たまに快速も走っていますが、本数が限られています…)。この区間は、青い森鉄道に転換されてからは初めて乗りましたが、車両が青い森鉄道“風”になっている他は、あまり変化は感じませんでした。ただ、料金体系も変わり(やはり、高くなっています)、JR時代に比べてスリムな体制にはなっている筈なので、各所でコストを抑えている部分はあるでしょう。1,2回乗っただけでは分からないとは思いますが、これからも頑張って走り続けてほしいように思いました。
さて、青森駅を通り、奥羽本線に乗り換えて1つ目の新青森駅に到着です。東北新幹線の現在の終点は青森駅ではなく、こちらの新青森駅となっているのですが、これは今後の北海道の延伸に向けたものであり、延伸が可能な構造に出来る、広々としたこの土地を選んだようです。ここは2009年時に、まだ新幹線が延伸していない状態の時にも訪れていて〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 30.(ブルートレイン編…2009.6.22~6.25)参照〕、今回はそれ以来の訪問になりましたが、周囲の風景の一変した事と言ったらありません…。あの時、新幹線の駅自体はだいぶ出来上がっていたのですが、周囲の開発はまだまだという感じであり、どのような形態になるのか分からない部分もあったのですが、今はこの景色を見て、成程…と思わざるを得ない感じでしょうか。時代というのは、本当に早く過ぎ去ってしまうものなのですね。元々は在来線の小さな無人駅から始まったこの駅でしたが、開業当時の雰囲気からは想像出来ない程、大きく変わってしまいました。先程乗ってきた十和田観光電鉄も、跡形もなく…という事にならなければと思います。
さて、そろそろ東京に戻りましょう…。お世話になるのは、今後東北新幹線の主役になりうるE5系による『はやて』号です。東京までは、たった3時間半程度の道のりです。御存知の俊足『はやぶさ』号ですと、現在でさえ3時間10分程ですし、来年を目途に更なるスピードアップが行われ、3時間を切る列車まで現れるとか…(2時間59分らしいですが…笑)。
東北の発展の目覚ましさを窺わさせた東北新幹線でしたが、その一方で消えていってしまった地方私鉄…。これが時代の移り変わりとも言え、少々複雑な鉄道の旅になってしまいましたが、しっかりとその現状を見届けるのも、自分達の役割でありましょう…。最新のE5系に乗ると、如実にそんな事を思ってしまった自分がいたものでした。どうもお疲れ様でした!
☆十和田観光電鉄のHP…http://www.toutetsu.co.jp/
何と言っても新幹線が完成し、台北を拠点としても各地を柔軟に回る事が出来るようになりました。また、東京も羽田から国際線が再就航し、台北も市内に近い松山(ソンシャン)空港への便が飛ぶようになり、東京からのアクセスも飛躍的に向上したのです。たかが交通事情…と思うかもしれませんが、これは人や物の流れを大きく帰る要素でもあり、是非ともそれらの事情を体験しつつ、今の台湾を満喫してみたくなったのです。日にち的にも5日間とれたので、ゆったりと台湾の空気に触れる事が出来ました。どうぞ御覧下さいませ!
●チャイナエアラインのビジネスクラス
今回の旅の拠点も、やはり台湾最大の都市、台北にしたいところです…。台北の空港は、以前からある松山空港(市内に隣接)と、1979年に開港した、台北郊外に位置する国際線専用の桃園(タオユェン)空港があり、以前は日本からは桃園空港に行くしかなかったのですが、現在では羽田空港~松山空港間を飛ぶ便も就航しており、本当に便利になりました。台湾の松山空港と桃園空港は、東京の羽田空港と成田空港の関係に似ており、桃園空港は市内から結構離れています。逆に、松山空港の市内の近さというのは、羽田空港以上のもので(そもそも台北市内にあるので)、例えば台北駅からは、タクシーなら15分程という感じでしょう。海外滞在では時間を有効に使いたいところで、その意味でも松山空港は大きな存在となっているのです。
今回は台湾を代表する航空会社、チャイナエアライン、しかも奮発し、ビジネスクラスを利用させて頂きました。…とは言え、チャイナエアラインのビジネスクラスは安く乗れる事で有名なのです。今回、航空券を探している時に、エコノミークラスで東京(羽田)~台北(松山)間、往復2~3万円前後のチケットが多く出てきていたのですが、安いものが売り切れてしまって、結局は4~5万円のチケットしか残っていない状態でした。そんな時に、ビジネスクラスの料金を見てみると、安いもので58000円というものが出てきたのです(勿論、往復です)。単純に考えて、先程の料金に+1万円程で、往復共にビジネスクラスを楽しめてしまうのですから、これは利用しない手は無いと考えました。航空券の値段設定というのは複雑で、常にエコノミークラスとの差額が1万円前後というわけではないのですが、この時はタイミングが良かったのでしょう。一気に旅へのテンションも上がってしまいますよね。
ビジネスクラス利用者は、空港のラウンジ(左上写真参照)も使う事が出来ます。ただ、台湾での滞在時間を多めにとれるような便設定にしたので、今回の羽田空港は7:20発の便を選ばさせて頂き、あまりラウンジでゆっくり…というわけにはいきませんでした。羽田空港発としても、かなり朝が早めの便ですが、これも羽田空港だから出来る事です(成田空港では、そんな時間に空港に着けません…笑)。ラウンジから東京の朝日を拝みつつ、ちょっとハイソな気分に浸りながら(笑)、ビジネスクラスのお客となったのでした。
チャイナエアラインのビジネスクラスは安め…と書きましたが、だからと言ってサービスまで安い感じものではななく、そのグレードはむしろ高いものです…。座席のリクライニング角度も深く、席同士のプライベート感も大きく、食事だって豪華です。今回乗った飛行機は、中距離用に使われているA330-300という機種なので、ビジネスクラスもこれで“中・短距離用”の設定なわけですが、いやいや、それでも十分豪華ですね。朝早く起きて乗っている身としては、この設備は有難く、台湾での旅をフレキシブルに動ける為にも、機内で寛げる状況…というのは非常に重要だったりするのです。
…美味しい機内食を堪能しつつ、大きなモニターで映画を鑑賞していると、台北までは本当にあっという間です。タイムテーブル上では4時間ですが、実際の飛行は3時間20分ぐらいという感じでしょう。台北には、現地時間で朝の10:15に着くスケジュールでしたが、これは現地で泊まっていたとしても、観光に繰り出すのがこれくらいの時間だったりするので(笑)、この便を使えば、旅の初日もフルに動ける事同然です。台北到着時は雨が降っていて、この先の旅計画をどうしようかと考えましたが、この時間なら慌てずに、ゆっくりと考えられます。旅先では、常に余裕を持つ事が大切です。その意味では、この時間に着くフライトというのは、値段以上に大きな余力を与えてくれているような、そんな気がしたものでした。
ひとまず、台北駅前に予約したホテルまで出向き、大きな荷物を置いてきてしまいましょう。恐らくタクシーで行くのが一番早いでしょうが、せっかくなので、2009年にここまで伸びてきたMRT(台北市の地下鉄みたいな存在です)を使って、今後の計画を練る時間も設けつつ、ゆっくりと動きたいと思います。まだまだ時間はあるのですから♪
●台湾新幹線で、高雄(カオシュン)へ
ホテルは台北駅前にとって大正解でした。荷物を置き、身軽な格好になって外に出ると、既に台湾の交通の要衝にいるのですから、色々な選択肢をとる事が出来ます。…という事で、どうも台北の天気が雨でパッとしないので、早速新幹線に乗って、台湾第2の都市、高雄まで出向いてしまう事に決めました。高雄の天気は曇りとの事で、これなら外を歩いても問題無さそうです。新幹線も初めてですし、高雄という街も初めて…。これは楽しくなる事、間違い無しです♪
台北駅の駅舎は本当に立派で、これぞ台湾の代表する駅!…と自信を持って言えそうな雰囲気を持っていますが、外観だけではなく内部も充実していて、最近では地下街も発達してきているようで、この駅周辺に全ての機能を集約させた感はありますね。外からは電車が見えないのは、この区間は全ての鉄道が地下化されている為でもあり、チケット売り場などは地上にありますが(地下にも勿論ありますが)、改札は地下に存在しています。
これから乗る台湾新幹線も、当然の如く地下から発車します。こちらは切符売り場は基本的に地下に集約されていて、ほぼ日本と同じ感覚で切符が買えるので、日本人には分かりやすい販売システムと言えるでしょう。…ところで、台湾新幹線、台湾新幹線…と言っていますが、こちらは愛称に近く、正しくは台湾高速鉄道と呼ばれるものです。略してなのか、駅では“高鐵”と表示されており、台北駅では、こちらの表示に向かって歩いていけば間違い無く辿り着けます。…とは言え、現地の人でも“台湾新幹線”と呼んでいたりするらしいのですが(笑)、ここでは現地に倣い、“高鐵”と呼ばせて頂きましょう。
高雄駅(高鐵では“左營(ズゥオイン)駅”になります)までは、指定席利用でNT$1490。日本円に直すと、NT$1(ニュー台湾ドル)が約2,7円(2012年2月時)なので、約4000円という計算になります。これは、約1時間半乗っている状況からすると、日本より遥かに安い値段設定ですよね(ちなみに、同じくらいの時間を乗っている思われる、東京駅~名古屋駅間では約1万円くらいです)。自由席利用だと、更にNT$45(約120円)程安くなりますが、ここは指定席利用で良いでしょう。…とは言え、台北駅は始発駅なので、早めに向かえば大体は座れるとは思いますが…。
…というわけで、高鐵車両に乗り込みました!…見て分かる人には分かるかもしれませんが、高鐵の車両は、日本の新幹線、700系をベースにしており、その各部に共通点を見出す事が出来ます(高鐵の車両は、700T型といいます)。外観は、正面や塗装には台湾独特のアレンジが施してあるものの、車内の雰囲気は、日本の新幹線そのままな感じでしょう。これは、実際に日本の新幹線技術(JR東海、JR西日本)を車両開発に導入した為で、それが“台湾新幹線”と呼ばれている所以でもあります。しかし、全てが日本の技術かというと、そうでもなくて、当初は欧州システムの技術を使用する事になっていた経緯もあったので、線路や運行システムも含めて考えると、日欧混合によって成り立っていると言える路線になっています。
難しい話しは抜きにして、日本から離れて台湾に来て、日本の新幹線をベースにした車両が活躍しているというのは嬉しい限りです。また、在来線とは完璧に独立した路線である事や、全体的な雰囲気も相まって、乗っていてもやはり、日本の新幹線風な安心感があるような印象を受けました。これは、同じ、日本の新幹線の車両技術を導入した中国の車両に乗った時〔立川商店、中国、泰山ツアー(2010.9.3~9.7)参照〕とは、だいぶ違う感じでしたね。日本人だからこその感想かもしれませんが…。
列車は、台北駅を出ても暫くは地下を走り、隣りの板橋(バンチャオ)駅という、これまた自宅の近くの地名のような名前に親近感を覚える駅(笑)を過ぎ、やっと地上に出ます。この時点で既にスピードは上がっており、みるみる内に建物が後方に流れていきます。高鐵の最高速度は時速300km/時。日本の700系は285km/時だったので、これは流石ですね(日本では700系列では、後に登場したN700系で時速300km/時を達成しています)。
あまりにスピードが速いので、ゆっくりと景色を眺めてる余裕がありません。最初は、初めて乗る路線ですし、じっくり見てやろう…と思っていたのですが、徐々に目が疲れてきてしまいました。朝に東海道新幹線に乗っている時と、同じような感覚とでも言いましょうか(笑)。…とは言え、途中の台中(タイジョン)駅や台南(タイナン)駅は停車したので確認出来ましたし、南に下るにつれて、亜熱帯から熱帯気候になっていく雰囲気も何となく感じ取れたのは、日本では経験出来ない収穫だったと思います。
…そうこうしているうちに、台北駅を出発してから約1時間半、終点の左榮駅に着きました。高雄市へは、ここから在来線や地下鉄で向かう事になります。東海道新幹線の新大阪駅みたいな位置関係と言えば、分かりやすいでしょうか。ここまで、高鐵が完成するまでは、台北から特急列車でも約4時間は掛かっていたので、やはり高鐵の影響は計り知れなさそうです。高雄が台湾から日帰り圏内になった事も頷けるというものです。…そして、この高鐵の乗りやすさが安心感に繋がっているとも言え、日帰りが“気軽に”…になった事が、一番大きいような気がしました。それは、日本の新幹線が開通した時と似ているのではないかと思うと、台湾に新幹線技術を提供した国出身の者として、とても嬉しく思うのです。
まだまだ続きます!
ボーイング787は、御存知のように?全日空が世界に先駆けて導入した新型旅客機で、今後恐らく世界のスタンダードとなる旅客機でもあります。しかし、この時点で稼働しているのは、その全日空に導入された本当に1機のみで、これが現在のところの、世界で運航している唯一のボーイング787でもあるのです。
これは乗らないわけにはいきません…。定期便に導入されたのは11月1日と、まだまだ間もない状態で、それまでに記念のチャーター便で何便か運航されていたものの、搭乗者数の順番で言えば、世界で2000番目の乗客にはなれているでしょう…(笑)。現在のボーイング787の運航スケジュールを見ると、羽田空港を拠点に、午前中に岡山を往復、午後に広島を往復するというもので、1日を有効に使うには、早朝の岡山空港行きに乗るのがベストだと思いました。11月1日の便も一瞬は検討したものの、即座に完売となっていたようで、今回の2日の便にしたわけですが、それでもまだまだ新鮮な話題を振りまいてくれる時期なのは確かです。それは当日はウキウキ気分で空港に向かったものでした(笑)。
●満席のボーイング787
当日の羽田空港の天気は良好…。正に新型飛行機の搭乗日和です。岡山空港行きの当便は羽田空港出発が7:30なので、結構な早起きをしたわけですが、貴重な飛行機に乗る為には、その苦労も厭わないというものです。少し早めに空港に着き、展望デッキからその機体全容を眺めようとしますが、既に先客が何名かいたのに驚きました(恐らく飛行機に乗るのではなくて、見に来ただけだったと思われます)。しかし、自分はこの時に初めて見ましたが、今までの旅客機とは異なった容姿、スラッと伸びる翼、大きく機体に描かれた787の文字(全日空に導入された最初の2機だけ、このような特別塗装となるようです…)と、そのオーラは流石のものが感じられました。今からこの飛行機に乗れると思うと嬉しくなりますが、乗ってしまうとその容姿は見れなくなってしまうので(当たり前)しっかりと今の内に目に焼き付けておきたいものでした。
さて、搭乗ゲートに移動しましょう。平日のこの時間の岡山便なんて、それは空いているに決まっているものなのですが、流石にこの便は満席…と言いますか、付近の他の便と比べて、この便だけ満席という状況からも、ボーイング787に乗る為だけに来ている人が多いのが窺るというものです。もしかしたら、たまたま利用した…という人もいたのかもしれませんが、こんなに賑やかな状況に驚かされる事でしょうね…。飛行機好きの方達だけではなく、恐らくそんなに飛行機に興味の無い方でも、頻りに飛行機にカメラを向けているのが印象的でした。
いよいよ機内に向かいます。満席という事で、その搭乗には時間が掛かりそうですが、これが意外にもスムーズでした。機体の大きさも、巨大…というわけではない割に、広い機内がそうさせているのかもしれませんが、特に飛行機のドア周辺の広さや、天井の高さ、荷物入れの大きさには目新しいものを感じましたね。そして、従来の飛行機より約1,6倍も大きくなった窓…。自分は今回、運良く窓側の席が取れたので、直にその変化を体験する事が出来ましたが、日除けのシェードが無く、電子カーテンという、窓に青い色味が付いていく事で光の透過率を調節する装置(乗客がボタンで調節できます)も間近に見る事が出来ました。
座席も真新しい物でしたが、これは今後の全日空の機体の標準となっていく仕様らしく、既に従来のボーイング777等にも導入されている座席なので、そこまで感動するものではないのかもしれませんが、自分にとっては初めてですし、そもそもこの機体は、将来は近距離国際線に投入される予定になっている機体なので、座席も国際線仕様になっているのです。現在、1機しか無い状態で、乗務員、スタッフ等にこの機体に慣れて貰う意味合いもあるのでしょうね。特に、プレミアムクラスの方は、本来はビジネスクラスで提供される座席ですから、現在はお得な料金で利用出来てしまうわけで(その代わり、1時間半弱のフライトですが…笑)、こちらの人気も高いものになっています。
…と、色々目移りをしてしまいますが(笑)、飛行機は定刻通りに動き始めました。まだ定期便の運航から2日目で、特に混雑する状況下では流石だと思いますが、これも全日空の実力とも言えそうです。何度も体験している羽田空港離陸ですが、この時ばかりはとても新鮮なものを感じさせてくれたものでした。
今回、自分は窓側の席でしたが、翼の上という、どちらかと言うと外があまり見えない席でもありました。しかし、それはそれで主翼の大きさや、上向きにしなった特徴的な形がよく分かりましたし、そもそも窓側という自体が贅沢な状況です。隣に座っていた人も、何とか外の景色を見ようとしているように窺えましたしね…(笑)。
羽田空港上では晴れていましたが、やがて飛行機は雲上飛行となっていて、下の景色もよく分からなくなってきてしまいました。そうなると、ついつい機内の方に目がいってしまいますが、CAの方々は皆、常務に追われていて大変そうです。満席の機内ですから仕方の無い事ですが、グッズもよく売れていそうでしたし、何より賑やかなのは良い事です。
自分も少し、機内を探索していました。やはり目に付くのは機内のデザインで、曲線が多く使われ、目にも優しいというか、限りある空間で、広さを思わせる造りにもなっているように感じました。また、照明もLEDが使われていて、何色ものパターンがあるそうなので、これは長距離の国際線で生かされる事でしょう(照明を、時差に合わせて明るさを変えていく事で、身体への時差の負担を軽減する役割があるそうです)。そして、写真では伝えられないですが、湿度や気圧の設定も、従来より地上の感覚に近付けるようにしてあるので、これが搭乗者には何よりの朗報なのではないかと思います。実際、それは乗っていても気付けるもので、特に湿度は、分かりやすく変化を感じる部分かもしれません。
さて、飲み物サービスも終わると、そろそろ岡山空港へ降下を始めるというアナウンスが流れます。本当にあっという間であり、順調過ぎるフライトでしたが、これも全日空の努力の結晶でしょう…。何せ、この飛行機が世界で他に運航している会社が1社も無い今、全て自分達の手でノウハウを築いていかなくてはならないのです。何か予想外の事が起きてもおかしく無い状況でしょうが、それを起こさせないところが流石ではないですか。少し曇り空の中という中での降下でしたが、大した揺れも無く、無事に岡山空港に定刻に到着。飛行機が新しくなった事以外は、通常の時間が流れていました。ただ、それが今後のボーイング787の展望を思わせる印象にも繋がったかもしれません。何故なら、この飛行機が今後の世界の、スタンダード(標準)=通常に位置付けられるわけですから…。
ボーイング787が到着した後の岡山空港は大盛況でした!…どうやら乗客の7割くらいは、このまますぐに同じボーイング787の羽田空港行きの便で引き返すのだそうで、空港のお土産には人が殺到…。まるで行楽シーズンのような光景が繰り広げられていたのです。それは空港の展望デッキも同じ事…。ボーイング787にこの日乗れない人も、一目見ようと集まってきているようで、これはもうボーイング787フィーバーとしか言いようがないですね(笑)。
まだ暫くはこの状況は続きそうで、まだまだ人気も衰える事は無さそうです。しかし、来年からはいよいよ他の航空会社、そしてライバルの日本航空にも投入される予定になっていますし、更なるサービス争いが展開されるかもしれません。勿論、乗客にとってはこの上ない期待感が溢れますが、安全第一で、今後も末永く活躍してくれる事を祈るばかりです。当然、またきっと乗る機会は出てくるでしょうから、自分もこの時期の搭乗が出来た事を誇りに思いたいものです。皆さんも、是非機会があったら、一足早い、この未来の飛行機に乗ってみて下さい!
●貴重な山陽新幹線“こだま”号
自分は羽田空港行きのボーイング787には乗らず、せっかくここまで来たなら…と、バスで岡山駅へと向かいました。目的は山陽新幹線で、実は今ここには、貴重な新幹線車両が何種類か走っているのです。その中でも特に貴重なのは100系という車両で、これは1985年に初めて登場した、東海道新幹線で初のモデル・チェンジ車でもありました…。それまで0系〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 26.(山陽・九州編…2008.11.30~12.1)参照〕しか存在しなかった東海道・山陽新幹線にとって、この車両はとても眩しく映り、その後この車両が沢山出揃うと、自分が小学生の頃には、100系=“ひかり”号、0系=“こだま”号…という図式も出来上がっていて、本当にこの“ひかり”号には憧れたものでした。
そして、当時は2階建ての車両も2両~4両含んで16両編成だった100系も、次第に世代交代によってその数を減らし、今ではなんと山陽新幹線に6両編成が3本だけ残るのみで、設定も“こだま”号としてだけの運転となってしまいました。運用範囲も岡山駅~博多南駅に限られていて、もうこんな残り数になっていますから、狙って乗らない限り、出会う事は不可能かと思われるくらいです。今回、岡山まで来れたという状況は、ある意味で、100系に乗れるチャンスだったとも言えるでしょう。しかも、100系は2011年度までに引退するという発表もなされていて、恐らくこれが自分の最後の100系乗車になるかもしれません。幸いにも100系の運用は公表されているので、調べればそれに乗る事は十分可能でした。…というわけで、少し寄り道はしたものの、ここからはそんな山陽新幹線の旅へと変わります。
100系の現在の運用ですが、昼間はぽっかりと穴の開いている時間帯がありまして、それまでずっと岡山駅で待っているのは非効率です。そこで、いったん博多方向に向かいつつ、後に、逆に岡山駅に戻ってくるようなルートを組んでみる事にしました。その折り返し地点のギリギリの場所が広島駅だったのですが、そこは何度も行っている場所でもあるので、敢えて今まで降りた事の無かった駅、三原駅まで、何となく向かってみる事にしました。こちらも“こだま”号で向かいましたが、乗った車両は、現在の山陽新幹線の“こだま”号の主力、700系7000番台でした。“ひかりレールスター”号でも使われている車両なので、山陽新幹線ではメジャーな存在ですが、東海道新幹線には入らないので、ここでは乗っておきたい車両です。昨今、九州新幹線が開通し、山陽新幹線にも“さくら”号や“みずほ”号が出入りし、“ひかりレールスター”号が減少してしまった影響を受けて、この区間の“こだま”号にも転用してきたのです。言い方を変えれば、その分、100系車両も減ってしまい、現在の編成数になってしまったわけでもあります。
さて、三原駅に着き、ここで100系車両が来るまで、約1時間の休憩です。せっかくなので駅前を少し歩いてみましたが、ここはタコが名産らしく(瀬戸内海に面している場所ですし)、駅前にあったお店に入りつつ、名物と言われるタコ炒飯を満足に頂いてきました♪…結局、すぐ駅に戻ってしまったので、20分そこそこという短い滞在時間ではありましたが、非常に良い休憩時間だったように思います♪
そんな中、100系新幹線はやってきました。現在、3本の100系は全てオリジナル塗装に復元されており、16両編成という当時の威圧感こそ無いものの、編成美という点では本当に昔を思い出させてくれる感じになっています。今ではN700系“のぞみ”号が主流の東海道・山陽新幹線ですが、あれらの車両はやはり、スピード第一という感じがどこか漂っているのに対し、100系は何とも安心させてくれるデザインです。ドッシリとしていて頼もしく、昔の新幹線を容易に想像させてくれるところが良いではありませんか。窓が大きいというのも、現在の新幹線ではあまり見られない構造であるので、やはり良き時代の新幹線車両なのかもしれませんね…。時代的に、国鉄最後の新型車両だったという部分もあり、当時の国鉄も相当力を入れていたのでしょう…。デザイン的にも、本当に完成されたものがあり、いつまでも走らせてあげたいものですが、その引退時期はついに通告されてしまいました。個人的に本当に好きな車両なので残念なのですが、後は無事に走り続けてくれれば良い…と言うしかありませんね。自分も、恐らく最後の乗車を、じっくりと楽しんだものでした。
自分は、終点の岡山駅の1駅手前、新倉敷駅で100系を降りました。ここで、通過する他の新幹線車両との比較をしてみたかったからです。左上写真を見るとそれはもう明らかで、左側が最新型のN700系ですが、やはりデザインの差を感じますよね。こう見ると100系というのは本当に大きく造られているのです(N700系がスマート過ぎるのかもしれません)。また、九州新幹線の車両(右上写真参照)の通過も見る事が出来ましたし、新幹線の凄さを改めて感じた瞬間でもありました。こうしてみると、時代は既に100系→N700系になっているのは明らかで、この技術の進歩が、100系の引退を加速させたというのも改めて気付かされました。
さて、今度は別の意味で貴重な新幹線に乗っておきましょう。それは500系で、10年くらい前までは、東海道・山陽新幹線の“のぞみ”号として、東京駅~博多駅を連日運行されていた、言わば日本のトップ中のトップ車両でした。…しかし、あまりにも他の新幹線と仕様が違い過ぎたり、そもそも大量に造られなかった車両ゆえ、集中的に“のぞみ”号に投入されたせいか、車両の痛みが激しく(連日、1日に2000km以上も走ったりするわけですからね)、N700系に統一させたいという思いもあり、現在は“こだま”号に転用されてしまった経歴を持つ車両でもあるのです。
今では16両編成→8両編成になり、当時の最高速度300km/時も、今は出せない仕様に改造されてしまいましたが、そのスピード感溢れる近未来なフォルムは今でも健在です。相変わらず、先頭車両の運転台側にはドアは無く、その流線型部分は車内にまで回り込んでいますが、そもそも“こだま”号は空いている事が多いので、その部分に子供用に運転士気分を味わえるような疑似運転台を設ける等、ちょっとした遊び心が感じられるのが興味深いところです(笑)。
そうです、山陽新幹線の“こだま”号は大体は空いているのです…。以前は、4両編成の車両も走っていたくらいで、今回の100系が無くなると、全て8両編成以上の車両となってしまいすから、その空き具合に拍車が掛かりそうですが、全て8両編成に統一出来るといった、コスト減という意味でのメリットもありそうですね。往年の500系を知っている自分にとっては、1つ1つの駅に停まる“こだま”号での設定には勿体無いように感じてしまいますが、旅…という立場で見ると、これもまた悪くない感じもあり、ゆっくりとそのまま山陽新幹線区間の終点、新大阪駅まで向かったものでした。そろそろ夕方に近くなってくる時間だったでしょうか。
●寄り道で、現在の大阪駅へ…
このまま東海道新幹線で東京駅に戻る予定でしたが、ちょっと大阪駅に寄り道をしてみる事にしましょう。最近、大阪駅は新しく生まれ変わり、自分も工事中の時は何度か見ていたのですが〔竹内大輔の写真日記(~2009)、旅日記 26.(山陽・九州編…2008.11.30~12.1)参照〕、その完成を見ておくというのも一興です。大阪駅は、新幹線の新大阪駅からJR線で僅か1駅、5分。より、関西の空気を感じられる時間でもあります。
そては大阪ステーション・シティと呼ばれていて、駅北側にノース・ゲート・ビルディング、南側には従来の“アクティ大阪”を増築した上で、その2つの建物を従来のホームの上に設けた“時空(とき)の広場”と呼ばれるコンコースで繋げた、商業複合施設でもあります。写真を見ても分かるように、その2つの建物の間には、ホームを覆うように大きな屋根が設けられていて、そのカーブ上の形から、本当にインパクトがあります。この大屋根のお陰で、従来のホームの屋根の一部が撤去され、非常に開放的な駅へと生まれ変わりました(しかし、後に雨が予想以上に吹き込む事が分かり、一部に透明な屋根を付ける事を検討中なのだとか…)。
この大阪ステーション・シティ。まだまだ増築を続けるのだそうで、今後も大阪の玄関駅としての発展が期待されています。関西というのは、昔から私鉄が発達している地域でもありますが、京都駅といい、この大阪駅と言い、駅や駅周辺の施設も取り込んだ環境が、JRの方も充実してきました。今後、どのような発展に展開していくのか、まだまだ目が離せない状況である事を思わせる光景でしたね。
●最後は、新幹線300系で…
さて、再度新大阪駅に戻り、このまま東海道新幹線で東京へと帰ります。しかし、ここでも最後に乗っておきたい車両がありました。それは300系という車両で、このブログでも紹介はしましたが〔祝、300回目!参照〕、初代“のぞみ”号の車両であり、そしてこちらも2012年の春頃に引退が表明されている車両でもあるのです。
それまで、“ひかり”と“こだま”のみだった東海道・山陽新幹線に300系“のぞみ”が登場したのは1992年の事。自分はこの時、わりと早い段階で“のぞみ”号に乗って大阪に行っており(中学生に入る前の春休みの事でした)、幼心ながら270km/時という速さを痛感したものでした(270km/時、東京駅~新大阪駅間2時間半…と言うのは、この車両によって作られました)。今でこそ、“のぞみ”に投入される事が少なくなってしまった300系ですが、こちらもその車両数が減ってしまったからに他なりません。今後も徐々にN700系に置き換えられる予定なので、思い通りの列車に乗るなら今のうちです。今回も、丁度良い時間に“ひかり”号として運行されており、それで自分は東京駅まで向かったのです。
しかし乗ってみて思ったのが、その乗り心地の悪さでした。当初から300系は、トップスピードになった時の横揺れの大きさが指摘されていて、特にトンネルに入った時に顕著となるのは今でも変わっていませんでした。JR東海の車両は、その部分が改良された車両もあるとの事ですが、今回はJR西日本の車両だったので、余計に感じたのかもしれません。
これこそ、現在N700系という最新型の新幹線に乗り慣れている為でしょう。…と言うか、如何にN700系が最新の技術を駆使して、乗り心地が良く造られているか…という事ですね。ここでも技術の進歩を感じてしまいましたが、それだけ、300系という車両が先駆的でもあったのでしょうね(東海道新幹線内での最高速度は、今も変わらず270km/時なので…)。
こうして、ボーイング787を始め、貴重な新幹線車両、100系、500系、300系と乗り継ぎつつ東京に戻ってきました。1日にかなり詰め込みましたが、その全てが貴重な体験だったと思わせてくれるに相応しいもので、それは技術の発展を肌で感じるものにもなったと思います。都市と都市を、より身近なものへと変えてくれた旅客機、新幹線…。これからも大いに利用しつつ、その発展を楽しんでいきたいものです!
☆全日空のHP…http://www.ana.co.jp/